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川本町で発行の俳句誌『霧の海』

島根県邑智郡川本町で俳句雑誌『霧の海』が発行されていました。奥付を見ると編集発行人は品川誠太郎、発行所は観光新報社、主幹は品川河秋となっています。創刊は昭和9年12月15日です。どこを捜しても見つからなかったのですが、島根県立図書館に13冊だけ保存してあります。創刊号(27ページ)と翌年1月(2巻1号)から2巻12号まで(8月号は欠番)あります。昭和10年12月以降はどうなったか不明です。

昭和25年12月3日にに発行した復刊第4巻第2号、26年1月3日発行の第5巻1号が県立図書館にはあります。次の写真は昭和26年3月3日発行の第5巻第3号です。(巻はどういう使いかたなんでしょう?だれか教えてください)インターネットで捜したら福岡市の古本やにあるのがわかり注文しました。

 編集主幹の品川河秋さんについては詳しいことはわかりません。『霧の海』を読んでいくと、33歳の時創刊し、30年間大阪へ出ていた、という文章が出てきます。具体的なことは書いてありませんが、大阪へ出られて実業家として活躍されたのではないかと思います。復刊号を出された昭和25年には74歳かと思われます。他界されたのは78歳です。昭和29年7月の江川の大洪水です。葬儀のとき、俳句仲間の法隆寺住職・岩 義香氏が次の一句を献詠されたそうです。「江川に吹かれ落ちけり合歓の花」。そのあたりにはネムの花がたくさん咲くそうです。

次の写真は川本の木路原方面を江川の対岸から写したものです。詩人・高塚かず子さんが生誕された集落です。近くに竜安寺があり、竜安寺川が流れています。

 川本は水量豊かな江川があるために昼頃ままで一面に霧が立ちこめることがよくあります。まさに霧の海です。多分そういうところから『霧の海』と名前を付けられたのでしょう。

品川河秋さんのことを知っている人がまだおられるでしょうか。『霧の海』に参加された同人は50名以上あったと思われます。とても発展的な展望を持って発行しておられたのが誌面からよく分かります。俳句の選をして載せるだけではなく、各地区に俳句会を結成しています。自ら観光名所の歴史を解説して観光資源開発も目指しておられたようです。五島にいる5歳の孫娘を詠んだ俳句も一句見つけましたが、体がしばらく震えました。

河秋さんや『霧の海』のことを知っておられる人がありましたら、ぜひ話しを聞きたいものです。

文芸フェスタで作家・阿刀田高氏講演

2011/09/18、松江で島根県民文化祭・「文芸フェスタ2011」が開催されました。前日本ペンクラブ会長の阿刀田高さんが「神話と文学~古事記とギリシャ神話」と題して講演されました。とてもスケールの大きなそして示唆に富む話で感銘を受けました。

 1時間半に渡る講演は見事に構成された世界観で成り立っていますので簡単に概要を書くのは困難ですが、2,3断片を紹介してみます。

古代ギリシャ文明は現代にも通じる素晴らしい文明である。それは人間中心、自由を基本にしていたからだ。ギリシャ神話も豊かなストーリーを持っていて一級品である。それは古代ギリシャが多神教だったので神話も豊かなストリー性が生まれたのである。日本の神話も多神教から生まれた神話である。ギリシャ生まれのラフカディオ・ハーンが日本に興味を持ったのもその点にあった。

神話はどうして生まれたか(物語はどうして生まれたか)。人はどこから来てどこへ行くのか。この疑問を常に抱えている。いとしい人が死んだとき、その人に生きていて欲しかったと願うとき、その人の伝記を書いたり、生きていたらこんなこともしただろう、などと想像力を生かして物語をつくる。そこから物語が生まれたという説もある。

神話には権力者の正当性を訴えるためにできたものが多い。古事記や日本書紀などもそう側面が強い。しかしその中で出雲神話にはストリー性があり豊かさがある。これはギリシャ神話と同じ多神教だからだ。多くの神々が登場し神話特有の寓意性をもっているので、現代にも通じるものがある。出雲神話がもっとたくさん収録されていたら、ギリシャ神話と同様に一級品となっただろう。

小説『闇彦』はギリシャ神話のゼウス、ポセイドン、ハデスが、陸、海、闇(死)の世界を支配したように、コノハナサクヤの三人の子(ホデリ、ホスセリ、ホオリ)→山彦、海彦、闇(死)が世界を支配することを想像して書いた。日本神話には3人の子供が出てくるが、3番目の子のことがほとんど書かれていないので、ギリシャ神話との共通性を考え闇の世界を支配する神として想像した。「死は物語の世界」でもある。

こんな挿話も印象に残りました。「小説を書くのは剣道の試合に似ている。剣道は相手の呼吸を読みながら打ち込む。作家は読者の呼吸を計りながら書く」。

とても刺激になる話しで充実した時間でした。阿刀田さんは良く通る落ち着いた声で淡々と語られるのですが、小説と同じで観客の呼吸を計りながら語られるのでしょう最後まで引きつけられて聞きました。聴衆は約400人くらいでしたが、こんなチャンスは滅多にないのでもったいない気がしました。

17日の夜は「サンラポーむらくも」で歓迎会がありました。早稲田の仏文科出身ということで、昭和30年代の早稲田大学の話しなどをしました。なつかしい人にもたくさん会い、貴重な話しも聞きました。俳句のツキモリさんが大田出身なので、タカキさんとサンニンで和江出身のツキモリサンがやっておられるサンサンへ行きました。

18日の午後は詩の分科会で、自作詩の朗読をしてお互いに感想を述べ合い充実した時間を過ごしました。川辺、閤田、柳楽、栗栖、錦織、田村、有原、肥後さん、それに4人の方、久しぶりに原さん、後半には高橋さんも来られました。みなさまおつかれさまでした。