12/22 大田市民会館でDNAコンサート

2013年12月22日、大田市民会館でDNDフィルハーモニックの演奏会が開かれます。DNAはDoctor Nurse Artisut Philharmonic の頭文字です。
DSC05242 2012年に旧島根医科大学、現島根大学医学部の学生オーケストラの卒業生が中心になって結成されました。その常任指揮者は大田市池田診療所の院長、長坂行博先生。スハマクンと同じ久利町行恒の住人です。音楽劇「琴の鳴る浜」を創作上演したとき、劇中で歌われた10数曲を作曲していただき、舞台では指揮と演奏もしていただきました。奥様も息子さんも娘さんも!

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その時のヴァイオリン奏者が長坂拓己君です。(君だと?親しそうに呼ぶな!)そうですね。だけど彼はぼくが大田高へ行っていたときの生徒だったのです。大田高校から多くの音楽家が育ち活躍していますが、その一人です。

入場料は500円。この大田でベートーベンやチャイコフスキーの音楽が生で聴けるのです。楽しみです。

 

コンサートへ行ってきました。とても素敵な時間を過ごしました。シンガポールからも二人帰ってきましたので、一緒に行きました。とても喜んでいました。拓己くんのヴァイオリン、感動しました。

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指揮者の長坂先生の簡潔な解説で音楽の背景もわかり楽しい時間でした。250年前の12月22日にウィーンで初めてベートーベンの「運命」が演奏されたのだそうです!!!

ぼくは音楽通ではありませんが、演奏を聞きながら、何を表現しようとしてチャイコフスキーやベートーベンは次々と音を変化させていったのだろう、どんな世界や情景を表現するために楽譜を書いていったんだろう、などと考えつづけていました。
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パンフレットも読み甲斐があり保存しておきたい貴重なものでした。コウマスさんの司会もこのコンサートに明るいさわやかさをプラスしてよかったですよ。

久しぶりにクラシックの生演奏を聞き命の洗濯になりました。

11/9 「かあさんの歌」の作者、大田市久手へ

「かあさんの歌」と聞いただけで、メロディーが浮かんでくる人は多いことでしょう。その作者、窪田 聡さんが大田の「久手まちつくりセンター」へ来られます。窪田さんのアコーデオン演奏に合わせてなつかしい歌の数々を一緒に歌いませんか。
DSC05127ぼくが東京で大学生活を送っていた昭和30年代、歌声喫茶があちこちにあり人気がありました。ぼくも兄貴に連れてもらって新宿の歌声喫茶へ行き、たくさんの歌を歌いました。窪田さんはその頃、東京の歌声喫茶でアコーデオンを抱えて歌っておられたのです。当時はロシア民謡が大流行していました。いまでも当時の歌をたくさん覚えています。

今回の企画は久手の田中さんを中心に実行委員会を結成して行われます。田中さんは東京に住んでおられますが、久手の出身です。2ヶ月くらい前にお会いして、大田市の文化活動についていろいろ質問され、ぼくの経験や思いを話しました。その時話された企画が今回の「歌のある風景」です。

たまたま大田市文化協会や生涯学習課の主催で文化プロデユース養成講座を昨年から実施していますが、今回の企画はそこから生まれた企画ではありませんが、「故郷を元気に」「大田市を元気に」という田中さんの熱意から生まれたものです。田中さんはその文化プロデユーサーです。困難なことがあったようですが、いろいろな協力があって実現しました。

歌が好きな人、歌声喫茶で歌ったことがある人。どうぞ久手まちつくりセンターへおいでください。なつかしい歌の数々を窪田さんのアコーデオンで歌いましょう。

久手まちつくりセンターで予定通り行われました。田中さんの同級生や久手の人たちのバックアップがあり、会場には約80名ばかりの人たちが参加されました。

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窪田さんのアコーデオンに合わせてなつかしい歌の数々をつぎつぎにみんなで歌いました。大ベテランのアコーデオン演奏は魔法使いのように自由自在、ユーモアのある語りかけとともに楽しみました。

DSC05138DSC05135久手の合唱団の人たちの合唱も華を添えました。

カミサマとともに参加しましたが、むかしむかしのそのむかし、新宿のカチューシャなどで歌ったり、早大合唱団が校門前やキャンパスなどで歌ったりしていた曲がたくさんあり、なつかしいひとときでした。当時の歌集は数冊、いまも大切に保存しています。

みなさんおつかれさまでした。タナカさんごくろうさまでした。

10/20の「石見銀山旅日記」練習報告です

10月20日(日)は予定通り大田町センの3階研修室を借りて、13時~16時まで劇の部分を中心に稽古をしました。初めてヤマシタさんが参加され、武士の場面の演じ方について話し会いました。石見銀山の歴史についてはあまりご存知なかったので、ちょっと時間をかけて説明しました。次々と出てくる地名や毛利元就、尼子晴久、刺鹿氏などについて分かっていなければ棒暗記になるからです。

当日は8名の出席で江戸三人組や九郎兵衞、キクなどを脚本を持って立ちげいこでやりました。寿禎のところは銀八さんが代役でやりました。

つぎの写真は邇摩高校の体育館の舞台とストリップライトを写したものです。要望がありましたので紹介します。
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劇研空の人たちにはマイクがなくてもOKですが、歌や吟詠などはほとんどマイクを使うのが常識のようです。その点を心配しておられる方がいました。マイクは使いません、と言っておきましたが・・・。

次回の練習日は10月27日(日)19時から大田町セン3階の研修室です。スハマクンはラメ-で行われる高校演劇県大会へいかなければいけません。劇の部分をやってください。民謡のシオミさんタカノさんにはこの日は劇の部分をやります、と言ってあります。
その次の練習日は30日(水)川合町セン19時〜です。モチロン立ち稽古です。

11月になってからの基本練習日は川合町セン水、金、19時〜と思っていてください

14日までに一度は広い場所で全員集まって稽古をしなければいけません。都合のいい日、悪い日など教えてください。練習日の調整や連絡はとても手間です。メールだと読まなかった人があったり、電話は不在のことも多い。手紙で連絡もしますが、金がかかります。というわけでよろしくお願いします。(近所で不幸がありこれから会議です)

 

10/18 の劇研「空」練習報告です

10/15(火)は予定通り町セン会議室を借りて19時から読み合わせをしました。4人だけでしたので源六、清兵衛、九郎兵衞のところを中心に。

10/18(金)、14時からヤッサン、キンチャン、ショウチャン三人で邇摩高校体育館の下見に行きオクノ先生から説明を受け舞台や照明器具などを点検しました。テント地のホリゾント幕はありました!バトンも前、中、奥、三本ありました。調光器もありました。長い間使用していなかったので状態も良く使えそうです。
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キャップタイヤ-コードも保存状態良好です。電源は放送室にあり100アンペア。平台などはありませんでした。

16日に出雲文化企画に相談しました。レンタルも可能ですし当日は1名なら援助も可能とのことです。費用はかかりますがレンタルやスタッフ派遣も含めて検討したいと思います。

11/15は文化祭で生徒約250人、保護者が観劇予定だそうです。保護者はどれくらい来られるか分かりませんが、PRは大いにするそうです。

18日にはシブヤさん、湯里のヤマシタさんにも会いました。武士を講談調でお願いしました。兵庫県におられて今年帰って来られたそうです。市民劇団の事務局も長い間やっておられ、秋田の劇団にも数年おられたそうです。

19時からは川合町センで予定通り練習しました。立ちげいこです。親分、源六、銀八、九郎兵衞、オキクさんの場面をやりました。

次回は20(日)13時から大田町セン研修室(民謡、武士、吟詠の人も参加予定)
27日(日)19時~ 大田町セン研修室(高校演劇島根県大会加茂町、スハマ参加)
30日(水)川合町セン19時~

H25 高野、塩見喜多八万

15日に大田の喜多八幡宮へ高野さんと塩見さんの歌を聞きに行きました。馬子唄を歌われました。表情も明るく、声も伸びがあり素敵でした。土曜日には国技館で全国の大会があり中国地方の代表として参加されるそうです。がんばってください。今回の「石見銀山旅日記」にも出演していただきます。

かなりセリフが入った人もいます。がんばりましょう。

大田市民会館でミュージカル「森の迷い子たち」

2013年8月25日、大田市民会館で創作ミュージカル「森の迷い子たち」が上演されました。脚本・佐藤万里、作曲・川崎絵都夫、演出・三浦克也。以前から大田の子供ミュージカル「風花」の指導、公演に当たってこられたプロです。

春から大田市民会館の市民文化活動支援事業の一環として一般公募、週2~3回の練習をつづけて公演に至ったものです。しまね文化ファンドの助成も受けています。舞台撮影は厳禁、ということで写真はありませんでしたが、撮影を担当された人から舞台遠景写真なら、ということで拝借しましたので紹介します。
IMG_1065舞台装置もとてもきれいですし、衣装もそれに見合って色彩豊かでよく調和しています。出演した子供たちのお母さんたちがつくられたそうです。
DSC04938DSC05000劇研空のヤマモトクンもいます。歌もあり踊りもあり大活躍でした。ことばもはっきりしていてよく通りましたよ。高校演劇の脚本演出のベテラン、イワタニさんもいます。
「琴の鳴る浜」へ出てくれた子供たちもいます。そしてなつかしい名前もたくさんあります。タンニンした人も数名!がんばっていますね!

舞台はとてもきれいで歌も踊りもよく工夫されて歯切れよく展開されました。それぞれの力量に応じた振り付けや動きが演出されていて、さすがはプロの手が入った舞台だと感心してみました。ウイークポイント全員でをうまく補強するように動きや振り付けが工夫してありました。簡単なようでなかなかできない演出力です。花や葉が豊かに茂っていて綺麗でしたが根や幹にあたるストーリーはなぜか印象に残っていません。ほわっとした夢のような話しで骨太い幹がなかったからでしょう。チラシでもセリフでも「石見銀山の森」ということばが出てきますので、石見銀山をイメージして見ようとしましたが、石見銀山を背景にしたスト-リーではないことが途中からわかってきました。冒頭に出てくる舞台のセリフや、開演前に読むパンフレットの説明は観客の先入観となり、その枠の中で舞台を見ようとすします。今回はそれに引っ掛かってしまい途中になってやっと修正しましが、演劇を鑑賞する観客の心理は微妙だと改めて感じたました。
H25「森の迷い子たち」

土、日は終日練習だったそうですから、ハードな練習だったことと思います。大田でこれだけのミュージカル上演できることはすばらしいことですね。長い間の「風化」のみなさんの人的財産があるからできたことでもあります。

みなさん、おつかれさまでした。
ぼくは文化協会のスタッフとして当日は影の薄い協力をしました。

 

 

 

 

10/15~27の劇の練習予定日です

一部の人にはメールで、また他の人には印刷物を郵送、持参してお知らせしましたが、つぎのように大幅に日にちも場所も変更します。

「石見銀座案旅日記」の練習日変更について連絡    H25、10,11

おつかれさまです。練習日の変更についてお知らせします。10名のメンバーには12日の24時過ぎにメールでお知らせしました。  10月始めから毎週、月曜日、金曜日に川合町つくりセンターで練習していますが、 町つくりセンターの都合やキャストの仕事、各種行事などで計画通りに行きません。 予定していました14(月)、21(月)、25(金)は取りやめつぎのように変更します。もちろんこの日でも仕事や出張など都合がつかない人もありますが、代役で読み合わせや立ちげいこしたいと思います。

15日(火)19時~21時 市民会館隣の町作りセンター会議室。

18日(金)19時~21時 川合町つくりセンター

20日(日)13時~17時 市民会館隣の町作りセンター研修室(民謡の部分も練習)

27日(日)17時~21時   上記に同じ  (洲浜は高校演劇県大会講師で松江)

27日以降は各自の予定など聞きながら決定しますが、基本的には月曜日、金曜日、川合町つくりセンターで行います。(月は都合が悪い人がいますので変更する可能性あり)

さらにいい台本にするために常に検討し議論しながら進めていますが、9月末に郵送しました脚本を修正し、印刷し直し前回の練習時(10月11日)に渡しました。その後、後半部分で若干の修正をしましたので、25~28ページをさらにコピー(B4版)しました。

まだの人には郵送したり練習日に渡しますが、セリフ自体はあまり変えていません。 仕事や家事の都合などいろいろで、全員集まって練習というわけにはいきません。各自、自分のパートのセリフを何度も繰り返して身体に覚えさせてください。

何度も読んで単なる暗記をする野ではなく、場面や相手の表情、心の動き、自分の気持ち、お客さんの反応などなどをイメージしながらで覚えることが大切です。そのほうが表現が生き、記憶にもしっかり定着し本番でも臨機応変な対応ができます。

別の話でーす。11日に文化プロデユースス・テップアップ講座で決定した2/2のイベントについて文化協会、市の担当者、吾郷議員、劇研空3人で会合を持ちました。結局、劇研空が計画していたイベントをやる事に決まったために、空がイベントの内容もプロデ-スもやるような感じになってしまいました。(当初から、こうなるだろうという予感があったので、何度もその問題点を提起しましたが・・・。さて、どうするか)

発表会場は市民会館中ホールが予約してありますが、客席は約150。サンレディは改修で使用不可。あすてらすは2月2日はOKですが、前日は17時まで予約が入っています。一年前からの計画ではないので、会場問題や出し物など難題が山積しています。

企画会議か、プロデユーサーが企画して、「40分で三瓶の民話を劇にして上演してくれませんか」と劇研空へ持ち込むのが普通のかたちです。なんんでこうならないのだろう。邇摩高校での上演もありますしゆっくりしてはおれません。

次の練習日は10/11(金)です

7日(月)は19時~21:40まで川合町作つくりセンターで予定通り行いました。当初、火曜日と金曜日とプリントに書き、その後、金曜日と火曜日、と変更しましたので、それが十分徹底していなかったようです。そのため集まったのはヤマモト銀八、マツモト清兵衛、タナカキクさん、ショウチャンだけでした。ヤッサンからは火曜日に、「今日は都合で行けません」と電話がありました。

前半では文化プロデュースステップアップ講座のイベントなどについて話し会いました。現在、2月2日に三瓶山をテーマにした舞台発表と付随したイベントが検討課題として決まり、ぼくやヤマモトくん、マツモトくんがチーフ、サブチーフに決まって進めることになっています。

当初から何度も言い、最後の講座でも確認の意味であえてくどいほど言いましたが、提案した舞台発表は劇研空で以前から考えていた企画です。(何回も会合を重ねても案がでないので、あえて劇研空の企画を参考までに出したのです)そして劇研空は脚本を創作し練習し発表する立場、つまり実演者です。プロデューサーではないのです。今回の講座はプロデューサー養成講座です。劇研空がプロデユーサーになり実演者になるのなら、劇研空主催と同じことです。そこをどうするのか、など具体的に話し会いました。

そのあとで今回の脚本を議論しました。現在の脚本は、いろいろな発表のために作った脚本を合成していますので、その弱点や矛盾があります。それをどうするかという問題です。具体的には寿禎の場面を後半の劇の中に入れることはできないか、ということです。入れたらどのように整合性をつけるか、という問題も出てきます。結局そのままで行こう、ということにしましたが、ぼくとしては、その後もずっと考え続けています。

今日、「旅日記」の中に、新たな観点から寿禎の場面を入れて整合性をつけるアイデアを考えつき、また脚本に手を入れています。台詞はほとんど変えません。地元大森のカブキ者が、石見銀山の歴史を分かりやすく演じたり語ったりして江戸から来た親分たちに見せる、というアイデアです。

さて、次回の練習日は10月11日(金)19時からです。タナカキクさん、京女レイコさん、ヤッサン、ミツイ源六、ヤマモト銀八、イナダ親分、マツモト清兵衛さんも出席予定ですので、後半の劇の部分を中心に練習します。

よろしくおねがいします。木曜日スハマ君は松江で「島根の文学あり方を考える会」があり出席します。金の7時までには台本を打ち込み、コピーして持参するつもりです。

10/4 の劇の練習報告です

午前中に、はるばる会場の鍵を借りに出かけ、予定通り19時過ぎから劇の練習をしました。初めは代役で読み合わせをしましたが、40分過ぎに銀八さんも勤めから帰ってきて後半の劇の部分の読み合わせをしました。

イナダ親分は初めての読み合わせでした。正式な劇は初めてで、まだ不十分な所は多々ありますが、いろいろアドヴァイスもして読み合わせをくり返しました。キンチャンも来てくれました。ヤッサンは張り出し舞台の正式な図面を描いてきてくれました。さすが元プロです。
ミツイさんが月曜日は仕事で劇の練習に出られないそうで、どうするか話し合いましたが、次回は代読でやることになりましたが、場所を代えてでも親方と子分の練習はしなければいけないということでは一致しました。親分が初めてだからです。

参加者はヤッサン、銀八ヤマちゃん、ミツイ源六さん、イナダ親分、キンチャン、しょうちゃんでした。

次回は来週の月曜日ですが、つづいて後半の親分子分を中心にやります。ぼくは明日の朝早くから中四国詩人会大会で徳山へ行き、日曜日の夜遅く返ってきます。

10/1 劇の練習日程について(劇研「空」)

11月15日に邇摩高校創立110周年記念で上演することになっている「石見銀山旅日記」の修正台本は9/24に郵送しました。そして9/29(日)の4時半から集まって顔合わせと台本を説明し検討しました。その後、若干変更がありましたのでお知らせします。

練習日程について毎週火曜日と金曜日に川合まちつくりセンターで午後7時からと書きましたが、センターに連絡したら、火曜日は別のグループが定例で使用しているそうです。そこで次のように変更します。

1.練習日は基本的に、月曜日と金曜日19時から21時。

10/18(金)と11/8(金)は川合まちつくりセンターは使用できない。

2.当日欠席されたシブタニさんとその後打合せをしました。その結果、吟詠による武士の剣舞と後半の吟詠はできないということになり、台本を書き直します。シブタニさんから演劇経験者が温泉津に帰っておられると言われ、早速連絡をとってもらいましたが、乗り気のようです。(但し夜の練習は難しいとのこと)今度お会いしてみます。朗読や武士などの語りが可能かもしれません。

3.邇摩高校体育館の舞台や照明についてはまだ見に行っていません。ナカムラさんと近日中に行くつもりです。平台があるか、照明器具(フォロースポットは2台ギャラリーから使用しているそうですが)がどれだけ使えるか、バーはあるか、コードは?などなど、不明です。あるところから古い平台や照明器具など借用できるかどうか聞いてみましたが、予想どおりだめでした。
いい知恵があれば出してください。

4.練習はできるだけパート毎にやりたいと思います。10/4は後半の劇の部分で親分、子分二人、清兵衛の部分をやりたいと思います。イナダさんもOKで来られます。(ヤマモト、ミツイ、イナダ、マツモト清兵衛はぜひ参加してください)

5.大勢の人に連絡をするのはなかなか面倒です。主にパソコンのメールで送り、数名の人には携帯、ヤッサンには電話で連絡します。よろしくおねがいします。

会津藩40万石から大田吉永藩一万石へ

平成25年の一月から始まったNHKの「八重の桜」は絶好調です。会津藩のことをこれだけじっくり描いたものを見たことがなかったので、新たな発見や感動にいつも出会います。

9月時点では八重は新島襄と結婚しました。西洋の文化をしっかり身につけた新島襄と会津の武士道の精神を受け継いだ八重との出会いも実に新鮮で面白い。信義を守って徳川の最後のたてとなり、朝敵という汚名を着せられ、明治、大正、昭和になっても「会津者」といわれたという無念な思いが伝わってきます。よく作られていて役者もみなそれぞれの役を立派に演じていて、いつも次が待ち遠しい。

さて、島根の大田と会津は遠く離れていて、何の関係もないように思えますが、それが大ありなのです。最近でこそ松本一直さんの研究が、松本さんの講演などで少しは知られるようになりましたが、知らない人のほうがはるかに多い。

この度大田市中央公民館が企画して「吉永藩」(41ページ、編集委員長 山内俊雄)が発行され、3回に分けて講演会が開かれました。ぼくは2回だけ参加しましたが、何かの参考になればと思い、紹介します。表紙の風景は大田市川合町で、その山裾に吉永藩がありました。

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会津藩は蘆名氏、上杉氏、加藤氏、保科氏(保科正之は家光の異母弟、後に松平)と支配者は替わっていますが、加藤氏の時代にお家騒動が起こり、加藤明成は40万石を返上、長男・明友が一万石で石見大田の吉永へ来たのです。

会津から日本海を経て大田の大浦の港へ上陸しています。徳川の直轄地、石見銀山領のうち20ヶ村を加藤氏に与えていいます。吉永記には一緒に来た150人以上の武士の名前が記されています。物部神社にも残っています。

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明成は大田で他界していますが、会津から農業、畜産、医学、土木などの専門家を連れてきましたので、大田の農業土木などに与えた影響は大きく、三瓶山の放牧は加藤氏の時代にはじまったといわれています。

加藤氏の治世は嘉永2年(1643)から天和2(1682)までの40年間でした。その年の6月19日、藩主・明友は五代将軍綱吉から滋賀県の水口藩2万石へ移封を命じられています。

加藤明成の父は加藤嘉明で秀吉の家来として活躍、四国の名城・松山城を作った武将で、築城の名士としてよく知られています。

「吉永藩」の本には大田での実績や記録がよく記されています。このような資料が発行されると、それを読んで更に調べたいという人が出てくるでしょう。また会津藩や水口藩のことを調べていて、加藤氏の時代を知りたい人には大いに参考になることでしょう。先人の研究はありがたいものです。小説や脚本を書く場合にも大いに役立ちます。

編集委員は次の方々です。岩根了達、山内俊雄、和田秀夫、伊藤静稔、田平隆司。発行所は大田市立中央公民館。神々の国しまね実行委員会の助成を受けた事業です。