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H24,1/7 第23回中四国詩人会理事会

2012年1月7日岡山市の国際交流センターで23回理事会が開かれ出席しました。高知四万十市の山本衛さんが新会長、新事務局長は高知の萱野笛子さんです。山口の秋吉康さんを議長として選任し、つぎのような議題が話し合われました。

1.役員の新任、移動ー新理事に岡山のくにさだきみさんを承認。                      1.11回四万十大会経過報告、ニューズレターについて。                         1.四万十大会会計中間報告                                      1.第12回中四国詩人賞募集について(募集要項および選考委員会選考細則についてー過去の受賞者も選考委員に入れることや、会員や会員外の応募料について)                            1.第12回中四国詩人会・岡山大会について(10/13に決定)                         1.次回理事会は6/30(土)岡山の国際センターで開催する。午前中は中四国詩人賞選考会議

ニューズレターは岡山の高田千尋さんを中心に編集することに決まっていましたが、高田さんから、充実したいので各県から色々な情報を提供してほしいという要望がありました。

第12回中四国詩人会・岡山大会は10月13日13:30から、岡山市内の「プュアリティまきび」で開催することに決定し、蒼わたる副会長から詳細な日程説明がありました。記念講演は「民話の語り」で立石憲利さんです。楽しい方言の語りが聞けそうです。翌日の市内観光は、夢二の生家訪問、正富汪洋詩碑、牛窓観光の予定です。

会員外の人ももちろん参加は自由です。どうぞいまから日程にいれておいてください。

 

四万十大会盛会裏に終わる(平23)

島根県詩人連合が発行している「島根県詩人連合会報」71号(2011,12,25発行)に掲載したものです。会報では写真は2枚ですがここでは増しています。記録として掲載します。

 

四万十大会盛会裏に終わる       ー 第十一回中四国詩人会報告ー                            洲 浜 昌 三

高知県西部の中心地・四万十市で10月1、2日、中四国詩人会大会が開かれました。  清流四万十川の沖積平野に開けた四万十市は、中村市と幡多郡西土佐村が合併して生まれた人口約三万六千の市です。街の思わぬ所に古い面影や地名が残っていて不思議な印象を受けました。

 説明によると応仁の乱を避けて、所有していた幡多(はた)荘へ下向した一條氏が京都を擬して御所や碁盤目の街を作ったそうです。「土佐の小京都」と呼ばれた伝統のある街です。地元の人と話すと「中村市」に愛着と誇りを持っておられるのを感じました。

大会は「新ロイヤルホテル四万十」で開催。遠隔地のため参加者が心配でしたが会員49、 会員外24名の事前参加届けがあり、当日は準備した資料90部が足りなくなる盛会振りでした。遠く離れた事務局担当県として感謝のほかはありません。「高知詩の会」の代表・小松弘愛さん、事務局の林 嗣夫さん、萱野笛子さん、そして『ONL』を主宰しておられる山本衛さんをはじめ地元の詩人の皆さまに大変お世話になりました。

 

大田を2日前に出発、次女のダンナが南宇和郡愛南町の出身で一緒に行きました。両親はすでに他界、海辺の集落に生家の屋敷跡だけが残っていました。墓に参拝。車で四国の南端、足摺岬へ。「なぜアシズリというんですか」と聞くと、「空海が足を摺って歩いて来たから」と宿の女将。名答に感銘。「足摺の南百キロに台風接近」子供の時から聞き慣れた岬に立って、眼下から広がる広大な太平洋をしばし眺めました。 (写真は最初の朗読者・山本衛さん。後ろは朗読者です)

 

                                 大会前夜には高知の小松、林、山本さんに広島の長津さん、コールサックの鈴木比佐雄さん7人で講師の鈴木 漠先生歓迎会を開きました。(写真の左から林さん、鈴木比さん、洲浜さん、山本さん、講師の鈴木さん、小松さん)

総会では四万十市長の歓迎の挨拶も。第11回中四国詩人賞は岡山の小野田 潮さんの詩集『いつの日か鳥の影のように』へ贈呈。無駄のない抑制が利いた地味な詩ですが知的な感性から生まれた言葉が深い思考へ誘ってくれる魅力ある詩集です。賞状を渡しながら詩集と小野田さんのジェントルマンライクな人柄が重なりました。(写真は洲浜会長より受賞者の潮さんへ賞状と賞金の授与の場面)

 講演は徳島生まれで神戸に在住の鈴木 漠先生。詩集20冊、連句集11冊。圧倒される著作数です。その源泉は、知的エネルギーの強靱さ、好奇心や想像力の豊かさ、仕事の緻密さにあるのでしょう。「連句裏面史から」と題して中国の李賀から古事記、万葉、光秀、芭蕉、蕪村、子規などを具体例に、連句が果たした役割を語られました。豊富な知識から歴史的興味をそそる想像やエピソードなどを挟んだ楽しく充実した講演でした。

詩の朗読は各県から山本 衛、大森千里、宮本 光、宮田小夜子、山田朝子、摩耶甲介、川野圭子、スヤマユージ、井上嘉明の皆さんプラス洲浜。

アトラクションでは永野美智子さん作成の紙芝居「幸徳秋水」と一條太鼓の演奏を楽しみ、懇親会では広い会場で話しの花が満開でした。

 

 

(一條太鼓の皆さん。小学生もがんばっていました)

翌日は視察観光。先ず幸徳秋水の墓へ。奇しくも刑死百周年記念の年でした。  明治43年数百人の社会主義者・無政府主義者を逮捕し、26名を天皇暗殺未遂の大逆罪で起訴、翌年1月18日24名に死刑判決、6日後秋水ら11名死刑執行。この短期間の執行に時の政府の意図が丸見えです。秋水の無念な思いに心を寄せ黙想しました。NHKで放映中の「坂の上の雲」の日清・日露戦争勝利とこの弾圧は同時に進行していたのです。若い秋水たちも「坂の上の空に輝く一朶の雲」を見て歩いたことを忘れたら片手落ちです。

市内視察は上林暁文学碑、郷土資料館、佐田沈下橋、トンボ公園、大江満雄詩碑と続きましたが、ぼくは都合があり秋水の墓から一人離れ中村駅へ急ぎました。

鳥取大会、四万十大会を終え、島根の事務局長川辺、会長洲浜は御役御免。高知の萱野、山本体制がスタートしました。  川辺さんは手が抜けない行事のため四万十大会には参加できませんでしたが、事務局長として数多い事前の文書作成・発送など完璧に果たしてバトンタッチしてもらいました。 三瓶大会からのご協力に感謝しつつ四万十大会の報告とします。

(会報は島根県詩人連合事務局で発行しています。694-0014 島根県安来市飯島町1842 山根方 川辺 真)

四万十大会成功裏に終了

2011年10月1日(土)四万十市の新ロイヤルホテルで第11回中四国詩人会が開かれ、会員は約50名、講演時には80名近い参加があり成功裏に終了しました。田中四万十市長も来られて歓迎の挨拶をしていただきました。 (上の写真は講師の鈴木漠先生を紹介する高知の小松弘愛さん。高知詩の会代表として事務局長の林嗣夫さん共々お世話になりました。)

 大会のプログラムを載せておきます。

 詩の朗読は地元の高知から山本衛さん、大森ちさとさん、香川の宮本光さん、徳島の宮田小夜子さん、岡山から山田朝子さん、摩耶甲介さん、広島の川野圭子さん、山口のスヤマユージさん、鳥取の井上嘉明さん、島根kらは唯一の参加者・洲浜昌三くんが『流人のように草を抜く』を朗読しました。それぞれの詩は事務局長の川辺さんが冊子に編集し、当日参加者に配布しました。

 第11回中四国詩人賞は岡山県瀬戸内市在住の小野田 潮さんの詩集『いつの日か鳥の影のように』に贈られました。小野田さんは詩集を私家版としてつくられましたが、編集するときに先入観をもたれないように表紙は題字だけにしたことや、発表順ではなく一つの世界観が出てくるように整理し配列したと話され、2編の詩を朗読されました。詩と同様に謙虚なジェントルマンだというのがぼくの印象です。

 講演は鈴木漠先生。前夜の歓迎会から一緒だったのですが、知的エネルギーの固まりで実に博学な人です。広い知識だけではなくその深さは徹底しています。講演の内容は多岐にわたるので紹介はここではできませんが、中国の漢武帝や李賀など、日本では古事記や万葉集からはじまる連句の歴史や時代の中で占めた働きなど資料を基にして熱心に話されました。明智光秀が信長を討つ前の天正10年5月25日に愛宕山の威徳院で開いた連歌会は、人という字を伏せるということで読まれました。光秀は「ときは今天が下しる五月哉」と読みました。伏せられた「人」を表に出すと、「天下人」となります。この席には当代随一の連歌師も参加していたという。彼らが光秀の句を秀吉側の武将に教えていたかもしれないーというのは証拠はありませんが可能性はありそうです。裏面史に通じ、想像力も抜群に豊かな鈴木先生でした。

 アトラクションでは高知の永野美智子さんが幸徳秋水の生涯を紙芝居にして語られました。また幸徳秋水の絶句などを2名の現地の方が朗詠、一條太鼓演奏では小学1年生から大人まで出演して力強い響きを奏でていただき四万十市の文化の一端に触れることができました。

 懇親会も楽しく過ごし、翌日は市内視察。まずホテルのすぐそばにある幸徳秋水の墓へ行き手を合わせて黙祷しました。どんなに無念だったか、そして家族や親族が如何に長い間偏見の中で国賊扱いをされてきたか、また中村市自身も負の遺産として背負ってきたかーそのことに胸が痛みました。しかし今は、自由、平等、博愛を説いた秋水は、平成12年12月、中村市議会で「幸徳秋水を顕彰する決議」を全会一致で承認、公に秋水を表にだして顕彰しPRしています。ある時代には罪人とされた人間が時代が変われば時代をリードする先駆的な思想家になるのです。時代こそ罪人です。実に不合理です。今生きて両面を知ることができるぼくらは幸せかも知れません。

 汽車の都合で秋水の墓へ参った後に1人で市内を歩き9時過ぎの汽車に乗って帰ったのでこの後の市内観光には参加できませんでした。山本衛さんはじめ高知のみなさん、お世話になりました。

10/1 中四国詩人会・四万十大会

2011年10月1日(土)四国の四万十市で第11回中四国詩人会・四万十大会が開かれます。場所は市内中村小姓町26番地新ロイヤルホテル四万十(0880-35-1000)。13時30分開会で最初は総会と詩人賞の授与式です。2時50分から講師・鈴木漠氏の講演があります。演題は「連句裏面史から」。総会以外は誰でも参加できます。参加費は資料代を含めて1000円です。次ぎにプログラムを紹介します。

 宿泊の申し込みは新ロイヤルホテルです。「中四国詩人会大会の参加者です」と言えば割引があります。一泊朝食付き6800円。翌日の2日には希望者による市内の視察観光があります。幸徳秋水の墓地などを巡ります。9/6時点で40数名の申し込みがありますが、まだ日にちがありますのでもっと増えることでしょう。会員には返信ハガキ同封で事務局から案内が行っています。まだの人は急いで申し込んでください。

今年の中四国詩人賞は小野田潮さん(岡山県瀬戸内市長船町)の『いつの日か鳥の影のように』に決まりました。表現に無駄のない端正な詩ですが、ふと深みや遠いところへ誘い込むよな思索的な深い表現があり魅力的です。キャリアのある詩人です。詩集は私家版として出版されました。

H23 『中四国詩集』第4集を刊行

2011年7月、『中四国詩集』第4集(2011版)を刊行しました。第一集は2002年に発行しています。3年に一度発行することになっています。4集では109篇の詩が載っています。

 作品を載せないと内容もわかりませんが、題と名前だけでも紹介しましょう。それぞれ存在感のある作品で個性的です。何を書いているのかわからないというような作品はほとんどありません。春の若葉や青葉、秋の紅葉などいっぺんに眺めるような豊かさが読後に残ります。

53ページの作品は岡山の一瀉千里さんの『土江こども神樂団(大田市)』という詩です。中四国詩人大会を三瓶で開きましたが、その時「土江こども神樂団」にお願いして石見神楽を舞ってもらいました。そのときのことが素材になっています。いつかどこかで紹介しましょう。

序「詩になにができるか」を紹介しておきます。東北大震災が3月11日に起こりましたが、この詩集はそれ以前に募集を締め切っていますので、大震災や福島原発事故を反映した作品はありません。序は大震災後に書いたものですが、言葉を失った状態でした。

この詩集は岡山市の和光出版から出版されています。編集長は岡山の蒼わたるさんん、編集委員は壺阪輝代さん、今井文世さんです。頒布価格は1500円。事務局は692-0014 安来市飯嶋町1842 山根方 川辺 真です。残部はまだありますのでどうぞ。主な図書館には寄贈しています。3年後に参加したい人はぜひ中四国詩人会へ加入してください。年会費3000円です。

2011年7月に岡山市で開かれた理事会のスナップです。今年の10月1日には四国の四万十市で大会が開かれます。

第10回中四国詩人会鳥取大会のことなど

2011年9月25日第10回中四国詩人会・鳥取大会が開かれました。大会の主な様子を紹介します。島根県詩人連合会報に載せたものに少し手を加えています。

(講師は大阪交野市在住の金堀則夫氏。地域を掘り起こす詩や文学活動にも意欲的に取り組んでおられます)

第10回中四国詩人会 鳥取大会のことなど     洲 浜 昌 三

10回大会は平成22年9月25日、鳥取市の白兎会館で開催されました。島根が事務局を受けて最初の大会です。現在約200人の会員を擁していますが、文書作成や発送など任務は重大です。島根の事務局長で奮闘中の川辺さんには中四国の事務局長としても孤軍奮闘してもらいました。
開催地の鳥取では、副会長の井上嘉明さんをはじめ13名の人たちに裏方として大会の成功を支えていただき感謝しています。参加者は約60名。懇親会参加者、約50名。翌日の見学ツアー、32名。ほぼ例年の参加者数ですから中央から離れた(?)日本海側で開く大会としては大成功です。鳥取も島根もこういう詩の会に参加できる詩人は十数名で、それ以上は望めないのが現状です。
第10回中四国詩人賞は高知の萱野笛子(本名・福嶋富士子)さんの詩集「五丁目電停 雨花」ふたば工房発行)に贈られました。萱野さんは1937年長野県生まれ、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、現代俳句協会会員。これは8冊目の詩集。


賞状の原文は山口の陶山選考委員長。大田市在住の書の達人に書いてもらうことに決め、お願いしました。しかしまったく予期していなかったのですが、3人の匠は丁重に辞退されました。その理由を聞いて納得しました。「賞状は人前に掲げられて永久に残るもの。形式もあり書くのがとても難しい」というのです。自分の無知を恥じながら4番目の達人を懸命に説得してやっと書いてもらいましたが、自分の安易さを再認識しました。詩集紹介を兼ねて、参考までに文面の中心を紹介します。

「あなたの詩集「五丁目電停 雨花」は場面が一点に絞られている上に表現の完成度が高く 強い印象を与えます 時間と空間を超え 現実と非現実とが微妙に混じり合った独特の世界に読む者を引き込み 深く考えさせ感じさせるこの詩集は選考委員会で高く評価されましたここに第十回~」
萱野さんに顛末の一部を冗談気味に話したら逆に感動の言葉が返ってきました。どの詩にも物語性があり読む者の心の中でイメージが自由に広がっていく魅力的な詩集です。
詩の朗読では鳥取から池澤真一さん、福田操恵さん、山口は秋吉康さん、広島は北村均さんの後任として理事になられた上田由美子さん、岡山ー田尻文子さん、香川ー大波一郎さん、徳島ー堀川豊平さん、愛媛ー柳原省三さん、高知ー大崎千明さん。そして島根は若手のホープ岩田英作さんの「千の晩夏」。島根の参加者4名を勇気付けてくれるいい詩でした。
講演は大阪交野市に在住の金堀則夫さんで、「わたしの<フォークロア>ー詩と郷土史かるたー」と題して話されました。金堀さんの意思的な情熱が滲み出てくる熱のある講演でした。住んでいる場所の地名や伝説、習俗などを徹底的に堀り下げていく重要性を具体的に自分の作品を例に語られました。「詩人は何かしないと地域と結びつかない」「中央こそ詩が根付いていない。地方にこそ詩の根がある」ー講演中の言葉ですが、印象に残りました。しかし金堀さんの詩は決して郷土詩ではなく、素材は郷土にあっても創作詩であることは明記しておかなければいけないでしょう。

懇親会では傘踊りや民謡が披露され、途中では山陰詩人の成田公一さんの名調「貝殻節」も飛び出し、準備された二次会も含め楽しい時間を過ごしました。

翌日はバスによる市内観光。鳥取城主池田家の墓所、万葉記念公園、鳥取城、歴史博物館、尾崎放哉の生家跡や墓、鳥取砂丘など歴史に造詣の深い手皮小四郎さんの感銘深い超名ガイド。小寺勇造さんや井上義明さんの親切な説明など実りの多いツアーでした。鳥取も大陸の文化の影響を受けている点では出雲と共通した香りがあるのを感じました。

たまたまぼくは「経家最後の手紙ー不言城の子供たちへー」という脚本を書いていました。秀吉の「喝え殺し作戦」で鳥取城が包囲され4千の城内の者が人肉まで食べる餓死寸前状態。城番の吉川経家は切腹して場内の者を助けましたが切腹直前にひらがなで大田市福光不言城の子供たちへ遺書を書きました。鳥取城や周辺のことを調べていましたので実に時期を得たツアーでした。
その日の夜には鳥取市から不言城見学のため三十数名の「鳥取吉川経家会」の人たちが大田へ来られ、夜は歓迎会が計画されていましたので、ツアーは途中で切り上げて大田へ帰りました。
11回大会は平成23年10月に高知県の四万十市で開催されます。四万十市在住の山本衛さんが引き受けてくださり、この大会で声高らかに力強い挨拶をされました。7月にお願いしたとき、「高知詩の会」の会長、小松弘愛さんは会としても全面的にバックアップすると言われ、懇親会の席では「高知独立論」を述べながら楽しいジョウクと温かい歓迎の言葉で宴を閉められました。
(付記)中四国詩人会ではいつでも会員を募集しています。また会員の方には理事をお願いする場合もあるかと思いますが、そのときにはよろしくお願いいたします。

高知四万十大会は平成23年10月1日(土)「新ロイヤルホテル四万十」で行われます。翌日は市内見学ですが幸徳秋水の墓地や上林暁文学碑、佐田沈下橋、トンボ公園、大江満雄詩碑などを見学します。講師は鈴木 漠氏で「連句裏面史から」と題して講演されます。参加費は千円です。誰でも参加できます。

H21 9/26 中四国詩人会・大田三瓶大会終わる

2009年9月26日、中四国詩人会の大会を大田市の三瓶で開催しました。文章は島根県詩人連合の会報に書いたものです。下の写真は大田市の長久あたりから見た厳冬の三瓶山です。

中四国詩人会 島根大田大会を終えて 洲 浜 昌 三

第9会大会は大田市三瓶町のさんべ荘で9月26日(土)開催し、無事に終了しました。
会員が多い山陽側とは遠く、交通も不便なため、どれくらいの参加者があるか心配でしたが、大会には約60名、石見銀山観光は36人の参加者がありました。これは想定した数の上限で、参加者に心からお礼を申し上げたいと思います。下限だったら二度と顔を出せない事態になっていたでしょう。
島根からは宿泊が5名、大会のみの参加者が9名。いろいろな面でバックアップして大会を支えていただきました。岡山からは22名。大会成功の大きな力でした。
事前に講師の麻生直子さんのエッセイを山陰中央新報の文化欄へ掲載してもらいましたが、それを読んで浜田から参加された人がありその熱意に感銘を受けました。
総会では予算・決算、事業報告・計画の説明を受け原案通り承認されました。

(山口のスヤマユージ会長から中四国詩人賞を受ける岡山の沖長ルミコさん)

第9回中四国詩人賞は倉敷市の沖長ルミコさんの詩集「吹き上げ坂を上がると」に授与、選考委員長の北村均さんから選考経過が発表され、沖長さんの受賞の言葉、詩の朗読がありました。沖長さんは日本現代詩人会、日本詩人クラブ、詩人会議、岡山詩人協会会員。同人誌「道標」「どぅるかまら」「飛揚」所属。この詩集は、平明な日常語で書かれていますが、何気ない言葉の背後に、時代や社会と誠実に対峙して生きて来られたこの詩人の知性や感性が静かに息づいていています。

 

中四国詩人会特別功労賞が総社市の井奥行彦さんに贈られました。井奥さんは岡山の詩の重鎮で全国的にも活躍されていますが、中四国詩人会の初代会長、その後の顧問、『中四国詩人集第一集』の編集長など、その多大な貢献に会員が謝意を示したものです。
恒例の詩の朗読では次の人たちが自作詩を朗読しました。井上嘉明、重光はるみ、長谷川和美、森崎昭生、川野圭子、小野静枝、柳原省三、洲浜昌三。

(自作詩「家康っさんの綿入れはんてんー石見銀山考ー」を朗読したあと、翌日見学することになる徳川家康から安原備中が贈られた胴服について解説するスハマ。世界遺産センターに展示してあるのは模造品ですが、清水寺にあった本物(重要文化財)を着て大森小学校の児童が学芸会をしたという話を散文詩にしたものです。石見銀山考はいつか詩集にまとめてみたらおもしろそうです)

講演は麻生直子さん。「風土から生まれる言葉」と題して話されました。麻生さんは北海道の奧尻島の生まれ、現在は東京で活躍中。中央志向の均質化された詩ではなく、自分の足下を掘り起こして詩を作る大切さを数々の例から話されました。その例として閤田真太郎さんと長津功三良さんがその場で指名を受け自作詩を朗読。共に力のある詩でした。
講師の自由闊達な話しも佳境に入ったところでしたが、何しろ分刻みの超過密時程。麻生さんは思いを残しながら話しを閉められ、副会長・小野静枝さんの「根っこのある詩を大切にしたい」というお礼の言葉で講演は終了しました。
次回10回大会は鳥取の白兎会館で9月25日に開催したい、と副会長の井上嘉明さんから報告されました。

懇親会では土江こども神楽団の石見神楽を観賞。食事をしながら40分の予定が、食事をせず60分。係としては腹が「苦り」ましたが、初めて石見神楽を見る人がほとんどで、賞賛の言葉もいただき、腹のにがりも少し収まりました。
空と山と谷しかない三瓶で二次会を期待するのは常識外れですが、事前探査で唯一の場所を見つけ、懇親会の後でその志学へマイクロバスで出かけました。広くて素敵なパブでした。人前では絶対に歌わないという詩人のプロ並みの歌など聞けて至福の時を過ごしました。

翌日は希望者で石見銀山へ。世界遺産センターで展示を見て、徒歩約6キロコース、1キロコースに分かれてガイドさん(河村夫妻)の案内で見学。地元で生まれ戦前の大森もよく知っている人なので貴重な話しを聞くことができました。あんな山の中にも家が重なって建っていたとは!一軒一軒みな覚えておられるのですから国宝級です。
バスがないので岩田さんには駅まで車で迎えに行ってもらいました。短時間に殺到する各種の受付を狭い場所で田村さんと高田節子さんにはテキパキと裁いていただきました。連絡ミスで欠席扱いだった人が来られたり、名前から男性と判断して男部屋に割り振っていたり、数々のミスを川辺さんには臨機応変に処理してもらいました。
不便で手が加わっただけ、人間の温もりのある大会になったかもしれません。

H23 7/9 中四国詩人会第22回理事会終わる

(テスト中です)2011年7月9日、岡山国際交流センターで22回目の理事会が開かれました。10時から11回中四国詩人賞の選考があったので、それに間に合うように前日に岡山へ到着し泊まりました。石見からは不便ですね。5人の選考委員の熱心な議論により16冊の中から最終的には一冊が決定しましたが、今月末に川辺事務局長から発表になります。

昨年の鳥取大会から今年10月1日の四万十大会が終了するまでは会長は島根の洲浜、事務局長は川辺です。高知の萱野さんを議長に選任して会は進みました。役員の新任、移動、会計報告、予算、蒼わたるさんから「中四国詩集第4集」刊行の報告、詩人賞の選考結果報告、中村市の山本さんから四万十大会の説明、等が行われました。各県の詩の朗読者が一部未定で今月中に事務局へ報告することになりました。今年は幸徳秋水刑死100年に当たります。そういう意味でも四万十大会は記念に残る大会になりそうです。一族郎党引き連れて参加してほしいと山本さんは訴えられました。地方で開催すると出席者の心配がつきまといます。

12回大会の開催地について話し合いましたが次の会までに決めることになりました。岡山か広島の可能性が大です。4時40分ごろ終了しましたが、いつものように未完成で懇親会を開きました。その夜汽車で帰るつもりでしたが、駅の喫茶店でマヤさんやオカさんなどと熱く語り合っているうち汽車は2本とも出ていました。

年に2回岡山で理事会があるので今までに20回くらい出かけたことなりますが、2年前までは岡山駅の西口はフツーのつまらぬ駅でした。しかし今回はとても便利で快適な広場になっていました。木が大きくなるといい風景になるでしょう。写真は東急インの7階から眺めた朝の岡山駅西口です。

次回の理事会は1月7日(土)に予定しています。『中四国詩人集』は順次発送中です。僕の所にはまだ届いていませんが、届いたら紹介しましょう。四万十大会は10月1日に新ロイヤルホテル四万十(℡ 0880-35-1000)で開催されます。中四国詩人会大会に参加すると言って申し込むと割引があります。翌日は希望者による市内観光です。幸徳秋水の墓、漢詩の碑、上林暁文学碑、資料館、佐田沈下橋、トンボ公園、大江満雄詩碑などを見学します。

四万十大会の講師は鈴木漠氏で「連句裏面史から」と題して記念公演があります。参加費は千円、誰でも参加は自由です。