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1940年、島根県邑智郡邑南町下亀谷生まれ・現在、大田市久利町行恒397在住・早稲田大学教育学部英語英文科卒・邇摩高校、川本高校、大田高校で演劇部を担当、ほぼ毎年創作脚本を執筆。県大会20回、中国大会10回出場(創作脚本賞3度受賞)主な作品「廃校式まで」「それぞれの夏」「母のおくりもの」「星空の卒業式」「僕たちの戦争」「峠の食堂」「また夏がきて」「琴の鳴る浜」「石見銀山旅日記」「吉川経家最後の手紙」「父の宝もの」など。 著作:「洲浜昌三脚本集」(門土社)、「劇作百花」(2,3巻門土社) 詩集「キャンパスの木陰へ」「ひばりよ大地で休め」など。 「邇摩高校60年誌」「川本高校70年誌」「人物しまね文学館」など共著 所属・役職など: 「石見詩人」同人、「島根文藝」会員、大田市演劇サークル劇研「空」代表、島根県文芸協会理事、大田市体育・公園・文化事業団理事、 全国高校演劇協議会顧問、日本劇作家協会会員、季刊「高校演劇」同人、日本詩人クラブ会員、中四国詩人会理事、島根県詩人連合理事長、大田市文化協会理事

H25 『島根文芸』入選者表彰式 松江で

2013年度の島根県民文化祭の一環として行われた文芸作品公募の作品集が発行され、入選者の表彰式が12月15日、松江市で行われました。県の関係者、詩、俳句、短歌、川柳、散文部門の代表、選考者をはじめ入選者とその家族など100人以上の人たちが参加しました。

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上の写真は入選作品集です。昨年から中学生以下を対象にしたジュニア-の部の作品集は別冊で発行されるようになりました。この本の購入を希望する人は次のところへ問い合わせてみてください。在庫があれば本代だけならは1000円です。文化国際課文化振興室(0852-22-5877)

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上の写真は詩部門の入選者です。銅賞以下は入選作品として数名の人の作品が本には掲載されています。DSC05275DSC05276

全体の表彰式の後で、例年のとおり分科会が開かれ、参加者と作品を鑑賞しました。詩部門では撰者の閤田真太郎、山城健、岩田英作さん3人と詩人連合事務局長の川辺真さん、理事長の洲浜昌三が出席しました。最初に作者が作品を朗読し、お互いに感想などを述べ合いました。

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ジュニア大賞の出雲市佐香小学校の南場知揮君の「魚の目」も、南場萌花さんの「みんな私の父さん」はとてもいい作品で、みんなが感心しました。紹介すればいいのですが・・・・また時間があるときいつかどこかで・・・。

この佐香小学校へ読み聞かせ(朝15分)にいっておられる川柳の金築雨学さんも参加され、ひと言指導のいったんを述べていただきました。「ほめられようと思って書かない」「飾らない本当の自分を書く」「見たこと、事実を感性でとらえて表現する」ことを目標にして書かせられたそうです。もちろん川柳も指導しておられ、今回の本にも多くの児童が入選しています。

後日、金築さんから冊子が届きました。紹介します。
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18ページの冊子ですが、子供たちの川柳や詩がたくさん載っています。ここに源泉あり!!ですね。すごいことをしておられます。以前詩では、益田の石見詩人、田原先生の児童詩{蟻}、浜田でも長い間、小中学生の詩や短歌など公募して冊子にして発行していました。

いまはゼロになりました。どうにかしたいところですね。

H25 出雲高校演劇部 連続全国大会へ

2013年11月23、24日、鳥取県米子市・米子コンベンションセンターで第51回高校演劇中国地区大会が開かれました。島根から出雲高校が「見上げてごらん夜の☆を」、松江南高校が「冒険授業」で出場しました。事務局の黒瀬先生、島根の事務局の伊藤先生からも案内文書が来て、是非行きたいと思っていましたが、他の予定がありその上検査にも引っかかり、行けませんでした。

審査結果では出雲高校が昨年に続いて最優秀賞を受賞し、来年夏の全国大会へ出場することになりました。審査は上位3校で僅差だったとか。レベルの高い壁を突破しての全国への切符。すごいですね。おめでとうがざいます。島根県大会で観劇したときにもこの予感はありました。とてもいい劇でした。島根県大会の感想を書いていますので興味ががあれば読んでみてください。

H25 島根県高校演劇大会 出雲、松江南 中国大会へ    http://stagebox.sakura.ne.jp/wp/apoetinohda/2013/12/07/h25-%e5%b3%b6%e6%a0%b9%e7%9c%8c%e9%ab%98%e6%a0%a1%e6%bc%94%e5%8a%87%e5%a4%a7%e4%bc%9a-%e5%87%ba%e9%9b%b2%e3%80%81%e6%9d%be%e6%b1%9f%e5%8d%97-%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e5%a4%a7%e4%bc%9a%e3%81%b8/

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(上の写真は島根県大会でスハマクンがパチリとしたものです。絵になっていますね。見事なもんです。)

第51回中国地区大会出場校

上演1 鳥取県
岩美高校 西川真由美作「THE 図書館」

上演2 島根県
出雲高校 木下根っ子作「見上げてごらん夜の☆を」(顧問 伊藤靖之 作)

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(この写真も島根県大会です。8人で18人の役を演じていますが、同一人物だと思わせないところが、これまたすごいですね。照明も音響もパッチリ!決まっていましたね、照明のオオクニクンのfather に大田でぱったり!蛙の子は蛙ですね。長崎大会がおわり、続いて地区大会、県大会、中国大会とつづき、連日遅くまで議論して創りあげたそうです。)

上演3 岡山県
岡山東商業高校 柴幸男作「わが星」
上演4 広島県
市立沼田高校 黒瀬貴之作「JOIN US!」
上演5 山口県
宇部中央高校 古谷泰三作「16歳、僕隠れてます」
上演6 鳥取県
倉吉東高校 越智優作「サチとヒカリ」
上演7 山口県
西京高校 西京高校演劇部作「キリンは舞台の夢を見る」
上演8 広島県
市立舟入高校 正田篠枝作 須崎幸彦校正脚色「さんげ-原爆歌人正田篠枝の手記「耳鳴り」より-」
上演9 岡山県
岡山南高校 岡山南高校演劇部作「生徒会(ぼくら)とわらしとはじまりの夏」
上演10 島根県
松江南高校 中村勉作「冒険授業」
上演11 鳥取県
米子松蔭高校 結城翼作「飛ぶ教室」

講師は東京演劇集団風の辻由美子先生、青森中央高校の畑澤聖悟先生、そして審査員は各県から各一名。

皆さんおつかれさまでした。

H25 島根県高校演劇大会 出雲、松江南 中国大会へ

 

第37回島根県高等学校演劇発表大会が2013年10月26,27日、加茂町文化ホール・ラメールで開催され、出雲高校、松江南高校が最優秀賞を受賞、米子市で開催される中国地区大会へ出場します。。 両校とも表現豊かで洗練されたすばらしい舞台でした。簡単な感想など込めて紹介します。 写真は写せないのでパンフから白黒を利用させていただきました。一部パチリ!(パクリ?)もあります。あくまでスハマ君の感想です。http://stagebox.sakura.ne.jp/wp/apoetinohda/2013/12/12/h25-出雲高校演劇部-連続全国大会

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劇研「空」は高校演劇を応援することを設立の時の目標の一つにしています。当初は大田高校演劇部劇と一緒に劇も上演しました。(「星空の卒業式」「サクラさんのふるさと」等々)このブログも大田高演劇部を応援するために卒業生、修平さんがつくったものです。応援される対象は消えましたが、復活を願ってブログで応援しています。この観劇記も応援の一つです。

文学や芸術には多角的な視点が必要です。それに反発した場合でも、刺激材となり発酵して新たな形になりことが多々あります。感想や批評のありがたさです。それを願って、スタート!

松江工業高校 創作劇「流るる船は」三須雛乃 松江工業
作 部員の三須さんが脚本を書き、自ら雪哉(殿様)で出演し堂々と演じた時代劇です。時代劇は装置や衣装、言葉使いなど難しいことがたくさんありますが、この劇では「ブサメン、イクメン」などの言葉が出てきて、時代にこだわらない自由な発想で書かれています。装置も舞台奥に一段と高い台を作っただけの単純なものでしたが、いろいろな場面にうまく使っていました。装置は単純な方が演出、演技、照明、効果などによって多様な場面に変化できるので便利で効果的です。

女であることを隠した殿の正体を見た家来の恭之介が鬼ヶ島へ無罪の島流しになり、島民と一緒に敵討ちにもどってくるという話しです。場面が多く小間切れになるところを音響や照明でうまく繋いでいました。脚本も面白くできていて作者の才能の片鱗をあちこちで感じました。ストリーの組み立てをもっと工夫し、軽く流すところとじっくり描く場面との軽重を考えて書くと更に引き締まった劇になったことでしょう。日頃の発声練習をしっかりして、「声は聞こえても言葉がわかりにくい」ことがないようになれば最高です。

松江農林高校 「やっぱり パパいや」阿部順 作 演劇部潤色

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現在、全国高校演劇協議会の事務局長・阿部順先生が書かれた人気のある脚本です。この劇を初めて観るときには、次ぐ次ぎと展開される意表を衝くどんでん返しにびっくりしたり、笑ったり、感心したりして、揺さぶられながら惹き込まれていき、何度も笑いながらも最後は父親の一抹の寂しさと哀しさが胸に滲み出てきます。面白くできている脚本なので、何度も観た人にはそれを以上の面白さや独自性がないと期待が裏切られることになります。よく知られた有名な脚本はそこが難しい。

農林のみなさんはかなりいいところまで達していましたが、今ひとつ思い切った演出や演技があればよかった気がします。お父さんはいい味をだしていましたね。音楽も劇に合っていました。ラストで父が滑って転んで上手へはけながら緞帳が下りるところも、この劇のエッセンスを何気なく感じさせて素敵でした。転んだのは偶然かもしれませんが、この劇をコミカルな喜劇として届けようとした農林の演出意図が出ていました。18人が舞台に立つという層の厚さも農林の演劇部の底力を感じさせました。

松江商業高校 「夏の詩」遠野 尚 作
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緞帳が上がったとき、どんな装置が飛び込んでくるか。劇を観る時の楽しみの一つです。 何もイメージが浮かばないか、イメージや妄想がどんどん広がっていくか。

この劇では下手に橋の一部が見え、つたが巻き付いています。橋の向こうに何があるんだろう?想像がふくらんでいきます。スッキリしてしかも劇のイメージを発展させるいい装置でした。 キャストのみなさんの発声もよくて、ことばがはっきり分かりました。というより何の抵抗もなく、聞こうと意識したり努力する必要もなく、座っていて自然にことばと気持ちが届いてきました。日頃の発声練習の成果でしょう。おばあちゃんを出雲弁に変えたのも成功していましたね。

講評するとき、脚本の弱点は言わない方がいい、という意見があります。既製の脚本は部員の責任ではないからです。しかし脚本はその劇の土台です。劇の善し悪しの8割は脚本で決まると言った人もあります。脚本選択、脚本潤色なども含めて十分考える必要があります。脚本選択力、潤色も部の力量の一つです。

5人の高校生が卒業記念に100の物語りをしていて、依子が語る話が劇として演じられるのですが、村での子供たちの遊びが延延とつづきます。つづいてもいいのですが、その背後でストリー展開もストップしていては、単なる子供の遊びの意味しかありません。演じている人は一生懸命ですが、見ている人は同じ状態が30分もつづけば、劇から引いてしまいます。また、おばあちゃんの大切な鏡を割ったので、大好きなおばあちゃんの臨終にも行けないのですが、劇の核であるおばあちゃんと依子との交流がほとんど描かれていません。「メインテーマと外れたところで遊び過ぎ」と脚本を読んだときにメモしていました。美事な橋を初めから生かしたかったですね。

出雲高校 創作劇「見上げてごらん夜の☆を」伊藤靖之 作(顧問)

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音楽とともに緞帳が上がると空一面に星が輝き、高い台の上で星空を眺めている若者の姿がシルエットになって浮かび上がります。観客は自然に詩的な風景の中へ誘い込まれ、空想の羽を広げて物語りを予感し紡ぎ始めます。素敵な出だしです。

高校生のノゾムと学者風の星野との面白おかしいずれた会話。「今見てるものは過去だ」と断定する星野の詩人のような哲学者のような言葉。なにげなく劇の核を暗示します。テンポのいい会話、歯切れのいい言葉、無駄のないシャープな動き、次々と展開されていく10以上のシーン。

劇団オリオン座が繰り広げる何かを暗示するような意味不明に近い天体ショー。15の役を8人で演じるのですが、別人のように思えるのは劇団員の時は白衣を着ているからでしょう。身代わりも速くできるし全身が変わるので同一人物とは思えません。いいアイデアですね。言葉は十分届くし、演技や会話で引っ掛かるような不自然さがなく、自信を持って演じているので、安心して見ておれます。

メモの中から主なものを箇条書きで書いてみます。 ・幕開きがとてもいい。観客のイメージがふくらんでいく。 ・発声がいい。声が小さいときでも言葉がわかる。スピード、強弱、滑舌、間のとり方など自然で抵抗がない。 ・装置に立体感があり、劇中劇、屋上、学校、家など多面的に展開できる。 ・歌がうまい。とてもハーモニーがいい。 ・作者の好きなギャグやジョーク、ユーモア、言葉遊びがたくさん出てくるるが、若干の例を除き、押しつけがましくなくてセンスがある。とても深みと味のあるユーモラスな会話場面もあり感心した。この劇では過去、現在、未来が重要なテーマ。主人公・望(ノゾム)が好意を抱く佳子(カコ)と「過去」がダブらせてある。 ・役者1人1人がしっかりしていて魅力的。 ・次の場面が予測できない。次々と象徴的で新鮮な場面が出てくる。同時に、各場面がどのように関連しているのか、観客は消化不良のまま終わる可能性もある。 ・台本の冒頭に、10場面のタイトル、登場人物、さらに「あらすじ」と「伝えたいこと」が2ページにわたって記してある。こういう台本には滅多に出会わない。理解や整理が進み、とても参考になり便利がいい。他校も真似てほしいものだ。

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・東北大震災という言葉は一度も出て来ませんが、それを想像させる場面や言葉や、やり取りは何回も出てきます。一緒に望遠鏡で星を見たり、ノゾキミをしていた鏡太郎も遠(トオル)もいなくなり、好きだった佳子もいなくなります。オリオン座のスター・ベテルギウスは初めからいません。星野がそのことを指摘すると、みんなシーンとなって黙り、わざと関係の内ことではしゃいだりします。これも何かを暗示し象徴しています。しかし作者はそれが何故か説明しません。投げ出して想像に任せます。いろいろな点で詩のような象徴的手法で脚本を書き舞台化しています。ここにこの劇(伊藤靖之作品)の特徴や独自性、魅力があります。誰にも真似ができません。しかもレベルが高い。

劇を貫く一本の太い骨がなく、展開された各場面の関係性が希薄な場合には、劇が細切れになり消化不良を観客に残すことも多々あります。今回はどうだったでしょう。屋上で望遠鏡を眺める高校生と劇団オリオン座の関係は分かったでしょうか。劇団オリオン座とは一体何でしょうか。オリオン座が繰り広げるそれぞれの場面の関連性は分かったでしょうか。

あいまいなまま見終わった人もかなりあるだろうと思います。もう少し分かるためのサービスをしてもいいかともおもいますが、一本の骨(太いとはいえないけど)になっていたのは5人の高校生が繰り広げるストーリーです。次々転校していく友人たち、合唱コンクールの演習ために、屋上へ何回も呼びに来る佳子(カコ)や未来(ミク)。いつも望遠鏡を眺めているノゾミ君。でも最後にはノゾム君は3組の合唱で「見上げてごらん夜の星を」を演奏しみんなで歌います。現実の中へ足を踏み入れたのです。

この人間関係のドラマと時間の流れがメイン・ストリームとなり、骨になっていますので、細切れの印象があまり残りません。(もうちょっと意図的に、現実逃避から現実へ足を踏み入れる過程を描いたら骨が太くなって分かりやすくなるかもしれませんが、それは脚本家や演出家の劇や文学に対する感性や考え方の問題で、これは単なるぼくの印象です。)

演出の伊藤圭輔君は、脚本の完成がぎりぎりだったので大変だった、と幕間で語っていました。そうでしょう。県大会の台本は6敲版です。出雲高校もみんなで議論しながら作っていったのでしょう。レベルの高いとてもいい劇でした。レンゾクゼンコクダー!とぼくの中に棲息する演劇の微生物たちが騒いでいました。

浜田高校 「急遽演目を変更いたしました」臼井 遊・作、演劇部 井上このこ・潤色 浜田高校
石見地区で唯一の演劇部として顧問のキムラ先生と共にがんばっている伝統のある浜田高校演劇部です。今年は部員6人で、キャストは4人。1人で2役、3役もこなすという舞台。台本選択の苦労が忍ばれます。

劇は次のように始まります。 開幕前のアナウンス。「次は中央大学付属高校による、ガラクシ……えっ?あ、はい…。」 神妙な面持ちで部長が幕前へ。部長「本日はご来場いただきまして誠にありがとうございます。公演の前に演劇部よりお知らせとお詫びがございます。(略)演劇部員23名の内19名がおたふく風邪で欠席となり、急遽演目を変更致しまして4名でお送りします。(略)」

観客は度肝を抜かれ、えっ?と驚き、わっ!と湧く、ことを狙って書かれているのでしょう。そうなれば成功ですが、簡単にはいきません。底を見られて白けます。緞帳が上がり、始まった劇が目の前でつくる「即興劇」なら、新鮮で予期しない場面の連続となり、観客は、はらはら、として観るのでしょうが、訓練された普通の劇がつづいたのでは、幕前の部長のお詫びは何だったのだ、と底が更に割れてしまいます。

2010年に全国大会で上演された台本だそうですが、その学校にはベストでも、他の学校が同じ様に面白く上演するのは困難な脚本です。部分部分の面白さはあっても、全体を通して何をいいたいのか伝わってきません。 劇中劇で空想の場面がありましたが、音楽が楽しく踊りも雰囲気があって印象に残りました。たくさんの場面が出てきて、道具や吊り物で、それを分からせる工夫も見えましたが、 もうひと工夫が欲しい気がしました。

松江南高校 「冒険授業」中村 勉・作 演劇部潤色
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昨年、南高は中村勉先生の代表作「全校ワックス」を上演しました。つづいて同じ作者の脚本です。作者が甲府昭和高校最後の脚本で関東大会へ出場しました。「全校ワックス」はダイナミックでとても面白い劇ですが、この「冒険授業」は言葉の実験劇かのようです。例えば冒頭で2ページも、発声練習のような語や句、文の群読が綿々とつづきます。

(例 生徒たち「世界/言葉/に言い表せない/気持ち/という言葉/あいまいな/言葉/思いがけない/言葉/・・・・」)これを全員で2ページもどのように喋るのだろう。台本もそんなに面白いとは思えず、観客へ何を伝えるか難しい。

ぼくの懸念に対して、冒頭から美事に生きた舞台が展開され、懸念は吹き飛ばされました。台本に「音楽。横たわる生徒たち。やがて起き上がり歩き出す」としかない冒頭の場面で、横たわった多くの人間が動きはじめますが、音楽やシルエットなどを使って惹き付け、何が起こるのだろう、という期待を抱かせました。発声練習のような長い言葉も合唱やソロ、輪唱、群読、と波のようになって届き、長さを感じさせませんでした。16人も舞台へ立ったのですが、みな言葉もよく分かり動きにも無駄がありませんでした。

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審査会でも次のような感想がありました。 ・よく工夫し脚本を生かしている。・客を惹き付ける工夫をしている。力を持っている。・あっという間に終わった。モトちゃんとは何だったのかよくつかめなかった。 ・ディスカッションしてつくりあげている。表現が生きているので伝わってくる。

劇を観ながら思ったのは、「やっぱり台本は台本だな」ということです。南高は美事に台本を舞台で立ち上げ命を吹き込みました。劇にも出演し演出も担当した伊藤圭祐君は、「みんなで議論しながらまとめていった」と語っていました。ここに成功の秘密があったのです。多様な意見を出して議論しながら作っていく。これが一番大切なことだと思います。ラストも印象的で素敵でした。 伝えたいことが観客へ十分伝わったか、という点では今一歩だったかも知れませんが、この脚本をここまで肉付けして楽しく見せたみなさんの知恵と努力と協力には大きな拍手を送りたいと思います。

三刀屋高校 創作「椰子の実とオニヤンマ」亀尾佳宏・作
三刀屋高校
今年はどんな劇だろう、と誰もが期待して幕開きを待ったことでしょう。平成18年から3回連続全国大会へ出場し。その後平成22年、24年と5回も中国地区大会で最優秀賞を受賞し全国大会へ出た実力のある伝統校です。

期待を裏切らない面白い劇でした。舞台に何もなくても、集団の自在な演技や動きで船になったり、波になったり島になったりします。場面も自由自在に、現在、過去、ファンタジー、宝島、海賊船、学校、島根、出雲大社、石見銀山、松江等々違和感なく14人のキャストによって創られ展開されます。場面へ引き込んでいく表現力を持っていますので装置などはなくてもいいのです。作者もそのことを心得て台本を書いています。

審査の会議で出た感想をメモ風に書いてみます。 ・亀尾カラーの作品。難しいテーマでもある。 ・役者の力量はある。入り込める劇作りで違和感がない。 ・島根をどうとらえているのだろうか。ちょっと一貫したストーリーが感じられない。 ・よく動き舞台の使い方がうまい。高校生にストレートに届いた劇だと思う。 ・全国レベル。身体表現がうまい。下半身も十分使い身体のさばきがうまい。曲の使い方 がうまい。ラストの鐘築君の訴えは劇としてどうか。 ・表現力が優れている。観て楽しく舞台へ引き込まれる。鐘築君の長いセリフや訴えはス トレー過ぎてこの劇に溶け込んでいない感じを受ける。

誰もがいい劇だと認めながら、2校しか県の代表になれないので、いい点と同時に問題点も指摘することになります。審査などなかったら、よかったね、で終わりですが、そういかないのがコンクールの悲しい宿命です。

作者の亀尾先生はこの劇でかなり冒険や実験をしています。型にはまった高校演劇らしさを破り自由に舞台で遊びたいと思っのでしょう。今までの自分の作品のパターンに飽きたらず部員たちを思い切って現実に立ち向かわせようとしたのかも知れません。

冒頭も実に型破りです。高校3年生の鐘築君の長い長い1人語りです。語りというより独白、いや演説、いや訴えです。台本のセリフは原稿用紙に換算すると約9枚近くなります。そして「これくらいの分量語ってください。語り尽くしてください。夏の思い出を。」と指定してあります。60分の劇の冒頭でこんな長い語りを取り入れるのは大冒険です。劇と独立してしまい失敗する可能性が十分予測できます。しかし作者はそれを心得た上で敢えて挑戦しているのです。

鐘築君は語りを終えると、「海」を歌います。中央に1人の少年が登場して、その歌の最後を引き取って歌います。少年は鐘築君の投影かも知れません。少年は、絵本から海賊が飛びだしてこの町から連れ出してくれるのを長い間待っていたのです。少年は「椰子の実」を歌い、やがて海賊たちが登場し、少年の歌と重なっていきます。実に楽しい場面の展開であり、人物の入れ替えです。

海賊船はそのうち島根という島へ到着します。「若者はおらん、年寄りだけがとりのこされた島。姥捨て島」です。そこで何を見るか。世界遺産の石見銀山や国宝の出雲大社、松江城、知事の善兵衞さんも。島根に関するあらゆることが生の言葉で面白おかしく出てきます。言葉遊びや掛詞、流行の言葉などがあちこちに出てきます。

船長が言います。「宝島は流れ着く海の向こうにあるんじゃない。椰子の木の根を張ることだ。お前が生まれたこの島だ。国宝もある、世界遺産もある。人間国宝だって。いや、そんな名前なんかなくったっていい、緑が、人が、歴史が、今日まですごしてきた時間がお前の宝だ!」

そして最後に全員で言います。「島根県!中国地方の山陰側に位置する。決して右側の鳥取と同じではない左側の県。花はボタン木はクロマツ鳥は白鳥知事は善兵衛。たった一つしかないふるさと。これが我らの宝島!」。

実にストレートです。シュプレヒコールのようです。作者はあえて挑戦しています。劇の調和を破壊しかねない思い切った手法です。

後半ではキャスト一人一人がいっせいに自分の夢や希望を次々に叫ぶ場面もあり、それは劇の型を破り現実を突きつける予想外の斬新な手法でした。そのこともあり、このラストにもそれが通底していて、そんなに突拍子な気はしませんでしたが、思い切ったやり方には間違いありません。
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いい劇だったのは誰もが認めたことだと思いますが、敢えていえば、この劇では主人公の存在が希薄で、現実の生々しい島根が主人公となって浮かび、問題提起劇のよな性格が強くなったことです。進路に悩む鐘築君と海の彼方を憧れる少年との太い骨を大切にして展開したら統一感のある劇になったかもしれません。海賊船に乗ってある島へ着いたとして、ありのままの固有名詞を使わず、何となく島根を暗示するような象徴的な手法を使う手もあったかと思いました。

2日間レベルの高い劇が上演されました。特に感心したのは観客の目を意識して演出し演じている学校が増えたことです。舞台の使い方がうまくなったことや表現が多彩になってきたことにも注目しました。議論して劇を創りあげていく学校が一段と厚みと多様な表現で台本を生かしていることも印象に残りました。

今年は津和野高校校長、大島宏美先生と講師として観劇しました。審査委員は松江地区から原先生、出雲石見地区から舟津先生、花本先生でした。 みなさん、おつかれさまでした。米子で開催される中国大会、期待しています。                      20131115(洲浜)

http://stagebox.sakura.ne.jp/wp/apoetinohda/

詩集「港湾の詩学ー詩人の港・詩人の海ー」

おもしろい詩集が発行されました。港や海をテーマにしたアンソロジーです。発行人は京都の詩人、すみくらまりこさん。公益社団法人日本港湾協会の研究奨励助成を受けて刊行されました。大いにPRしてください、と案内書にありましたので紹介します。

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(島根の港)があります。洲浜昌三?・・・・ホンニンじゃないですか。この島根の港だけ詩を紹介しましょう。石見銀山考として歴史を素材に書いている中の一編です。湯里の人の話しでは、子供のときには古龍で泳いでいたそうです。いまは草や木が生い茂っていて道もわかりません。

古代へ帰った港                      洲 浜 昌 三

日本海の荒波を遮断した細長い湾は
両岸を緑の樹木に囲まれ
藍色の水を湛えて ひっそりと横たわっていた

ここには
船もない道もない家もない人もいない
もやい綱を結びつけた鼻ぐり岩の他には
人工の構造物も岸壁もない

石見の守護、大内氏の「大内義隆記」に
「唐土(もろこし)、天竺、高麗の船が来た」と書かれ
銀鉱石を博多や朝鮮へ運び出した港・古龍

大航海時に 世界の銀の三分の一を産出し
ポルトガルの古地図に名が残る石見銀山

豊かな海に恵まれ
太古から大陸の文明を受け入れてきた島根
その中央で世界に開かれていた日本の表玄
関 湯里の港・古龍
馬路の港・鞆が浦

「士稼の人数二十万人、一日米穀を費やす事
千五百余石 車馬の往来昼夜を分かたず」
「津々浦々四方の大船に競ひ繋ぎ~」
と「銀山旧記」に書かれた石見銀山

山を越え銀鉱山の町・大森へ物資を運ぶ牛馬の列
蔵が並び北前船でひしめき合った
温泉津の港・沖泊

日本海に面し東西に長くのびた山陰、島根
そこに90の港があり全国で三位だという
その中に三つの港はもうない

「古龍千軒」といわれた古龍の港は
一足先に古代へ帰ってしまった

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最後に発行所などを載せておきます。いろいろな視点、角度、形式で個性豊かな海や港とのかかわりが詩として描かれていて楽しめます。

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H25 しまね文芸フェスタで 安原 葉先生講演

9月23日、出雲市のビッグハートで「しまね文芸フェスタ2013」が開かれました。開会式では出雲市長も挨拶されました。今年度は俳句が担当になっていて月森遊子さんが会長として挨拶されました。

講演は「ホトトギス」同人の会長・安原 葉先生。「花鳥諷詠のこころ」と題してとてもいい話をされました。1932年生まれですが背筋は伸びシャキッとしておられます。虚子などを実際にご存知なので、エピソードの中身も濃厚で貴重な歴史が含まれています。「虚子は寡黙な人でしたが、人の心を見据えるような力を感じた」そうです。H25 安原 葉先生

花鳥諷詠は単なる自然を読むことではなくもっと深いものがある。「虚子が晩年によく説いた存問とは、相手の心を深く察し、謙虚に素直に相手との心を通わせる心持ちが込められている。自身との存問、人との存問、自然との存問、宇宙との存問、超自然との存問。その存問の心を持って客観写生の技を磨き、花鳥諷詠を実践するのが俳句の道であることを虚子は示した」と語られました。例にあげられた有名な俳句の解釈はとても深く虚子の宗教観や宇宙観が背後にあることを説かれました。

前日の夜は歓迎会があり、終わって俳句の人たちと二次会へ行き大いに語り楽しい時を過ごしました。

23日の午後は分科会で、詩の参加者は少なかったのですが、京都から有馬矯さん、神戸から永井ますみさん米子の中村さんなども参加され、楽しい詩作詩朗読会になりました。

有馬敲

有馬さんの「せみ」は同じことばのくり返しですが、とても素敵でした。ちょっと誰も真似ができませんね。音をやリズム重視して詩をつくられる有馬さんならでは異色な詩であり朗読でした。一度聞いたら耳から離れません。

永井さん (1)

永井さんの朗読は微妙な音やリズムの変化も表現される力量があり、これまた素敵でした。きっと発声や発音の訓練も積んでおられるのでしょう。詩も深みがありました。島根の詩人の詩もそれぞれ個性的でよかったと思います。
H25 文芸フェスタ 詩

小林さん岩田さん中村さんは都合で帰られました。有馬さん、奥さま、永井さん、中村さん、シライシさん、ありがとうございました。おつかれさまでした。

(一昨日、有馬さんの最新詩集「晩年」を拝受しました。一気に読みました。京都弁の詩、いいですね。抵抗がありません。晩年を迎えた有馬さんのとらわれのない自由な精神が印象に残りました)

10/26,27ラメールで島根県高校演劇大会

第37回島根県高校演劇発表大会が10月26(土),27(日)加茂町文化ホール・ラメールで開催されます。

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発表校は7校。石見部からは浜田高校が参加します。三刀屋高校、出雲高校は顧問の創作劇です。DSC05037

当日のパンフレットへ寄稿した文章を紹介します。劇研空は島根の高校演劇の応援団です。修平さん管理で発足したこのブログも当初の目的の1つは大田高校の演劇部の支援、高校演劇の応援でした。

  島根の高校演劇は今

全国(中国、島根)高校演劇協議会顧問                                                                                                               劇研「空」代表、日本劇作家協会会員     洲浜昌三

今年の春、一通のメールがぼくのパソコンへ届いた。そこには久しぶりに見るなつかしい名前があった。   概略こんなことが書いてあった。「以前大会などで大変お世話になった○○です。ある学校で勤務することになり、演劇同好会を作りました。生まれた島根でまた演劇に関わることができ大変うれしく感じます。またよろしくお願いします」

まだ島根高校演劇石西大会があった頃、ぼくは講師として参加していた。ある年T校が久しぶりに参加し、とても楽しい創作劇を上演した。劇が好きな仲のいい3人が創意工夫して創りあげた高校生らしい新鮮な劇だった。次の年には代表に選ばれて県大会へ出場した。3人とも3年生で受験を目の前に控え、周囲の反対もあった。それを説得し乗り越えての参加だった。県大会で最後の舞台を観ながら、「この高校生たちもみんな県外へ出ていくんだろうな」と思うと、ふと淋しさが胸に広がった。  そんな経緯があったから、一条の希望の光が届いたようでうれしかった。困難なことは多いけど、がんばって欲しい。困難を切り開き乗り越えて行くのは、一人の人間の情熱とそこから生まれてくる創意工夫である。

多い時には10校あった石見地区の演劇部は一校になった。しかし出雲、松江地区のがんばりのお陰で、島根の高校演劇はここ数年輝かしい成果をあげている。三刀屋高校が連続して全国大会へ出場し、今年は出雲高校が長崎大会へ行った。春の全国大会には昨年は安来高校、今年は松江工業高校が選ばれて出場した。

ぼくが現役のころは広島県の高校、特に舟入高校が常に完成度高い創作劇を上演し全国大会の常連だった。ぼくが川本高校演劇部を担当していたとき、一度中国大会で二位の成績があったが、その上には舟入が高く輝いていた。山陽勢はいつも「高嶺の花」だった。

最近は山陰の島根がそう見られている。「出雲高校、とてもよかったですよ。島根県、中国ブロックで輝いていますね」と全国高校演劇事務局長の阿部順先生の追記が文書の末尾にあった。  全国から見れば島根の峯は輝いて見えるのだろう。その裾野に、熱心で力量のある先生たちとそれに応えて努力している部員たちがいる。

そして○○先生の学校の同好会がいつか部になり、石見の一校が2校になり、やがて3校、4校・・・そんな日を期待している。

石見が一校になったのは残念ですが、そのうち上記の○○校が参加してくれるのを楽しみにしています。

 

短詩「海のように」「つぎの一歩」

海のように                洲浜昌三

ひとつひとつ そのまま
受け入れていくんですね
海のように

かなしいことも
つらいことも

ひとつひとつ すなおに

おかあさん
あなたがそうしたように

つぎの一歩                  洲浜昌三

あの空の頂に立てば
新たな風景が眼下に広がるだろう

いつも頂上を目指して登ったが
今あの空へぼくの夢は届かない

足下に目を落とし
一歩だけを信じて
崩れた山道の瓦礫の上に
つぎの一歩を置く

(平成25年夏、川本高校普通科クラスの同窓会がありました。10年毎に実施していて、今年はは30年振りだった。幹事のオクノ君から、冊子をつくって配りたいので何か書いてください、と頼まれ文章とともに上記の短い詩を2編をメールで送りました。以前どこかに書いたものを短くしたものです。エピグラムに近い詩ですが、40歳を過ぎ、家庭でも社会でも会社でも様々な苦労を体験しているみなさんにはいいおくりものになったようです。

川本高校は現在は島根中央高校。名前が変わり新発足するとき校歌を頼まれて作詞しました。同窓会に集まった卒業生の子供たちが島根中央高校へ入学していて、入学式など校歌を聞きながらぼくのことを思い出しとてもうれしいと言っていました。30年もたつといろいろな巡り合わせがあるものです)

短詩 「たからもの」「おまえの母さん」

たからもの    洲 浜 昌 三

藤づるのバスケットに手を伸ばすと
「だめ!」
遠くから走って来て取り返し
鋭い目でアヤちゃんは僕をにらみつける

外で遊ぶときも
町へ行くときも
大切に持ち運ぶ小さなバスケット

見られたら価値がなくなるもの
そんなたからものが僕にもあった気がする

夜 ぐっすり眠っているすきに
こっそりバスケットを開けてみると
小石が五つ
もみじの葉が三枚

おまえの母さん
洲 浜 昌 三
保育所で日々新しい知恵を授かる
三歳のアヤちゃんは
今日も新しい武器を手に入れて帰る

ふとしたすきに人形を取られさっそく一撃
「おまえのかあさんでーべーそ!」
ことばで反撃できない一歳のヒロちゃんのため
おやじがケンカを買って反撃する
「おまえのかあさんでーべーそ」
「ちがう! おまえのかあさんでーべーそだ」
「おまえのかあさんがでーべそだ」
「でべそじゃない! でべそじゃない!」
叫びながら涙の小川が二筋三筋

(今までこどもの詩を意外にたくさん書いています。この詩は「きれんげ」に書いたものです。現代詩とかなんとか小難しい意識はまったくなく、こどもを見ていてふと心を動かされたことをメモしておいて、あるとき机に向かって詩にしたものです。素直に書いているので自分でも読むと素直な気持ちになり、ほのぼのとしてきます。

このブログの読者は70%以上が new visitors です。何故かここ数ヶ月前からいつもグラフで「詩」が上位を占めています。詩など読む人は詩人しかいないといわれているのですが、ここに書く詩は分かりやすいからでしょうか。詩がもっともっと一般の人に広まっていくことを願って書いているのですが、有名人のブログなら regular visitors がいて毎日多くのファンが読むのでしょうが、そうでもないこの地味なブログに立ち寄ってくださる人がいるとはうれしいことです。短くて分かりやすい詩を紹介するようにしています)

10/5 13回中四国詩人会香川大会

第13回中四国詩人会大会は2013年10月5日(土)香川県髙松市のリーガホテルゼスト髙松で13時30分から開催されます。参加費は会員も一般参加者も1000円、学生は500円。14:15まで総会ですが、そのあとは中四国詩人賞表彰式、自作詩朗読、記念講演、懇親会とつづきます。

記念講演は「韓国の歴史風土と文学事情」という演題で南 邦和さんが話されます。

中四国詩人賞は今回は2名で壷坂輝代さんの詩集「三日箸」と木村太刀子さんの詩集「ゆでたまごの木」が決まっています。当日は朗読もされます。

翌日は文化観光。源内記念館、志度寺、山頭火句碑、屋島、源平古戦場などを巡ります。一度も行ったことがないので楽しみです。14時30分、髙松駅解散です。島根から川辺さんが自作詩朗読の予定です。島根の詩人のみなさま、ぜひご参加ください。

詩 「何を残しただろう」

何を残しただろう                    洲 浜 昌 三

戦後の貧しい村の小学校や中学校で
欠席する理由は四つしかなかった
「病気」「手伝い」「貧乏」「怠け」

手伝いもないのに元気な子が学校へ来なければ
当然「怠け休み」
最大の恥だったからみな休まなかった

教師になり二十数年たった時A君と出会った
遅刻欠席がつづき 何度注意しても同じことの繰りかえし

習慣化した怠けに活を入れようと 放課後 家を訪ねると
布団の中でマンガの読書中

「こんな時間に何をしてるんだ!目を醒ませ!」
意識的に声を張り上げたが
期待した反撃の言葉は返らずしばし静寂
いつもの素直な優しい表情でうつむいている
「…あしたは来るよね」
「はい」

初めて目の前にした心の深い闇
初めて向かいあった新しい欠席
行きたくても行けない 「不登校」

遠くへ行ったA君よ
元気か ー

ぼくの古い武器は
深い傷を更にえぐっただろうか

分厚い壁に裂け目ができて
青空が見えるようにならなかっただろうか

 

大田市文化協会が発行している「きれんげ」107号に頼まれて書いた短詩です。ここではちょっと修正しています。
今までにない欠席と初めて出会ったときの戸惑いは今でも忘れません。まったく未知の精神文化と出会った戸惑いでした。怠ければ叱る、という日本古来のしつけの武器は通用するどころか逆効果を生むことになったのです。あのころから日本の文化も変わっていったようにおもいます。