「島根県詩人連合」カテゴリーアーカイブ

H24 9/23 益田でしまね文芸フェスタ

2012年のしまね文芸フェスタは益田市のグラントワで開催されます。午前中は「短歌、1300年の魅力」というタイトルで三枝雄昴之先生の講演があります。午後は短歌、俳句、川柳、詩、散文の分科会です。詩部門では自作詩の朗読と合評会を計画しています。

 

誰でも自由に参加できます。島根にいて三枝先生の講演を聴く機会など滅多にありません。きっと得るものがたくさんあることでしょう。楽しみです。22日には益田の島田屋で三枝先生の歓迎会があり出席します。

 

 

 

 

平24 県民文化祭「島根文芸」作品募集

2012年度の島根県民文化祭の一環として実施される文芸部門の作品募集がはじまりました。
7月2日から9月3日までです。入選した作品は「島根文芸」45号に掲載されます。ジュニア-の部もあります。小学生、中学生は募集要項を見たりするチャンスはありませんし、自発的に作品を書くことはまれでしょうから、学校の先生や親など身近な人たちがすすめてもらいたいものです。学校単位で応募するケースも増えています。是非参加してほしい。

 

県外に住んでいる人でも、島根出身者なら応募できます。
毎年表彰式やその後の詩の会に出ますが、詩の応募は30~40作品が最近の例です。昨年度は珍しく高校生や高専の学生さんが上位にたくさん入選されました。

5/27, 第41回 島根県詩人連合総会です

2012年5月27日(日)、大田市のパストラルで41回詩人連合理事会と総会を開きます。10時30分から12時までは理事会、13時からは総会、そのあとで「島根年刊詩集」40集の合評会を行います。

今回の大きな課題は、「続・島根の風物詩」刊行の件です。事務局長の川辺さんとはやり取りして原案をまとめましたが様々な問題点もあります。詩が詩人仲間だけで読まれている閉塞状態を破るために、ヴ・ナロード、詩を街へ、という思い切った姿勢で詩集を作りたいものです。いいアイデアを考えて出席してください。

『続・人物しまね文学館』予約受付中です

山陰中央新報で連載された『続・人物しまね文学館』が本になり5月1日から発売されます。島根県詩人連合では販売に協力するため買取予約をしています。購入希望者は(島根県詩人連合会員でなくても可です)洲浜へ申し込んでください。送料は発送者が負担します。

 

詩人連合では100冊ばかり予約購入します。その中からすでに約70冊は購入希望があります。20冊注文という人もあります。冊数によっては割引も考えていますので電話かメールでお知らせください。 予約があれば振込用紙をお送りします。

大田市では市内の昭和堂書店で販売の予定ですが、同店では目下予約注文中です。

 

H24 島根文芸協会行事・役員など

2011年3月23日、松江で「平成23年度県民文化祭文芸部門第2回運営委委員会」が開かれました。会則の制定、役員の選任、23年度事業報告、24年度事業計画を審議し承認・決定しました。

24年度は短歌連盟の担当。主な行事と日程は次の通りです。今から予定の中に入れておいてください。

(平成23年の文芸フェスタ前夜祭。阿刀田先生歓迎会の一場面。毎年前日に歓迎会を開いています。阿刀田先生は早稲田の卒業ですが、ぼくの兄は早稲田のロシヤ文学科の卒業。ほぼ同じ年代ですし、ぼくはその5年くらい後。当時の早稲田の話など面白い話しをうかがいました)

1.「しまね文芸フェスタ2012」平成24年9月23日(日)益田市のグラントワで開催予定。
講師は歌人で文芸評論家の三枝昴之先生。演題は未定ですが万葉集など上代文学をテーマにした講演。
午後は部門別交流会。

1.「島根文芸45号」の発刊
募集期間:7月2日~9月3日
審査日: 10月
表彰式は12月初旬に松江で。
俳句、短歌、川柳、詩、散文で多くの作品が集まることを期待しています。中学生や高校生に作品も募集しています。

 

「島根県文芸協会会則」も承認されました。それに基づいて「平成23年度島根県文芸協会理事会」が 開かれまいた。会則については何時か紹介しましょう。

 

平成24年度島根県文芸協会役員  
会長  水津正夫  島根県短歌連盟理事長
副会長  月森遊子 島根県俳句協会会長
理事 竹治ちかし  島根県川柳連盟会長
理事  洲浜昌三  島根県詩人連合理事長
理事  池野 誠  島根県文学連盟会長
理事  安部洋子  島根県短歌連盟事務局長
理事  安部弘範  島根県俳句協会幹事長
理事  川辺 真  島根県詩人連合事務局長
監事  長谷川博子   島根県川柳連盟副会長
監事  寺井敏夫  島根県文学連盟副会長

 

H23 島根県民文化祭文芸作品入賞者表彰式

2010年12月11日、平成23年度の島根県民文化祭文芸作品入賞者の表彰式が松江で行われました。表彰式のあとには例年のように各部門で入賞者との懇談会が開かれました。

 各部門の応募作品数は次の通りです。短歌・一般の部413首 ジュニアの部96首  俳句・一般部611句 ジュニアの部89句  川柳・一般部521句 ジュニアの部582句  詩・一般部55編 ジュニアの部77編 散文・17編 ジュニアの部の応募作品はなし。

今年の大きな傾向はジュニア-の部(中学生まで)で多くの応募者があったことです。これは小・中学校の先生などで熱心な方が生徒に書かせた作品を応募されたからだと考えられます。詩では77編も作品が集まり、びっくりしました。これも熱心な先生の指導の賜です。文芸でも高齢化が進み、若い人たちを育てて行く必要性を文芸フェスタの運営委員会でも何度も話し会いました。その結果ジュニア-の部を設けたわけです。ますます応募者が増えることを期待しています。

入賞者の作品は毎年本になっています。「島根文芸」44号です。図書館などにはあると思います。島根県の国際文化課に問い合わせると購入もできます。

詩の分科会では入賞者に作品を朗読していただき参加者で感想等を述べあい貴重な2時間を過ごしました。島根県詩人連合で出席したのは、撰者の田村のり子さん、閤田真太郎さん、事務局長の川辺真さん、理事長の洲浜昌三の3人でした。

今年の入賞者の大きな特徴は高校生たちが上位に入ったということです。今までもそういうことはありましたが、銀賞や銅賞にたまーに1名か2名に過ぎませんでした。金賞の『僕』を書いた竹下奈緒子さんは出雲商業高校生、銀賞『ハロウイン』の中島千尋さんは松江高専の学生、同じく銀賞『純』の青木茂美さんは出雲商業高校、銅賞『おばあさん』の勝部椋子さんも出雲商業高校。

高齢者の作品はどうしても過去の回想になったり、記録だったり、若々しい感性は欠けています。しかし上記の若い人たちの作品には脆いところはあっても新鮮な感性が息づいています。確かに魅力的です。

小林さんの『としをとると』、持田俶子さんの『まあちゃんの自転車』は若い人にはかけない分厚い時間の堆積から滲み出てくるような哀感がありました。本来なら優劣をつけることはできません。

みなさん、おつかれさまでした。来年もまた参加してください。

 

 

四万十大会盛会裏に終わる(平23)

島根県詩人連合が発行している「島根県詩人連合会報」71号(2011,12,25発行)に掲載したものです。会報では写真は2枚ですがここでは増しています。記録として掲載します。

 

四万十大会盛会裏に終わる       ー 第十一回中四国詩人会報告ー                            洲 浜 昌 三

高知県西部の中心地・四万十市で10月1、2日、中四国詩人会大会が開かれました。  清流四万十川の沖積平野に開けた四万十市は、中村市と幡多郡西土佐村が合併して生まれた人口約三万六千の市です。街の思わぬ所に古い面影や地名が残っていて不思議な印象を受けました。

 説明によると応仁の乱を避けて、所有していた幡多(はた)荘へ下向した一條氏が京都を擬して御所や碁盤目の街を作ったそうです。「土佐の小京都」と呼ばれた伝統のある街です。地元の人と話すと「中村市」に愛着と誇りを持っておられるのを感じました。

大会は「新ロイヤルホテル四万十」で開催。遠隔地のため参加者が心配でしたが会員49、 会員外24名の事前参加届けがあり、当日は準備した資料90部が足りなくなる盛会振りでした。遠く離れた事務局担当県として感謝のほかはありません。「高知詩の会」の代表・小松弘愛さん、事務局の林 嗣夫さん、萱野笛子さん、そして『ONL』を主宰しておられる山本衛さんをはじめ地元の詩人の皆さまに大変お世話になりました。

 

大田を2日前に出発、次女のダンナが南宇和郡愛南町の出身で一緒に行きました。両親はすでに他界、海辺の集落に生家の屋敷跡だけが残っていました。墓に参拝。車で四国の南端、足摺岬へ。「なぜアシズリというんですか」と聞くと、「空海が足を摺って歩いて来たから」と宿の女将。名答に感銘。「足摺の南百キロに台風接近」子供の時から聞き慣れた岬に立って、眼下から広がる広大な太平洋をしばし眺めました。 (写真は最初の朗読者・山本衛さん。後ろは朗読者です)

 

                                 大会前夜には高知の小松、林、山本さんに広島の長津さん、コールサックの鈴木比佐雄さん7人で講師の鈴木 漠先生歓迎会を開きました。(写真の左から林さん、鈴木比さん、洲浜さん、山本さん、講師の鈴木さん、小松さん)

総会では四万十市長の歓迎の挨拶も。第11回中四国詩人賞は岡山の小野田 潮さんの詩集『いつの日か鳥の影のように』へ贈呈。無駄のない抑制が利いた地味な詩ですが知的な感性から生まれた言葉が深い思考へ誘ってくれる魅力ある詩集です。賞状を渡しながら詩集と小野田さんのジェントルマンライクな人柄が重なりました。(写真は洲浜会長より受賞者の潮さんへ賞状と賞金の授与の場面)

 講演は徳島生まれで神戸に在住の鈴木 漠先生。詩集20冊、連句集11冊。圧倒される著作数です。その源泉は、知的エネルギーの強靱さ、好奇心や想像力の豊かさ、仕事の緻密さにあるのでしょう。「連句裏面史から」と題して中国の李賀から古事記、万葉、光秀、芭蕉、蕪村、子規などを具体例に、連句が果たした役割を語られました。豊富な知識から歴史的興味をそそる想像やエピソードなどを挟んだ楽しく充実した講演でした。

詩の朗読は各県から山本 衛、大森千里、宮本 光、宮田小夜子、山田朝子、摩耶甲介、川野圭子、スヤマユージ、井上嘉明の皆さんプラス洲浜。

アトラクションでは永野美智子さん作成の紙芝居「幸徳秋水」と一條太鼓の演奏を楽しみ、懇親会では広い会場で話しの花が満開でした。

 

 

(一條太鼓の皆さん。小学生もがんばっていました)

翌日は視察観光。先ず幸徳秋水の墓へ。奇しくも刑死百周年記念の年でした。  明治43年数百人の社会主義者・無政府主義者を逮捕し、26名を天皇暗殺未遂の大逆罪で起訴、翌年1月18日24名に死刑判決、6日後秋水ら11名死刑執行。この短期間の執行に時の政府の意図が丸見えです。秋水の無念な思いに心を寄せ黙想しました。NHKで放映中の「坂の上の雲」の日清・日露戦争勝利とこの弾圧は同時に進行していたのです。若い秋水たちも「坂の上の空に輝く一朶の雲」を見て歩いたことを忘れたら片手落ちです。

市内視察は上林暁文学碑、郷土資料館、佐田沈下橋、トンボ公園、大江満雄詩碑と続きましたが、ぼくは都合があり秋水の墓から一人離れ中村駅へ急ぎました。

鳥取大会、四万十大会を終え、島根の事務局長川辺、会長洲浜は御役御免。高知の萱野、山本体制がスタートしました。  川辺さんは手が抜けない行事のため四万十大会には参加できませんでしたが、事務局長として数多い事前の文書作成・発送など完璧に果たしてバトンタッチしてもらいました。 三瓶大会からのご協力に感謝しつつ四万十大会の報告とします。

(会報は島根県詩人連合事務局で発行しています。694-0014 島根県安来市飯島町1842 山根方 川辺 真)

島根の文学運動 詩 (下)

(上)では大正から昭和19年までを紹介しましたが、つづいて戦後から現在までの同人誌活動を中心に紹介します。現在の同人誌や詩人連合などの活動状況についてはそのうち書く予定です。

(斐川町の高田正七氏が個人で出版した昭和40年版の島根年刊詩集。中身も和紙。高田氏は7冊個人で年刊詩集を発行した。その後は島根県詩人連合に受け継がれ最新版は平成22年版で39集になる)

島根の文学運動 詩(下)
戦後に短期黄金時代 ー〈洲浜昌三〉

島根の詩活動は、日本が戦争への道を進む中で衰退していった。1939(昭和14)年に吉儀幸吉、門脇真愛の『風土記』創刊があるだけで、翌年春安部宙之介が大社を去ると詩誌の火は消えた。国策宣伝普及が求められ、42年には30数名の詩人が集まり島根県翼賛詩人会を結成した。戦地へ行ったり、公田豊治郎のように詩才を戦場で散らした者もあった。

敗戦後は若い詩人たちが各地で動き始め、雨後の竹の子のように詩誌が誕生した。しかしなぜか6年以内に消え昭和30年代以降は3詩誌寡占時代になった。

敗戦の年の11月、早くも松江で詩誌『自由詩』が創刊された。20歳をでたばかりの帆村荘児と本庄稔民が中心で、岡より子、雲田謙吉、甲山まさるを客員に、一時会員が130人もいた。文化活動も活発におこなったが51年に30号を出して終わった。46年1月には石村禎久を中心に『詩祭』が誕生、市民を啓蒙する文化活動も展開し8月までに6号を出したが、石村は大田へ転勤、大田で『司祭』を2号まで出した。22年春には安食久雄が『ポエジー』、9月には三島秀夫が『人間詩』を創刊し5号まで出した。

出雲では大社中学で安部宙之介の薫陶を受けた松田勇を中心に『幌馬車』で活躍した野尻維三男たちが46年5月出雲文芸社を結成。安部と岡を顧問に『詩文学』を12号まで発行した。「荒涼とした郷土の街に文化の灯をともす」ことを掲げ、100人近い会員を擁し2年間エネルギッシュに文化活動も展開した。大東では48年大東高校職員中心に錦織芳夫、星野早苗、後藤正美らが『山脈』を創刊、栗間、中尾、甲山、宮田、吉儀、布野、細貝真紀子(後の別所)など多くの県内有力詩人も寄稿した。

大田では46年春、吾郷次頼、中井律郎らが『たんぽぽ』(後に『詩世紀』と改名)を創刊、大田高校の中尾清が指導的役割を果たし23号まで出した。市内の石村、和田雨星、石田暁生、松尾清や県内の甲山、三島、吉儀、岡、帆村、本庄なども詩を寄せた。

益田では敗戦の秋、20代の田原敏郎を中心に佐藤繁次なども参加して『鶯笛』を創刊した。同人の離郷で47年秋には廃刊になったが、印刷を頼まれてガリ版を切ったキムラフジオは54年に内海泰、中村幸夫などと『詩歴』を創刊し、55年末までつづいた。

56年1月キムラは岡崎澄衛、内海泰などと石見詩人社を設立し6月に『石見詩人』を出した。31号からは高田賴昌が編集者となり現在(126号)に至っている。同じ年に出雲では光年の会が誕生、20代の喜多行二、原宏一、田中瑩一らが7月に『光年』を発行し、現在は松江の坂口簾(田中瑩一)が編集を担当し138号になる。松江では61年11月松田勇と帆村荘児が往年の詩人へ呼びかけて木嶋俊太郎、安部宙之介を顧問に山陰詩人クラブを結成した。『山陰詩人』準備号を含め2号まで帆村が編集、13号まで岡より子( 松田、宮田隆、栂瀬大三郎が編集同人)、67年からは前年入会した田村のり子が編集を担当し現在(189号)に至っている。田村には6冊の優れた詩集があるが、73年に第6回日本詩クラブ賞を受賞した『出雲石見地方詩史50年』は評価が高い著作で、著者の慧眼と共に批評や記録も重視してきた執筆方針の成果である。

昭和40年代には出雲の琴川輝正らの文芸誌『清流』、隠岐では小室賢治、斉藤弘、河野智恵子らの『潮鳴』、島大生・伊藤里子らの詩誌『擬態』、浜田では石見文芸懇話会が結成され文芸誌『山椒魚』を7号まで発行した。また個人詩誌では高田正七が『二十五年』を151号まで出し、帆村荘児は『貝』(後に『典』)を32号、キムラは『雑木林』を120号まで発行した。個人誌では肥後敏雄が『狼派同盟』をこの春60号を出した。

現在の島根の詩誌の詳細や島根県詩人連合の活動などについては後日に譲りたい。         参考文献 田村のり子著『出雲石見地方詩史50年』、同『島根の詩人たち』、島根県詩人連合刊『島根年刊詩集』各号、『石見詩人』『山陰詩人』『光年』『二十五年』など。  (島根県詩人連合理事長 石見詩人同人)

  (田村のり子著、島根県詩人連合発行の『しまねの詩人たち』島根県文化ファンドの助成と詩人連合連合の積み立て金で発行しました。手元に残部が数冊あり。頒価1200円。希望があればお送りします。)

島根の文学運動 詩 (上)

平成23年1月21日、旧島根県立博物館の文化国際化分室で、第32回島根県文学館推進協議会が開かれました。出席者は10名でしたが、「続・島根文学館」の山陰中央新報連載について、また県議会での福田議員の文化行政に関する質問と知事の答弁内容について報告があり、話し会いました。その席で島根の文芸5分野の活動の歴史を書いて新聞に掲載してもらうことを提案し承認されました。

「人物しまね文学館」は人物中心の点です。線(歴史)としての文学者の位置づけが必要で、当然取り上げられるべき人物が出てこないという問題(執筆等の関係者)を幾分でも解消するためにも歴史的な活動を示す必要があります。すでに5分野の文学運動が山陰中央新報に掲載されました。紙幅が限られていて要点を箇条書きしたような評論になったのはやむを得ないことですが、調べたい人の参考になればと考え、整理の意味も兼ねて紹介します。

島根県の文学運動 詩(上)
大正末に第一次黄金時代 〈洲浜昌三〉

島根で発行された詩の同人誌にスポットを当て、県内の詩の歩みを概観してみたい。

日本の近代詩は、それまでの漢詩から新体詩と呼ばれる文語定型詩ではじまった。明治15年に出た西洋の訳詩集『新体詩抄』を源流とし、森鴎外を中心にした訳詩集『於母影』で成熟し、藤村の『若菜集』(明治30)で新体詩は完成したといわれる。更に白秋、露風の文語自由詩を経て、大正の口語自由詩へと発展していった。島根では中央に少し遅れて大正末期から昭和初期にかけて、多くの同人詩誌が誕生し黄金時代を迎えた。プロレタリア作家への弾圧が激化する昭和6,7年以降は創刊も減り、昭和15年から敗戦にかけては詩誌の誕生はなかった。

田村のり子著『出雲石見地方詩史50年』では、島根で最初の詩誌は、大正7年出雲今市で旧制杵築中学の日野よしゆき、錦織秀二、岸野生花らが創刊した『草原』だろうと推定している。彼らはその後文芸誌『森の中』や『塑像』を創刊した。

古くから短歌が盛んだった大社では大正10年に錦織天秋、上野一郎など多くの文学青年が集まり郷土草社(後に山陰詩人社と改名)を結成し、『ふるさと』『水明』(後に『日本海詩人』、廃刊後は文芸誌『出雲』)を創刊して活発な活動をした。安部宙之介や温泉津の木嶋俊太郎も『水明』の同人だった。

大社にいて島根詩壇に長期にわたり大きな影響を与えたのは安部宙之介であった。後に日本詩人クラブ会長にもなった安部は、昭和4年から15年まで旧制大社中学で教え、『木犀』『森』『詩・研究』を発行した。多くの詩人が励まされ、教え子が詩誌を興し活躍した。大谷従二、音羽融、中沢四郎らは詩誌『なぎさ』、桑原文二郎『白い花』、中塚博夫『山陰詩人』(現行の詩誌とは同名異誌)、松田勇は戦後に『詩文学』『山陰詩人』を創刊した。安部夫人も昭和4年に『あけみ』(後に『女人文化』)を中心になって創刊した。

松江では大正9年に金沢芳雄、山部茂の詩誌『ひよどり』が誕生した。1号雑誌だったがそれを母体に青壺詩社が結成され雑誌『青壺』を発行し活発に活動した。解散後の大正13年、松江詩話会が生まれ『松江詩人』を発行、4年間華々しい活動をした。長谷川芳夫、坂本精一、貴谷昌市、佐々木春城など優れた詩人や詩論家が揃っていた。栗間久、宍道達なども途中で参加した。昭和3年に島根師範学校へ赴任した木島俊太郎は『十字架』などの詩誌を発行し校友会誌『阿羅波比』に詩を書き吉儀幸吉、音羽融など多くの学生に影響を与えた。昭和3年に旧制松江高校で森脇善夫を中心に結成された淞高詩話会も活発に活動し多くの文学者や詩人を輩出した。布野謙爾、花森安治、田所太郎、宍道達、藤原治、宗寂照、田村清三郎、山本清、小原幹雄など多士済々である。

石見では大正11年、大国小学校の松村勇が月刊誌『心閃』を創刊、粕淵へ転任してからは『詩巡礼』を発行した。大田には山田竹哉などの『群像』、温泉津では木嶋俊太郎や渡利節男らの文芸誌『赤裸』もあった。昭和5年には中島雷太郎や中島資喜らが静窟社を結成して『静窟』を創刊(後に『山陰詩脈』と改名)した。時は日本が軍国主義を強めていった頃で昭和9年に警察からの不当な介入もあったが5年間で49輯は長命であった。同人だった和田快五郎は『島根詩人』を創刊し7輯まで発行した。

出雲の知井宮では昭和10年に野尻維三男、山本善二、木村富士夫などが『幌馬車』を創刊。岡より子を選者に迎え多数の会員を擁して3年間活発に活動した。その他に安来では大正11年に佐々木春城などの『曼荼羅』が4号まで発行され、大東では大正13年ごろ土谷幸助らが発行した『炎上』があった。当時の山陰新聞、松陽新聞は入選した詩を競って掲載した。これは若い詩人を刺激し詩の大衆化に大きな役割を果たした。          ( 島根県詩人連合理事長 石見詩人同人 )

 

島根の現代詩の状況

日本詩人クラブが発行している雑誌『詩学』の編集部から依頼されて平成16年に島根県の現代詩の状況を書きました。整理のため、そして何かの役に立つこともあるかもしれないと考え紹介します。   

 

地域別現代詩の状況
           島 根 県
洲 浜 昌 三
島根県は東西に長い。山口県境にある西の津和野から鳥取県境にある安来市まで約200キロ。汽車で4時間はかかる。
島根県民歌の中に、「九十万の県民の…」とあるが、これは昭和30年代のことで、いまは75万余、65歳以上の老年人口比率は26%で全国一。代表的な過疎県である。貧しい暮らしの中で子供を立派に教育して都会へ送り出し、自ら疲弊していく人材供給県である。
中国山脈を背にして、日本海沿いに伸びるこの細長い県は地理的文化的に、出雲、石見、隠岐と三つに分けられる。

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