「詩集や本の紹介・感想」カテゴリーアーカイブ

R1,『山陰文藝』25周年記念 50号発行

平成7年に創刊された『山陰文藝』が、25周年を迎え、記念すべき50号に達しました。10月には記念行事として、『万葉集』研究の第一人者・中西進先生を招いて、松江で記念講演が開催されました。今号の巻頭随筆では、創立以来の大黒柱・池野誠さんが、「芸術は長く人生は短し」と題して、60年の文化活動を回顧して、貴重な記録を書いておられます。また、事務局を担当された石丸正さんが、25年を振り返って、苦労と喜びの足跡を振り返っておられます。現在では島根の唯一の総合文芸誌です。

会員は150名以上の時もありましたが、現在は100名弱、年二回の発行を厳守しています。小説、俳句、短歌、川柳、詩、随筆など多彩な作品があり、誰でも参加できます。年会費は4千円、執筆原稿枚数により参加費が必要です。この雑誌に連載された作品の中から、郷土を素材にした本が何冊も出版されています。

ぼくは創刊号からの会員で、合評会にも初めごろは参加していましたが、多忙や他の詩誌などに参加していることもあり、数回しか寄稿していませんでした。今回は記念すべき50号でもあり、短編小説でも書きたいという気がありましたが、詩作品で参加しました。
大田市川合町吉永に新具蘇姫命神社(にいぐそひめのみこと)があり、何十年もその由来を知りたいと思っていました。糞は現在汚い物の象徴ですが、ぼくの感覚では、神聖な物の象徴に思えます。他人の大腸菌を患者の腸に移植して病気が治ったという例を放映していましたが、サモアリナン、と嬉しくなりました。今後はますます大活躍することでしょう。

その「ニイグソヒメ」様の詩を載せましたので、興味がある人はどうぞPDFを覗いてみてください。
(ブログ 詩の散歩道 本作品雑誌紹介 0191206 すはま)

詩「生き残った新具蘇姫さま」


H31,豊田和司詩集『あんぱん』第18回中四国詩人賞

9月29日、岡山の「ピュアリティまきび」で中四国詩人会大会が開かれ、中四国詩人賞の授賞式が行われました、選考委員長のくにさださんから、選考経過が発表され、岡隆夫会長から賞状と副賞が渡されました。豊田さんは広島市在住で『火皿』『折々の』同人。ヒマラヤ・アイランドピーク登頂経歴もある日本山岳会会員で山男です。詩集の帯には、「遅れて来た文学おじさんの第一詩集」と松尾静明さんが紹介しておられます。

詩集冒頭の『アンパン』を紹介しましょう。

あんぱん   豊田和司
げんばくがおちたつぎのひ
あてもなくまちをあるきつづけた
きがつくといつのまにか しらないおんなのこがついてくる

あっちへいけ!
おいはらっても
おいはらっても おんなのこはついてくる

ていぼうにこしをおろして
ひとつだけもっていたあんぱんをたべた
おんなのこもとなりにすわって あしをぶらぶらさせていた

くすのきのねもとで
よるはのじゅくした
おんなのこもすこしはなれて
ごろりとよこになった

よくあさめがさめると
おんなのこはつめたくなっていて
なにごともなかったかのように
ぼくはまたあるきはじめた……

いまでもときどきおんなのこは
ゆめのなかであしをぶらぶらさせて
あんぱんをわけてやるのは いまこのときだとおもって……

いつも
なきなから
めがさめる

会報によれば、豊田さんは1959年生まれ、上智大学文学部新聞学科卒とある。戦後生まれで直接原爆の経験はない。しかし同じ広島に生まれ、生き、意識には深く原爆のことが根を下ろしている。「あっちへいけ」と追い払うのだがついてくる。おんなのこのそばで、一人であんぱんを食べる。他者の空腹や不幸を目にしても何もしない、できない人間のエゴ。それでもおんなのこはついてくる。そしてある朝、冷たくなっている。でも何事もなかったように歩きはじめる。しかし意識の底で罪悪感は根を張っていく。なにかしなければ、と、思いだけが深まっていくが、何もできない。
     平易なひらがな表現で、情景が浮かぶようにイメージや情感が豊かに書かれていますが、鋭い批判が滲み出てきて胸に刺さります。

     この詩集には、様々な素材の詩があります。「山や自然、社会性、生活、ことばあそび、一族の系譜、と多方面にわたる詩の群れがあり、そのいずれもどこか気がきいていて、洒落ていて、頷かせる」(選考委員、川野圭子)
 この岡山の大会には、都合がつかず参加できませんでしたが、「中四国詩人会ニューズレター 」44号を参考にしました。
       この号では、岡隆夫会長が第50回日本詩人クラブ賞を、第21詩集『馬ぁ出せぃ』(砂子屋書房)で受賞され、2017年4月8日に授賞式があったたことも紹介しています。この詩集もとてもいい詩集で、ぼくも自信をもって推薦しました。ここで紹介しようと思いながら、時間が過ぎていきます。
     (ブログ 詩に散歩道 中四国詩人会 20190626suhama)
















H30 栗田好子詩集『ありがとうの色』書評(「石見詩人」141号より)

「石見詩人」(益田市 高田頼昌 編集)141号が平成30年12月、発行されました。以前は季刊でしたが、現在は年2回です。その中で栗田好子(益田市中島町)さんの第2詩集『ありがとうの色』の詩集評をかきましたので、表紙、目次と共に紹介します。(石見詩人 🏣698-0004 益田市東町17-15)


『石見詩人』は、昭和29年に益田市で誕生した伝統のある詩誌ですが、同人も高齢化、人数も少なくなりました。継続するのは楽ではありませんが、もう少し頑張る、と編集者は熱い思いを述べています。
『ありがとうの色』は2018年1月、石見詩人社から発行。第一詩集『透きとおったときよ』は2002年。16年ぶりです。一人の女性が不安や孤独を抱えつつ、前向きに誠実に歩んできた心の軌跡を見つめ、触れ、感じ、味わうことができるいい詩集です。栗田さんは、8月に益田の喫茶店で「詩とイラスト」展を開催、とても好評だったそうです。分かり共感がある詩なので可能な作品展だったのでしょう。詩が紙の上に閉じこもらずに、街へ出て行くのはいいことですね。次のPDFは詩集の証票です。興味がある人は開いてみてください。

H31、ブログ 詩集評 栗田好子詩集『ありがとうのいろ』「不安孤独をバネに明るい広い世界へ」2段30字×18行

このブログでは、出来るだけ詩人の詩集などは紹介するつもりですが、たくさん詩集が届きますので、いい詩集があってもみな紹介する時間的余裕はありません。少なくとも山陰地方の詩集は紹介したいと思っているのですが、思うようにいきません。詩は読まれない時代。少しでも知ってもらい、励みになればと思い、少しづつ紹介していきたいと思っています。(ブログ 詩の散歩道 詩集や本の紹介 20190130 すはま)

 

H31 40年ぶりの詩集『春の残像』(洲浜昌三詩集)

戦後の一時期(我が青春時代)、詩は混迷した精神を純化、解放し、心に安らぎや豊かさ、指針を与えてくれる存在でした。今、詩は読まれない時代です。しかし、詩が持っている力は魅力的です。長い間書いてきた200篇以上の詩から、44篇を選び、詩に関するエッセイを巻末に載せました。「分かる言葉で心に響く詩」が目下の詩への向き方です。読んで面白く、感動や発見があり、歴史や記録としての確かさ、面白さ、笑いもある。そんな作品を選びました。次のように多様な内容の詩を載せています。

Ⅰ、 共に過ごした生徒たち、我が青春のシルエット(10篇)
Ⅱ、 自然、震災、命、言葉、公害 ‥‥今を見つめて(12篇)
Ⅲ、石見銀山、三瓶山、石見の風物、方言、人物考(12篇)
Ⅳ、ふるさとの父母、子供たち、友‥暮らしの中から(10篇)
Ⅴ エッセイ(詩論)「詩とは何かを求める長い思考の旅」
表紙の絵は松江市在住の美術家・北雅行先生の版画です。仁摩町大国の龍厳山で頂上には石見城跡があり、銀山争奪戦拠点の一つでした。北先生の版画は詩集の中にたくさんありとても好評です。
詩集の「あとがき」をPDFで紹介します。

洲浜昌三詩集 「春の残像」より「あとがき」

40年前に詩集『ひばりよ 大地で休め』を出した時には大田市にも、ロマン書店、本田書店、昭和堂などあり、いろいろな本を気軽に置かせてもらったものですが、昨年最後の砦・昭和堂も、時代の荒波を浴びてついに落城!(落店?)。個人書店はゼロになりました。チェーン店「ジャスト大田店」だけですが、そこに本社の許可を得て置かせてもらっています。ネットでも紹介されていますが、ご連絡いただければ、消費税や送料なし(1500円)で、お送りします。読んでいただければ幸せです。

この詩集は、第19回中四国詩人賞を受賞し、2019年9月28日、広島で開催された中四国詩人会総会で授賞式が行われ、岡隆夫会長から賞状と副賞が授与されました。

『春の残像』は、株式会社「22世紀アート」から電子書籍として2020年6月中旬頃、出版される予定です。
(ブログ 詩の散歩道 詩集・本の紹介 20190112 すはま)

H30 北 雅行版画展 成功裏に終わる

松江の「タウンプラザしまね」で開催されていた北 雅行先生の版画展へ8月31日に行ってきました。連日80人以上の人が来られたとか。ぼくらが言ったときには熊本から夫婦で来ておられました。

約100点展示してあり、ふるさとの風景を彫った作品がたくさんありました。教員になってから一貫してふるさとを描いてきたそうです。素晴らしい作品がたくさんありました。ぜひ行きたいと思ったのは、作品鑑賞と激励もありますが、11月末を目指して詩集発行のために出版社と作品を選考していて、表紙やカットにいい作品はないか偵察も兼ねていたのです。北さんからは、どうぞ自由に使ってください、とOKが出ました。ありがたいことです。そのつもりで見て回りました。いい出会いがありました。北さんは松江の出身ですから、どうしても松江の作品が多く、石見は限られています。でも石見銀山や石見の海岸風景もありました。石見銀山羅漢寺の反り橋です。力強い作品ですね。どの様な本にするか、カットや表紙はどうするか。これからですが、コールサック社とやり取り中。激励をのためでしょうか、3冊予約します、という人が現れました。さて実現するかどうか。今度は有言実行しなければ信用失墜です。チェスト!(ブログ 詩の散歩道 すはま )

H30, 島根の詩誌 「光年」終刊「践草詩舎」創刊

出雲と松江の同人を中心に発行されていた伝統のある詩誌・「光年」が平成17年3月、60年の歴史を閉じました。1956年に創刊、151号が終刊号でした。最後の発行者は坂口簾さんでした。

田村のり子さんが、昨年5月24日に山陰中央新報に寄稿されましたので(「島根年間詩集 」46集にも掲載)、その冒頭を紹介します。

「詩誌『光年』が喜多行二氏を中心として坂口簾、河原立男3氏により出雲で創刊されたのは1956年のことであった。以来多彩な同人を迎えかつ喪いながらも不変の孤高高邁な志と方法論を掲げ、万事旧弊の山陰の文化風土に刺激と活気をを与え続けて17年3月、151号を終刊号として詩誌の幕を閉じた。生前ついに個人詩集をもたなかった喜多行二のため光年の会による『喜多行二全詩集成』(坂口簾編集417頁)も同時に刊行成就、完結は完璧となった ~ 以下略~」
上の写真は、「喜多行二全詩集成」417ページ。喜多さんの全詩が掲載されています。大変な編集作業だったことでしょう。最後のページに坂口さんが、略歴を書いておらます。
坂口さんは、新たに、「すとうやすお」さんを代表として創刊された「践草詩舎」に「喜多行二論素描」を執筆、連載中です。現在3号まで発行されていますが、綿密で本格的な評論です。

「践草詩舎」が創刊された時、依頼があって、山陰中央新報に紹介文を書きました。
H29,10 新聞書評「践草詩舎」創刊 山陰中央新報

一般の人に詩が読まれず、詩を書く人は高齢化し、詩を書く若い人がほとんどいないのが現状です。「光年」の終刊は、他人事ではありませぬ。明日は?来年は?

詩が好きな人、詩を書いてみようと思っている人。おられたら「石見詩人」「山陰詩人」「践草詩舎」「島根年刊詩集」を読んでみてください。5月27日に大田市のパストラルで島根県詩人連合総会を開きました。出席者は少数でしたが、熱心な人が新たに参加され、とても心強く、励みになりました。(ブログ 詩の散歩道 詩集紹介 すはま )

H28 高橋留理子詩集『たまどめ』紹介(大田市在住)

2016年3月、高橋留理子さんの第一詩集『たまどめ』がコールサック社から出版されました。高橋さんの出生地は群馬県安中市ですが出雲市で育ち、現在は大田市にお住まいです。初期の詩から最近の詩まで多彩な40編の詩が収録されています。物語性のある心に響く詩がたくさんあります。劇研「空」では9月17日に市民会館で計画している第7回「朗読を楽しむ」でも数編取り上げる予定です。

H28「たまどめ」高橋留理子

戦争に関する詩や韓半島で暮らす孫娘に寄せた詩は感動を呼びます。中日新聞(5/3中日春秋)や東京新聞のコラムでも、詩「たまどめ」を引用して論説委員が書いています。

『現代詩手帳』6月号の「詩書月評」では阿部嘉昭氏が、「色価」という言葉を使ってこの詩集を論じています。「~夫へのおもい、韓国で結婚生活をする息子への郷愁、亡母への哀悼、旧友との同調など、通用性のある情を詩篇ごとに吐露するこの作者は、勤勉な歴史取材とともに、ことばのならびの色価によって読む者を魅了してゆく。~ 」(一部のみ)

「コールサック」の依頼を受けて、スハマクンは『コールサック』86号に詩集評を書きました。DSC07290
その文章をPDFで紹介します。ここでは部分的に手を入れています。興味がある人は目を通してみてください。詩集を購入したい人は、コールサック社(03-5944-3258)へどうぞ。2000円です。

H28 書評 高橋留理子詩集『たまどめ』 2段組31字×22行

個人的な私情だけを書いた詩ではなく、深い個人の心情から発して、民族、戦争、平和など普遍的なテーマを豊かな感性で書いた詩がたくさんあります。一過性ではなく、時がたっても何かの折に読まれていく詩だと思います。

 

H28 別所真紀子さん 第67回読売文学賞受賞(大田出身)

別所真紀子さんが『江戸おんな歳時記』(幻戯書房)で、67回読売文学賞(随筆・紀行の部)を受賞されました。2月1日発表、19日に帝国ホテルで受賞式が行われました。島根県出身で読売文学賞を受賞されたのは2人だけです。もう1人は、1968年『わが出雲・わが鎮魂』で受賞された詩人の入沢康夫さんです。『人物しまね文学館』(下の写真)で田村のり子さんが紹介しています。最近では『山陰詩人』204号でも田村さんが取り上げています。一時同人でしたし、島根詩人連合が発行した『島根の風物詩』にも、詩を発表していただきました。

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別所さんは大田市富山町才坂の生まれで、旧姓は細貝。家は旧家だったそうですが、20歳のとき上京、当初は詩を書いておられました。詩集は3冊あり、ぼくも贈呈を受けました。その後は小説や随筆、評論も書かれ、江戸時代の俳諧に関する著書や俳諧を素材にした小説も多く、江戸時代の俳諧の研究では第一人者といってもいいでしょう。今回はそれが高く評価されたものです。大田では誰も知っている人がいません。クヤシイのでヒトリデサケンデいます。

次の本はぼくの書棚にある別所さんの初期の詩集や評論です。『まほうのりんごがとんできた』という童話も書棚にはあります。それぞれ贈呈を受けたものですが、流れるような達筆で作者名が書かれています。人柄が偲ばれます。三姉妹だそうですが、妹さんは益田在住の田中郁子さん。一人は松江だとか。ほんとうにおめでとうございます。ふるさとの誇りです。9月の「朗読を楽しむ」でも取り上げたいと密かに考えています。

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詩集『アケボノ象は雪を見たか』は昭和62年に出版されました。縁があってスハマクンが新聞へ書評をかきました。記念すべき一文を紹介しましょう。

 

 H28 新聞書評再現 「アケボノ象は雪をみたか」別所真紀子 洲浜昌三

 

H27 田村のり子詩集『ヘルンさんがやってきた』(八雲会出版)

田村のり子さんの第8詩集、『ヘルンさんがやってきた』が平成27年11月に出版されました。今年1月15日には入沢康夫さんが山陰中央新報に書評を書かれました。島根県詩人連合会報80号に読後感を書きましたので紹介します。

田村さんには次のような詩集があります。『崖のある風景』『不等号』『もりのえほん』『ヘルンさん』『連作詩ー竹島』『幼年譜』『時間の矢ー夢百八夜』。評論にも優れた労作があります。『出雲石見地方詩史50年』『島根の詩人たち』『入沢康夫を松江で読む』

詩集『ヘルンさんがやってきた』   実績と信頼から生まれた詩集
洲 浜 昌 三
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この詩集は「へるんさんの旅文庫」第二集として八雲会から出版された。
このような形で世に出る詩集が現在の日本にどれだけあるだろうか。ほとんどの詩集は自費出版である。求められて誕生することは滅多にない。

八雲会は1914年に創立された。1965年に第二次八雲会が発足し、約300人の会員を擁する歴史と実績のある団体で、有名な大学教授(入沢康夫氏、平川祐弘氏なども)や研究家も会員として講演したり、会誌『ヘルン』へ度々寄稿する実績のある学術団体でもある。また松江で小泉八雲が果たす意義は絶大で、八雲会は観光面でも教育の分野でも、行政とタイアップして活動していて、八雲作品の英語スピーチコンテストもある。
このような伝統のある会がその価値を認め出版したことで、この詩集は一過性に終わらないだけでなく、一般の人にも広く長く読まれる可能性を秘めている。著者は、動かなくても、詩集は動くのである。
「いい詩は詩集の中で永眠させてはいけない」といつも思っているぼくは、この詩集を手にしたとき、このことが何よりも嬉しかった。

編集者の村松真吾さんは詩人ではなく、八雲会の常任理事である。当初は「写真を添えた旅ガイド」として考えていたが、作品を読み編集していくなかで、「こうした安易なアイデアは通用しないのではないか」と考え、「詩によるヘルン論として読むには道しるべが欠かせないと考えた」と「編集小記」に記しておられる。
松村さんは、詩の中で引用された文や語句の原典を調べて、28ページにも渡る簡潔な注を詩集の最後に添える労を執られた。

46編の詩の中には、ハーンの作品からの引用が多数あり、読んでいると、どの作品の引用か、と考えることが度々あった。そういう時、ハーンの原石に触れることができるので、原石と作者との距離や角度、見方、解釈などが浮かび上がり、読む楽しさと味わいが深まる。ハーンの理解がある良き編集者にも恵まれた詩集である。

詩集『ヘルンさん』が出たのは1990年。25年前だが、今も記念すべき名著だと思っている。原典を多用し豊かな解釈で感性豊に伸び伸びと書かれていて8ページに渡る長い詩も多い。
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今回の詩集では「1編2ページ厳守」。箱寿司のような枠が設定されている。以前の田村さんなら「詩をバカにしなで!」と相手に鋭いキックを浴びせ撃退したことだろう。
キック力が衰えた訳ではない。しっかりした本店はあるので、支店を作って多くのお客さんに楽しんでもらうのもいいだろう、と思われたにちがいない。(スミマセン勝手な憶測で)詩は短いほどポエジーが豊になり、人も近よりやすくなるのも真実だ。

土地や人物に素材が固定されて詩を書くとき、「何が詩になるか」は難しい問題である。下手をすると土地案内や人物、記録紹介になりかねない。この詩集ではその点に関して劣ることはない。長年の本格的な研究や資料調査を生かして、十分ハーンと松江を紹介されている。では、どこに詩があるか。一つ挙げてみる。

田村さんの詩の特徴は「知」や「批評性」にある。この詩集でもそれは随所に生き、光っている。ハーンの著作や交流、生活などを通した東西の文明批評である。詩が単調さや情緒に流れることを嫌い、(  )を使って別の視点を持ち込んで流れを変え、読者の目を醒ます。そこにはユーモアや風刺や独自の視点もあり、面白く楽しい。素材が持つ風景の上に、作者が眺める距離、角度の違いから生まれる風景から詩が立ちあがる。

コンパクトな箱詰めになったために、すっきりした詩が多くなった。逆に、場所など名詞が次々出てくる詩になると窮屈でイメージがついて行かない場合も数編あった。

恵まれて生まれた詩集である。それは長い間、ハーンと取り組んで来られた田村さんの実績と、それに対する信頼という確かな母体があったからである。
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発行所は八雲会ー松江市西津田6-5-44 松江総合文化センター内 ホームページもあります。定価は1500円。

 

中村 学著『笑う門にはいい介護』紹介

大田市の中村 学さんがタイムリーな本を出版されました。出版された時に贈呈を受け、その夜にすぐ読了してお礼の手紙を書いて届けました。自分を飾ることなく事実や思いが率直に語り口調で書かれていて、とても読みやすく、しかも胸を打ち参考になる言葉にあちこちで出会います。
表紙 中村学「笑う門には~}

刊行されたのは2013年11月ですが、先日大田の本屋さんへ行くと、『笑う門にはいい介護』がたくさん展示してあり、うれしくなりました。一時的なブームに乗った一過性の本ではなく、介護について基本的な心構えを書いた本ですから、本屋に長い間、置いてある価値や意味が大いにあります。

本の中でも書いてありますが、宮根誠司さんとは小学校時代からの兄弟のような友達。二人とも人を笑わせることが大好きだったとか。大田高校を卒業して学さんは演劇やお笑いの道に進みました。1994年に東京吉本興業のオーデションに合格し芸人としての道を歩き始めたとき、母親の介護のために帰省。そこから介護地獄がはじまりました。

それを克服したのが、地域で介護の話を頼まれて話したことがきっかけでした。8年間イライラを母親へぶつけてきた「反応」から一拍置いて「対応」する客観性を取り戻すことができるようになったのです。ここには学さんが、お笑い芸人として如何にして独自の種を見つけそれを表現して観客を笑わせるかという苦労と努力が、栄養を蓄えた竹の根のように生きてきた!と僕は思い感動しました。芸術である演劇が持っている「自己客観視」や「遊びの精神」です。

学さんは1913年には大森で劇研「空」の創作民話劇『出口がない』に出演していただきましたし、2014ねんにはサンレディで講演した創作劇『サクラさんんの故郷』にも出て退職した先生役を見事に好演していただきました。学さんがいると練習の雰囲気が明るくなるのがとても嬉しかった。姿勢が前向きだからです。

その後も出演をお願いしましたが、多忙を極める毎日で実現しませんでした。現在は仕事も多忙ですが、県内、県外から講演の依頼を受けて飛び回っています。笑いの絶えない楽しい講演の中で、大切なことを自然に学べるところが学さんでなければできないところです。素敵です。これからますます活躍されることでしょう。