「昌ちゃんの詩の散歩道」カテゴリーアーカイブ

R2,石見で発刊された個人詩集17冊(2020~2010)

「石見詩人」編集者の高田頼昌さんが、「石見から続々個人詩集発刊」というタイトルで山陰中央新報(4/15)の文化蘭へ寄稿されましたので紹介します。ここでは、井下和夫、洲浜昌三、くりす さほ、栗田好子、椋木哲夫、中村梨々、6名の最近の詩集を取り上げてコメントしています。

ついでに過去の詩集をまとめておきたいと思い、書棚から過去10年分の石見で出版された詩集を年代順に一覧表にしてみました。どの詩集にも素敵な詩があります。各詩集から1,2編選抜してアンソロジーをつくれば、面白い詩集ができるけどなぁ・・・・(沈黙は何を暗示してるのか?)。

発行年月と題名などを一覧表にしてみました。
10年間で、石見で出版された詩集 17冊(1920~2010)

表紙も紹介します。詩集によっては、「詩の散歩道」で書評を載せているものもあります。

つづいて少しづつ整理していきたいと思います。連日、暑い日が続きます。畑の水遣りも手が抜けません。今日は大田准看護学校の英語授業の初日でした。大田準看も今年度で閉校です。18名の男女の皆さんが、熱心に授業に受けておられます。石見は感染者ゼロ行進中ですが、マスク着用、机の間隔確保、手洗いや三密を守っています。感染者ゼロこそ免疫がないから恐ろしい、と言われれば、なんとも、返す言葉がありませぬ。
(ブログ 詩の散歩道 詩集や本の紹介 石見の詩集 洲浜)

R2, 野口やよい詩集『天を吸って』(第30回 日本詩人クラブ新人賞)

日本詩人クラブ三賞(日本詩人クラブ賞、新人賞、詩界賞)が2月16日の第三回選考会議で決定し、「詩界通信」90号で選考経過などが掲載されました。東京の早稲田奉仕園で開かれた新人賞選考会には、7人の選考委員の一人として、はるばる島根から出席しましたので紹介してみます。

全国の会員などの投票や推薦で14冊が新人賞候補になっていて事前に何度も読んで出席しました。選考委員長は谷口ちかえさん、委員は草野早苗、秋山公哉、塩野とみ子、草薙定、庄司進のみなさんと洲浜昌三。皆さんの詩集に対する受けめ方はとても参考になりました。
「詩界通信」では選考委員全員の感想が掲載されていて学ぶところが大いにありますが、ぼくの箇所を紹介してみます。
途中切れですので、続きはPDFでどうぞ。字数が限られていて感想のほんの一端です。
R2 選評所感 「日本詩人クラブ新人賞」20200306 「詩界通信」90号へ
中村不二夫さんには20年ぶりにお会いしました(平成20年に島根文芸フェスタ講師にお招きした)。理事長の佐相さんには2年ぶり。21時ごろ帰るとき地下鉄の早稲田駅まで送ってもらった。東京での詩人クラブの会合には初めての参加です。近くなら度々参加して多くの詩人と知り合いになり、学ぶことも多いことでしょうが、なにせ大田と東京は距離も心理的にも遠い。新型コロナウイルス警戒中の上京で、家族から厳しい事前指導を受けて行きましたが、まだ一族みんな元気です。
(ブログ 詩の散歩道 詩集や本の紹介 20200612 すはま)

R2,短詩「森林 森の酸素工場」(全国育樹祭 三瓶山)

2020年5月31日に予定されていた第71回全国植樹祭は、新型コロナウィルスのために、来年度に延期されました。乱雑に積み上げた書棚を整理していると、新聞の切り抜きがでてきました。
平成13年(1991)10月に三瓶山で行われて第15回全国育樹祭前に発行された山陰中央新報です。全面を使って樹木の写真と洲浜昌三の詩「照葉樹林のふもとで」が掲載されているじゃありませぬか。育樹祭前日の10月5日付けの新聞です。
別の詩も出てきました。「大地の詩」と題した農協の広告です。育樹祭前にシリーズで県内の人に執筆を依頼し、写真と共に掲載していたのでしょう。洲浜の詩と隠岐の竹川恵子さんの詩がでてきました。1990年2月19日付けの新聞です。

森林  緑の酸素工場            洲 浜 昌 三

空の海へ
軽やかに 緑の葉を浮かべ
樹々は 光の中に立っている
空の酸素工場は
音もなく 今日もフル回転

生まれたばかりの
さわやかな風が
樹間を 流れていく

大切なものは 目に見えない
せめて
このそよ風を浴び
空の葉擦れの音に
じっと耳を澄まそう

宇宙に 浮かんだ
この 青い 地球から
日本本土 に近い 森林が
毎年 消えていく という

このころはまだ、詩をこういう場でも大きく扱うという文化があったのでしょう。忘れていましたが、なつかしい再会です。
新聞の詩を少し変更しています。
(ブログ  詩の散歩道 詩作品紹介 20200601 洲浜)

R2, 短詩 野外劇「夕焼け」-五十猛の海ー

短詩 野外劇「夕焼け」ー五十猛の海ー  洲浜昌三

一日の終わりは
華やかな野外劇

無限に広がる空
広大な紺碧の海
海が奏でる水の調べ

壮大な舞台で演じられる
華やかな光の無言劇
「夕焼け」

音もなく
地球の舞台が回ると
舟の影は舟へ

黒い舞台の彼方に
無数の小さな星

この詩も以前、石田健作さんに頼まれ、仁万屋の、はがきのダイレクトメールに書いた詩ですが、少し手を加えています。短い言葉で端的に表現しようと思い、苦労しました。ちぎり絵は夕永清子さん作成による五十猛の港の夕焼けです。ちぎり絵は、独特の味があり詩情も湧いてきます。この五十猛の海の絵も、とてもよくできています。永遠にファイルで眠らせておくには、もったいない。
(ブログ 詩の散歩道 詩作品紹介 20200518 洲浜)

R2, 小学生にとって詩とは?「森をかけ抜ける」

現在、小中学校で、詩はどのように扱われているのでしょうか。二人の孫が低学年のとき、毎日のように「音読を聞いて」と言って教科書をぼくの前で音読しました。その中には必ず詩もありました。しかし、「詩をつくる」ということは、これまで一度もありません。多分、そういう時間や指導はないのかもしれません。学校や先生によって違うのかもしれません。次の詩は倉敷にいる4年生のgrandsonが学校で書いたものです。

森をかけぬける

がっさがっさ
とかけ抜ける
ダッシュだ
ダッシュだ
かけ抜ける
ちょとつもうしん
かけ抜ける
ビュンビュン
ビュンビュン
かけ抜ける
今ぼくは嵐になる

素晴らしい詩で驚きました。詩とは単なる言葉ではなく、空白の空間に絵と言葉で思いや感情を埋める作業なのです。リズム、テンポ、言葉の繰り返し、山から駆け下りて来るイノシシの勢い、急斜面の詩、空白・・・画面全体で表現しています。先生はどんな指導をされたのか知りたい。単なる言葉として詩を教えておられないのかもしれません。今の子供たちにとって、きっと絵と詩は一体なのかもしれません。

島根県文芸協会では毎年「しまね文芸」でジュニアーの詩を募集しています。一昨年、ある中学校から90篇の詩がきました。原稿用紙ではなく、A4の紙に自由に書かれていました。選考しながら感慨がありました。募集要項には「原稿用紙2枚以内」と規定してありましたが、そんな言葉は死語ではないか、と思ったのです。上記の詩を見たとき、そのことが立証された気がしました。昔ながらの詩の概念では、もう古いのです。以前、小学校で詩の講師をしたことがあります。昔通りの指導では、子供たちの新しい芽を殺すことになる可能性があります。
写真はgranddaughterが保育園で描いて、老人の日に贈ってくれたものです。豊ですね。あふれています。描かれた二人も若くて満面の笑顔。現実を豊かに反映しています(文学芸術は現実そのものの表現ではないー誰の言葉だ!)
(ブログ 詩の散歩道 詩作品紹介 子供の詩  20200510洲浜)

R2, 短詩「リラの花が咲くころ」

リラの花が咲くころ                洲 浜 昌 三

高校生のころ
ラジオで覚えた大好きな歌があった
「リラの花が咲くころ」

リラ リラ リラ リラ
なんという さわやかな響きなんだろう

村では 見たこともない花だったので
美しい姿だけが ふくらんだ

何十年もたって
英語ではライラック と知って
ますます美しい夢は ふくらんだ

ライラック ライラック ライラック
なんという きれいな響きなんだろう

ある時 ふとしたことで苗木が手に入り
庭に植えておいたら 初夏に花が咲いた

軽やかに風に浮んだ 薄紫の清楚な花房
ふと流れてくる さわやかで高貴な香り

どこまでも沈んで行く 悲しい日
リラは 美しい姿でそこに立っている
青春の日の あこがれの人のように

なぜ、リラを美しい花と思ったのか分かりませんが、歌った岡本敦夫の歌も好きでしたし、歌詞も印象に残ったからでしょう。今ではリラの花はあちこちで見ることができますが、ぼくの村では当時ありませんでした。だから空想が美しく膨らんだのでしょう。

リラ、という音は、ラ行の「ラリルレロ」で、舌を歯茎に当てて弾いて音を出す破裂音です。明快ではっきりしていて綺麗な澄んだ音に聞こえます。ライラックもそうです。「令和」にも通じます。そのことも影響していることでしょう。

生協から取り寄せ、庭に植えておいたら、どんどん大きくなり、ある日綺麗な花をつけました。思った通りの綺麗な花でした。
大きくなり過ぎて、少し枝を切り落としました。根が強いらしく芽があちこちから顔を出します。以前の詩に少し手を入れて紹介しています。自分の作品は、見るたびに不満が先立ち、手を入れたくなります。作品の一回性は尊重すべきなのに、だめですね。
(ブログ 詩の散歩道 詩作品紹介 20200503 洲浜)

R2, 短詩「宇宙の位置」

短詩

宇宙の位置   洲 浜 昌 三

季節を忘れて
這いずり回っている間に

あなたは 静かに
移動していたらしい

連山の新雪の上を
新緑の若葉の上を
明るい河原の小石の上を
風にゆれる秋桜の上を

ある朝 玄関を出ると
そこに 美しい姿で立っている

一輪の深紅の牡丹

自然は いつも黙って
宇宙の中の ぼくの位置を
教えてくれる

20数年前のことです。仁万屋の石田健作さんから、ダイレクトメールに詩を書いて欲しいと頼まれ、仁万屋でフランス料理を一緒に楽しみました。そのダイレクトメールには、仁万屋の懐石料理の案内と健作さんの料理に関するエッセイ、短詩、ちぎり絵(岩永和子さん)を印刷して、月に一回発行、多くの人に郵送されました。健作さんは慶応で合唱部にもおられて、歌も上手、演劇にも理解があり、文化人でした。残念なことに他界され、仁万屋も廃業されました。一緒にいろんなコラボをするつもりでした。上の短詩は少し修正していますが、そのうちの1枚です。この企画は、中国郵政省の年間賞(名前は忘れた)を受賞したそうです。

今日、庭のボタンが、知らぬ間に、とても見事な花をつけていたので、ふと思いついて、ここに紹介しました。短詩も意識的に書いてきましたので、いつか整理しておきたいと思っています。

フェイスブックに何週間も書かないと、何故か1年前、2年前の記事が自動的に出てきて、「何にゅうしとるんなら。さっさと更新せえ。くそったれが!」と無言で怒鳴られているような気がするので、短詩など紹介してみました。
(ブログ 詩の散歩道 詩作品紹介 20200429 洲浜)

 

R2, 文化行事、次々と中止です

島根、鳥取は新型コロナヴィールス罹患者ゼロ行進中でしたが、ついにカウントが始まりました。昨夜の時点で松江、出雲地区で10名と報道されていますが、石見も虎視眈々と狙われています。お互いの自覚と努力でブロックしたいものです。

書くのは久しぶりですが、関係する行事がどうなったか、お知らせします。
1.大田市民会館カルチュアー講座「朗読で楽しむ郷土の作品」。集会は中止ということで、まだ具体的に動いていません。先日仁摩の人から、参加したいという電話がありました。近日中にチラシを作成し、5月下旬ごろから始めればと思っていますがどうでしょうか。今年は、自分が読みたい作品、聞いて欲しいものを選んで朗読することにしています。
1.しまね文芸フェスタ運営委員会は27日に松江で開催予定でしたが、中止になりました。更に9月20日益田で開催予定だった「しまね文芸フェスタ」も中止。講師に荒川洋治氏をお願いしていましたが、残念です。島根県文化団体連合会発行のニュースが届きました。昨年一年間の活動がうまくまとめてあります。

1.9月12日予定の劇研「空」主催「第11回朗読を楽しむ」はどうするか、話し合わないといけません。
1.4月18日の予定だった「令和に新たに拓く石見のステージ準備会」(石央文化ホールより案内文書、来年2月初旬に舞台発表の予定)は延期になりました。
1.5月24日予定の「島根県詩人連合理事会・総会」は中止。文書で了解を得ることに来まりました。
1.5月31日三瓶山で開催予定だった「全国植樹祭」は来年に延期。(スローガンの選考委員だったので出席案内がきていました)
1.5月31日予定の「しまね演劇ネット総会」は、目下予定通りです。そのうち案内がくるでしょう。

上の写真は仁摩町公園です。2月23日に宮脇恍太さんの写真展を見に行った時に写しました。こんなに立派な滑り台があるのに、いつ行っても誰も滑っていない。もったいない。子供さんを連れて行けば、大喜びして何度も空から降りてくるでしょう。
(ブログ 劇研「空」の活動報告 お知らせ 詩の散歩道 20200415 すはま)

R2,山の内ろうほう著『銀山二世松ものがたり』紹介

2018年8月『銀山二世ものがたり』(発行所・ニッチノーマスが出版されました。著者は建具職人でもある山内芳朗さん。昭和62年に、石見銀山の枯れていく老松に出会い、その後熱心に各地の松や土地の歴史を調べ絵にも描いてこられました。そして多くの作品を社寺などに寄贈されました。この本は長年調べてこられた石見銀山や地域の伝承、人物、民話、そして自作の絵など多彩な内容で構成された314ページの集大成ともいえる著作です。

山内さんは調べたものを毎年タブロイド判の新聞にして発行しておられました。長年の熱心な継続があったので、編集のベテラン・ニッチノーマスの細田さんに出会い、今回の本になったというわけです。どんな内容か目次を紹介しましょう。

歴史的な研究とは違い、山内さん独自の見方、感じ方、解釈を率直に書かれたものです。その独自性に面白い視点や解釈があり、触発されるものがあります。研究書ではなく、一庶民が感じた石見銀山や郷土の歴史への思いとして、貴重な記録ともいえるでしょう。「発刊に寄せて」として和田秀夫さん、和上豊子さんも書いておられます。ぼくも一筆(筆?古いね、PCならどう書けばいいんだ!)書いていますので、PDFで紹介します。興味があれば開いてみてください。
著書紹介 山内朗報著『銀山二世ものがたり』 -過去を未来へ伝えていく使命2段2Pー

本については出版社か著者へお聞きください。図書館にもあります。(ブログ  詩の散歩道 詩集や本の紹介・感想 20200322 洲浜)

R1,『山陰文藝』25周年記念 50号発行

平成7年に創刊された『山陰文藝』が、25周年を迎え、記念すべき50号に達しました。10月には記念行事として、『万葉集』研究の第一人者・中西進先生を招いて、松江で記念講演が開催されました。今号の巻頭随筆では、創立以来の大黒柱・池野誠さんが、「芸術は長く人生は短し」と題して、60年の文化活動を回顧して、貴重な記録を書いておられます。また、事務局を担当された石丸正さんが、25年を振り返って、苦労と喜びの足跡を振り返っておられます。現在では島根の唯一の総合文芸誌です。

会員は150名以上の時もありましたが、現在は100名弱、年二回の発行を厳守しています。小説、俳句、短歌、川柳、詩、随筆など多彩な作品があり、誰でも参加できます。年会費は4千円、執筆原稿枚数により参加費が必要です。この雑誌に連載された作品の中から、郷土を素材にした本が何冊も出版されています。

ぼくは創刊号からの会員で、合評会にも初めごろは参加していましたが、多忙や他の詩誌などに参加していることもあり、数回しか寄稿していませんでした。今回は記念すべき50号でもあり、短編小説でも書きたいという気がありましたが、詩作品で参加しました。
大田市川合町吉永に新具蘇姫命神社(にいぐそひめのみこと)があり、何十年もその由来を知りたいと思っていました。糞は現在汚い物の象徴ですが、ぼくの感覚では、神聖な物の象徴に思えます。他人の大腸菌を患者の腸に移植して病気が治ったという例を放映していましたが、サモアリナン、と嬉しくなりました。今後はますます大活躍することでしょう。

その「ニイグソヒメ」様の詩を載せましたので、興味がある人はどうぞPDFを覗いてみてください。
(ブログ 詩の散歩道 本作品雑誌紹介 0191206 すはま)

詩「生き残った新具蘇姫さま」