急流を遠くに眺め
久利町 洲 浜 昌 三
「おかえりなさい ごくろうさん」
明るい声で玄関まで出迎え
「きょうもがんばったね」
と高々と抱き上げる
おしめが汚れると
「またでたねぇ よかった よかった」
歌うように話しかけて取り替える
広告の紙が鶴になり
空を舞って雪のヒマラヤを越え
風呂の船で銀河を渡る
外へ出ると靴が鳴って歌になり
手をつないで野道を行くと
二羽の小鳥になり
夕焼けの空が歌になる
「はやくはやくはやくはやく」
あのころそれが子供たちへの言葉ではなかったか
時間の激流の中であえいでいたころ
流れに沿って共に泳ぐのが精一杯だった
今 急流を遠くに眺め
じいちゃん ばあちゃん と呼ばれる
遠く離れた丘の上に立ち
見えてくる時間と景色がある
大田市文化協会が発行している会報「きれんげ」106号に掲載された詩です。
我が子を育てるときにはいつも時間に追われていました。特に朝は戦争です。食べさせながら「はやくはやく」、着替えをさせながら「はやくはやく」、靴をはかせながら「はやくはやく」。
退職し、孫との距離になると、まったく違う時間が流れます。ワイフさまが一歳の孫のオシメを替えながら、ウンチがでているのを見て「よかったね、よかった、よかった」と言っているのを聞いたとき、感動が走りました。こんな豊かな言葉があるとは!
お互いに勤めながら4人の子供を育てていたころは、「またウンチをして」という言葉が出ていたんじゃないだろうか。
自分が書いた詩は見る度にいやになるところがあり、削除修正の手がでます。困ったものです。上の詩も少し手が入っています。次に見ればまた手がでそうです。
詩誌でもないのに詩を載せてくれる会報や雑誌はほとんどありません。「きれんげ」はその点で編集者の見識を感じます。読んで見たい人があれば送ります。8ページの冊子ですが、大田市の文化行事、石見銀山の歴史などとても読み応えがある会報で好評です。