「詩作品紹介」カテゴリーアーカイブ

短詩  「夢のデパート」さんのあ

夢のデパート

洲 浜 昌 三

本棚を整理していると
「文集アソカ」が何冊も出てきた
四十五年間 幼稚園で発行されつづけた
親と先生と子どもたちの思い出の記録集

「夢と思い出」のページに
「行きたい所はどこですか」という質問があり
「さんのあ」
とたくさんの子どもたちが答えている

ノンちゃん
その「さんのあ」がなくなるよ

地下一階 地上四階 屋上
市内唯一の立体駐車場

大田の中心街に堂々と建っていた「さんのあ」
ぼくらがフランスのパリへ憧れるように
行ってみたい夢の場所だったんだね

昭和49年に開業以来 ピーク時には四〇億円の
売り上げに達したが 郊外型の大型ショッピング
センターができて以来 売り上げが激減 負債総
額は約十五億円

と新聞にある

子どもたちの
夢を育ててくれたアソカがなくなり
子どもたちの夢だった「さんのあ」も消えていく

大田市文化協会が発行している「きれんげ」という会報があり、俳句、短歌、川柳、行事、石見銀山の歴史、人物・サークル紹介など多彩な記事を載せています。A4版でページで年3回、約1000部発行され好評です。他市の文化人から「格調の高いいい会報だ」と言われたことがあります。

10年くらい前から編集委員会に依頼されて短詩を書いています。詩人だけが読む詩の同人誌や詩集と違い、詩なんかほとんど読んだことがなく、難しいと敬遠している人たちが大多数ですから、分かりやすくて心に響くような詩を書いてきました。もう30編以上になります。一般の人を対象にした冊子に、詩を載せてくれるような編集者はまずいません。それを思うと、この場を提供してくださる編集者に感謝し頑張って書いています。

アソカ幼稚園が発行していた卒業記念文集に、「一番行きたいところはどこですか」という質問があり、多くの園児が「さんのあ」と答えていました。それがとても印象に残っていて、この詩が生まれました。以前は「さんのあファミリーデパート」が大田市唯一の何でも売っている店でした。都会に出て行った人たちに、「さんのあが倒産したよ」といえば、きっと大田が真っ暗闇になるようなショックを受けることでしょう。

「さんのあ」は今の時点(平24,8,8)ではまだ建物は建っています。看板などが危険なので市が予算をつけて取り外す、という記事がでていました。利用の計画はないようですが、解体すれば大金がかかります。どうなるのでしょう。グロウバル化の流れで規制が緩和され、大型のショッピングセンターが郊外にでき、市内の店は崩壊していきます。同時に古い日本人の美徳や価値観も崩壊していきます。合理的、自由経済、便利、利益などを第一に優先すれば反面で失われていくものもあります。そういう批判の目も密かに隠してある詩です。

さんのあ解体中 (1)これはなんでしょう?解体中の夢のデパートです。
さんのあのあとにグッディこれは何でしょう?解体された夢のデパートの跡に誕生した「グッディ」です。(2016,3,8)

 

 

詩 原始の哲学者 ー掛戸松島ー

原始の哲学者 ー掛戸松島ー
洲浜昌三

洗われ
削がれ
失って
孤独な哲学者になった

今にも
倒れそうに
見えながら

強靱な
意志と
思考力と
宇宙感覚で
虚空に起立する

原始の
哲学者かのように

 

大田市波根町に掛戸松島があります。ろうそくの様な岩のてっぺんに松がはえていました。
枯れたので新に植えられましたが、それも最近枯れたようです。自然にはえた松が育ち始めているのが見えます。岩のてっぺんは6畳くらいの広さがあったそうですが、今はそれより狭くなっています。先日車で通ったので写真に写しました。岩の下部には穴が空いているそうですから、いつ倒壊するかわかりませせん。しかし倒れそうに見えながらしっかり立っています。見る度に哲学者だ、と思います。

近くに看板が立ててありましたのでパチリました。今の波根や久手の田園地帯は広い湖でした。湖が増水して被害が絶えないので鎌倉時代に岩を掘削して湖の水が流れるようにしたそうです。

詩 石見銀山 五百羅漢

石見銀山 五百羅漢
洲浜昌三

石の反り橋を渡ると
羅漢さまの静かな岩室がある

父や母や
夫や妻や
愛しい我が子が
安らかに眠りますように

はるか江戸時代に
人々が込めた
深い祈りの石仏

羅漢とはー
いっさいの煩悩を滅し、自力で悟りを開いた人ー
と辞書にある

それにしては

「てめえらぁ それでええんかや!」
と目をむいて怒鳴る羅漢
「うちの にょうぼうのやつがのぅ」
口を曲げて愚痴をこぼす羅漢
「助けちゃんさい 頼むけぇ」
天に号泣する羅漢
「わしゃ はあ知らんで」
膝を深く抱える羅漢
「ありゃ ぼけてきたかいのぅ」
ふと 頭に手をやる羅漢

静かに瞑想する
数多の尊者の中に
悟りとは遠い数体の羅漢

石見の国
福光の石工は
うっかり本音を刻んだのかもしれない

(「しまねの風物詩」)

 

詩 「鬼だぞ-」

 

短詩 「鬼だぞ-」
洲浜昌三

生まれて初めての節分
こわい面をかぶった父さんが
「鬼だぞー」

ニコニコして喜ぶユサちゃん
こんどはドスをきかせて
「こわい鬼だぞー」

顔を近づけておどすと
目を弓にして笑う
「フ フ フ フフフフフ」

鬼が逃げたあと
声がした

「メンガナイホウガコワイヨ」

 

鬼は怖いものの象徴ですが、鬼が人を殺したり弱い者いじめをしたりした記録は歴史上どこにもありませぬ。怖いのは鬼ではなくそれを創りあげたたニンゲンです。ニンゲンの歴史は戦争と殺戮の歴史。学習効果はないみたい。

詩 「がんばれ まめ戦士」

 がんばれ まめ戦士
洲 浜 昌 三

さあ 元気よく歌いながら豆をまいて
オニを退治しましょうね
もう一度大きな声で練習しましょう

おにはそと ふくはうち
ぱらっ ぱらっ ぱらっ ぱら まめのおと
おには こっそり にげていく ※

頭に白い鉢巻きをキリリと締め
ふるさとを守る戦士のように目を輝かして
幼い子どもたちは声を張り上げる

ウオー オニダゾ ワルイコハ タベルゾ
ギヤオー アカオニダゾ ナキムシハ ドコダ

二ひきの鬼が飛び出したとたんに
戦陣はたちまち総崩れ
真っ先に逃げていく男性戦士
恐怖でその場にうずくまる女性戦士
一歩も退かず勇敢に立ち向かう数名の豆戦士
悲鳴や泣き声が戦場に響きわたる

さあ 子どもたちよ
あの歌を歌うんだ
みんな一緒に 大きな声で
あんなに何度も練習したじゃないか

※童謡「豆のうた」より
大田市文化協会は年3回「きれんげ」という会報を発行しています。1000部以上印刷していると思いますが、大田の文化情報や石見銀山の歴史は毎号掲載しています。数年前から詩を依頼されて書いています。詩人ではなく普通の人が読んで何か心に残るような詩になればと思って書いています。石見銀山の詩も時々書いています。行数は30時以内ですから長い詩は書けません。

上の詩は会報の最新号のために書いたものです。マイ グランドドーター が節分前にはいつも「豆まき」を家でも歌っていました。いいうたですね。「ぱら、ぱら、ぱら」 というのがなんともいえません。保育園で節分の当日は鬼がでてくるとみんな恐れて泣いたそうです。その後家でも、鬼を怖がっています。2歳という年はまだサンタクロスも鬼も実在すると思っているんでしょうね。

これは保育園で先生とつくった鬼です。なんとかわいい鬼ですね。食事の時もこのメンをつけて食べています。お気に入りです。

詩 娘たちの「銀山巻き上げ節」-石見銀山考-

  娘たちの「銀山巻き上げ節」

                                ー石見銀山考ー
                                                                    洲浜昌三

石見銀山で働いていた女性に会いに行こう
と誘われ 八十を超える老女を訪ねたのは四十年前だった
娘のころ永久鉱山で働いていたという 続きを読む 詩 娘たちの「銀山巻き上げ節」-石見銀山考-

詩 大森五百羅漢-石見銀山考-

 

大森五百羅漢 -石見銀山考-       洲浜昌三 

石のそり橋を渡ると
羅漢さまの静かな岩室がある

父や母や夫や妻や愛しい我が子が
安らかに眠りますように

はるか江戸時代に人々が込めた
深い祈りの石仏 (いしぼとけ)

羅漢とはー
いっさいの煩悩を滅し、自力で悟りを開いた人ー
と辞書にある  それにしては

「てめえらぁ それでええんかや!」と目をむいて怒鳴る羅漢
「うちのにょうぼうのやつがのぅ」口を曲げて愚痴をこぼす羅漢
「助けちゃんさい 頼むけぇ」天に号泣する羅漢
「わしゃ はあ知らんで」膝を深く抱える羅漢
「ありゃ ぼけてきたかいのぅ」ふと 頭に手をやる羅漢

静かに瞑想する数多の尊者の中に
悟りとは遠い数体の羅漢

石見の国 福光の石工は
うっかり本音を刻んだのかもしれない

(島根県詩人連合発行「しまねの風物詩」より)

詩 「石見は空白地帯」-石見銀山考-

 

石見は空白地帯  -石見銀山考ー

Shouchan

フランスの観光パンフレットには

出雲と山口の間には何もないという

 

そのフランスからカルロス夫妻がやってきた

メリーズはきりっと引き締まったフランス美人

カルロスは小太りで陽気な赤ら顔のラテン系

船会社を退職し悠々自適らしい

 

若いとき日本のミノルタカメラが欲しくて

ドイツまで稼ぎに行ったというカメラ狂

芸術の都からカメラを抱えて地球の旅へ出る

 

三瓶山から日本海に沈む夕日を連写し

地下で巨大な埋没縄文杉のシャッターを切りつづけ

志学の露天風呂で満天の星を見上げ

無視された石見の我が家でゆかたを着て正座し

ヴェリィ フルーティと日本酒「羅浮仙」を飲み

タタミマットのセンベイフトンでぐっすりねむる

 

江戸風情の家並みの路地に白い雨が降る次の日

石見銀山世界遺産センターのヒノキのホールを抜け

展示を見ながら歩いて行くと

おお!と声をあげてカルロスが立ち止まる

This map is Portuguese!

ポルトガルで400年前に描かれたエビのような日本地図

 

なんと!カルロスはポルトガル生まれだった

 

ヴァスコ・ダ・ガマに出会ったかのように目を丸め

ポルトガル語を読む

「FVOQVI」(ほうき)の西に「INZVMA」(いずも)

その西にあるのは

日本海に張り出た広大な「 R・ASMINAS DA PRATA 」

山口はなくて その南が「VAMGATO」(ながと)

 

抹殺された出雲・山口間に書かれた

ぼくらが立つ石見の大地は

「銀鉱山群王国」

 

詩 桜前線みちのく北上

   桜前線みちのく北上

人々の嘆きみちみつるみちのくを
心してゆけ桜前線 ※

沖縄から九州へ渡りぼくらの街を通って
北上して行った桜前線は
心してみちのくの街や村を通ってくれただろうか

長い冬が終わり木の芽がふくらみはじめる早春
いつものように派手な姿で陽気に
卒業式や入学式を祝って
はしゃいで通りはしなかっただろうか

街や村が一瞬にして消え
人の姿もなく
広大な廃墟に
瓦礫だけが山裾までつづいている

荒涼とした風景は
原爆が投下され焼け野原となった
広島と重なる

何万という人たちの最後の言葉や叫びを
一つ一つしっかりと受け止めただろうか

つらい中でも慎ましい笑顔を忘れず
心の底に涙を貯めていく人たち

痛恨の涙をはらはらと流し
その清楚な姿で陸奥の人たちを励ましながら
桜前線は北へ向かっただろうか
※ 短歌は長谷川櫂『震災歌集』より

詩 樹齢45年アソカの樹

 

樹齢四十五年 アソカの樹 shouchan
「お元気ですか」
風のように自由自在になってしまわれたあなたへ
こんな言葉をかけるのはちょっと変ですね
でも 会議を終えてさっき別れてきたかのように
いつものあの慈眼と笑顔が今日もぼくの目の前にあるのです

秀陽先生 ー ああ それから それから 昭英先生 …
とうとうこの日がきました
この国は一体どうなっていくのでしょう

街でアソカのバスを見るたびに思い出します
「アソカという言葉は古代インドのサンスクリット語で
お釈迦様はルンビニー園のこの樹の下で誕生されました
中国ではその意味をとって漢字で無憂樹(むゆうじゆ)と書きます」
そう教えてくださったのは先生でしたね

まだ一度も見たこともないアソカの樹
あの時からこの樹はぼくの中で大きくなっていったのです

みどりの葉を空に広げ 香り高い美しい花をつけたアソカの樹ー
その下でぼくの二人の子も「光りの子」として育てられ
大勢の友達と「みんな優等生」となって巣立っていったのです
憂(うれ)いの無い空のように澄んだ目で
この樹は千人を越える「アソカの子」を見てきたのです

樹齢四五年に育ったアソカの樹
壮年期に入った大木アソカの樹
その下で明るい声が絶えなかった幼稚園

過去の思い出となり 未来の夢は語れなくなっても
先生
アソカの樹は大きくなっていきますよ
ぼくの心の中で
千を越える多くの人たちの心の中で

 

(文集アソカへ頼まれて書いたものです。秀陽先生は創立当時の園長先生でした。昭英先生は次の園長先生でしたが、若くして他界されました。触発されて「ミネコ先生の傘」という詩を書いていますが、いつかいつかと思っている内にいつか…。みんな素敵な人たちでした。お世話になったマイサンが大学を出て中国で十数年働きちょうど日本へ帰った時に閉園式が行われました。当時お世話になった先生方へ感謝の言葉を述べお礼の花束を渡しました。Shouchanは文集アソカには10数編詩を頼まれて書いています。素直に書いた詩ですから自分でよんでも心に響くものがあります。いつかまとめてお世話になった人たちに贈りたいものですね)