岩町功著 評伝『島村抱月』上・下巻 

岩町功先生のライフワークの一つでもあった島村抱月の評伝が上、下巻になって出版されました。上巻だけでも811ページ、更に巻末には克明な事項索引、人名索引21ページがついています。抱月の克明な評伝であると共に、抱月の父が鉄山師として活躍した時代のたたらの歴史などがとても詳しく書かれています。貴重な写真や統計や資料も豊富で、さすがは経済学部で学ばれた学士だと納得迂しました。文学的なセンスと共に社会科学的な蓄積が光っています。単なる抱月の人物伝ではなく、彼が所属し、生きた社会や組織、人物などとの関係が実に克明に書かれています。

この上下2巻の書評を頼まれて山陰中央新報で紹介しました。ていねいに読んでいったので1ヶ月近くかかりました。もともと遅読な上に抜き書きしながら読んだものですから余計に時間がかかりました。大部な書ですから飽きるかと思いましたが、そんなことはなくとても面白く読みました。推理小説仕立てのように、疑問を提出しておいて、それを資料などで解いていくという書き方です。著名な人物も次ぎ次ぎ登場しますのでそれも興味を引きます。早稲田に学んだ者にとっては当時の都の西北を知る貴重な書物でもあり熱い血潮がたぎります。

発行所は石見文化研究所(697-0027 浜田市殿町48)です。定価は上下で8400円です。図書館などには必携の書物です。

書評 克明な『島村抱月』評伝 岩町功著
歪んだ評価正す ー近代演劇史に貴重な一石ー

待望の著書が刊行された。上・下巻で千七百ページ。多くの資料を駆使して書き上げられた抱月の克明な評伝である。
同時に、江戸末期からの鈩業者・祖父一平から、平成十七年抱月の三女トシが永眠し、島村家の血が水に帰すまでの壮大で悲痛なドラマでもある。
さらに、歪められ不当に評価されてきた抱月の実像や業績に真実の光を当てようと四〇年にわたり資料を集め検証してきた岩町氏が世に問う意欲的な研究論文でもあり、実証的な近代演劇史であり、現代にも通じる熱い演劇論の書でもある。
巻末の詳細な年譜や工夫された索引、五百以上の膨大な参考文献も読者や後続の研究者にはありがたい道しるべである。
著者には三十一年前に出版した同名の本がある。祖父一平のルーツ探しから始め、石見の鉄山の歴史、現浜田市金城町で生まれた佐々山瀧太郎が貧困のため十二才で浜田へ出て働きながら夜学へ通学、十八才のとき検事嶋村文耕に認められ養子縁組、学資援助を受けて東京へ発つまでのことが書かれている。
昭和五十三年にこの本が出たとき、江藤淳は朝日新聞の文芸時評で高く評価し、司馬遼太郎は、「経済史の学徒で演劇にも明るい希有な研究者を得て抱月はまったく幸福だ」と書き記している。
今回の評伝ではその後の研究成果を取り入れて書き直してある。
抱月は優秀な成績で早稲田大学を卒業、大学の援助でイギリスやドイツへ留学、帰国後は新進気鋭の教授、『早稲田文学』の編集者として文芸評論や演劇論で第一線に立ち、坪内逍遙の期待を受けて文芸協会を設立。そこで研究生の松井須磨子と出会ってから運命が一変した。恩師逍遥と袂を分かち、協会二期生や須磨子と芸術座を創立、家庭を捨て須磨子と暮らし、新劇を上演して全国を巡業、台湾や大陸まで公演して回った。
芸術性を最優先する小山内薫は、「新劇を低俗化した」と非難し、抱月は「芸術性と大衆性、二元の道」を追求していると反論したが、なぜか現在まで小山内流の説が抱月の評価になっている。
「これまで日本新劇史は抱月を俗物化するために随分手を貸したが、抱月の卓越した思想には一顧だにしていない」と憤慨し、著者は膨大な記録や証言を載せてこの歪んだ評価を正している。日本近代演劇史に投じた貴重な一石である。
大正七年四十八才でスペイン風邪で死亡、二ヶ月後須磨子、後追い自殺。
「まとまった仕事をするとき必ず不幸に逢う」と抱月が述懐したように、今回もそうであった。
身を潜めて暮らす家族。実父の焼死、未婚を通した三人の娘、結婚後二ヶ月で戦死した長男、一高生で自死した秀才の次男。
抱月の影の側面も著者は記録や面接を基にあえて事実を公表する。それが鎮魂であると信じて
「抱月のような人になるな」と祖母から言われて育ったと岩町氏は語る。
抱月は「女に狂って家族と教授の職を捨てた男」であった。
芸術座は山陰公演では大田まで来て相生座で『復活』を公演したが、浜田へは行かなかった。そこは「父の借金取りが待つ町」でもあった。
「抱月のようになって」書かれたのがこの本ではないかと筆者には思える。
当時の著名な小説家や演劇人などがたくさん登場するのも楽しい。また疑問を追求する推理小説形式で書かれているので、小説のように読めるのもこの本の特徴である。

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