H27 松江工業、松江南高演劇部中国大会へ

2015年11月2,3日、雲南市のラメールで第39回島根県校校演劇発表大会が行われ、松江工業高校、松江南高校演劇部が最優秀を受賞、今月21,22日に広島のアステールプラザで開催される中国大会へ出場します。

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工業は成井豊・真柴あずさ作品『すべての風景の中にあなたがいます』をテンポ良く演じ劇つくりでは一歩抜きんでていました。発声もよく言葉もよくわかり、うまくつくられた舞台でたくさんある場面を流れるようにうまく処理して展開しました。

松江南は『サチとヒカリ』(越智 優作)を熱演しました。卒業できるかできないか分からない不良少女2人をどのように演じるか、簡単なようで難しい。不良を演じたら不良にならない、とぼくは言いましたが、何になるかといえば不良の戯画化、漫画化になり、面白く笑える対象の不良になります。実際に何度も笑いが起きました。面白くて笑えるというのは現在は主流でもありますし、恐ろしさはでてきませんが、それはそれで一つの演出の仕方です。講評でそのことをいいましたが、面白く見せることが評価されたのでしょう。心を閉じて言葉が通じず行動だけが先走る不良が、生徒相談員にならされたらどういうことになるか、ぼくはそんなことを考えていました。

その他の劇についてはそのうち感想を書くかもしれませんが、忙しいのでここでは簡単な報告だけにしておきます。写真が1枚ありましたので紹介します。出雲校の『桃田廊下を走る』実にエネルギッシュなパワーのある面白い舞台でした。題からしてとても面白い。役者も達者でした。観客の意表をつく場面が次々展開され楽しい舞台でした。分かりにくい、乱雑、という批評が多く代表にはなれませんでしたが、なっていたら中国大会でパワーを爆発させ存在感を発揮したことでしょう。一定のレベル以上の劇になると順序をつけるというのは残酷ですね。

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パンフレットに書いた文章を紹介します。

「小説のことば 詩のことば 劇のことば」

全国(中国、島根)高校演劇協議会顧問
研「空」代表、日本劇作家協会会員
洲 浜 昌 三
「なぜ飽きもせず40年以上も演劇や文学に関わりつづけきたのだろう?」と、ふと考えることがあります。一つは「表現の楽しさ」にあるのかもしれません。
最愛の人を失って、「泣くこと」だけが悲しみの表現ではありません。場合によっては、「高笑い」が最高に悲しみの表現にもなり得ます。一つのことを表現する方法は実に多様です。「バカ!」は、叱責や軽蔑だけでなく、愛情表現にもなります。新鮮で最も適した表現を見つけたときの喜び。それがぼくに演劇や文学をつづけさせているのかもしれません。

先日、改めて「ことば」について考える貴重な機会がありました。9月に「しまね文芸フェスタ2015」を県民会館で開催しました。今年は悲願だった 詩人の谷川俊太郎さんを講師に招き、「わたしのことばさがし」というタイトルで1時間半舞台で対談しました。ぼくが代表になっている劇研「空」の6人も谷川さんの詩を10数編朗読しました。

対談の冒頭で、「自己紹介」という谷川さんの詩を谷川さん本人に朗読していただきました。谷川さん自身を自分でリアルに紹介した詩ですが、その中に「こうして書くとどこか嘘っぽい」とありますので、「なぜ嘘っぽいのですか」と聞きました。 要約すると答えは次の通りです。

「ことばの背後にある実態には宇宙の始まりからの長い歴史があります。しかしことばはそのほんの一部しか表現できません。自分のことを正直に書いているようでも、それはほんの一部だけです。だから嘘っぽいのです」

確かに「ことば」は実態の説明です。小説は説明(描写)が基本です。しかし詩や演劇では説明は敵です。最愛の人を失った悲しみを「ことば」で説明すればするほど、悲しみの実態から遠くなります。「ことば」の限界と宿命です。しかし詩は「ことば」で表現しなければ成立しません。谷川さんの詩の中に「詩に近づこうとしてはいけない 詩に飛び込びこまねば!」という詩句があり、とても示唆に富んだ象徴的な「ことば」です。

これを飛躍して演劇に当てはめてぼくのことばで翻訳すれば、こうなります。「ドラマに近づこうとしてドラマを説明しようとしてはいけない ドラマに跳び込まねば!」 演劇は「ことば」以外でも多彩な表現ができるところに魅力と可能性があります。それが如何に充実しているか。
今年もみなさんの創意工夫に富んだ舞台を楽しみにしています」

今回の劇は、なぜか上記のような視点から各校の劇を見ていました。そうすると今までにないものが見えてきました。特に台本についてそれを思いました。

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ちょっと重い心を抱えて、ラメールから斐伊川土手を運転して帰りながら、きれいな夕景に出会いました。車を止めてパチリ!いい風景に出会うと、心が和みます。

H27 文芸フェスタで谷川俊太郎さん新作披露

今年度の「しまね文芸フェスタ2015」は9月22日無事に終了しました。劇研空のブログ、stage boxでも「空」の活動報告として紹介していますが、ここではちょっと違った角度から紹介します。前夜祭「谷川俊太郎さん歓迎会」は各分野の代表と県の担当者など20数名でしたが、楽しい会でした。谷川さんの隣に座って、いろいろ話しました。どんな質問にも旧友かのように自由に答えていただき、次の日の対談もその延長で行うことができたのは大きな収穫でした。格式張らない自由な対応がとても豊に思えました。

フェスタ客席谷川さんも

会場の県民会館中ホールはほぼ満員でした。文芸フェスタでは滅多にないことです。このところずっと文芸関係者だけでしかも女性中心で高齢化していたのですが、初めて参加した人、若い人、男性などとても多彩な人たちがこられました。そのこともあったのでしょう、対談中の反応がとても伸び伸びとして笑いなども起こり、いい雰囲気でした。朗読した空のメンバーも同じことをいっていました。上の写真は開会式ですが、谷川さんは、「様子を見てみたい」といわれて一階席の最後部に立って見ておられました。そういうところにも谷川さんの心配りが感じられました。

洲浜・谷川対談
劇研「空」のメンバー6人による谷川さんの詩の朗読(初期の詩・ことばあそびの詩・最近の詩と3部に分けて朗読)を挟んで対談しました。対談の最後に、「ここでサプライズを披露します」といって谷川さんに新作を朗読していただきました。大きな拍手がありました。

事前に、もし可能なら「島根」か「松江」という題で詩をお願いできませんか、とお願いしておいたのです。谷川さんは「しまねまつえ」を行頭にいれたアクロスティック形式の詩を朗読されました。題は「詩」です。この対談のテーマをしっかり見据えて書かれたことがよく分かります。紹介します。

谷川さんの新作

午後は詩の分科会でした。今までになく多くの人が参加してくださいました。事前に朗読詩を提出していた人も多く朗読されて、谷川さんも感想を述べ批評されました。とても貴重な時間でした。なーるほど、と思うことが度々ありました。

谷川さんの了解も得て、石見銀山テレビが撮影しました。11月21日に放映します。大田市にいないと見られません。見たい人は大田へきてください。

後日、谷川さんへ礼状をだしました。谷川さんから返事がきました。その中に次のような一節がありました。「島根の日々は私にとっても楽しく充実したものでした。詩が全体的に力を失ってきている感じなので、文芸フェスタがずっと元気でいてほしいと願っています」

その後、大田から松江まで聞きに行ったという人たちに何人も会いました。「とてもたのしかった」「分かり安くてとても勉強になりました」などという言葉をいただきました。

谷川さん、お忙しいなかをはるばる島根まで来ていただき、ありがとうございました。参加してくださったみなさん、ありがとうございました。

邑南町品川始さん、シベリア抑留記『凍った大地に』出版

2015年7月に『凍った大地に』がハーベスト出版から発行されました。著者は島根県邑智郡邑南町上亀谷にお住まいの品川 始さん。1923年のお生まれです。本屋さんへ行ったら積んでありましたので購入し、一気に読みました。過酷なシベリヤでの強制労働のことがリアルに描かれています。品川さんは、絵が特意だったので、シベリヤの収容所でも白樺の皮に、ふる里の風景や知人の絵を描いて慰めにしていたそうです。

品川始著「凍った大地に」

本の表紙も品川さんが描かれたものです。文中にもたくさん絵があります。収容所でも新聞の発行やポスターなどで絵を描く必要があり、頼まれて何度も描いたそうです。「芸が身を助く」とはこのことかもしれません。それによって未知の人との交流が生まれ信頼され活動域が広がっていきます。

3年前に田所へ帰って、公民館へ入ったとき、品川さんのシベリア体験記や絵の展示があり、じっくり見て回ったことがあります。新聞にも大きく取り上げられ、切り抜いて保存しています。

今回刊行された本を読むと、品川さんの謙虚で誠実で、実直に黙々と実行される姿が浮かんできます。零下40度、食べるものもほとんどない地獄のような大地で生き延びてこられたのは、その実直な行動力だったのかも知れません。現地のロシア人との心温まる交流も品川さんの人柄が信頼されてのことだと思えます。

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下亀谷は我がふるさとです。写真は上亀谷方面から下亀谷方面をパチリとしたものです。一本道が村を貫いています。右側の石見瓦の家は谷田屋、その背後は上新谷屋、焼けた植田屋は道の向こうに家が見える辺りです。「はじめさん」という名前だけは、子どもの時から、父や母から聞いていましたが、お会いしたことはありません。感想を書いて送ったのですが、「植田屋の三男坊です」と書いておきました。ぼくのことはご存知ないでしょうが、「植田屋」といえばよくご存知のはずです。

貴重な記録を残していただいき、ありがとうございました。