H28, 8/1~3 広島で全国高校演劇大会

平成28年度の全国高校演劇大会は広島のアステールプラザで開催されます。中国地区の代表校は舟入高校で「8月の青い蝶」を上演します。この作品は周防 柳氏の原作を顧問の須崎幸彦先生が脚色されたものです。

H28 全国大会 広島
開催県代表として沼田高校が「そらふね」を上演します。顧問の黒瀬貴之先生の創作です。全国高校演劇協議会事務局長の阿部 順先生から案内がきましたので、そのチラシから各地区の代表校を紹介しました。(見えにくいね!)

アステールプラザは平成3年に大田高校演劇部が「星空の卒業式」(洲浜作)を上演したホールです。広島で原爆劇を上演する怖さを味わいました。一瞬のうちに街が崩壊し多くの命が失われたという厳粛な現実に、劇は絵空事に思えて、「この町では告発ではなく鎮魂しかない」と思った記憶があります。

3月19~21日には北海道の伊達市で第10回春季全国高校演劇研究大会が開催され、中国地区から市立福山中学・高等学校が出場します。愛DSC07123知県立蒲郡東高校は「ぽっくりさん」を上演します。この作品は平成15年に松江工業高校が全国大会に行った時の作品で、亀尾佳宏先生の創作です。

いい作品は残っていきます。うれしいことです。黒瀬先生の創作も最近ではあちこちでよく上演されます。須崎先生は原作をうまく生かして緻密な劇に仕立て上げる力量を持っておられます。どんな舞台になるか楽しみですね。

中村 学著『笑う門にはいい介護』紹介

大田市の中村 学さんがタイムリーな本を出版されました。出版された時に贈呈を受け、その夜にすぐ読了してお礼の手紙を書いて届けました。自分を飾ることなく事実や思いが率直に語り口調で書かれていて、とても読みやすく、しかも胸を打ち参考になる言葉にあちこちで出会います。
表紙 中村学「笑う門には~}

刊行されたのは2013年11月ですが、先日大田の本屋さんへ行くと、『笑う門にはいい介護』がたくさん展示してあり、うれしくなりました。一時的なブームに乗った一過性の本ではなく、介護について基本的な心構えを書いた本ですから、本屋に長い間、置いてある価値や意味が大いにあります。

本の中でも書いてありますが、宮根誠司さんとは小学校時代からの兄弟のような友達。二人とも人を笑わせることが大好きだったとか。大田高校を卒業して学さんは演劇やお笑いの道に進みました。1994年に東京吉本興業のオーデションに合格し芸人としての道を歩き始めたとき、母親の介護のために帰省。そこから介護地獄がはじまりました。

それを克服したのが、地域で介護の話を頼まれて話したことがきっかけでした。8年間イライラを母親へぶつけてきた「反応」から一拍置いて「対応」する客観性を取り戻すことができるようになったのです。ここには学さんが、お笑い芸人として如何にして独自の種を見つけそれを表現して観客を笑わせるかという苦労と努力が、栄養を蓄えた竹の根のように生きてきた!と僕は思い感動しました。芸術である演劇が持っている「自己客観視」や「遊びの精神」です。

学さんは1913年には大森で劇研「空」の創作民話劇『出口がない』に出演していただきましたし、2014ねんにはサンレディで講演した創作劇『サクラさんんの故郷』にも出て退職した先生役を見事に好演していただきました。学さんがいると練習の雰囲気が明るくなるのがとても嬉しかった。姿勢が前向きだからです。

その後も出演をお願いしましたが、多忙を極める毎日で実現しませんでした。現在は仕事も多忙ですが、県内、県外から講演の依頼を受けて飛び回っています。笑いの絶えない楽しい講演の中で、大切なことを自然に学べるところが学さんでなければできないところです。素敵です。これからますます活躍されることでしょう。

H27,12 島根県詩人連合会報79号発行

2015年12月22日,会報79号が発行されました。一面には井上祐介さんの詩「秋の空気」と閤田真太郎さんの「浅い海」が載っています。13回島根県民文化祭文芸作品入賞者の詩も2編掲載されています。知事賞、小林延子「挽歌」、金賞、山田明子「竹かご」。それぞれ味のある作品です。
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2~4ページに「しまね文芸フェスタ2015の成果」が特集として載っています。谷川俊太郎さんとの対談企画の経緯や概要を洲浜くんが書き、閤田真太郎さん、井上祐介さん、舛田尚世さんが対談の様子を感動を込めて書いておられます。上の遠景写真では雰囲気しか分かりませんので、読みたい人は次を見てください。といってもこれも限りなく読みにくいので、ちゃんと読みたい人は現物を読んでください。
対談1
対談2

対談3

発行所は島根県詩人連合事務局(692-0014 安来市飯南町1482 山根方)

H27 第15回中四国詩人会山口大会い in湯田温泉

10月3日中四国詩人会大会が湯田温泉の「西の雅常磐」で開催されました。共催は日本現代詩人会、後援は山口市、山口文化協会、山口県詩人懇話会。車で出かけたのですが、予定より時間がかかり、30分くらい遅れて着きましたので、主な議事は終わっていました。他界された御庄博実さんへの黙祷や詩人賞表彰、会計報告、事業計画などが審議されました。
DSC06857(左は宿泊したホテル(観光シーズンでしたのでホテルはどこも満室、やっと見つけたこのホテルは宿泊費は倍!右側が大会会場の西の雅常磐)

各県詩人の朗読では、高知の山本衛さん、香川の宮本光さん、岡山のかわかみよしこさん、島根の洲浜昌三くん、広島の一瀉千里さん、山口の野村忠司さん。(野村さんは後で話して分かったのですが、意欲的に朗読会を開催しておられ、益田の鎌手出身だと聞いて話しが弾みました)

司会を担当した川辺さんから、何でもいいので朗読前に即席で話しをして欲しいといわれ、みなさがとても参考になる話されました。いい試みでした。詩に対する考えが聞けて親しみが生まれてきます。

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アーサー・ビナードさんの講演の題名は「もしも、詩があったら」。話しのポイントだけをいくつか紹介してみよう。詩や、詩人の役割について貴重な示唆がありました。

1.朗読された詩をきいていて、命がキーワードだと思った。詩人は命をうたう職業だと思った
1.スハマさんの話しの中に、一般の人は詩を読まないということがあった。何故か。つまらないものを魅力的にして買わせるために、「詩っぽいもの」があふれている。詩に近い広告、キャッチコピー、宣伝、広告、歌・・・。毎日そういう詩を浴びせられている。中也が一生で聞いた宣伝を1日で聞いている。
1.今年の8月8日の原爆慰霊祭での総理大臣や各界の人のスピーチは「命」がすべてのスピーチのキーワードだった。「尊い命」。だれも反対できない。しかし尊い命が当時の日本にあったか。国のために死ぬことがが尊い命だったのだ。思考停止して言葉を表面的に使っているにすぎない。歪曲から言葉を取り戻し、対抗できるのは詩人だ。詩人は本質を伝えることができる。裏が取れなくても詩人は詩にできる。

懇親会では、いろいろな詩人のスピーチがあり、中四国詩人賞を受賞された岩﨑ゆきひろさんが詩を朗読されました。「宇宙にかかる木」は1941年に出版された詩集ですが、とても面白く読んだ記憶があります。その時のメモの一部です。「詩を読む楽しさや面白さがある。珍しい。余裕から生まれるユーモア、比喩、設定が奇抜で惹き付ける。目の前の風景や物語の背後に人には見えないものを見、人には聞こえないものを聞く。そこに深味が生まれ陰影が絵柄のように浮かび上がってくる。「風の強い日」のメモには、「散文詩がどれも面白くて暗示に富んでいる。人生が分かっている人という感じを受ける」
DSC06849(詩を朗読中の岩﨑さん。会長の秋吉さんの顔も見える)

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ビナードさんの隣に座ったので、いろいろ話しました。邑南町の田所へ招かれて行った話しをされたので、「そこはぼくが生まれたところです」というと、「いいところですね、とても楽しかった」と言っておられました。「そのうちお願いしたら島根へ来てもらえますか」というと、「喜んで」という言葉が返ってきました。実に気さくで、自然で何でも話せる気がする大きな心の詩人です。

山口のみなさん、お世話になりました。おつかれさまでした。

H27 『石見詩人』134号より

12015年6月30日に134号が発行されました。同人も少なくなりましたが、昭和29(1954)年にキムラフジオさんによって創刊された歴史のある詩誌です。編集者の高田賴昌さんは年2回発行を維持してがんばっています。平成9年(1997)に103号を出した時には同人は約31人。今号では約10名です。
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どうしたことか珍しく山陰中央新報が文化欄で紹介記事を写真入りで掲載しました。ずっと以前は、島根の同人誌が発行される度毎に文化欄のコラムで紹介していました。現在では俳句、短歌、川柳、詩の同人誌の紹介は全く載りません。文化活動に対する見方や姿勢が反映されているのでしょう。

今号で詩を発表しているのは、くりすさほ、栗田好子、宮川菊代、わたなべ恵、閤田真太郎、岩石忠臣、しゅんじこばやし、高田賴昌、洲浜昌三のみなさん。随筆は岩石、閤田、洲浜、高田のみなさんが書いています。

ここではエッセイを一篇紹介します。「いつでも誰でもどこでも無料で ー ブログ 詩の散歩道」洲浜昌三。このブログが、どのようにして始まったか、どんな現状かなど5ページにわたって書いています。同人が少なくなり本も薄くなってきたので、前回から意識的に長いエッセイを書いています。今までは長いものを書くと印刷費が増えるので遠慮していました。今は応援団です。

H27 134号 エッセイ「いつでも誰でもどこでも無料で-ブログ詩の散歩道」2段5P. 洲浜昌三

H27 島根県民文化祭文芸部門表彰式・分科会

2015年12月13日、松江で『島根文芸』入賞者の表彰式が行われました。出席者は入賞者以外に関係者など約80人。最初に島根文芸協会会長(洲浜昌三)が挨拶、県環境生活部部長から俳句、短歌、川柳、詩、散文の入賞者に賞状が手渡されました。作品は「島根文芸」に掲載されています。今年の表紙は国宝に指定された松江城です。

島根文芸 表紙

この本は県の環境生活部国際文化課でも販売しています。千円です。県のホームページにも掲載されています。選評なども載っていてとても参考になります。是非お読みください。図書館には置いてあります。

H27 入賞者名

H27 詩部門

詩部門の表彰式です。表彰式が終わって、各部門毎に分科会が開かれました。詩部門では選者だった閤田さん、山城さんも出席され、事務局長の川辺、理事の有原さん、洲浜が出席しました。

川辺さんの司会で入選者に入賞作品を朗読していただき、感想を述べ合いました。他の部門へ出席された方もあるので、参加者は佐田さん、舛田さん、小村さん、持田さん、柳楽さんなど12名でした。

応募作品は一般が21編、ジュニア-の部が12編でした。普通の募集の仕方だけだと年々数が減っていきます。PRや個人的な接触、指導など工夫をしないと先細りになります。高校生や中学生など、大いに応募してほしいものです。

H27 井上嘉明第10詩集『宙吊り』書評

鳥取の井上嘉明さんが9月5日、第10詩集を発行されました。発行所は詩誌「菱」の会(鳥取市立川町4-207-1 小寺方)定価1500円。11月3日の山陰中央新報文化欄で書評を書きましたので紹介します。

H27 井上嘉明詩集「宙吊り」
書評
 井上嘉明著 詩集『宙づり』     日常の具体から詩の秘境へ                        洲 浜 昌 三

今回の詩集は著者の第十詩集になる。コンスタントにほぼ5,6年の間隔で作品をまとめ、詩集として世に問うところにも著者の詩に対する真摯な姿勢が感じられる。

第一詩集が出たのは1963年。詩集の題名だけでも著者の詩に対する姿勢や立ち位置が見えてきそうだ。
『星座の逃走』『疾走の森』『半透明な島』『汽水域』『漏刻』『おりかえしの狩猟』『後方の椅子』『地軸に向かって』『封じ込めの水』

日常の具象を詩の素材にし、ことばを知的思索の壺で発酵純化しながら、抽象や無意識の世界へ感性の触手を伸ばして詩の秘境を探ろうとする著者の詩は、クラシカルで静的な詩という印象が強い。
しかし、今回の詩集の題名、『宙づり』は一見静的でありながら、いつ墜落するか分からない動的な緊張と恐怖を秘めている。吊っているのは誰か、釣られているのは何か。本のタイトルにもなった三連からなる詩を紹介しよう。

「たれさがった蜘蛛の糸に/枯葉が一枚/宙づりになっている/糸に付着した露の小粒に/朝のひかりがあたる/ゆれうごくものに/停止した時間が宿るのだ//囚われの葉は/風もないのに/仕掛け時計の人形のように/くるくると 右に左に小さく回り続ける/やがて 糸の水分が蒸発すると/もとの一本のしなやかな意志に戻る//上澄みの空気を/ひとり占めにし/鳥たちを/わがふところに遊ばせていた木々/蜘蛛は無実の葉を/絞首刑にしているつもり/なのかもしれない」

無駄のない簡潔なことばで描写された蜘蛛の糸と木の葉の光景は、光と影、静と動の対比も鮮やかで一幅の絵のように印象に残る。しかし読み進むうちに、「糸と葉」は抽象に昇華され恐ろしい存在が覗いてくる。鳥たちを遊ばせた木の葉は、罪もないのに絞首刑になろうとしている。思わず我が身を重ね不安を感じる。同時に「絞首刑にしているつもり/なのかもしれない」という表現に遊び心やユーモアも浮かび上がってきて心が和む。ことばを厳選し磨き上げて巧みに配列し、微妙な「ゆらぎ」を生み出す著者の繊細な感性がなせる技である。

「あとがき」にもあるように、著者が一貫して詩で問いかけてきたのは「生と死、存在と時間」の問題である。しかしこの哲学的、抽象的で難解な問題を作者は具体を通して平易なことばで表現しようとしてきた。引用した「宙づり」はその好例である。ことばは平易である。しかし具体を踏み台にして高くジャンプした先に生まれる詩の世界は決して平易ではない。ここに井上詩の奥深さがあり読む楽しさとともに詩文学としてのカタリシスがある。

今回の詩集では死に関連した作品も多いが、身体やことばなど日常的な物を素材にして生まれた温か味のある詩も多い。更に東南アジア、アフリカ、モンゴルなど異文化の地で触発されて生まれた詩も大変面白かった。(日本詩人クラブ会員)

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H27 松江工業、松江南高演劇部中国大会へ

2015年11月2,3日、雲南市のラメールで第39回島根県校校演劇発表大会が行われ、松江工業高校、松江南高校演劇部が最優秀を受賞、今月21,22日に広島のアステールプラザで開催される中国大会へ出場します。

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工業は成井豊・真柴あずさ作品『すべての風景の中にあなたがいます』をテンポ良く演じ劇つくりでは一歩抜きんでていました。発声もよく言葉もよくわかり、うまくつくられた舞台でたくさんある場面を流れるようにうまく処理して展開しました。

松江南は『サチとヒカリ』(越智 優作)を熱演しました。卒業できるかできないか分からない不良少女2人をどのように演じるか、簡単なようで難しい。不良を演じたら不良にならない、とぼくは言いましたが、何になるかといえば不良の戯画化、漫画化になり、面白く笑える対象の不良になります。実際に何度も笑いが起きました。面白くて笑えるというのは現在は主流でもありますし、恐ろしさはでてきませんが、それはそれで一つの演出の仕方です。講評でそのことをいいましたが、面白く見せることが評価されたのでしょう。心を閉じて言葉が通じず行動だけが先走る不良が、生徒相談員にならされたらどういうことになるか、ぼくはそんなことを考えていました。

その他の劇についてはそのうち感想を書くかもしれませんが、忙しいのでここでは簡単な報告だけにしておきます。写真が1枚ありましたので紹介します。出雲校の『桃田廊下を走る』実にエネルギッシュなパワーのある面白い舞台でした。題からしてとても面白い。役者も達者でした。観客の意表をつく場面が次々展開され楽しい舞台でした。分かりにくい、乱雑、という批評が多く代表にはなれませんでしたが、なっていたら中国大会でパワーを爆発させ存在感を発揮したことでしょう。一定のレベル以上の劇になると順序をつけるというのは残酷ですね。

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パンフレットに書いた文章を紹介します。

「小説のことば 詩のことば 劇のことば」

全国(中国、島根)高校演劇協議会顧問
研「空」代表、日本劇作家協会会員
洲 浜 昌 三
「なぜ飽きもせず40年以上も演劇や文学に関わりつづけきたのだろう?」と、ふと考えることがあります。一つは「表現の楽しさ」にあるのかもしれません。
最愛の人を失って、「泣くこと」だけが悲しみの表現ではありません。場合によっては、「高笑い」が最高に悲しみの表現にもなり得ます。一つのことを表現する方法は実に多様です。「バカ!」は、叱責や軽蔑だけでなく、愛情表現にもなります。新鮮で最も適した表現を見つけたときの喜び。それがぼくに演劇や文学をつづけさせているのかもしれません。

先日、改めて「ことば」について考える貴重な機会がありました。9月に「しまね文芸フェスタ2015」を県民会館で開催しました。今年は悲願だった 詩人の谷川俊太郎さんを講師に招き、「わたしのことばさがし」というタイトルで1時間半舞台で対談しました。ぼくが代表になっている劇研「空」の6人も谷川さんの詩を10数編朗読しました。

対談の冒頭で、「自己紹介」という谷川さんの詩を谷川さん本人に朗読していただきました。谷川さん自身を自分でリアルに紹介した詩ですが、その中に「こうして書くとどこか嘘っぽい」とありますので、「なぜ嘘っぽいのですか」と聞きました。 要約すると答えは次の通りです。

「ことばの背後にある実態には宇宙の始まりからの長い歴史があります。しかしことばはそのほんの一部しか表現できません。自分のことを正直に書いているようでも、それはほんの一部だけです。だから嘘っぽいのです」

確かに「ことば」は実態の説明です。小説は説明(描写)が基本です。しかし詩や演劇では説明は敵です。最愛の人を失った悲しみを「ことば」で説明すればするほど、悲しみの実態から遠くなります。「ことば」の限界と宿命です。しかし詩は「ことば」で表現しなければ成立しません。谷川さんの詩の中に「詩に近づこうとしてはいけない 詩に飛び込びこまねば!」という詩句があり、とても示唆に富んだ象徴的な「ことば」です。

これを飛躍して演劇に当てはめてぼくのことばで翻訳すれば、こうなります。「ドラマに近づこうとしてドラマを説明しようとしてはいけない ドラマに跳び込まねば!」 演劇は「ことば」以外でも多彩な表現ができるところに魅力と可能性があります。それが如何に充実しているか。
今年もみなさんの創意工夫に富んだ舞台を楽しみにしています」

今回の劇は、なぜか上記のような視点から各校の劇を見ていました。そうすると今までにないものが見えてきました。特に台本についてそれを思いました。

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ちょっと重い心を抱えて、ラメールから斐伊川土手を運転して帰りながら、きれいな夕景に出会いました。車を止めてパチリ!いい風景に出会うと、心が和みます。

H27 文芸フェスタで谷川俊太郎さん新作披露

今年度の「しまね文芸フェスタ2015」は9月22日無事に終了しました。劇研空のブログ、stage boxでも「空」の活動報告として紹介していますが、ここではちょっと違った角度から紹介します。前夜祭「谷川俊太郎さん歓迎会」は各分野の代表と県の担当者など20数名でしたが、楽しい会でした。谷川さんの隣に座って、いろいろ話しました。どんな質問にも旧友かのように自由に答えていただき、次の日の対談もその延長で行うことができたのは大きな収穫でした。格式張らない自由な対応がとても豊に思えました。

フェスタ客席谷川さんも

会場の県民会館中ホールはほぼ満員でした。文芸フェスタでは滅多にないことです。このところずっと文芸関係者だけでしかも女性中心で高齢化していたのですが、初めて参加した人、若い人、男性などとても多彩な人たちがこられました。そのこともあったのでしょう、対談中の反応がとても伸び伸びとして笑いなども起こり、いい雰囲気でした。朗読した空のメンバーも同じことをいっていました。上の写真は開会式ですが、谷川さんは、「様子を見てみたい」といわれて一階席の最後部に立って見ておられました。そういうところにも谷川さんの心配りが感じられました。

洲浜・谷川対談
劇研「空」のメンバー6人による谷川さんの詩の朗読(初期の詩・ことばあそびの詩・最近の詩と3部に分けて朗読)を挟んで対談しました。対談の最後に、「ここでサプライズを披露します」といって谷川さんに新作を朗読していただきました。大きな拍手がありました。

事前に、もし可能なら「島根」か「松江」という題で詩をお願いできませんか、とお願いしておいたのです。谷川さんは「しまねまつえ」を行頭にいれたアクロスティック形式の詩を朗読されました。題は「詩」です。この対談のテーマをしっかり見据えて書かれたことがよく分かります。紹介します。

谷川さんの新作

午後は詩の分科会でした。今までになく多くの人が参加してくださいました。事前に朗読詩を提出していた人も多く朗読されて、谷川さんも感想を述べ批評されました。とても貴重な時間でした。なーるほど、と思うことが度々ありました。

谷川さんの了解も得て、石見銀山テレビが撮影しました。11月21日に放映します。大田市にいないと見られません。見たい人は大田へきてください。

後日、谷川さんへ礼状をだしました。谷川さんから返事がきました。その中に次のような一節がありました。「島根の日々は私にとっても楽しく充実したものでした。詩が全体的に力を失ってきている感じなので、文芸フェスタがずっと元気でいてほしいと願っています」

その後、大田から松江まで聞きに行ったという人たちに何人も会いました。「とてもたのしかった」「分かり安くてとても勉強になりました」などという言葉をいただきました。

谷川さん、お忙しいなかをはるばる島根まで来ていただき、ありがとうございました。参加してくださったみなさん、ありがとうございました。

邑南町品川始さん、シベリア抑留記『凍った大地に』出版

2015年7月に『凍った大地に』がハーベスト出版から発行されました。著者は島根県邑智郡邑南町上亀谷にお住まいの品川 始さん。1923年のお生まれです。本屋さんへ行ったら積んでありましたので購入し、一気に読みました。過酷なシベリヤでの強制労働のことがリアルに描かれています。品川さんは、絵が特意だったので、シベリヤの収容所でも白樺の皮に、ふる里の風景や知人の絵を描いて慰めにしていたそうです。

品川始著「凍った大地に」

本の表紙も品川さんが描かれたものです。文中にもたくさん絵があります。収容所でも新聞の発行やポスターなどで絵を描く必要があり、頼まれて何度も描いたそうです。「芸が身を助く」とはこのことかもしれません。それによって未知の人との交流が生まれ信頼され活動域が広がっていきます。

3年前に田所へ帰って、公民館へ入ったとき、品川さんのシベリア体験記や絵の展示があり、じっくり見て回ったことがあります。新聞にも大きく取り上げられ、切り抜いて保存しています。

今回刊行された本を読むと、品川さんの謙虚で誠実で、実直に黙々と実行される姿が浮かんできます。零下40度、食べるものもほとんどない地獄のような大地で生き延びてこられたのは、その実直な行動力だったのかも知れません。現地のロシア人との心温まる交流も品川さんの人柄が信頼されてのことだと思えます。

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下亀谷は我がふるさとです。写真は上亀谷方面から下亀谷方面をパチリとしたものです。一本道が村を貫いています。右側の石見瓦の家は谷田屋、その背後は上新谷屋、焼けた植田屋は道の向こうに家が見える辺りです。「はじめさん」という名前だけは、子どもの時から、父や母から聞いていましたが、お会いしたことはありません。感想を書いて送ったのですが、「植田屋の三男坊です」と書いておきました。ぼくのことはご存知ないでしょうが、「植田屋」といえばよくご存知のはずです。

貴重な記録を残していただいき、ありがとうございました。