Monthly Archive for 6月, 2011

第50回広島県高校演劇大会舞台評です(NO.2)

平成22年11月に尾道で開催された高校演劇広島県大会の舞台評のつづきです。同じものは各校へ事務局から配布されていますが、高校演劇を応援する立場から少しでも部員の皆さんの活動の参考になればと考え紹介します。次の写真は尾道の風景です。

第50回広島県高等学校総合演劇大会 講評

NO.7
呉港高等学校    上演作品  「まほろば」         (吉野智美 作)
メモより:
総 評:3人の会話だけで成り立っている会話劇だが個性がよく出ていて会話のテンポもよく最後まで楽しんで観ることができた。途中から神様だということがわかるがおもしろおかしく会話を進めながら自立していない現代の人間を批判し皮肉っている。稲葉さんが力を抜いてのらくらした神様を演じ、兎谷さんが生真面目で責任感過剰な神様を演じているが二人の会話はとても素晴らしい。神様の個性(?)をしっかりつかんで演じているからである。
台本は面白くてよくできているがネット台本(多分)特有の底の浅さも感じられる。おもしろおかしく観客を引っ張って行くものの突っ込んで行く真摯な姿勢が希薄なので単なるエンターテインメントだという印象がどうしても残ることである。
・装置:広い舞台に長机が二つだけ。バックはグリーン一色のホリゾント。神様のいる広大な空間を表していてとてもよかった。電話には変な縫いぐるみの人形を使っていたがこれもいいアイデアだったと思う。ついでにコーヒーカップもコーヒーも別なものにすればよかった。
・発 声:力を抜いて自然に喋るのでとても聞きやすく言葉がよく分かった。外務員の幸田さんは滑舌が今ひとつ、演技も少し固かった。

NO.8
沼田高等学校    上演作品  「今夜、川のほとりで」(黒瀬貴之 作)

総 評:劇にいろいろな意表を突く仕掛けがたくさんあって(例えば、出だしの典子と明子の場面は二人のいじめとダブル仕掛け。3人の高校生が逃げてくるとやがて先生が探しに来る。なんで高校生が白髪のカツラをつけているのかと思いながら観ていると後半に老婆を演じる。文江役の桂奈子はいじめを受けていたことが分かる。などなどたくさん)次々と展開していくテンポの良さがいい。それを発声がよく言葉がよく分かるそれぞれの役者が軽やかに動き的確に演じていて最後まで観客を引きつける。
祖母の文江は同じ被爆者の友達をあるとき無視したことが一生忘れられなかった。典子は友達の明子へひどいことを言ったことが傷となり忘れられない。東京から来た修学旅行生の佳奈子はいじめられたこは一生忘れないという。「忘れない」という一点で共通意識を結び原爆問題を舞台化したところに意欲的なアプローチを感じた。原爆問題といじめ問題は同じ次元の問題ではないが、原爆への意識が風化していく中で、一つの切り込み口だと言えるだろう。
東京からきた修学旅行生が原爆に対して「またか」という嫌悪感を持っていて、特に沙那は徹底的にそれを口にだす(極端なくらい)。部外者の目を持ち込むことによって対立が鮮明になりドラマが引き締まった。

・装 置:石垣を舞台の後方一杯に作ったって広く舞台を使い、河原と街へつづく土手を劇の場としたのはよかった。石垣は灰色が明るく古い石垣ではなく比較的新しく作られた感じがしたがもう少し古い感じがよかったかもしれない。
・人物が作者の掌中で操られていないか:
登場人物はその人物独自の心情や論理で行動する。そこからドラマが生まれる。作者が都合よく動かしては存在感は薄くなりリアリティはなくなる。
そういう点で若干作者の都合で動かされたり設定された場を次の箇所で感じた。
・何故高校生たちは夜の河原で撮影するのか。夜の河原でなければいけない必然性はあるのか。
・撮影に欠かせない民子役を決めずに何故撮影にきたのか。修学旅行生を使うためか。
・撮影に参加するまではいい加減な生き方をしていたというが、ちょっと調子がよすぎないか。
・典子が明子をいじめる場面で、固唾をのんで何を言うのかと待っていると、急に雷で聞こえなくなる。手法とは言え都合がよすぎないか。
・マツケン先生は面白い先生の型を演じすぎていないか。人間の心理より型を演じたら一人浮き上がってしまう。無理に観客を喜ばそうとする必要はない。

NO.9
清水ヶ丘 高等学校    上演作品  「さらば、伊藤家」 (岡田隆一 作)

総 評:最初に台本をよんだとき、とても筋運びがシンプルで人物もわかりやすく明確、またドラマの対立もはっきりしていて骨格が単純すぎるのではないかと思ったが、舞台で劇を観たときには単純だとは思わなかった。逆にテーマが早く立ち上がり、それに従ってどんどん展開して行くので力強さを感じた。

一時間の劇の台本で言えるテーマは一つだ、と言われるけどその見本を見たような気がした。セリフはシンプルでも役者がそれを表現で豊かにして行けばいいのだ。いや、シンプルなほど役者が埋めなければいけない空白がたくさんあり、役者の力量が発揮される余地が多いということでもある。
劇として仕掛けやどんでん返しもあり面白く最後まで観た。しかし伊藤家の家訓を当たり前のように守ろうとする母親の存在はワンターンで平板な人間に見えて劇を浅くしたのではないかと思う。大正や昭和初期なら存在感が十分だろうが、家族意識が崩壊した現代ではもっと違う角度から母親を設定しないと古めかしくなる。
この劇では3人がほぼ同じ視点で平等に扱われ、ある意味で客観的に扱われている。それもいいかもしれないが、母を通して描くか、娘を通して描くかした方が観客としては感情移入がし易い。誰を通して感情移入するかということも重要である。
・装 置:部屋を斜めに切って見せているのが新鮮に写った。カウンターやテーブルや壁などもきちんと作られていて部員の劇作りの熱意や創意工夫を感じた。
・発 声:力抜いて自然に喋るときには言葉もよく分かり安心して聞いておられるが、力が入ってうわずってくると言葉が分かりにくくなる。

NO.10
美鈴が丘高等学校  上演作品 「野球小僧を知ってるかい」(片山稔彦 作)

メモよりー
総 評:昭和30年ごろの広島の小さな広場が劇の舞台。少年野球とその監督を中心に物語りが繰り広げられる。みんな手袋のグローヴ。皮のグローヴが欲しくて母を責め、母は父がタンスに入れていたと言って当時の千円を渡してくれる。まこと少年はそれを大人になるまで使わずに母の記念に持っている。母が内職でためた大金であることを知っていたのだ。当時の少年や地域との深い結びつきを懐かしい流行歌をバックに蘇らす。ラストの場面で母親をまこと、妻、娘の三人で訪ねる。そこへ昔の少年野球の仲間が現れて、一緒に飲みに行こうと誘う。忙しくて子どもとの接触がなかった父親へ不信感を抱いていた娘も父親の世界に理解を示そうとする。
劇を楽しく観たが、今の高校生が観たときに同じような懐かしさを抱くかどうか。流行歌からどんな風景が蘇ってくるか。昭和30年ごろ少年少女だった者とは多分違うだろう。人間が孤立してしまった現代への批判もあるが何となく付け足しの観がぬぐえない。衣装は中途半端で現代に近い。昭和30年代を衣装でも再現した方がいい。高校生の女子が少年野球の男の子になるには無理が目立つ。コンクール形式の大会でなく大人を含め地域の人たちに観てもらったら大変喜ばれるいい劇だと思う。

・衣装:少年の衣装はシャツやズボンも現代のもので大人っぽく見える。昭和30年代のシャツやズボンを再現したい。

その他ー
・流行歌をBGMで流すだけではなく舞台で演奏したりコーラスで歌ったりしたのはよかった。
・監督の人物像がわかりにくい。話し方がワンパターンで癖が見える子どもたちへの反応が何となく型にはまっている無理をして人工的に作ろうとしているのが見える。
・力を抜いて自然に喋る時はいいが、早口で力一杯しゃべると言葉が上ずりわかりにくくなる。大人になってからのまことはやや朗読調が見えるところもありやや一本調子なところもある。

NO.11
福山中高等学校    上演作品 「夏芙蓉」        (越智 優 作)

総 評:後半は劇のどんでん返しもあり緊迫感もあって観客をひっぱていけるが、前半の長くて淡々とした会話でもっと工夫をしたりしゃべり方や動きなど表現を微細で豊かにしないとお客さんは舞台から離れる。そこがこの劇の難しさ。キャストによっては高い声でキーキー喋るので言葉がわからず聞いていて疲れた。終わりの方になるとしんみりとした空気や悲しさがよく現れていてよかった。

装 置:とても丁寧に作っていてよかった。また机やイスの並べ方に工夫があり舞台がとても落ち着いて見えた。
・深夜の校舎内へ入り込んだという設定なのだから初めから大声で喋るのは不自然ではないだろうか。周囲への配慮は必要。それがこの劇の雰囲気の基調をつくる。
・同じ高校生なのだがもっと個性を出してお互いの関係がわかりやすい様に演出し演技したい。

・総 評:それぞれのキャストが役の個性をしっかりと押さえて役作りをしていて劇で人物がしっかりと自立していた。発声もよく言葉がとてもよくわかり安心して劇に身を任せておられた。原爆で死んだ律子の扱いについては違和感が残った。亡霊(幽霊、幻想)を登場させるとき一定の約束は必要ではないだろうか。死者を現存者とまったく同等に扱うというのは無神経な気がする。
演技や発声がしっかりしているので高校生を超えた舞台という印象も持った。どっしりとした重量感が心に残る舞台だった。
・装置、衣装:装置は上手に部屋、下手が庭というよくある典型的な作りだった。大きな問題はないが少し工夫がほしい。庭は部屋に比べてあまりにも殺風景だった。
衣装はそれぞれの年代を表し個性がありよかった。

・劇の冒頭から高校生のあやは大声でしかもオーバーな動きや表現で喋っていたがまだ観客は理由が分からないので付いていけない気がした。観客の心理状態も考えて喋り演じて欲しい。さらに自分の家の老人問題なので大げさに大声で声を張り上げると何となく違和感が生まれる。老人問題は大変なだけに地に付いたもので、無言で耐えて世話をするという苦しみが前提にある。ましてや身内の問題になるといつも派手に言い合いなどしてはおれない。要するに演じすぎない方がこういう劇にはリアリティがある。
・死者の律子が押し入れから出て来るとあやにも清子にも見えて話しかける。あやに見えて大騒ぎをするのだがこの劇作りとしては筋違いではないかと違和感を持った。

NO.13
尾道高等学校 上演作品  「Smoking Boogie]  (永畑聡之助 作)(松岡興平潤色)

・総 評: キャストがみんな役の個性を生かして思い切って動き堂々と演じたので安心して最後まで観ることが出来た。ストーリーも次ぎ次ぎと予期しない仕掛けや展開があり観客を引きつけて最後まで引っ張っていった。あちこちで何度も笑いがありラストでは感動もあって最後まで観客を巻き込んだのは素晴らしかった。キャストも9人ともよく訓練されていて演技が安定していた。
・装 置:喫煙室の背後を大きな窓にしてその向こうの廊下を歩く人が見えるようにしたのは素晴らしかった。それによって劇の奥行きや広がりが生まれ外部の風が吹いて劇の風通しがとてもよくなった。喫煙室も舞台前面にとったのも広く使えてよかった。廊下や喫煙室の壁のポスターや掲示物も適切でよかった。
このような大がかりな装置を作り運ぶのは大変だったと思うが、それだけの苦労や努力の報いは十分あった。
・遺書を泣きながら読むとき言葉が聞き取りにくいところがあった。
・2時間ものの脚本をⅠ時間に潤色したといが、とてもうまくカットし潤色していたと思う。ラストに近い場面では少し「お涙ちょうだい」式のくどさが少し感じられた。もう少しサラッとした方がこの劇にはふさわしい気がする。観客には十分伝わっているからである。
・脚本はよくできているがネット台本特有の劇作りの特徴がある。それは単純に言えば観客を笑わせ感動させ演劇特有の一体感を劇場に生み出すために意表を突く仕掛けやどんでん返しなどを次ぎ次ぎと仕組むことを最優先して台本が書かれていることである。そのために深く堀下げるのではなく問題を単なる素材として扱う軽さが全体にあるということである。人によってはこういう傾向を好まない人もいるのは事実である。高校演劇とは何か、という問題に立ち返ることになる。一朝一夕で答えはでない大きな問題が横たわっている。審査会でもこの点が議論になった。ぼくとしては、若干プロの真似、亜流、という印象はのこるけど、高校生がこれだけの舞台を創ったという点では高く評価した。

審査会では5人の審査員の話し合い、投票の結果(二重丸2点、丸1点の合計)最終的に沼田高校、鈴峰女子高校、尾道高校が同じ7点になり、2校に絞るために議論した。それぞれの学校の問題点が出された。鈴峰は同じ7点でも全員が選んでいたので最初に決定した。沼田は問題点はあるが修正は可能であり中国大会に出ても広島の代表として戦えるという意見がでた。尾道は会場との一体感では素晴らしい劇だったが人間の描き方の浅さを指摘する意見もあり、議論がつづいた。最終的には沼田が選ばれたが、審査というのはいつも紙一重の差である。

中国地区大会では、十数年前から、審査員がどの劇を推したかわかるように公開することに決まった。全国大会が以前からそうしていたし、ブラスバンドの大会なども公開していたので、ぼくも審査の公開には強く賛成した覚がある。広島県大会の審査の結果もきっと会報で公表されているはずなので、ここに書いたことは別に秘密の漏洩ではない。講師は工藤千夏さん(青年団演出部所属・演出家)、すはま、久保先生、掛谷先生、矢野先生でした。

(沼田におられた須藤先生が舟入へ、舟入の黒瀬先生が沼田へ転任しておられたのでびっくりした。岡田先生の舞台も久しぶりに観て感心するとことが多々あった。方山先生が創作された劇は初めて観た。イメージが豊かに広がってとても楽しい劇だった。松本先生の創作にも彫りの深い斬新なものを感じた。尾道は脚本さえいいものに巡り会えばすごい舞台が生まれそう。こういう中で2校しか出られないのは大変だなと思う。観音高校におられていい劇を書き創っておられた藤田卓先生が研修会に出られてとてもなつかしかった。声を聞かなかったのでどうされたのかなと思っていたけどもう退職されていたんだ。

尾道の山の頂上に城が見えた。尾道を治めていた武将は誰だったかなと思いながら、「誰が作った城?」と聞いたら、「あんなの商売人が宣伝に作ったんだわね」とのこと。なんとなんと!ことばがでてこないすてきなおのみちでした。)

 

岩町功著 評伝『島村抱月』上・下巻 

岩町功先生のライフワークの一つでもあった島村抱月の評伝が上、下巻になって出版されました。上巻だけでも811ページ、更に巻末には克明な事項索引、人名索引21ページがついています。抱月の克明な評伝であると共に、抱月の父が鉄山師として活躍した時代のたたらの歴史などがとても詳しく書かれています。貴重な写真や統計や資料も豊富で、さすがは経済学部で学ばれた学士だと納得迂しました。文学的なセンスと共に社会科学的な蓄積が光っています。単なる抱月の人物伝ではなく、彼が所属し、生きた社会や組織、人物などとの関係が実に克明に書かれています。

この上下2巻の書評を頼まれて山陰中央新報で紹介しました。ていねいに読んでいったので1ヶ月近くかかりました。もともと遅読な上に抜き書きしながら読んだものですから余計に時間がかかりました。大部な書ですから飽きるかと思いましたが、そんなことはなくとても面白く読みました。推理小説仕立てのように、疑問を提出しておいて、それを資料などで解いていくという書き方です。著名な人物も次ぎ次ぎ登場しますのでそれも興味を引きます。早稲田に学んだ者にとっては当時の都の西北を知る貴重な書物でもあり熱い血潮がたぎります。

発行所は石見文化研究所(697-0027 浜田市殿町48)です。定価は上下で8400円です。図書館などには必携の書物です。

書評 克明な『島村抱月』評伝 岩町功著
歪んだ評価正す ー近代演劇史に貴重な一石ー

待望の著書が刊行された。上・下巻で千七百ページ。多くの資料を駆使して書き上げられた抱月の克明な評伝である。
同時に、江戸末期からの鈩業者・祖父一平から、平成十七年抱月の三女トシが永眠し、島村家の血が水に帰すまでの壮大で悲痛なドラマでもある。
さらに、歪められ不当に評価されてきた抱月の実像や業績に真実の光を当てようと四〇年にわたり資料を集め検証してきた岩町氏が世に問う意欲的な研究論文でもあり、実証的な近代演劇史であり、現代にも通じる熱い演劇論の書でもある。
巻末の詳細な年譜や工夫された索引、五百以上の膨大な参考文献も読者や後続の研究者にはありがたい道しるべである。
著者には三十一年前に出版した同名の本がある。祖父一平のルーツ探しから始め、石見の鉄山の歴史、現浜田市金城町で生まれた佐々山瀧太郎が貧困のため十二才で浜田へ出て働きながら夜学へ通学、十八才のとき検事嶋村文耕に認められ養子縁組、学資援助を受けて東京へ発つまでのことが書かれている。
昭和五十三年にこの本が出たとき、江藤淳は朝日新聞の文芸時評で高く評価し、司馬遼太郎は、「経済史の学徒で演劇にも明るい希有な研究者を得て抱月はまったく幸福だ」と書き記している。
今回の評伝ではその後の研究成果を取り入れて書き直してある。
抱月は優秀な成績で早稲田大学を卒業、大学の援助でイギリスやドイツへ留学、帰国後は新進気鋭の教授、『早稲田文学』の編集者として文芸評論や演劇論で第一線に立ち、坪内逍遙の期待を受けて文芸協会を設立。そこで研究生の松井須磨子と出会ってから運命が一変した。恩師逍遥と袂を分かち、協会二期生や須磨子と芸術座を創立、家庭を捨て須磨子と暮らし、新劇を上演して全国を巡業、台湾や大陸まで公演して回った。
芸術性を最優先する小山内薫は、「新劇を低俗化した」と非難し、抱月は「芸術性と大衆性、二元の道」を追求していると反論したが、なぜか現在まで小山内流の説が抱月の評価になっている。
「これまで日本新劇史は抱月を俗物化するために随分手を貸したが、抱月の卓越した思想には一顧だにしていない」と憤慨し、著者は膨大な記録や証言を載せてこの歪んだ評価を正している。日本近代演劇史に投じた貴重な一石である。
大正七年四十八才でスペイン風邪で死亡、二ヶ月後須磨子、後追い自殺。
「まとまった仕事をするとき必ず不幸に逢う」と抱月が述懐したように、今回もそうであった。
身を潜めて暮らす家族。実父の焼死、未婚を通した三人の娘、結婚後二ヶ月で戦死した長男、一高生で自死した秀才の次男。
抱月の影の側面も著者は記録や面接を基にあえて事実を公表する。それが鎮魂であると信じて
「抱月のような人になるな」と祖母から言われて育ったと岩町氏は語る。
抱月は「女に狂って家族と教授の職を捨てた男」であった。
芸術座は山陰公演では大田まで来て相生座で『復活』を公演したが、浜田へは行かなかった。そこは「父の借金取りが待つ町」でもあった。
「抱月のようになって」書かれたのがこの本ではないかと筆者には思える。
当時の著名な小説家や演劇人などがたくさん登場するのも楽しい。また疑問を追求する推理小説形式で書かれているので、小説のように読めるのもこの本の特徴である。

第50回広島県高校演劇大会舞台評です(NO.1)

(テストです。書いた文章をそのままにしておいてやがて消去処分にしてもなんだかもったいないので、整理を兼ね、興味がある人に多少でも役に立てばと思い、載せることにしました。)

平成22年11月13,14日に尾道のしまなみ交流館で広島県大会が開かれました。参加し、依頼された舞台評を書いていましたの写真を入れて紹介します。

上の写真はしまなみ交流館です。平成17年にはここで45回大会が開かれ守輪咲良さん(劇団「咲良舎」主宰)と講師を務めたことがあります。大田高校で教えていた卒業生がインタヴィユーにきてビックリししました。中国新聞社記者になっていたのです。2日後の新聞へとてもいい記事を書いていました。

次の文章はパンフレットに載ったものです。

上演順に6校までの舞台評を紹介します。あくまですはまが感じて書いたことです。こうゆう見方もあるのかと参考になればそれ以上のことはありません。写真は舞台風景として載せました。

第50回広島県高等学校総合演劇大会 講評
NO.1
三原東高等学校    上演作品   Let’s begin   (坂本良子 作)

メモより:
・総 評3人の高校生の会話だけで成り立っている劇。幼なじみの3人が進路を真剣に考えて悩み議論する。台本にも思わぬ展開や仕掛けがあり劇として工夫してある。後半はやや教訓染みていて作者の手中で人物が動かされている不自然さがあるが誠実な台本で、舞台も演技も飾り気がなく台本をそのまま素朴に演じた劇だった。

・台本を読んだ時、高校生らしい生き生きとした会話を舞台で表現できれば自然で心温まる劇になるだろうと思ったが実際は平板な劇になった。精一杯声を張り上げて喋るところが多く言葉が分かりにくい。声を張り上げて喋ると一本調子になり登場人物の気持ちが表現できない。東と裕太が机を挟んで進路について話す場面は声も自然で聞き取りやすかったが、座ってばかりいては変化がない。動きで心理を表現したい。

・喋るとき、相手との距離によって声の強弱が必要。同じ調子では不自然。
・舞台では事件が何も起こらない会話劇で、よっぽど会話による表現が豊かでないとお客さんを引きつけるのは難しい。会話の表現も強弱だけではワン・パターンになる。
・暗転で劇をプツプツ切ってはだめ。暗転処理に工夫をしてほしい。
・会話だけで引きつけるのは難しいので小道具などを利用したい。装置も机だけでは単調。何か小道具や装置を持ち込むことによって劇がやりやすくなり、舞台の表現が多彩で豊かになる。
・父親が死んでからの戸田の心の変化をもっと出したい。
・脚本の面白さがあちこちにあるが、一本調子の演出演技のために舞台でそのおもしろさが十分生かされなかった。
NO.2
舟入高等学校    上演作品  「夕凪の街と人と」  (太田洋子作 作)(須崎幸彦 脚色)
メモよりー
・総 評:劇全体を通して、劇作りの強い意志や知的な密度の高さを感じて圧倒された。
広島の文学者を素材にして高校生の取り組みを描いていて、今までにない原爆への新しいアプローチで新鮮な印象を受けた。劇としては印象に残る場面がたくさんあり劇作りのうまさを味わった。劇中劇と部員の議論が同じ比重だったためか、一本通して訴えてくるものがやや弱く、強烈な各場面が孤立した印象として残った気がする。
・あちこちに印象的な場面がたくさんあった。
・幕開き:「コレガ人間ナノデス」を群読しながら被爆直後の被災者の行進場面は強烈な印象で舞台が立ち上がった。言葉が立ち上がって動き出した気がした。
・太田洋子をみんなで非難。水爆。洋子の「ざまみろ!」の場面も強烈だった。
・蛍の場面は舞台にさわやかな叙情があふれた。

・装 置:立体的でよかった。下手に台を二つ置いて演技したので複雑な劇が立ち上がってわかりやすくなった。吊り物は抽象的でいろいろな場面の表現に使われて劇が豊かになった。しかし基町の河原の場面で石垣に思えなっかのは何故だろう。

・発 声: 力を抜いて自然に喋るときには言葉がよく分かるが、力むとわかりにくい。
・最初の議論の場:動いて大声で喋り議論するが何故そんなに対立しているのか分からず付いていけない。特に明奈は最初から原爆劇に強い不信感を持っているが攻撃的すぎて、何故なのかすぐについていけない。
・不自然さ:劇が3分の1くらい進んだところで、篤子が大田洋子を素材にして書いた台本を取り出し、みんなですぐ練習し始める。しかもとても完成度が高い演技。数日前から渡しておいて練習していたことにしてはいけないのか。または大田洋子だけは衣装をつけて演じ、他のものはそのままの服装で演じるたらどうか。その方が自然で納得がいく。

・テーマが一本化しない問題:この劇は大田洋子の劇と原爆劇を取り上げるかどうかという部員の意見の対立と議論で構成されているが比重が同じで印象が分裂し弱まる。1時間の劇ではテーマは一本に絞ったほうがいい。大田洋子と基町のバラックを中心に劇にしても十分インパクトがあると思う。

NO.3
大門高等学校  上演作品  「トシドンの放課後」   (上田三和 作)

・総 評:この劇は異質の世界に生きる二人の高校生がだんだん近づき友情まで育って行過程と別れを描いたものである。その過程の表現がやや一面的で荒っぽかった。
全体的に素直な演技で好感は持てたが、もっともっと細かい心理に気を配り神経が行き届いた演出や演技をしたい。

・装 置:大がかりな部屋をよく作っているが何の部屋かわかりにくい。ポスターや掲示物などや置物などを工夫して、何の部屋かすぐ分かるようにしたい。
・机の配置:長机と生徒用机を客席に向かって並べていたが、これでは二人が対等に前を向いて話すことになり、何かのスピーチのようで二人の人間関係が出せない。
暗転:ギターの曲で暗転をつないでいたがとてもよかった。曲は劇に合っていた。
劇のリズム:あかねが「も分かったてば!」と勢いよく部屋へ入って来る場面は劇の単調さを破り劇のリズムを作った。
・衣 装:先生は新卒と言うことで黒いスーツにしたのだろうが、生徒の黒い征服と同じに見えて差が出なかった。新米と言えども社会人。もっと工夫したい。
・人間関係:この劇では不登校の平野と非行を犯したあかねというまったく正反対の心理状態の人間を同じ部屋に閉じ込めるということからスタートする。二人がすぐ馴れ馴れしく話し始めてはこの劇の狙いから大きくはずれる。違う世界を持った人間が徐々に近づいて行き、最後には友情さえ生まれる。その心理の流れをしっかり追って行かないと荒っぽい劇になる。

・平野は熱心に登校して頑張ったのだがついに単位は認められなかった。がっかりした内面はしっかり出してほしかった。
・トシドンの面を持ってあかねが平野へ説教する場面はもっともっと力強く泣きそうになるほどの迫力で演じて欲しかった。それによってこの劇は一段と現実を突き抜け大きく飛躍し強い感動を与えるはずである。

NO.4
広島高等学校   上演作品  「Letters]        (木川田敏晴 作)

総 評:3人だけの会話劇だがそれぞれの個性をよく生かして演じていたし、何かを予感させる劇の流れとテーマをうまく押さえて劇を作っていたので観客を引きつけ、おもしろく最後まで観ることができた。
・装 置:バックに5枚の白い壁。女性中心の演劇部室らしい置物が生きていた。下手の台が劇の中で有効に使われていた。さらに立体的な舞台にすると劇も立体的になり生きてくる。
・感心した場面:小林が書いたラブレターを美枝子が読むときただ読むだけではなく、同時に二人の演技がありおもしろかった。・3人の個性を出してうまく動きも取り入れてお客さんの意識を引っ張っている。・小林は力を入れて喋ると言葉が分かりにくい。しかし3人がリラックスして自然に喋ると舞台がお落ち着く。・静かに入って来るギターの曲は美枝子の心を表すようで効果的だった。・二度目の暗転の時にもギター曲を流せばよかった。
・雪:ラストの雪の場面でエフェクトマシーンがくるくる回り激しい雪になった。劇とは別の世界がホリゾントに展開された。無理になくてもいい。想像力で観客はゆっくりと降ってくる雪をイメージしているのだから。

NO.5
尾道北高等学校    上演作品    「KTK」        (演劇部 作)

メモより:
総評:会話だけで成り立つ劇なので観客を引っ張って行くためには工夫が必要。つばささんに出会って二人の高校生が明るく前向きな人間になっていく。すっきりして温かく面白いがコントを思わせる。帰宅部部長という発想は面白いが問題が安易に解決しすぎて作り話のような軽さもある。ドラマは葛藤が核にないと迫力がない。言葉だけで説明し言葉で解決してはドラマとして説得力が弱い。

・装 置:中央にベンチとゴミ入れの籠。上手にチュウリップの鉢。下手に黒い山の様なもの。これは滑り台の積もりだったらしい。全体に装置がばらばらで荒っぽい。ただ集めてきて置いただけという印象。
・会話劇:言葉だけで進めていく劇は難しい。身体表現や言葉の変化を豊かにしないと退屈する。全体に会話が平板だった。
・音 響:BGMがずっと流れていた場面があったが劇には逆効果。
・ストリーや人物に工夫を:KTKは学校の七不思議の一つとある。それならその部長をもっと奇抜で不思議で面白い謎の様な存在にしたらどうだろうか。七不思議だというのにあまりにも普通の高校生では劇が平板になる。

NO.6
基町高等学校    上演作品  「お喋りなものたち (松本誠司 作)

・ 総 評:発想が斬新でとても面白くユニークな劇だった。出だしのエレベーターの場面は不思議な世界を暗示しながら観客を物語の世界へ導入していった。地下の世界には子どもたちがいて、懸命に物語りをしている。一つの物語が終わると次ぎの物語。ベッドには子どもが寝ているという。技師がシーツをめくると白い煙のような物が舞い立つ。子どもたちをエレベーターに乗せて地上へ上がる。ふと気づくと子どもたちがいない。どうやら初めからいなかったらしい。技師は物語を語り継がなければいけないと誓う。それぞれの場面は印象的ですばらいい。しかし人間関係や地上や地下など場所との関係がぼんやりして分からない。劇全体を貫く太い骨が見えない。部分だけが目立って理解しにくいのが難点だった。

・装 置:エレベーターはよくできていたがフロアーに落ちた照明の輪が大きすぎてエレベーターの枠をはみ出ていた。四角な枠が投射される器具を使えばよかった。エレベータの台を上手に置いたので劇としてアクティングエリアが狭くなったことを考えると、台はなくてよかったかも知れない。吊り物の布は光によって多彩なイメージを作ることができて効果的だった。
・発声:全員発声がよくあまり力まずに話すので言葉がよくわかり安心して舞台に集中できた。劇中でのアナウンスの声と響きは古めかしい機械の雰囲気が出ていてとてもよかった。
・理解するためのキーワードを:分からない所を残したまま劇が進みさらに理解不能な箇所が次々と重なると観客はフラストレーションを起こす。イメージを主体にした劇だからそれ自体は人によって理解は様々でいいが、劇を作る側には明確なテーマや意図が必要だと思う。地上はどうなっているのか。お婆さんと子どもの関係は?技師とお婆さん、技師と子どもたちの関係は? 何故深い地下にいるのか?何故物語りをし続けるのか?ある程度分かるようなキーワードが必要だと思う。

以上6校でした。以上の文章は事務局長の依頼により各校演劇部へ提出したものです。次は7から13校です。そのうち掲載します。