「詩作品紹介」カテゴリーアーカイブ

R5,永田和宏先生講演 好評裏に終わる(しまね文芸フェスタ)

9月17日、大田市のあすてらすホールで開催された永田先生の講演「表現することで変わっていく〈私〉」が開催され、約200名が熱心に耳を傾けました。歌人でもあった奥様、故・河野裕子さんとの短歌の交流が感動的でした。三首だけ紹介しましょう。

「あなたらの気持ちがこんなにわかるのに
言い残すことの何ぞ少なき」(裕子)

「手をのべてあなたとあなたに触れたときに
息が足りないこの世の息が」(裕子)
「訊くことはついになかったほんとうに
俺でよかったのかと訊けなかったのだ」(和宏)

痛切ですね。胸に刺さり問いかけてきます。最後に言われました。「ほめられ上手でした。それによって良い面がどんどんでてきます」同感です。そうありたいですね・・・。
(ブログ:島根県詩人連合、しまね文芸フェスタ 20230923洲浜昌三

 

R5,『春と修羅」刊行100年 「賢治に献ずる詩歌」展(日本現代詩歌文学館)

今年は、宮沢賢治没後90年、『春と修羅』刊行100年に当たります。それを記念して岩手県北上市にある日本現代詩歌文学館では3月から来年の3月10日まで作家による賢治へ献じる詩歌を展示します。ぼくも依頼があり詩と朗読した音声を送りました。14日から東北へ行くことになり、シンガポールにいる長女と彼女の長男と三人で仙台の旅をしてきます。この文学館ができた時から評議委員になっていて今までに色紙の展示や本の出版などに参加しました。今回、始めてこの文学館へ行きます。上記の作家の展示と朗読が楽しみです。

(ブログ:詩の散歩道 作品紹介お知らせ 20230713洲浜昌三)

R5,節分に鬼の詩2篇「鬼だぞ!」「がんばれ 豆戦士!」 

2月3日、今日は節分です。子供たちを見ていて、ふと浮かんだ状況を書いた短詩2篇を、立春に当たり、紹介しましょう。

鬼だぞ !              洲浜昌三

「ウオー ウオー 悪い子は どこじゃー」

生まれて初めて迎えた一歳の節分
真っ赤な顔の鬼が 部屋へ入ってきた
裂けた口 吊り上がった目 尖った角
「鬼 だぞー」

一人で人形と遊んでいたユーちゃんは
急に ニコニコ笑って 大喜び

顔をユーちゃんの目の前に近づけて
声を太く低く ドスをきかせ
「ほんとうの鬼だぞ !」

「フフフフフフフフフフ」
目を二つの弓にして笑うユーちゃん

鬼の父さん 作戦大失敗
すごすごと退散したあと
ユーちゃんが何か言った気がする

「メン ガ ナイ ホウガ コワイヨ」

次は、保育園の先生の指導で、子どもたちは毎日「豆の歌」を練習し、本番に備えました。いざ節分の日到来。二匹の鬼が入ってきました。

  がんばれ  まめ戦士    洲 浜 昌 三

「さあ 元気よく歌いながら豆をまいて
オニを退治しましょうね
もう一度大きな声で練習しましょう」 

          おには そと ふくはうち 
          ぱらっ ぱらっ ぱらっ ぱら まめのおと 
          おには こっそり にげていく ※

頭に白い鉢巻きをキリリと締め 
ふるさとを守る戦士のように目を輝かして
幼い子どもたちは声を張り上げる

          ウオー オニダゾ ワルイコハ タベルゾ
          ギヤオー アカオニダゾ ナキムシハ ドコダ

二ひきの鬼が飛び出してくると
戦陣はたちまち総崩れ
真っ先に逃げていく男性戦士 
恐怖でその場にうずくまる女性戦士
一歩も退かず勇敢に立ち向かう数名の豆戦士
悲鳴や泣き声が戦場に響きわたる

さあ 子どもたちよ
あの歌を歌うんだ! 
みんな一緒に 大きな声で
何度も練習したじゃないか!

※童謡「豆のうた」より

子どもたちを見ていると、ふと浮かんでくるものがあります。そんな情景を詩形式で書いたものがたくさんあります。いつか冊子にまとめてみたいと思いますが、いつか、いつか、どっちが先に現実になるかわかりませんね。
(ブログ:詩の散歩道 詩作品紹介 20230203洲浜)

R5,詩集「春の残像」書評「石見から世界と心を見つめる」佐相憲一(「コールサック」97号)

詩集「春の残像」(洲浜昌三著)は2018年12月の出版で、編集を担当して頂いた佐相憲一さんは「コールサック」97号へ書評を執筆されました。身に余る心の籠もった書評です。行間や言葉の背後から目指すべき指針が見えてきます。
この書評を他の手段でも公表させて頂く許可は頂いていたのですが、そのままになっていました。読んでみたいとい声もあり、ここで紹介させて頂きます。
出版後にはたくさん感想や書評を頂き、感謝しています。まだ整理しきれていませんが、貴重な声を大切にまとめて置きたいと思っています。この詩集は「22世紀アート」から電子書籍、Kindle版にもなっています。実験的に試みてみましたが、現実をしっかり学ぶことができました。佐相さん、ありがとうございました。
またいつか西の果て石見大田でカンパーイできればいいですね。
(ブログ:詩の散歩道 本の紹介 20230123洲浜)

R4,英詩「The position of the universe」(「石見詩人」148号より)

短詩を英訳していますが、発表したことはありませんでした。今回始めて「石見詩人」148号に掲載してもらいました。

The position of the universe
by』Shozo Suhama       

While I was busily crawling around
Forgetting the seasons,
You seem to have been moving silently
Without showing yourself up.

Over the fresh snows of the mountain ranges,
Over the young leaves of the fresh greenery,
Over the pebble of the bright riverbed,
Over the cosmos swaying in the wind.

One morning as I stepped out the front door,
You are standing there in a beautiful appearance.

A deep pure white  peony.

Nature always remains in silence,
telling my position of the universe.

宇宙の位置                   洲 浜 昌 三

季節を忘れて
這いずり回っている間に
あなたは 静かに
移動していたらしい

連山の新雪の上を
新緑の若葉の上を
明るい河原の小石の上を
風にゆれる秋桜の上を

ある朝 玄関を出ると
美しい姿で そこに立っている

純白の一輪の牡丹

自然は いつも黙って
宇宙の中の ぼくの位置を
教えてくれる

最近、山陰中央新報が文化欄で郷土出版トピックと題して同人誌などを紹介し関係者には好評です。他分野のことはこのような記事がないと全くわかりません。とても貴重だと思っています。
(ブログ:詩の散歩道 詩作品紹介  20220811洲浜)

 

R4,short poem 「Treasure」短詩「たからもの」(石見詩人138号)

Treasure                              by   Shozo    Suhama

“Hands off!”

The moment I reached my hand to the basket,
She made a mad dash and gave it a tight hug.
With searching eyes she glared at me.

Even when playing outside with her friends,
Even when going shopping with us by car,
She carried with care that wisteria vine-basket.

If someone knows what I have, it turns out no value –
I feel I used to have that kind of treasure.

At night, when Aya-chan is sleeping soundly,
Secretly I opened the basket.

Inside were five pebbles,
and three maple leaves.
「石見詩人」138号に英語に翻訳した短詩を寄稿しました。英詩が載るなんて、創刊以の珍事で、読んだ人はびっくりされたことでしょう。いろいろな詩を書いてきましたが、子供などを素材にした短詩も書いてきました。それを東京にいるgrandsonの一暁クンと一緒に英訳していますが、その中の一編です。写真は詩と直接関係ありませんが、eldest sonが撮したものです。いい写真です。もとの日本語の詩も書いておきます。

たからもの                  洲浜 昌三

「だめ!」

バスケットへ手を伸ばした途端
猛然と走って来て抱きしめ
鋭い目で僕をにらみつける

みんなで外で遊ぶときも
車で町へ買物に行くときも
大切に持ち運ぶ藤つるのバスケット

見られたら価値がなくなるもの
そんな宝物が僕にもあった気がする

夜 あやちゃんが
ぐっすり眠っているすきに
こっそりバスケットを開けてみると

小石が五つ
もみじの葉が三枚

(ブログ:誌の散歩道 詩作品紹介 短詩 20220726洲浜)

R4,動画 詩の朗読「島根の風物詩」(しまね文芸フェスタ2021)

2021年の「しまね文芸フェスタ」はコロナ禍のために無観客で行い舞台発表を動画撮影し「しまねっこCH」で発信しました。動画は「マンマ ヴォ―チェ益田」の合唱、詩の朗読、大田市演劇サークル劇研「空」の創作民話朗読「サヒメの大使命」の三部で構成されています。合唱と朗読を紹介します。

詩の朗読「島根の風物詩」16篇の詩の朗読と映像があります。
朗読しているのは作者自身(栗田好子、川辺 真、洲浜昌三)、劇研「空」(松本領太、田中和子、堤 隆浩、山本和之)、ジュニアーミュジカル風花(岩谷正枝、山内理緒)の皆さんです。

次は「マンマヴォ―チェ益田」の合唱です。島根県民歌もあり、懐かしかったという感想が多数ありました。

いろいろと手数がかかり、動画発信、DVD作製という文芸フェスタ初めての発表形式になりましたが、関係者以外の多くの人たちにも見て頂くことができ、たくさん好評の声を頂きました。参加してくださったみなさん、ご協力ありがとうございました。DVDは今後も何かの機会に活用したいと思います。
(ブログ:劇研「空」詩の散歩道 詩作品紹介 20220427洲浜)

R4,短詩「馬酔木の花」

                  馬酔木の花  洲浜昌三
牛は家族だった
夕方の餌やりは 子どもの仕事だった

散歩に連れ出すとき
父が言ったことがある
「アセビにゃ毒があるけぇ 牛に食わすなよ」

国語で「馬酔木」という短歌雑誌の名前を見たとき
「馬が酔う木?」と不思議に思ったが
その木を見たことはなかった

50年以上たって苗木を注文した
「足がしびれる」とか「悪実(あしみ)」と言われた木に
春 小さい釣鐘状の花が鈴生りになって咲いた

アセビの白い花の前に立つと 父の声が聞こえてくる
母牛の優しい眼差しが浮かんでくる

学校から帰って、牛や羊のために、草を刈りに行くのは我が家では子供の仕事でした。押切で稲わらや草を細断し米糠や煮た麦を混ぜて食べさせることや、時々散歩に連れていきました。アセビには毒があるけぇ、牛に食わすなよ、と一度父が言ったことは今も鮮明に記憶に残っています。でも馬酔木を見たことはなかった。興味や関心はいつもあったので、50年以上過ぎてどんな木か、苗木を買って植えておいたのです。日本の固有種だそうです。馬が酔っぱらったようになったことから漢字を当てたようです。アセボトキシンという毒があるので、昔はシラミ、ウジ、害虫駆除に使用されたそうです。一連の賀状短詩に手をいれました。
(ブログ: 詩の散歩道 詩作品紹介 短詩 20220328洲浜)

R4,郷土の歴史文化と創作ー詩と演劇ー(講演)

コロナ禍で1月から劇研「空」の文化活動も控えていますが、たまたま「湯里まちセン」で講演を頼まれ、表題の題で話しましたが、映像を使って地域の歴史を素材にした詩の朗読や演劇の話をしました。劇研「空」での公演は何度もありますが、一人でもうまく映像を使えば効果的に楽しんで頂けるとを体験しました。

地元を素材にして作った詩「古代へ帰った港  古龍」や「江戸から来た人ー井戸平左衛門ー」や「石見銀山街道 降路坂」など映像を投影しエピソードを話して朗読すると共感も増します。福光小学校が閉校になったとき頼まれて書いた劇「吉川経家最後の手紙」の鳥取公演前の経緯や経家、鳥取城のことを話して映像や動画を見ると、ライブ感があり効果的でした。
これこれからも映像をうまく使う方法を考えていものです。昨年は高文連で「何をどう書くか」の演題で話し浜田で「地域の演劇活動」という題で話しました。映像をうまく使えば話す方も楽ですし聞く方も飽きがこないのではないかと思います。
(ブログ:劇研「空」詩の散歩道 講演 地域活動 20220318すはま)

R4,北京オリンピック スキー 懐かしい張家口で

張家口(ジャンジャコウ・ちょうかこう)は、2000年5月に行ったことがあります。ツマの父が満州鉄道に勤めていて、ツマは終戦直後の7月25日にそこで生まれ、命からがら日本へ帰ってきました。退職したら是非、義母とツマを張家口へ連れて行きたいというのが長年の夢でした。大きな北京西駅から張家口南駅まで約150キロ、約3時間半、84元。汽車で、なつかしい千昌夫の「北国の春」が何度も流れてきました。中国でもヒットしていたのですね。まだ日本jから来る旅行客はあまりない時代です。写真は張家口市内です。観光客はほとんどいないので、土産物に買いたくても紹興酒くらいしかありませんでした。
人口は約400万でしたが、義母が住んでいた当時の宿舎などは見当たらず、満州鉄道病院もわずかに崩れたレンガが残っているだけでした。「あの橋を通って買い物に行ったんだけど」と義母が言う橋も新しく、昔の建物もありませんでした。
張家口は北京の北門といわれ、昔から防衛の要の町です。万里の長城の大境門があり、登ってみました。そこから見た街の風景ですが、今はビルが建っているのかもしれません。

この時にできた詩があります。「張家口の崩れたレンガ塀」
詩「張家口の崩れたレンガ塀」15,1(島根年間詩集)詩集「春の残像」

中国語も日本語も英語もペラペラの冠明さん、北京の大学で中国語を勉強していたヒロシ君も一緒でしたので、上海、北京、張家口、モンゴルの旅を何不自由なく楽しむことができました。ビデオでもしっかり撮影し義母と妻への感謝の記録にしました。(ブログ:昌ちゃんの詩の散歩道 詩作品紹介 20220202洲浜)