「詩作品紹介」カテゴリーアーカイブ

R7,ふるさとを詠う「古城 二ツ山城址に立つ」

ふるさとを詠う
古城 二ツ山城址に立つ
洲浜 昌三
春深い 二ツ山城趾に 佇(たたず)めば 
雑木林(ぞうきばやし)に 微風(そよかぜ)が流れ 若葉が香る
見上げれば 澄み渡る空に 白い雲
霞の彼方に 峰また峰の 山の波
見下ろせば ふるさとの町 出羽川

戦国の世に 城主・出羽氏 高橋氏に敗れ
毛利元就 高橋氏を破って 城を再建
ふるさとの 二つの峰に 聳(そび)えた館(やかた)
朝日夕日に 照り輝いた 石見の古城
今は唯(ただ)石垣 落ち葉の空堀 戦の跡を語る
邑南町鱒渕に、二つ山城址があります。石見では益田の七尾城についで2番目に古い城址と言われています。谷を挟んで隣には高橋氏の本城があります。南朝方の高橋氏は二ツ山城を攻略しましたが、毛利元就に敗北します。そして元就の6男元倶が養子として入場し城を再興します。二ツ山と本城は子供の時から毎日眺めた懐かしい城趾です。

数年前に同級生の久憲くんから、二ツ山の詩吟を書いてくれ、と頼まれていました。詩吟は僕も朗詠しますが、書いたことがありません。なかなか書けず宿題未提出状態でしたが、詩吟をされる大奥様の強い要望だと言って正月に電話がありました。こうなれば名誉のために最優先。頑張って作り、現代文と古文調の2種類の歌詞を送りました。厚い礼状がきて、目下懸命に曲をつけておられるとか。考えてみれば、生まれ育った故郷の詩吟を聞けるなんて最高だな、と思いました。楽しみです。

二ツ山城の歴史を簡単にまとめてみました。興味がある人はどうぞ。
1223年富永祐純の子朝祐が出羽郷・久永荘の地頭としてこの地に入り、出羽氏を称して二ツ山城を築いたといわれる。南北朝時代には出羽氏は北朝方だったため1361年南朝方の阿須那高橋氏に攻略され落城した。1530年毛利元就に攻められ高橋氏が滅ぶと、出羽氏は出羽郷を回復し二ツ山城に復帰した。天文1542年大内義隆が尼子攻略のため二ツ山に入り、石見の諸将が二ツ山城に結集し出雲へ進出した。1557年吉川元春が小笠原氏攻略のため入城し、翌年には毛利元就が本陣を置いた。更に、永禄4年にも毛利元就は福屋氏攻略のため二ツ山城に入っている。1565年)に毛利元就の六男元倶が養子として二ツ山城に入っており、現在見ることのできる遺構はこの頃改修された姿と思われる。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いに敗れた毛利氏に従い、出羽氏は長州萩へ移った。
(詩の散歩道 詩吟 邑南町二ツ山城 20250224洲浜昌三)

R6, 詩「あなたが こいし」(大田市文化協会50周年「きれんげ」141号より)

大田市文化協会は1974年に結成され、2024年に50周年を迎えました。11月3日に記念式典があり梶野市長、平田会長の挨拶の後、感謝状贈呈式が行われました。30周年の時は故・勝部義夫会長から依頼され創作舞踏劇『鶴』という脚本を書きました。石見銀山の歴史を劇や語り、舞踊、民謡、合唱などで構成した華やかな舞台でした。勝部会長が演劇の元・プロの役者で舞台発表のプロデュースに長けておられたので実現した面白い構成劇でした。
会員は平成6年には1100人を超えていましたが現在であ600人を切っています。賛助会員として会社や個人が登録されています。会員には年3回発行される「きれんげ」が配布されます。会員になって会報を読んでください。
141号では、写真家の藤井保さんの寄稿文や俳句大会の作品、「大田石膏鉱山の歴史」(安藤彰浩さん)「文化協会50年の歩み」市長、会長の挨拶文、故・石賀了会長回想文(縄田さん)、渡邉白さんの「私のふるさと」などの他に、洲浜昌三くんの、むかしばな詩「あなたが こいし」が載っています。昔からユーモアのあるも書きたいと思っていました。100話以上の郷土の民話を劇研「空」で読んでいて、ふと、浮かんできた詩です。

長い間、大田市文化協会の理事を努め、2018年から副会長という役目でしたが2023年度でお役目御免。大田市体育公園文化事業団理事も御免。「おつかれさま、ありがとね」(ひとりごと)
(ブログ:詩作品紹介 詩の散歩道 20241220洲浜昌三)

R6,「わたしのことばさがし」谷川俊太郎さんとの対談記録(しまね文芸フェスタ2025)

2024年11月13日、谷川さんが92歳で他界され、新聞でもテレビでも大きく報道しています。それだけ大きな影響力があった国民的詩人です。2025年に松江の県民会館で開催された文芸フェスタで対談した様子は当時ブログでも紹介しました。
「石見詩人」や「詩人連合会報」、「劇研「空」の会報に対談の内容などを書きましたが、ここでは会報の文章や新聞記事などを紹介します。10ページあります。興味がある人はどうぞ。
H27,対談「わたしのことばさがし」谷川俊太郎・洲浜昌三 48882fb565794e32716ae6fdd8ea3dfa

次の詩は、島根詩人連合の会で「松江について詩を書いていただけないだろうか」という要望が出て、直前にお願いの文書をお送りして書いていただいた詩です。冒頭に、「しまねまつえ」の音が配置されたアクロスチックです。貴重な記念になりました。当時は講師を囲んで前夜祭を開催していました。お陰で何十人という第一線で活躍中の俳人、歌人、詩人、小説家と席をともにしました。次は島根文芸協会理事や各文芸団体の役員です。谷川さんの詩を朗読した劇研「空」のメンバーと、アメリカの大学から大田へ帰っていたので、急遽お願いして調光室でPC操作し映像を投影してくれた一暁君など。唯一の貴重な写真。
当時のチラシです。文芸フェスタで会場が満員になったのは初めてです。県外からも多数来られました。さすが、です。(ブログ:詩の散歩道 島根文芸フェスタ 20241122洲浜昌三)

R6, 詩「あの雲の下」「Under Those Clouds』ー8月6日の記憶

1945年8月6日午前8時15分ー広島市内に住んでいた人たちは直接被爆を体験されましたが、島根に住んでいた人であの瞬間、何か感じたことや目にしたことがありますか。中国山脈の盆地、田所村に住んでいたましたが、あの時刻のことは今もはっきり記憶に刻まれています。詩にしていましたので、日本語と英文で紹介します。

 あの雲の下       洲 浜 昌 三

さわやかな八月の朝
二人で陣取りごっこをしていた
中国山脈の盆地の小さな村の農家の庭

ドォーーーーン

大地から湧き出たような重く鈍い音

家の中へ駆け込み
二人で居間の片隅にうずくまった
五歳のぼくと 四歳のノブちゃん

雲ひとつないの上空に
灰色の雲が 滲むように広がりはじめた

「入道雲たぁ違うで」
大人も集まって 遠い雲を眺めていた

異様な音
異様な雲

あのとき見えなかったものが
今 はっきり見えてくる

雲の下に広がる生き地獄
山の彼方の無数の断末魔の叫び
戦争の構図
(詩集『春の残像』より) (この雲は原子雲ではありませぬ。普通の入道雲です)

Under Those Clouds        by Shozo Suhama

On a refreshing morning in August
We two were playing the game of Jintori
In the yard of a farmhouse in a small village
Lying in the basin of the Chugoku Mountains

Dooooon!

A heavy, dull sound, as if welling up from the earth.

Rushing back to the house,
We two cowered in the corner of the living room
Me, five years old, and Nobu, four.

Above the cloudless skies of Mt. Agehira
Gray clouds began to spread as if seeping

“They look different from thunderclouds. ”
Adults began to gather around, gazing at the clouds in the distance

Strange sounds
Strange clouds

What I couldn’t see at that time
Now I can see clearly

The living hell spreading out under the clouds,
The innumerable groans of death throes beyond the mountains
And the composition of the war

(ブログ:詩の散歩道 英文の詩 短詩 20240806洲浜昌三)

R6,朗読詩「はるかな時を越え~江戸から来たひと、井戸平左衛門」(『山陰文藝』58号)

6月26日は、石見銀山代官、井戸平左衛門の命日です。1733年、60歳のとき大森の代官に任命され、1735年5月26日に笠岡の代官所で亡くなりました。短い期間でしたが、享保の飢饉に遭遇し、精力的に村々を巡検、租税を減免、薩摩芋を取り寄せ、その後の度重なる飢饉に庶民は助けられました。庶民は感謝の印に村々に頌徳碑が建てました。大田市文化協会の調査では533基が見つかっています。昨日、新聞に例大祭チラシが織り込んでありました

その井戸平左衛門の一生を1995年に依頼され、朗読詩として書きました。、当時の山陰中央テレビアナウンサー芝田瞳子さんが朗読し、妹尾哲巳さんの作曲で大田ウィンドオーケストラと共演、大田市民会館で盛大に発表されました。当時としては画期的な挑戦でした。今回、『山陰文藝」58号に掲載した最新作を命日に合せて紹介することにしました。かなり史実に忠実に書いています。一人で朗読、数人で群読も可です。劇研「空」では数回群読発表しています。PDFで紹介します。興味がある人はどうぞ。


R56,5,, 詩 「はるかな時を超え~江戸から来たひと、井戸平左衛門~」jtd

このコンサートのときの録音がないかと探したのですが、まだ見つかりません。誰か持っていませんか?目下、鳥取の吉川経家の朗読とオーケストラのコラボの企画が水面下で進行中です。参考にしたいのですが、貴重な過去の文化遺産を保存するところはここにはないようです。ここってどこだ。ここだ。hereだ。
(ブログ:詩作品紹介 詩の散歩道  20240526洲浜昌三)

 

 

R5,「朗読を楽しむ inビラ朝山」おつかれさまでした

11月15日、大田市「ビラ朝山」で、約40名のみなさんと朗読を楽しみました。三瓶の富山や朝山は出雲、石見の国境なので両方の方言が入り混じっています。それを活かして潤色しましたが、今は喋る人がいない懐かしい言葉に親しみを感じられたようです。創作民話朗読劇『出口がない家』では涙を流しておられる人もおられました。このような企画は初めてだそうですが、担当者からも喜んでいただきました。
朗読した民話から一編、「姫逃池ものがたり」をPDFで紹介します。興味がある人は開いてみてください。4ページあります。
R5,民話「姫逃池ものがたり」 4P、11,13 ふるさとの民話.$td

劇研「空」は「地域の歴史文化の掘り起こしと再創造、舞台化」を一つの目標にしいますが、文字を音声化し音楽や映像を使い親しみやすい発表形式にする意義を感じた一日でした。劇形式にするのも有効な表現だと改めて感じました。みなさん、忙しいところ、おつかれさまでした。ありがとうございました。
(Hp:劇研「空」 石見の民話  地域情報  20231115洲浜昌三)

R5, ’23年度中四国詩人会広島大会 講演、詩の朗読も(10/21)

令和5年度の中四国詩人会大会は、広島ガーデンパレスで21日(日)13:30~ 開催されます。コロナ禍で十分な理事会や大会が不可能でしたが、久しぶりに通常の大会です。第23回中四国詩人賞は先の選考会・理事会で決定。その授賞式も行われます。受賞者は岡山の中尾一郎さん。詩集は「猫町 Diary」です。散文詩風の親しみやすい詩集ですが、猫の目を通したユーモアや風刺など心に残る詩集です。
選考経過報告(洲浜)、記念講演「メディアの言葉  詩の言葉~取材体験から」(岡馬重充、京大卒、中国新聞社勤務、文教女子大教授等)も予定されています。

詩の朗読もあります。一瀉千里、川辺真、國友積、洲浜昌三、田尻文子、八木真央のみなさんです。
洲浜昌三は石見の方言で作った詩「しゃきらもなぁ いっこくもん」を朗読します。(意味がわからん?だろうね)
R5,詩 「しゃきらもなぁ いっこくもん」10,21,中四国広島大会朗読 

前回19回広島大会の写真がありましたので紹介します。

久しぶりに出席しますが、残念ながら故人になられた親しい詩人もあります。どんな大会になるか楽しみです。
(お知らせ 中四国詩人会広島大会 PDF 詩「しゃきらもなぁいっこくもん」(石見の方言詩)20231020洲浜昌三)

R5,永田和宏先生講演 好評裏に終わる(しまね文芸フェスタ)

9月17日、大田市のあすてらすホールで開催された永田先生の講演「表現することで変わっていく〈私〉」が開催され、約200名が熱心に耳を傾けました。歌人でもあった奥様、故・河野裕子さんとの短歌の交流が感動的でした。三首だけ紹介しましょう。

「あなたらの気持ちがこんなにわかるのに
言い残すことの何ぞ少なき」(裕子)

「手をのべてあなたとあなたに触れたときに
息が足りないこの世の息が」(裕子)
「訊くことはついになかったほんとうに
俺でよかったのかと訊けなかったのだ」(和宏)

痛切ですね。胸に刺さり問いかけてきます。最後に言われました。「ほめられ上手でした。それによって良い面がどんどんでてきます」同感です。そうありたいですね・・・。
(ブログ:島根県詩人連合、しまね文芸フェスタ 20230923洲浜昌三

 

R5,『春と修羅」刊行100年 「賢治に献ずる詩歌」展(日本現代詩歌文学館)

今年は、宮沢賢治没後90年、『春と修羅』刊行100年に当たります。それを記念して岩手県北上市にある日本現代詩歌文学館では3月から来年の3月10日まで作家による賢治へ献じる詩歌を展示します。ぼくも依頼があり詩と朗読した音声を送りました。14日から東北へ行くことになり、シンガポールにいる長女と彼女の長男と三人で仙台の旅をしてきます。この文学館ができた時から評議委員になっていて今までに色紙の展示や本の出版などに参加しました。今回、始めてこの文学館へ行きます。上記の作家の展示と朗読が楽しみです。

(ブログ:詩の散歩道 作品紹介お知らせ 20230713洲浜昌三)

R5,節分に鬼の詩2篇「鬼だぞ!」「がんばれ 豆戦士!」 

2月3日、今日は節分です。子供たちを見ていて、ふと浮かんだ状況を書いた短詩2篇を、立春に当たり、紹介しましょう。

鬼だぞ !              洲浜昌三

「ウオー ウオー 悪い子は どこじゃー」

生まれて初めて迎えた一歳の節分
真っ赤な顔の鬼が 部屋へ入ってきた
裂けた口 吊り上がった目 尖った角
「鬼 だぞー」

一人で人形と遊んでいたユーちゃんは
急に ニコニコ笑って 大喜び

顔をユーちゃんの目の前に近づけて
声を太く低く ドスをきかせ
「ほんとうの鬼だぞ !」

「フフフフフフフフフフ」
目を二つの弓にして笑うユーちゃん

鬼の父さん 作戦大失敗
すごすごと退散したあと
ユーちゃんが何か言った気がする

「メン ガ ナイ ホウガ コワイヨ」

次は、保育園の先生の指導で、子どもたちは毎日「豆の歌」を練習し、本番に備えました。いざ節分の日到来。二匹の鬼が入ってきました。

  がんばれ  まめ戦士    洲 浜 昌 三

「さあ 元気よく歌いながら豆をまいて
オニを退治しましょうね
もう一度大きな声で練習しましょう」 

          おには そと ふくはうち 
          ぱらっ ぱらっ ぱらっ ぱら まめのおと 
          おには こっそり にげていく ※

頭に白い鉢巻きをキリリと締め 
ふるさとを守る戦士のように目を輝かして
幼い子どもたちは声を張り上げる

          ウオー オニダゾ ワルイコハ タベルゾ
          ギヤオー アカオニダゾ ナキムシハ ドコダ

二ひきの鬼が飛び出してくると
戦陣はたちまち総崩れ
真っ先に逃げていく男性戦士 
恐怖でその場にうずくまる女性戦士
一歩も退かず勇敢に立ち向かう数名の豆戦士
悲鳴や泣き声が戦場に響きわたる

さあ 子どもたちよ
あの歌を歌うんだ! 
みんな一緒に 大きな声で
何度も練習したじゃないか!

※童謡「豆のうた」より

子どもたちを見ていると、ふと浮かんでくるものがあります。そんな情景を詩形式で書いたものがたくさんあります。いつか冊子にまとめてみたいと思いますが、いつか、いつか、どっちが先に現実になるかわかりませんね。
(ブログ:詩の散歩道 詩作品紹介 20230203洲浜)