詩 7歳までは神のうちー石見銀山考ー

  

      7歳までは神のうち ー石見銀山考ー  Shouchan

ブレーキを踏んで車を止めると

子供たちは目の前を小走りに横断して歩道に立ち

声をそろえて頭を下げる

「ありがとうございました」

 

いつも見慣れている風景だが

大阪や東京から来た三人は

感動して小学生たちの姿を見送っている

「あんな子どもが日本にはまだいてるんやね」

 

ふと ある講師の言葉が頭をかすめた

「七歳までは神のうち」

石見銀山にはそんなことわざが残っているという

 

受け売りを得意になって紹介すると

ミキさん夫妻が言葉を重ねる

「子どもは神のように大切に育てられたんやね」

「さすが出雲石見は神の国やわ」

 

「逆じゃないのかな」

後に座っていたケンさんがつぶやいた

 

会話が途切れ 新緑の林が後ろへ流れていく

「飢饉のときその言葉は救いになったんだよ

……神の国へ返すのだからさ」

ケンさんが再び低い声でつぶやいた

 

フロントガラスに日本海が広がる

短いトンネルを通過する

 

「……生まれた子を間引くときにさ」

 

 

詩 暗いとこ通って広野原

暗いとこ通って広野原              shouchan
三菱の重役のお屋敷でね
わたしも 三つ指をつき
あそばせ言葉で話しとったんよ

ぼくにはまったく記憶がないが
母が東京で女中奉公をしたとき
二歳のぼくも連れて行ったという

いまはやまなか いまははま
いまはてっきょう わたるぞと

煙を上げて東海道線を走る汽車の中で
流れてくる風景に合わせて母は歌ったという

おもうまもなく とんねるの
やみをとおって ひろのはら

真っ暗闇の世界へ突入する度に歌い
光が満ちあふれる広い緑の世界へ出る度に
「ほら ひろのはらよ」と言って歌ったのだろう

そのうちぼくは
「やみじゃない くらいところだ」といって譲らず
負けた母は
「くらいとことおってひろのはら]                                  と変えて歌ったという

ベッドのそばに寝ころんで                                     遠い世界の童話を聞いているように
老いた母の言葉に耳を傾ける

何もかも溶けて遠くなっていく日
小石のように光る頑固さがなつかしい

閤田真太郎詩集「十三番目の男」を読んで

2010年1月、石見詩人同人の閤田さんが詩集「十三番目の男」を砂子屋書房から出版されました。浜田市久代町の海辺で農業を営みながら詩を書いてこられました。これは第6詩集になります。

これまでの詩集を表紙で紹介しましょう。『博物誌』は詩画集で池田一憲さんが独特の濃密な絵を描いてる個性的な詩集です。

次の文章は「石見詩人」125号へ書いた感想文です。

詩集『十三番目の男』を読んで 洲浜昌三
「1月21日にこの詩集を流し読みしたとき、次のようにメモしている。
「言葉が引きずっている存在の重さを感じた。言葉がつり下げているものの重さ」
5月22日に再読したあとで、次のようにメモしている。
「とてもいい詩が多い。大自然の土と格闘して生きてきた重厚な生が哀感とともに伝わって来る。その土着的で人間臭い泥臭さと同時に、高い志や知性、知識欲が作品の端々に感じられ、その知性を支えるエネルギーが熱となって伝わってくる。後者が作者の本質だったのかもしれない、とふと思った。
作者の父は戦後の経済的に苦しい時代の中で開拓農民という道を選んだ。朝鮮から引きあげると、作者は長男として父親と生を共にせざるをえなかった。もし学問の道を許されていたら高い知性の成果を残したかもしれない。しかし実際は過酷な開拓農民という現実の中でそれを飼い殺し状態にしなければならなかった。
この詩集を読み終わったとき、かけ離れた両極から生まれた作品が、ぼくの思考や想像を地から天まで運んでくれる楽しさを味わった。ユーモアがいままでになくあちこちで顔を出し、自虐的に斜に構えた姿勢が見えたり、孤独な横顔や空虚感、哀感が漂う作品が多いのも印象に残った。」
6月の15日頃から数日かけて丁寧に読んだときには次のようなメモを書いている。
「理には理で読むので詩の世界が狭くなる。知識や理屈で一つの詩の世界を創ろうとすると、その中に不合理な論理や偏狭な知識、作者の思い込みが入っていれば読者はつまずいたり反発したり自己葛藤が生じる。詩は論理や理を越えたところに生まれる世界。論理的に知識を積み上げてもそこに到達していなければ論文やエッセイで書いた方が説得力が生まれる。インタービュー形式や会話形式で書かれた詩の質問は応答者が予期し期待している範疇の作者合意のなれ合い質問。ペダンティックな詩に対するてらいや斜に構えた自虐敵発想から出てきた言葉が多く詩の緊張感や品位を下げているかもしれない。」
3回も読むと違った角度で読むからだろうか。これが同じ詩集に対する感想か、と我ながら疑いたくなるが、すべて「十三番目の男」に対する感想である。どこに比重を置いたて書いたかの違いに過ぎない。
四回目に読めばもっと掘り下げて詩とは何かという観点から書くかもしれない。

(石見詩人の合評会で撮影。右は、くりす さほさん。つい最近詩集『いつか また』を浜田の石見文芸懇話会から出版されました。感性豊かな詩がたくさん載っています。そのうち紹介しましょう。)
この詩集はⅠ、Ⅱ、Ⅲと三部に別れていて、ⅠとⅢは身辺の素材から生まれた詩が中心であり、共感できる詩がたくさんある。特に大きな存在だった作者の父、同じ月に2人の命を見送った母親と奥様を素材にした詩は胸を打たれる。
Ⅱは詩集の表題になった「十三番目の男」(続・又を含め同じ題の散文詩三作品がある)を中心に構成されている。ここを中心に読むとどうしても理屈や理論で対抗したくなるし、作者の意図や理解を問いただしたくなることに度々出会う。
作者はこのⅡを中心にして詩集の顔にした。なるほどと納得する点はあるが、一冊の詩集をつくるとき、どういう詩を載せるか、どうゆう配列にするか、どうゆうタイトルをつけて顔にするか、という点でもいろいろ考えさせられた。

『十三番目の男』というタイトルはダイナマイトのように強烈である。映画か本にあったような気もする。十三階段とも結びつく。何が書いてあるのだろう、という興味もそそる。その点では「やるもんだな」と感心する。しかし詩集を読み終わったとき、「十三番目の男」しか印象に残らない。ⅠとⅢのとてもナイーブなすばらしい詩が吹っ飛んでしまう。これはぼくだけの現象かもしれない。十三番目のような縄文時代から現代までの長い土地の歴史を論文調の散文詩で中心に据えるなら、そういう系統の詩で一冊を仕上げないと他の詩が可愛そうだ。他の詩がいいだけに余計そう思った。」

この詩集は平成22年に第21回富田砕花賞を、永井ますみさんの『愛のかたち』とともに受賞しました。上の写真は受賞式後の写真です。合評会のとき閤田さんが持参されたDVDをテレビに映してみんなで鑑賞しましたが、そのテレビの画面をカメラに写したました。古い古いテレビでしたので目が粗く顔は分かる人にしか分かりません。ちなみに永井さんは神戸市在住ですが米子の出身です。閤田さん、永井さん受賞おめでとうございます。

閤田さんは昭和9年生まれ、日本現代詩人会、中四国詩人会、島根県詩人連合(理事)、裏日本ポエムの会に所属。詩集は2500円、砂子屋書房か著者へどうぞ。〒697ー0004 浜田市久代町1655

 

詩 リラの花咲くころ

リラの花咲くころ 洲 浜 昌 三

高校生だったころ
ラジオで覚えた大好きな歌があった
「リラの花咲くころ」

リラ リラ リラ
なんというさわやかな響きなんだろう

ぼくの村にはどこにもなかったので
どんな花なのか見当がつかなかったが
花開いた美しい姿がふくらんでいった

リラはライラックともいう と知ったのは
何十年もたってからだった

ライラック ライラック ライラック
なんというきれいな響きなんだろう

何十年もたったある日
ふとしたことでその苗木が手に入った
関西以西では育たないと聞いたが
家の前に植えておいたら初夏に花が咲いた

あたりに漂う高貴な香り
品のある薄紫の豊かな花房
庭に浮かんだ華やかでつつましい白い雲

どこまでも沈んで行く悲しい日
青春の日のあこがれの少女のように
リラは軒下ですっくりと立っている

H21 9/26 中四国詩人会・大田三瓶大会終わる

2009年9月26日、中四国詩人会の大会を大田市の三瓶で開催しました。文章は島根県詩人連合の会報に書いたものです。下の写真は大田市の長久あたりから見た厳冬の三瓶山です。

中四国詩人会 島根大田大会を終えて 洲 浜 昌 三

第9会大会は大田市三瓶町のさんべ荘で9月26日(土)開催し、無事に終了しました。
会員が多い山陽側とは遠く、交通も不便なため、どれくらいの参加者があるか心配でしたが、大会には約60名、石見銀山観光は36人の参加者がありました。これは想定した数の上限で、参加者に心からお礼を申し上げたいと思います。下限だったら二度と顔を出せない事態になっていたでしょう。
島根からは宿泊が5名、大会のみの参加者が9名。いろいろな面でバックアップして大会を支えていただきました。岡山からは22名。大会成功の大きな力でした。
事前に講師の麻生直子さんのエッセイを山陰中央新報の文化欄へ掲載してもらいましたが、それを読んで浜田から参加された人がありその熱意に感銘を受けました。
総会では予算・決算、事業報告・計画の説明を受け原案通り承認されました。

(山口のスヤマユージ会長から中四国詩人賞を受ける岡山の沖長ルミコさん)

第9回中四国詩人賞は倉敷市の沖長ルミコさんの詩集「吹き上げ坂を上がると」に授与、選考委員長の北村均さんから選考経過が発表され、沖長さんの受賞の言葉、詩の朗読がありました。沖長さんは日本現代詩人会、日本詩人クラブ、詩人会議、岡山詩人協会会員。同人誌「道標」「どぅるかまら」「飛揚」所属。この詩集は、平明な日常語で書かれていますが、何気ない言葉の背後に、時代や社会と誠実に対峙して生きて来られたこの詩人の知性や感性が静かに息づいていています。

 

中四国詩人会特別功労賞が総社市の井奥行彦さんに贈られました。井奥さんは岡山の詩の重鎮で全国的にも活躍されていますが、中四国詩人会の初代会長、その後の顧問、『中四国詩人集第一集』の編集長など、その多大な貢献に会員が謝意を示したものです。
恒例の詩の朗読では次の人たちが自作詩を朗読しました。井上嘉明、重光はるみ、長谷川和美、森崎昭生、川野圭子、小野静枝、柳原省三、洲浜昌三。

(自作詩「家康っさんの綿入れはんてんー石見銀山考ー」を朗読したあと、翌日見学することになる徳川家康から安原備中が贈られた胴服について解説するスハマ。世界遺産センターに展示してあるのは模造品ですが、清水寺にあった本物(重要文化財)を着て大森小学校の児童が学芸会をしたという話を散文詩にしたものです。石見銀山考はいつか詩集にまとめてみたらおもしろそうです)

講演は麻生直子さん。「風土から生まれる言葉」と題して話されました。麻生さんは北海道の奧尻島の生まれ、現在は東京で活躍中。中央志向の均質化された詩ではなく、自分の足下を掘り起こして詩を作る大切さを数々の例から話されました。その例として閤田真太郎さんと長津功三良さんがその場で指名を受け自作詩を朗読。共に力のある詩でした。
講師の自由闊達な話しも佳境に入ったところでしたが、何しろ分刻みの超過密時程。麻生さんは思いを残しながら話しを閉められ、副会長・小野静枝さんの「根っこのある詩を大切にしたい」というお礼の言葉で講演は終了しました。
次回10回大会は鳥取の白兎会館で9月25日に開催したい、と副会長の井上嘉明さんから報告されました。

懇親会では土江こども神楽団の石見神楽を観賞。食事をしながら40分の予定が、食事をせず60分。係としては腹が「苦り」ましたが、初めて石見神楽を見る人がほとんどで、賞賛の言葉もいただき、腹のにがりも少し収まりました。
空と山と谷しかない三瓶で二次会を期待するのは常識外れですが、事前探査で唯一の場所を見つけ、懇親会の後でその志学へマイクロバスで出かけました。広くて素敵なパブでした。人前では絶対に歌わないという詩人のプロ並みの歌など聞けて至福の時を過ごしました。

翌日は希望者で石見銀山へ。世界遺産センターで展示を見て、徒歩約6キロコース、1キロコースに分かれてガイドさん(河村夫妻)の案内で見学。地元で生まれ戦前の大森もよく知っている人なので貴重な話しを聞くことができました。あんな山の中にも家が重なって建っていたとは!一軒一軒みな覚えておられるのですから国宝級です。
バスがないので岩田さんには駅まで車で迎えに行ってもらいました。短時間に殺到する各種の受付を狭い場所で田村さんと高田節子さんにはテキパキと裁いていただきました。連絡ミスで欠席扱いだった人が来られたり、名前から男性と判断して男部屋に割り振っていたり、数々のミスを川辺さんには臨機応変に処理してもらいました。
不便で手が加わっただけ、人間の温もりのある大会になったかもしれません。

H23 7/2 故石村禎久氏へ石見銀山文化特別賞

新聞によると2011年7月2日に第4回石見銀山文化賞表彰式が中村ブレイスで行われ、ノンフィクション作家の千葉望さん(東京都在住)に文化賞、故石村勝郎(禎久)さんに特別賞が贈られました。この賞は中村俊郎社長が世界遺産登録一周年と創業35周年を記念して2008年に創設されたもので、昨年は石見銀山天領太鼓が特別賞を受賞しています。文化活動の重要性を考えてこのような賞を設けられた中村社長に敬意を表するものです。また石村さんの業績が評価されたことをとてもうれしく思っています。

石村さんは石見銀山や三瓶、石東の歴史にについてたくさんの本を書いておられます。9日の山陰中央新報の明窓では著書は20冊に及ぶと書いています。出版の度に買い求めてきましたがとても示唆に富み参考になります。実証的な歴史書ではないために歴史家はいつも距離を置いて冷ややかな見下す目で見ていますが、ぼくなどはそこがとても面白く示唆に富んでいて空想を刺激してくれます。

(右端の本は、竹下弘氏が長年執筆された銀山の歴史をまとめ中村社長が中村文庫として出版された『私説 石見銀山』貴重な本です。左の12冊は石村勝郎さんが出された本。貴重なこともたくさん書かれていますが、創作という視点でよむと創作欲を刺激されることがあちこちにあります。詩人だったからですね。)

考えてみれば石村さんは毎日新聞の記者でしたが、詩人としてスタートされたのです。最近島根の同人詩誌を調べましたが、昭和16年6月に島根の詩人が松江へ集まって島根県翼賛詩人会が結成されたとき、吉儀幸吉、門脇真愛氏とともに石村さんは幹事に選ばれています。10月8日には島根県翼賛歌人会と協力して『勇士に捧ぐ』という詩歌集を作って国立病院などに送っています。詩は33篇、短歌は231首あったそうですが、貴重な本はどこかにあるでしょうか。是非手にしてみたいものです。この会では毎月松江の千茶荘へ集まり『作品』というガリ版の詩誌を機関誌として6号くらいまで発行したそうですが、石村さんの家にはあるのでしょうか。貴重です。

石村さんは昭和20年に招集令状がきて薩摩半島の南端、開聞岳のふもとで終戦を迎えるのですが、「詩にうたった皇軍の姿、日本軍の姿、それはイメージとは余りにもかけ離れていた。上も下もエゴイズムのかたまりだった」と書いています。

昭和21年元旦を期して詩誌『詩祭』の創刊号を出版。今井書店に定価2円50銭で委託してすぐ売り切れたとか。文化に飢えていた時代だったからでしょう。同人も会員も2円50銭で、紙が手に入らない時代に8月までに6冊を発行。石村さんは松江から大田へ転勤になり、『詩祭』は財政難もあって廃刊になりました。

大田の毎日新聞通信部勤務となった石村さんは大田で『司祭』を出しました。表紙は民芸紙、中身の紙は三隅町から取り寄せた石見半紙。「滝川共や山根フミがいい詩を寄せた」と石村さんは書いています。30ページほどの紙誌ですが2号で廃刊になり、詩誌『エンピツ』を発刊しました。これが何号まで出たのかわかりません。持っている人がいれば是非ぜひゼヒ貸してください。大田の詩誌の記録としてまとめてみます。

石村さんは石見詩人へもたまに詩を書いていました。しかしぼくは当時石村さんが情熱的な詩人だったことをまったく知りませんでした。そのうちいつかゆっくり話を聞きたいと思っていましたが、当時は多忙を極めていましたし、偉い人の時間を奪うのは失礼だと卑屈な姿勢でしたので、年賀状のやりとりや簡単なハガキの交換くらいしか交流はありませんでした。今思えば残念です。2001年に85歳で他界されました。

上の詩集は昭和52年10月に自費出版されたものです。哲学的な短詩、三瓶、石見銀山など地元の歴史をうたった詩、成人式などで朗読された詩など43篇載っています。

以前島根県詩人連合で『島根の風物詩』を刊行したとき、石村さんの詩も数編検討したことがあります。独自性が少し弱い気がしたのでこのときには採録はしませんでしたが、目下続編を発行する計画が進行中なので再度石村さんの詩も検討してみるつもりです。

石村さんは貴重な詩誌や本などをたくさん所蔵しておられたはずです。いつか見せていただきたいといつも思っていました。新聞では大田市在住の二女石村京子さんが受賞式に出席されたと書いてあります。「こつこつと頑張ってきた父を誇りに感じる。天国で照れながら喜んでいると思う」と京子さんの談話が載っています。

ああ、やっぱり照れ屋だったんだ、とあの端正ではにかんだ青年のような笑顔を思い浮かべています。お孫さんは大田高校でちょっと教えたことがあります。演劇もちょっと手伝ってくれたことがあります。いまどこにいるのかな。元気で活躍していることでしょう。おじいさんの受賞おめでとうございます。

石村さんが山陰中央新報の地域文化賞を受賞されたときお祝いの手紙を出したことがあります。お礼の返事がきましたが、その中に書かれていたことを思い出します。 いしむらさん、おめでとうございます。

H23 7/9 中四国詩人会第22回理事会終わる

(テスト中です)2011年7月9日、岡山国際交流センターで22回目の理事会が開かれました。10時から11回中四国詩人賞の選考があったので、それに間に合うように前日に岡山へ到着し泊まりました。石見からは不便ですね。5人の選考委員の熱心な議論により16冊の中から最終的には一冊が決定しましたが、今月末に川辺事務局長から発表になります。

昨年の鳥取大会から今年10月1日の四万十大会が終了するまでは会長は島根の洲浜、事務局長は川辺です。高知の萱野さんを議長に選任して会は進みました。役員の新任、移動、会計報告、予算、蒼わたるさんから「中四国詩集第4集」刊行の報告、詩人賞の選考結果報告、中村市の山本さんから四万十大会の説明、等が行われました。各県の詩の朗読者が一部未定で今月中に事務局へ報告することになりました。今年は幸徳秋水刑死100年に当たります。そういう意味でも四万十大会は記念に残る大会になりそうです。一族郎党引き連れて参加してほしいと山本さんは訴えられました。地方で開催すると出席者の心配がつきまといます。

12回大会の開催地について話し合いましたが次の会までに決めることになりました。岡山か広島の可能性が大です。4時40分ごろ終了しましたが、いつものように未完成で懇親会を開きました。その夜汽車で帰るつもりでしたが、駅の喫茶店でマヤさんやオカさんなどと熱く語り合っているうち汽車は2本とも出ていました。

年に2回岡山で理事会があるので今までに20回くらい出かけたことなりますが、2年前までは岡山駅の西口はフツーのつまらぬ駅でした。しかし今回はとても便利で快適な広場になっていました。木が大きくなるといい風景になるでしょう。写真は東急インの7階から眺めた朝の岡山駅西口です。

次回の理事会は1月7日(土)に予定しています。『中四国詩人集』は順次発送中です。僕の所にはまだ届いていませんが、届いたら紹介しましょう。四万十大会は10月1日に新ロイヤルホテル四万十(℡ 0880-35-1000)で開催されます。中四国詩人会大会に参加すると言って申し込むと割引があります。翌日は希望者による市内観光です。幸徳秋水の墓、漢詩の碑、上林暁文学碑、資料館、佐田沈下橋、トンボ公園、大江満雄詩碑などを見学します。

四万十大会の講師は鈴木漠氏で「連句裏面史から」と題して記念公演があります。参加費は千円、誰でも参加は自由です。

『石見詩人』126号です

『石見詩人』の創刊は昭和31年1月です。益田のキムラ フジオが中心になって石見詩人社を結成し発足しました。その時の主な同人は岡崎澄衛、内海泰、仙藤利夫、高田節子、田原八千代など18人です。節子さんは今でも同人で詩を書いています。

それ以前に益田では昭和29年6月に創刊された詩誌『詩歴』がありました。中心になったのはキムラ フジオでした。京都で映画のシナリオを書いて活躍していましたが、昭和13年に益田へ帰りました。昭和27年に『石見の歌』を発刊し、それがきっかけとなって中村幸夫、原司、佐藤繁治などが集まって『詩歴』を創刊したのです。同人間で意見の相違が大きくなり、8号からはキムラや中村は実質的に手をひき原が編集を担当しました。昭和30年末までに12号を出しています。キムラは翌年の1月1日を期して石見詩人社を発足させたのです。

昭和41年の30号から高田賴昌が編集を担当し(賴昌さんは昭和12年斐川の生まれ、益田へ赴任してきて節子さんとゴットマリッド)現在に至っています。『山陰詩人』は昭和36年11月に結成され、37年1月に準備号を出しています。昭和42年の14号から田村のり子さんが岡より子さんのあとを受けて編集を担当しています。

石見詩人は山陰詩人(今189号)より歴史が古いのですが、追い抜かれて126号。亀さんの歩みです。がんばれ!同人14人。最近では年2回の刊行。新しい同人が必要です。意欲のある人がどんどん入って来ないと限界詩誌の運命です。入会いつでも大歓迎!です。

作品を載せればいいのですが、今回は目次だけにします。特徴のある詩作品を楽しむことができます。頒価は500円と書いてあります。発行所は石見詩人社(698-0004 益田市東町17-15高田賴昌方)です。そこへ注文されてもOKですが、これを書いている人にメールをされてもOKです。送料込み500円でもお送りしますが、「石見詩人126号を読みたい」だけで何もなくてもお届けします。

『山陰詩人』189号です

巻頭語で田村のり子さんが「原発のある県都松江から」と題して書いています。原発まで10キロ圏内に県都・松江市はあります。30㌔以内には出雲市、雲南市、安来市、米子市、境港市も入ります。安全神話と補助金恩恵で骨の髄まで食い尽くされてていたので、今までは少数の人や団体が抗議するだけで、それを神話の目で冷ややかに冷笑して、あいつらまたやっとら、くらいな神話と補助金感謝の心で横目に見ていたというのがぼくが受ける印象です。これからはきっと流れが変わっていくでしょう。

山陰詩人では(正確には編集者は)以前から原発や中海埋め立てに警告を発してきましたが、今号では数編の東北大震災を受けて書いた作品が掲載されています。詩がタイミングよく社会の出来事に反応するというのは滅多にないことで、えらいしじんは、機会詩なんか詩の堕落だ、と相手にしない傾向がありますが、敏感な反応というのは新鮮ですね。詩人が言葉でどういう反応をするか、僕には期待もあります。それぞれの詩を興味深く読みました。

目次の4ページから15ページが東北大震災に寄せて書かれた詩作品です。熊井三郎さんの深くて迫力のある動的な暗喩はいつものことながら胸に響きます。

次の号は190号で記念特集を編集中だとか、記録を重視してきた山陰詩人はその点でも歴史的な価値があります。たいていの作品は時と共に忘れられていきますが、10年、50年、100年過ぎて時と共に価値がでて来るのは記録です。その時生きていた人の声、うめき、歓び、人の生き様、社会の記録、詩誌の記録… どんな記念号ができるか楽しみです。詳細な年表が出来れば物書き人間には最高の宝になります。

(整理を兼ねて189号の目次を紹介しました。興味のある人の参考になれば望外の喜びです。余分は2冊しかありませんが欲しい人には担定価500円(送料込み)でお送りします)

今号

島根年刊詩集39集 平成22年版発行

30名の詩人が参加しているアンソロジーです。巻末には平成22年度の県文化祭文芸作品入選した詩の作品も載っています。また平成22年度の島根県高等学校文化連盟主催の文学コンクール詩の優秀作品も掲載しています。

目次を紹介します。石金勇夫さんの『万葉集』「記紀』と朝鮮語、豊富に実例を示して、万葉集や古事記、日本書紀と朝鮮文化の影響をかいたものです。連載されていますがとても刺激的で勉強になります。詩の作品もそれぞれ個性的なものがたくさん載っています。

読みたい人があれば郵送します。定価は1500と書いてありますが、郵送料も含めて千円で送ります。読んでいただけるだけでもハッピー。こちらで負担します。すべて負担の覚悟もあります。来年も3月ごろ発行予定です。原稿〆切は平成23年12月末です。