「詩作品紹介」カテゴリーアーカイブ

R2, 詩集『ひばりよ 大地で休め』(1978刊)について

1978年(昭和53)11月、石見詩人社から刊行した詩集『ひばりよ  大地で休め』(洲浜昌三著)について、時々問い合わせがありますので、自己整理の意味も込めて紹介してみます。42年前の詩集で、書棚に2冊ありますが、主な図書館にはあるかも。

表紙や挿画は美術教師で同僚だった古浦秀明先生。詩集に合った素晴らしい挿画でした。理想を追い、空想的、抽象的傾向が強かった若者が、厳しい現実を目の前にして格闘していた時期でしたので、詩のモチーフも自分探しにあったのでしょう。表題の「ひばり」も、理想を追って空高く上り、美しい声で歌っているひばりに、たまには大地で休んだらどうだ、と呼び掛けているのです。

 ひばりよ 大地で休め  洲浜昌三

ぴゅうぴる ぴゅうぴる
つぃーちゃい ひょろろ

高い空で
ひばりが さえずる

設計図が
重い

はっきり 見えたから
線を引いたのに
線は 何も
つかんではいない

もとから ないのに
自分のインクで
図面を引き
当然 無から
仕打ちを受ける

宇宙は 広大すぎるから
小さな器に
その一部をすくい取り
争いの種をまき
憎しみを
競ってつくりだす

空の広さが
欲しいのに
空の記憶が
なつかいいのに

ひばりよ

手は
設計図に
また 線を
加えようとするのだ

当時、読売新聞で「西日本詩誌評」というコラムがあり、詩人の黒田達也さんが、「面白い表現技法」というタイトルで取り上げ、新聞を送って頂きました。

第三者の鋭い指摘は、無意識の闇の中にある指向や精神性を天日の下に照らしだしてくれます。
「詩集を読もう。洲浜昌三『ひばりよ  大地で休め』(大田)は、テーマ設定に多様性があり面白かった。例えば「壮大な不在」は、類推すれば多分文学創造の苦しみに関する自己分析を抽象化したユニークな詩であり、「忘れもの」は日常性の中でふと感じる実存的な忘れものの感覚である。「重さを忘れて/歩きはじめると/近くに一点の光がある//その星座にも立ち寄ろうとして/軽い足を/のばすと/太古の記憶が転がっている」
これは「パルテノンからの帰り道」の部分である。このように、多彩な内容と表現技法の面白さは、形而下的な日常や土着性への指向が少ないという、この詩人の特徴を示している。それは主観を深めることによって批評精神の厳しさに徹しようとする作者の姿勢であるように思われる」(黒田達也)
(ブログ 詩の散歩道 詩集や本の紹介 20200813 すはま)

R2,短詩「森林 森の酸素工場」(全国育樹祭 三瓶山)

2020年5月31日に予定されていた第71回全国植樹祭は、新型コロナウィルスのために、来年度に延期されました。乱雑に積み上げた書棚を整理していると、新聞の切り抜きがでてきました。
平成13年(1991)10月に三瓶山で行われて第15回全国育樹祭前に発行された山陰中央新報です。全面を使って樹木の写真と洲浜昌三の詩「照葉樹林のふもとで」が掲載されているじゃありませぬか。育樹祭前日の10月5日付けの新聞です。
別の詩も出てきました。「大地の詩」と題した農協の広告です。育樹祭前にシリーズで県内の人に執筆を依頼し、写真と共に掲載していたのでしょう。洲浜の詩と隠岐の竹川恵子さんの詩がでてきました。1990年2月19日付けの新聞です。

森林  緑の酸素工場            洲 浜 昌 三

空の海へ
軽やかに 緑の葉を浮かべ
樹々は 光の中に立っている
空の酸素工場は
音もなく 今日もフル回転

生まれたばかりの
さわやかな風が
樹間を 流れていく

大切なものは 目に見えない
せめて
このそよ風を浴び
空の葉擦れの音に
じっと耳を澄まそう

宇宙に 浮かんだ
この 青い 地球から
日本本土 に近い 森林が
毎年 消えていく という

このころはまだ、詩をこういう場でも大きく扱うという文化があったのでしょう。忘れていましたが、なつかしい再会です。
新聞の詩を少し変更しています。
(ブログ  詩の散歩道 詩作品紹介 20200601 洲浜)

R2, 短詩 野外劇「夕焼け」-五十猛の海ー

短詩 野外劇「夕焼け」ー五十猛の海ー  洲浜昌三

一日の終わりは
華やかな野外劇

無限に広がる空
広大な紺碧の海
海が奏でる水の調べ

壮大な舞台で演じられる
華やかな光の無言劇
「夕焼け」

音もなく
地球の舞台が回ると
舟の影は舟へ

黒い舞台の彼方に
無数の小さな星

この詩も以前、石田健作さんに頼まれ、仁万屋の、はがきのダイレクトメールに書いた詩ですが、少し手を加えています。短い言葉で端的に表現しようと思い、苦労しました。ちぎり絵は夕永清子さん作成による五十猛の港の夕焼けです。ちぎり絵は、独特の味があり詩情も湧いてきます。この五十猛の海の絵も、とてもよくできています。永遠にファイルで眠らせておくには、もったいない。
(ブログ 詩の散歩道 詩作品紹介 20200518 洲浜)

R2, 小学生にとって詩とは?「森をかけ抜ける」

現在、小中学校で、詩はどのように扱われているのでしょうか。二人の孫が低学年のとき、毎日のように「音読を聞いて」と言って教科書をぼくの前で音読しました。その中には必ず詩もありました。しかし、「詩をつくる」ということは、これまで一度もありません。多分、そういう時間や指導はないのかもしれません。学校や先生によって違うのかもしれません。次の詩は倉敷にいる4年生のgrandsonが学校で書いたものです。

森をかけぬける

がっさがっさ
とかけ抜ける
ダッシュだ
ダッシュだ
かけ抜ける
ちょとつもうしん
かけ抜ける
ビュンビュン
ビュンビュン
かけ抜ける
今ぼくは嵐になる

素晴らしい詩で驚きました。詩とは単なる言葉ではなく、空白の空間に絵と言葉で思いや感情を埋める作業なのです。リズム、テンポ、言葉の繰り返し、山から駆け下りて来るイノシシの勢い、急斜面の詩、空白・・・画面全体で表現しています。先生はどんな指導をされたのか知りたい。単なる言葉として詩を教えておられないのかもしれません。今の子供たちにとって、きっと絵と詩は一体なのかもしれません。

島根県文芸協会では毎年「しまね文芸」でジュニアーの詩を募集しています。一昨年、ある中学校から90篇の詩がきました。原稿用紙ではなく、A4の紙に自由に書かれていました。選考しながら感慨がありました。募集要項には「原稿用紙2枚以内」と規定してありましたが、そんな言葉は死語ではないか、と思ったのです。上記の詩を見たとき、そのことが立証された気がしました。昔ながらの詩の概念では、もう古いのです。以前、小学校で詩の講師をしたことがあります。昔通りの指導では、子供たちの新しい芽を殺すことになる可能性があります。
写真はgranddaughterが保育園で描いて、老人の日に贈ってくれたものです。豊ですね。あふれています。描かれた二人も若くて満面の笑顔。現実を豊かに反映しています(文学芸術は現実そのものの表現ではないー誰の言葉だ!)
(ブログ 詩の散歩道 詩作品紹介 子供の詩  20200510洲浜)

R2, 短詩「リラの花が咲くころ」

リラの花が咲くころ                洲 浜 昌 三

高校生のころ
ラジオで覚えた大好きな歌があった
「リラの花が咲くころ」

リラ リラ リラ リラ
なんという さわやかな響きなんだろう

村では 見たこともない花だったので
美しい姿だけが ふくらんだ

何十年もたって
英語ではライラック と知って
ますます美しい夢は ふくらんだ

ライラック ライラック ライラック
なんという きれいな響きなんだろう

ある時 ふとしたことで苗木が手に入り
庭に植えておいたら 初夏に花が咲いた

軽やかに風に浮んだ 薄紫の清楚な花房
ふと流れてくる さわやかで高貴な香り

どこまでも沈んで行く 悲しい日
リラは 美しい姿でそこに立っている
青春の日の あこがれの人のように

なぜ、リラを美しい花と思ったのか分かりませんが、歌った岡本敦夫の歌も好きでしたし、歌詞も印象に残ったからでしょう。今ではリラの花はあちこちで見ることができますが、ぼくの村では当時ありませんでした。だから空想が美しく膨らんだのでしょう。

リラ、という音は、ラ行の「ラリルレロ」で、舌を歯茎に当てて弾いて音を出す破裂音です。明快ではっきりしていて綺麗な澄んだ音に聞こえます。ライラックもそうです。「令和」にも通じます。そのことも影響していることでしょう。

生協から取り寄せ、庭に植えておいたら、どんどん大きくなり、ある日綺麗な花をつけました。思った通りの綺麗な花でした。
大きくなり過ぎて、少し枝を切り落としました。根が強いらしく芽があちこちから顔を出します。以前の詩に少し手を入れて紹介しています。自分の作品は、見るたびに不満が先立ち、手を入れたくなります。作品の一回性は尊重すべきなのに、だめですね。
(ブログ 詩の散歩道 詩作品紹介 20200503 洲浜)

R2, 短詩「宇宙の位置」

短詩

宇宙の位置   洲 浜 昌 三

季節を忘れて
這いずり回っている間に

あなたは 静かに
移動していたらしい

連山の新雪の上を
新緑の若葉の上を
明るい河原の小石の上を
風にゆれる秋桜の上を

ある朝 玄関を出ると
そこに 美しい姿で立っている

一輪の深紅の牡丹

自然は いつも黙って
宇宙の中の ぼくの位置を
教えてくれる

20数年前のことです。仁万屋の石田健作さんから、ダイレクトメールに詩を書いて欲しいと頼まれ、仁万屋でフランス料理を一緒に楽しみました。そのダイレクトメールには、仁万屋の懐石料理の案内と健作さんの料理に関するエッセイ、短詩、ちぎり絵(岩永和子さん)を印刷して、月に一回発行、多くの人に郵送されました。健作さんは慶応で合唱部にもおられて、歌も上手、演劇にも理解があり、文化人でした。残念なことに他界され、仁万屋も廃業されました。一緒にいろんなコラボをするつもりでした。上の短詩は少し修正していますが、そのうちの1枚です。この企画は、中国郵政省の年間賞(名前は忘れた)を受賞したそうです。

今日、庭のボタンが、知らぬ間に、とても見事な花をつけていたので、ふと思いついて、ここに紹介しました。短詩も意識的に書いてきましたので、いつか整理しておきたいと思っています。

フェイスブックに何週間も書かないと、何故か1年前、2年前の記事が自動的に出てきて、「何にゅうしとるんなら。さっさと更新せえ。くそったれが!」と無言で怒鳴られているような気がするので、短詩など紹介してみました。
(ブログ 詩の散歩道 詩作品紹介 20200429 洲浜)

 

H30 詩「はるかな土地の記憶」出雲國風土記より(「詩と思想」5月号)

2018年㋄号で月刊誌「詩と思想」が、「私の記憶/風景」という詩の特集を組みました。作品と写真の原稿依頼があり、私的な記憶より,「出雲國風土記」を読んだ時の不思議な感覚がずーっと記憶に残ってたので、その原文を中心に据えて詩らしきものを書いてみました。
「出雲國風土記」は、713年に元明天皇から報告を命じられ、20年後の733年に完成しています。当時は「解」と呼ばれ、平安時代になって「風土記」と呼ばれるようになったそうですが、奈良から来た役人ではなく出雲の人間が書いていますので、奥深さがあります。初めの方に出てくる「くにびき神話」の文章を読めば圧倒されます。大空から眺めたような宇宙的な視座、遥か7千年前には今の平野は海で、島根半島が遠くに島のように浮かんでいた記憶、斐伊川の土砂で海が狭くなっていった記憶などなど、遥かな記憶が底に揺らめいています。そして何よりも当時は朗誦したと思える口調やリズムの素晴らしさ。それが歌謡のように4回繰り返されます。

原文のすばらしさを味わってほしくて、詩の形式で書いた変な詩です。次のPDFにコピーがあります。
H30,5 詩「はるかな土地の記憶」詩と思想5月号
写真は、大社の稲佐の浜から、園の長浜、遠くに佐比売山(三瓶山)を遠望したものです。当時この白い砂浜は、三瓶山から延々と伸びて日御碕の半島をつなぐ帯のように見えたことでしょう。発想がステキです。(ブログ 詩の散歩道 試作品 すはま)

H30,3 消えていく三江線

連日、地方新聞では三江線廃止の記事を載せています。今日、3月31日がラストランです。汽車は満員で乗れない人もたくさんいることでしょう。儲けにならない地方の汽車は次々と廃止されていきます。人口が増える時の勢いでつくられた昭和の遺産は、次々と消えていきます。

山陰中央新報から文化欄で「三江線の記憶」というタイトルで原稿を求められました。岩町功先生、日和聡子さんの文章が3月6,7,8に掲載されました。読みたいけど県外にいるので読めない、という人たちがいましたので、PDFで紹介します。

H30,3 「三江線の記憶」山陰中央新報

これから雲南へ「水底平家」を観劇にいくところですが、詩を一篇作ってみました。まだ推敲不足ですが、メモリアルポエムです。

消えていく三江線
洲浜昌三
中国太郎と呼ばれた
中国地方一の大河 江の川

汽車は 豊かな大河と共にゆっくり走る
カタカタ カタカタ カタカタ

大河の源流は広島の北 阿佐山だという
中国山地の真ん中にどっしりと横たわり
優しい大きな曲線で広い空を切る

カタカタ カタカタ カタカタ
汽車は山桜が点在する新緑の中を ゆっくり走る
山を抜け 谷を越え 鉄橋を渡って ゆっくり走る

川は中国山地をくねくねと横切って北上し
日本海の河口・江津まで194キロの谷間を
滔々と流れる

秋には色艶やかな紅葉の中を ゆっくり走る
山里に赤瓦の屋根が照る村や町の中を ゆっくり走る
山紫水明 日本の原風景の中を ゆっくり走る
カタカタ カタカタ カタカタ

平成30年3月31日
今日がラスト ラン 明日から廃線だという

三江線の汽車は 山紫水明 日本の原風景の中を
大河の清流に沿い 大河を横切り 山を抜け 谷を越え
いつまでも ぼくの中で ゆっくり走る
カタカタ カタカタ カタカタ

詩「父がくれた腕時計」

大田市文化協会会報「きれんげ」118号がでました。8ページの冊子ですが、充実しています。表紙にはオペラ「石見銀山」の事務局を担当して頑張っておられる谷本由香子さんが、「清水の舞台から飛び降りる覚悟で」引き受けられた思いを書いておられます。石賀 了さんの井戸平左衛門頌徳碑シリーズは24回目です。石見銀山資料館の藤原雄高さんが、平左衛門の事績を執筆。23回になります。「人」では五十猛の童謡詞作家、佐々木寿信さんの活躍が紹介されています。すはまくんが詩を発表しています。

「父がくれた腕時計」 洲 浜 昌 三

「進学したけりゃ自分で自由に行ってくれ」

六人も子どもがいて
五反百姓の大工では
自由が最大の遺産だったのだろう

それでも大学に合格すると入学金を工面し
お祝いに腕時計を買ってくれた
村ではまだ腕時計は珍しい時代だった

新宿の夜景が見えるバラック建ての部屋で自炊し
金がないときは一週間も米に醤油を掛けて食べ
口がカラカラになったこともあった

ある時は十円玉を求めて畳の間まで捜した
飯田橋駅から小岩まで四十円
そこに行けばやさしい義姉(あね)がいる

初めて質屋へ行き 腕時計を見せ
「五百円貸してください」というと
即座に返事が返ってきた 「駄目です」

「じゃ百円でいいです」
一気に決着を付けるために大幅に譲歩すると
「こんな時計ではねぇ」

「四十円」と言おうとしたら
何かが言葉をさえぎり
そのまま無言で店を出た

後に母に話したら 母が言った
「東京じゃ時計がいるだろういうて
広島まで行って質屋で買いんさったんよ
入学金は大工賃の前借り 半年分のね」

(ブログ 詩の散歩道 より)

 

H29, 「今年も木蓮が咲いたよ」


誕生日おめでとう!記念樹の木蓮が美事な花をつけましたので、写真と一緒に詩を送ります。

DSC07776 (2)

「今年も木蓮が咲いたよ」
洲 浜 昌 三

雪が消えた裏庭の片隅に
今年も真っ白い木蓮が咲いたよ

池に咲く高貴な蓮(はす)の姿で
早春の青空に浮かんでいる

      きれいだね
      りんとしているね

遠い遠い旅をして
あなたが生まれてきた時の記念の樹

太古の昔 中国から渡ってきた
地球最古の樹

      たんせいだね
      きぜんとしているね

気品も優雅さも失わず
どうして生きてきたんだろうね

氷河や火山をくぐり抜け
一億年前の美しい姿で立っている

(20年前、イーシャオ君の誕生日の記念に木蓮を植えました。花は清純で清楚で脆弱そうに見えるのに、強い樹ですね。少々枝を切ってもたくましく伸びてきます。気品があり優雅だけど一億年も生き延びてきたのです。すばらしい樹です。中国大陸から来た樹だそうです。お釈迦様のハスの花とそっくりなので、「木に咲く蓮」となったんだそうです。ブログ 詩の散歩道)