H24 4/7 「サクラ コンサート 」あすてらすで

2012年4月7日(土)、大田市の「あすてらすホール」で「サクラ コンサート」が上演されます。創作音楽劇『琴の鳴る浜』に出演していただいた混声合唱団「フレンズ彩」や同じくその音楽劇で演奏をしていただいた長坂ファミリの eldest son 拓己くんもヴァイオリンで出演されます。

 巧己くんは 現在、森悠子先生に師事し、ソロ、室内楽、各地のオーケストラで活躍中です。退職後、英語講師として数年大田高校へ行っていましたが、そのときに拓己くんは理数科にいて生徒会長という大役を務めていました。ますますこれからの活躍がが楽しみです。

寒さは長かったので、サクラ満開!は4月7日より過ぎるかも知れません。我が家の庭のサクラの古木もまだ固いつぼみです。でも春の陽差しを浴びて一気に花開き7日には満開になるかもしれません。
このいい季節に、大田では滅多に聞く機会がないクラシックの生演奏を楽しむことにしましょう。

ついでにカンケイナイオハナシ:

いつの間にか、このブログで300以上の項目を書いたことになります。以前にも書きましたが、管理人修平さんとすはまくんはどの項目がよく読まれているかグラフで分かるようになっています。そのグラフの推移を見ると面白いことがあります。

旧福波小学校が劇を上演したのはもう1年前になりますが、目下最もグラフが高いのが、「福波小『吉川経家最後の手紙』鳥取公演に大きな拍手」です。なんで今頃になってこの項目が急にトップになったのか不思議です。先日、都合があって手元にある鳥取公演のDVDを見ましたが、福波小学校(今は温泉津小学校)の1年から6年まで26人の児童は実に堂々と400人の観客の前で演じていました。改めて感動しました。(DVDが見たい人にはお届けします)

こうして今になっても多くの人たちにこの福波小学校の公演のことを読んでいただけるとはうれしいことですね。本や新聞は閉じたらおしまいですが、ブログの項目は時がたっても思わぬ人たちによって検索されて開かれる。責任も感じます。あの子どもたちが知ったら喜ぶことでしょう。しかしこれを読む子どもたちはいないので、シンパイするヒツヨウはありません。

ついでに。次にvisitorが多いのは「異伝ヤマタノオロチ」「三月記」「高校演劇広島県大会」「高校演劇島根県大会」です。詩では、高塚かず子さんのことを書いた評論のグラフが高くなりました。(さすが高塚さんは全国区の詩人です)。しかし詩というのは演劇と比べればはるかに興味のある人が少ないのがよく分かります。

H24 勤労青少年ホーム3月まで

2012/03/9、最後の勤労青少年ホーム利用団体の代表者会議が19時から開かれました。担当の大田市役所産業課から2名、教育委員会から1名出席され、4月以降の活動場所について説明がありました。

(夜の大田市勤労青少年ホーム玄関。1972(昭和47)年にこの市有地に建設されました。鉄筋コンクリート3階建て、延べ面積1200㎡。一階には事務室や軽運動室、研修室、2階にも各種の研修室や集会室、3階には広い中央集会室があり会合や研修にはとても便利がいい施設です。元々その名が示すとおり勤労青少年のための施設でした。約13団体が使用し2009年では述べ2万2千人が利用しました。県や中国地区などの大きな会議があるときには利用できるので、とても便利がいい施設でしたが、老朽化が進み耐震工事にも相当の金がかかるために3月末で閉館と決まりました。)

 昨年の夏頃から、利用者の間で話し会いを重ね、閉館になったあとの活動場所の確保を市に要望し、市長交渉にも参加しました。この時には内藤市議会議員にも出席していただき利用者代表が10名参加しました。その時の要望書を紹介しておきます。この施設が果たした役割や今後の大田の文化振興を考える場合の参考になります。

 

 昨年12月9日には利用者会の会長と一緒に内藤議員、吾郷議員、塩谷議員の皆さんとも相談会を開き、12日には市議会の委員会に出席して参考人としての意見を述べました。委員のみなさんは的確な質問をしながらとても熱心に聞いてくださいました。日頃はまったく縁がない市の会議ですが、市民の側にたっていい方向で解決しようと臨んでおられるのがよく分かりました。利用者会の会長は船橋牧夫さんです。「ぼくは体育系だから文化のことはさっぱり」といいながら、謙虚にしかも熱心に役目を果たしてくださいました。お礼を申し上げます。

 新しい活動場所は次のようになりました。
1.劇研「空」・風花 ・・・・・ 川合まちつくりセンター
1.大田ウインドオーケストラ・女性コーラス花音 ・・・・・・・大田市立図書館2階視聴覚室
1.大田ラージボール卓球クラブ ・・・・ 仁摩伝統技能伝承館
1.大田ダンス同好会「ウイング」 ・・・・ 静間まちつくりセンター
1.大田手話サークル「どんぐり} ・・・・ 大田ふれあい会館
1.  大田卓球クラブ ・・・・・ 大田総合体育館
1.「ジューン」rクダンス・ラウンドダンスの会 ・・・・ 長久まちつくりセンター
1.島根大田青年会議所・大田市青年協議会 ・・・・・ 大田木材一場2階

尺八「愁山会」は独自で捜すそうです。フォークダンスサークル「スキップ」は都合により解散とか。
2007年4月から島根大田青年会議所が指定管理者として管理運営にあたっていました。解散にあたり利用者で拠出していた会費の残をお世話になったJCさんへ贈りました。

 

 1年か2年後にはこの施設は解体されるでしょう。消防署も移転が発表されました。広い空き地がうまれます。どのように利用されることになるでしょうか。昨日大田市体育公園・文化事業団の理事会・評議員会が開かれ、その中である理事さんから、ぜひ市民が自由に遊べる広場にしてほしいという声もありました。ぜひ全国の素晴らしい例を見習って大田市民や大田に来た人たちに喜んでもらえるような場所にして欲しいものです。

H24 創作劇『異伝 ヤマタノオロチ』木次で上演

2012/03/18(日)雲南市のチェリヴァホールで『異伝 ヤマタノオロチ』(脚本、演出は亀尾佳宏)が上演されます。亀尾先生の意欲作。必見です。紹介します。

 昨年秋の島根県高校演劇発表大会で同じ題名で三刀屋高校が上演し最優秀賞となりました。講師審査員で参加しましたが、とても迫力のあるいい舞台でした。中国地区大会でも最優秀賞を受賞、今年夏の富山の全国大会へ出場します。今回は多分その台本にかなり手を加えて上演されるのだろうと思います。どのような手が加わっているか見るのも楽しみです。空の皆さんも都合がつけばぜひ観にいってください。

 チラシの表の図案もよくできていていいですね。芸術的な意欲とセンスを感じます。しかし最近のチラシは字が小さくて読みにくい。特に裏は薄い青地に白い活字、さらに白抜きの図柄や絵もダブっていて目がぐらぐらする・・・それはあっちに置いといて、チェリヴァホールは演劇に意欲的ですね。2月にも高校演劇を他県から呼んで4校が公演したそうです。高校演劇の最高の指導者の一人、若林一男先生も呼んだとか。どうしてそんなことができるのか、ぜひ聞いてみたいものです。それもあっちへ置いといて、ぜひ観劇に出かけてください。(ジャガイモノキセツデス。キョウハ ヒルカラ ブットゥシデユウガタロクジマデ ハタケヲウッテ ジャガイモヲ ウエマシタ アチコチイタイヨウ カンケイナイ)

H24 劇「星空の卒業式」の美穂子さんだ!

2012/03/6、朝、新聞をめくっていると、こんな見出しに出会いました。「ダンサーJacky さん(大田出身)舞台やCM 幅広い活躍」。ダンサー、大田出身といえばあの美穂子さんにちがいない、でも なんで Jacky?と思いながら読んでいくと、間違いなし!大田高校演劇部出身、劇研「空」第5回公演「星空の卒業式~あの夏 校舎は原爆病院だった~」で主役を演じ観客に感動を与えた田中美穂子さん!!数年前東京からメールがきたことがありましたが、どうしているかな、といつも思っていました。強い夢とエネルギーがありましたから実力をつけて認められるようになったんですね。新聞を紹介させていただきましょう。

夜、新聞を読んでいたワイフさまが、「この写真の人は劇研空の原爆の劇へ出てくれた人じゃない?」とsaid. 「そうだよ。劇が好きだったし夢を持っていたからなぁ。夢がある人間は強いよね。いつか実現するもんね。あんた夢ある?」「・・・ない」「・・・・」「田中さんは劇が上手だったよね。弟役をやった高校生は今どうしとるん?」「福山へ行ったけど、どうしているかな」

あの公演から10年近く過ぎましたが、今でもしっかりと記憶に残っているんですね。

旧制大田中学校と大田高等女学校が広島陸軍病院の分院に指定され、600人も被災者が運ばれてきました。婦人会や女学生がお世話をしたのですが、99人が亡くなりました。パンフレットにはその時臨時看護婦になった勝部信子さんに体験記を書いていただいています。貴重な文章です。眠らせておくのはもったいない。その時の公演を報道した新聞を紹介させていただきます。

 (写真は右から美穂子さん、晋吾くん、領太くん、田中志穂さん。この時には大田高校演劇部に声をかけ希望者に参加してもらいました。こういうお互いの協力体制を演劇部と作っていきたいと退職前から考えて実行していたのですが、今はもう演劇は廃部・・・平成15年3月22日の公演でしたがニュースは連日トップでアメリカのイラク攻撃が近いことを報じていました。世界が戦争前夜のような嫌な空気でした。この劇とどこか重なるところがありました。)

この時のパンフレットに美穂子さんは「大好きなおじいちゃん おばあちゃんへ」という題で、悩みや喜びや夢を書いています。こんな文章もあります。

「私が舞台に立つときには必ずみんなに宣伝して、みんなで見に来てくれたよね。美穂子それ知っとるけん、舞台はやめられんかったよ。」(大田の子どもミュージカル風花でもずっと活動していましたよね)

「おじいちゃん、おばあちゃん、遅かったけど美穂子進学しても精一杯頑張るけんね。恥ずかしくないように自分自身に精一杯」

第5回公演の分厚ファイルを取り出して見ていたらなつかしい資料や切り抜きなどがたくさん出てきました。国立劇場舞台技術部長だった持田諒先生の寄稿文もあります。やっぱり書き残しておくことは重要ですね。

美穂子さん、体に気をつけて、さらに大きな夢へ向かって歩んでください。

 

 

H24 「ミュージカルスクール」成果発表

2012/02/12、サンレディ大田でミュージカルスクール講習会の最終日に発表会がありました。題は「ホーンテッドスクール~ようこそお化け学校へ~」(原作 森脇太一郎、脚本 佐藤万里、作曲 川崎絵都夫、演出振り付け 三浦克也)。1月の土、日に終日練習し6回目の最終日にその成果を発表しました。短期間の講習でしたが小学生など23人(だったかな?)がのびのびと舞台で演じました。舞台風景を紹介します。

(開演前のサンレディ大田のホール。普段は平面のフロアーですが移動式で約400席が可能になります。大きさとしてはちょうどいいし、音響や照明も一応の機材は揃っています。スタッフも親切丁寧にしっかりとサポートしてくれます。何故か建設当初から緞帳がないのが不思議です。)

 主催は「OHDA」no WA実行委員会、講演は大田市教育委員会。主催は初めて聞く名前ですが、大田市文化協会と大田市市民会館他で構成されているようです。文化協会の会長、白石さんが挨拶されました。

山陰中央新報大田支局の堀江さんが書かれた「記者コラム」を切り抜いていますが、それによると1997年から8年間、スクールは毎年実施していたそうです。今回の参加者に中学生がいないのはスクールの空白期間に小学校3~6年だった児童がちょうど今の中学生世代に当たるからだという関係者の声を載せ、「継続は力、民間の手で地道に続けていくことが地域文化の地力になる」と書いておられます。

短期間の講習でしたが、セリフや歌をしっかり覚えていることはもちろん、大変のびのびと演じているのが印象に残りました。初めての子どもたちを舞台でリラックスさせるなんて簡単ではありません。指導された先生方の力量のたまものでしょう。舞台装置も工夫されていて照明なども自然でした。ストリーはありふれて平凡ですが、20数名の子どもたちが発表することを考えてよく作られていました。

いい企画だなと思ったのは、5日間の講習で最終日にその成果を公演するというスタイルとです。1年間とか半年の講習なら練習は十分できますが、参加者や親も参加を躊躇する可能性があります。子どもたちは暇ではなく忙しい日常を過ごしているからです。

親としては自分の子どもに、小中高と野球漬け、サッカー漬け、片寄るというのは心配です。水泳も歌もピアノも、できれば舞台に立ってはっきりしゃべる経験もさせておきたい・・・と欲張ります。そういうとき、短期間で演劇講習を受け発表ーというのは魅力的かも知れません。

ジュニアミュージカル風花の子どもたちも数名出演していました。風花はこの3月まで青少年ホームの3階で毎週土曜日の7時20分から練習しています。3月末で青少年ホームは使用禁止。空は河合の町つくりセンターを使用するようにいわれています。風花もかな?風花も参加者を募集しています。興味のある人はどうぞ。

 

 

H24 2/19 「川本の地芝居大会」観劇記

2012年2月19日、邑智郡川本町の悠邑ふるさと会館で「復活地芝居大会」が開催されました。邑南町高原の「星が丘一座」、美郷町の「吾郷青吾会」地元川本の「劇団かわもと孰」が3本の時代劇を熱演しました。劇の間には舞踊が華を添えました。一昨年(だったかな?)も終日観劇してブログで紹介しましたが、今回は写真を中心に紹介します。


前日から珍しく大田でも大雪。30㌢くらい積もりました。家の前の雪景色です。大田ではちょっと降ってもすぐに溶けますので30㌢も積もることは滅多にありません。

 中止にはなりませんでしたが、マイ ネイティヴ  ヴィレッジの「星が丘一座 」は残念ながら観劇できませんでした。雪の中をナカムラさんと昼頃川本へ行きました。

 吾郷青吾会の『へちまの花』は初演舞台だったそうです。劇団の名前は以前から聞いていましたが観るのは初めてです。ベテランが多く役者の呼吸もあっていて笑わせる場面は観客を笑わせ パシッと決める場面では熱演して大きな拍手を浴びました。涙を流した人もいたことでしょう。

 金持ちの大黒屋の女将がある村へ来た時、小屋で機を織っていた娘の後ろ姿を見て嫁にもらいたいと娘の兄に頼み婚礼の日にちまで決めてしまう。ところが娘は超ブス。婚礼の日が来たのに、あの手この手を使ってみんなで破談にしようとする。最後は、「人は顔じゃない心だ」というテーマへ落ち着くのだが、どんでん返しなどもうまく考えて作ってあり十分楽しめました。地芝居は義理人情話が中心ですが、現代では忘れられようとしている人間の絆や思いやりを描いています。ややもすると「古い」と片付けられてしまいがちですが日本人の原型があると言っても過言ではないでしょう。そういう伝統文化を継承している芝居だということを大切にしたいものです。

(終わってから一人ずつ挨拶される吾郷青吾会の演出と役者のみなさん。たのしくて感動のあるいい舞台でしたよ。おつかれさまでした)

終わった後で劇団の人と立ち話をしました。地芝居には活字にした台本はない場合が多いそうです。ストリーだけあって練習しながら座長とともにセリフを作っていくのだそうです。だからせっかく覚えても度々変更になるので大変だと言っておられました。観客を大切にし楽しんでもらうためにその土地その土地でセリフを変えたり、アドリブを入れたり工夫するそうです。 現代劇でもそういう作り方をする劇作家もいます。面白い作り方ですね。

たくさん踊りの舞台もありましたが、ひとつだけ紹介します。タビラくんは4歳だったかな。おひねりが舞台へ飛んできました。子どもは何をしてもかわいい!!決まっていましたよタビラくん!!

最後は劇団川本塾の『夏の別れ~川本の奇譚~』。川本の盆踊りの場面から劇は始まりました。それを見ながら川本の温湯城にいた小笠原氏と尼子氏が戦いをした時に起源がある踊りだということが語られます。

小笠原氏の若武者が、好きだった娘と料亭で酒を酌み交わし料理を食べて別れ、そのまま武者は帰って来なかった、という伝説が徐々に浮かび上がってきます。娘は姿を変えて今も待っています。

この創作劇の作・演出は堤 浩隆さんです。劇研空の「琴の鳴る浜」にも出ていただきました。劇研空の吉川さんと前田さんも出演して劇をリードしました。声もよく通りいい演技でした。

 地元の歴史を取り上げたて舞台化したのはとてもすばらしいことだったと思います。構成もよくできていたと思いますが、3つの恋いが絡んでいて焦点が拡大してわかりにくくなった気がします。「川本の盆踊り、娘と若武者の恋、幽霊になって今も待つ娘」。この太い線をしっかり押さえて創るともっと印象の強い佳品になったのではないかという気がしました。そうすれば最後の若武者の凛々しい姿がさらに際だったかも。

これは初演です。短期間でよくここまで完成されました。暗転が多すぎたので今後上演するときは音楽を使ったり明転にしたり工夫すると劇が引き締まるでしょう。みなさん、おつかれさまでした。

カツラは購入したそうです。財産が増えましたね。いつか時代劇をやるときには貸してくださーい。井戸平左衛門殿!

夕食のときニサイのアカリチャンが、ハッピバースデエィツーユーを歌ってくれましたがそれはこの川本の地芝居とはマッタクカンケイアリマセン。

 

 

 

 

 

 

H24 浜田「我が夢は波濤の彼方に」観劇記

2012年2月12日、浜田の石央文化ホールで第8回住民参加創作ミュージカル「我が夢は波濤の彼方に~八右衛門と三兵衛~」が上演されました。参加者120人以上、2時間30分、劇の中に合唱、ソロ、ダンス、朝鮮舞踊、吟詠、民謡など実に多彩な演出。迫力のある大がかりな舞台でした。昼の部は満員、夜の部も8割以上の入りで大成功でした。山陰中央新報石見版には「会場を埋めた来場者1500人が感動の舞台に酔いしれた」とあります。


原案・演出は岩町功先生、脚本は浜田出身のプロ、木島 恭氏、作曲は安藤由布樹氏、舞台デザインは広島出身のプロ、内山 勉氏(八戸市の全国大会で審査講師として一緒でした)音楽監督指揮はベテラン山崎 勝先生、振り付けもプロの矢上久留美さん、ダンサーもプロ、エレクトーンやパーカッションは瑞穂楽器の専門講師、照明は出雲文化企画・・・・プロや実力ではプロに匹敵する先生方(それで食べていないからアマチュア-扱いされるけど実力はプロ)がしっかり固めておられるので、舞台が安定し展開もスムーズでメリハリが利いた舞台でした。

曲と演奏がとても素晴らしく、緞帳が開く直前の演奏から一気にお客さんを劇の世界へ運んで行きました。エレクトーン2台とパーカッションだけですが山崎先生の素晴らしい指揮とともにとても素敵でした。


同じ題名で前回は平成11年に上演されましたがこの時の脚本とは構成がかなり違っていました。前回は出だしから八右衛門と三兵衛の処刑をシンボリックに演出して意表を衝きました。全体もシャープで歯切れがよく、彫りが深い芸術的にもレベルが高い作品でした。

今回は八右衛門の誕生から時代を追って描かれ、ラストの八右衛門と三兵衛の江戸小塚原での処刑へ進みました。時間も前回より長く、朝鮮の人たちが流れ着いてきた場面や交流場面、朝鮮舞踊、結婚式での長持唄、モダーンバレーなどお客さんを楽しませる色々な場面をたくさん取り入れてありました。そのために特に第一部では劇が平面的でもたもたした感じがしました。老人と現代の娘が最初から登場してストーリーを説明したり、舞台の下手で劇を見守っていたり、時には草履を履く手伝いをしたり、場面転換毎に2人が会話してストーリーや人物を説明しました。観客の理解を深めるためのサービスとして設定されたのでしょうが、時代劇の中に何度も現代の娘が出てくるとその度に劇の流れが切れ現実に引き戻されてしまいました。これはぼくの場合です。あの2人がいて劇が深まり分かりやすくてよかったという人ももちろんあるでしょう。

休憩を挟んで第二部では劇の流れに緊迫感があり役者の台詞にも迫力があって観客を引きつけました。解説の老人と娘が登場する余地はないほど最後まですき間のない引き締まった舞台で、あっという間にラストの処刑の場へ運ばれた感じです。いい劇というのはいつも「あっという間に終わった」感じがするものです。いい講演もそうです。それだけ集中しているということでしょう。
ぼくが知っている人も数名舞台へ立たれました。みなさん役をしっかり演じておられました。素人では「自分を演じる」のが精一杯ですが、余裕があり訓練された人は美事に「役を演じ」ます。「役になりきる」のは最低限必要なことですが、「役を演じる」には演じている自分を客観的に見ている自分の目が必要です。

三兵衛のウエダさんは昨年の地芝居も見ましたが今回は台詞も動きも甘さがなくなりとてもシャープでした。長台詞が何度もあったのですが、しっかり観客を引きつけていました。吟詠が素敵でした。林蔵のカワムラさんもきびきびした動きと歯切れのいいよく通る台詞が素敵でした。若々しい印象が今でも残っています。崋山のブンメイさんは初めて見ました。どんな台詞と演技か最初から、いつかいつか、と待っていたのですが第一声を聞いた時、やっぱり!と感銘を受けました。力を抜いた響きと明るさのある声!自然な抑揚とよくコントロールされたピッチ。場面から抜け出た感じでした。シカモリさんも久しぶりに演技を見ました。余裕のある自然さがいいですね。その他はぼくが直接には知らない人たちですが、みんな歌がうまくて役者揃いです。よくもこんなに揃ったもんですね。今まで築いて来られた浜田の歴史と伝統があるからでしょう。

(せめてカーテンコールだけでもと思い記念にパチリとしました。すみません。みなさんおつかれさまでした。素晴らしい舞台をありがとうございました)

一つ表現や演技で感じたことは、歌がうまく台詞の声が十分でも、演劇の表現(台詞、動作、表情など)を訓練して身につけていないと観客にその役の気持ちや考えが伝わりにくい、ということです。ある人物を演じても、最初から最後まで同じ内面しか伝わって来ない場合があるということです。このことは劇研「空」で上演した「琴の鳴る浜」でも痛切に味わいました。どんなにうまく演じても内面が伝わらなかったら人の心を打ちません。心をどうして伝えるか。日常生活でも子どもの教育でも接客でも大切です。そういう意味でも演劇や芸術は大切にしたいものです。(ナニガイイタイノダモウオワレハイ)

(この劇が始まる前からこのブログで「我が夢は~」のPR版のvisitors が増え、終わってから「浜田の地芝居大会」などの項目も一気にグラフを伸ばしました。いままで浜田の劇や本などを何回か過去に紹介しましたがほとんどグラフに頭を出したことがありませんでした。見る人はいなかったようです。今回はめずらしいことです)

2/19 川本で「地芝居大会」

2012年2月19日(日)川本町の「悠邑ふるさと会館」で地芝居大会が開かれます。劇3本と舞踊が披露されます。主催は「悠邑GENKIおこしの会」。伝統のある地元邑智郡の芝居と堤さんによる創作・演出の劇を楽しんでください。

チラシが手に入らなかったので、礼子さんに頼んでポスターをメールで送ってもらいましたので紹介します。前回の地芝居大会も観劇にいきましたが、今回は「空」のメンバー団体で(団体とは何人以上?)応援にいきます。昨春大田で上演した創作音楽劇「琴の鳴る浜」でお豊さんを演じた空の吉川礼子さんや旅の尼僧を演じて観客に深い感動を残した前田美佳さんも出演します。さらに地頭・重房を演じた堤浩隆さんは「劇団かわもと座」の代表で今回の劇・「夏の別れ」の作者、演出です。どんな劇か楽しみにしています。

邑南町高原の「星が丘一座」も美郷町の「吾郷青吾会」も地芝居では伝統があります。吾郷青吾会の劇を観るのは初めてです。楽しみです。悠邑ふるさと会館は4千人弱の小さな町にしては大きくて立派なホールです。(悠邑・・・多分邑智郡の邑なのでしょうが、わからない人には分からないでしょうね。発音もUとOUの連続なので唇を前へ突き出しすぐ引っ込ねばいけないから難しい。地芝居には関係無い!は、はい。)

昨夜(2/10)は浜田でミュージカル「夢は波濤の彼方に」が上演され、観劇に行ってきました。120人以上が参加し、6時30分にはじまり9時10分頃におわるという大がかりな劇でした。演奏や歌、ダンス、劇と実力のある人たちが揃い、迫力のある舞台でした。前回も観劇しましたが、同じ木島さんの脚本でも作り方がかなり違いました。そのうち紹介します。

おっとっと、忘れちゃいけない!昨日は大田のサンレディで子どもミュージカル「風花」の舞台を観てきました。23人(だったかな?)の子どもたちが講習の成果を十分以上に発揮して楽しませてくれました。短期間でよくあそこまで伸び伸びと舞台で演じられたものだと感心しました。そのうち紹介します。

H11 舞台評『我が夢は波濤の彼方に』

平成11年10月2日、浜田の石央文化ホールで『我が夢は波濤の彼方に』が上演されました。市民参加によるミュージカルでした。原案は浜田の岩町 功先生、脚本は浜田出身の木島 恭氏、とてもしっかりした舞台でした。平成24年2月12日に再演されます。初演の舞台評を頼まれて書きましたので、参考までに紹介します。

ブログ StageBox ・ 詩の散歩道

2011/10/26 このブログのどの項目がどれくらい読まれているか、週毎に集計されグラフになり、1か月毎の集計結果も表示されます。それは管理人にしか分かりませんが、最近おもしろいことに気がつきました。ある日ふと見ると大昔に書いた項目に一日で300以上も来訪者があったのです。なんで?なんで?なんでだろう?飛行機でどうぞ。

  有名人のブログなら多くの人が毎日の更新を待って読むのでしょうが、このブログはファンがいるわけでもありませんし、気が向いた時に書くだけです。劇研「空」のことが中心ですが、地域の芸術文化の情報も何かの役に立てばと考えてたまに書いています。特別おもしろいわけでもありませぬ。

ぼくが詩にも関係しているので管理人、修平さんに頼んで、「詩の散歩道」を別にたててもらいました。これは詩の評論や県内中心に詩集の紹介などをしていますが、詩の関係者は少数ですし、これまた読んでおもしろいわけでもありませぬ。何かの役に立てばいいと思って時々書き込んでいます。

集計によると毎日の来訪回数は普通30~100の間です。ところがたまにグラフが300回以上に飛び抜けることがあります。最近では高校演劇広島県大会の観劇記がそうでした。これは3ヶ月たった今でもコンスタントにヒットしています。高校演劇島根県大会や三刀屋高校全国大会へも一時グラフが伸び、その後もコンスタントにvisitorsがあります。びっくりしたのはずいぶん前に書いたの亀尾佳宏先生の劇「三月記」の劇評が急にヒットしたことです。県内のvisitorsではなく全国のvisitorsが検索して読むのでしょう。

 (さて、どこの庭園でしょう。分かるわけがない!でもパチリと正解した人は、スゴーイ!と大声で叫んでください。「お」で始まります)

最近ではこれも大昔に書いたのですが、「松本一直氏講演『吉永藩はこの地域の何を残したか』」が一日で200以上ヒットしました。理由は分かりませんが、日本のどこかで大田市河合吉永藩の講演があったか、または藩主の加藤氏について研究会でもあったのかも知れません。先週では「人物しまね文学館 佐藤洋二郎さん」がダントツ一日300以上でした。全国レベルの人の場合こういことはあるんですね。「安永稔和氏を迎えて-しまね文芸フェスタ2005-」も昔の記事ですが顔を出しました。

目立たない項目が顔を出して驚いたのは「『演劇と朗読を学ぶ会』・志々公民館で」の記事です。飯南町の志々公民館で講演したときの記事ですが、なぜこんなものが浮上したのか不思議でした。もしかしたら「演劇と朗読」で検索した人がたまたまここを開いたのかも知れません。久しぶりに「吉川経家と石見福光不言城の音楽劇のこと」が出てきたのでこれも意外でした。

項目ではなく、「StageBox」や「詩の散歩道」で訪ねて来る人はコンスタントにあります。どんな人が読んでいるのか考えてみると「検索」が一番多いのではないかと思います。ぼく自身定期的に読んでいるブログはありません。しかし調べたいときには大いに利用して助かります。そういう人が多いのでしょうね。ぼくの周辺でこのブログを読んでいる人は修平さんが第1、空のメンバーが数人たまに読む、子どもやカナイやシンセキで読む人なし。

というわけでこのブログの大昔の項目でも思わぬ時に役立っていることがわかり、少しは存在意義を感じた次第です。