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1940年、島根県邑智郡邑南町下亀谷生まれ・現在、大田市久利町行恒397在住・早稲田大学教育学部英語英文科卒・邇摩高校、川本高校、大田高校で演劇部を担当、ほぼ毎年創作脚本を執筆。県大会20回、中国大会10回出場(創作脚本賞3度受賞)主な作品「廃校式まで」「それぞれの夏」「母のおくりもの」「星空の卒業式」「僕たちの戦争」「峠の食堂」「また夏がきて」「琴の鳴る浜」「石見銀山旅日記」「吉川経家最後の手紙」「父の宝もの」など。 著作:「洲浜昌三脚本集」(門土社)、「劇作百花」(2,3巻門土社) 詩集「キャンパスの木陰へ」「ひばりよ大地で休め」など。 「邇摩高校60年誌」「川本高校70年誌」「人物しまね文学館」など共著 所属・役職など: 「石見詩人」同人、「島根文藝」会員、大田市演劇サークル劇研「空」代表、島根県文芸協会理事、大田市体育・公園・文化事業団理事、 全国高校演劇協議会顧問、日本劇作家協会会員、季刊「高校演劇」同人、日本詩人クラブ会員、中四国詩人会理事、島根県詩人連合理事長、大田市文化協会理事

詩 「がんばれ まめ戦士」

 がんばれ まめ戦士
洲 浜 昌 三

さあ 元気よく歌いながら豆をまいて
オニを退治しましょうね
もう一度大きな声で練習しましょう

おにはそと ふくはうち
ぱらっ ぱらっ ぱらっ ぱら まめのおと
おには こっそり にげていく ※

頭に白い鉢巻きをキリリと締め
ふるさとを守る戦士のように目を輝かして
幼い子どもたちは声を張り上げる

ウオー オニダゾ ワルイコハ タベルゾ
ギヤオー アカオニダゾ ナキムシハ ドコダ

二ひきの鬼が飛び出したとたんに
戦陣はたちまち総崩れ
真っ先に逃げていく男性戦士
恐怖でその場にうずくまる女性戦士
一歩も退かず勇敢に立ち向かう数名の豆戦士
悲鳴や泣き声が戦場に響きわたる

さあ 子どもたちよ
あの歌を歌うんだ
みんな一緒に 大きな声で
あんなに何度も練習したじゃないか

※童謡「豆のうた」より
大田市文化協会は年3回「きれんげ」という会報を発行しています。1000部以上印刷していると思いますが、大田の文化情報や石見銀山の歴史は毎号掲載しています。数年前から詩を依頼されて書いています。詩人ではなく普通の人が読んで何か心に残るような詩になればと思って書いています。石見銀山の詩も時々書いています。行数は30時以内ですから長い詩は書けません。

上の詩は会報の最新号のために書いたものです。マイ グランドドーター が節分前にはいつも「豆まき」を家でも歌っていました。いいうたですね。「ぱら、ぱら、ぱら」 というのがなんともいえません。保育園で節分の当日は鬼がでてくるとみんな恐れて泣いたそうです。その後家でも、鬼を怖がっています。2歳という年はまだサンタクロスも鬼も実在すると思っているんでしょうね。

これは保育園で先生とつくった鬼です。なんとかわいい鬼ですね。食事の時もこのメンをつけて食べています。お気に入りです。

藤田 卓 戯曲集『豊島屋物語』 出版

平成23年7月、藤田 卓 戯曲集『豊島屋物語』が横浜市の門土社から 出版されました。「戯曲満開坐」シリーズの第1巻です。藤田さんは広島県の高校で演劇部の顧問をされ、数多くの個性的な脚本を書いてこrかれました。本の中で伊藤隆弘先生が「時空を越えて紡ぐ人」として詳しく紹介しておられます。

      6編の脚本が載っています。
『半鐘の村』『むかしを今に』『波の都』『豊島屋物語』『港はいつも春なれや』『移民船安寧丸』。それぞれの脚本が高校演劇のレベルを突き抜けたしっかりした脚本です。高校生が上演しても感動的な劇になると思いますが、社会人が上演すると更に迫力のある劇になるでしょう。卓先生の劇は何本か見ていますが、高校演劇特有の甘っちょろさがないことです。会話もストリーも歴史的なまた社会的なフィルターを通過して生まれたものです。初期の作品は高校生の群像を描いたものが多いのですが、高校生だけの世界ではなく歴史や社会の中で生きている高校生が描かれていました。それがとても印象に残っています。
卓先生に平成23年度の広島県高校演劇大会で久しぶりにお会いしました。元気でした。脚本を贈っていただいたのでお礼を言い感想などを話しました。夜の顧問研修会にも出席されました。

本の「あとがき」を紹介しましょう。卓先生が洲本高校、三和高校、廿日市西高校、観音高校の演劇部の皆さんと共に汗と涙を流して創った劇への思いがよく伝わってきます。

本の価格は1200円。しっかりした装幀の本です。本の出版には経費がかかりますが、長年の仕事の結果をこうして本という形にして残されたことは貴重なことだと思います。おつかれさまでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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詩人 高塚かず子のふるさと 島根川本

ー詩人 高塚かず子ー
水の詩人のふるさと、島根川本

洲 浜 昌 三

第44回H氏賞を受賞したとき、高塚かず子は「島根県生まれ」と報道された。しかしその名前は思い当たらなかった。
『島根の詩人たち』(田村のり子著、島根県詩人連合発行)を読むと次のように書いてあった。「川本生まれだが、幼いとき母方の地九州へ移った。祖父が川本で俳句誌『霧の海」を出していたような、文学の血があるようだ。」 続きを読む 詩人 高塚かず子のふるさと 島根川本

詩 娘たちの「銀山巻き上げ節」-石見銀山考-

  娘たちの「銀山巻き上げ節」

                                ー石見銀山考ー
                                                                    洲浜昌三

石見銀山で働いていた女性に会いに行こう
と誘われ 八十を超える老女を訪ねたのは四十年前だった
娘のころ永久鉱山で働いていたという 続きを読む 詩 娘たちの「銀山巻き上げ節」-石見銀山考-

書評 水野ひかる詩集『未明の寒い町で』

2010年11月、香川県善通寺の水野ひかるさんが詩集『未明の寒い町で』(土曜美術出版)を出された。贈呈を受け率直な感想を書いて礼状をお送りした。後日「詩誌そばえ」へ書評を頼まれました。「そばえ」(「戯」)は徳島県板野郡板野町の扶川 茂さんが発行されている詩誌。2012年1月にⅢ4号が発行され書評が載りました。長い文章ですが紹介します。 続きを読む 書評 水野ひかる詩集『未明の寒い町で』

詩 大森五百羅漢-石見銀山考-

 

大森五百羅漢 -石見銀山考-       洲浜昌三 

石のそり橋を渡ると
羅漢さまの静かな岩室がある

父や母や夫や妻や愛しい我が子が
安らかに眠りますように

はるか江戸時代に人々が込めた
深い祈りの石仏 (いしぼとけ)

羅漢とはー
いっさいの煩悩を滅し、自力で悟りを開いた人ー
と辞書にある  それにしては

「てめえらぁ それでええんかや!」と目をむいて怒鳴る羅漢
「うちのにょうぼうのやつがのぅ」口を曲げて愚痴をこぼす羅漢
「助けちゃんさい 頼むけぇ」天に号泣する羅漢
「わしゃ はあ知らんで」膝を深く抱える羅漢
「ありゃ ぼけてきたかいのぅ」ふと 頭に手をやる羅漢

静かに瞑想する数多の尊者の中に
悟りとは遠い数体の羅漢

石見の国 福光の石工は
うっかり本音を刻んだのかもしれない

(島根県詩人連合発行「しまねの風物詩」より)

詩 「石見は空白地帯」-石見銀山考-

 

石見は空白地帯  -石見銀山考ー

Shouchan

フランスの観光パンフレットには

出雲と山口の間には何もないという

 

そのフランスからカルロス夫妻がやってきた

メリーズはきりっと引き締まったフランス美人

カルロスは小太りで陽気な赤ら顔のラテン系

船会社を退職し悠々自適らしい

 

若いとき日本のミノルタカメラが欲しくて

ドイツまで稼ぎに行ったというカメラ狂

芸術の都からカメラを抱えて地球の旅へ出る

 

三瓶山から日本海に沈む夕日を連写し

地下で巨大な埋没縄文杉のシャッターを切りつづけ

志学の露天風呂で満天の星を見上げ

無視された石見の我が家でゆかたを着て正座し

ヴェリィ フルーティと日本酒「羅浮仙」を飲み

タタミマットのセンベイフトンでぐっすりねむる

 

江戸風情の家並みの路地に白い雨が降る次の日

石見銀山世界遺産センターのヒノキのホールを抜け

展示を見ながら歩いて行くと

おお!と声をあげてカルロスが立ち止まる

This map is Portuguese!

ポルトガルで400年前に描かれたエビのような日本地図

 

なんと!カルロスはポルトガル生まれだった

 

ヴァスコ・ダ・ガマに出会ったかのように目を丸め

ポルトガル語を読む

「FVOQVI」(ほうき)の西に「INZVMA」(いずも)

その西にあるのは

日本海に張り出た広大な「 R・ASMINAS DA PRATA 」

山口はなくて その南が「VAMGATO」(ながと)

 

抹殺された出雲・山口間に書かれた

ぼくらが立つ石見の大地は

「銀鉱山群王国」

 

H23 島根県民文化祭文芸作品入賞者表彰式

2010年12月11日、平成23年度の島根県民文化祭文芸作品入賞者の表彰式が松江で行われました。表彰式のあとには例年のように各部門で入賞者との懇談会が開かれました。

 各部門の応募作品数は次の通りです。短歌・一般の部413首 ジュニアの部96首  俳句・一般部611句 ジュニアの部89句  川柳・一般部521句 ジュニアの部582句  詩・一般部55編 ジュニアの部77編 散文・17編 ジュニアの部の応募作品はなし。

今年の大きな傾向はジュニア-の部(中学生まで)で多くの応募者があったことです。これは小・中学校の先生などで熱心な方が生徒に書かせた作品を応募されたからだと考えられます。詩では77編も作品が集まり、びっくりしました。これも熱心な先生の指導の賜です。文芸でも高齢化が進み、若い人たちを育てて行く必要性を文芸フェスタの運営委員会でも何度も話し会いました。その結果ジュニア-の部を設けたわけです。ますます応募者が増えることを期待しています。

入賞者の作品は毎年本になっています。「島根文芸」44号です。図書館などにはあると思います。島根県の国際文化課に問い合わせると購入もできます。

詩の分科会では入賞者に作品を朗読していただき参加者で感想等を述べあい貴重な2時間を過ごしました。島根県詩人連合で出席したのは、撰者の田村のり子さん、閤田真太郎さん、事務局長の川辺真さん、理事長の洲浜昌三の3人でした。

今年の入賞者の大きな特徴は高校生たちが上位に入ったということです。今までもそういうことはありましたが、銀賞や銅賞にたまーに1名か2名に過ぎませんでした。金賞の『僕』を書いた竹下奈緒子さんは出雲商業高校生、銀賞『ハロウイン』の中島千尋さんは松江高専の学生、同じく銀賞『純』の青木茂美さんは出雲商業高校、銅賞『おばあさん』の勝部椋子さんも出雲商業高校。

高齢者の作品はどうしても過去の回想になったり、記録だったり、若々しい感性は欠けています。しかし上記の若い人たちの作品には脆いところはあっても新鮮な感性が息づいています。確かに魅力的です。

小林さんの『としをとると』、持田俶子さんの『まあちゃんの自転車』は若い人にはかけない分厚い時間の堆積から滲み出てくるような哀感がありました。本来なら優劣をつけることはできません。

みなさん、おつかれさまでした。来年もまた参加してください。

 

 

H24,1/7 第23回中四国詩人会理事会

2012年1月7日岡山市の国際交流センターで23回理事会が開かれ出席しました。高知四万十市の山本衛さんが新会長、新事務局長は高知の萱野笛子さんです。山口の秋吉康さんを議長として選任し、つぎのような議題が話し合われました。

1.役員の新任、移動ー新理事に岡山のくにさだきみさんを承認。                      1.11回四万十大会経過報告、ニューズレターについて。                         1.四万十大会会計中間報告                                      1.第12回中四国詩人賞募集について(募集要項および選考委員会選考細則についてー過去の受賞者も選考委員に入れることや、会員や会員外の応募料について)                            1.第12回中四国詩人会・岡山大会について(10/13に決定)                         1.次回理事会は6/30(土)岡山の国際センターで開催する。午前中は中四国詩人賞選考会議

ニューズレターは岡山の高田千尋さんを中心に編集することに決まっていましたが、高田さんから、充実したいので各県から色々な情報を提供してほしいという要望がありました。

第12回中四国詩人会・岡山大会は10月13日13:30から、岡山市内の「プュアリティまきび」で開催することに決定し、蒼わたる副会長から詳細な日程説明がありました。記念講演は「民話の語り」で立石憲利さんです。楽しい方言の語りが聞けそうです。翌日の市内観光は、夢二の生家訪問、正富汪洋詩碑、牛窓観光の予定です。

会員外の人ももちろん参加は自由です。どうぞいまから日程にいれておいてください。

 

四万十大会盛会裏に終わる(平23)

島根県詩人連合が発行している「島根県詩人連合会報」71号(2011,12,25発行)に掲載したものです。会報では写真は2枚ですがここでは増しています。記録として掲載します。

 

四万十大会盛会裏に終わる       ー 第十一回中四国詩人会報告ー                            洲 浜 昌 三

高知県西部の中心地・四万十市で10月1、2日、中四国詩人会大会が開かれました。  清流四万十川の沖積平野に開けた四万十市は、中村市と幡多郡西土佐村が合併して生まれた人口約三万六千の市です。街の思わぬ所に古い面影や地名が残っていて不思議な印象を受けました。

 説明によると応仁の乱を避けて、所有していた幡多(はた)荘へ下向した一條氏が京都を擬して御所や碁盤目の街を作ったそうです。「土佐の小京都」と呼ばれた伝統のある街です。地元の人と話すと「中村市」に愛着と誇りを持っておられるのを感じました。

大会は「新ロイヤルホテル四万十」で開催。遠隔地のため参加者が心配でしたが会員49、 会員外24名の事前参加届けがあり、当日は準備した資料90部が足りなくなる盛会振りでした。遠く離れた事務局担当県として感謝のほかはありません。「高知詩の会」の代表・小松弘愛さん、事務局の林 嗣夫さん、萱野笛子さん、そして『ONL』を主宰しておられる山本衛さんをはじめ地元の詩人の皆さまに大変お世話になりました。

 

大田を2日前に出発、次女のダンナが南宇和郡愛南町の出身で一緒に行きました。両親はすでに他界、海辺の集落に生家の屋敷跡だけが残っていました。墓に参拝。車で四国の南端、足摺岬へ。「なぜアシズリというんですか」と聞くと、「空海が足を摺って歩いて来たから」と宿の女将。名答に感銘。「足摺の南百キロに台風接近」子供の時から聞き慣れた岬に立って、眼下から広がる広大な太平洋をしばし眺めました。 (写真は最初の朗読者・山本衛さん。後ろは朗読者です)

 

                                 大会前夜には高知の小松、林、山本さんに広島の長津さん、コールサックの鈴木比佐雄さん7人で講師の鈴木 漠先生歓迎会を開きました。(写真の左から林さん、鈴木比さん、洲浜さん、山本さん、講師の鈴木さん、小松さん)

総会では四万十市長の歓迎の挨拶も。第11回中四国詩人賞は岡山の小野田 潮さんの詩集『いつの日か鳥の影のように』へ贈呈。無駄のない抑制が利いた地味な詩ですが知的な感性から生まれた言葉が深い思考へ誘ってくれる魅力ある詩集です。賞状を渡しながら詩集と小野田さんのジェントルマンライクな人柄が重なりました。(写真は洲浜会長より受賞者の潮さんへ賞状と賞金の授与の場面)

 講演は徳島生まれで神戸に在住の鈴木 漠先生。詩集20冊、連句集11冊。圧倒される著作数です。その源泉は、知的エネルギーの強靱さ、好奇心や想像力の豊かさ、仕事の緻密さにあるのでしょう。「連句裏面史から」と題して中国の李賀から古事記、万葉、光秀、芭蕉、蕪村、子規などを具体例に、連句が果たした役割を語られました。豊富な知識から歴史的興味をそそる想像やエピソードなどを挟んだ楽しく充実した講演でした。

詩の朗読は各県から山本 衛、大森千里、宮本 光、宮田小夜子、山田朝子、摩耶甲介、川野圭子、スヤマユージ、井上嘉明の皆さんプラス洲浜。

アトラクションでは永野美智子さん作成の紙芝居「幸徳秋水」と一條太鼓の演奏を楽しみ、懇親会では広い会場で話しの花が満開でした。

 

 

(一條太鼓の皆さん。小学生もがんばっていました)

翌日は視察観光。先ず幸徳秋水の墓へ。奇しくも刑死百周年記念の年でした。  明治43年数百人の社会主義者・無政府主義者を逮捕し、26名を天皇暗殺未遂の大逆罪で起訴、翌年1月18日24名に死刑判決、6日後秋水ら11名死刑執行。この短期間の執行に時の政府の意図が丸見えです。秋水の無念な思いに心を寄せ黙想しました。NHKで放映中の「坂の上の雲」の日清・日露戦争勝利とこの弾圧は同時に進行していたのです。若い秋水たちも「坂の上の空に輝く一朶の雲」を見て歩いたことを忘れたら片手落ちです。

市内視察は上林暁文学碑、郷土資料館、佐田沈下橋、トンボ公園、大江満雄詩碑と続きましたが、ぼくは都合があり秋水の墓から一人離れ中村駅へ急ぎました。

鳥取大会、四万十大会を終え、島根の事務局長川辺、会長洲浜は御役御免。高知の萱野、山本体制がスタートしました。  川辺さんは手が抜けない行事のため四万十大会には参加できませんでしたが、事務局長として数多い事前の文書作成・発送など完璧に果たしてバトンタッチしてもらいました。 三瓶大会からのご協力に感謝しつつ四万十大会の報告とします。

(会報は島根県詩人連合事務局で発行しています。694-0014 島根県安来市飯島町1842 山根方 川辺 真)