「詩作品紹介」カテゴリーアーカイブ

詩 「鬼だぞ-」

 

短詩 「鬼だぞ-」
洲浜昌三

生まれて初めての節分
こわい面をかぶった父さんが
「鬼だぞー」

ニコニコして喜ぶユサちゃん
こんどはドスをきかせて
「こわい鬼だぞー」

顔を近づけておどすと
目を弓にして笑う
「フ フ フ フフフフフ」

鬼が逃げたあと
声がした

「メンガナイホウガコワイヨ」

 

鬼は怖いものの象徴ですが、鬼が人を殺したり弱い者いじめをしたりした記録は歴史上どこにもありませぬ。怖いのは鬼ではなくそれを創りあげたたニンゲンです。ニンゲンの歴史は戦争と殺戮の歴史。学習効果はないみたい。

詩 「がんばれ まめ戦士」

 がんばれ まめ戦士
洲 浜 昌 三

さあ 元気よく歌いながら豆をまいて
オニを退治しましょうね
もう一度大きな声で練習しましょう

おにはそと ふくはうち
ぱらっ ぱらっ ぱらっ ぱら まめのおと
おには こっそり にげていく ※

頭に白い鉢巻きをキリリと締め
ふるさとを守る戦士のように目を輝かして
幼い子どもたちは声を張り上げる

ウオー オニダゾ ワルイコハ タベルゾ
ギヤオー アカオニダゾ ナキムシハ ドコダ

二ひきの鬼が飛び出したとたんに
戦陣はたちまち総崩れ
真っ先に逃げていく男性戦士
恐怖でその場にうずくまる女性戦士
一歩も退かず勇敢に立ち向かう数名の豆戦士
悲鳴や泣き声が戦場に響きわたる

さあ 子どもたちよ
あの歌を歌うんだ
みんな一緒に 大きな声で
あんなに何度も練習したじゃないか

※童謡「豆のうた」より
大田市文化協会は年3回「きれんげ」という会報を発行しています。1000部以上印刷していると思いますが、大田の文化情報や石見銀山の歴史は毎号掲載しています。数年前から詩を依頼されて書いています。詩人ではなく普通の人が読んで何か心に残るような詩になればと思って書いています。石見銀山の詩も時々書いています。行数は30時以内ですから長い詩は書けません。

上の詩は会報の最新号のために書いたものです。マイ グランドドーター が節分前にはいつも「豆まき」を家でも歌っていました。いいうたですね。「ぱら、ぱら、ぱら」 というのがなんともいえません。保育園で節分の当日は鬼がでてくるとみんな恐れて泣いたそうです。その後家でも、鬼を怖がっています。2歳という年はまだサンタクロスも鬼も実在すると思っているんでしょうね。

これは保育園で先生とつくった鬼です。なんとかわいい鬼ですね。食事の時もこのメンをつけて食べています。お気に入りです。

詩 娘たちの「銀山巻き上げ節」-石見銀山考-

  娘たちの「銀山巻き上げ節」

                                ー石見銀山考ー
                                                                    洲浜昌三

石見銀山で働いていた女性に会いに行こう
と誘われ 八十を超える老女を訪ねたのは四十年前だった
娘のころ永久鉱山で働いていたという 続きを読む 詩 娘たちの「銀山巻き上げ節」-石見銀山考-

詩 大森五百羅漢-石見銀山考-

 

大森五百羅漢 -石見銀山考-       洲浜昌三 

石のそり橋を渡ると
羅漢さまの静かな岩室がある

父や母や夫や妻や愛しい我が子が
安らかに眠りますように

はるか江戸時代に人々が込めた
深い祈りの石仏 (いしぼとけ)

羅漢とはー
いっさいの煩悩を滅し、自力で悟りを開いた人ー
と辞書にある  それにしては

「てめえらぁ それでええんかや!」と目をむいて怒鳴る羅漢
「うちのにょうぼうのやつがのぅ」口を曲げて愚痴をこぼす羅漢
「助けちゃんさい 頼むけぇ」天に号泣する羅漢
「わしゃ はあ知らんで」膝を深く抱える羅漢
「ありゃ ぼけてきたかいのぅ」ふと 頭に手をやる羅漢

静かに瞑想する数多の尊者の中に
悟りとは遠い数体の羅漢

石見の国 福光の石工は
うっかり本音を刻んだのかもしれない

(島根県詩人連合発行「しまねの風物詩」より)

詩 「石見は空白地帯」-石見銀山考-

 

石見は空白地帯  -石見銀山考ー

Shouchan

フランスの観光パンフレットには

出雲と山口の間には何もないという

 

そのフランスからカルロス夫妻がやってきた

メリーズはきりっと引き締まったフランス美人

カルロスは小太りで陽気な赤ら顔のラテン系

船会社を退職し悠々自適らしい

 

若いとき日本のミノルタカメラが欲しくて

ドイツまで稼ぎに行ったというカメラ狂

芸術の都からカメラを抱えて地球の旅へ出る

 

三瓶山から日本海に沈む夕日を連写し

地下で巨大な埋没縄文杉のシャッターを切りつづけ

志学の露天風呂で満天の星を見上げ

無視された石見の我が家でゆかたを着て正座し

ヴェリィ フルーティと日本酒「羅浮仙」を飲み

タタミマットのセンベイフトンでぐっすりねむる

 

江戸風情の家並みの路地に白い雨が降る次の日

石見銀山世界遺産センターのヒノキのホールを抜け

展示を見ながら歩いて行くと

おお!と声をあげてカルロスが立ち止まる

This map is Portuguese!

ポルトガルで400年前に描かれたエビのような日本地図

 

なんと!カルロスはポルトガル生まれだった

 

ヴァスコ・ダ・ガマに出会ったかのように目を丸め

ポルトガル語を読む

「FVOQVI」(ほうき)の西に「INZVMA」(いずも)

その西にあるのは

日本海に張り出た広大な「 R・ASMINAS DA PRATA 」

山口はなくて その南が「VAMGATO」(ながと)

 

抹殺された出雲・山口間に書かれた

ぼくらが立つ石見の大地は

「銀鉱山群王国」

 

詩 桜前線みちのく北上

   桜前線みちのく北上

人々の嘆きみちみつるみちのくを
心してゆけ桜前線 ※

沖縄から九州へ渡りぼくらの街を通って
北上して行った桜前線は
心してみちのくの街や村を通ってくれただろうか

長い冬が終わり木の芽がふくらみはじめる早春
いつものように派手な姿で陽気に
卒業式や入学式を祝って
はしゃいで通りはしなかっただろうか

街や村が一瞬にして消え
人の姿もなく
広大な廃墟に
瓦礫だけが山裾までつづいている

荒涼とした風景は
原爆が投下され焼け野原となった
広島と重なる

何万という人たちの最後の言葉や叫びを
一つ一つしっかりと受け止めただろうか

つらい中でも慎ましい笑顔を忘れず
心の底に涙を貯めていく人たち

痛恨の涙をはらはらと流し
その清楚な姿で陸奥の人たちを励ましながら
桜前線は北へ向かっただろうか
※ 短歌は長谷川櫂『震災歌集』より

詩 樹齢45年アソカの樹

 

樹齢四十五年 アソカの樹 shouchan
「お元気ですか」
風のように自由自在になってしまわれたあなたへ
こんな言葉をかけるのはちょっと変ですね
でも 会議を終えてさっき別れてきたかのように
いつものあの慈眼と笑顔が今日もぼくの目の前にあるのです

秀陽先生 ー ああ それから それから 昭英先生 …
とうとうこの日がきました
この国は一体どうなっていくのでしょう

街でアソカのバスを見るたびに思い出します
「アソカという言葉は古代インドのサンスクリット語で
お釈迦様はルンビニー園のこの樹の下で誕生されました
中国ではその意味をとって漢字で無憂樹(むゆうじゆ)と書きます」
そう教えてくださったのは先生でしたね

まだ一度も見たこともないアソカの樹
あの時からこの樹はぼくの中で大きくなっていったのです

みどりの葉を空に広げ 香り高い美しい花をつけたアソカの樹ー
その下でぼくの二人の子も「光りの子」として育てられ
大勢の友達と「みんな優等生」となって巣立っていったのです
憂(うれ)いの無い空のように澄んだ目で
この樹は千人を越える「アソカの子」を見てきたのです

樹齢四五年に育ったアソカの樹
壮年期に入った大木アソカの樹
その下で明るい声が絶えなかった幼稚園

過去の思い出となり 未来の夢は語れなくなっても
先生
アソカの樹は大きくなっていきますよ
ぼくの心の中で
千を越える多くの人たちの心の中で

 

(文集アソカへ頼まれて書いたものです。秀陽先生は創立当時の園長先生でした。昭英先生は次の園長先生でしたが、若くして他界されました。触発されて「ミネコ先生の傘」という詩を書いていますが、いつかいつかと思っている内にいつか…。みんな素敵な人たちでした。お世話になったマイサンが大学を出て中国で十数年働きちょうど日本へ帰った時に閉園式が行われました。当時お世話になった先生方へ感謝の言葉を述べお礼の花束を渡しました。Shouchanは文集アソカには10数編詩を頼まれて書いています。素直に書いた詩ですから自分でよんでも心に響くものがあります。いつかまとめてお世話になった人たちに贈りたいものですね)

 

詩 7歳までは神のうちー石見銀山考ー

  

      7歳までは神のうち ー石見銀山考ー  Shouchan

ブレーキを踏んで車を止めると

子供たちは目の前を小走りに横断して歩道に立ち

声をそろえて頭を下げる

「ありがとうございました」

 

いつも見慣れている風景だが

大阪や東京から来た三人は

感動して小学生たちの姿を見送っている

「あんな子どもが日本にはまだいてるんやね」

 

ふと ある講師の言葉が頭をかすめた

「七歳までは神のうち」

石見銀山にはそんなことわざが残っているという

 

受け売りを得意になって紹介すると

ミキさん夫妻が言葉を重ねる

「子どもは神のように大切に育てられたんやね」

「さすが出雲石見は神の国やわ」

 

「逆じゃないのかな」

後に座っていたケンさんがつぶやいた

 

会話が途切れ 新緑の林が後ろへ流れていく

「飢饉のときその言葉は救いになったんだよ

……神の国へ返すのだからさ」

ケンさんが再び低い声でつぶやいた

 

フロントガラスに日本海が広がる

短いトンネルを通過する

 

「……生まれた子を間引くときにさ」

 

 

詩 暗いとこ通って広野原

暗いとこ通って広野原              shouchan
三菱の重役のお屋敷でね
わたしも 三つ指をつき
あそばせ言葉で話しとったんよ

ぼくにはまったく記憶がないが
母が東京で女中奉公をしたとき
二歳のぼくも連れて行ったという

いまはやまなか いまははま
いまはてっきょう わたるぞと

煙を上げて東海道線を走る汽車の中で
流れてくる風景に合わせて母は歌ったという

おもうまもなく とんねるの
やみをとおって ひろのはら

真っ暗闇の世界へ突入する度に歌い
光が満ちあふれる広い緑の世界へ出る度に
「ほら ひろのはらよ」と言って歌ったのだろう

そのうちぼくは
「やみじゃない くらいところだ」といって譲らず
負けた母は
「くらいとことおってひろのはら]                                  と変えて歌ったという

ベッドのそばに寝ころんで                                     遠い世界の童話を聞いているように
老いた母の言葉に耳を傾ける

何もかも溶けて遠くなっていく日
小石のように光る頑固さがなつかしい

詩 リラの花咲くころ

リラの花咲くころ 洲 浜 昌 三

高校生だったころ
ラジオで覚えた大好きな歌があった
「リラの花咲くころ」

リラ リラ リラ
なんというさわやかな響きなんだろう

ぼくの村にはどこにもなかったので
どんな花なのか見当がつかなかったが
花開いた美しい姿がふくらんでいった

リラはライラックともいう と知ったのは
何十年もたってからだった

ライラック ライラック ライラック
なんというきれいな響きなんだろう

何十年もたったある日
ふとしたことでその苗木が手に入った
関西以西では育たないと聞いたが
家の前に植えておいたら初夏に花が咲いた

あたりに漂う高貴な香り
品のある薄紫の豊かな花房
庭に浮かんだ華やかでつつましい白い雲

どこまでも沈んで行く悲しい日
青春の日のあこがれの少女のように
リラは軒下ですっくりと立っている