吉田晴治さん最後の詩集『樹は』

吉田晴治さんは島根の詩誌『光年』の同人でしたが、2014年9月21日他界されました。79歳でした。前日に詩集の校正をされたそうです。その詩集の編集は『光年』の田中瑩一さんに依頼され、12月に発行されました。『樹は』は第三詩集です。

生前にお会いしたことはないのですが、詩に対して厳しく誠実な人だったことが詩集から伝わってきます。いくつかの詩は、ある覚悟をして書かれたのでしょう、不安や怖れが語句や行間から空気のように立ち昇ってきて、厳粛な気持ちにさせられます。「真実の言葉をいかにして紡ぎ出すかを考えて来ました」とあとがきにあるように、数少ない真の意味での詩人でした。

詩集の表紙と一篇の詩を紹介しましょう。

H26 吉田晴司詩集「樹は」

詩集の中から「さくら」という詩を紹介します。

さくら(1)(184ページ)

わたしは どこへいくのか

三日のあいだ花のもとに坐り
花を見上げ 空を見上げ
月を見上げ
花のもとに笑ってみた
艶やかで強靱な幹のもとに
眠ってみた
仰向けに寝そべって
見上げた花もある
娘十八 番茶も出花…
これは鼻うただったのだが

今朝からの風向きが怖い
池の波も荒くなった

凄まじいあらしだ
野良犬までも逃げて行く
わたしは立ちあがる
からだが震える
三日のあいだよ さようなら
三日の花よ さようなら

わたしは
これからどこへ行くのか
わたしは どこへ

 

夏には『光年』で特集が組まれる予定だそうです。お礼の手紙を田中さんへ出しましたが、特集に寄稿を依頼されています。11月20日付けの山陰中央新報の文化欄に、岩田英作さんが、「出雲の自然から真実紡ぐ」というタイトルで、詩集と吉田さんを紹介しています。

次々と先輩詩人を失うのは、実に淋しいことです。

「樹は」と言いかけて、次の言葉を問いかけられたまま、明確な言葉が見つからず、永遠に捜す課題を、吉田さんから与えられた気がします。樹は・・・・・?・・・。

わたしは
これからどこへ行くのか
わたしは どこへ

痛切に言葉が迫ってきます。3行の短い言葉に「わたしは」と二度も出て来ます。問いかけられたら、どう答えればいいのでしょう。

 

 

 

 

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