活躍した郷土の人々『大田市人物伝』紹介

2009年9月(11月に改訂版)『大田市人物伝』が発行されました。発行所は聴聲会(大田町大田イ44-2)。37人の大田市出身の有名な人物を取り上げてその生涯や活躍の様子を分かりやすくまとめています。よく調べかたよることなく、分かりやすい簡潔な文章で書かれています。その人物の全体像をつかむためには格好の本です。小学生から大人まで幅広い層を対象にしていますが、大人が読んでもとても参考になります。読み物、朗読、集団討議にも最適ですが、人物百科事典として利用するのにも便利です。

選ばれた人物は37人ですがみな立派な業績を残している人たちです。大田の人たちでも名前を知らない人がかなりあると思いますが、その道の第一線を歩いた人たちや、独自の個性的な生き方をした人、地域に大きな貢献をした人たちだということがわかります。目次を紹介してみましょう。

 

 人物を取りあげる際に市内で片寄らないように人選されています。また物故者に限定されていますから作詞家の岩谷時子さんやヴァレーの石田種夫さんなどは日本のトップクラスの人ですが載っていません。たくさんの候補をリストアップされ、厳選して37人にしぼり込まれたそうです。続編が欲しいところです。

文学の分野では詩人の木島俊太郎氏(山陰中央新報連載中の「人物しまね文学館」でも取り上げた)が載っています。偏りがなくその業績を客観的に紹介されていて感心しました。テレビや歌謡の世界で活躍された林 春生氏(昭和12~平成7年)は大田市大屋町の出身だとは知りませんでした。作曲は400以上、その中にはたくさんのヒット曲があります。「思い出のカフェテラス」(淺田美代子)、「雨の御堂筋」(欧陽菲菲)、「白いギター」(チェリッシ)、あげたらきりがありません。「サザエサン」の主題歌も林さんです。廃校になった大屋小学校や久利町の久屋小学校の校歌も作詩しておられます。

編集委員は白石政登、松本宗一郎、郷原実朗、児島光明、山内俊雄、和田秀夫のみなさん。長い間小、中学校で教育に関わってこられたベテランの教育者です。

編集委員長の山内俊雄先生は「あとがき」で次のように期待を書いておられます。
「~ この人物伝が、幅広い年齢層で活用され、なおその上に、子どもとと大人の共通の話題、学習の場になることを願い、なかんずく若者の将来への生き方に役立ちことを期待します。~」

ぜひ活用してほしいものです。市内の人に限らず日本中のどこに住んでいる人たちにも大きなものを心に残してくれる本です。

 

(購入したのは発行直後でしたが、紹介が遅くなりました。この中の人物についていつか紹介してみたいものです。郷土を知ってもらういい教材になります。「人の生き方」に触れるこは最高の教育です)

 

島根 津和野の詩人 中村満子

山陰中央新報では目下、「続人物しまね文学館」を週1回(金)文化欄で連載中です。2012年2月3日に、57番目の人物として津和野在住の詩人・中村満子さんが掲載されました。文章を少し追加し詩集の写真なども加えて紹介します。

孤高の歩み詩集に結実       洲浜昌三

伝説の詩人である。奔放に詩を書き若い異色の詩人として注目されたが、忽然(こつぜん)と益田から消え鹿児島にいた。詩人としての存在が忘れられたころ、津和野にいて8冊の感性豊かな詩集を立て続けに出した。

中村満子(なかむら・みつこ)は1926(大正15)年2月、益田市益田徳原で生まれた。父には9人の弟妹がいて大家族。本宅と弟妹たちの住居が広い地所に連なっていた。祖母は病気、祖父は古神道「神理教」の神主。満子の父とはいさかいが絶えなかった。3人の子供を抱えた母の「息づまる血みどろの家業」を見て長女の満子は育った。県立益田高女から津和野高女補習科へ進み、43(昭和18)年卒業。当時の東仙道小学校で教職に就いた。

数年後、相次ぐ不幸が彼女を直撃した。耐え切れず母が家を捨て実家へ帰った。そこで子宮がんを患い「納屋を借りて身を細くしていた母」を妹と看病した。満子は自分のタンスから着物を出し金に何度も替えたという。

「座ったままで事切れていた母を見て/詫びるより先に/姉妹は手を取り合ってよろこんだ/このよろこびとは何だろう/つぎの瞬間/姉妹は言い合わせたように身震った」「愛の裏腹にある罪/逃げ果たせない闇/それは若い娘とおさげ髪の少女にとっては/あまりにも早すぎた問いであった/やがてよろこびは/妹の自決を生む引き金となり/私の母になる夢を殺していった」(「ときに激しく」)

母の死に続き祖父母の死、58年妹の自死と父の死、離婚(久保姓から中村へ)。「母の悲惨な人生と最期。姓と生は私に深い衝撃をもたらした。生きる不安と抵抗。それは生そのものへの疑惑、反逆に発展したこともあった」。10年後、とどめを刺すように本人の子宮筋腫全摘出。

詩はキムラ・フジオとの出会いから書きはじめた。『詩歴』(54年創刊)や『石見詩人』の同人になりカットや表紙も描いた。「奔騰湧出する詩篇をなぐり書きして持ち込み」、ある時は発行遅延に業を煮やして「積み重ねた詩稿を掴んで河原で焼きすてた」という。

キムラは脳神経障害で苦しんでいたが、満子の多数の詩篇から24編を選び詩集『赫い日々』を出した。奔放な詩と母の悲惨な死を直視し、女の実存的な痛みから生まれた詩は赤裸々で強烈だった。「私の詩の原点は母にある」という。3年後に妹にささげた詩集『花の種を播く』を出版。この時期、東京の『潮流詩派』や岡山の『黄薔薇』にも所属していた。この第2詩集の詩は『潮流詩派』に書いたものを中心にして出版した。『黄薔薇』には短期間しかいなかった。

62年春、満子は「忽然と姿を消し」「数年後一通の便りがあった」(キムラ)。手紙は鹿児島からだった。彼女は阿久根市、出水市の小学校で「まともに子供たちと向き合う」充実した17年を過ごした。詩は突発的に2度『石見詩人』へ送っただけだった。

78年に定年退職。弟がいた津和野に住んだ。頼まれて絵や寸感を色紙に書き、店頭でもよく売れた。しかし欺瞞(ぎまん)も感じ、90年に自ら短期間『山陰詩人』に加入、堰(せき)を切ったように再び詩を書き10年で8冊の詩集を出した。92(平4)年『花もよう』『夕映えて』、93年『卵のゆくへ』。94年日本現代詩人会入会。『水滴』『天の風』『ウォーキング』、詩画集『落書き三昧』。2002年に『苦笑の頷き』を出し再び詩から離れた。現代詩人会もそのうち退会した。

「あの頃のように/傷を裂き ひろげ/血の鮮烈な美しさに/酔うことは/もう決してありません/狂奔する時を衝き/粉砕して/その痛みを/存在の証とする/雄々しさも/すでに/どこかに消えております∥楓の葉が/風と戯れております/その姿をなつかしみ/いとおしみながら/わが来し方/人生は/空に漂い/流れる/一片の浮雲に/似て」(「浮雲」)

激しい情念で拒否し、潔癖な知性で守ろうとした孤独な魂の風景はここにはない。静かな港へ入ってきた船乗りの目に映る穏やかな風景である。その帰港地、津和野で次の詩集『夕やけ』を準備中という。

(島根県詩人連合理事長、「石見詩人」同人 日本詩人クラブ会員)

 

掲載された新聞を紹介させていただきます。読みたい人は図書館か新聞を買って読んでください。5月初旬には本になる予定です。何のコウカもありませんが、今から宣伝しておきます。欲しい人はどうぞ申し込んでください。まだ決定していませんが定価は1600くらいです。山陰中央新報社でも洲浜でもOKです。2月17日には浜田の詩人・閤田真太郎が掲載される予定です。これが最後の掲載になると思います。

紹介した詩集の中に第1詩集『赫い日々』だけありません。どこを捜してもないのです。だれかある場所や持っている人を発見したら教えてください。中村さんの次の詩集『夕やけ』はこの春には出版されます。3月か4月か5月か…。期待してください。

詩 「鬼だぞ-」

 

短詩 「鬼だぞ-」
洲浜昌三

生まれて初めての節分
こわい面をかぶった父さんが
「鬼だぞー」

ニコニコして喜ぶユサちゃん
こんどはドスをきかせて
「こわい鬼だぞー」

顔を近づけておどすと
目を弓にして笑う
「フ フ フ フフフフフ」

鬼が逃げたあと
声がした

「メンガナイホウガコワイヨ」

 

鬼は怖いものの象徴ですが、鬼が人を殺したり弱い者いじめをしたりした記録は歴史上どこにもありませぬ。怖いのは鬼ではなくそれを創りあげたたニンゲンです。ニンゲンの歴史は戦争と殺戮の歴史。学習効果はないみたい。

『高森 章 脚本集』紹介

2011年11月11日、岡山県の高森 章先生が脚本集を出版されました。高森先生は長い間、高校演劇の顧問として活躍され、特に創作脚本を退職までに29本書かれました。その中から6本が掲載されています。また高校の演劇部時代から顧問になってからの各校での思い出や記録も載っています。貴重な本を拝受しましたので紹介します。

高森先生は昭和40年、岡山県立津山高校の1年の時から演劇部員だったそうです。最初の8ページには高校時代や顧問になってからの各高校での写真がカラーで掲載されています。津山工業高校と津山東高校勤務が長かったのですね。風景として紹介します。

参考までに各高校で創作された脚本を紹介してみます。ぼくは中国大会へ出場されたときの劇を何本か観ています。その土地の風土が滲み出てくる舞台でした。流行に乗らず、自分たちの分を心得て地道にそして素朴に劇を創っていくという印象が当初から残っています。いつも落ち着いて話され重厚さや風格もあり、ぼくより先輩だとずーっと思っていました。

 本には次の脚本が掲載されています。「黒土にうたう」「冴えかえりつつ」「高原の花嫁」「夢の中で」「麻衣子へ」「まゆみのマーチ」(津山東高校が全国大会へ出場したときの作品)

「最後に」という欄で、創作劇について書かれています。参考になるのでポイントを書いてみます。

・反省の40年:「振り返ってみると、ただ反省、反省、ばかり」ではじまり、「プロットの作成や組み立ては2ヶ月くらい頭の中で行う」とあります。「大きな幹を立て、枝葉を切り取って行く作業。話し言葉で書くこと」「伝えたいテーマを一本に絞り込む。書きたいことはいろいろあっても、それを残しておくと、本当に伝えたいテーマがぼやけてしまう」「読み返してみてはずかしくなった。今多ったら絶対に書かない、書けないといクサイ台詞が各所に見える」「満足のいく脚本は29本のうち4本くらいか」

同じくらいの本数の脚本を書いてきた者として、まったく同じ思いです。年月や経験の篩い(ふるい)を経なければ見えて来ないものがあるんですね。その時は見えているつもりなんだけど・・・・。本物を見るためには、見ている自分を見る第三者の目が必要なのでしょう。

中国地区の高校演劇で脚本集が出ているのは広島の伊藤隆弘先生(門土社)島根の洲浜昌三くん、広島の(門土社)藤田 卓先生、岡山の高森 章先生(私家版)。現在中国地区5県で有力な書き手が活躍していますので何らかの形にして記録として残し、必要に応じて読めるようになればいいですね。高森先生、おつかれさまでした。

詩 「がんばれ まめ戦士」

 がんばれ まめ戦士
洲 浜 昌 三

さあ 元気よく歌いながら豆をまいて
オニを退治しましょうね
もう一度大きな声で練習しましょう

おにはそと ふくはうち
ぱらっ ぱらっ ぱらっ ぱら まめのおと
おには こっそり にげていく ※

頭に白い鉢巻きをキリリと締め
ふるさとを守る戦士のように目を輝かして
幼い子どもたちは声を張り上げる

ウオー オニダゾ ワルイコハ タベルゾ
ギヤオー アカオニダゾ ナキムシハ ドコダ

二ひきの鬼が飛び出したとたんに
戦陣はたちまち総崩れ
真っ先に逃げていく男性戦士
恐怖でその場にうずくまる女性戦士
一歩も退かず勇敢に立ち向かう数名の豆戦士
悲鳴や泣き声が戦場に響きわたる

さあ 子どもたちよ
あの歌を歌うんだ
みんな一緒に 大きな声で
あんなに何度も練習したじゃないか

※童謡「豆のうた」より
大田市文化協会は年3回「きれんげ」という会報を発行しています。1000部以上印刷していると思いますが、大田の文化情報や石見銀山の歴史は毎号掲載しています。数年前から詩を依頼されて書いています。詩人ではなく普通の人が読んで何か心に残るような詩になればと思って書いています。石見銀山の詩も時々書いています。行数は30時以内ですから長い詩は書けません。

上の詩は会報の最新号のために書いたものです。マイ グランドドーター が節分前にはいつも「豆まき」を家でも歌っていました。いいうたですね。「ぱら、ぱら、ぱら」 というのがなんともいえません。保育園で節分の当日は鬼がでてくるとみんな恐れて泣いたそうです。その後家でも、鬼を怖がっています。2歳という年はまだサンタクロスも鬼も実在すると思っているんでしょうね。

これは保育園で先生とつくった鬼です。なんとかわいい鬼ですね。食事の時もこのメンをつけて食べています。お気に入りです。

藤田 卓 戯曲集『豊島屋物語』 出版

平成23年7月、藤田 卓 戯曲集『豊島屋物語』が横浜市の門土社から 出版されました。「戯曲満開坐」シリーズの第1巻です。藤田さんは広島県の高校で演劇部の顧問をされ、数多くの個性的な脚本を書いてこrかれました。本の中で伊藤隆弘先生が「時空を越えて紡ぐ人」として詳しく紹介しておられます。

      6編の脚本が載っています。
『半鐘の村』『むかしを今に』『波の都』『豊島屋物語』『港はいつも春なれや』『移民船安寧丸』。それぞれの脚本が高校演劇のレベルを突き抜けたしっかりした脚本です。高校生が上演しても感動的な劇になると思いますが、社会人が上演すると更に迫力のある劇になるでしょう。卓先生の劇は何本か見ていますが、高校演劇特有の甘っちょろさがないことです。会話もストリーも歴史的なまた社会的なフィルターを通過して生まれたものです。初期の作品は高校生の群像を描いたものが多いのですが、高校生だけの世界ではなく歴史や社会の中で生きている高校生が描かれていました。それがとても印象に残っています。
卓先生に平成23年度の広島県高校演劇大会で久しぶりにお会いしました。元気でした。脚本を贈っていただいたのでお礼を言い感想などを話しました。夜の顧問研修会にも出席されました。

本の「あとがき」を紹介しましょう。卓先生が洲本高校、三和高校、廿日市西高校、観音高校の演劇部の皆さんと共に汗と涙を流して創った劇への思いがよく伝わってきます。

本の価格は1200円。しっかりした装幀の本です。本の出版には経費がかかりますが、長年の仕事の結果をこうして本という形にして残されたことは貴重なことだと思います。おつかれさまでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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詩人 高塚かず子のふるさと 島根川本

ー詩人 高塚かず子ー
水の詩人のふるさと、島根川本

洲 浜 昌 三

第44回H氏賞を受賞したとき、高塚かず子は「島根県生まれ」と報道された。しかしその名前は思い当たらなかった。
『島根の詩人たち』(田村のり子著、島根県詩人連合発行)を読むと次のように書いてあった。「川本生まれだが、幼いとき母方の地九州へ移った。祖父が川本で俳句誌『霧の海」を出していたような、文学の血があるようだ。」 続きを読む 詩人 高塚かず子のふるさと 島根川本

詩 娘たちの「銀山巻き上げ節」-石見銀山考-

  娘たちの「銀山巻き上げ節」

                                ー石見銀山考ー
                                                                    洲浜昌三

石見銀山で働いていた女性に会いに行こう
と誘われ 八十を超える老女を訪ねたのは四十年前だった
娘のころ永久鉱山で働いていたという 続きを読む 詩 娘たちの「銀山巻き上げ節」-石見銀山考-

書評 水野ひかる詩集『未明の寒い町で』

2010年11月、香川県善通寺の水野ひかるさんが詩集『未明の寒い町で』(土曜美術出版)を出された。贈呈を受け率直な感想を書いて礼状をお送りした。後日「詩誌そばえ」へ書評を頼まれました。「そばえ」(「戯」)は徳島県板野郡板野町の扶川 茂さんが発行されている詩誌。2012年1月にⅢ4号が発行され書評が載りました。長い文章ですが紹介します。 続きを読む 書評 水野ひかる詩集『未明の寒い町で』

詩 大森五百羅漢-石見銀山考-

 

大森五百羅漢 -石見銀山考-       洲浜昌三 

石のそり橋を渡ると
羅漢さまの静かな岩室がある

父や母や夫や妻や愛しい我が子が
安らかに眠りますように

はるか江戸時代に人々が込めた
深い祈りの石仏 (いしぼとけ)

羅漢とはー
いっさいの煩悩を滅し、自力で悟りを開いた人ー
と辞書にある  それにしては

「てめえらぁ それでええんかや!」と目をむいて怒鳴る羅漢
「うちのにょうぼうのやつがのぅ」口を曲げて愚痴をこぼす羅漢
「助けちゃんさい 頼むけぇ」天に号泣する羅漢
「わしゃ はあ知らんで」膝を深く抱える羅漢
「ありゃ ぼけてきたかいのぅ」ふと 頭に手をやる羅漢

静かに瞑想する数多の尊者の中に
悟りとは遠い数体の羅漢

石見の国 福光の石工は
うっかり本音を刻んだのかもしれない

(島根県詩人連合発行「しまねの風物詩」より)