「竹久夢二特集号」出版 花美術館

竹久夢二のファンは全国にいます。昨年夏、中四国詩人会大会の翌日、文学訪問で詩人の正富汪洋と夢二のふるさとを訪ねました。二人は幼友達で、家の裏の低い丘をこえれば、汪洋の家が当時はありました。夢二の家の庭から瀬戸内海方面の広大な田園風景風景に明治時代を重ねる、夢二の少年時代を想像すると、見えてくる懐かしい風景がありました。
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瀬戸内海が見下ろせる牛窓神社へいくと、夢二がよく来て、じっと見つめていたという江戸時代の絵馬・旅芸人の絵も見ました。

数ヶ月後に花美術館が、夢二の特集号を出すというので詩の誘いがありました。当初はまったく乗り気ではなく断ったのですが、ある朝、ふと「夢二の詩をかたらどうだ」という啓示のようなものがあり、書いてみました。出来るだけ、夢二が本や日記などの中で使った言葉を使って書いてみました。
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本はたくさん写真や資料がある豪華本で、3千円してもおかしくないほどですが、1200円です。夢二ファンには手や足がでそうな魅力があります。大田では昭和堂書店に少しだけあります。

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その詩を紹介してみます。普通、詩は詩人仲間で読まれるだけで一般の人はほとんど現代詩を読むことはありません。この本は現代詩とは関係無いので詩人で読む人はほとんどいないはずです。分かりやすい詩ですから読んだ思わぬ人から電話などがあり驚きました。

 

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さて、上記の詩は一行の字数や全体の字数に制限がありましたので、ちょっと自由な気持ちで手を加えてみました。これは「石見詩人」130号に載る予定です。

どこかにあったなつかしいもの
ー 竹久夢二によせて ー   

洲 浜 昌 三

太古からつづいた木と草と土と紙の家が
鉄とコンクリートと電気の騒音の街になり
新しい思想が流れ込み夢が語られ自由が叫ばれ
気がつけば集団の軍靴の音が近づいてきて
あっという間に菫(すみれ)や女郎花(おみなえし)を踏みにじって行った
そのむかし

「詩はパンにならず画家になった」
あなたの美人画や草画は飛ぶように売れ
多くの名前がつけられた
「大正ロマンのシンボル」
「大正の歌麿」
「叙情の詩人画家」

夢と美を求めて自由奔放に生きた
あなたに送られたもう一つの名前
「華やかな女性遍歴の芸術家」

哀愁や憂いや哀しみを湛えた夢見るような大きな瞳
着物を着崩した身体をしなやかにくねらせた肉感的な姿態
伏し目がちに誰かを待っている弱々しくやつれた女
木の下に座わり遠くを眺めている少年と少女の後ろ姿

どこかにあったなつかしいもの
きえていくなつかしいもの

格子窓の彼方に広がる緑の水田と遠い山並み
海へつづく街道を往来する巡礼や旅芸人や薬売り
神社で見上げた江戸の絵馬「お陰参りの図」の旅姿
泣く時にいた優しい母 遊ぶ時にいたよき姉
蔵の二階の書物にあった平安朝の雅(みやび)な宮廷生活
姉の小箪笥からこっそり懐へ忍ばせた美しい布キレ
土蔵の前の椿の下で聞いた紡車(つむぎくるま)の音

きこえてくる忍びなき き
こえてくる勇ましいこえ

骸骨になった夫が白衣姿で立つそばに
悲しみに泣く妻のコマ絵を描いたこともあった
「自由や革命を低唱し伏し目がちに銀座を歩いた」ことも
秋水らの処刑を知ったときには衝撃を受け下宿で通夜をした
「絵筆折りてゴルキーの手をとらんに
はあまりにも細き腕とわびぬ」
と新聞に書いたこともあった

将軍や立身出世を鼓舞する絵は一枚も描かなかった
凱旋する楽隊を描いても後に負傷兵と泣く女がつづいた
本格的な油絵も描いたが生涯どこにも属さなかった
軍靴はあなたの叙情など踏みつぶし
「軟弱な色道画家」を吹き飛ばしていった

「ありがとう」
と信州の療養所で遠い世界へ旅立つまで
あなたは庶民を通して描きつづけた

どこかにあったなつかしいもの
きえていくうつくしいもの
ここにはないどこかにあるもの

夢二が書いた詩や日記や小説を読み、夢二を論じた本を読んでこの詩を書いたのですが、夢二の心情が僕なりによく理解できた気がしました。ドイツへ行ったとき、ナチスの軍隊の鉄兜に不気味な未来を見、同時にドイツとの盟友日本に不安を感じたと日記に書いています。単なる叙情詩人画家ではないところに夢二の絵の人物の「哀しさ」がただよい出ているのではないかと思いました。

 

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