H26 「蛮族」37号で 作家・石田 登氏追悼

孤高の作家・石田 登さんが他界されたのは平成25年7月28日、88歳だった。石田さんは島根県雲南市吉田村川手に生まれ、農業をしながら小説を書いてこられた。「蛮族」が1976年7月に創刊された時からの有力な同人だった。その「蛮族」が平成26年4月に37号を発行し、石田さんを追悼している。

H26 「蛮族」37号

石田さんからは毎号「蛮族」を贈ってもらっていたので、必ず読んで、感想を書いて送っていた。年賀状もやりとりしていた。山陰中央新報に何度もエッセイを書かれたので、切り取って保存している。実際に会ったのは2,3回だけで、いつも文学の会合だったために、じっくり話したことはなかったが、小説を読んでいたし、その小説は一貫して私小説だったので、なんとなくよく知っているような気がしていた。寡黙で誠実な人だったが、小説に対しては厳しい人だった。50歳過ぎごろから、吉田村で陶芸もやっておられ、作品はプロ級だったそうで愛好者もあったという。一度訪問してみたいと思っていたが、とうとう実現しなかった。

「蛮族」37号目次

同人や関係者の追悼文は石田さんの小説を理解するのに大変参考になる。内藤美智子さんと野津泱さんの小説も載っている。大変おもしろく読んだ。

「蛮族」の編集・発行は松江市下東川津町266-7 野津 泱。定価500円。購入希望者はどうぞ。

詩 娘たちの「銀山巻き上げ節」

娘たちの「銀山巻き上げ節」
              ー石見銀山考ー                   洲 浜 昌 三

石見銀山で働いていた女性に会いに行こう  と誘われ
老女を訪ねたのは四十年前
娘のころ柑子谷の永久鉱山で働いていたという

地下三百メートルの立坑の座元から
鉱石が入った重いバケットをロープで引き上げる
若い娘が四人で 歌を歌いながら巻き上げたという

「歌ってくれませんか」というと
小柄な老女はニッコリ笑って歌いはじめた

仙の山からよー 谷底みればよー
捲いた まーたぁ 捲いたの アーヨイショ
アー声がするよ アーシッチョイ シッチョイ

娘のような声に乗り
歌は伸びやかに流れた
全身を使う厳しい労働なのに
どこか華のあるゆったりとした労働歌

三十五番のよー 座元の水はよー
大岡 まーたぁ 様でも アーヨイショ
アー裁きゃせぬよ アーシッチョイ シッチョイ

首に豆絞りの白い手ぬぐい
絣筒袖の着物に 赤い腰巻き
足には脚絆と藁の足半
巻き上げは若い娘の仕事だった

元の歌にはこんな歌詞もあったという

三十五は番よー この世の地獄よー
行かす まーたぁ 父さんは アーヨイショ
アー鬼か蛇かよー アーシッチョイ シッチョイ

過酷な労働だったのに
伸びやかで美しいメロディ

昭和18年の大洪水で再開発中の夢も砕かれ
六百年つづいた石見銀山の歴史が終わり
労働者で賑わった仁摩の街も寂れていったという

石見銀山を素材にして書いている「石見銀山考」の一篇です。「花音」の40周年記念コンサートのために鍵盤男子の中村匡宏さんが合唱用に曲を作らましたので、参考になるかもしれないと思い、載せてみました。この詩は大田市文化協会会報誌「きれんげ」と『中四国詩人集』にも載っています。

昭和48年頃、石見銀山の永久鉱山(仁摩側)で働いておられた人に話をうかがいに行きました。ぼくはテープに録音しました。しかしそのテープを捜してもまだ見つかりません。ぼくも若くて、価値をあまり意識しませんでしたが、時とともに価値が増して行きます。必ず捜します。

どのような動作で仕事をしたのか。想像はできますが、具体的に知りたいものです。労働歌ですから、それによって元の歌のリズムもわかってきます。ぼくの想像では、現在の歌い方より、もっと力強くて素朴な歌い方ではなかったのかという気がします。)

 

H26 熊井三郎詩集『誰か いますか』

島根県詩人連合は会報を発行しています。5月に76号がでました。今号では、閤田真太郎さん有原一三五さん、有川照子さん、井上祐介さんたちの詩と、群上健さん、栗田好子さん、槇原茂さんの随筆があります。

会員の詩集紹介として、渡部兼直さんの『渡部兼直全詩集』と有原一三五さんの詩集『酊念祈念Ⅱ』、成田公一さんの詩集『女たちへ』を紹介して、詩集の中から一篇を載せています。【最近読んだ詩集から】という連載コラムがあり、スハマクンが熊井三郎さんの詩集の感想を書いていますので紹介します。この会報は希望があればお送りします。

【最近読んだ詩集から】

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   独立した詩精神のさわやかさ       ー  熊井三郎詩集『誰かいますか』ー     洲 浜 昌 三

多くの詩が時代の状況に埋没している感がある中で、この詩集の言葉は状況や素材から起立している。この「自由な闊歩」が痛快でとてもさわやかだ。

熊井さんとは一、二度会ったことがあるが、もう四〇年くらい前のことだ。松江へ赴任してきて、文学の会合で一緒になった。弁も立ち、論旨明快、発声明瞭、言行一致、実行力もあり頼もしかった。同年生まれで、時代感覚が合う面もあり、時間を忘れて話した記憶がある。

いつの間にか松江から消え、「山陰詩人」で時々詩を読むだけになった。骨組みが覗き肉が薄い風刺詩も多かったが、タンカを切ったような潔よい詩を楽しみにしていた。  その後、奈良に居を構えた熊井さんとは年賀状のやりとりだけで、会ったことはない。

今回の詩集は処女詩集だという。熊井さんらしい。それが壺井繁治賞を受賞し、小熊秀雄賞候補にもなった。  三六編の詩は三つのパートに分けてある。最初は、身辺を素材にした温かく人間味にあふれた詩で、「父の贈り物」「約束の春」など不意に胸に迫ってくる感動がある。

しかし、一般的な意味の感動を期待して書いた作品はほとんどない。客観的な事実を並べ、積み上げてストリーを展開し、その中で、風刺や言葉遊び、比喩、意表を衝く逆転、告発、戯画化などで読者を引き付け、楽しませ、怒りや共感を呼び起こし、ふとした隙間から温かく感動的な風景が見えてくるという仕掛けです。

第二のパートでは、大阪弁を生かした言葉遊び軽口、毒舌、風刺を駆使した詩が楽しい。夜間識字学級の先生に三行以内の詩を頼まれて書いたという詩の一部を紹介しょう。
「馬くいかへんのよ/牛ろむきになるなよ/熊ったら言って来いよ」
「いつまで猫ろんでるの/ぼちょぼち犬わよ/蛙んやったら亀へんよ」

ばかばかしい駄洒落と思いながら、感心し、一本取られ、楽しんでいる自分がいる。

最後のパートは時代的、社会的、思想的に厚みと重さのある作品が中心になっている。「七十年目の証言」では中国大陸へ従軍した元兵士の残酷な事実が語られる。
「男がおったらすぐボンとやるわね/男はみな敵やからね」(略)「ひとりの兵隊が籠の前に立って/なにするか思たらションベン始めよった/泣いてる赤ちゃんの口めがけて/じゃあじゃあとね/やめたらんかいとわし言いたかったけど/みんな見て笑(わろ)とる」。強烈です。

最後の詩・「誰か いますか」は詩集のタイトルになった詩で、夢と希望の光が射してきます。  「俺たち隊員は 外国語が必修だ/韓国語 中国語 タガログ語」。国際災害救助隊員になって困った人たちを助けに行き、災害で閉じ込められている人へ言うのだ。
「誰か いますか/返事をしてください」

フィクションですが、現在進行中の海外で戦争ができる自衛隊へのアンチテーゼであり、同時に人間性豊かなアウフヘーベンでもある。

ーこの詩集をわが詩業のこよなき理解者にして協力者たる妻に捧げるーと冒頭にある。

ボクへノフウシ?
ノーノー。これは詩に非ず。献詞なり。論旨明快、発声明瞭。ここにも感動しました。
(詩人会議発行)

(紹介したい詩集はたくさんありますが、暇がありません。島根県詩人連合会員の詩集は優先的に、と思っていますが、まだの詩集が数冊あります)

 

H26,5/25 詩人連合総会、『島根年刊詩集42集』合評も

平成26年度の島根県詩人連合総会を5月25日(日)13時から大田市のパストラルで開催します。それに先だって、10時30分からは理事会を開きます。協議事項は、役員選出、事業報告、決算予算、しまね文芸フェスタ2014(大田市「あすてらす」で開催)、『しまねの風物詩Ⅱ』の刊行について。

終わってから、年刊詩集の合評会を開きます。『島根年刊詩集』は42集となりました。残念ながら高齢者が増え、年ごとに参加者が減少していきます。若い人に参加してほしい!

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目次を紹介します。島根県高等学校文化連盟文学コンクール「詩の部」で入選した優秀作品も掲載しています。松江農林の船木さん、松江東の鈴木さん、吉賀高校の藤永さん、松江東の谷本さん、益田高校の森本さん、平田高校の伊藤さんの作品です。若い感性がさわやかに光っています。

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事務局は安来市飯島町1842  島根県詩人連合事務局長 川辺真です。

希望があればお送りします。メールでもいいですし、電話(82-3040)でもかまいません。大いにベンキョウします。詩など読む人がいない時代に、読んでいただけるだけで最高です。

来年のしまね文芸フェスタは、詩部門が担当になります。講師を誰にするか、今から検討しておかなければなりません。

H25 中四国詩人賞、壷坂さん 木村さんへ(香川大会)

第13回中四国詩人会香川大会が10月5日、髙松市のリーガホテルゼストで開催されました。香川県は会員が少ないのでいろいろな面で大変だったとおもいますが、宮本光さんのご尽力により実現し成功裏におわりました。決算、予算、行事計画を了承し、中四国詩人賞の受賞式がありました。

DSC05002(山本会長から賞状を授与される壷坂さんと木村さん)

第13回中四国詩人賞は壷坂輝代さんの『三日箸』と木村太刀子さんの『ゆでたまごの木』でした。どちらの詩集も素晴らしく差をつけることができなかったようです。山本衛会長から賞状と副賞が授与されました。

選考委員長・岡隆夫さんの選評をニューズレター34号から引用します。

壷坂輝代詩集『三日箸』:
「つい見逃しがちな「箸」という日常茶飯の小さな素材をわれわれ日本人にとっては重要な生き様の基本として取りあげ、その様々な局面を風俗の面から、あるいは歴史的局面から掘り下げ、ひとつの特色ある文化の体系としてまとめている。その無駄のない凛とした詩行も多とすることができる」

壷坂さんの詩集は書棚にありますので紹介します。理知と感性のバランスがとれた完成度が高い詩です。詩人だけではなく一般の人が読んでも多いに感じるものがある詩集です。

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木村太刀子詩集『ゆでたまごの木』:
「一見奇異な発想に思われるが、戦後の貧しい体験に基づくものであり、そのなかにありながらも将来の夢につながるヴィジョンとして描かれていることがうかがえる。エッセイ誌の編集発行者でもある木村氏の詩行には、如何にすればより優れた詩行になりうるかという芸術的な意識が感じられる」

詩集は読んでいませんが、一篇だけ詩を読みました。散文詩でしたが遠くまで神経と感性が行き渡っていて読者を遠くまで連れていってくれます。フィクションもありますが、そのフィクションを埋める言葉の豊かさ感性の高さはには大いに感じ入りました。

「不運にも次点となった、くにさだきみ詩集『死の雲、水の国籍』は戦争の惨劇を大胆な比喩によって深く堀下げており、他に類を見ない。選考委員は今回も辛い選択を強いられたことを付言したい」

( 選考委員:小松弘愛、咲まりあ、蒼わたる、宮本光、岡隆夫。陪審として山本衛会長、萱野笛子事務局長、長谷川和美書記が参加)

三詩集共に個性と独自性があり、しかもレベルも高い詩集です。差をつけるのは難行だったことがよくわかります。

朗読は中川さん、牧野さん、渡辺さん、川辺さん、川野さん、秋吉さん、大森さん、鷲谷さん、吉川さんでした。山口の秋吉康さんは2012年12月に出版された『隣にいた人』から朗読されました。味わいのあるいい詩集です。

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講演の講師は宮崎市在住の南邦和さんで、「韓国の歴史風土と文学事情」。講演を聞いてとても勉強になりました。日本が支配し日本語を強制した暗黒時代の空白は今も根強く残っているという指摘には胸が痛んだ。韓国の事情にとても詳しく貴重な時間を過ごすことができました。声量があり、発声がとてもいいので、親睦会のとき、そのことをいうと、演劇などにも深く関わっておられるそうで、なーるほど、そうだったのか、と納得しました。

南邦和さん
翌日の文学ツアーは平賀源内の記念館、古代の山城などを訪ねました。源内のことは少しは知っていましたが、凄い人ですね。源平合戦で屋島の戦いが行われた場所を眺めましたが、当時の湾はかなり埋め立てられて住居地になっていました。空想だけだった屋島が具体的な風景として頭に残り、今後は大いに源平合戦の舞台背景として役にたつことでしょう。

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DSC05024 (屋島です。熊谷直実が若い平家の武者・敦盛の首を取った場所でもあります)

26年度の大会は広島県尾道市で、9月27日(土)に開催されます。会長は四万十の山本さんから、尾道の高垣憲正さんです。山本衛さん、おつかれさまでした。

DSC05017(この写真は平賀源内記念館の近くです。あまりにも海の色がきれいなのでパチリ!名所ではありませぬ)

9月28日には大田市で「しまね文芸フェスタ」が開催されます。ぼくが欠席して尾道へ行ったら顰蹙をかうことでしょう。アーサー ビナードさんの講演も聞きたいけど、残念でーす。

 

H26 「しまね文芸フェスタ」は大田市で

2014年3月27日、松江で平成26年度島根県民文化祭文芸部門第2回運営委員会が開かれました。俳句、短歌、川柳、詩、散文部門から代表者が出席して、25年度の反省、決算、26年度の予算、事業計画を話し会いました。

「しまね文芸フェスタ2014」は9月28日(日)大田市の「あすてらす」で開催することが決まりました。担当部門は川柳で、会長は竹治ちかしさん、副会長は長谷川博子さんです。

講師は矢崎節夫先生。児童文学作家、童謡誌人、金子みすゞの研究家として有名な先生です。以前大田のサンレディで講演され、聞きに行ったことがあります。

劇研「空」も以前、「朗読を楽しむ」で金子みすゞの詩の朗読、歌を取り上げ、市民会館中ホールで披露したことがあります。大田で開かれますので、現地の実行委員会も作られます。また講師歓迎の前夜祭もある予定です。竹治さんは大田の出身ですから、いろいろ好都合です。関係者のみなさん、そのつもりで予定に組んでおいてください。

 

 

出雲高校演劇「ガッコの階段」舞台評です

平成25年度の高校演劇全国大会(長崎)についてはこのブログでも紹介しましたが、10月に行われた島根県大会で「見上げてごらん夜の☆を」が最優秀賞、中国地区大会でも最優秀を受賞して連続して全国大会へ出場することになりました。

2013年の島根の高校演劇関係のことは、このブログでも何度も紹介しています。検索して読む人が多く5つの記事とも閲覧のベスト10の上位を独占しています。そこで高校演劇を応援することを目標の一つにしている劇研「空」ですから、ここでもう一本硬派の劇評を紹介させていただきます。

全国高校演劇協議会が発行している「演劇創造」から7人の講師の舞台評です。「ガッコの階段」がどのように観られたか、とても参考になります。「演劇創造」は各学校の演劇部には届いていると思いますが、読んでいなかったり、顧問の手元で保存されていたりすることも多いかと思います。劇作りの参考になれば幸せです。

まず「演劇創造」のPRを兼ねて一面、二面を写真でご案内します。全部で8面あります。以前は冊子でしたからファイルに保存に便利でしたが、新聞になってからは保存が難しいので困っています。(カッテニコマレ。ベンリガイイカラシンブンニシタノダ)すみません。

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出雲高校『ガッコの階段』審査委員講評 演劇創造129号より

平田オリザ(劇作家)
島根県立出雲高校『ガッコの階段物語』も、震災をテーマとした作品です。いくつもの言葉遊びが仕組まれていて、巧みな構成になっています。残念なのは、前半をコメディタッチで後半は一転してシリアスにというのは、高校演劇では多くありますが、どうもその転換が唐突すぎる舞台が多く見られ、この戯曲もその感が否めませんでした。後半の展開を予感させる部分を、もう少し前半から折り込んでいくと、より重層性のある作品になったかと思います。

高校演劇の魅力は、皆さんが、不安定な「生」に立ち向かうところにあると私は感じています。その点ては、今年の全国大会は、まさに高校演劇の魅力満載の大会になったのではないかと思います。

乳井有史(北海道苫小牧南高等学校演劇部顧問)
これも大震災を経て作られた芝居である。学校の階段の持つ意味が、一歩踏み出すための勇気の階段であったり、人生を終える天国の階段であったり、津波から生き延びるための命の階段であったり、その意味がテンポ良く替わっていく。その展開は独創的である。部内で智恵を絞り、ワイワイと作り上げたと想像される奇抜さに満ちている。被災地ではない場所から被災を描くためには徹底した誠実さ、リアルさが求められる。津波と幽霊という題材に違和感を持つとの指摘がいくつか聞かれたが、創造力のある部である、この姿勢を深化させていって欲しい。

篠崎光政(日本演出家協会理事)
椅子の転換や場面転換の演出のスピード感は心地よい演出であった。階段をモチーフに演出の工夫が随所に生きていた。問題はそのアイデアにこだわりすぎ、作品の本質を深く大きく描くことが出来なかった点にある。生きる場所、生き抜く場所、惜しいアイデアだったが、説得力に欠けた。
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今井 修(演劇評論家)
生者が死者を悼み、死者が生者を励ます。東日本大震災の被災者への思いが強くにじんだ舞台。当事者でない生徒たちが、この題材を扱うには、様々な迷いやためらいがあっただろう。扱い方にもうひと悩みあっても、という思いも残ったが、敢えて挑んだ勇気をたたえたい。学校の階段の怪談話から津波の記憶へとつなげていく。様々な工夫の光る舞台だった。平面の動きが主体の上演作品の中で、高さへの着眼が新鮮。「階段・怪談・会談」といった言葉遊びに、牛ヤスター付き椅子での瞬間移動、訓練の行き届いた合唱……。中でも、ブルーシートを使った津波のシーンは圧巻。終わらない日常のメターファーとしての階段から、生きるための階段への転換を鮮烈に視覚化した。

松井るみ(舞台美術家)
階段は舞台美術装置の中でも最も使われる頻度が高く、俳優の立つ位置の「高さ」の違いで俳優の人間関係をビジュアル化できる。階段の意味が改めて問われており、興味深いと感じた。引用されていたエッシャーの階段は、騙し絵の階段であり、実存できないものを引用していた点は、もう少し考えても良かったかもしれない。キャスター付きの椅子を使って展開するのもスピード感があって面白かった。

清野和男(全国高校演劇協議会顧問)
設定は面白いと思いました。一つ一つのエピソードが、「人生を生きるということは一歩一歩を歩み続けている」ということの象徴であると感じました。しかし収束が少し安易になっていることが、面白さを無くしてしまったと思えました。しかし、演技者はテンポも良く、非常に緊張感を持って演じていたと思います。

高森 章(全国高校演劇協議会顧問)
「私たちの目の前にある階段は何のために上がるのか」という自問自答を、いろいろな見せ場を盛り込みながら描いてくれました。「生きるため」「生き延びるため」ということでしょうか。高くそびえる階段は、「たちはだかる」という存在感のあるセットでした。また、キャスター付きの椅子の利用は、スピーディな舞台展開に効果的でした。

それぞれプロの演劇人、演出家、舞台美術家です。清野先生は東北地区の代表、高森先生は中国地区の代表で、みな高校演劇の大ベテランです。篠崎先生には大田市民会館で中国大会を開いたとき講師で来ていただきました。

どの舞台評にも同感する言葉がたくさんありますが、ぼくが出雲高校演劇部の劇を見て一番感じていたことは平田オリザさんの次の言葉です。「後半の展開を予感させる部分を、もう少し前半から折り込んでいくと、より重層性のある作品になったかと思います」

このことは脚本を書く伊藤先生にも、またみんなで議論しながら劇を創っていった部員のみなさんにも参考になるのではないかと思います。今年の県大会の「見上げてごらん夜の☆を」ではぼくは「背後にある一本の棒」という言葉で講評しましたが、「アイデアの細切れ構成劇」にならないようにするためには必要なことだと思います。

 

 

H25 『島根文芸』入選者表彰式 松江で

2013年度の島根県民文化祭の一環として行われた文芸作品公募の作品集が発行され、入選者の表彰式が12月15日、松江市で行われました。県の関係者、詩、俳句、短歌、川柳、散文部門の代表、選考者をはじめ入選者とその家族など100人以上の人たちが参加しました。

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上の写真は入選作品集です。昨年から中学生以下を対象にしたジュニア-の部の作品集は別冊で発行されるようになりました。この本の購入を希望する人は次のところへ問い合わせてみてください。在庫があれば本代だけならは1000円です。文化国際課文化振興室(0852-22-5877)

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上の写真は詩部門の入選者です。銅賞以下は入選作品として数名の人の作品が本には掲載されています。DSC05275DSC05276

全体の表彰式の後で、例年のとおり分科会が開かれ、参加者と作品を鑑賞しました。詩部門では撰者の閤田真太郎、山城健、岩田英作さん3人と詩人連合事務局長の川辺真さん、理事長の洲浜昌三が出席しました。最初に作者が作品を朗読し、お互いに感想などを述べ合いました。

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ジュニア大賞の出雲市佐香小学校の南場知揮君の「魚の目」も、南場萌花さんの「みんな私の父さん」はとてもいい作品で、みんなが感心しました。紹介すればいいのですが・・・・また時間があるときいつかどこかで・・・。

この佐香小学校へ読み聞かせ(朝15分)にいっておられる川柳の金築雨学さんも参加され、ひと言指導のいったんを述べていただきました。「ほめられようと思って書かない」「飾らない本当の自分を書く」「見たこと、事実を感性でとらえて表現する」ことを目標にして書かせられたそうです。もちろん川柳も指導しておられ、今回の本にも多くの児童が入選しています。

後日、金築さんから冊子が届きました。紹介します。
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18ページの冊子ですが、子供たちの川柳や詩がたくさん載っています。ここに源泉あり!!ですね。すごいことをしておられます。以前詩では、益田の石見詩人、田原先生の児童詩{蟻}、浜田でも長い間、小中学生の詩や短歌など公募して冊子にして発行していました。

いまはゼロになりました。どうにかしたいところですね。

H25 出雲高校演劇部 連続全国大会へ

2013年11月23、24日、鳥取県米子市・米子コンベンションセンターで第51回高校演劇中国地区大会が開かれました。島根から出雲高校が「見上げてごらん夜の☆を」、松江南高校が「冒険授業」で出場しました。事務局の黒瀬先生、島根の事務局の伊藤先生からも案内文書が来て、是非行きたいと思っていましたが、他の予定がありその上検査にも引っかかり、行けませんでした。

審査結果では出雲高校が昨年に続いて最優秀賞を受賞し、来年夏の全国大会へ出場することになりました。審査は上位3校で僅差だったとか。レベルの高い壁を突破しての全国への切符。すごいですね。おめでとうがざいます。島根県大会で観劇したときにもこの予感はありました。とてもいい劇でした。島根県大会の感想を書いていますので興味ががあれば読んでみてください。

H25 島根県高校演劇大会 出雲、松江南 中国大会へ    http://stagebox.sakura.ne.jp/wp/apoetinohda/2013/12/07/h25-%e5%b3%b6%e6%a0%b9%e7%9c%8c%e9%ab%98%e6%a0%a1%e6%bc%94%e5%8a%87%e5%a4%a7%e4%bc%9a-%e5%87%ba%e9%9b%b2%e3%80%81%e6%9d%be%e6%b1%9f%e5%8d%97-%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e5%a4%a7%e4%bc%9a%e3%81%b8/

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(上の写真は島根県大会でスハマクンがパチリとしたものです。絵になっていますね。見事なもんです。)

第51回中国地区大会出場校

上演1 鳥取県
岩美高校 西川真由美作「THE 図書館」

上演2 島根県
出雲高校 木下根っ子作「見上げてごらん夜の☆を」(顧問 伊藤靖之 作)

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(この写真も島根県大会です。8人で18人の役を演じていますが、同一人物だと思わせないところが、これまたすごいですね。照明も音響もパッチリ!決まっていましたね、照明のオオクニクンのfather に大田でぱったり!蛙の子は蛙ですね。長崎大会がおわり、続いて地区大会、県大会、中国大会とつづき、連日遅くまで議論して創りあげたそうです。)

上演3 岡山県
岡山東商業高校 柴幸男作「わが星」
上演4 広島県
市立沼田高校 黒瀬貴之作「JOIN US!」
上演5 山口県
宇部中央高校 古谷泰三作「16歳、僕隠れてます」
上演6 鳥取県
倉吉東高校 越智優作「サチとヒカリ」
上演7 山口県
西京高校 西京高校演劇部作「キリンは舞台の夢を見る」
上演8 広島県
市立舟入高校 正田篠枝作 須崎幸彦校正脚色「さんげ-原爆歌人正田篠枝の手記「耳鳴り」より-」
上演9 岡山県
岡山南高校 岡山南高校演劇部作「生徒会(ぼくら)とわらしとはじまりの夏」
上演10 島根県
松江南高校 中村勉作「冒険授業」
上演11 鳥取県
米子松蔭高校 結城翼作「飛ぶ教室」

講師は東京演劇集団風の辻由美子先生、青森中央高校の畑澤聖悟先生、そして審査員は各県から各一名。

皆さんおつかれさまでした。

H25 島根県高校演劇大会 出雲、松江南 中国大会へ

 

第37回島根県高等学校演劇発表大会が2013年10月26,27日、加茂町文化ホール・ラメールで開催され、出雲高校、松江南高校が最優秀賞を受賞、米子市で開催される中国地区大会へ出場します。。 両校とも表現豊かで洗練されたすばらしい舞台でした。簡単な感想など込めて紹介します。 写真は写せないのでパンフから白黒を利用させていただきました。一部パチリ!(パクリ?)もあります。あくまでスハマ君の感想です。http://stagebox.sakura.ne.jp/wp/apoetinohda/2013/12/12/h25-出雲高校演劇部-連続全国大会

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劇研「空」は高校演劇を応援することを設立の時の目標の一つにしています。当初は大田高校演劇部劇と一緒に劇も上演しました。(「星空の卒業式」「サクラさんのふるさと」等々)このブログも大田高演劇部を応援するために卒業生、修平さんがつくったものです。応援される対象は消えましたが、復活を願ってブログで応援しています。この観劇記も応援の一つです。

文学や芸術には多角的な視点が必要です。それに反発した場合でも、刺激材となり発酵して新たな形になりことが多々あります。感想や批評のありがたさです。それを願って、スタート!

松江工業高校 創作劇「流るる船は」三須雛乃 松江工業
作 部員の三須さんが脚本を書き、自ら雪哉(殿様)で出演し堂々と演じた時代劇です。時代劇は装置や衣装、言葉使いなど難しいことがたくさんありますが、この劇では「ブサメン、イクメン」などの言葉が出てきて、時代にこだわらない自由な発想で書かれています。装置も舞台奥に一段と高い台を作っただけの単純なものでしたが、いろいろな場面にうまく使っていました。装置は単純な方が演出、演技、照明、効果などによって多様な場面に変化できるので便利で効果的です。

女であることを隠した殿の正体を見た家来の恭之介が鬼ヶ島へ無罪の島流しになり、島民と一緒に敵討ちにもどってくるという話しです。場面が多く小間切れになるところを音響や照明でうまく繋いでいました。脚本も面白くできていて作者の才能の片鱗をあちこちで感じました。ストリーの組み立てをもっと工夫し、軽く流すところとじっくり描く場面との軽重を考えて書くと更に引き締まった劇になったことでしょう。日頃の発声練習をしっかりして、「声は聞こえても言葉がわかりにくい」ことがないようになれば最高です。

松江農林高校 「やっぱり パパいや」阿部順 作 演劇部潤色

松江農林

現在、全国高校演劇協議会の事務局長・阿部順先生が書かれた人気のある脚本です。この劇を初めて観るときには、次ぐ次ぎと展開される意表を衝くどんでん返しにびっくりしたり、笑ったり、感心したりして、揺さぶられながら惹き込まれていき、何度も笑いながらも最後は父親の一抹の寂しさと哀しさが胸に滲み出てきます。面白くできている脚本なので、何度も観た人にはそれを以上の面白さや独自性がないと期待が裏切られることになります。よく知られた有名な脚本はそこが難しい。

農林のみなさんはかなりいいところまで達していましたが、今ひとつ思い切った演出や演技があればよかった気がします。お父さんはいい味をだしていましたね。音楽も劇に合っていました。ラストで父が滑って転んで上手へはけながら緞帳が下りるところも、この劇のエッセンスを何気なく感じさせて素敵でした。転んだのは偶然かもしれませんが、この劇をコミカルな喜劇として届けようとした農林の演出意図が出ていました。18人が舞台に立つという層の厚さも農林の演劇部の底力を感じさせました。

松江商業高校 「夏の詩」遠野 尚 作
松江商業
緞帳が上がったとき、どんな装置が飛び込んでくるか。劇を観る時の楽しみの一つです。 何もイメージが浮かばないか、イメージや妄想がどんどん広がっていくか。

この劇では下手に橋の一部が見え、つたが巻き付いています。橋の向こうに何があるんだろう?想像がふくらんでいきます。スッキリしてしかも劇のイメージを発展させるいい装置でした。 キャストのみなさんの発声もよくて、ことばがはっきり分かりました。というより何の抵抗もなく、聞こうと意識したり努力する必要もなく、座っていて自然にことばと気持ちが届いてきました。日頃の発声練習の成果でしょう。おばあちゃんを出雲弁に変えたのも成功していましたね。

講評するとき、脚本の弱点は言わない方がいい、という意見があります。既製の脚本は部員の責任ではないからです。しかし脚本はその劇の土台です。劇の善し悪しの8割は脚本で決まると言った人もあります。脚本選択、脚本潤色なども含めて十分考える必要があります。脚本選択力、潤色も部の力量の一つです。

5人の高校生が卒業記念に100の物語りをしていて、依子が語る話が劇として演じられるのですが、村での子供たちの遊びが延延とつづきます。つづいてもいいのですが、その背後でストリー展開もストップしていては、単なる子供の遊びの意味しかありません。演じている人は一生懸命ですが、見ている人は同じ状態が30分もつづけば、劇から引いてしまいます。また、おばあちゃんの大切な鏡を割ったので、大好きなおばあちゃんの臨終にも行けないのですが、劇の核であるおばあちゃんと依子との交流がほとんど描かれていません。「メインテーマと外れたところで遊び過ぎ」と脚本を読んだときにメモしていました。美事な橋を初めから生かしたかったですね。

出雲高校 創作劇「見上げてごらん夜の☆を」伊藤靖之 作(顧問)

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音楽とともに緞帳が上がると空一面に星が輝き、高い台の上で星空を眺めている若者の姿がシルエットになって浮かび上がります。観客は自然に詩的な風景の中へ誘い込まれ、空想の羽を広げて物語りを予感し紡ぎ始めます。素敵な出だしです。

高校生のノゾムと学者風の星野との面白おかしいずれた会話。「今見てるものは過去だ」と断定する星野の詩人のような哲学者のような言葉。なにげなく劇の核を暗示します。テンポのいい会話、歯切れのいい言葉、無駄のないシャープな動き、次々と展開されていく10以上のシーン。

劇団オリオン座が繰り広げる何かを暗示するような意味不明に近い天体ショー。15の役を8人で演じるのですが、別人のように思えるのは劇団員の時は白衣を着ているからでしょう。身代わりも速くできるし全身が変わるので同一人物とは思えません。いいアイデアですね。言葉は十分届くし、演技や会話で引っ掛かるような不自然さがなく、自信を持って演じているので、安心して見ておれます。

メモの中から主なものを箇条書きで書いてみます。 ・幕開きがとてもいい。観客のイメージがふくらんでいく。 ・発声がいい。声が小さいときでも言葉がわかる。スピード、強弱、滑舌、間のとり方など自然で抵抗がない。 ・装置に立体感があり、劇中劇、屋上、学校、家など多面的に展開できる。 ・歌がうまい。とてもハーモニーがいい。 ・作者の好きなギャグやジョーク、ユーモア、言葉遊びがたくさん出てくるるが、若干の例を除き、押しつけがましくなくてセンスがある。とても深みと味のあるユーモラスな会話場面もあり感心した。この劇では過去、現在、未来が重要なテーマ。主人公・望(ノゾム)が好意を抱く佳子(カコ)と「過去」がダブらせてある。 ・役者1人1人がしっかりしていて魅力的。 ・次の場面が予測できない。次々と象徴的で新鮮な場面が出てくる。同時に、各場面がどのように関連しているのか、観客は消化不良のまま終わる可能性もある。 ・台本の冒頭に、10場面のタイトル、登場人物、さらに「あらすじ」と「伝えたいこと」が2ページにわたって記してある。こういう台本には滅多に出会わない。理解や整理が進み、とても参考になり便利がいい。他校も真似てほしいものだ。

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・東北大震災という言葉は一度も出て来ませんが、それを想像させる場面や言葉や、やり取りは何回も出てきます。一緒に望遠鏡で星を見たり、ノゾキミをしていた鏡太郎も遠(トオル)もいなくなり、好きだった佳子もいなくなります。オリオン座のスター・ベテルギウスは初めからいません。星野がそのことを指摘すると、みんなシーンとなって黙り、わざと関係の内ことではしゃいだりします。これも何かを暗示し象徴しています。しかし作者はそれが何故か説明しません。投げ出して想像に任せます。いろいろな点で詩のような象徴的手法で脚本を書き舞台化しています。ここにこの劇(伊藤靖之作品)の特徴や独自性、魅力があります。誰にも真似ができません。しかもレベルが高い。

劇を貫く一本の太い骨がなく、展開された各場面の関係性が希薄な場合には、劇が細切れになり消化不良を観客に残すことも多々あります。今回はどうだったでしょう。屋上で望遠鏡を眺める高校生と劇団オリオン座の関係は分かったでしょうか。劇団オリオン座とは一体何でしょうか。オリオン座が繰り広げるそれぞれの場面の関連性は分かったでしょうか。

あいまいなまま見終わった人もかなりあるだろうと思います。もう少し分かるためのサービスをしてもいいかともおもいますが、一本の骨(太いとはいえないけど)になっていたのは5人の高校生が繰り広げるストーリーです。次々転校していく友人たち、合唱コンクールの演習ために、屋上へ何回も呼びに来る佳子(カコ)や未来(ミク)。いつも望遠鏡を眺めているノゾミ君。でも最後にはノゾム君は3組の合唱で「見上げてごらん夜の星を」を演奏しみんなで歌います。現実の中へ足を踏み入れたのです。

この人間関係のドラマと時間の流れがメイン・ストリームとなり、骨になっていますので、細切れの印象があまり残りません。(もうちょっと意図的に、現実逃避から現実へ足を踏み入れる過程を描いたら骨が太くなって分かりやすくなるかもしれませんが、それは脚本家や演出家の劇や文学に対する感性や考え方の問題で、これは単なるぼくの印象です。)

演出の伊藤圭輔君は、脚本の完成がぎりぎりだったので大変だった、と幕間で語っていました。そうでしょう。県大会の台本は6敲版です。出雲高校もみんなで議論しながら作っていったのでしょう。レベルの高いとてもいい劇でした。レンゾクゼンコクダー!とぼくの中に棲息する演劇の微生物たちが騒いでいました。

浜田高校 「急遽演目を変更いたしました」臼井 遊・作、演劇部 井上このこ・潤色 浜田高校
石見地区で唯一の演劇部として顧問のキムラ先生と共にがんばっている伝統のある浜田高校演劇部です。今年は部員6人で、キャストは4人。1人で2役、3役もこなすという舞台。台本選択の苦労が忍ばれます。

劇は次のように始まります。 開幕前のアナウンス。「次は中央大学付属高校による、ガラクシ……えっ?あ、はい…。」 神妙な面持ちで部長が幕前へ。部長「本日はご来場いただきまして誠にありがとうございます。公演の前に演劇部よりお知らせとお詫びがございます。(略)演劇部員23名の内19名がおたふく風邪で欠席となり、急遽演目を変更致しまして4名でお送りします。(略)」

観客は度肝を抜かれ、えっ?と驚き、わっ!と湧く、ことを狙って書かれているのでしょう。そうなれば成功ですが、簡単にはいきません。底を見られて白けます。緞帳が上がり、始まった劇が目の前でつくる「即興劇」なら、新鮮で予期しない場面の連続となり、観客は、はらはら、として観るのでしょうが、訓練された普通の劇がつづいたのでは、幕前の部長のお詫びは何だったのだ、と底が更に割れてしまいます。

2010年に全国大会で上演された台本だそうですが、その学校にはベストでも、他の学校が同じ様に面白く上演するのは困難な脚本です。部分部分の面白さはあっても、全体を通して何をいいたいのか伝わってきません。 劇中劇で空想の場面がありましたが、音楽が楽しく踊りも雰囲気があって印象に残りました。たくさんの場面が出てきて、道具や吊り物で、それを分からせる工夫も見えましたが、 もうひと工夫が欲しい気がしました。

松江南高校 「冒険授業」中村 勉・作 演劇部潤色
松江南
昨年、南高は中村勉先生の代表作「全校ワックス」を上演しました。つづいて同じ作者の脚本です。作者が甲府昭和高校最後の脚本で関東大会へ出場しました。「全校ワックス」はダイナミックでとても面白い劇ですが、この「冒険授業」は言葉の実験劇かのようです。例えば冒頭で2ページも、発声練習のような語や句、文の群読が綿々とつづきます。

(例 生徒たち「世界/言葉/に言い表せない/気持ち/という言葉/あいまいな/言葉/思いがけない/言葉/・・・・」)これを全員で2ページもどのように喋るのだろう。台本もそんなに面白いとは思えず、観客へ何を伝えるか難しい。

ぼくの懸念に対して、冒頭から美事に生きた舞台が展開され、懸念は吹き飛ばされました。台本に「音楽。横たわる生徒たち。やがて起き上がり歩き出す」としかない冒頭の場面で、横たわった多くの人間が動きはじめますが、音楽やシルエットなどを使って惹き付け、何が起こるのだろう、という期待を抱かせました。発声練習のような長い言葉も合唱やソロ、輪唱、群読、と波のようになって届き、長さを感じさせませんでした。16人も舞台へ立ったのですが、みな言葉もよく分かり動きにも無駄がありませんでした。

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審査会でも次のような感想がありました。 ・よく工夫し脚本を生かしている。・客を惹き付ける工夫をしている。力を持っている。・あっという間に終わった。モトちゃんとは何だったのかよくつかめなかった。 ・ディスカッションしてつくりあげている。表現が生きているので伝わってくる。

劇を観ながら思ったのは、「やっぱり台本は台本だな」ということです。南高は美事に台本を舞台で立ち上げ命を吹き込みました。劇にも出演し演出も担当した伊藤圭祐君は、「みんなで議論しながらまとめていった」と語っていました。ここに成功の秘密があったのです。多様な意見を出して議論しながら作っていく。これが一番大切なことだと思います。ラストも印象的で素敵でした。 伝えたいことが観客へ十分伝わったか、という点では今一歩だったかも知れませんが、この脚本をここまで肉付けして楽しく見せたみなさんの知恵と努力と協力には大きな拍手を送りたいと思います。

三刀屋高校 創作「椰子の実とオニヤンマ」亀尾佳宏・作
三刀屋高校
今年はどんな劇だろう、と誰もが期待して幕開きを待ったことでしょう。平成18年から3回連続全国大会へ出場し。その後平成22年、24年と5回も中国地区大会で最優秀賞を受賞し全国大会へ出た実力のある伝統校です。

期待を裏切らない面白い劇でした。舞台に何もなくても、集団の自在な演技や動きで船になったり、波になったり島になったりします。場面も自由自在に、現在、過去、ファンタジー、宝島、海賊船、学校、島根、出雲大社、石見銀山、松江等々違和感なく14人のキャストによって創られ展開されます。場面へ引き込んでいく表現力を持っていますので装置などはなくてもいいのです。作者もそのことを心得て台本を書いています。

審査の会議で出た感想をメモ風に書いてみます。 ・亀尾カラーの作品。難しいテーマでもある。 ・役者の力量はある。入り込める劇作りで違和感がない。 ・島根をどうとらえているのだろうか。ちょっと一貫したストーリーが感じられない。 ・よく動き舞台の使い方がうまい。高校生にストレートに届いた劇だと思う。 ・全国レベル。身体表現がうまい。下半身も十分使い身体のさばきがうまい。曲の使い方 がうまい。ラストの鐘築君の訴えは劇としてどうか。 ・表現力が優れている。観て楽しく舞台へ引き込まれる。鐘築君の長いセリフや訴えはス トレー過ぎてこの劇に溶け込んでいない感じを受ける。

誰もがいい劇だと認めながら、2校しか県の代表になれないので、いい点と同時に問題点も指摘することになります。審査などなかったら、よかったね、で終わりですが、そういかないのがコンクールの悲しい宿命です。

作者の亀尾先生はこの劇でかなり冒険や実験をしています。型にはまった高校演劇らしさを破り自由に舞台で遊びたいと思っのでしょう。今までの自分の作品のパターンに飽きたらず部員たちを思い切って現実に立ち向かわせようとしたのかも知れません。

冒頭も実に型破りです。高校3年生の鐘築君の長い長い1人語りです。語りというより独白、いや演説、いや訴えです。台本のセリフは原稿用紙に換算すると約9枚近くなります。そして「これくらいの分量語ってください。語り尽くしてください。夏の思い出を。」と指定してあります。60分の劇の冒頭でこんな長い語りを取り入れるのは大冒険です。劇と独立してしまい失敗する可能性が十分予測できます。しかし作者はそれを心得た上で敢えて挑戦しているのです。

鐘築君は語りを終えると、「海」を歌います。中央に1人の少年が登場して、その歌の最後を引き取って歌います。少年は鐘築君の投影かも知れません。少年は、絵本から海賊が飛びだしてこの町から連れ出してくれるのを長い間待っていたのです。少年は「椰子の実」を歌い、やがて海賊たちが登場し、少年の歌と重なっていきます。実に楽しい場面の展開であり、人物の入れ替えです。

海賊船はそのうち島根という島へ到着します。「若者はおらん、年寄りだけがとりのこされた島。姥捨て島」です。そこで何を見るか。世界遺産の石見銀山や国宝の出雲大社、松江城、知事の善兵衞さんも。島根に関するあらゆることが生の言葉で面白おかしく出てきます。言葉遊びや掛詞、流行の言葉などがあちこちに出てきます。

船長が言います。「宝島は流れ着く海の向こうにあるんじゃない。椰子の木の根を張ることだ。お前が生まれたこの島だ。国宝もある、世界遺産もある。人間国宝だって。いや、そんな名前なんかなくったっていい、緑が、人が、歴史が、今日まですごしてきた時間がお前の宝だ!」

そして最後に全員で言います。「島根県!中国地方の山陰側に位置する。決して右側の鳥取と同じではない左側の県。花はボタン木はクロマツ鳥は白鳥知事は善兵衛。たった一つしかないふるさと。これが我らの宝島!」。

実にストレートです。シュプレヒコールのようです。作者はあえて挑戦しています。劇の調和を破壊しかねない思い切った手法です。

後半ではキャスト一人一人がいっせいに自分の夢や希望を次々に叫ぶ場面もあり、それは劇の型を破り現実を突きつける予想外の斬新な手法でした。そのこともあり、このラストにもそれが通底していて、そんなに突拍子な気はしませんでしたが、思い切ったやり方には間違いありません。
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いい劇だったのは誰もが認めたことだと思いますが、敢えていえば、この劇では主人公の存在が希薄で、現実の生々しい島根が主人公となって浮かび、問題提起劇のよな性格が強くなったことです。進路に悩む鐘築君と海の彼方を憧れる少年との太い骨を大切にして展開したら統一感のある劇になったかもしれません。海賊船に乗ってある島へ着いたとして、ありのままの固有名詞を使わず、何となく島根を暗示するような象徴的な手法を使う手もあったかと思いました。

2日間レベルの高い劇が上演されました。特に感心したのは観客の目を意識して演出し演じている学校が増えたことです。舞台の使い方がうまくなったことや表現が多彩になってきたことにも注目しました。議論して劇を創りあげていく学校が一段と厚みと多様な表現で台本を生かしていることも印象に残りました。

今年は津和野高校校長、大島宏美先生と講師として観劇しました。審査委員は松江地区から原先生、出雲石見地区から舟津先生、花本先生でした。 みなさん、おつかれさまでした。米子で開催される中国大会、期待しています。                      20131115(洲浜)

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