出雲高校演劇「ガッコの階段」舞台評です

平成25年度の高校演劇全国大会(長崎)についてはこのブログでも紹介しましたが、10月に行われた島根県大会で「見上げてごらん夜の☆を」が最優秀賞、中国地区大会でも最優秀を受賞して連続して全国大会へ出場することになりました。

2013年の島根の高校演劇関係のことは、このブログでも何度も紹介しています。検索して読む人が多く5つの記事とも閲覧のベスト10の上位を独占しています。そこで高校演劇を応援することを目標の一つにしている劇研「空」ですから、ここでもう一本硬派の劇評を紹介させていただきます。

全国高校演劇協議会が発行している「演劇創造」から7人の講師の舞台評です。「ガッコの階段」がどのように観られたか、とても参考になります。「演劇創造」は各学校の演劇部には届いていると思いますが、読んでいなかったり、顧問の手元で保存されていたりすることも多いかと思います。劇作りの参考になれば幸せです。

まず「演劇創造」のPRを兼ねて一面、二面を写真でご案内します。全部で8面あります。以前は冊子でしたからファイルに保存に便利でしたが、新聞になってからは保存が難しいので困っています。(カッテニコマレ。ベンリガイイカラシンブンニシタノダ)すみません。

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出雲高校『ガッコの階段』審査委員講評 演劇創造129号より

平田オリザ(劇作家)
島根県立出雲高校『ガッコの階段物語』も、震災をテーマとした作品です。いくつもの言葉遊びが仕組まれていて、巧みな構成になっています。残念なのは、前半をコメディタッチで後半は一転してシリアスにというのは、高校演劇では多くありますが、どうもその転換が唐突すぎる舞台が多く見られ、この戯曲もその感が否めませんでした。後半の展開を予感させる部分を、もう少し前半から折り込んでいくと、より重層性のある作品になったかと思います。

高校演劇の魅力は、皆さんが、不安定な「生」に立ち向かうところにあると私は感じています。その点ては、今年の全国大会は、まさに高校演劇の魅力満載の大会になったのではないかと思います。

乳井有史(北海道苫小牧南高等学校演劇部顧問)
これも大震災を経て作られた芝居である。学校の階段の持つ意味が、一歩踏み出すための勇気の階段であったり、人生を終える天国の階段であったり、津波から生き延びるための命の階段であったり、その意味がテンポ良く替わっていく。その展開は独創的である。部内で智恵を絞り、ワイワイと作り上げたと想像される奇抜さに満ちている。被災地ではない場所から被災を描くためには徹底した誠実さ、リアルさが求められる。津波と幽霊という題材に違和感を持つとの指摘がいくつか聞かれたが、創造力のある部である、この姿勢を深化させていって欲しい。

篠崎光政(日本演出家協会理事)
椅子の転換や場面転換の演出のスピード感は心地よい演出であった。階段をモチーフに演出の工夫が随所に生きていた。問題はそのアイデアにこだわりすぎ、作品の本質を深く大きく描くことが出来なかった点にある。生きる場所、生き抜く場所、惜しいアイデアだったが、説得力に欠けた。
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今井 修(演劇評論家)
生者が死者を悼み、死者が生者を励ます。東日本大震災の被災者への思いが強くにじんだ舞台。当事者でない生徒たちが、この題材を扱うには、様々な迷いやためらいがあっただろう。扱い方にもうひと悩みあっても、という思いも残ったが、敢えて挑んだ勇気をたたえたい。学校の階段の怪談話から津波の記憶へとつなげていく。様々な工夫の光る舞台だった。平面の動きが主体の上演作品の中で、高さへの着眼が新鮮。「階段・怪談・会談」といった言葉遊びに、牛ヤスター付き椅子での瞬間移動、訓練の行き届いた合唱……。中でも、ブルーシートを使った津波のシーンは圧巻。終わらない日常のメターファーとしての階段から、生きるための階段への転換を鮮烈に視覚化した。

松井るみ(舞台美術家)
階段は舞台美術装置の中でも最も使われる頻度が高く、俳優の立つ位置の「高さ」の違いで俳優の人間関係をビジュアル化できる。階段の意味が改めて問われており、興味深いと感じた。引用されていたエッシャーの階段は、騙し絵の階段であり、実存できないものを引用していた点は、もう少し考えても良かったかもしれない。キャスター付きの椅子を使って展開するのもスピード感があって面白かった。

清野和男(全国高校演劇協議会顧問)
設定は面白いと思いました。一つ一つのエピソードが、「人生を生きるということは一歩一歩を歩み続けている」ということの象徴であると感じました。しかし収束が少し安易になっていることが、面白さを無くしてしまったと思えました。しかし、演技者はテンポも良く、非常に緊張感を持って演じていたと思います。

高森 章(全国高校演劇協議会顧問)
「私たちの目の前にある階段は何のために上がるのか」という自問自答を、いろいろな見せ場を盛り込みながら描いてくれました。「生きるため」「生き延びるため」ということでしょうか。高くそびえる階段は、「たちはだかる」という存在感のあるセットでした。また、キャスター付きの椅子の利用は、スピーディな舞台展開に効果的でした。

それぞれプロの演劇人、演出家、舞台美術家です。清野先生は東北地区の代表、高森先生は中国地区の代表で、みな高校演劇の大ベテランです。篠崎先生には大田市民会館で中国大会を開いたとき講師で来ていただきました。

どの舞台評にも同感する言葉がたくさんありますが、ぼくが出雲高校演劇部の劇を見て一番感じていたことは平田オリザさんの次の言葉です。「後半の展開を予感させる部分を、もう少し前半から折り込んでいくと、より重層性のある作品になったかと思います」

このことは脚本を書く伊藤先生にも、またみんなで議論しながら劇を創っていった部員のみなさんにも参考になるのではないかと思います。今年の県大会の「見上げてごらん夜の☆を」ではぼくは「背後にある一本の棒」という言葉で講評しましたが、「アイデアの細切れ構成劇」にならないようにするためには必要なことだと思います。