「昌ちゃんの詩の散歩道」カテゴリーアーカイブ

H26 14回中四国詩人賞、御庄さん高田千壽さんへ

2014年の中四国詩人賞選考委員会が平成26年7月5日、岡山県国際センターで開かれ第14回詩人賞に御庄博実さんの詩集『川岸の道』(思潮社)と高田千壽さんの詩集『冬に』(本多企画)に決まりました。13詩集が対象でした。選考委員は川辺真、くにさだきみ、田尻文子、橋本果枝、扶川茂のみなさんでした。選考結果は午後の理事会に報告され承認されました。

受賞式は9月27日に尾道で開かれた総会で行われましたが、残念ながらすはまくんは「しまね文芸フェスタ2014」の前夜祭とぶつかり、出席できませんでした。中四国詩人会ニューズレター36号から二人の詩人を紹介します。

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御庄博実氏は、1925年3月5日山口県生まれ、〒731-0154広島市安佐南区上安1-21-51に在住。 岡山大学医学部卒業、広島共立病院名誉院長、日本現代詩人会員等、「火皿」等同人、中四国詩人会長2期4年。詩集に『岩国組曲』(文芸旬報)、『御庄博実詩集』(思潮社)等多数あり、他に石川逸子氏との合同詩集がある。

被爆地・広島から歴史の証言者として発信し続けてこられた御庄さんの詩魂が、東日本大震災による被災地の惨状や原発事故による放射能汚染の恐怖に共振して結実した作品など、重層的な告発の詩句がしっかりと立ち上がってくる詩集である」

この詩集をいただいたとき、礼状へこんなことを書きました。「~いつも変わらぬ冷静な科学者の目、そしてその奥に脈々と流れるヒューマンな心の温かさ、そして長いスパンで見通される歴史の目、心、知性・・・身を正しながら拝読させていただきました」

誠に誠に残念ながら、御庄先生は1月18日89歳で他界されました。昨年末にいただいた最後の詩集『燕の歌』をそのうちここで紹介します。

「高田千尋氏は、1948年3月15日倉敷市生まれ、〒712-8011倉敷市連島町連島983に在住。立命館大学卒業、前岡山県詩人会長、日本現代詩人会員、日本詩人クラブ会員等、「黄薔薇」等同人。詩集に『夕映えの川』(手帖舎)、『お母さんは二人』(青樹社)等多数ある。

視線が届く範囲のあらゆるものたちに心の声を掛けることで反射してくる、様々な生の不可思議や感動、悲しみを、慈愛の瞳と掌で受けとめた作品たちは互いに響き合い、魅力的な詩集となった」(以上ニューズレター36号より、選考委員長 川辺真)

高田千壽さんの「冬に」を贈っていただいて読んだとき、不思議な感覚に襲われました。そしてこんな事を書き添えました。「平田オリザさんの劇を『静かな劇』ということもありますが、この詩集の第一印象は『ああ、静かだな』ということです。人間が余分なことをしたり考えたりしなければ、在るものはすべて静かに存在しているのかも知れませんね。自己主張こそ存在意義-という時代にあって、高田さんの詩は、物足りない気はするものの、とても大きな主張をしている気がします。とても貴重です~」

二人の詩人の詩を読みたい人は次をどうぞ。さらに読みたい人は出版社か高田さんの場合は本人へ問い合わせてください。
14回中四国詩人賞 御庄・高田さんの詩

H26,11 『山陰詩人』200号記念特集号発行

2014年11月15日、『山陰詩人』が発行されました。78ページ、200号記念特集号です。特集としての企画は、同人の既刊詩集から数編を選んで掲載したことや、同人からのメッセージです。
H26 「山陰詩人」200号
過去の詩集から本人が自分の詩を自選するというのも面白い試みです。一度詩集になったり、同人誌に載ったら、二度とその詩は誰にも読まれないという場合が多いものです。それだけ詩に期待されていないともいえます。

しかし、時代に埋没せず普遍性があるいい詩は、多くの人に読んで欲しいものです。その努力を編集者や詩人は忘れています。そういう意味で、意義のある企画だと思いました。

(劇研空では、いつか「朗読を楽しむ」で「島根の名詩特集」をやってみたいと思っています。過去のいい詩を選んで朗読、冊子にしてまとめたい)

「山陰詩人」は1962年(昭和37)に創刊されました。松田勇さん、帆村荘児さんが中心でした。残念ながら2人とも故人になられました。

昭和42年に田村のり子さんが編集者になりました。まだ若かったのですが力量を評価されてのことです。45年間、最後まで季刊を厳守、批評眼や発言力もある名編集者で、195号まで180余冊発行されました。いろいろな事情から編集を下り、196号からは川辺真、岩田英作さんが編集を担当して200号に至りました。

196号には田村さんの「今こそ世代交代のとき」と川辺さんの「山陰を愛する心を育む」が載っています。編集者の考えがよく出ていて面白く読みました。

200号の目次です。

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島根で発行されている詩誌は他に『光年』(昭和37年創刊)があり、147号まで発行されています。『石見詩人』(昭和31年創刊)は昨年秋に133号が発行されました。この号数を見ると、『山陰詩人』がいかに確実に発行されてきたかよく分かります。

読みたい人は県内の図書館にもあります。どうぞ手にとってみてください。
発行所:692-0014 安来市飯島町1842 山陰詩人グループ 川辺 真

H27 『郷土石見』40周年記念97号発行

2015年1月1日付けで、『郷土石見』97号が発行されました。創立40周年記念号です。創刊の時から石見の錚錚たる歴史研究家や愛好家が執筆してこられましたが、一度も廃刊の危機を迎えることもなく定期刊行を厳守して来られました。

各号とも郷土の歴史の発掘や、紹介、研究、随筆など、とても充実しています。千部以上発行されていると聞いたことがありますが、石見だけでなく大阪、東京などにも愛読者や執筆者がおられます。経費負担なしで原稿を掲載してくれる雑誌などちょっとそんじょそこらにはありません。会長はじめ編集者の識見の高さや経営の手腕など敬服します。
H26 「郷土石見」97号

目次だけでも紹介しましょう。
DSC06266読みにくいですね。何となくわかるけど、見ていると目がふらふらしてくる。

ぼくは創刊号から愛読していますが、創刊は昭和51年2月です。会長の原 龍雄先生が「創刊のことば」を書いておられます。その中に、「石見の地は古来幾多の偉大な先哲を輩出しています。文化的にも中世、近世を通じて決して後進地ではなかった。しかしそうした貴重な遺産も高度経済成長とその逆流として過疎化の渦の中にいま埋没しようとしているかに見える。今こそ「郷土石見」の心を再発見しなければならぬ時です」と書いておられます。

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更に、次のようにつづけておられます。「学問に王道はない。いかに高名で権威のある人が到達したものでも、新たな角度から見直すならば、その人が到達することができなかった境地にたつことができる。それほど、後世のひとはおそるべき力をもつものである

正にそうですね。工藤忠孝先生が編集後記を書いておられます。みな見識のある地道で誠実な歴史の研究者でした。
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石見のことを書く時には、この本を読むと大変助かります。節目毎にバックナンバーの項目をまとめておられるので、とても便利です。97号でも「人麻呂」「鴎外」「抱月」「石見銀山」「わが町」などとテーマ毎にバックナンバーの論文やエッセイがまとめてあります。ちょこっと本棚を覗いてパチッとしてみましょう。・・・・パチッ!

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スハマクンは創刊号からの熱心な愛読者ですが、一字も書いていません。声を掛けられたことがありましたが、歴史の素養もない素人が書いて、本の価値を落としてはいけないと思ったことと、文芸雑誌ではないので、詩や小説、戯曲は対象外だと思って遠慮していました。しかし郷土の歴史を素材にした詩や戯曲は意味があるのではないかと、ある時、ふと思ったことがあり、そのうちいつか…いつか、いつかな?いつかわかりませぬが初登場するかもしれません。なにしろ読者が多く信頼がある本です。1200円です。興味がある人はどうぞ。
石見郷土研究懇話会事務局 :697-0034 浜田市相生町2139-15 児島俊平方
tell 0855-22-2567

 

 

 

 

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H26 「島根文芸」42号 12回県民文化祭文芸作品集

2014年度の県民文化祭文芸部門の行事は終わりました。今年度は川柳部門が担当で竹治会長を中心に大田での文芸フェスタを行いました。また短歌、俳句、川柳、詩、散文を公募し、入選作品と選評、招待作品を掲載した「島根文芸」42号が刊行されました。この本は千円で、希望者は購入することができます。表紙を紹介します。立派な本です。
H26 「島根文芸」

12月14日に松江で表彰式が行われました。表紙の写真は海士町後鳥羽院資料館にある後鳥羽天皇像です。今までの表紙には、小泉八雲、森鴎外、柿本人麻呂の表紙もありました。島根は中央から遠い僻地ですが、文学では日本を代表する人物がいるのですね。こうして表紙になると、改めて島根を見直します。来年は誰でしょう。

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上の写真は詩部門の入賞者へ賞状授与が行われているところです。表彰式のあとは各部門に分かれて入賞作品の合評会が開かれました。

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詩の応募作品は年々減っています。ぜひ多くの人に参加して頂きたいものです。小中学生の場合は自分から応募することはまずありません。学校の先生や親、地域の指導者の声掛けや指導によって応募することがほとんどです。

その点では、学校で読み聞かせをしておられる出雲市の金築雨学さんの指導は大変参考になります。今年も一年間指導されて、冊子にまとめられた作品集を送っていただきましたが、感服しました。

今年度は詩の選考を川辺、有原、洲浜の三人で行いました。選評も書きましたので参考までに紹介します。どんな批評をしているか関心があれば開いてみてください。

H26 選評 「島根文芸」2014 詩部門

来年度(2015、平成27)は詩部門が担当です。文芸フェスタでは詩の講師を呼ばなければいけません。目下、念願の大詩人に当たっています。ほぼ実現しそうです。名前を聞いたら、行きたい!という人がたくさんいることでしょう。楽しみです。会場は松江の県民会館の予定です。

 

「山陰文藝」創刊20周年記念40号刊行

「山陰文藝」は1995年(平成7)6月に創刊号が出ました。以来、年2回の刊行を厳守し2014(平成26)11月、40号を刊行し記念行事を開催しました。11月3日、県民会館中ホールで東京大学名誉教授、平川祐弘先生の講演が開かれました。

ラフカディオ・ハーン没後110年シンポジューム・「文明の混沌とハーンの立場」と題した講演で、ハーンの女性観を様々な資料を示しながら話されました。とても面白く聞きました。講演のあとは山陰文藝協会会長、池野誠先生との対談がありました。

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夜には祝賀会が開かれました。

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「山陰文藝」がここまで続いたのは先ず第一に池野会長の方針と実行力、それに事務局長が几帳面に仕事をされたことが上げられるかと思います。ぼくは1号からの会員で、当初は理事も務めていましたが、いろいろ考えることもあり、さらに詩人連合との関係で仕事がダブることが多く、責任が果たせないので、今は一般会員です。会員は150名ばかりいます。年会費4000円を負担し、作品も掲載料を負担して誰でも載せることが可能です。大作や力作も毎号あります。

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目次を紹介します。小説、随筆、短歌、川柳、俳句、詩などあらゆる分野の作品がある総合文芸誌です。門戸を広く開いたことが成功したと言えるでしょう。普通は厳しい基準や文学観などに縛られて、気楽に参加出来ないというのが同人誌です。
1 2 31冊千円です。発行所は次の通りです。

690-0031  松江市山代町325-6 山陰文藝協会
編集・発行人 池野 誠

どうぞ気軽に参加してください。

 

 

H26 しまね文芸フェスタ’14(大田)

2014年度のしまね文芸フェスタは、大田市のあすてらすで9月28日に開催されました。午前中は、児童文学者、童謡詩人の矢崎節夫先生の「みんなちがって、みんないい」と題した講演がありました。ホールはほぼ8割の入りで、情熱を込めた先生の話に耳を傾けました。

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金子みすゞの文学的な側面よりも、生き方や、現代との対比、道徳的な側面に力点を置いた講演でした。現代の社会や人間関係などに危機感を覚えておられることや、参加者が高齢者という配慮があったのではないかと勝手に推測しました。

前日の夜には前夜祭として歓迎会が行われ、大田市教育長、文化協会会長なども参加され、楽しい歓迎会になりました。アトラクションとして大田の女性天領太鼓のみなさんの熱演もありました。文芸協会会長・川柳協会の竹治さんのサービス精神の発露とでもいうところです。行き届いた配慮があちこちにありました。

 

劇研空は平成5年に「詩の朗読と語り劇」を開催し、金子みすゞの詩の朗読や歌を取り上げました。その時、矢崎先生の著作がとても参考になったことを、歓迎会の席で述べました。当時は金子みすゞが世に広く紹介される一歩前のころで、大田市内で名前を知っていた人はわずかだったと思います。金子みすゞが世に広く知られるようになったのは、ひとえに矢崎先生の功績です。

紹介記事を読んでいたら、矢崎先生は、早稲田の大学生のときから「まど・みちおに師事」と書いてありましたので、そのことも尋ねてみました。8月30日に、劇研空でまど・みちおの詩の朗読をやったことも話しました。不思議なつながりを感じました。

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午後の分科会で、詩の部門では約10名参加しました。洲浜君が、郷土の詩人として、石村勝郎さんの詩歴を紹介し、石村さんの詩を朗読しました。そのあと、参加者が詩を朗読、感想を述べ合いました。久しぶりに小林さんも参加され、とても良い詩を書いて朗読されました。隠岐の流人を書いた詩で、今までにない洗練されたスタイルで、早速石見詩人への復帰の手紙を書き、OKの返事をいただきました。石見詩人は11月初旬が〆切です。

 

さてさてさて、来年は詩部門が担当です。講師に誰を呼ぶか話し合いました。びっくりするような大物詩人を考えています。可能性も大いにあります。誰かって? それは・ひ・み・つ・top secret でーす。

H26 「現代の風刺25人詩集」コールサック社より刊行

2014年8月、コールサック社から「現代の風刺25人集」が刊行されました。

「船頭さーん、どこへ行くの?方向が違うんじゃない?」と思っても、船頭さんは自信を持って船を漕いでいます。風通しの悪いもやもやした船室にいて狂いそうな人もいます。

そんなとき、風がサーッと流れ、一瞬スカッとするような詩や、面白くて思わずニヤニヤするような詩もたくさん載っています。

現代詩が詩人仲間だけで読まれている現在、一般社会との分厚い壁に風穴を開ける貴重な企画から生まれた詩集です。

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この詩集が紹介されているチラシの一部を見てみましょう。有馬さんの文章です。
序文

25人の参加者は次の通りです。

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ぼくは、今までに風刺を意識して書いた詩は数編しかありません。ここに載っている5編の詩も、風刺を書こうとしたわけでは全くありません。人間を書こうと思って書いたのです。同時に、社会の中で生きる人間のつらさ、苦しさ、面白さ、怒り、などが自然にユーモアになっていたり、それをは意識した面はあります。

誘いを受けたとき、ちょっと驚きました。「風刺詩を書いている詩人として見られていたのか!なんで?なんでかな?」有馬さんが編集者へぼくの名前を挙げられたそうですが、なぜ?と一瞬不審に思いました。そして、「ぼくの詩のユーモアを認められたのかな」と思い少し納得しました。ユーモアと風刺は背中合わせみたいなところがあるからです。

ある人に贈呈したらたくさん感想が返ってきました。その中に、「編集者がすべての詩を丁寧に読んで感想を書いて紹介しおられるのに感心しました」、というのがありました。それはぼくも同感です。実によくその詩の特徴を掴んで的確に批評しておられます。佐相さんと鈴木さんです。忙しいのによくもここまでやられたものです。

ぼくも自分の詩の批評を読んで、とても感じ入ることがありました。これを読んだとき、参加した甲斐があった、と思いました。編集者のひとり、佐相憲一さんの文章です。

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この詩集のために作られた詩は少なく、大部分の作品が過去の中から自薦されたものだと思います。風刺だけを狙って意図的に書いたら、もっと強烈な詩集になったかもしれません。と思うと同時に、一色ではなく、多種多様な詩があるからいいんじゃないか、とも思いました。

 

 

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H26,7/21 米子市で永井ますみさん 詩の朗読

神戸在住で米子出身の永井ますみさんの「詩の朗読とギターのコラボレーション」が7月20日(日)米子エムスリーカルチャースクエアーで、21日は鳥取五臓圓ビルで開催されます。どちらも15時~と19時からの2回です。

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永井さんには『弥生の昔の物語』という詩集や『弥生ノート』というエッセイ集があり、ふるさとの米子の弥生時代をテーマにした作品があります。毎月神戸から研究会に通ったそうです。今回の朗読は『妻木晩田物語』というタイトルの弥生の壮大な叙事詩です。

次のチラシは5月に行われた「詩とギターの夕べ」です。とても好評だったそうです。

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永井さんの詩の朗読には定評があります。昨年、しまね文芸フェスタで詩の分科会に京都の有馬さんと一緒に来られて朗読されました。発音が明瞭、微妙な表現もできる技術を見につけておられます。ギターはスペインへ留学しヨーロッパで数多くのリサイタルを開いて来られた門脇康一さん。

希望される方には永井さんへ連絡をとります。若干割り引きがあります。興味のある人はどうぞ。

 

9月15日に妻木晩田遺跡公園にある弥生会館で、永井さんの詩の朗読があり、はるばる大田からでかけました。淀江町を車で走り、妻木晩田遺跡の高台に上がって眺めると、日本海が見えます。4世紀ころは多分今の平野は日本海の湾だったことでしょう。大陸の文化が直に入ってくる点では、出雲と同様です。当時は日本の文化の最前線だったのではないでしょうか。

永井さんの詩の朗読を風景写真で紹介しましょう。場所としてはとても風情のある場所です。

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永井さんの朗読は発音がとてもきれいで、可愛いらしい声が魅力的です。かなり朗読の修練をしておられますので、表現力もあります。ぼくらも劇研空で詩の朗読を今までに何度もやりましたが、詩だけの朗読で一般の人を引き付けるのには無理があります。音楽や朗読劇などとうまくコラボレーションしないと単調な時間になってしまいます。今回はギターと解説のコラボでした。直前にぼくらも大田市民会館で「朗読を楽しむ」を開催したばかりでしたので、詩の朗読について、朗読のプロデユースの仕方などについて、いろいろ考えました。

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永井さんには10冊以上の詩集があります、「愛のかたち」では富田歳砕花賞を受賞しておられます。全国の詩人や詩の朗読会をたずねて、詩人の詩の朗読を記録してDVDに編集しておられます。いままで2度島根に来られたとき、洲濱君の詩の朗読も撮影されました。次の詩集やエッセイはここ数年に寄贈を受けたものです。

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詩 娘たちの「銀山巻き上げ節」

娘たちの「銀山巻き上げ節」
              ー石見銀山考ー                   洲 浜 昌 三

石見銀山で働いていた女性に会いに行こう  と誘われ
老女を訪ねたのは四十年前
娘のころ柑子谷の永久鉱山で働いていたという

地下三百メートルの立坑の座元から
鉱石が入った重いバケットをロープで引き上げる
若い娘が四人で 歌を歌いながら巻き上げたという

「歌ってくれませんか」というと
小柄な老女はニッコリ笑って歌いはじめた

仙の山からよー 谷底みればよー
捲いた まーたぁ 捲いたの アーヨイショ
アー声がするよ アーシッチョイ シッチョイ

娘のような声に乗り
歌は伸びやかに流れた
全身を使う厳しい労働なのに
どこか華のあるゆったりとした労働歌

三十五番のよー 座元の水はよー
大岡 まーたぁ 様でも アーヨイショ
アー裁きゃせぬよ アーシッチョイ シッチョイ

首に豆絞りの白い手ぬぐい
絣筒袖の着物に 赤い腰巻き
足には脚絆と藁の足半
巻き上げは若い娘の仕事だった

元の歌にはこんな歌詞もあったという

三十五は番よー この世の地獄よー
行かす まーたぁ 父さんは アーヨイショ
アー鬼か蛇かよー アーシッチョイ シッチョイ

過酷な労働だったのに
伸びやかで美しいメロディ

昭和18年の大洪水で再開発中の夢も砕かれ
六百年つづいた石見銀山の歴史が終わり
労働者で賑わった仁摩の街も寂れていったという

石見銀山を素材にして書いている「石見銀山考」の一篇です。「花音」の40周年記念コンサートのために鍵盤男子の中村匡宏さんが合唱用に曲を作らましたので、参考になるかもしれないと思い、載せてみました。この詩は大田市文化協会会報誌「きれんげ」と『中四国詩人集』にも載っています。

昭和48年頃、石見銀山の永久鉱山(仁摩側)で働いておられた人に話をうかがいに行きました。ぼくはテープに録音しました。しかしそのテープを捜してもまだ見つかりません。ぼくも若くて、価値をあまり意識しませんでしたが、時とともに価値が増して行きます。必ず捜します。

どのような動作で仕事をしたのか。想像はできますが、具体的に知りたいものです。労働歌ですから、それによって元の歌のリズムもわかってきます。ぼくの想像では、現在の歌い方より、もっと力強くて素朴な歌い方ではなかったのかという気がします。)

 

H26 熊井三郎詩集『誰か いますか』

島根県詩人連合は会報を発行しています。5月に76号がでました。今号では、閤田真太郎さん有原一三五さん、有川照子さん、井上祐介さんたちの詩と、群上健さん、栗田好子さん、槇原茂さんの随筆があります。

会員の詩集紹介として、渡部兼直さんの『渡部兼直全詩集』と有原一三五さんの詩集『酊念祈念Ⅱ』、成田公一さんの詩集『女たちへ』を紹介して、詩集の中から一篇を載せています。【最近読んだ詩集から】という連載コラムがあり、スハマクンが熊井三郎さんの詩集の感想を書いていますので紹介します。この会報は希望があればお送りします。

【最近読んだ詩集から】

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   独立した詩精神のさわやかさ       ー  熊井三郎詩集『誰かいますか』ー     洲 浜 昌 三

多くの詩が時代の状況に埋没している感がある中で、この詩集の言葉は状況や素材から起立している。この「自由な闊歩」が痛快でとてもさわやかだ。

熊井さんとは一、二度会ったことがあるが、もう四〇年くらい前のことだ。松江へ赴任してきて、文学の会合で一緒になった。弁も立ち、論旨明快、発声明瞭、言行一致、実行力もあり頼もしかった。同年生まれで、時代感覚が合う面もあり、時間を忘れて話した記憶がある。

いつの間にか松江から消え、「山陰詩人」で時々詩を読むだけになった。骨組みが覗き肉が薄い風刺詩も多かったが、タンカを切ったような潔よい詩を楽しみにしていた。  その後、奈良に居を構えた熊井さんとは年賀状のやりとりだけで、会ったことはない。

今回の詩集は処女詩集だという。熊井さんらしい。それが壺井繁治賞を受賞し、小熊秀雄賞候補にもなった。  三六編の詩は三つのパートに分けてある。最初は、身辺を素材にした温かく人間味にあふれた詩で、「父の贈り物」「約束の春」など不意に胸に迫ってくる感動がある。

しかし、一般的な意味の感動を期待して書いた作品はほとんどない。客観的な事実を並べ、積み上げてストリーを展開し、その中で、風刺や言葉遊び、比喩、意表を衝く逆転、告発、戯画化などで読者を引き付け、楽しませ、怒りや共感を呼び起こし、ふとした隙間から温かく感動的な風景が見えてくるという仕掛けです。

第二のパートでは、大阪弁を生かした言葉遊び軽口、毒舌、風刺を駆使した詩が楽しい。夜間識字学級の先生に三行以内の詩を頼まれて書いたという詩の一部を紹介しょう。
「馬くいかへんのよ/牛ろむきになるなよ/熊ったら言って来いよ」
「いつまで猫ろんでるの/ぼちょぼち犬わよ/蛙んやったら亀へんよ」

ばかばかしい駄洒落と思いながら、感心し、一本取られ、楽しんでいる自分がいる。

最後のパートは時代的、社会的、思想的に厚みと重さのある作品が中心になっている。「七十年目の証言」では中国大陸へ従軍した元兵士の残酷な事実が語られる。
「男がおったらすぐボンとやるわね/男はみな敵やからね」(略)「ひとりの兵隊が籠の前に立って/なにするか思たらションベン始めよった/泣いてる赤ちゃんの口めがけて/じゃあじゃあとね/やめたらんかいとわし言いたかったけど/みんな見て笑(わろ)とる」。強烈です。

最後の詩・「誰か いますか」は詩集のタイトルになった詩で、夢と希望の光が射してきます。  「俺たち隊員は 外国語が必修だ/韓国語 中国語 タガログ語」。国際災害救助隊員になって困った人たちを助けに行き、災害で閉じ込められている人へ言うのだ。
「誰か いますか/返事をしてください」

フィクションですが、現在進行中の海外で戦争ができる自衛隊へのアンチテーゼであり、同時に人間性豊かなアウフヘーベンでもある。

ーこの詩集をわが詩業のこよなき理解者にして協力者たる妻に捧げるーと冒頭にある。

ボクへノフウシ?
ノーノー。これは詩に非ず。献詞なり。論旨明快、発声明瞭。ここにも感動しました。
(詩人会議発行)

(紹介したい詩集はたくさんありますが、暇がありません。島根県詩人連合会員の詩集は優先的に、と思っていますが、まだの詩集が数冊あります)