R6,音楽朗読劇「琴の鳴る浜」馬路まちセン公演用脚本

6月9日、馬路まちづくりセンターで完成記念公演のために、毎週木曜日に市民会館で練習しています。18日は2回目ですが、やっとこさ、さきほど脚本が出来上がりました。明日は約束通り皆さんにお渡しできます。歌10曲を中心に朗読と会話でストーリー展開します。表紙です。

「馬路まちセン」新築記念公演について(脚本より)
「馬路町まちづくりセンター」が、旧馬路中学校の跡地に新築され、3月28日に竣工式が行われました。
完成をお祝いして、地元馬路の伝承から生まれた音楽朗読劇「琴の鳴る浜」を公演することになりました。「馬路まちセン」の集会所には、照明や音響、舞台設備はなく、縦約十五、横約十メートルくらいの板張りです。劇形式の発表は無理なので、歌を中心にして朗読と短い会話形式でストリーを展開できるように脚本に手を入れました。時間的な制限があり、すべての歌を入れることはできませんでした。
「琴の鳴る浜」は短縮版を含め六回公演されています。
平成22、23年市民会館、23年馬路小体育館、24年大田小体育館(県音研、仁摩小、中発表)31年市民会館、令和2年県民会館。
発表者や発表場所に応じて、歌を中心にしたり、松江の芸能祭のように盆踊りを中心に舞台を構成しましたり、時間に応じて脚本に手を入れたりすることができるのも、市民の手で作成、上演できる強みといえるでしょう。住んでいる土地の伝承が芸術作品として客観的に味わえる喜びと感動は何物にも代えがたいものです。地元出身のソプラノ歌手、松浦麗さんに今回も参加して頂きます。共に発表できる喜びと素晴らしい舞台を確信しています。(以上脚本の見開きページより)
(ブログ:お知らせ  劇研「空」 地域情報20240418洲浜昌三)

R5,「この土地に生きて~島根で出会った詩人たち~」(「詩と思想」11月号より)

月刊詩誌「詩と思想」が、「この土地に生きて」というタイトルで各県の詩人を取り上げています。島根の詩人について執筆依頼があり、11月号に掲載されました。書店にもなく、読めない人が多いので紹介します。
編集部から与えられたテーマは次のとおりです:
「心に残っている詩人」「現代の詩に重要な貢献をしているが、一般には広く知られていない詩人」「ご当地で出会い印象に残っている詩人などの功績」
いろいろ考え悩みましたが、「現代の詩に重要な貢献」「詩人の功績」などという観点で取り上げるのには荷が重すぎますし、勝手な評価をして誤解を生む可能性もあります。そこで、「心に残っている島根の詩人」「印象に残った詩人の詩」という観点から執筆しました。限られたスペースなので、取り上げる詩人の数も限りがあり、紹介する文章も十分意を尽くせないものになりましたが、現在の詩誌、「石見詩人」「山陰詩人」「践草詩社」から印象に残っている詩人を紹介しました。

『 詩と思想 』は土曜美術社出版販売 が発行している 月刊 の詩 の 雑誌 。 1972年(昭和47)の創刊で、ぼくは創刊号からの会員です。総合商業詩誌であると同時に、編集は詩人たちが行うことで一貫しており、全国の詩人・詩愛好者のための共同の詩の広場作りを意図する運動誌的性格をも持っています。PRでした。
(ブログ:詩の散歩道  詩集や本の紹介  島根県詩人連合 20240328洲浜昌三)

R6, 「銀のまち 今昔物語」(第30回島根県音研 大田大会で発表 2012年)

’24年3月17日、大田市民会館で「竹下克敏先生 メモリアルコンサート」が開催されました。約100名の人たちの演奏が多くの聴衆に大きな感動を与えました。先生を回想して数名の人たちがエピソードを語られました。先生が音楽を通して真剣に生徒たちに立ち向かわれたことが語られました。吹奏楽コンクーで全国大会最優秀賞を筆頭に数々の立派な成績を残して来られたのも、生徒を信じいい加減な妥協をせず真正面から向きあってこられたからでしょう。それは最後の奥様の挨拶の言葉からもひしひしと伝わってきました。胸に響く感銘深い言葉でした。(下の写真は県音研の参加者、大田小学校体育館)

さて、ここで紹介したいのは、竹下先生が表題の研究大会を大田小学校で開催された時、僕にも以前から協力の要請がありました。創作音楽劇「琴の鳴る浜」を合唱を中心に15分で発表できるように短縮版をつくって欲しいと依頼されていたのです。数回準備会が開かれ、15分版を作り、アナウンス原稿を作成しました。前日11月9日はリハ、当日は県内から音楽関係の先生が多数来られました。発表のタイトルは「銀のまち 今昔物語」。竹下先生の命名です。貴重な記録は記載して索引の参考に供したいというのが、このブログの目的でもありますので、ここに写真とともに主な資料を紹介しておきます。平成24年(2012)の記録です。

研究演奏について(パンフより)ー今回の研究演奏は、日頃から子どもたちが音楽の授業や総合的な学習の時間、また、地域の行事で取り組んでいる題材を取り上げ、皆様にお聴きいただくことにしました。~今ふるさとを想う~
北三瓶っ子太鼓クラブの《和太鼓》や池田小学校の子どもたちによる《田植え囃子》は学校のみならず、地域の行事には欠かせないものになっています。ふるさとの伝統を守り伝えていく子どもたちの輝きをぜひ感じていただければと思います。

仁摩小・仁摩中の「ふるさとに伝わる伝説より朗読と音楽」《琴の鳴る浜》は、仁摩町に伝わる琴姫伝説をもとに、平成22年、洲浜昌三氏・長坂行博氏により創作されました。地元に伝わる伝説や史跡について、深く学んだ子どもたちの朗読と合唱がかもし出す、どこかなつかしい世界をどうぞお楽しみ下さい。

一中吹奏楽部の伴奏により大田一中3年生全員による合唱《大地讃頌》をお聴きください。大田市の未来を背負っていく若者たちの、生き生きとした歌声とともに研究演奏を終わりたいと思います。会場の皆様もぜひ、ご一緒にお歌い下さい。(指揮は竹下先生)

大田市立第一中学校吹奏楽部は、平成18年度に全日本吹奏楽コンクール中国大会に9年ぶり3回目の出場を果たし銀賞を受賞。その後、6年続けて同大会に出場し金賞を受賞。平成21年度からは、石見部としては初の全国大会への出場を果たし、3年連続全国の舞台で演奏するという栄誉に恵まれました
生徒たちの音楽に向かう真摯な姿と美しい《吹奏楽》の響きをぜひご堪能下さい。終わりになりましたが、この研究演奏にご尽力いただきましたすべての方々に心よりお礼を申し上げます。

何かの参考になればと思い、当日の「アナウンス原稿」と朗読音楽劇「琴の鳴る浜」(短縮20分版)をPDFで紹介しておきます。
H24 アナウンス原稿・舞台進行表「ふるさと大田 今昔物語」県音研大会
H24 音楽朗読劇「琴の鳴る浜」短縮版 第30回島根県音研大田大会1~6P
(ブログ:詩の散歩道 地域情報 昌ちゃんの演劇だより 第30回島根県音楽教育研究会大田大会 竹下克敏先生 大田一中ブラスバンド 創作音楽朗読劇「琴の鳴る浜」20分短縮版 20240321洲浜昌三)

R6,藤原規生先生指導「歌のワークショップ」好評裏に終了

2月25日大田市民センター4階で「みんなで楽しく歌って・・・うまくなる」というワークショップが開催されました。大田市の委託を受け文化協会が主催。定員50人でしたが、子どもたちを含め90人以上の参加者があり、藤原先生の指導で三曲を歌いました。伸び伸びとした明るい雰囲気の中で、ベテラン指導者の的を射た助言に明るい笑いも絶えず、充実した2時間でした。僕は受付係でしたが少し一緒に歌いました。藤原君は僕が大田高校に赴任した時の二年生。合唱部部長、生徒会長でした。打てば響く楽しいクラスでした。僕は演劇部顧問でしたが、1984年に僕が創作劇「エメラルドグリーン~おれたちのふる里~」を書き、劇中歌として藤原君に作曲をお願いしました。この曲はその後の創作劇「また夏がきて」の中でも劇中歌として使用しました。季刊脚本雑誌「高校演劇」や「高校演劇selection」にも掲載されたので、全国あちこちの演劇部やサークルなどで上演されています。昨年令和5年には愛知県の高校が上演しましたので、劇中歌作曲者・藤原君にもお知らせしましました。更に昨年、日本劇作家協会が誰でも読めるように戯曲アーカイブ、電子版を作成しましたが、その中に「また夏がきて」も入っています。藤原君との高校時代のコラボがこのような形で発展するとは「縁は異なもの味なもの」・・・嬉しい発展ですね。
縁といえば、藤原君のお父さんは医者で歌人、素晴らしい歌集も受贈しました。アソカ幼稚園のPTA会長でしたが、文集「アソカ」に詩を依頼され毎号書きました。

閑話休題;一昨日、久しぶりに規生君と再会し昔話に花が咲きました。藤原先生は世界的な活躍をしておられます。その一端をチラシから紹介します。

今後計画している市民参加の創作音楽劇にも協力して頂く予定です。このようにし、この故郷で育った世界的な音楽家がふるさとの子供たちや市民の文化活動の推進者として活躍して頂けるのは最高の姿ですね。素晴らしい文化芸術活動の循環です
(ブログ:地域情報 詩の散歩道 20240227洲浜昌三)

R6,アンソロジー『現代生活語詩集2024 風、土、水』原稿募集

隔年ごとに発行されている『現代生活語詩集』(発行所・竹林館 代表・永井ますみ)の原稿募集要項が届きました。「生活に根ざした人々の心に届く詩は、閉塞し混迷を深める現代に置いて、自立し共生を願う詩としてますます要請されることでしょう」と文中にあります。
この生活語詩集は昨年他界された京都の有馬敲さんが提唱され、2006年に全国の詩人へ呼びかけて発行されました。ぼくは第2集から参加しています。今回の〆切は3月末です。希望される人は要項を読んでみてください。

北海道から沖縄まで、方言なども使用した個性的な詩があります。難しい言葉ではなく、日常生活で使用する言葉を使って書かれた詩が多いのが特徴です。代表の永井さんは、この詩集に基づいて意欲的に朗読発表会も開催しておられます。希望があれば、募集要項や応募用紙、振込用紙をお送りします。
(ブログ:詩の散歩道 お知らせ 全国生活語詩集 202402洲浜)

R5,島根県民文化祭文芸作品入賞者表彰式(1/20松江)

2023(令和5)年度の文芸作品入賞者の表彰式が行われ、受賞後に分科会が開かれました。入賞作品は「島根文芸」56号に掲載されています。授賞式の様子や入賞者などを紹介します。
今年度は短歌部門が担当。会長・寺井淳さんの挨拶。自分だけの作品ではなく、他の入選者の作品も読んで、広い視野を養う大切さを話されました。向こう側は各部門の代表、額(散文)、田中(俳句)、竹治(川柳)、洲浜(詩)のみなさん。

今年度の詩の審査担当、川辺、井下、洲浜、2023,10,松江で。


表紙の絵は56回県総合美術展、日本画部門で知事賞を受賞された黒田育子さんの絵。このように、素晴らしい作品をお互いに活用するのはいいことですね。(お互いに場が広がり活きる)
文芸作品を読みたい人は島根県文化振興課へ申し込んでください。千円で購入できます。

散文で知事賞を受賞された塩田直也さんの「黒板の絵」、金賞受賞された藤進さんの「夢の通り道」、銀賞・山田敏子さんの「アルバムの思い出」は、とても優れた作品で感動しました。
詩では、知事賞・三日月幸太郎さんの「土を想うということ」が自由な発想から生まれた豊かで考えさせる詩でした。小中学生の作品はとても自由で新鮮、清々しい気持ちになります。123編の詩の応募作品の中で江津青陵中学校の生徒さんの作品が沢山入選しました。詩に対する取り組みが授業の中であるのでしょう。優秀賞・「音」を書いた金澤さんが詩の分科会にも出席して、最後までみんなの話を聞き、自分の考えも述べてくれました。ありがとう。

各分野の招待作品も掲載されています。詩では、高田頼昌「枕上 ふたりの詩人」、川辺真「それでも」、洲浜昌三「何を見ていたのだろう」が載っています。
発足して56年。島根の文芸活動を励まし、推進してきました。そして56冊の本は関わってきた多くの文芸愛好者の貴重な記録です。来年度も多くの人の応募を楽しみにしています。
(ブログ:島根詩人連合 詩の散歩道 「島根文芸 」劇研「空」20240123洲浜昌三)

R6,今年もよろしくお願いします 昨年度の主な活動

2024年がスタートしました。内外ともに波乱の年明けの予感がします。少しでも希望のある年になって欲しいものです。さて、劇研「空」の昨年度の主な活動を写真で振り返ってみます。月に2回程度開催した市民会館カルチュアー教室「朗読で楽しむ郷土の民話」は細々とですが継続し、沢山郷土の民話を読み、その中で面白い民話を選び朗読用に手を加えて第12回『朗読を楽しむ」で発表しました。
3月5日サンレディー大田ふれあいホールで「春まちコンサート」に参加しました。サンレディー廃止という思いがけない計画に対してストップの姿勢を示すために利用者を中心に音楽の団体や個人が参加して日頃の腕を披露しアピールしました。劇研「空」は朗読劇「海を越えサヒメの山へ」を発表しました。
9月30日。市民会館中ホールで第12回「朗読を楽しむ」を開催。郷土の民話と創作民話劇「出口がない家」を発表しました。劇研「空」以外に岩谷さん、山内さん、加藤さん、広島から福田さんにも参加して頂き有意義な公演になりました。
10月15日。市民会館でプロの脚本、作曲、演出、出演により市民が参加したこどもオペラ「おいもさま」が公演されました。劇研「空」も協力し山本、松本さんが出演しました。多彩で華やかな舞台に観客は引き込まれました。
11月3日。大田第三中学は今年も全校で演劇に取り組み「仮面」を発表しました。劇研「空」のメンバーが3回援助に行きました。生徒さんたちは文化祭発表のために音楽や弁論、焼き物、作品展示等々、沢山仕事があります。その中で演劇に取り組むのですから大変ですが、見事にやってのけました。若いって、柔軟で吸収力があり、セリフを覚えるのも早い。教職員と生徒さんが一体になって取り組まれる姿が印象に残ります。お疲れ様でした。
11月15日。「ビラ朝山」から依頼されて、民話の朗読会を開きました。山本、吉川、田中、松本、洲浜、そして岩谷正枝さんにも参加して頂きました。父上がこの施設長をしておられたそうです。高齢者ですが、大田の方言や昔の民話や歌を熱心に聞いておられました。感想で、「とても懐かしいく楽しかった」と言っておられました。こんな企画は初めてだそうです。
12月10日。浜田の石央文化ホールで「岩町功先生を偲ぶ」公演に参加し群読「長州軍の侵攻と最後の代官~鍋田三郎右衛門~」を松本、堤、松本、吉川、田中、洲浜で発表しました。映像もたくさん投影しました。写真が一枚もありませぬ。上の写真はパンフレットです。1月初旬には会議がありアンケート結果やDVDも頂くことになっています。以上、写真中心に令和5年の発表を振り返ってみました。みなさん、おつかれさまでした。
(ブログ:劇研「空」活動報告 演劇だより20240101洲浜昌三)

R5,浜田で「岩町功先生追悼展」・「出会いを語る」(12/9.10)

2日とも午前中は、「追悼映像投影」と「出会いを語る」、朗読劇が行われ、午後から演劇が上演され、ロビーでは展示がありました。その中から「出会いを語る」と「展示」を紹介します。(劇の公演は写真が揃えば後日紹介します) 洲浜との交流が展示されていて恐縮しましたが、新聞掲載のために舞台の劇評や書評を何度か頼まれたり、写真集「石見の100年」や「石見の昭和」などで写真の解説を頼まれました。「島根の高校演劇」の編集も先生中心に取り組みました。浜田で上演された10本近い岩町先生の創作・演出の舞台は観劇しています。
上の写真は、初日の「出会いを語る」舞台写真です。浜田高校演劇部だった人たちが思い出を語られました。次の日には4人でしたが、ぼくが話した主な点は次の通りです。

1、昭和46年に邇摩高で演劇部顧問になったとき石東地区大会で岩町先生を講師にお願いした。当時は泊まり込みで矢上で上演し次の日に合評会があり岩町先生の講評を聞いた。東京でプロの劇団におられただけに最先端の演劇論を聞いた。当時は浜田高演劇部は島根の先頭に立っていた。出雲部の演劇は芝居がかった表現だった。先生の指導の影響だった。(現在は石見地方の高校演劇部はゼロ。出雲、松江地区だけ。何でだろう?何でかな?)

2.先生の提案で「島根の高校演劇」を出版することになり、津和野で一泊して編集会議を開いた。演劇の劇評や書評も頼まれたが、新聞社と事前に話をつけてからぼくに電話がきた。一般の人に広くPRし、同時に記録に残す重要性をよく心得ておられた。

3.生涯、島村抱月の顕彰に尽力され評伝「島村抱月」上、下、で貴重な仕事をされた。(頼まれて新聞に書評を書きブログでも紹介)以前は浜田でも抱月は「女狂いの大学教授」と最低の評価だったが、先生の創作演劇のラストで、他界した抱月が舞台に照明を浴びて出てきた時、観客から大きな拍手が沸き起こった。それを見た時、ぼくは「カタキを取られた」「岩町先生の苦労が報いられた」と思って感動した。

4.二人で浜田の居酒屋で飲んだとき、抱月のことや、後輩を育てる重要性、なぜミュージカルか、など貴重な話を聞いた。浜高で創作劇のミュージカル「長靴をはいた猫」を書き作曲して全国大会へ出場し高い評価を受けた美崎理恵さんに期待し育てていきたいことを口にされた。(石西地区大会は津和野高であり、ぼくは講師だったが素晴らし舞台に驚いた)

5,「郷土石見」の会長で歴史家でもあり脚本家、演出家でもあった岩町先生は、「個であるとともに普遍性のある劇」を創ろとされた。歴史に耐える作品を残そうと志しておられた。

以上、主なポイントを記してみました。先生は大きな業績を残されました。改めて敬意を表し、ご冥福をお祈りします。
(ブログ:演劇だより 地域情報 「空」 20231222洲浜昌三)

 

 

R5,劇研「空」群読「長州軍侵攻と最後の代官」浜田で発表(12/10)

12月9,10日、石央文化ホールで、岩町功先生を偲ぶ公演があります。午前中は、先生との出会いを語る会です。10日は美崎理恵、長岡弘志、鹿森偉左雄さんと洲浜昌三が舞台で話します。どんな話が出てくるか楽しみです。
岩町先生が創作脚本「はたちの心ー若き日の島村抱月ー」を書かれて昭和42年に江津高校が中四国大会(高知)へ出場したときの貴重な写真です。岡山の末安先生から送られてきました。

午後からは、山陰久佐松竹座の「関取千両幟」、14:45から劇研「空」の群読「長州軍侵攻と最後の代官ー鍋田三郎右衛門」(洲浜作)を発表します。史実を中心にフィクションも混じえ映像も投影して発表します。16時からは、創作てんからっと、の「大晦日のラプソディ」(美崎理恵作)が楽しみです。
先日浜田城跡へ行き、作家・司馬遼太郎の「浜田藩追壊の碑」をパチリと写して帰りました。森鴎外は「余ハ石見人 森林太郎トシテ死セント欲ス」と遺言状の冒頭に書きました。司馬遼太郎は「石見人」(いわみびと)と読ませて書いています。今回の群読に関係します。紹介しましす。

「石見國は、山多く、岩骨が海にちらばり、岩根に白波がたぎっている。石見人はよく自然に耐え、頼るべきは、おのれの剛毅と質朴と、 たがいに対する信のみという暮らしをつづけてきた。石見人は誇りたかく、その誇るべき根拠は、ただ石見人であることなのである。
東に水田のゆたかな出雲があり、南に商人と貨財がゆきかう山陽道があり、 西方には長門・ 周防があって、古来策謀がそだち、大勢力の成立する地だった。石見はそれらにかこまれ、ある者は山を耕し、ある者は砂鉄や銀を堀り、ある者は荒海に漕ぎ出して漁をして、いつの世も倦むことがなかった。

浜田の地に城と城下がつくられたのは、江戸初期であった。 幕府は、この城をもって、毛利氏という外様藩に対するいわば最前線の牙城とした。以後、藩主は十八代を経、城は二百四十八年つづいた。 幕末、西方の長州藩が革命化して、幕府の規範から離れた。   長州藩は時のいきおいを得、また火力と軍政を一新させ、各地で幕軍を破った。ついに浜田城下に押しよせた。浜田藩は和戦についての衆議がまとまらず、さらに二十五歳の藩主松平武聰は病臥中でもあって、  曲折のすえ、みずから城を焼いてしりぞいた。
明治維新に先立つ二年前の慶応二年(一八六六)のことである。 いま、城あとに苔と草木と石垣のみである。それらに積る風霜こそ、歴史の記念碑といっていい」    司馬遼太郎

浜田城跡へ行ったら、ぜひ読んでみてください。
(ブログ:劇研「空」 詩の散歩道 演劇だより 20,231,208洲浜)

R5,「令和に拓く石見のステージ」リハで浜田へ

12/9,10,表題の公演が石央文化ホールで2日間開催されます。午前中は「岩町功先生を語る」、午後は6団体の演劇などが上演されます。11月26日にはリハーサルが行われ、劇研「空」も参加しました。全員行けなかったので完全なリハはできませんでしたが、立ち位置、映像、マイク、照明などホールのスタッフと話し合い決定しました。
劇研「空」の出し物は朗読劇「長州軍侵攻と最後の代官ー鍋田三郎右衛門」。浜田城炎上も重要な場面です。帰りに、浜田城へ行ってきました。写真など紹介します。下は石央文化ホールです。
浜田市駅です。一昔前の姿と随分違いますね。
司馬遼太郎が書いた「浜田藩追悼の碑」。今回の朗読劇にも関係します。長州が攻めてきたとき、藩主は討ち死に覚悟だったのに、なぜ城を焼いて船で松江へ逃げたのか。屋敷にも火を放ち、千人近くいた武士、その家族を含め4千人余りの人々は歩いて岡山の鶴田へ。そこでどうしたのか。浜田城址に立ててあった浜田城のCGI復元図をパチリ!立派な城だったんですね。最近の調査では本丸はこの時焼けず、明治5年の浜田地震で倒壊したという説が有力になっています。約45分で激動の歴史をまとめるのは大変。何度も台本を書き直しています。単なる朗読ではなくフィクションで劇形式も取り入れています。リハを見た浜田の人said,「勉強になります」。訊いてみると「ぼんやりとは知っているけど、はっきりとは知らない」とのこと。その言葉は大変参考になりました。ホールの職員のみなさん、ありがとうございました。
(ブログ:劇研「空」活動報告 演劇だより お知らせ  詩の散歩道   20231127洲浜)