H29, 46回島根詩人連合総会、年刊詩集合評会(5/21)

5月21日(日)10時30分~理事会、13時~総会、その後で「島根年刊詩集45集」の合評会を予定しています。議題は事業報告、決算報告、新年度役員、予算、事業計画です。
年刊詩集には26名の詩やエッセイ、県民文化祭文芸・詩の入賞作品、さらに島根県高文連文学コンクール詩の部で入賞した6作品(邇摩高、益高、出雲高の生徒さん)も掲載しています。頒価1500円です。
総会の場所は例年のとおり大田パストラルです。駅から歩いて5,6分です。本を忘れずに持参してください。
土日は行事満載です。同じ日に、矢崎節夫氏が真浄寺で金子みすゞについて講演予定で案内をうけました。温泉津の清水大師寺では劇研「空」の山本さんや渡利章子さんたちが朗読会をします。オペラ「石見銀山」は作者の吉田知明さんが来られて舞台練習、et cetera。

H29 大田市波根で現代劇『ちゃんぽん』上演(観劇記)

5/14、波根町で『ちゃんぽん』(ユン・ジョンファン作、津川泉訳、演出・金築秀幸)が上演されました。チラシに「ニルソンカフェ」で上演とありましたが、旧石原旅館の舞台付き広間でした。カフェは同じ屋敷内にあります。旧旅館は、以前何回か行ったことのある懐かしい場所ですが、久しぶりに行ったので行きすぎて迷い、引き返して人に尋ねて、やっとたどり着きました。波根駅のすぐ近くでした。

なんといっても嬉しかったのは、劇場やホールではなく、普通の広間で現代劇を上演されたことです。会場を貸し出されたヒラタさん、上演を決意された劇団フレンズ装置の皆さんの心意気に感銘を受けました。ホールなどで上演すれば大金が必要です。前売り券も何千円になり、事務的な仕事や苦労も倍増。長続きしません。気軽に発表出来る場が必要です。「飲み物や食べ物は厳禁です」ではなく、「ビールでも飲みながら観劇してください」と、入口で飲み物や菓子類も販売されていました。いいですね。本来日本の地芝居は石見神楽と同じです。観客と共に楽しむ場です。うまく演じれば自ずと観客は静かになります。

脚本は韓国戯曲作家協会戯曲部門新人文学賞を受賞した作品で、多数の死傷者がでた1980年5月の光州事件を素材にした劇ですが、政治的な大事件を、「春来園」という小さな料理店で働く庶民の立場で、うまく絡ませて描いていました。店主ジャンノと恋人ミラン、ジャンノの妹で店員ジナ、その恋人マンシク。ケンカもしながら、みな普通のささやかな夢を持って生きていますが、次々と大事件に巻き込まれていきます。突拍子もないマンガチックな場面も多いのですが、それを重ねて、「普通の夢が失われていく悲しさ」を舞台にあぶり出していきます。三人を失った店主のジャンノが回想するラストシーンは感動的でした。ジャンノの目にも涙があふれていました。好演でした!

劇というものは、あくまでフィクションで作り物で嘘ですが、その「嘘」から「真実」(うそからまこと)を創り出すのも劇です。おもしろおかしく奇想天外なフィクションを積み重ねてお客さんを楽しませて引っ張り、その中から一つの真実を紡ぎ出し突きつける ー そのうまさを見た気がしました。

劇では、劇への切り換えがなんとなく進んだことや、出だしの演技やセリフにも日常性がありすぎて、普通の人が劇じみたことをしている感じがしましたが、ストーリーが展開しテーマとのからみが見えてくるにつれて、だんだん迫真力が出てきて、それぞれの人物にも血の通った人間性が見えてきて、展開とともにそれが統合され、最後は感動的でした。発声や滑舌にはちょっと個人差がありましたが、スピーデーにセリフ喋り、言葉がわかる点ではかなり練習を積み重ねておられると思いました。

出雲や雲南では、最近特に、若い人たちの演劇活動が活発になりましたね。その余波が津波のように波根まできたのでしょう。大田よ!どがするだ。

帰るときに、ヒラタさんが、「ここで朗読をやりませんか」と声をかけられました。そのうちニルソンカフェへ行ってゆっくりコヒーでもビールでも味わいながら話してみましょう。

みなさん、おつかれさまでした。いろいろな意味でとても刺激になりました。ありがとうございました。
(ブログ 詩の散歩道 観劇記 すはま)

詩「父がくれた腕時計」

大田市文化協会会報「きれんげ」118号がでました。8ページの冊子ですが、充実しています。表紙にはオペラ「石見銀山」の事務局を担当して頑張っておられる谷本由香子さんが、「清水の舞台から飛び降りる覚悟で」引き受けられた思いを書いておられます。石賀 了さんの井戸平左衛門頌徳碑シリーズは24回目です。石見銀山資料館の藤原雄高さんが、平左衛門の事績を執筆。23回になります。「人」では五十猛の童謡詞作家、佐々木寿信さんの活躍が紹介されています。すはまくんが詩を発表しています。

「父がくれた腕時計」 洲 浜 昌 三

「進学したけりゃ自分で自由に行ってくれ」

六人も子どもがいて
五反百姓の大工では
自由が最大の遺産だったのだろう

それでも大学に合格すると入学金を工面し
お祝いに腕時計を買ってくれた
村ではまだ腕時計は珍しい時代だった

新宿の夜景が見えるバラック建ての部屋で自炊し
金がないときは一週間も米に醤油を掛けて食べ
口がカラカラになったこともあった

ある時は十円玉を求めて畳の間まで捜した
飯田橋駅から小岩まで四十円
そこに行けばやさしい義姉(あね)がいる

初めて質屋へ行き 腕時計を見せ
「五百円貸してください」というと
即座に返事が返ってきた 「駄目です」

「じゃ百円でいいです」
一気に決着を付けるために大幅に譲歩すると
「こんな時計ではねぇ」

「四十円」と言おうとしたら
何かが言葉をさえぎり
そのまま無言で店を出た

後に母に話したら 母が言った
「東京じゃ時計がいるだろういうて
広島まで行って質屋で買いんさったんよ
入学金は大工賃の前借り 半年分のね」

(ブログ 詩の散歩道 より)