「詩作品紹介」カテゴリーアーカイブ

R4,郷土の歴史文化と創作ー詩と演劇ー(講演)

コロナ禍で1月から劇研「空」の文化活動も控えていますが、たまたま「湯里まちセン」で講演を頼まれ、表題の題で話しましたが、映像を使って地域の歴史を素材にした詩の朗読や演劇の話をしました。劇研「空」での公演は何度もありますが、一人でもうまく映像を使えば効果的に楽しんで頂けるとを体験しました。

地元を素材にして作った詩「古代へ帰った港  古龍」や「江戸から来た人ー井戸平左衛門ー」や「石見銀山街道 降路坂」など映像を投影しエピソードを話して朗読すると共感も増します。福光小学校が閉校になったとき頼まれて書いた劇「吉川経家最後の手紙」の鳥取公演前の経緯や経家、鳥取城のことを話して映像や動画を見ると、ライブ感があり効果的でした。
これこれからも映像をうまく使う方法を考えていものです。昨年は高文連で「何をどう書くか」の演題で話し浜田で「地域の演劇活動」という題で話しました。映像をうまく使えば話す方も楽ですし聞く方も飽きがこないのではないかと思います。
(ブログ:劇研「空」詩の散歩道 講演 地域活動 20220318すはま)

R4,北京オリンピック スキー 懐かしい張家口で

張家口(ジャンジャコウ・ちょうかこう)は、2000年5月に行ったことがあります。ツマの父が満州鉄道に勤めていて、ツマは終戦直後の7月25日にそこで生まれ、命からがら日本へ帰ってきました。退職したら是非、義母とツマを張家口へ連れて行きたいというのが長年の夢でした。大きな北京西駅から張家口南駅まで約150キロ、約3時間半、84元。汽車で、なつかしい千昌夫の「北国の春」が何度も流れてきました。中国でもヒットしていたのですね。まだ日本jから来る旅行客はあまりない時代です。写真は張家口市内です。観光客はほとんどいないので、土産物に買いたくても紹興酒くらいしかありませんでした。
人口は約400万でしたが、義母が住んでいた当時の宿舎などは見当たらず、満州鉄道病院もわずかに崩れたレンガが残っているだけでした。「あの橋を通って買い物に行ったんだけど」と義母が言う橋も新しく、昔の建物もありませんでした。
張家口は北京の北門といわれ、昔から防衛の要の町です。万里の長城の大境門があり、登ってみました。そこから見た街の風景ですが、今はビルが建っているのかもしれません。

この時にできた詩があります。「張家口の崩れたレンガ塀」
詩「張家口の崩れたレンガ塀」15,1(島根年間詩集)詩集「春の残像」

中国語も日本語も英語もペラペラの冠明さん、北京の大学で中国語を勉強していたヒロシ君も一緒でしたので、上海、北京、張家口、モンゴルの旅を何不自由なく楽しむことができました。ビデオでもしっかり撮影し義母と妻への感謝の記録にしました。(ブログ:昌ちゃんの詩の散歩道 詩作品紹介 20220202洲浜)

R3,アンソロジー『あの日から 明日へ』東日本大震災と詩歌

2021年3月、岩手県北上市にある「日本現代詩歌文学館」から、東日本大震災10年、開館30周年を記念して出版されました。俳句、短歌、川柳、詩、展示図録を284ページに収録。全国から800人以上の詩人や歌人、俳人の作品が掲載された記念すべきアンソロジーです。
未曽有の大災害に大きなショックや悲しみを受けながら、詩に書こうと思っても書けませんでした。どんな言葉も軽くなり浮き上がってしまうのです。祈りのような詩が一編でき、詩集『春の残像』へ載せました。詩歌文学館ではそれを読まれたのでしょう。掲載依頼文書がきました。「桜前線みちのく北上」です。
その後「花美術館」からも掲載の誘いがあり、11月に立派な美術書が刊行されました。
詩の解説には、東日本大震災のことは触れておられませんが、町に押し寄せた大津波、死者、原発事故・・・その痛ましい風景が背景になければ、この詩は成り立ちません。
(ブログ:昌ちゃんの詩の散歩道 本の紹介 詩の紹介202201)

 

R3,市民会館講座「朗読で楽しむ郷土の作品」予定通りです(6/30)

今日は昨年発行された静間町の山内ろうほう詩集『たてがみ』から数編と、詩人連合会員の閤田、高田、有原、原敏、井下,さんの詩を朗読します。やっとこさでどうにか、6ページのプリントを作りました。次は詩にまつわる四ツ山の映像です。
1993年の大昔に三瓶研修のファイアーストーム出し物のために、前日即席で作った「ミュージカル風パントマイム形式じみた自由劇」『姫逃池物語』(洲浜作)もコピーして持っていきます。

上の写真は三江線廃止の詩につけてみた映像です。7月は14,28日を市民会館へ予約しています。たくさん課題が山積しているので、一つ一つやっていかない、夏休み明けの宿題合戦になりそうです。いや、なる。

(ブログ:詩の散歩道 大田市民会館文化講座 朗読で楽しむ郷土の作品 山内ろうほう 20210630 すはま)

R3,短詩 「桜の老木」

桜の老木

庭の桜が今年も満開になった
あたたかい春の陽射を浴びて
真珠のように輝いている

近づくと
根もとの樹皮は朽ち
幹には大きな空洞が巣くっている

年と共に傾き
いま50度の姿勢を維持しながら
いつ急に土の角度になるか桜も知らない

それでも毎年無数の新芽を出し
若枝を空に伸ばして
純白のきれいな花を咲かせる

根もとは朽ち
空洞は広がっても
強靭な意志が満開を支えている

桜の季節も終わりました。この老木は、毎年きれいな花を咲かせます。入学式がおわると、毎年この桜の木の下で子供たちの写真を撮ったものです。
(ブログ 詩の散歩道 詩作品紹介 劇研「空」 短詩20210403すはま)

R3,母思う一筆、全国大賞に 福田さん(大田出身)

「手紙を読むのが楽しみと、笑顔を見せて言うてくれたけ、切手十枚また買うた。途中で逝くなや。」
福井県の丸岡文化財団主催の第28回「一筆啓上賞」は今年度「笑顔」がテーマで、全国から52805通の応募があり、福田さんの作品が大賞5作品に選ばれたました。1993年に始まったこの企画は「日本一短い手紙」(40字以内)として評判になりました。
福田栄紀さんは現在、盛岡在住ですが大田市久利町出身、大田高、京大を経て海外勤務、大田の中国農業試験場での勤務もあり、牧草地や土壌などの調査研究で博士号を取得。インターネットで検索すると、たくさんの論文が掲載されている研究者です。
岩手日報が大きく取り上げていましたので、紹介させていただきます。手紙を書いた人も、笑顔で読んだ人も、良く知っていますので、温かい心の交流が目に浮かびます。エイキチャン、連続ホームラン、おめでとう!!(リュウチャンの許可あり)
(ブログ:詩の散歩道 昌ちゃんの詩の散歩道 詩作品紹介 地域情報 20210215 すはま)

5月になって、母の日に山陰中央新報や朝日の「天声人語」にも取り上げられ話題になりました。読んだ人も多いと思いますが、紹介します。

R3,昭和初期の貴重な詩集・中島雷太郎詩集『磯松』復刻

昭和10年(1935)に大田市(当時は邇摩郡静間村)で出版された中島雷太郎詩集『磯松』が復刻されました。探してもどこにもなかった詩集ですが、たまたま国会図書館に保存されていて、ご子息の中島康夫さん(東京在住)が「旧漢字と老眼に苦戦しながら打ち直し」自ら一冊づつ表紙に出雲和紙を張り付けて装丁されたものです。
雷太郎さんは、3年間シベリアへ抑留され、その「シベリア抑留記」も新たに掲載されています。また雷太郎さんが昭和8年ころ発行された『山陰詩脈詩歌集』(古本屋では1万5千円近い値段)の中からも和歌など追加掲載されています。
序は安部宙之介、大島庸夫、更に跋として、山田久壽郎、岡より子、中島資喜など当時一線で活躍していた県内の文人が寄稿しておられます。

中島資喜さんは雷太郎さんの友人で、一緒に「静窟詩社」を結成し、『静窟』という同人誌を発行、小説や脚本も書き青年団活動も活発にされました。国鉄職員で不当弾圧なども受けながら本格的に文学を目指して上京、生田春月の家にも下宿していましたが、結核で帰郷、満鉄に入り現地で招集、終戦と共にシベリヤへ抑留されました。明治45年生まれ、昭和25年7月に他界されました。日記も残っているとか、いつでも閲覧OKを頂いています。
ご長男の鐵也さん(滋賀県在住)が父親の作品や記録を実に丁寧にまとめ、PDFにして送っていただきました。二人の作品や記録は昭和初期の島根の文学運動を考察するとき貴重な記録になります。昭和初期日本の地方文学運動としても貴重です。
復刻が実現するまでには不思議な出会いがありました。山陰中央新報で「人物しまね文学館」連載のために資料を捜したとき田村のり子さんの著作が貴重な手掛かりになり、経過をこのホームページに掲載していたら康信さんから、それは私の父です、とメールがあり、『径ずれ』のコピーが届き、数年後に静間町文化協会の依頼で、「朗読を楽しむin静間」を公演。地元の雷太郎さんの詩やシベリア抑留記も、劇研「空」で朗読しました。それが東京の康夫さんの耳へ届き、いろいろやり取りが始まり、今回の復刻に至ったという次第です。その経過をPDFにしました。
R2、詩集跋文 「昭和初期の貴重な詩集」復刻版『磯松』洲浜昌三(中島雷太郎著『磯松』昭和10年発行)

大田図書館には献本しています。希望があればご連絡ください。連絡をとります。(ブログ:詩の散歩道 詩集や本の紹介 島根県詩人連合 20210129 洲浜)

R2, 詩集『ひばりよ 大地で休め』(1978刊)について

1978年(昭和53)11月、石見詩人社から刊行した詩集『ひばりよ  大地で休め』(洲浜昌三著)について、時々問い合わせがありますので、自己整理の意味も込めて紹介してみます。42年前の詩集で、書棚に2冊ありますが、主な図書館にはあるかも。

表紙や挿画は美術教師で同僚だった古浦秀明先生。詩集に合った素晴らしい挿画でした。理想を追い、空想的、抽象的傾向が強かった若者が、厳しい現実を目の前にして格闘していた時期でしたので、詩のモチーフも自分探しにあったのでしょう。表題の「ひばり」も、理想を追って空高く上り、美しい声で歌っているひばりに、たまには大地で休んだらどうだ、と呼び掛けているのです。

 ひばりよ 大地で休め  洲浜昌三

ぴゅうぴる ぴゅうぴる
つぃーちゃい ひょろろ

高い空で
ひばりが さえずる

設計図が
重い

はっきり 見えたから
線を引いたのに
線は 何も
つかんではいない

もとから ないのに
自分のインクで
図面を引き
当然 無から
仕打ちを受ける

宇宙は 広大すぎるから
小さな器に
その一部をすくい取り
争いの種をまき
憎しみを
競ってつくりだす

空の広さが
欲しいのに
空の記憶が
なつかいいのに

ひばりよ

手は
設計図に
また 線を
加えようとするのだ

当時、読売新聞で「西日本詩誌評」というコラムがあり、詩人の黒田達也さんが、「面白い表現技法」というタイトルで取り上げ、新聞を送って頂きました。

第三者の鋭い指摘は、無意識の闇の中にある指向や精神性を天日の下に照らしだしてくれます。
「詩集を読もう。洲浜昌三『ひばりよ  大地で休め』(大田)は、テーマ設定に多様性があり面白かった。例えば「壮大な不在」は、類推すれば多分文学創造の苦しみに関する自己分析を抽象化したユニークな詩であり、「忘れもの」は日常性の中でふと感じる実存的な忘れものの感覚である。「重さを忘れて/歩きはじめると/近くに一点の光がある//その星座にも立ち寄ろうとして/軽い足を/のばすと/太古の記憶が転がっている」
これは「パルテノンからの帰り道」の部分である。このように、多彩な内容と表現技法の面白さは、形而下的な日常や土着性への指向が少ないという、この詩人の特徴を示している。それは主観を深めることによって批評精神の厳しさに徹しようとする作者の姿勢であるように思われる」(黒田達也)
(ブログ 詩の散歩道 詩集や本の紹介 20200813 すはま)

R2,短詩「森林 森の酸素工場」(全国育樹祭 三瓶山)

2020年5月31日に予定されていた第71回全国植樹祭は、新型コロナウィルスのために、来年度に延期されました。乱雑に積み上げた書棚を整理していると、新聞の切り抜きがでてきました。
平成13年(1991)10月に三瓶山で行われて第15回全国育樹祭前に発行された山陰中央新報です。全面を使って樹木の写真と洲浜昌三の詩「照葉樹林のふもとで」が掲載されているじゃありませぬか。育樹祭前日の10月5日付けの新聞です。
別の詩も出てきました。「大地の詩」と題した農協の広告です。育樹祭前にシリーズで県内の人に執筆を依頼し、写真と共に掲載していたのでしょう。洲浜の詩と隠岐の竹川恵子さんの詩がでてきました。1990年2月19日付けの新聞です。

森林  緑の酸素工場            洲 浜 昌 三

空の海へ
軽やかに 緑の葉を浮かべ
樹々は 光の中に立っている
空の酸素工場は
音もなく 今日もフル回転

生まれたばかりの
さわやかな風が
樹間を 流れていく

大切なものは 目に見えない
せめて
このそよ風を浴び
空の葉擦れの音に
じっと耳を澄まそう

宇宙に 浮かんだ
この 青い 地球から
日本本土 に近い 森林が
毎年 消えていく という

このころはまだ、詩をこういう場でも大きく扱うという文化があったのでしょう。忘れていましたが、なつかしい再会です。
新聞の詩を少し変更しています。
(ブログ  詩の散歩道 詩作品紹介 20200601 洲浜)

R2, 短詩 野外劇「夕焼け」-五十猛の海ー

短詩 野外劇「夕焼け」ー五十猛の海ー  洲浜昌三

一日の終わりは
華やかな野外劇

無限に広がる空
広大な紺碧の海
海が奏でる水の調べ

壮大な舞台で演じられる
華やかな光の無言劇
「夕焼け」

音もなく
地球の舞台が回ると
舟の影は舟へ

黒い舞台の彼方に
無数の小さな星

この詩も以前、石田健作さんに頼まれ、仁万屋の、はがきのダイレクトメールに書いた詩ですが、少し手を加えています。短い言葉で端的に表現しようと思い、苦労しました。ちぎり絵は夕永清子さん作成による五十猛の港の夕焼けです。ちぎり絵は、独特の味があり詩情も湧いてきます。この五十猛の海の絵も、とてもよくできています。永遠にファイルで眠らせておくには、もったいない。
(ブログ 詩の散歩道 詩作品紹介 20200518 洲浜)