「昌ちゃんの詩の散歩道」カテゴリーアーカイブ

詩「空にそびえる草原」

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空にそびえる草原   

洲 浜 昌 三

広大な草原の海原が 目の中に飛び込んできたとき
山育ちのぼくの世界は砕け散った
ー草原(くさはら)が空までつづいているー
昭和三十年高校生の時のこと

その後この山は国立公園に指定された
「全山が芝 根笹でおおわれわれ
世界的にも貴重な草原風景の美しさ」
それが指定の根拠になったという
昭和三十八年のこと

この美しい山を再び訪れた
国立公園指定審議委員の沼田氏は
「昔の面影はまったくない 指定を外すべきだ」
と語ったという
平成三年のこと

30年の間に何があったのか

牛の姿が広い草原から消え
雑草や雑木が自由に伸び伸びと育ち
山頂近くまで杉やカラ松が植えられ

貧しかったこの国は
世界第二位の経済大国になった

牛の放牧は江戸の初期に始まるという

明治元年 3000頭
昭和33年 1766頭
昭和41年 743頭

標高1126メートル 山頂までつづいた
美しい風景は
牛と大地が生み育てた草原だったのだ
350年の歳月をかけて

写真は北ノ原です。後ろの親三瓶は木が密集していますが、昔の三瓶の写真をみれば一面きれいな草原です。

島根県詩人連合では、続「しまねの風物詩」刊行を計画しています。平成25年5月26日の総会へ提案します。島根の風物や歴史などを詩にし一般の人たちに読んでもらおうという企画です。誰でも応募できますが編集委員会で審査します。

短詩 急流を遠くに眺め

急流を遠くに眺め

久利町  洲 浜 昌 三

「おかえりなさい ごくろうさん」
明るい声で玄関まで出迎え
「きょうもがんばったね」
と高々と抱き上げる

おしめが汚れると
「またでたねぇ よかった よかった」
歌うように話しかけて取り替える

広告の紙が鶴になり
空を舞って雪のヒマラヤを越え
風呂の船で銀河を渡る

外へ出ると靴が鳴って歌になり
手をつないで野道を行くと
二羽の小鳥になり
夕焼けの空が歌になる

「はやくはやくはやくはやく」
あのころそれが子供たちへの言葉ではなかったか

時間の激流の中であえいでいたころ
流れに沿って共に泳ぐのが精一杯だった

今 急流を遠くに眺め
じいちゃん ばあちゃん と呼ばれる
遠く離れた丘の上に立ち
見えてくる時間と景色がある

 

大田市文化協会が発行している会報「きれんげ」106号に掲載された詩です。

我が子を育てるときにはいつも時間に追われていました。特に朝は戦争です。食べさせながら「はやくはやく」、着替えをさせながら「はやくはやく」、靴をはかせながら「はやくはやく」。

退職し、孫との距離になると、まったく違う時間が流れます。ワイフさまが一歳の孫のオシメを替えながら、ウンチがでているのを見て「よかったね、よかった、よかった」と言っているのを聞いたとき、感動が走りました。こんな豊かな言葉があるとは!

お互いに勤めながら4人の子供を育てていたころは、「またウンチをして」という言葉が出ていたんじゃないだろうか。

自分が書いた詩は見る度にいやになるところがあり、削除修正の手がでます。困ったものです。上の詩も少し手が入っています。次に見ればまた手がでそうです。

詩誌でもないのに詩を載せてくれる会報や雑誌はほとんどありません。「きれんげ」はその点で編集者の見識を感じます。読んで見たい人があれば送ります。8ページの冊子ですが、大田市の文化行事、石見銀山の歴史などとても読み応えがある会報で好評です。

高田賴昌さん『埋み火』を刊行

島根県益田市で発行されている「石見詩人」の編集者・高田賴昌さんが本を出版されました。2012年(平成24)11月です。今までに新聞や雑誌などに書いてこられたものをまとめたものです。たくさん写真もあり、貴重な記録なども載っていて参考になります。

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あとがきの冒頭に「自らのパソコンで試行錯誤しながらも、75年の記憶の断片を小冊にすることができた。不思議な気持ちで眺めている。採録できなかった貴重な資料がある。出来得ることならばこの小冊をもとにさらなる夢を広げてみたいと思う」とあります。2弾、3弾がありそうです。

目次は次のとおりです。

1.田畑修一郎(作家)
1.赤川武助(児童文学作家)
1.右田朝子(日本初の眼科女医)
1.折戸徳三郎(小泉八雲のアシスタンツ)
1.大谷嘉助(歌人)
1.高田敏子(詩人)
1.キムラフジオ(詩人)
1.岡崎澄衛(詩人・医師)
1.益田糸あやつり人形
1.アメリカ東部とパールハーバーの旅 (176〜191ページ)

高田敏子さんは昭和49年11月23日に斐川町の「湯の川温泉」にお招きして懇親会が開かれたとき、ぼくも参加したことがあります。高田正七さんが中心になって第一回の「島根の詩祭」を企画された時のことです。昭和52年12月には高田賴昌さんなど石見詩人同人が中心になって高田敏子さんをお招きしたそうです。三度目は昭和54年で益田市の仏教会が招待し、賴昌さんの自宅で歓迎会を開いたそうです。

この本の中に高田敏子さんの言葉として次のように書かれています。
「いい詩ね、といわれる詩には何があるかと言えば、ほめることばがあること。しっかりとものをみて、そのものの中からどこがいいかを探し出す。そのいいところを引き出し、また作り出して、よい思い方をして、ことばにしたとき、よい詩が生まれる。〜もののよさを引き出すのが詩です。以下略」

とても参考になります。現在こんな姿勢で詩を書いている現代詩人はほとんどいないでしょう。一般の人が詩から離れてしまったのもここら辺に一つの原因がありそうです。高田敏子さんが朝日新聞に詩を連載されていたとき、いつも目が洗われるような思いで愛読していましたが、こういう姿勢で書いておられたのでしょうね。

この『埋み火』では高田敏子さん以外は益田に関係のある有名人です。いい本を出されました。長い間文章を書いているとたくさん溜まります。正式な本にして出版すれば金がかかります。記録として本にして残すことに徹して最小限の費用で実現する。一つの方法ですね。ぼく自身も以前からその点で考えることがあります。参考になりました。

本に定価は書いてありませんが、欲しい人は益田市東町17-15へ問い合わせてみてください。

H25 第25回中四国詩人会理事会

1月12日、岡山市の岡山国際交流センターで、平成25年最初の理事会が開かれました。岡山市駅の西口は整備されてスッキリしました。DSC04299            (岡山市駅の西口)

会議は1時15分から始まりました。議長は島根の川辺さん。山本衛会長のユーモアあふれる挨拶のあと、新役員の承認、香川から新会員の加入(吉本有紀子さん、藤原綾乃さん)の紹介、があり岡山大会の経過報告、会計の中間報告、13回中四国詩人賞の募集、選考委員について話し会いました。
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(岡山国際交流センター)

DSC04308            (事務局長 萱野さんと議長の川辺さん)

今年の大会は香川県で10月5日(土)に開催されます。香川の宮本光さんが挨拶をされました。会場は高松市のリーガホテルゼスト髙松です。

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(次回の大会を案内する香川の宮本さん)

講師は香川の笹本正樹さんへお願いすることに決まりました。笹本さんは香川大学名誉教授、四国新聞の詩の選を長い間やっておられるそうです。翌日は観光ですが、面白い歴史的な場所が見られそうです。

今回の理事会では、会長の任期の問題、詩人賞の選考委員の問題でかなり時間を費しました。一年交替という案もあり、そうすると事務局は毎年代わることになり、対外的に毎年案内をする面倒なことや事務処理に慣れないうちに交替するという問題も生まれます。事務局と理事長は岡山に固定したらどうかという案も出ました。会長問題については岡さん、長津さん、事務局などを中心に検討し次回に諮ることになりました。

会議は5時ごろおわり、新年の懇親会へ参加しました。家へ帰ったら22時過ぎでした。

次回理事会は7月6日(土)です。

H24 第12回中四国詩人会 岡山大会

充実した岡山大会と牛窓の旅     ー第12回中四国詩人会ー                        洲 浜 昌 三

(島根県詩人連合の会報に書いたものです。ここでは写真をつけて紹介します)

平成二十四年度の中四国詩人会大会は岡山市の「ピュアリティまきび」で10月13日に開催されました。岡山駅の改札口で、「中四国詩人会」の看板を持って立っておられた高田千尋さんたちの姿を見て驚くとともに、熱い思いが湧きました。
DSC04048                (蒼わたる実行委員長のあいさつ)
総会には来賓招待の山陽新聞編集局文化部長、毎日新聞岡山支局長、岡山県生活環境部長を含め約80名が出席。岡山からは50名近い参加者で、岡山の詩人の層の厚さと積極的な協力姿勢にいつものことながら圧倒されました。 実行委員長の蒼わたるさんをはじめ27名もの会員で実行委員会をつくり、万全を期して準備されたことが端々から覗える大会でした。
DSC04071       (まきび会館から岡山駅方面をパチリ。大きな建物が解体され整地中でした)

総会は山本衛会長の挨拶のあと、役員や決算、予算を承認し、中四国詩人賞表彰式が行われました。受賞詩集は河邊由紀恵さんの「桃の湯」。選考委員長の井上嘉明さんの評の一端を紹介します。  「独自性のある言語感覚で紡がれた世界に惹かれた。言葉はふくらみを持ち、しなやかで豊かな想像力をひそませ、芳しい匂いすらした」  河邊さんは倉敷市在住、4人の子育てが終わってカルチャーセンターに通い、詩を書きはじめたそうです。「クラゲのように透き通るようなしなやかさの中に、ほの暗い生がどこかで息づいている」感覚的な世界が浮かび上がってきます。
DSC04055                          (受賞詩集から詩を朗読する河邊さん)

自作詩朗読では各県から八人が朗読。島根からは久しぶりに閤田さんが参加し、存在感のある詩「星明かりの道」を朗読しました。  今年の講演は会員で岡山の岡隆夫さんで、「英米現代詩とわたしの詩論」と題して話されました。岡さんは岡山大学名誉教授で、ディキンスン研究の第一人者。今年一月に刊行された「岡隆夫全詩集」は第二十詩集になるというエネルギッシュな実作者でもあります。とても示唆に富む講演でした。特に印象に残ったことを二つだけ挙げてみます。  「リアリズムとモダニズムは日本にはない。いきなりポストモダニズムの波を受けた」  「詩の存立の主な要件ー第一、作品のキーワード(イメージでもいい)がクリエイティヴな想像力によって新たなものに変質しているか。第二、既存の歴史的文化的価値観に新たな理念。第三、前者に相応しい独自の詩型・リズムがあるか」  後半は対談で、相手は岡山の詩人・くにさだきみさん。詩集や評論集が二十冊を越えるというこれまた実績のある詩人。朗読での美事なエロキューションに感銘を受け、明晰で的確なやり取りに知的爽快さを覚えました。後で知れば80歳とか。
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(立石さんの語り「桃太郎」)

アトラクションは立石憲利さんの語りで、「桃太郎」。岡山民俗学会理事長で採集した民話が7000話以上。自ら方言も駆使して「語る」という役者でもあり、表現が巧みで惹きつけられました。後で聞くと、「桃太郎」は時代や地域により様々な要素が加わりそれぞれ違うそうです。  10年前、立石さんの民話を新聞で読み、それをヒントに石見銀山の庶民と重ねて「出口がない」という民話劇を創作し、大森で上演したことがあります。10年たってやっとお礼を言いました。  懇親会は約60名。重光はるみ大会事務長の司会ではじまり、チェロ演奏、高田千壽岡山詩人協会長の挨拶、歓談、最後は中桐美和子大会副実行委員長の閉会のことばまで、あっという間の時間でした。
DSC04079                                          (竹久夢二の生家の前に立つ島根の川辺さん)

翌日は貸し切りバスで竹久夢二郷土美術館、夢二の生家、正富汪洋詩碑、牛窓オリーブ園、牛窓神社を訪ね、牛窓の町を散策しました。
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大会副事務長・森崎昭生さんのガイドで初めて見る風景や名所を楽しみました。瀬戸内海を見下ろす眺望は心身を解放してくれました。  来年は香川県です。香川は会員7名で開催にも苦労が伴うと思いますが、宮本光さんは別れ際に、「ぜひ来てください。歓迎します」と力強い言葉を残して帰って行かれました。
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みなさん、おつかれさまでした。岡山のみなさんお世話になりました。

井上嘉明著 評論『鳥取の詩人たち その他』

鳥取のの詩人・井上嘉明さんが2012年7月に詩の評論集を出されました。258ページ、1500円、発行所は流氷群同人会(鳥取市生山54 井上方 0857-51-8459)。10月14日の山陰中央新報、読書蘭で書評を書きましたので紹介します。井上さんは詩誌「日本未来派」「菱」の同人、文芸同人誌「流氷群」編集同人、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、中四国詩人会に所属、現在は鳥取県現代詩人協会会長です。

 

井上嘉明著「鳥取の詩人たち その他」         隙間を埋める綿密な評伝  

この本は、著者が所属する詩誌「菱」、「日本未来派」や「鳥取文芸」「流氷群」「日本海新聞」などに五十年間にわたって執筆した詩人の評伝や詩人論、詩論などを一冊にまとめたものである。  多数の詩人や詩集が長短様々な評論で取り上げられ、詩人の未知の部分が明らかになり、生き様が浮かび上がってくる。  本は二章で構成され、第一章は「鳥取の詩人たち」で十七本の評論がある。冒頭は伊良子清白。「伊良子清白の岳父・森本歓一のこと」「清白の義母しまとその周辺」「清白と千代川」「清白終焉の地へ」など。

清白は詩集「孔雀船」で有名な詩人。明治十年鳥取市河原町で生まれ、生後母と死別、義祖母に預けられ、九歳のとき医者の父と大阪へ移り、京都医学校を卒業。その後は横浜、大阪、島根(浜田)、大分、台湾、三重県と漂白を余儀なくされた。著者は清白の家族関係や土地との関係を綿密に調べ、足跡をたどり、終焉地の大紀町を訪ねる。清白に関しては多くの著書があるが、欠落していた細部を埋める貴重な評論である。

つづいて「尾崎翠と高橋丈雄の周辺」「尾崎放哉と定型詩」。山下清詩集「白銀の大山」、清水亮詩集「軍歌時代」、田熊健、小寺雄造の詩人論。いずれも端正な筆運びで詩の特徴と詩人の拠って立つ基盤を浮き彫りにする。

第二章は二十本の評論や詩論から成る。「朔太郎と〈防火用水〉」「三好達治と〈馬〉」「金子光晴と〈水〉」、さらに中野重治、木原孝一、石垣りん、田中房太郎、西岡光秋、などの著名な詩人たちの面白いエピソードや著者との交遊などが伸び伸びと書かれ楽しい。

この章の最後には「戦後詩に出会うまで」「詩とカフカ」「あるがままの〈物〉」など著者自身の詩歴や詩論などが置かれている。どのように詩と向かい合ってきたか。十冊の詩集がある井上詩の核が垣間見える。

あちこちに書かれた貴重な評論をまとめて読めるのはありがたいことである。   (日本詩人クラブ会員 洲浜昌三)


2012年10月、中四国詩人会・岡山大会で、中四国詩人賞選考経過を発表する井上さん。受賞は岡山、河邊由紀恵さんの詩集『桃の湯』。とても深い読みでしかも的確な評価を端的に紹介されました。河邊さんの詩集についてはこのブログでも紹介しています。

岡山大会についてはそのうちこのブログで紹介します。

方言詩 「水車」

水 車

洲浜昌三

中国山地の中の小(こ)まぁ盆地の村だったが
亀谷川が流れとって どの家にも水車があった
近くを通りゃ ばしゃばしゃばしゃばしゃ
水の音がして ギーコトン ギーコトンちゅうて
ひんごて杵(きね)の音がしよった

うちの下(しも)の井坂にゃ大きな水車があって
商売にしとりんさった 可部広屋の水車ぁ水の
勢いが強かったけぇ速かった
田んぼの中の谷田屋のはゆっくり回っとった
山裾の上新屋(うえにいや)のは道のすぐそばにあったけぇ
小屋の中ぁ見るんが楽しかった
紺屋(こうや)にゃなかったが近くの上新屋のを
使わしてもろうとりんさった
熱田屋(あつたや)は本家の袋地(ふくろじ)の大きな水車と一緒だった
富屋にも前新屋(まえにいや)にも新屋(しんや)にも
川手屋にも立派な水車があった。

なんでか知らないけど 植田屋と隣の高畦(たかぜ)にはなかったので
よその水車でついてもろうた
植田屋の子のぼくは
貧乏だけぇ水車がないんだと思うて寂しかった

石見方言です。方言は文字に書くと大事なものがほとんど消えてしまいます。
ぼくが生まれた邑智郡瑞穂町下亀谷の昔の風景を思いだしていたら、水車が
が浮かんできました。ほとんどの家に水車があったことに気がつきました。
ちょっとした工夫でまた水のエネルギーなども利用したいものです。

みどりの風景の中に 石見特有の赤瓦が映えています。田んぼの中を一本道が通っていました。
「中道路」と呼んでいました。右側の家は「谷田屋」その奥が「上新屋」です。ぼくが生まれた
「植田屋」は左側ですが、見えません。わら屋根の家は解体され協和建設の事務所と仕事場が
建っています。右の山は「二つ山」鎌倉時代の古城跡が残っています。
子どもの頃はこの集落一を週して走りっこをしたものです。

短詩  「夢のデパート」さんのあ

夢のデパート

洲 浜 昌 三

本棚を整理していると
「文集アソカ」が何冊も出てきた
四十五年間 幼稚園で発行されつづけた
親と先生と子どもたちの思い出の記録集

「夢と思い出」のページに
「行きたい所はどこですか」という質問があり
「さんのあ」
とたくさんの子どもたちが答えている

ノンちゃん
その「さんのあ」がなくなるよ

地下一階 地上四階 屋上
市内唯一の立体駐車場

大田の中心街に堂々と建っていた「さんのあ」
ぼくらがフランスのパリへ憧れるように
行ってみたい夢の場所だったんだね

昭和49年に開業以来 ピーク時には四〇億円の
売り上げに達したが 郊外型の大型ショッピング
センターができて以来 売り上げが激減 負債総
額は約十五億円

と新聞にある

子どもたちの
夢を育ててくれたアソカがなくなり
子どもたちの夢だった「さんのあ」も消えていく

大田市文化協会が発行している「きれんげ」という会報があり、俳句、短歌、川柳、行事、石見銀山の歴史、人物・サークル紹介など多彩な記事を載せています。A4版でページで年3回、約1000部発行され好評です。他市の文化人から「格調の高いいい会報だ」と言われたことがあります。

10年くらい前から編集委員会に依頼されて短詩を書いています。詩人だけが読む詩の同人誌や詩集と違い、詩なんかほとんど読んだことがなく、難しいと敬遠している人たちが大多数ですから、分かりやすくて心に響くような詩を書いてきました。もう30編以上になります。一般の人を対象にした冊子に、詩を載せてくれるような編集者はまずいません。それを思うと、この場を提供してくださる編集者に感謝し頑張って書いています。

アソカ幼稚園が発行していた卒業記念文集に、「一番行きたいところはどこですか」という質問があり、多くの園児が「さんのあ」と答えていました。それがとても印象に残っていて、この詩が生まれました。以前は「さんのあファミリーデパート」が大田市唯一の何でも売っている店でした。都会に出て行った人たちに、「さんのあが倒産したよ」といえば、きっと大田が真っ暗闇になるようなショックを受けることでしょう。

「さんのあ」は今の時点(平24,8,8)ではまだ建物は建っています。看板などが危険なので市が予算をつけて取り外す、という記事がでていました。利用の計画はないようですが、解体すれば大金がかかります。どうなるのでしょう。グロウバル化の流れで規制が緩和され、大型のショッピングセンターが郊外にでき、市内の店は崩壊していきます。同時に古い日本人の美徳や価値観も崩壊していきます。合理的、自由経済、便利、利益などを第一に優先すれば反面で失われていくものもあります。そういう批判の目も密かに隠してある詩です。

さんのあ解体中 (1)これはなんでしょう?解体中の夢のデパートです。
さんのあのあとにグッディこれは何でしょう?解体された夢のデパートの跡に誕生した「グッディ」です。(2016,3,8)

 

 

河邊由紀恵詩集「桃の湯」 第12回中四国詩人賞

2012年6月30日、岡山の国際文化センターで第24回中四国詩人会理事会が開催されました。役員移動や会計報告などのあと、鳥取の井上嘉明選考委員長から、第12回中四国詩人賞の選考結果が発表されました。受賞は岡山の河邊由紀恵さんの詩集「桃の湯」です。受賞式は10月13日に岡山の「ピュアリティまきび」で開催される岡山大会の総会で行われます。

「桃の湯」はとても豊かな感性にあふれた詩集です。難しい言葉はありませんし読みやすい詩ですが、理解してもらうことを意図した詩ではないので、感覚でどのように受け止め感じるかがポイントです。

固有名詞や具体的な名詞や具体的な行動が出て来ますので、それを杖にしてついていくと予期しない抽象的な場所に連れ出されています。その場所がどこなのか。実際にあるのか。ありそうな懐かしい場所なのだがはっきりしない。作者はしなやかな表現で、飛躍の多い行換えや、遠いイメージの連などを自在に挟んで、読む者の想像を喚起し揺すり迷路へ誘い、どこまでも拡げていきます。

形容詞や副詞などの表現がとてもユニークで、霧のような、軟体動物のような、液体が流動しているような、境界がとろけていくような、何ともいえないさわやかな空気や色気や触感、感覚を生み出しています。不自然さがないのであまり意識しない人もあるかも知れませんが、意図的に使われていることは確しかです。

詩集は次の20編から成り立っています。

冒頭は「母の物語」、途中に「妹の物語」、最後は「祖母の物語」。それぞれ散文詩ですが不思議な世界へ迷い込みました。他の詩はこの3作品のサンドイッチになっていますが、ここにも作者の意図を感じました。

この詩集は2011年5月に思潮社から出版されています。定価は2400円+税です。

10月13日の中四国詩人会 岡山大会では、岡隆夫先生の講演「英米現代詩と私の詩論」と共に、くにさだきみさんと岡先生の対談も行われます。おもしろい話しが聞けそうで楽しみです。

各県代表による詩の朗読もあります。島根は閤田真太郎さん、鳥取は花房睦子さん、山口は竹原よしえさん、広島は長津功三郞さん、香川は宮本光さん、徳島は堀川豊平さん、高知は小松弘愛さん、岡山は武田利さん、則武一女さん、以上が現時点では予定されています。

アトラクションでは立石憲利さんの「民話の語り」があり、これまた楽しみです。

平24 県民文化祭「島根文芸」作品募集

2012年度の島根県民文化祭の一環として実施される文芸部門の作品募集がはじまりました。
7月2日から9月3日までです。入選した作品は「島根文芸」45号に掲載されます。ジュニア-の部もあります。小学生、中学生は募集要項を見たりするチャンスはありませんし、自発的に作品を書くことはまれでしょうから、学校の先生や親など身近な人たちがすすめてもらいたいものです。学校単位で応募するケースも増えています。是非参加してほしい。

 

県外に住んでいる人でも、島根出身者なら応募できます。
毎年表彰式やその後の詩の会に出ますが、詩の応募は30~40作品が最近の例です。昨年度は珍しく高校生や高専の学生さんが上位にたくさん入選されました。