「観劇」カテゴリーアーカイブ

H29, 独創的な新作オペラ「石見銀山」大田で誕生(観劇記)

7月2日、大田市民会館大ホールでオペラ「石見銀山」が昼夜2回上演されました。いずれも満席、終わると何度もカーテンコール、お客さんは大きな拍手とスタンディングオベーションで感動と感謝を舞台へ届けました。(ここで感動的な舞台写真を紹介したいところですが、できないので、世間に流布済みのチラシでどうぞ!)

石見銀山世界遺産登録10周年記念事業として実行委員会が結成され、オペラユニット「レジェンド」の皆さんの絶大な協力によって生まれたオペラです。日本で生まれたオペラは多くありません。作曲、脚本、オーケストラ、舞台美術、歌手、ホール、経費等々、難問の山だからです。それだけに作曲家、脚本家にとってオペラ創作は悲願だそうです。その悲願が石見銀山を舞台にして実現したわけですから、大田市にとっても大きなcultural heritageです。

昨年、オペラに石見神楽を取り入れる、と聞いた時、どうなるかと危惧しました。今まで劇に神楽を取り入れた舞台を見たことがありますが、みな付け添えでした。しかしこのオペラは神楽を中心に据えて創作されました。テーマの中心や周辺で神楽が重要な働きをしていました。この点について大屋神楽代表の松原さんも感心しておられました。脚本の吉田知明さんは真正面から堂々と取り組まれたのです。(神楽の場面は、銀山の鉱夫たちがお祭りで石見神楽を観て楽しむ、という場面だけと思っていた人が多いのではないでしょうか。制作者にも練習にも、その方がはるかに楽です)

事務局長の谷本さんから電話があって、4月初旬から演技やセリフに関してほんの少し係わったのですが、学ぶことがたくさんありました。台本は385ページ!楽譜や歌詞や総てのことが書き込まれています。あちこちにあるセリフや時間の流れも、すべて音節最優先です。「ここでもっと間をとってください」などと言ったら、流れやテンポが台無しです。花音の皆さんを中心にした合唱はかなり仕上がっていました。しかしあちこちにある劇に近いセリフ、40人近い鉱夫たちの舞台での集団演技。それは単純で簡単そうに見えても、とても難しい。振り付けの嘉田さんは東京の中村さんとメールでやりとりしながらノートにメモして頑張っておられました。現地にこういう人がいないと、積み重ねた練習が振り出しのもどります。音楽の指導者をはじめスタッフの皆さんの大奮闘に頭が下がりました。

(練習中の舞台。手前は山陰フィルハーモニー管弦楽団 指揮は中村匡宏さん)

練習中の中村匡宏さんの「一瞬一瞬を、つまらないとは思わせないようにする」といわれた言葉が、度重なる練習を通して本番の舞台で実現したのを目の当たりにしました。
石見銀山の民謡やそれを基調にした音楽や歌も素敵でした。今でもふと気がつけば、メロディや歌が耳で響いていて、驚くことがあります。衣装や舞台装置も素敵でした。最初、鉱山の女性労働者に白い衣装?と一瞬思いましたが、ナールホド、とその舞台上での効果に感心しました。

オペラがクライマックスを過ぎると、何故か「魂の救済」という心情が伝わってきました。古来からの純粋に日本的な魂の救済ですが、オペラの本家である西洋の人たちの目には不思議な魅力があるのではないかと思いました。科学的、合理的ではない未知の不思議な世界です。9月25日には新国立劇場で上演予定で、チケットは完売だそうです。今後の発展が楽しみです。すばらしいオペラをありがとうございました。おつかれさまでした。東京公演、成功を確信しています。

追記 参考までに:
脚本について数名の人から疑問や質問がありましたので、参考までに記しておきます。
島根県史資料編に「おべに孫右衛門ゑんき」が掲載されています。その中に次のように書かれています。(「清水寺天地院縁起」にもほぼ同様な記述があります。「石見八重葎」にも)

『おべに孫右衛門ゑんき』(一名『銀山旧記』)
石州仁万郡佐摩村白銀掘り初る事
大永六年丁亥三月廿三日ニ山人仕候、
此白銀仕始る者ハ、雲州田儀三島清右衛門殿、大工をつれ来る事、
雲州杵築の内鷺の銅山より下り申候、
大工吉田与三右衛門殿、同藤左衛門殿、おべに孫右衛門殿三人頭として銀を掘申候
大永八年八月十八日おべに孫右衛門殿事を山の敷ニて打果し候、然ル処に吉田与三右衛門殿、同藤左衛門殿、両大工に罷成候、左様二候処、孫右衛門両大工に種々崇をなし候而、 今の山神の脇ニ社を立置候、妻の山神と申すハ是なり、

大屋神楽の創作神楽「於紅谷」のあらすじ:
与三右衛門の妻・「お高」は、孫右衛門に恋心を抱いた。そのため孫左衛門は吉田兄弟に殺され、お高も自害。怨念から竜蛇になって祟(たた)り、銀山には災いがつづき銀の産出量も減少。見かねた大山津見命が竜蛇を退治し、お高の怨念を払い孫右衛門の御霊を土山津見命と讃え、お高と共に祀り、銀山に平穏がもどった。

「孫右衛門縁起」には「お高」という女性は出て来ません。『新 石見銀山物語』を執筆された故・石村勝郎さんが、原典からイメージをふくらませ、お高という女性を創作、6ページにわたって悲恋と怨念、救済の物語を書かれました。大屋神樂の「於紅谷」は、これを参考にして創作されたものです。男女の怨念という普遍性や現代性もあり、魅力的な創作神楽です。

石村勝郎さんの本は十数冊本棚にありますが、いつも利用させてもらっています。新聞記者で郷土史家でもありましたが、詩人でもありましたので、歴史的記述のなかに、あちこちで空想的な物語が入り込んでいます。実証的でないという人もいますが、僕には石村さんの自由な発想がとても面白く、物語の核となり、広がっていきます。石村さんの功績を忘れてはいけない、という思いで、長々と書きました。たいくつさまでした。(e? taikutusinai? kokomade yomu hitowa oran. souka, soudane)(ブログ 詩の散歩道 観劇記 地域情報  20170708すはま)

H29 大田市波根で現代劇『ちゃんぽん』上演(観劇記)

5/14、波根町で『ちゃんぽん』(ユン・ジョンファン作、津川泉訳、演出・金築秀幸)が上演されました。チラシに「ニルソンカフェ」で上演とありましたが、旧石原旅館の舞台付き広間でした。カフェは同じ屋敷内にあります。旧旅館は、以前何回か行ったことのある懐かしい場所ですが、久しぶりに行ったので行きすぎて迷い、引き返して人に尋ねて、やっとたどり着きました。波根駅のすぐ近くでした。

なんといっても嬉しかったのは、劇場やホールではなく、普通の広間で現代劇を上演されたことです。会場を貸し出されたヒラタさん、上演を決意された劇団フレンズ装置の皆さんの心意気に感銘を受けました。ホールなどで上演すれば大金が必要です。前売り券も何千円になり、事務的な仕事や苦労も倍増。長続きしません。気軽に発表出来る場が必要です。「飲み物や食べ物は厳禁です」ではなく、「ビールでも飲みながら観劇してください」と、入口で飲み物や菓子類も販売されていました。いいですね。本来日本の地芝居は石見神楽と同じです。観客と共に楽しむ場です。うまく演じれば自ずと観客は静かになります。

脚本は韓国戯曲作家協会戯曲部門新人文学賞を受賞した作品で、多数の死傷者がでた1980年5月の光州事件を素材にした劇ですが、政治的な大事件を、「春来園」という小さな料理店で働く庶民の立場で、うまく絡ませて描いていました。店主ジャンノと恋人ミラン、ジャンノの妹で店員ジナ、その恋人マンシク。ケンカもしながら、みな普通のささやかな夢を持って生きていますが、次々と大事件に巻き込まれていきます。突拍子もないマンガチックな場面も多いのですが、それを重ねて、「普通の夢が失われていく悲しさ」を舞台にあぶり出していきます。三人を失った店主のジャンノが回想するラストシーンは感動的でした。ジャンノの目にも涙があふれていました。好演でした!

劇というものは、あくまでフィクションで作り物で嘘ですが、その「嘘」から「真実」(うそからまこと)を創り出すのも劇です。おもしろおかしく奇想天外なフィクションを積み重ねてお客さんを楽しませて引っ張り、その中から一つの真実を紡ぎ出し突きつける ー そのうまさを見た気がしました。

劇では、劇への切り換えがなんとなく進んだことや、出だしの演技やセリフにも日常性がありすぎて、普通の人が劇じみたことをしている感じがしましたが、ストーリーが展開しテーマとのからみが見えてくるにつれて、だんだん迫真力が出てきて、それぞれの人物にも血の通った人間性が見えてきて、展開とともにそれが統合され、最後は感動的でした。発声や滑舌にはちょっと個人差がありましたが、スピーデーにセリフ喋り、言葉がわかる点ではかなり練習を積み重ねておられると思いました。

出雲や雲南では、最近特に、若い人たちの演劇活動が活発になりましたね。その余波が津波のように波根まできたのでしょう。大田よ!どがするだ。

帰るときに、ヒラタさんが、「ここで朗読をやりませんか」と声をかけられました。そのうちニルソンカフェへ行ってゆっくりコヒーでもビールでも味わいながら話してみましょう。

みなさん、おつかれさまでした。いろいろな意味でとても刺激になりました。ありがとうございました。
(ブログ 詩の散歩道 観劇記 すはま)

H28 松江工業 三刀屋高 中国大会へ(高校演劇県大会)

第40回高校演劇島根県大会は9校が参加して加茂町のラメールで行われ、松江工業と三刀屋高校が最優秀賞を受賞し、中国大会への出場が決まりました。充実したレベル高い大会でした。中国大会は11月26,27日、総社市総合文化センターで開かれます。
dsc07549%e3%83%a9%e3%83%a1%e3%83%bc%e3%83%ab(ラメールです。童話に出てくるような夢のあるおもしろい建物ですね)

島根県大会 雲南市加茂文化ホール ラメール
 横田『眠れる森の少女』(作:伊藤靖之)奨励賞
松江農林『めろん』(作:高橋幸雄)、
松江商業『Canon~大きな桜の樹の下で~』(作:伊藤靖之)
三刀屋『笛男~フエオトコ~』(亀尾佳宏) 県代表
松江北『桶屋はどうなる』(作:三輪忍)
松江工業『僕と先生』(作:伊藤靖之) 県代表
情報科学『トシドンの放課後』(作:上田美和)、
明誠『修学旅行』(作:畑澤聖悟)、
出雲『カケル』(作:出雲高演劇部)創作脚本賞

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横田高は一年の松田さんの一人芝居。大健闘です。顧問の伊藤先生が出雲から転任した最初の創作で参加。どうなるかと思っていましたが、さすがですね。情熱があれば一人でも参加できる!見本です。発音もきれい。単調になりがちな一人舞台をうまく照明や音楽を生かしていました。松江農林高は、「笑って泣かせる劇」を皆さん達者に演じとても楽しい舞台でした。発声もよく言葉もよく分かりました。装置も手を抜かず工夫してありました。登場しない父の扱いが重要な影の役をしていますが、その扱いに工夫が欲しかった。松江商業高校の部員は36名!すばらしい。きっと部活動に惹き付ける楽しさや魅力があるのでしょう。舞台にも多くの人が出て転換も多いのですが隙間のない処理や展開はみごとでした。脚本は入れ子構造になっていて複雑。部分ごとの面白さはうまく演じて美事なのですが、全体を貫く太い骨がほしい気がしました。
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三刀屋高は亀尾先生の旧作『笛男~フエオトコ~』。平成15年27回大会で松江工業が上演したのを観ていますが、とても素敵な劇でした。このところ三刀屋は脚本選択に苦心していましたが、男性も入って選択の巾が広がり、部員の力量が生かせる脚本に出会うことができました。音響、照明、演技、演出など総合的に完成度の高いとてもいい舞台でした。子どもって残酷なんですね。それを意識していないだけ。なつかしい世界がほろ苦く蘇ってきます。人間関係が少しぼかしてあるのは意図的かそれとも観客の理解不足か、そんなところも議論になりました。

5%ef%bc%8e%e6%9d%be%e6%b1%9f%e5%8c%97松江北高の劇は舞台にゴミの山。劇はとても抽象的で分かりにくいのですが、ゴミという具体がリアルで生きていました。衣裳なども工夫してあり、少ない部員でよく頑張ったという声がありました。
dsc07512松江工業は3年連続中国大会出場。舞台装置や演技、演出など総合芸術として完成度の高い舞台でした。よく上演される有名な既成の脚本ではなく、あまり知られていなかった伊藤作品を美事に舞台化して新鮮な劇にして見せてくれました。発声や演技も安定し、さらに意表を突く舞台装置が劇を新たな世界へ展開し深化させるという美事な舞台でした。男性が多いので無理のない自然な発声が抵抗なく届きます。「批評とユーモアは裏腹の関係」と詩を書く時、よく思うのですが、この劇でもそのことを何度も思いました。単なる笑いではない。伊藤作品には批評眼が裏打ちされているのです。
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情報科学高は全国でよく上演される『トシドンの放課後』おとなしい不登校生と問題の多い女性徒を同じ部屋に居らせることによって起こる心理的な変化を劇にしたものですが、真反対の正確の男女が親近感や共感を持つようになる微妙な過程がうまく演じられないと感動は薄くなる。二人の位置、先生の言葉など細かい演出が必要だと思った。一般の人たちには感動があったかと思う。
石見部から唯一出場した益田市の明誠高校。演劇同好会が生まれ(高校演劇で活躍した村上彩音さんが先生になって着任し同好会が生まれた、いや、ウンダ)演劇部になって多分一年。そんな短期間にここまでの舞台を創りあげるとは美事!いや、感動的!です。10人以上舞台へ出るのですが、みんな堂々と演じ声もよく通りました。先生を戯画化し過ぎて笑いの対象として演じたところに違和感がありましたが、その男性も堂々と演じていて楽しかった。今後が楽しみです。

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伝統のある出雲高は顧問の伊藤先生が横田へ転任。どうなるだろう、と思っていましたが、部員の皆さんが力を出し合って新鮮な創作脚本を創り、舞台でも自信をもって堂々と演じました。出雲高の舞台はいつも役者の足が地に着いている(ヘンダナ?床に着いている?コレモヘンダナ)ので安心して観ておれます。この劇も照明、音響、演出を含め、しっかりした舞台でした。劇がはじまって36分過ぎたごろからストリーが動きはじめ展開する。そんなまどろっこしさがあった。Ⅰ時間の劇では10分以内にテーマが展開しはじめないと、結局、遊びに付き合わされることになる。理想的には、ストリーと遊びは同時に展開したいものです。創作ではどうしても別々になりがちですね。(おもしろい場面はつい調子に乗って書きすぎてしまうので)演出の観点から、ちょっと第三者の目が入れば、不確かなところが明確になったり、展開に関連性が生まれたり、完成度が高まったかと思いますが、皆さんが知恵を寄せ合ってつくりあげた新鮮な舞台だったことは確かです。

九校の劇を簡単に紹介しました。今回の講師は昨年につづき、大島宏美、洲浜昌三、審査員は木村文明、勝部加緒里、神山正博先生でした。審査ではあまり意見が異なることはなく代表校を決定しました。中国大会を大いに楽しみにしています。

みなさん、おつかれさまでした。

H27 松江で「そよ風コンサート」を聞く

2015.6.21、プラバホールで「そよ風コンサート」があり、大田から3人で聞きにいきました。これは松江市津田公民館の活動として平成17年に結成され、今年で10周年になり、その記念コンサートとして開催されたものです。本当にさわやかでセンスのいい舞台構成で楽しい時間を過ごしました。

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プラバホールの中に入ったのは初めてです。市立図書館が併設されていて、自由に入って閲覧でき多くの人がソファーで本を読んだり休んだりしておられました。とてもいい雰囲気で利用しやすく、本の陳列にも工夫があり、感心しました。

30分前になり、図書館から出てホールの方へ移動し、受付を通ると、パッ!鮮やかな花が飛び込んできました。思わず立ち止まり、永久保存とばかり、パチリ!

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津田公民館のコーラスの指導者の名前が書いてありました。女性らしい細やかな配慮ですね。

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パンフレットの表紙もいいですね。誰がつくったとも書いてありませんが、さわやかです。

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さすがは音楽のために作られたホール。客席のスロープの傾斜がゆるいので、見下ろす感じがなく、ほぼ平行な視線で自然に舞台の合唱を聞くことができます。残響音は大田市民会館より長い気がしましたが、音楽には長い方がいいのだと、福山市民会館で聞きました。あそこは長い。演劇では残響音が長いとことばが分かりにくくなる。(よこみちへそれるな!はい)

合唱も素敵でした。指導者と同じエリザベト音楽大学の卒業生で結成されている「エリザベトフレンズ松江」の皆さんが友情出演され、プロの力量でバックアップされたのも素敵でした。

最後には「ふるさと」を洲浜満子さんの指揮でみんなで歌いました。本当に若葉の上を流れるさわやかなそよ風のようなコンサートでしたよ。おつかれさまでした。

その手はちょうちょう

ふたつの羽でしなやかに風をすくう
ちょうちょのように
その手はぼくを乗せ
ぼくは若葉の間をひらひら舞いながら
大空へ飛んでいき
気がつくと宇宙を泳いでいる

手のしなやかな動きに乗せられて
野を越え山を越えて
青空へ舞い上がり
いつのまにかぼくは
小川のせせらぎを聞きながら
みどりの林の中を歩いている

指揮する手に乗せられて一緒に歌いながら、こんな詩のようなものが胸に浮かんでいました。
みなさん、ありがとうございました。

H26 広島県高校演劇大会(福山)観劇記

2014年(平成26)11月22,23日、福山市で第56回広島県高校演劇大会が開かれました。
福山リーデンローズのホールは2000人以上のキャパという大ホールです。

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事務局からの急な依頼でしたが、都合よく空いていましたし広島の高校演劇とは当初から縁があり喜んで出かけました。懐かしい先生方に久しぶりに会いました。伊藤隆弘先生の変わらぬ笑顔もなつかしく、嬉しく、その元気な姿に励まされました。

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平成26年度 広島県高校演劇大会(福山リーデンローズ)

1. 福山明王台高校 「祭りよ、今宵だけは哀しげに」  加藤純・清水洋史 作
2.比治山女子高  「恐怖のズンドコ」       柳本博 作 土井一生潤色
3.福山中・高等学校「止まった針を」        林 名央 作
4.広島観音高校  「ミサンガ」          森井あや香 作
5.清水ヶ丘高校  「梅入りおにぎりはいかが」   岡田隆一 作
6.鈴峰女子高校  「夏の夜の…」         畠山真代 作
7.尾道北高校   「KTK2014」                  尾道北高演劇部 作
8.舟入高校「広島戦災孤児養成所『童心寺物語』」吉本直志郎 原作 須崎幸彦構成・潤色
9.基町高校 「うつつうらしまー浦島子・高橋虫麻呂異聞-」松本誠司 作
10.尾道中・高等学校 「急須で淹れた紅茶」コダルマ・ゴロウ 作 中村春菜 潤色 11.呉三津田高校   「銀河旋律」          成井豊 作
12.沼田高校     「はないちもんめ」       黒瀬貴之 作
13.福山中・高等学校 「僕のばあちゃん」       新宮正一 作

講師審査は長田佳代子先生(舞台美術家)、洲浜昌三(劇研「空」代表、全国高演協顧問 )審査員は広島県の演劇部顧問の先生3名、計5名。代表校は舟入高校、沼田高校。

中国大会は12月20,21日松江の県民会館で開催。島根は出雲、松江工業、安来高校が出場。岡山では岡山工業高校が出場しますが、顧問の森脇健先生は大田高校の元演劇部員で、劇研「空」の劇を手伝ってもらったこともあります。

この冊子は、閉会式での講評を少し詳しく劇評として書き、求めに従って、事務局(舟入高校・須崎幸彦先生)へ提出、各上演校へ送られた原稿をまとめたものです、参考になれば幸いです。誤字等は判読ください。文中の写真は遠景撮影という条件で担当者の許可を得ました。

広島県大会へ行ったのは今回で8回目になります。 広島県大会は各校の劇評メモを渡すことになっています。大会中は書く暇もありませんので、後日書いて、事務局へ送りました。その冊子版を紹介します。あくまで洲浜の見方であることを前提にして読んでください。ぼく自身、劇を上演して、劇の感想や批評を聞くのがとても勉強になりました。芸術や文学、演劇は多角的な視点からの批評が養分になります。高校演劇を応援するのが劇研「空」の一つの目標でもあります。このブログで高校演劇関係の記事はよく読まれています。中国地区大会で数人の顧問の先生から、「観劇記を楽しみにしています」と言われたのも励みになり紹介します。

H26 劇評 広島県高校演劇大会(福山)縦2段書き12.10

出雲高校演劇「ガッコの階段」舞台評です

平成25年度の高校演劇全国大会(長崎)についてはこのブログでも紹介しましたが、10月に行われた島根県大会で「見上げてごらん夜の☆を」が最優秀賞、中国地区大会でも最優秀を受賞して連続して全国大会へ出場することになりました。

2013年の島根の高校演劇関係のことは、このブログでも何度も紹介しています。検索して読む人が多く5つの記事とも閲覧のベスト10の上位を独占しています。そこで高校演劇を応援することを目標の一つにしている劇研「空」ですから、ここでもう一本硬派の劇評を紹介させていただきます。

全国高校演劇協議会が発行している「演劇創造」から7人の講師の舞台評です。「ガッコの階段」がどのように観られたか、とても参考になります。「演劇創造」は各学校の演劇部には届いていると思いますが、読んでいなかったり、顧問の手元で保存されていたりすることも多いかと思います。劇作りの参考になれば幸せです。

まず「演劇創造」のPRを兼ねて一面、二面を写真でご案内します。全部で8面あります。以前は冊子でしたからファイルに保存に便利でしたが、新聞になってからは保存が難しいので困っています。(カッテニコマレ。ベンリガイイカラシンブンニシタノダ)すみません。

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出雲高校『ガッコの階段』審査委員講評 演劇創造129号より

平田オリザ(劇作家)
島根県立出雲高校『ガッコの階段物語』も、震災をテーマとした作品です。いくつもの言葉遊びが仕組まれていて、巧みな構成になっています。残念なのは、前半をコメディタッチで後半は一転してシリアスにというのは、高校演劇では多くありますが、どうもその転換が唐突すぎる舞台が多く見られ、この戯曲もその感が否めませんでした。後半の展開を予感させる部分を、もう少し前半から折り込んでいくと、より重層性のある作品になったかと思います。

高校演劇の魅力は、皆さんが、不安定な「生」に立ち向かうところにあると私は感じています。その点ては、今年の全国大会は、まさに高校演劇の魅力満載の大会になったのではないかと思います。

乳井有史(北海道苫小牧南高等学校演劇部顧問)
これも大震災を経て作られた芝居である。学校の階段の持つ意味が、一歩踏み出すための勇気の階段であったり、人生を終える天国の階段であったり、津波から生き延びるための命の階段であったり、その意味がテンポ良く替わっていく。その展開は独創的である。部内で智恵を絞り、ワイワイと作り上げたと想像される奇抜さに満ちている。被災地ではない場所から被災を描くためには徹底した誠実さ、リアルさが求められる。津波と幽霊という題材に違和感を持つとの指摘がいくつか聞かれたが、創造力のある部である、この姿勢を深化させていって欲しい。

篠崎光政(日本演出家協会理事)
椅子の転換や場面転換の演出のスピード感は心地よい演出であった。階段をモチーフに演出の工夫が随所に生きていた。問題はそのアイデアにこだわりすぎ、作品の本質を深く大きく描くことが出来なかった点にある。生きる場所、生き抜く場所、惜しいアイデアだったが、説得力に欠けた。
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今井 修(演劇評論家)
生者が死者を悼み、死者が生者を励ます。東日本大震災の被災者への思いが強くにじんだ舞台。当事者でない生徒たちが、この題材を扱うには、様々な迷いやためらいがあっただろう。扱い方にもうひと悩みあっても、という思いも残ったが、敢えて挑んだ勇気をたたえたい。学校の階段の怪談話から津波の記憶へとつなげていく。様々な工夫の光る舞台だった。平面の動きが主体の上演作品の中で、高さへの着眼が新鮮。「階段・怪談・会談」といった言葉遊びに、牛ヤスター付き椅子での瞬間移動、訓練の行き届いた合唱……。中でも、ブルーシートを使った津波のシーンは圧巻。終わらない日常のメターファーとしての階段から、生きるための階段への転換を鮮烈に視覚化した。

松井るみ(舞台美術家)
階段は舞台美術装置の中でも最も使われる頻度が高く、俳優の立つ位置の「高さ」の違いで俳優の人間関係をビジュアル化できる。階段の意味が改めて問われており、興味深いと感じた。引用されていたエッシャーの階段は、騙し絵の階段であり、実存できないものを引用していた点は、もう少し考えても良かったかもしれない。キャスター付きの椅子を使って展開するのもスピード感があって面白かった。

清野和男(全国高校演劇協議会顧問)
設定は面白いと思いました。一つ一つのエピソードが、「人生を生きるということは一歩一歩を歩み続けている」ということの象徴であると感じました。しかし収束が少し安易になっていることが、面白さを無くしてしまったと思えました。しかし、演技者はテンポも良く、非常に緊張感を持って演じていたと思います。

高森 章(全国高校演劇協議会顧問)
「私たちの目の前にある階段は何のために上がるのか」という自問自答を、いろいろな見せ場を盛り込みながら描いてくれました。「生きるため」「生き延びるため」ということでしょうか。高くそびえる階段は、「たちはだかる」という存在感のあるセットでした。また、キャスター付きの椅子の利用は、スピーディな舞台展開に効果的でした。

それぞれプロの演劇人、演出家、舞台美術家です。清野先生は東北地区の代表、高森先生は中国地区の代表で、みな高校演劇の大ベテランです。篠崎先生には大田市民会館で中国大会を開いたとき講師で来ていただきました。

どの舞台評にも同感する言葉がたくさんありますが、ぼくが出雲高校演劇部の劇を見て一番感じていたことは平田オリザさんの次の言葉です。「後半の展開を予感させる部分を、もう少し前半から折り込んでいくと、より重層性のある作品になったかと思います」

このことは脚本を書く伊藤先生にも、またみんなで議論しながら劇を創っていった部員のみなさんにも参考になるのではないかと思います。今年の県大会の「見上げてごらん夜の☆を」ではぼくは「背後にある一本の棒」という言葉で講評しましたが、「アイデアの細切れ構成劇」にならないようにするためには必要なことだと思います。

 

 

H25 島根県高校演劇大会 出雲、松江南 中国大会へ

 

第37回島根県高等学校演劇発表大会が2013年10月26,27日、加茂町文化ホール・ラメールで開催され、出雲高校、松江南高校が最優秀賞を受賞、米子市で開催される中国地区大会へ出場します。。 両校とも表現豊かで洗練されたすばらしい舞台でした。簡単な感想など込めて紹介します。 写真は写せないのでパンフから白黒を利用させていただきました。一部パチリ!(パクリ?)もあります。あくまでスハマ君の感想です。http://stagebox.sakura.ne.jp/wp/apoetinohda/2013/12/12/h25-出雲高校演劇部-連続全国大会

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劇研「空」は高校演劇を応援することを設立の時の目標の一つにしています。当初は大田高校演劇部劇と一緒に劇も上演しました。(「星空の卒業式」「サクラさんのふるさと」等々)このブログも大田高演劇部を応援するために卒業生、修平さんがつくったものです。応援される対象は消えましたが、復活を願ってブログで応援しています。この観劇記も応援の一つです。

文学や芸術には多角的な視点が必要です。それに反発した場合でも、刺激材となり発酵して新たな形になりことが多々あります。感想や批評のありがたさです。それを願って、スタート!

松江工業高校 創作劇「流るる船は」三須雛乃 松江工業
作 部員の三須さんが脚本を書き、自ら雪哉(殿様)で出演し堂々と演じた時代劇です。時代劇は装置や衣装、言葉使いなど難しいことがたくさんありますが、この劇では「ブサメン、イクメン」などの言葉が出てきて、時代にこだわらない自由な発想で書かれています。装置も舞台奥に一段と高い台を作っただけの単純なものでしたが、いろいろな場面にうまく使っていました。装置は単純な方が演出、演技、照明、効果などによって多様な場面に変化できるので便利で効果的です。

女であることを隠した殿の正体を見た家来の恭之介が鬼ヶ島へ無罪の島流しになり、島民と一緒に敵討ちにもどってくるという話しです。場面が多く小間切れになるところを音響や照明でうまく繋いでいました。脚本も面白くできていて作者の才能の片鱗をあちこちで感じました。ストリーの組み立てをもっと工夫し、軽く流すところとじっくり描く場面との軽重を考えて書くと更に引き締まった劇になったことでしょう。日頃の発声練習をしっかりして、「声は聞こえても言葉がわかりにくい」ことがないようになれば最高です。

松江農林高校 「やっぱり パパいや」阿部順 作 演劇部潤色

松江農林

現在、全国高校演劇協議会の事務局長・阿部順先生が書かれた人気のある脚本です。この劇を初めて観るときには、次ぐ次ぎと展開される意表を衝くどんでん返しにびっくりしたり、笑ったり、感心したりして、揺さぶられながら惹き込まれていき、何度も笑いながらも最後は父親の一抹の寂しさと哀しさが胸に滲み出てきます。面白くできている脚本なので、何度も観た人にはそれを以上の面白さや独自性がないと期待が裏切られることになります。よく知られた有名な脚本はそこが難しい。

農林のみなさんはかなりいいところまで達していましたが、今ひとつ思い切った演出や演技があればよかった気がします。お父さんはいい味をだしていましたね。音楽も劇に合っていました。ラストで父が滑って転んで上手へはけながら緞帳が下りるところも、この劇のエッセンスを何気なく感じさせて素敵でした。転んだのは偶然かもしれませんが、この劇をコミカルな喜劇として届けようとした農林の演出意図が出ていました。18人が舞台に立つという層の厚さも農林の演劇部の底力を感じさせました。

松江商業高校 「夏の詩」遠野 尚 作
松江商業
緞帳が上がったとき、どんな装置が飛び込んでくるか。劇を観る時の楽しみの一つです。 何もイメージが浮かばないか、イメージや妄想がどんどん広がっていくか。

この劇では下手に橋の一部が見え、つたが巻き付いています。橋の向こうに何があるんだろう?想像がふくらんでいきます。スッキリしてしかも劇のイメージを発展させるいい装置でした。 キャストのみなさんの発声もよくて、ことばがはっきり分かりました。というより何の抵抗もなく、聞こうと意識したり努力する必要もなく、座っていて自然にことばと気持ちが届いてきました。日頃の発声練習の成果でしょう。おばあちゃんを出雲弁に変えたのも成功していましたね。

講評するとき、脚本の弱点は言わない方がいい、という意見があります。既製の脚本は部員の責任ではないからです。しかし脚本はその劇の土台です。劇の善し悪しの8割は脚本で決まると言った人もあります。脚本選択、脚本潤色なども含めて十分考える必要があります。脚本選択力、潤色も部の力量の一つです。

5人の高校生が卒業記念に100の物語りをしていて、依子が語る話が劇として演じられるのですが、村での子供たちの遊びが延延とつづきます。つづいてもいいのですが、その背後でストリー展開もストップしていては、単なる子供の遊びの意味しかありません。演じている人は一生懸命ですが、見ている人は同じ状態が30分もつづけば、劇から引いてしまいます。また、おばあちゃんの大切な鏡を割ったので、大好きなおばあちゃんの臨終にも行けないのですが、劇の核であるおばあちゃんと依子との交流がほとんど描かれていません。「メインテーマと外れたところで遊び過ぎ」と脚本を読んだときにメモしていました。美事な橋を初めから生かしたかったですね。

出雲高校 創作劇「見上げてごらん夜の☆を」伊藤靖之 作(顧問)

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音楽とともに緞帳が上がると空一面に星が輝き、高い台の上で星空を眺めている若者の姿がシルエットになって浮かび上がります。観客は自然に詩的な風景の中へ誘い込まれ、空想の羽を広げて物語りを予感し紡ぎ始めます。素敵な出だしです。

高校生のノゾムと学者風の星野との面白おかしいずれた会話。「今見てるものは過去だ」と断定する星野の詩人のような哲学者のような言葉。なにげなく劇の核を暗示します。テンポのいい会話、歯切れのいい言葉、無駄のないシャープな動き、次々と展開されていく10以上のシーン。

劇団オリオン座が繰り広げる何かを暗示するような意味不明に近い天体ショー。15の役を8人で演じるのですが、別人のように思えるのは劇団員の時は白衣を着ているからでしょう。身代わりも速くできるし全身が変わるので同一人物とは思えません。いいアイデアですね。言葉は十分届くし、演技や会話で引っ掛かるような不自然さがなく、自信を持って演じているので、安心して見ておれます。

メモの中から主なものを箇条書きで書いてみます。 ・幕開きがとてもいい。観客のイメージがふくらんでいく。 ・発声がいい。声が小さいときでも言葉がわかる。スピード、強弱、滑舌、間のとり方など自然で抵抗がない。 ・装置に立体感があり、劇中劇、屋上、学校、家など多面的に展開できる。 ・歌がうまい。とてもハーモニーがいい。 ・作者の好きなギャグやジョーク、ユーモア、言葉遊びがたくさん出てくるるが、若干の例を除き、押しつけがましくなくてセンスがある。とても深みと味のあるユーモラスな会話場面もあり感心した。この劇では過去、現在、未来が重要なテーマ。主人公・望(ノゾム)が好意を抱く佳子(カコ)と「過去」がダブらせてある。 ・役者1人1人がしっかりしていて魅力的。 ・次の場面が予測できない。次々と象徴的で新鮮な場面が出てくる。同時に、各場面がどのように関連しているのか、観客は消化不良のまま終わる可能性もある。 ・台本の冒頭に、10場面のタイトル、登場人物、さらに「あらすじ」と「伝えたいこと」が2ページにわたって記してある。こういう台本には滅多に出会わない。理解や整理が進み、とても参考になり便利がいい。他校も真似てほしいものだ。

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・東北大震災という言葉は一度も出て来ませんが、それを想像させる場面や言葉や、やり取りは何回も出てきます。一緒に望遠鏡で星を見たり、ノゾキミをしていた鏡太郎も遠(トオル)もいなくなり、好きだった佳子もいなくなります。オリオン座のスター・ベテルギウスは初めからいません。星野がそのことを指摘すると、みんなシーンとなって黙り、わざと関係の内ことではしゃいだりします。これも何かを暗示し象徴しています。しかし作者はそれが何故か説明しません。投げ出して想像に任せます。いろいろな点で詩のような象徴的手法で脚本を書き舞台化しています。ここにこの劇(伊藤靖之作品)の特徴や独自性、魅力があります。誰にも真似ができません。しかもレベルが高い。

劇を貫く一本の太い骨がなく、展開された各場面の関係性が希薄な場合には、劇が細切れになり消化不良を観客に残すことも多々あります。今回はどうだったでしょう。屋上で望遠鏡を眺める高校生と劇団オリオン座の関係は分かったでしょうか。劇団オリオン座とは一体何でしょうか。オリオン座が繰り広げるそれぞれの場面の関連性は分かったでしょうか。

あいまいなまま見終わった人もかなりあるだろうと思います。もう少し分かるためのサービスをしてもいいかともおもいますが、一本の骨(太いとはいえないけど)になっていたのは5人の高校生が繰り広げるストーリーです。次々転校していく友人たち、合唱コンクールの演習ために、屋上へ何回も呼びに来る佳子(カコ)や未来(ミク)。いつも望遠鏡を眺めているノゾミ君。でも最後にはノゾム君は3組の合唱で「見上げてごらん夜の星を」を演奏しみんなで歌います。現実の中へ足を踏み入れたのです。

この人間関係のドラマと時間の流れがメイン・ストリームとなり、骨になっていますので、細切れの印象があまり残りません。(もうちょっと意図的に、現実逃避から現実へ足を踏み入れる過程を描いたら骨が太くなって分かりやすくなるかもしれませんが、それは脚本家や演出家の劇や文学に対する感性や考え方の問題で、これは単なるぼくの印象です。)

演出の伊藤圭輔君は、脚本の完成がぎりぎりだったので大変だった、と幕間で語っていました。そうでしょう。県大会の台本は6敲版です。出雲高校もみんなで議論しながら作っていったのでしょう。レベルの高いとてもいい劇でした。レンゾクゼンコクダー!とぼくの中に棲息する演劇の微生物たちが騒いでいました。

浜田高校 「急遽演目を変更いたしました」臼井 遊・作、演劇部 井上このこ・潤色 浜田高校
石見地区で唯一の演劇部として顧問のキムラ先生と共にがんばっている伝統のある浜田高校演劇部です。今年は部員6人で、キャストは4人。1人で2役、3役もこなすという舞台。台本選択の苦労が忍ばれます。

劇は次のように始まります。 開幕前のアナウンス。「次は中央大学付属高校による、ガラクシ……えっ?あ、はい…。」 神妙な面持ちで部長が幕前へ。部長「本日はご来場いただきまして誠にありがとうございます。公演の前に演劇部よりお知らせとお詫びがございます。(略)演劇部員23名の内19名がおたふく風邪で欠席となり、急遽演目を変更致しまして4名でお送りします。(略)」

観客は度肝を抜かれ、えっ?と驚き、わっ!と湧く、ことを狙って書かれているのでしょう。そうなれば成功ですが、簡単にはいきません。底を見られて白けます。緞帳が上がり、始まった劇が目の前でつくる「即興劇」なら、新鮮で予期しない場面の連続となり、観客は、はらはら、として観るのでしょうが、訓練された普通の劇がつづいたのでは、幕前の部長のお詫びは何だったのだ、と底が更に割れてしまいます。

2010年に全国大会で上演された台本だそうですが、その学校にはベストでも、他の学校が同じ様に面白く上演するのは困難な脚本です。部分部分の面白さはあっても、全体を通して何をいいたいのか伝わってきません。 劇中劇で空想の場面がありましたが、音楽が楽しく踊りも雰囲気があって印象に残りました。たくさんの場面が出てきて、道具や吊り物で、それを分からせる工夫も見えましたが、 もうひと工夫が欲しい気がしました。

松江南高校 「冒険授業」中村 勉・作 演劇部潤色
松江南
昨年、南高は中村勉先生の代表作「全校ワックス」を上演しました。つづいて同じ作者の脚本です。作者が甲府昭和高校最後の脚本で関東大会へ出場しました。「全校ワックス」はダイナミックでとても面白い劇ですが、この「冒険授業」は言葉の実験劇かのようです。例えば冒頭で2ページも、発声練習のような語や句、文の群読が綿々とつづきます。

(例 生徒たち「世界/言葉/に言い表せない/気持ち/という言葉/あいまいな/言葉/思いがけない/言葉/・・・・」)これを全員で2ページもどのように喋るのだろう。台本もそんなに面白いとは思えず、観客へ何を伝えるか難しい。

ぼくの懸念に対して、冒頭から美事に生きた舞台が展開され、懸念は吹き飛ばされました。台本に「音楽。横たわる生徒たち。やがて起き上がり歩き出す」としかない冒頭の場面で、横たわった多くの人間が動きはじめますが、音楽やシルエットなどを使って惹き付け、何が起こるのだろう、という期待を抱かせました。発声練習のような長い言葉も合唱やソロ、輪唱、群読、と波のようになって届き、長さを感じさせませんでした。16人も舞台へ立ったのですが、みな言葉もよく分かり動きにも無駄がありませんでした。

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審査会でも次のような感想がありました。 ・よく工夫し脚本を生かしている。・客を惹き付ける工夫をしている。力を持っている。・あっという間に終わった。モトちゃんとは何だったのかよくつかめなかった。 ・ディスカッションしてつくりあげている。表現が生きているので伝わってくる。

劇を観ながら思ったのは、「やっぱり台本は台本だな」ということです。南高は美事に台本を舞台で立ち上げ命を吹き込みました。劇にも出演し演出も担当した伊藤圭祐君は、「みんなで議論しながらまとめていった」と語っていました。ここに成功の秘密があったのです。多様な意見を出して議論しながら作っていく。これが一番大切なことだと思います。ラストも印象的で素敵でした。 伝えたいことが観客へ十分伝わったか、という点では今一歩だったかも知れませんが、この脚本をここまで肉付けして楽しく見せたみなさんの知恵と努力と協力には大きな拍手を送りたいと思います。

三刀屋高校 創作「椰子の実とオニヤンマ」亀尾佳宏・作
三刀屋高校
今年はどんな劇だろう、と誰もが期待して幕開きを待ったことでしょう。平成18年から3回連続全国大会へ出場し。その後平成22年、24年と5回も中国地区大会で最優秀賞を受賞し全国大会へ出た実力のある伝統校です。

期待を裏切らない面白い劇でした。舞台に何もなくても、集団の自在な演技や動きで船になったり、波になったり島になったりします。場面も自由自在に、現在、過去、ファンタジー、宝島、海賊船、学校、島根、出雲大社、石見銀山、松江等々違和感なく14人のキャストによって創られ展開されます。場面へ引き込んでいく表現力を持っていますので装置などはなくてもいいのです。作者もそのことを心得て台本を書いています。

審査の会議で出た感想をメモ風に書いてみます。 ・亀尾カラーの作品。難しいテーマでもある。 ・役者の力量はある。入り込める劇作りで違和感がない。 ・島根をどうとらえているのだろうか。ちょっと一貫したストーリーが感じられない。 ・よく動き舞台の使い方がうまい。高校生にストレートに届いた劇だと思う。 ・全国レベル。身体表現がうまい。下半身も十分使い身体のさばきがうまい。曲の使い方 がうまい。ラストの鐘築君の訴えは劇としてどうか。 ・表現力が優れている。観て楽しく舞台へ引き込まれる。鐘築君の長いセリフや訴えはス トレー過ぎてこの劇に溶け込んでいない感じを受ける。

誰もがいい劇だと認めながら、2校しか県の代表になれないので、いい点と同時に問題点も指摘することになります。審査などなかったら、よかったね、で終わりですが、そういかないのがコンクールの悲しい宿命です。

作者の亀尾先生はこの劇でかなり冒険や実験をしています。型にはまった高校演劇らしさを破り自由に舞台で遊びたいと思っのでしょう。今までの自分の作品のパターンに飽きたらず部員たちを思い切って現実に立ち向かわせようとしたのかも知れません。

冒頭も実に型破りです。高校3年生の鐘築君の長い長い1人語りです。語りというより独白、いや演説、いや訴えです。台本のセリフは原稿用紙に換算すると約9枚近くなります。そして「これくらいの分量語ってください。語り尽くしてください。夏の思い出を。」と指定してあります。60分の劇の冒頭でこんな長い語りを取り入れるのは大冒険です。劇と独立してしまい失敗する可能性が十分予測できます。しかし作者はそれを心得た上で敢えて挑戦しているのです。

鐘築君は語りを終えると、「海」を歌います。中央に1人の少年が登場して、その歌の最後を引き取って歌います。少年は鐘築君の投影かも知れません。少年は、絵本から海賊が飛びだしてこの町から連れ出してくれるのを長い間待っていたのです。少年は「椰子の実」を歌い、やがて海賊たちが登場し、少年の歌と重なっていきます。実に楽しい場面の展開であり、人物の入れ替えです。

海賊船はそのうち島根という島へ到着します。「若者はおらん、年寄りだけがとりのこされた島。姥捨て島」です。そこで何を見るか。世界遺産の石見銀山や国宝の出雲大社、松江城、知事の善兵衞さんも。島根に関するあらゆることが生の言葉で面白おかしく出てきます。言葉遊びや掛詞、流行の言葉などがあちこちに出てきます。

船長が言います。「宝島は流れ着く海の向こうにあるんじゃない。椰子の木の根を張ることだ。お前が生まれたこの島だ。国宝もある、世界遺産もある。人間国宝だって。いや、そんな名前なんかなくったっていい、緑が、人が、歴史が、今日まですごしてきた時間がお前の宝だ!」

そして最後に全員で言います。「島根県!中国地方の山陰側に位置する。決して右側の鳥取と同じではない左側の県。花はボタン木はクロマツ鳥は白鳥知事は善兵衛。たった一つしかないふるさと。これが我らの宝島!」。

実にストレートです。シュプレヒコールのようです。作者はあえて挑戦しています。劇の調和を破壊しかねない思い切った手法です。

後半ではキャスト一人一人がいっせいに自分の夢や希望を次々に叫ぶ場面もあり、それは劇の型を破り現実を突きつける予想外の斬新な手法でした。そのこともあり、このラストにもそれが通底していて、そんなに突拍子な気はしませんでしたが、思い切ったやり方には間違いありません。
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いい劇だったのは誰もが認めたことだと思いますが、敢えていえば、この劇では主人公の存在が希薄で、現実の生々しい島根が主人公となって浮かび、問題提起劇のよな性格が強くなったことです。進路に悩む鐘築君と海の彼方を憧れる少年との太い骨を大切にして展開したら統一感のある劇になったかもしれません。海賊船に乗ってある島へ着いたとして、ありのままの固有名詞を使わず、何となく島根を暗示するような象徴的な手法を使う手もあったかと思いました。

2日間レベルの高い劇が上演されました。特に感心したのは観客の目を意識して演出し演じている学校が増えたことです。舞台の使い方がうまくなったことや表現が多彩になってきたことにも注目しました。議論して劇を創りあげていく学校が一段と厚みと多様な表現で台本を生かしていることも印象に残りました。

今年は津和野高校校長、大島宏美先生と講師として観劇しました。審査委員は松江地区から原先生、出雲石見地区から舟津先生、花本先生でした。 みなさん、おつかれさまでした。米子で開催される中国大会、期待しています。                      20131115(洲浜)

http://stagebox.sakura.ne.jp/wp/apoetinohda/

H25 出雲校演劇部全国大会前に浜田で上演

出雲高校演劇部が創作劇「ガッコの階段」(伊藤靖之作)で、8月上旬に長崎で開催される全国大会で上演することはこのブログでも紹介しました。今年度は特別枠があり、沼田高校も中国地区代表として参加します。

8月13日に第8回島根県高校文化フェステバル(高文連主催)が浜田の石央文化ホールで開催され、出雲高の劇も上演されると聞き、楽しみに出かけました。前日には季刊「高校演劇」でじっくりと伊藤さんの脚本を読みました。2時過ぎから上演だと聞いたので、12時半に出発。1時間10分あれば十分、と余裕綽々、風景を楽しみながらゆっくり運転し、途中でも道草を食ったり、到着してもゆっくりと絵画や写真などの展示を鑑賞しました。2時過ぎになったのでホールへ入ろうとしたとき・・・

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キムラさんとばったり。「出雲高は何時から?」と聞いたら、「1時半から始まっていますよ」!!!なんというこっちゃ・・・

終わりの20分ばかり見ました。舞台中央に高い階段があり、それをのぼるかどうか、のぼってどこへいくのか、のぼれば何が見えるのか、のぼりたかったにのぼれなかった大勢の人たち・・・・

のぼろうとして波に流されていった大勢の人たち・・・劇はその場面でした。なかなか工夫し象徴的な舞台から訴えてくるものがありました。(いつものことながら高校生が声を張り上げると、キンキン声になり、言葉が聞き取りにくく、キンキンが耳に響くのが難点でしたが・・・)

「高校演劇 長崎大会上演特集号」から出雲高の舞台写真が載っているページを紹介させていただきます。
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poetic でsuggestiveな舞台でした。イメージをどう表現するかということは詩や演劇の基本的な要素です。しかし劇は人間や舞台など具体を通して表現しますから、抽象的なイメージだけでは観客の心に届かないことがあります。そこが難しいところです。脚本の前半にも、「階段を必死でのぼろうとして登れなかった人たち」のイメージを布石として置いておけば、各場面のイメージがバラバラにならずもっと統一されるかもしれません。(終わり20分しか見てないのに勝手なことをいうな!そうでした。すみません)

同じく、広島県立沼田高校の写真を紹介します。顧問の黒瀬貴之先生が翻案された脚本です。沼田高校も久しぶりの全国大会ですね。

H25 長崎大会沼田高校写真

 

H25 長崎全国大会

出雲高の劇が終わって、ロビーで亀尾先生と出会い、いろいろ話しました。

亀尾先生の劇や脚本のことはこのブログで何回も取り上げていますが、「脚本「三月記」』を読む」はコンスタントに検索して読まれ、グラフの上位を占めています。なんでかな、なんでだろう、といつも思います。「創作について」もよく読まれています。役に立てば、このブログも喜んでいることでしょう。(グラフは毎日ごとにでるようになっています。普通は全体で毎日40から80くらいアクセスがあります)

長崎大会の時には劇作研究会の総会や、高校演劇研究協議会の総会もあり、案内がきましたが、残念ながら欠席通知をだしました。島根の顧問の先生方からじっくり聞くことにしましょう。

出雲高校演劇部のみなさん、沼田高校演劇部のみなさん、「肩の力を抜いて伸び伸びと」がんばってください。イトウさん、電話ありがとうございました。観客や講師の先生方の感想を楽しみにしています。