H21 9/26 中四国詩人会・大田三瓶大会終わる

2009年9月26日、中四国詩人会の大会を大田市の三瓶で開催しました。文章は島根県詩人連合の会報に書いたものです。下の写真は大田市の長久あたりから見た厳冬の三瓶山です。

中四国詩人会 島根大田大会を終えて 洲 浜 昌 三

第9会大会は大田市三瓶町のさんべ荘で9月26日(土)開催し、無事に終了しました。
会員が多い山陽側とは遠く、交通も不便なため、どれくらいの参加者があるか心配でしたが、大会には約60名、石見銀山観光は36人の参加者がありました。これは想定した数の上限で、参加者に心からお礼を申し上げたいと思います。下限だったら二度と顔を出せない事態になっていたでしょう。
島根からは宿泊が5名、大会のみの参加者が9名。いろいろな面でバックアップして大会を支えていただきました。岡山からは22名。大会成功の大きな力でした。
事前に講師の麻生直子さんのエッセイを山陰中央新報の文化欄へ掲載してもらいましたが、それを読んで浜田から参加された人がありその熱意に感銘を受けました。
総会では予算・決算、事業報告・計画の説明を受け原案通り承認されました。

(山口のスヤマユージ会長から中四国詩人賞を受ける岡山の沖長ルミコさん)

第9回中四国詩人賞は倉敷市の沖長ルミコさんの詩集「吹き上げ坂を上がると」に授与、選考委員長の北村均さんから選考経過が発表され、沖長さんの受賞の言葉、詩の朗読がありました。沖長さんは日本現代詩人会、日本詩人クラブ、詩人会議、岡山詩人協会会員。同人誌「道標」「どぅるかまら」「飛揚」所属。この詩集は、平明な日常語で書かれていますが、何気ない言葉の背後に、時代や社会と誠実に対峙して生きて来られたこの詩人の知性や感性が静かに息づいていています。

 

中四国詩人会特別功労賞が総社市の井奥行彦さんに贈られました。井奥さんは岡山の詩の重鎮で全国的にも活躍されていますが、中四国詩人会の初代会長、その後の顧問、『中四国詩人集第一集』の編集長など、その多大な貢献に会員が謝意を示したものです。
恒例の詩の朗読では次の人たちが自作詩を朗読しました。井上嘉明、重光はるみ、長谷川和美、森崎昭生、川野圭子、小野静枝、柳原省三、洲浜昌三。

(自作詩「家康っさんの綿入れはんてんー石見銀山考ー」を朗読したあと、翌日見学することになる徳川家康から安原備中が贈られた胴服について解説するスハマ。世界遺産センターに展示してあるのは模造品ですが、清水寺にあった本物(重要文化財)を着て大森小学校の児童が学芸会をしたという話を散文詩にしたものです。石見銀山考はいつか詩集にまとめてみたらおもしろそうです)

講演は麻生直子さん。「風土から生まれる言葉」と題して話されました。麻生さんは北海道の奧尻島の生まれ、現在は東京で活躍中。中央志向の均質化された詩ではなく、自分の足下を掘り起こして詩を作る大切さを数々の例から話されました。その例として閤田真太郎さんと長津功三良さんがその場で指名を受け自作詩を朗読。共に力のある詩でした。
講師の自由闊達な話しも佳境に入ったところでしたが、何しろ分刻みの超過密時程。麻生さんは思いを残しながら話しを閉められ、副会長・小野静枝さんの「根っこのある詩を大切にしたい」というお礼の言葉で講演は終了しました。
次回10回大会は鳥取の白兎会館で9月25日に開催したい、と副会長の井上嘉明さんから報告されました。

懇親会では土江こども神楽団の石見神楽を観賞。食事をしながら40分の予定が、食事をせず60分。係としては腹が「苦り」ましたが、初めて石見神楽を見る人がほとんどで、賞賛の言葉もいただき、腹のにがりも少し収まりました。
空と山と谷しかない三瓶で二次会を期待するのは常識外れですが、事前探査で唯一の場所を見つけ、懇親会の後でその志学へマイクロバスで出かけました。広くて素敵なパブでした。人前では絶対に歌わないという詩人のプロ並みの歌など聞けて至福の時を過ごしました。

翌日は希望者で石見銀山へ。世界遺産センターで展示を見て、徒歩約6キロコース、1キロコースに分かれてガイドさん(河村夫妻)の案内で見学。地元で生まれ戦前の大森もよく知っている人なので貴重な話しを聞くことができました。あんな山の中にも家が重なって建っていたとは!一軒一軒みな覚えておられるのですから国宝級です。
バスがないので岩田さんには駅まで車で迎えに行ってもらいました。短時間に殺到する各種の受付を狭い場所で田村さんと高田節子さんにはテキパキと裁いていただきました。連絡ミスで欠席扱いだった人が来られたり、名前から男性と判断して男部屋に割り振っていたり、数々のミスを川辺さんには臨機応変に処理してもらいました。
不便で手が加わっただけ、人間の温もりのある大会になったかもしれません。

H23 7/2 故石村禎久氏へ石見銀山文化特別賞

新聞によると2011年7月2日に第4回石見銀山文化賞表彰式が中村ブレイスで行われ、ノンフィクション作家の千葉望さん(東京都在住)に文化賞、故石村勝郎(禎久)さんに特別賞が贈られました。この賞は中村俊郎社長が世界遺産登録一周年と創業35周年を記念して2008年に創設されたもので、昨年は石見銀山天領太鼓が特別賞を受賞しています。文化活動の重要性を考えてこのような賞を設けられた中村社長に敬意を表するものです。また石村さんの業績が評価されたことをとてもうれしく思っています。

石村さんは石見銀山や三瓶、石東の歴史にについてたくさんの本を書いておられます。9日の山陰中央新報の明窓では著書は20冊に及ぶと書いています。出版の度に買い求めてきましたがとても示唆に富み参考になります。実証的な歴史書ではないために歴史家はいつも距離を置いて冷ややかな見下す目で見ていますが、ぼくなどはそこがとても面白く示唆に富んでいて空想を刺激してくれます。

(右端の本は、竹下弘氏が長年執筆された銀山の歴史をまとめ中村社長が中村文庫として出版された『私説 石見銀山』貴重な本です。左の12冊は石村勝郎さんが出された本。貴重なこともたくさん書かれていますが、創作という視点でよむと創作欲を刺激されることがあちこちにあります。詩人だったからですね。)

考えてみれば石村さんは毎日新聞の記者でしたが、詩人としてスタートされたのです。最近島根の同人詩誌を調べましたが、昭和16年6月に島根の詩人が松江へ集まって島根県翼賛詩人会が結成されたとき、吉儀幸吉、門脇真愛氏とともに石村さんは幹事に選ばれています。10月8日には島根県翼賛歌人会と協力して『勇士に捧ぐ』という詩歌集を作って国立病院などに送っています。詩は33篇、短歌は231首あったそうですが、貴重な本はどこかにあるでしょうか。是非手にしてみたいものです。この会では毎月松江の千茶荘へ集まり『作品』というガリ版の詩誌を機関誌として6号くらいまで発行したそうですが、石村さんの家にはあるのでしょうか。貴重です。

石村さんは昭和20年に招集令状がきて薩摩半島の南端、開聞岳のふもとで終戦を迎えるのですが、「詩にうたった皇軍の姿、日本軍の姿、それはイメージとは余りにもかけ離れていた。上も下もエゴイズムのかたまりだった」と書いています。

昭和21年元旦を期して詩誌『詩祭』の創刊号を出版。今井書店に定価2円50銭で委託してすぐ売り切れたとか。文化に飢えていた時代だったからでしょう。同人も会員も2円50銭で、紙が手に入らない時代に8月までに6冊を発行。石村さんは松江から大田へ転勤になり、『詩祭』は財政難もあって廃刊になりました。

大田の毎日新聞通信部勤務となった石村さんは大田で『司祭』を出しました。表紙は民芸紙、中身の紙は三隅町から取り寄せた石見半紙。「滝川共や山根フミがいい詩を寄せた」と石村さんは書いています。30ページほどの紙誌ですが2号で廃刊になり、詩誌『エンピツ』を発刊しました。これが何号まで出たのかわかりません。持っている人がいれば是非ぜひゼヒ貸してください。大田の詩誌の記録としてまとめてみます。

石村さんは石見詩人へもたまに詩を書いていました。しかしぼくは当時石村さんが情熱的な詩人だったことをまったく知りませんでした。そのうちいつかゆっくり話を聞きたいと思っていましたが、当時は多忙を極めていましたし、偉い人の時間を奪うのは失礼だと卑屈な姿勢でしたので、年賀状のやりとりや簡単なハガキの交換くらいしか交流はありませんでした。今思えば残念です。2001年に85歳で他界されました。

上の詩集は昭和52年10月に自費出版されたものです。哲学的な短詩、三瓶、石見銀山など地元の歴史をうたった詩、成人式などで朗読された詩など43篇載っています。

以前島根県詩人連合で『島根の風物詩』を刊行したとき、石村さんの詩も数編検討したことがあります。独自性が少し弱い気がしたのでこのときには採録はしませんでしたが、目下続編を発行する計画が進行中なので再度石村さんの詩も検討してみるつもりです。

石村さんは貴重な詩誌や本などをたくさん所蔵しておられたはずです。いつか見せていただきたいといつも思っていました。新聞では大田市在住の二女石村京子さんが受賞式に出席されたと書いてあります。「こつこつと頑張ってきた父を誇りに感じる。天国で照れながら喜んでいると思う」と京子さんの談話が載っています。

ああ、やっぱり照れ屋だったんだ、とあの端正ではにかんだ青年のような笑顔を思い浮かべています。お孫さんは大田高校でちょっと教えたことがあります。演劇もちょっと手伝ってくれたことがあります。いまどこにいるのかな。元気で活躍していることでしょう。おじいさんの受賞おめでとうございます。

石村さんが山陰中央新報の地域文化賞を受賞されたときお祝いの手紙を出したことがあります。お礼の返事がきましたが、その中に書かれていたことを思い出します。 いしむらさん、おめでとうございます。

H23 7/9 中四国詩人会第22回理事会終わる

(テスト中です)2011年7月9日、岡山国際交流センターで22回目の理事会が開かれました。10時から11回中四国詩人賞の選考があったので、それに間に合うように前日に岡山へ到着し泊まりました。石見からは不便ですね。5人の選考委員の熱心な議論により16冊の中から最終的には一冊が決定しましたが、今月末に川辺事務局長から発表になります。

昨年の鳥取大会から今年10月1日の四万十大会が終了するまでは会長は島根の洲浜、事務局長は川辺です。高知の萱野さんを議長に選任して会は進みました。役員の新任、移動、会計報告、予算、蒼わたるさんから「中四国詩集第4集」刊行の報告、詩人賞の選考結果報告、中村市の山本さんから四万十大会の説明、等が行われました。各県の詩の朗読者が一部未定で今月中に事務局へ報告することになりました。今年は幸徳秋水刑死100年に当たります。そういう意味でも四万十大会は記念に残る大会になりそうです。一族郎党引き連れて参加してほしいと山本さんは訴えられました。地方で開催すると出席者の心配がつきまといます。

12回大会の開催地について話し合いましたが次の会までに決めることになりました。岡山か広島の可能性が大です。4時40分ごろ終了しましたが、いつものように未完成で懇親会を開きました。その夜汽車で帰るつもりでしたが、駅の喫茶店でマヤさんやオカさんなどと熱く語り合っているうち汽車は2本とも出ていました。

年に2回岡山で理事会があるので今までに20回くらい出かけたことなりますが、2年前までは岡山駅の西口はフツーのつまらぬ駅でした。しかし今回はとても便利で快適な広場になっていました。木が大きくなるといい風景になるでしょう。写真は東急インの7階から眺めた朝の岡山駅西口です。

次回の理事会は1月7日(土)に予定しています。『中四国詩人集』は順次発送中です。僕の所にはまだ届いていませんが、届いたら紹介しましょう。四万十大会は10月1日に新ロイヤルホテル四万十(℡ 0880-35-1000)で開催されます。中四国詩人会大会に参加すると言って申し込むと割引があります。翌日は希望者による市内観光です。幸徳秋水の墓、漢詩の碑、上林暁文学碑、資料館、佐田沈下橋、トンボ公園、大江満雄詩碑などを見学します。

四万十大会の講師は鈴木漠氏で「連句裏面史から」と題して記念公演があります。参加費は千円、誰でも参加は自由です。

『石見詩人』126号です

『石見詩人』の創刊は昭和31年1月です。益田のキムラ フジオが中心になって石見詩人社を結成し発足しました。その時の主な同人は岡崎澄衛、内海泰、仙藤利夫、高田節子、田原八千代など18人です。節子さんは今でも同人で詩を書いています。

それ以前に益田では昭和29年6月に創刊された詩誌『詩歴』がありました。中心になったのはキムラ フジオでした。京都で映画のシナリオを書いて活躍していましたが、昭和13年に益田へ帰りました。昭和27年に『石見の歌』を発刊し、それがきっかけとなって中村幸夫、原司、佐藤繁治などが集まって『詩歴』を創刊したのです。同人間で意見の相違が大きくなり、8号からはキムラや中村は実質的に手をひき原が編集を担当しました。昭和30年末までに12号を出しています。キムラは翌年の1月1日を期して石見詩人社を発足させたのです。

昭和41年の30号から高田賴昌が編集を担当し(賴昌さんは昭和12年斐川の生まれ、益田へ赴任してきて節子さんとゴットマリッド)現在に至っています。『山陰詩人』は昭和36年11月に結成され、37年1月に準備号を出しています。昭和42年の14号から田村のり子さんが岡より子さんのあとを受けて編集を担当しています。

石見詩人は山陰詩人(今189号)より歴史が古いのですが、追い抜かれて126号。亀さんの歩みです。がんばれ!同人14人。最近では年2回の刊行。新しい同人が必要です。意欲のある人がどんどん入って来ないと限界詩誌の運命です。入会いつでも大歓迎!です。

作品を載せればいいのですが、今回は目次だけにします。特徴のある詩作品を楽しむことができます。頒価は500円と書いてあります。発行所は石見詩人社(698-0004 益田市東町17-15高田賴昌方)です。そこへ注文されてもOKですが、これを書いている人にメールをされてもOKです。送料込み500円でもお送りしますが、「石見詩人126号を読みたい」だけで何もなくてもお届けします。

『山陰詩人』189号です

巻頭語で田村のり子さんが「原発のある県都松江から」と題して書いています。原発まで10キロ圏内に県都・松江市はあります。30㌔以内には出雲市、雲南市、安来市、米子市、境港市も入ります。安全神話と補助金恩恵で骨の髄まで食い尽くされてていたので、今までは少数の人や団体が抗議するだけで、それを神話の目で冷ややかに冷笑して、あいつらまたやっとら、くらいな神話と補助金感謝の心で横目に見ていたというのがぼくが受ける印象です。これからはきっと流れが変わっていくでしょう。

山陰詩人では(正確には編集者は)以前から原発や中海埋め立てに警告を発してきましたが、今号では数編の東北大震災を受けて書いた作品が掲載されています。詩がタイミングよく社会の出来事に反応するというのは滅多にないことで、えらいしじんは、機会詩なんか詩の堕落だ、と相手にしない傾向がありますが、敏感な反応というのは新鮮ですね。詩人が言葉でどういう反応をするか、僕には期待もあります。それぞれの詩を興味深く読みました。

目次の4ページから15ページが東北大震災に寄せて書かれた詩作品です。熊井三郎さんの深くて迫力のある動的な暗喩はいつものことながら胸に響きます。

次の号は190号で記念特集を編集中だとか、記録を重視してきた山陰詩人はその点でも歴史的な価値があります。たいていの作品は時と共に忘れられていきますが、10年、50年、100年過ぎて時と共に価値がでて来るのは記録です。その時生きていた人の声、うめき、歓び、人の生き様、社会の記録、詩誌の記録… どんな記念号ができるか楽しみです。詳細な年表が出来れば物書き人間には最高の宝になります。

(整理を兼ねて189号の目次を紹介しました。興味のある人の参考になれば望外の喜びです。余分は2冊しかありませんが欲しい人には担定価500円(送料込み)でお送りします)

今号

島根年刊詩集39集 平成22年版発行

30名の詩人が参加しているアンソロジーです。巻末には平成22年度の県文化祭文芸作品入選した詩の作品も載っています。また平成22年度の島根県高等学校文化連盟主催の文学コンクール詩の優秀作品も掲載しています。

目次を紹介します。石金勇夫さんの『万葉集』「記紀』と朝鮮語、豊富に実例を示して、万葉集や古事記、日本書紀と朝鮮文化の影響をかいたものです。連載されていますがとても刺激的で勉強になります。詩の作品もそれぞれ個性的なものがたくさん載っています。

読みたい人があれば郵送します。定価は1500と書いてありますが、郵送料も含めて千円で送ります。読んでいただけるだけでもハッピー。こちらで負担します。すべて負担の覚悟もあります。来年も3月ごろ発行予定です。原稿〆切は平成23年12月末です。

H23 「島根文芸」作品募集

島根県民文化祭の一環として短歌、俳句、川柳、詩、散文の作品を募集しています。期間は7月1日から9月5日まで。入賞作品は『島根文芸』という本になり、12月の表彰式には手渡されます。詩の応募は最近30篇前後ですがもっとたくさんの応募を期待しています。

ジュニア-の部もありますので、小、中学生も大歓迎。高校生は一般扱いです。若い人に挑戦してもらいたい。

 

募集要項は公民館や学校などにもあるはずです。学校によってはたくさんの作品を送って来られるところがあります。恐らく先生が興味を持っておられて児童や生徒さんが書かれたものをまとめて送られるのでしょう。学校の場合は子供たちが自主的に応募するということは普通ありませんので、先生や親の影響が大きいのでしょう。

表彰式には毎年出席して入賞者の作品鑑賞と相互批評をしています。今年も出席します。どれくらい応募があるか楽しみです。

阿刀田高氏講演 しまね文芸フェスタ

第9回島根県民文化祭の「しまね文芸フェスタ2011」は9月14日(日)松江の県民会館で開かれます。23年度は散文部門が担当で、作家の阿刀田高先生にお願いし、「神話と文学ー古事記と日本神話-」というタイトルで講演されます。誰でも自由に参加できます。10:30から県民会館中ホールです。前日の夜には先生の歓迎会が予定されています。

昨年は島根県詩人連合が担当して浜田の県立大学で開催、講師には小森陽一先生(東京大学大学院総合文化研究科教授)をお願いし、「21世紀に読み直す漱石と鴎外」という演題で講演していただきました。『沈黙の塔』『門』を取り上げ、時代へ立ち向かった文豪の姿を語られました。とても貴重な話でした。歓迎会や大会ではぼくが先生の紹介をしました。詩の分科会にも出ていただきました。先生のお母さんは詩人で有名な・小森香子さんです。

午後の部門別交流会では自作詩の朗読と合評をします。誰でも参加できます。詩を書いて是非参加してください。いろいろな感想や批評を聞くことができて勉強にもなりますよ。

(カテゴリーは「文芸フェスタ」と「島根県詩人連合」に記録テスト中)

第50回広島県高校演劇大会舞台評です(NO.2)

平成22年11月に尾道で開催された高校演劇広島県大会の舞台評のつづきです。同じものは各校へ事務局から配布されていますが、高校演劇を応援する立場から少しでも部員の皆さんの活動の参考になればと考え紹介します。次の写真は尾道の風景です。

第50回広島県高等学校総合演劇大会 講評

NO.7
呉港高等学校    上演作品  「まほろば」         (吉野智美 作)
メモより:
総 評:3人の会話だけで成り立っている会話劇だが個性がよく出ていて会話のテンポもよく最後まで楽しんで観ることができた。途中から神様だということがわかるがおもしろおかしく会話を進めながら自立していない現代の人間を批判し皮肉っている。稲葉さんが力を抜いてのらくらした神様を演じ、兎谷さんが生真面目で責任感過剰な神様を演じているが二人の会話はとても素晴らしい。神様の個性(?)をしっかりつかんで演じているからである。
台本は面白くてよくできているがネット台本(多分)特有の底の浅さも感じられる。おもしろおかしく観客を引っ張って行くものの突っ込んで行く真摯な姿勢が希薄なので単なるエンターテインメントだという印象がどうしても残ることである。
・装置:広い舞台に長机が二つだけ。バックはグリーン一色のホリゾント。神様のいる広大な空間を表していてとてもよかった。電話には変な縫いぐるみの人形を使っていたがこれもいいアイデアだったと思う。ついでにコーヒーカップもコーヒーも別なものにすればよかった。
・発 声:力を抜いて自然に喋るのでとても聞きやすく言葉がよく分かった。外務員の幸田さんは滑舌が今ひとつ、演技も少し固かった。

NO.8
沼田高等学校    上演作品  「今夜、川のほとりで」(黒瀬貴之 作)

総 評:劇にいろいろな意表を突く仕掛けがたくさんあって(例えば、出だしの典子と明子の場面は二人のいじめとダブル仕掛け。3人の高校生が逃げてくるとやがて先生が探しに来る。なんで高校生が白髪のカツラをつけているのかと思いながら観ていると後半に老婆を演じる。文江役の桂奈子はいじめを受けていたことが分かる。などなどたくさん)次々と展開していくテンポの良さがいい。それを発声がよく言葉がよく分かるそれぞれの役者が軽やかに動き的確に演じていて最後まで観客を引きつける。
祖母の文江は同じ被爆者の友達をあるとき無視したことが一生忘れられなかった。典子は友達の明子へひどいことを言ったことが傷となり忘れられない。東京から来た修学旅行生の佳奈子はいじめられたこは一生忘れないという。「忘れない」という一点で共通意識を結び原爆問題を舞台化したところに意欲的なアプローチを感じた。原爆問題といじめ問題は同じ次元の問題ではないが、原爆への意識が風化していく中で、一つの切り込み口だと言えるだろう。
東京からきた修学旅行生が原爆に対して「またか」という嫌悪感を持っていて、特に沙那は徹底的にそれを口にだす(極端なくらい)。部外者の目を持ち込むことによって対立が鮮明になりドラマが引き締まった。

・装 置:石垣を舞台の後方一杯に作ったって広く舞台を使い、河原と街へつづく土手を劇の場としたのはよかった。石垣は灰色が明るく古い石垣ではなく比較的新しく作られた感じがしたがもう少し古い感じがよかったかもしれない。
・人物が作者の掌中で操られていないか:
登場人物はその人物独自の心情や論理で行動する。そこからドラマが生まれる。作者が都合よく動かしては存在感は薄くなりリアリティはなくなる。
そういう点で若干作者の都合で動かされたり設定された場を次の箇所で感じた。
・何故高校生たちは夜の河原で撮影するのか。夜の河原でなければいけない必然性はあるのか。
・撮影に欠かせない民子役を決めずに何故撮影にきたのか。修学旅行生を使うためか。
・撮影に参加するまではいい加減な生き方をしていたというが、ちょっと調子がよすぎないか。
・典子が明子をいじめる場面で、固唾をのんで何を言うのかと待っていると、急に雷で聞こえなくなる。手法とは言え都合がよすぎないか。
・マツケン先生は面白い先生の型を演じすぎていないか。人間の心理より型を演じたら一人浮き上がってしまう。無理に観客を喜ばそうとする必要はない。

NO.9
清水ヶ丘 高等学校    上演作品  「さらば、伊藤家」 (岡田隆一 作)

総 評:最初に台本をよんだとき、とても筋運びがシンプルで人物もわかりやすく明確、またドラマの対立もはっきりしていて骨格が単純すぎるのではないかと思ったが、舞台で劇を観たときには単純だとは思わなかった。逆にテーマが早く立ち上がり、それに従ってどんどん展開して行くので力強さを感じた。

一時間の劇の台本で言えるテーマは一つだ、と言われるけどその見本を見たような気がした。セリフはシンプルでも役者がそれを表現で豊かにして行けばいいのだ。いや、シンプルなほど役者が埋めなければいけない空白がたくさんあり、役者の力量が発揮される余地が多いということでもある。
劇として仕掛けやどんでん返しもあり面白く最後まで観た。しかし伊藤家の家訓を当たり前のように守ろうとする母親の存在はワンターンで平板な人間に見えて劇を浅くしたのではないかと思う。大正や昭和初期なら存在感が十分だろうが、家族意識が崩壊した現代ではもっと違う角度から母親を設定しないと古めかしくなる。
この劇では3人がほぼ同じ視点で平等に扱われ、ある意味で客観的に扱われている。それもいいかもしれないが、母を通して描くか、娘を通して描くかした方が観客としては感情移入がし易い。誰を通して感情移入するかということも重要である。
・装 置:部屋を斜めに切って見せているのが新鮮に写った。カウンターやテーブルや壁などもきちんと作られていて部員の劇作りの熱意や創意工夫を感じた。
・発 声:力抜いて自然に喋るときには言葉もよく分かり安心して聞いておられるが、力が入ってうわずってくると言葉が分かりにくくなる。

NO.10
美鈴が丘高等学校  上演作品 「野球小僧を知ってるかい」(片山稔彦 作)

メモよりー
総 評:昭和30年ごろの広島の小さな広場が劇の舞台。少年野球とその監督を中心に物語りが繰り広げられる。みんな手袋のグローヴ。皮のグローヴが欲しくて母を責め、母は父がタンスに入れていたと言って当時の千円を渡してくれる。まこと少年はそれを大人になるまで使わずに母の記念に持っている。母が内職でためた大金であることを知っていたのだ。当時の少年や地域との深い結びつきを懐かしい流行歌をバックに蘇らす。ラストの場面で母親をまこと、妻、娘の三人で訪ねる。そこへ昔の少年野球の仲間が現れて、一緒に飲みに行こうと誘う。忙しくて子どもとの接触がなかった父親へ不信感を抱いていた娘も父親の世界に理解を示そうとする。
劇を楽しく観たが、今の高校生が観たときに同じような懐かしさを抱くかどうか。流行歌からどんな風景が蘇ってくるか。昭和30年ごろ少年少女だった者とは多分違うだろう。人間が孤立してしまった現代への批判もあるが何となく付け足しの観がぬぐえない。衣装は中途半端で現代に近い。昭和30年代を衣装でも再現した方がいい。高校生の女子が少年野球の男の子になるには無理が目立つ。コンクール形式の大会でなく大人を含め地域の人たちに観てもらったら大変喜ばれるいい劇だと思う。

・衣装:少年の衣装はシャツやズボンも現代のもので大人っぽく見える。昭和30年代のシャツやズボンを再現したい。

その他ー
・流行歌をBGMで流すだけではなく舞台で演奏したりコーラスで歌ったりしたのはよかった。
・監督の人物像がわかりにくい。話し方がワンパターンで癖が見える子どもたちへの反応が何となく型にはまっている無理をして人工的に作ろうとしているのが見える。
・力を抜いて自然に喋る時はいいが、早口で力一杯しゃべると言葉が上ずりわかりにくくなる。大人になってからのまことはやや朗読調が見えるところもありやや一本調子なところもある。

NO.11
福山中高等学校    上演作品 「夏芙蓉」        (越智 優 作)

総 評:後半は劇のどんでん返しもあり緊迫感もあって観客をひっぱていけるが、前半の長くて淡々とした会話でもっと工夫をしたりしゃべり方や動きなど表現を微細で豊かにしないとお客さんは舞台から離れる。そこがこの劇の難しさ。キャストによっては高い声でキーキー喋るので言葉がわからず聞いていて疲れた。終わりの方になるとしんみりとした空気や悲しさがよく現れていてよかった。

装 置:とても丁寧に作っていてよかった。また机やイスの並べ方に工夫があり舞台がとても落ち着いて見えた。
・深夜の校舎内へ入り込んだという設定なのだから初めから大声で喋るのは不自然ではないだろうか。周囲への配慮は必要。それがこの劇の雰囲気の基調をつくる。
・同じ高校生なのだがもっと個性を出してお互いの関係がわかりやすい様に演出し演技したい。

・総 評:それぞれのキャストが役の個性をしっかりと押さえて役作りをしていて劇で人物がしっかりと自立していた。発声もよく言葉がとてもよくわかり安心して劇に身を任せておられた。原爆で死んだ律子の扱いについては違和感が残った。亡霊(幽霊、幻想)を登場させるとき一定の約束は必要ではないだろうか。死者を現存者とまったく同等に扱うというのは無神経な気がする。
演技や発声がしっかりしているので高校生を超えた舞台という印象も持った。どっしりとした重量感が心に残る舞台だった。
・装置、衣装:装置は上手に部屋、下手が庭というよくある典型的な作りだった。大きな問題はないが少し工夫がほしい。庭は部屋に比べてあまりにも殺風景だった。
衣装はそれぞれの年代を表し個性がありよかった。

・劇の冒頭から高校生のあやは大声でしかもオーバーな動きや表現で喋っていたがまだ観客は理由が分からないので付いていけない気がした。観客の心理状態も考えて喋り演じて欲しい。さらに自分の家の老人問題なので大げさに大声で声を張り上げると何となく違和感が生まれる。老人問題は大変なだけに地に付いたもので、無言で耐えて世話をするという苦しみが前提にある。ましてや身内の問題になるといつも派手に言い合いなどしてはおれない。要するに演じすぎない方がこういう劇にはリアリティがある。
・死者の律子が押し入れから出て来るとあやにも清子にも見えて話しかける。あやに見えて大騒ぎをするのだがこの劇作りとしては筋違いではないかと違和感を持った。

NO.13
尾道高等学校 上演作品  「Smoking Boogie]  (永畑聡之助 作)(松岡興平潤色)

・総 評: キャストがみんな役の個性を生かして思い切って動き堂々と演じたので安心して最後まで観ることが出来た。ストーリーも次ぎ次ぎと予期しない仕掛けや展開があり観客を引きつけて最後まで引っ張っていった。あちこちで何度も笑いがありラストでは感動もあって最後まで観客を巻き込んだのは素晴らしかった。キャストも9人ともよく訓練されていて演技が安定していた。
・装 置:喫煙室の背後を大きな窓にしてその向こうの廊下を歩く人が見えるようにしたのは素晴らしかった。それによって劇の奥行きや広がりが生まれ外部の風が吹いて劇の風通しがとてもよくなった。喫煙室も舞台前面にとったのも広く使えてよかった。廊下や喫煙室の壁のポスターや掲示物も適切でよかった。
このような大がかりな装置を作り運ぶのは大変だったと思うが、それだけの苦労や努力の報いは十分あった。
・遺書を泣きながら読むとき言葉が聞き取りにくいところがあった。
・2時間ものの脚本をⅠ時間に潤色したといが、とてもうまくカットし潤色していたと思う。ラストに近い場面では少し「お涙ちょうだい」式のくどさが少し感じられた。もう少しサラッとした方がこの劇にはふさわしい気がする。観客には十分伝わっているからである。
・脚本はよくできているがネット台本特有の劇作りの特徴がある。それは単純に言えば観客を笑わせ感動させ演劇特有の一体感を劇場に生み出すために意表を突く仕掛けやどんでん返しなどを次ぎ次ぎと仕組むことを最優先して台本が書かれていることである。そのために深く堀下げるのではなく問題を単なる素材として扱う軽さが全体にあるということである。人によってはこういう傾向を好まない人もいるのは事実である。高校演劇とは何か、という問題に立ち返ることになる。一朝一夕で答えはでない大きな問題が横たわっている。審査会でもこの点が議論になった。ぼくとしては、若干プロの真似、亜流、という印象はのこるけど、高校生がこれだけの舞台を創ったという点では高く評価した。

審査会では5人の審査員の話し合い、投票の結果(二重丸2点、丸1点の合計)最終的に沼田高校、鈴峰女子高校、尾道高校が同じ7点になり、2校に絞るために議論した。それぞれの学校の問題点が出された。鈴峰は同じ7点でも全員が選んでいたので最初に決定した。沼田は問題点はあるが修正は可能であり中国大会に出ても広島の代表として戦えるという意見がでた。尾道は会場との一体感では素晴らしい劇だったが人間の描き方の浅さを指摘する意見もあり、議論がつづいた。最終的には沼田が選ばれたが、審査というのはいつも紙一重の差である。

中国地区大会では、十数年前から、審査員がどの劇を推したかわかるように公開することに決まった。全国大会が以前からそうしていたし、ブラスバンドの大会なども公開していたので、ぼくも審査の公開には強く賛成した覚がある。広島県大会の審査の結果もきっと会報で公表されているはずなので、ここに書いたことは別に秘密の漏洩ではない。講師は工藤千夏さん(青年団演出部所属・演出家)、すはま、久保先生、掛谷先生、矢野先生でした。

(沼田におられた須藤先生が舟入へ、舟入の黒瀬先生が沼田へ転任しておられたのでびっくりした。岡田先生の舞台も久しぶりに観て感心するとことが多々あった。方山先生が創作された劇は初めて観た。イメージが豊かに広がってとても楽しい劇だった。松本先生の創作にも彫りの深い斬新なものを感じた。尾道は脚本さえいいものに巡り会えばすごい舞台が生まれそう。こういう中で2校しか出られないのは大変だなと思う。観音高校におられていい劇を書き創っておられた藤田卓先生が研修会に出られてとてもなつかしかった。声を聞かなかったのでどうされたのかなと思っていたけどもう退職されていたんだ。

尾道の山の頂上に城が見えた。尾道を治めていた武将は誰だったかなと思いながら、「誰が作った城?」と聞いたら、「あんなの商売人が宣伝に作ったんだわね」とのこと。なんとなんと!ことばがでてこないすてきなおのみちでした。)

 

岩町功著 評伝『島村抱月』上・下巻 

岩町功先生のライフワークの一つでもあった島村抱月の評伝が上、下巻になって出版されました。上巻だけでも811ページ、更に巻末には克明な事項索引、人名索引21ページがついています。抱月の克明な評伝であると共に、抱月の父が鉄山師として活躍した時代のたたらの歴史などがとても詳しく書かれています。貴重な写真や統計や資料も豊富で、さすがは経済学部で学ばれた学士だと納得迂しました。文学的なセンスと共に社会科学的な蓄積が光っています。単なる抱月の人物伝ではなく、彼が所属し、生きた社会や組織、人物などとの関係が実に克明に書かれています。

この上下2巻の書評を頼まれて山陰中央新報で紹介しました。ていねいに読んでいったので1ヶ月近くかかりました。もともと遅読な上に抜き書きしながら読んだものですから余計に時間がかかりました。大部な書ですから飽きるかと思いましたが、そんなことはなくとても面白く読みました。推理小説仕立てのように、疑問を提出しておいて、それを資料などで解いていくという書き方です。著名な人物も次ぎ次ぎ登場しますのでそれも興味を引きます。早稲田に学んだ者にとっては当時の都の西北を知る貴重な書物でもあり熱い血潮がたぎります。

発行所は石見文化研究所(697-0027 浜田市殿町48)です。定価は上下で8400円です。図書館などには必携の書物です。

書評 克明な『島村抱月』評伝 岩町功著
歪んだ評価正す ー近代演劇史に貴重な一石ー

待望の著書が刊行された。上・下巻で千七百ページ。多くの資料を駆使して書き上げられた抱月の克明な評伝である。
同時に、江戸末期からの鈩業者・祖父一平から、平成十七年抱月の三女トシが永眠し、島村家の血が水に帰すまでの壮大で悲痛なドラマでもある。
さらに、歪められ不当に評価されてきた抱月の実像や業績に真実の光を当てようと四〇年にわたり資料を集め検証してきた岩町氏が世に問う意欲的な研究論文でもあり、実証的な近代演劇史であり、現代にも通じる熱い演劇論の書でもある。
巻末の詳細な年譜や工夫された索引、五百以上の膨大な参考文献も読者や後続の研究者にはありがたい道しるべである。
著者には三十一年前に出版した同名の本がある。祖父一平のルーツ探しから始め、石見の鉄山の歴史、現浜田市金城町で生まれた佐々山瀧太郎が貧困のため十二才で浜田へ出て働きながら夜学へ通学、十八才のとき検事嶋村文耕に認められ養子縁組、学資援助を受けて東京へ発つまでのことが書かれている。
昭和五十三年にこの本が出たとき、江藤淳は朝日新聞の文芸時評で高く評価し、司馬遼太郎は、「経済史の学徒で演劇にも明るい希有な研究者を得て抱月はまったく幸福だ」と書き記している。
今回の評伝ではその後の研究成果を取り入れて書き直してある。
抱月は優秀な成績で早稲田大学を卒業、大学の援助でイギリスやドイツへ留学、帰国後は新進気鋭の教授、『早稲田文学』の編集者として文芸評論や演劇論で第一線に立ち、坪内逍遙の期待を受けて文芸協会を設立。そこで研究生の松井須磨子と出会ってから運命が一変した。恩師逍遥と袂を分かち、協会二期生や須磨子と芸術座を創立、家庭を捨て須磨子と暮らし、新劇を上演して全国を巡業、台湾や大陸まで公演して回った。
芸術性を最優先する小山内薫は、「新劇を低俗化した」と非難し、抱月は「芸術性と大衆性、二元の道」を追求していると反論したが、なぜか現在まで小山内流の説が抱月の評価になっている。
「これまで日本新劇史は抱月を俗物化するために随分手を貸したが、抱月の卓越した思想には一顧だにしていない」と憤慨し、著者は膨大な記録や証言を載せてこの歪んだ評価を正している。日本近代演劇史に投じた貴重な一石である。
大正七年四十八才でスペイン風邪で死亡、二ヶ月後須磨子、後追い自殺。
「まとまった仕事をするとき必ず不幸に逢う」と抱月が述懐したように、今回もそうであった。
身を潜めて暮らす家族。実父の焼死、未婚を通した三人の娘、結婚後二ヶ月で戦死した長男、一高生で自死した秀才の次男。
抱月の影の側面も著者は記録や面接を基にあえて事実を公表する。それが鎮魂であると信じて
「抱月のような人になるな」と祖母から言われて育ったと岩町氏は語る。
抱月は「女に狂って家族と教授の職を捨てた男」であった。
芸術座は山陰公演では大田まで来て相生座で『復活』を公演したが、浜田へは行かなかった。そこは「父の借金取りが待つ町」でもあった。
「抱月のようになって」書かれたのがこの本ではないかと筆者には思える。
当時の著名な小説家や演劇人などがたくさん登場するのも楽しい。また疑問を追求する推理小説形式で書かれているので、小説のように読めるのもこの本の特徴である。