昨年12月13日、新聞の大きな見出しで「サンレディを防災拠点に」「大田市 公共施設の機能移転」とあり、「ふれあいホール」について、次のように書かれていました。
「音響や空調が耐用年数を過ぎたホールは備蓄倉庫として使い、~略~」。
予想を越えた決定に驚くと同時に、モッタイナイ、と思いました。劇や音楽など、あらゆるイベントに使用できるホールで照明や音響施設も揃っています。集会室に転用するならまだしも、倉庫になれば、荷物置き場以外には使えません、何年もの間。
(ふれあいホールのシーリングとサイドスポット。天井一面に、たくさん釣り込んであるのは各種イベントに対応するため)
4月20日発行の「市議会だより」が回覧でまわり、和田議員の質問に対して次のような答弁が載っています。
「~略~ふれあいホールについては、設備の大部分が耐用年数を超過しているため、利用者に安心して利用を続けていただける状況にはなく、設備の改修や入替えにも多額の費用がかかることが見込まれる」。
要約なので具体的な耐用年数や費用は不明ですが、とても大雑把です。実情を知らない人がほとんどですから、そうなんだ、と思うでしょう。音響照明設備が果たして。「耐用年数が超過し入替えに多額の費用がかかるのでしょうか。
(次の2枚の写真は一般的なホールの調光卓と音響卓です。サンレディーの調光卓は3KW、90回路、市民会館は184回路あります。現在は簡易な移動式の調光卓もあります)
音響施設については、ワイヤレスマイク以外は前回更新され、まだ新しいのです。色々調査研究した上で業者と交渉し安くて良いものを選んで購入したと、担当者から聞いています。音響設備に関しても、単なる音が大きいスピーカーではなく、声が後の席まできれいに通るように生声を増幅できる音響設備を導入しておられます。実際に関わったものでないとわかりません。
さて、ここから、モッタイナイが生まれる昔話です。
高校演劇は戦後、体育館や会館などで発表されていましたが、どこでも照明に苦労しました。設備がない上に器具購入には経費がかかります。昭和46年頃、邇摩高では、ライトをスライダックで調光していました。アッパーホリゾントライト、ロウワーホリゾントライトなど無く、数台のスポットライトだけでした。特に欲しかったのは、シーリングライトです。前明かりがないと顔が見えず、上からのスポットライトだけでは顔に影ができます。体育館の天井へ滑車でバーを釣り照明器具を釣るようにしました。
(邇摩高校のステージの上にある放送室に収納されていた照明器具。50年近く前の器具もある。部品を更新すれば使用できる)
物理専門で電気に詳しい中村先生と工夫し、毎年少しずつ生徒会予算で購入していきました。最新の12回路調光卓が欲しくて、分割払い戻しにして二人で金を出して購入したこともあります。大田で昭和48年に旗揚げをした劇団「青空」がありました。大田市民会館で公演していましたが、当時は市民会館の照明器具も貧弱そのもの、邇摩高校から照明器具を貸し出したこともありました。当時邇摩高の照明施設は県下の高校では最先端でした。
昭和54年に川本高へ転任しましたが、国体前に新築されたばかりの立派な体育館には照明設備はありませんでした。(旧体育館の照明器具が少し倉庫にありましたが)幸い国体も控え関係者の理解もあって、一度に照明器具を購入し設置することができました。大きな体育館天井にシーリングも設置して頂きました。
昭和59年(1984)、大田高校へ転任したとき、シーリングもホリゾントライトもなく、数台のDFをスライダックで調光していました。体育館の暗幕もあちこち破れていて、文化祭前にはいつも生徒会役員が徹夜で暗幕を整備していました。当時は生徒数も多かったので要求すると生徒会予算やPTA予算で年度ごとに暗幕も照明器具も新設することができました。
その体育館が解体される時、照明器具は邪魔になり、捨てるのはモッタイナイので、演劇部卒業生と一緒に2日間、設置した照明器具を下ろしてまとめました。収納場所がないので、個人宅を含め5箇所に仮収納しました。まだ使用できるので新しい体育館ができたら使ってもらうつもりでした。・・・しかし新しい体育館ができても、再利用したいという声はありませんでした。モッタイナイので、数年後にある人の了解を得て会社の倉庫へたくさん照明器具を車で運びました。
今でこそ照明音響設備が完備し専門のスタッフが常駐している会館のホールは何処にでもあります。高価で貴重な照明器具が耐用年数が過ぎたという理由で廃棄される話を聞くと、思わず「モッタイナイ」という気持ちが湧いてきます。照明器具などの耐用年数は〇○年、と決まっているものではありません。一般的には10年とか15年と言われていますが、丁寧に使用している場合や、部品を更新して使用している場合には、それ以上使用しているホールもあります。
平成25年(1950)に邇摩高が創立110年記念を迎えたとき、劇研「空」は依頼されて創作劇「石見銀山旅日記」を体育館で上演しました。要の会、大田小唄保存会の皆さんにも出演して頂きました。そのとき、体育館の放送室などに、50年くらい前に購入した照明器具や調光卓が仕舞ってありました。50年ぶりに対面でした。その器具は設置が無理なので、予定外の出費でしたが、出雲の文化企画から来て照明器具などを設置して頂きました。下の写真は邇摩高校体育館、「石見銀山旅日記」のいち場面です。
以上、今は昔 涙なしに語れる照明器具の苦労昔話、それぽっちり。おつかれさまでした。
(ブログ:地域情報 昌ちゃんの演劇だより 劇研「空」活動報告 高校演劇 20230502洲浜)
追記:
① 昭和40年~60年頃の高校演劇大会に於ける照明設備のことを書きましたが、島根県では昭和50年(1975)には30校に演劇部があり、4地区(松江、出雲、石東、石西)に分けて地区大会が行われました。大会事務局を担当すると、体育館で6~8校の照明をプラン通りに実行するのは大変でした。設備や器具が不十分だからです。
現在はすべてホールで上演されていますので、「今は昔、遠い昭和のお話」です。そして・・現在は何故か石見地方の高校演劇部はゼロ。歴史が消えるのは淋しいことです。
② 当時は生徒や顧問が照明器具を操作していました。大きなホールでも調光卓を高校生が操作していました。照明を操作するために資格はなくてもいいのです。
テレビ、舞台、コンサートの音響スタッフには、「舞台機構調整技能士」という国家試験がありますが、その資格は必須ではありません。誰でも操作できます。奥が深いので、もちろん経験を積んだ人がいたに越したことはありません。
③5/10にサンレディーのり用意継続を求める請願書と9747人分の署名を議長に提出したという報道がありました。大健闘です。その記事の中にまた、「ホールの音響や空調が耐用年数を過ぎ更新に多額の費用がかかる」と出ています。確認していますが音響設備は更新されていて耐用年数を過ぎていません。空調は備蓄倉庫になっても当然必要。音響や照明器具は昔と違って技術開発が急速に進んで器具は各種あり値段も多様・・・創意工夫して柔軟に対応すれば多額な費用をかけなくてもどうにかなります。
④ サンレディーホール備蓄倉庫計画の説明会で、参加者と意見が噛み合わないのは担当の問題が根底にあるからではないかと思いました。
サンレディー大田の管轄は産業企画です。産業企画課は地域の産業や労働、雇用問題を担当する課です。ホールなどはほとんど音楽、合唱、舞踊、演劇、展示、講演、集会など芸術文化関係のために利用しています。
地域の学校教育、社会教育、文化、スポーツに関する業務を担当するのは教育委員会と教育部です。教育部の公示を見ると、社会教育、文化財、スポーツを担当と出ています。しかし今回のサンレディーの問題では産業企画課が全面に出て対応しています。
30年前、補助金を受けて設立されたときには、「働く女性の家」として女性の労働問題向上を目的に建設されました。文化芸術の問題に一定の理解は示されていますが、産業規格課としての基本は、産業や雇用、労働にあるのは理解できます。
根本的な管轄の問題・・・何処かで、誰かが、高い視点から、総合的、発展的に判断し調整して案を出して前へ進めないと片手落ちになります。予想以上にたくさん集まった9747名の署名が生きる場面です。どうする〇〇?
この問題は数年前に解体された「青少年ホーム」と類似しています。設立の目的は青少年の健全育生。実情は大人中心の芸術文化活動でした。利用者との話し合いが数回行われました。文化芸術団体が使用しているのに管轄は教育委員会ではありませんでした。