R6,第48回中四国詩人会理事会,中四国詩人賞選考会(7/13)・・高知大会は(9/21)

7月6日岡山国際交流センターで表題の会が開かれました。10時から第24回詩人賞選考会が開かれ5人の選考委員(小野田、瀬崎、橘、八木、洲浜)が10冊の詩集について感想や意見を述べたあと2回の投票で最終決定しました。それぞれ特徴と味のある作品で、いつものことながら苦渋、苦痛、苦労の多い選考でした。発表は後日、事務局(川辺真)からマスコミなどを通して行われます。ここでは、素晴らしい詩集の背表紙だけ紹介します。興味の或る人は是非、読んでみてください。
参考までに事務局作成の1回から23回までの受賞詩集一覧を紹介します。

今年度の大会は9月21日(土)高知会館で開催予定で、実行委員長にの国友さんが着々と準備を進めておられます。その大会で中四国詩人賞の授賞式が行われ、選考委員長洲浜から選考経過報告が行われます。宿泊ホテルは早めに予約してほしいとのことでした。

理事会では、予算、決算、行事予定、高知大会、中四国詩人集刊行、その他、様々な問題が審議され承認されました。高齢化、会員数減少、活動の仕方等々、抱えている問題は多々あり、様々な意見が出されました。詳細は後日、事務局から送られてくる「ニューズレター」を御覧ください。
(ブログ:中四国詩人会 詩の散歩道 20240715洲浜昌三)

R6,国史跡、邑南町「久喜銀山遺跡」について(月イチガク講演)

15日「さんべ縄文の森ミュージアム」で表題の学習会がありました。今回は邑南町の「久喜・大林・岩屋銀山遺跡」発掘調査を基に、邑南町教育委員会の大野芳典さんが講演されました。コンパクトにまとめた写真入りの資料集も配布されましたので、とても便利でありがたい。國指定の鉱山遺跡は全国で9箇所しかなく、国指定になっている石見銀山を構成する遺跡として、この鉱山は歴史的に重要な遺跡だと強調さてました。資料から引用してみます。
1190年代・・・久喜銀山が発見される(伝承)
1500年代頃・・毛利氏による開発、支配
1600年代初め・江戸幕府の直轄地お大森代官所による支配
18~19世紀・・衰退~再開発(床屋吹所跡)
1900年代前後・津和野の堀家による操業(久喜精錬所跡)田所小学校にいたころ、遠足で「志都岩屋」(しずがいわや)へ行った記憶があります。小高い岩の多い山ですが当時はちょっとした名所でした。ここも鉱山があった所です。この一体は「久喜、大林、岩屋」銀鉱山だったのです。広島側から見た写真があります。こういう方角から見たこともないので目からウロコでした。写真の上部が出羽の町です。更に左側に行くと田所です。この角度から見ると毛利氏にとっては目の前の宝です。更に調査が進み、記録や資料が発見されることを期待したいものです。砂鉄についても石見にはまだ未発掘なものがあるのではないかと思います。子供の頃、父と山へ薪取りにいくと、ここは砂鉄を取るために水を流したところだ、などと説明してくれたことがあります。大陸に近い石見には、当時の先進的な遺跡が眠っている気がします。新しく発見された川合の遺跡も、仁万の遺跡も貴重です。新発見がありそうで楽しみです。講演、勉強になりました。ありがとうございました。
(ブログ:地域情報 久喜銀鉱山遺跡  20240616洲浜昌三)

R6,創作音楽劇「琴の鳴る浜」 馬路まちづくりセンターで公演(6/9)

「馬路まちづくりセンター」新築を記念して、表題の公演が6月9日14時から開催されます。生演奏と合唱、独唱、朗読で織成する約40分の短縮版です。4月から毎週練習してきた合唱団と演奏も佳境に入ってきました。8日19時から馬路でリハ、当日は10時から最後のリハ。14時開演です。濃縮された感動的な舞台になりそうです。ソプラノ歌手、松浦麗さんの歌を生で間近に聞かれるなんで、最高!しかも無料とは!

上の市写真は4月の練習風景です。次は合唱の一部の歌詞です。
当日は一緒に歌いましょう。

「空」のメンバーも歌と朗読で出演します。一つのストーリーを十数曲の合唱と独唱、朗読で40分で構成した舞台は画期的な試みです。しかもプロ歌手が参加されるのですから、もったいない!公演です。どうぞお楽しみください。
(ブログ:詩の散歩道 劇研「空」20240608洲浜昌三)

R6,朗読詩「はるかな時を越え~江戸から来たひと、井戸平左衛門」(『山陰文藝』58号)

6月26日は、石見銀山代官、井戸平左衛門の命日です。1733年、60歳のとき大森の代官に任命され、1735年5月26日に笠岡の代官所で亡くなりました。短い期間でしたが、享保の飢饉に遭遇し、精力的に村々を巡検、租税を減免、薩摩芋を取り寄せ、その後の度重なる飢饉に庶民は助けられました。庶民は感謝の印に村々に頌徳碑が建てました。大田市文化協会の調査では533基が見つかっています。昨日、新聞に例大祭チラシが織り込んでありました

その井戸平左衛門の一生を1995年に依頼され、朗読詩として書きました。、当時の山陰中央テレビアナウンサー芝田瞳子さんが朗読し、妹尾哲巳さんの作曲で大田ウィンドオーケストラと共演、大田市民会館で盛大に発表されました。当時としては画期的な挑戦でした。今回、『山陰文藝」58号に掲載した最新作を命日に合せて紹介することにしました。かなり史実に忠実に書いています。一人で朗読、数人で群読も可です。劇研「空」では数回群読発表しています。PDFで紹介します。興味がある人はどうぞ。


R56,5,, 詩 「はるかな時を超え~江戸から来たひと、井戸平左衛門~」jtd

このコンサートのときの録音がないかと探したのですが、まだ見つかりません。誰か持っていませんか?目下、鳥取の吉川経家の朗読とオーケストラのコラボの企画が水面下で進行中です。参考にしたいのですが、貴重な過去の文化遺産を保存するところはここにはないようです。ここってどこだ。ここだ。hereだ。
(ブログ:詩作品紹介 詩の散歩道  20240526洲浜昌三)

 

 

R6,「松代・鬼村鉱山とその関連遺構」学習会(5/18)

表題の第2回学修会があり参加して、3人の関係者から話を聞きました。旧大屋小学校体育館へ行ったのは初めてでしたが、立派な体育館で、このように活用されるのは嬉しいことです。

松代鉱山については大変苦労したことがありました。それで話を聞きたくて出かけました。もう10年以上前ですが、いき出版社が写真集「石見の100年」を出版するとき、30枚ばかりの昔の写真に解説を頼まれました。

その中に次の写真がありました。

「大田鉱山株式会社」初めて見た名前です。久利町松代は行恒の隣の集落。数人の人に聞きましたが、「そんなのがあったらしいね」くらいしか分かりません。色々と調べました。いつ閉山になったのか資料がありません。市役所に聞きましたが駄目でした。最後の社長だったという市議会議員の子息に聞きましたが、まったく分かりません。閉山は「昭和42年頃」だろうと推測しましたが、明確な数字が分かりません。ものを書くとき、「数字と固有名詞」は恐怖の鬼です。間違えば命取り、信用ガタオチ。数字を避けて説明することも可能ですが、逃げるのも癪です。
そんなことがあったので、ぜひ聞きたいと思って出かけました。

学習会では。3人の方が話されました。採掘資材の納入や坑内のメインテナンスに関わられた久利町の沖さん。子供の頃、鉱山の近くで育ち鉱山にも入ったという谷口さん。父親がトラックの運転手として石膏を静間駅まで運んだという谷口さんです。それぞれ自分の目で見て経験した実体験を基づいた話ですから、実感が伝わってきました。コーディネーターの中村先生や阿部先生が、簡潔にポイントをまとめ、それぞれの持つ「歴史的意義」を説明されました。日本の高度成長時代に、この石膏は大きな役割を果たしたことがグラフや数字で証明されました。
松代鉱山に入ると、体育館くらいの大きな空洞もあるそうです。岡山県の吹屋へ行ったことがありますが、鉱山跡をうまく観光に役立てていました。現在に生かす方法があればいいですね。貴重な歴史遺産です。

こうして調査し、記録に残す仕事も貴重です。そこからいろいろなものが発想されたり、PRされたり、新しいものが生まれたりする可能性を秘めています。大田市にはちゃんとした市史がなく、調べ事をするときいつも苦労します。今回の活動がいつか記録として「市史」に掲載されることを期待しています。
(ブログ:地域情報 詩の散歩道 20240519洲浜昌三)

R6,「永井隆物語」雲南市で公演、濃縮された感動の舞台(4/27,28)

永井隆博士の出生地・雲南市チェリヴァホールで創作劇劇が2日間上演され、満員の観客に大きな感動を与えました。長崎に投下された原爆で妻を失い、自らも被爆しながら被爆者の看護に献身した永井隆博士の出生から最後までを、家族を中心に焦点を絞って創作演出(亀尾佳宏先生)された舞台は、一本の線が通り息が抜けないような濃縮された舞台になりました。それは舞台装置から生まれた成果でもあります。舞台の上手と下手に4段の階段を組み24人ばかりのキャストは、その階段へ座っています。演技はその谷間(舞台の中央)で行われますが、座っているキャストは場面に応じて歌い、一人や数人でセリフを言い、群読し、一斉に声をあげ、更に階段から下りてきて劇を演じるのです。

(写真撮影は厳禁なので、終わって舞台をパチリとしました)
舞台装置が生きていました。鉄骨の骨組みは原爆が投下された後の場面で実に効果的でした。照明も生きていました。
初日と二日目ではキャストを総入れ替えで上演するというとても面白い試みが行われました。どうしても2日間観たくなりますが、大田は遠いし仕事もあるので、2日目を劇研「空」の松本夫妻と観劇に行きました。主役の永井隆を演じたのは劇研「空」の山本和之君。大田から大勢行きました。感心したのは超短期間の練習で長いセリフを完璧に消化して、堂々と演じたことです。誠実で生一本な永井博士の姿が浮かび上がりました。(さーすが、大田高校演劇部出身、という声がどこからか聞こえてきました。今は演劇部はありません)
見送りをする主役の山本君と左に亀尾先生の半身(?)正に。
久しぶりに亀尾先生と会話しました。「この道はいつか来た道・・・」の歌が生きていましたね。というと、ありがとうございます、という笑顔。そうです。単なる過去の物語ではないのです。ついでに、新聞を紹介します。隙間のない濃縮舞台でしたから(冒頭を除いて)、息を詰めて見つめました。それだけに、長い沈黙が生きていました。この劇はいろいろバージョンを変えて、三刀屋高校が何度も上演したり、朗読劇で発表されたりしています。とてもいいことですね。最後のパンフレットから借用してパチリ!いい表情ですね。みなさんおつかれさまでした。島根の演劇にまた一つ財産が積み重なりました。
(ブログ:観劇 昇ちゃんの演劇だより 20240509洲浜昌三)

R6,音楽朗読劇「琴の鳴る浜」馬路まちセン公演用脚本

6月9日、馬路まちづくりセンターで完成記念公演のために、毎週木曜日に市民会館で練習しています。18日は2回目ですが、やっとこさ、さきほど脚本が出来上がりました。明日は約束通り皆さんにお渡しできます。歌10曲を中心に朗読と会話でストーリー展開します。表紙です。

「馬路まちセン」新築記念公演について(脚本より)
「馬路町まちづくりセンター」が、旧馬路中学校の跡地に新築され、3月28日に竣工式が行われました。
完成をお祝いして、地元馬路の伝承から生まれた音楽朗読劇「琴の鳴る浜」を公演することになりました。「馬路まちセン」の集会所には、照明や音響、舞台設備はなく、縦約十五、横約十メートルくらいの板張りです。劇形式の発表は無理なので、歌を中心にして朗読と短い会話形式でストリーを展開できるように脚本に手を入れました。時間的な制限があり、すべての歌を入れることはできませんでした。
「琴の鳴る浜」は短縮版を含め六回公演されています。
平成22、23年市民会館、23年馬路小体育館、24年大田小体育館(県音研、仁摩小、中発表)31年市民会館、令和2年県民会館。
発表者や発表場所に応じて、歌を中心にしたり、松江の芸能祭のように盆踊りを中心に舞台を構成しましたり、時間に応じて脚本に手を入れたりすることができるのも、市民の手で作成、上演できる強みといえるでしょう。住んでいる土地の伝承が芸術作品として客観的に味わえる喜びと感動は何物にも代えがたいものです。地元出身のソプラノ歌手、松浦麗さんに今回も参加して頂きます。共に発表できる喜びと素晴らしい舞台を確信しています。(以上脚本の見開きページより)
(ブログ:お知らせ  劇研「空」 地域情報20240418洲浜昌三)

R5,「この土地に生きて~島根で出会った詩人たち~」(「詩と思想」11月号より)

月刊詩誌「詩と思想」が、「この土地に生きて」というタイトルで各県の詩人を取り上げています。島根の詩人について執筆依頼があり、11月号に掲載されました。書店にもなく、読めない人が多いので紹介します。
編集部から与えられたテーマは次のとおりです:
「心に残っている詩人」「現代の詩に重要な貢献をしているが、一般には広く知られていない詩人」「ご当地で出会い印象に残っている詩人などの功績」
いろいろ考え悩みましたが、「現代の詩に重要な貢献」「詩人の功績」などという観点で取り上げるのには荷が重すぎますし、勝手な評価をして誤解を生む可能性もあります。そこで、「心に残っている島根の詩人」「印象に残った詩人の詩」という観点から執筆しました。限られたスペースなので、取り上げる詩人の数も限りがあり、紹介する文章も十分意を尽くせないものになりましたが、現在の詩誌、「石見詩人」「山陰詩人」「践草詩社」から印象に残っている詩人を紹介しました。

『 詩と思想 』は土曜美術社出版販売 が発行している 月刊 の詩 の 雑誌 。 1972年(昭和47)の創刊で、ぼくは創刊号からの会員です。総合商業詩誌であると同時に、編集は詩人たちが行うことで一貫しており、全国の詩人・詩愛好者のための共同の詩の広場作りを意図する運動誌的性格をも持っています。PRでした。
(ブログ:詩の散歩道  詩集や本の紹介  島根県詩人連合 20240328洲浜昌三)

R6, 「銀のまち 今昔物語」(第30回島根県音研 大田大会で発表 2012年)

’24年3月17日、大田市民会館で「竹下克敏先生 メモリアルコンサート」が開催されました。約100名の人たちの演奏が多くの聴衆に大きな感動を与えました。先生を回想して数名の人たちがエピソードを語られました。先生が音楽を通して真剣に生徒たちに立ち向かわれたことが語られました。吹奏楽コンクーで全国大会最優秀賞を筆頭に数々の立派な成績を残して来られたのも、生徒を信じいい加減な妥協をせず真正面から向きあってこられたからでしょう。それは最後の奥様の挨拶の言葉からもひしひしと伝わってきました。胸に響く感銘深い言葉でした。(下の写真は県音研の参加者、大田小学校体育館)

さて、ここで紹介したいのは、竹下先生が表題の研究大会を大田小学校で開催された時、僕にも以前から協力の要請がありました。創作音楽劇「琴の鳴る浜」を合唱を中心に15分で発表できるように短縮版をつくって欲しいと依頼されていたのです。数回準備会が開かれ、15分版を作り、アナウンス原稿を作成しました。前日11月9日はリハ、当日は県内から音楽関係の先生が多数来られました。発表のタイトルは「銀のまち 今昔物語」。竹下先生の命名です。貴重な記録は記載して索引の参考に供したいというのが、このブログの目的でもありますので、ここに写真とともに主な資料を紹介しておきます。平成24年(2012)の記録です。

研究演奏について(パンフより)ー今回の研究演奏は、日頃から子どもたちが音楽の授業や総合的な学習の時間、また、地域の行事で取り組んでいる題材を取り上げ、皆様にお聴きいただくことにしました。~今ふるさとを想う~
北三瓶っ子太鼓クラブの《和太鼓》や池田小学校の子どもたちによる《田植え囃子》は学校のみならず、地域の行事には欠かせないものになっています。ふるさとの伝統を守り伝えていく子どもたちの輝きをぜひ感じていただければと思います。

仁摩小・仁摩中の「ふるさとに伝わる伝説より朗読と音楽」《琴の鳴る浜》は、仁摩町に伝わる琴姫伝説をもとに、平成22年、洲浜昌三氏・長坂行博氏により創作されました。地元に伝わる伝説や史跡について、深く学んだ子どもたちの朗読と合唱がかもし出す、どこかなつかしい世界をどうぞお楽しみ下さい。

一中吹奏楽部の伴奏により大田一中3年生全員による合唱《大地讃頌》をお聴きください。大田市の未来を背負っていく若者たちの、生き生きとした歌声とともに研究演奏を終わりたいと思います。会場の皆様もぜひ、ご一緒にお歌い下さい。(指揮は竹下先生)

大田市立第一中学校吹奏楽部は、平成18年度に全日本吹奏楽コンクール中国大会に9年ぶり3回目の出場を果たし銀賞を受賞。その後、6年続けて同大会に出場し金賞を受賞。平成21年度からは、石見部としては初の全国大会への出場を果たし、3年連続全国の舞台で演奏するという栄誉に恵まれました
生徒たちの音楽に向かう真摯な姿と美しい《吹奏楽》の響きをぜひご堪能下さい。終わりになりましたが、この研究演奏にご尽力いただきましたすべての方々に心よりお礼を申し上げます。

何かの参考になればと思い、当日の「アナウンス原稿」と朗読音楽劇「琴の鳴る浜」(短縮20分版)をPDFで紹介しておきます。
H24 アナウンス原稿・舞台進行表「ふるさと大田 今昔物語」県音研大会
H24 音楽朗読劇「琴の鳴る浜」短縮版 第30回島根県音研大田大会1~6P
(ブログ:詩の散歩道 地域情報 昌ちゃんの演劇だより 第30回島根県音楽教育研究会大田大会 竹下克敏先生 大田一中ブラスバンド 創作音楽朗読劇「琴の鳴る浜」20分短縮版 20240321洲浜昌三)

R6,藤原規生先生指導「歌のワークショップ」好評裏に終了

2月25日大田市民センター4階で「みんなで楽しく歌って・・・うまくなる」というワークショップが開催されました。大田市の委託を受け文化協会が主催。定員50人でしたが、子どもたちを含め90人以上の参加者があり、藤原先生の指導で三曲を歌いました。伸び伸びとした明るい雰囲気の中で、ベテラン指導者の的を射た助言に明るい笑いも絶えず、充実した2時間でした。僕は受付係でしたが少し一緒に歌いました。藤原君は僕が大田高校に赴任した時の二年生。合唱部部長、生徒会長でした。打てば響く楽しいクラスでした。僕は演劇部顧問でしたが、1984年に僕が創作劇「エメラルドグリーン~おれたちのふる里~」を書き、劇中歌として藤原君に作曲をお願いしました。この曲はその後の創作劇「また夏がきて」の中でも劇中歌として使用しました。季刊脚本雑誌「高校演劇」や「高校演劇selection」にも掲載されたので、全国あちこちの演劇部やサークルなどで上演されています。昨年令和5年には愛知県の高校が上演しましたので、劇中歌作曲者・藤原君にもお知らせしましました。更に昨年、日本劇作家協会が誰でも読めるように戯曲アーカイブ、電子版を作成しましたが、その中に「また夏がきて」も入っています。藤原君との高校時代のコラボがこのような形で発展するとは「縁は異なもの味なもの」・・・嬉しい発展ですね。
縁といえば、藤原君のお父さんは医者で歌人、素晴らしい歌集も受贈しました。アソカ幼稚園のPTA会長でしたが、文集「アソカ」に詩を依頼され毎号書きました。

閑話休題;一昨日、久しぶりに規生君と再会し昔話に花が咲きました。藤原先生は世界的な活躍をしておられます。その一端をチラシから紹介します。

今後計画している市民参加の創作音楽劇にも協力して頂く予定です。このようにし、この故郷で育った世界的な音楽家がふるさとの子供たちや市民の文化活動の推進者として活躍して頂けるのは最高の姿ですね。素晴らしい文化芸術活動の循環です
(ブログ:地域情報 詩の散歩道 20240227洲浜昌三)