平成22年11月に尾道で開催された高校演劇広島県大会の舞台評のつづきです。同じものは各校へ事務局から配布されていますが、高校演劇を応援する立場から少しでも部員の皆さんの活動の参考になればと考え紹介します。次の写真は尾道の風景です。
第50回広島県高等学校総合演劇大会 講評
NO.7
呉港高等学校 上演作品 「まほろば」 (吉野智美 作)
メモより:
総 評:3人の会話だけで成り立っている会話劇だが個性がよく出ていて会話のテンポもよく最後まで楽しんで観ることができた。途中から神様だということがわかるがおもしろおかしく会話を進めながら自立していない現代の人間を批判し皮肉っている。稲葉さんが力を抜いてのらくらした神様を演じ、兎谷さんが生真面目で責任感過剰な神様を演じているが二人の会話はとても素晴らしい。神様の個性(?)をしっかりつかんで演じているからである。
台本は面白くてよくできているがネット台本(多分)特有の底の浅さも感じられる。おもしろおかしく観客を引っ張って行くものの突っ込んで行く真摯な姿勢が希薄なので単なるエンターテインメントだという印象がどうしても残ることである。
・装置:広い舞台に長机が二つだけ。バックはグリーン一色のホリゾント。神様のいる広大な空間を表していてとてもよかった。電話には変な縫いぐるみの人形を使っていたがこれもいいアイデアだったと思う。ついでにコーヒーカップもコーヒーも別なものにすればよかった。
・発 声:力を抜いて自然に喋るのでとても聞きやすく言葉がよく分かった。外務員の幸田さんは滑舌が今ひとつ、演技も少し固かった。
NO.8
沼田高等学校 上演作品 「今夜、川のほとりで」(黒瀬貴之 作)
総 評:劇にいろいろな意表を突く仕掛けがたくさんあって(例えば、出だしの典子と明子の場面は二人のいじめとダブル仕掛け。3人の高校生が逃げてくるとやがて先生が探しに来る。なんで高校生が白髪のカツラをつけているのかと思いながら観ていると後半に老婆を演じる。文江役の桂奈子はいじめを受けていたことが分かる。などなどたくさん)次々と展開していくテンポの良さがいい。それを発声がよく言葉がよく分かるそれぞれの役者が軽やかに動き的確に演じていて最後まで観客を引きつける。
祖母の文江は同じ被爆者の友達をあるとき無視したことが一生忘れられなかった。典子は友達の明子へひどいことを言ったことが傷となり忘れられない。東京から来た修学旅行生の佳奈子はいじめられたこは一生忘れないという。「忘れない」という一点で共通意識を結び原爆問題を舞台化したところに意欲的なアプローチを感じた。原爆問題といじめ問題は同じ次元の問題ではないが、原爆への意識が風化していく中で、一つの切り込み口だと言えるだろう。
東京からきた修学旅行生が原爆に対して「またか」という嫌悪感を持っていて、特に沙那は徹底的にそれを口にだす(極端なくらい)。部外者の目を持ち込むことによって対立が鮮明になりドラマが引き締まった。
・装 置:石垣を舞台の後方一杯に作ったって広く舞台を使い、河原と街へつづく土手を劇の場としたのはよかった。石垣は灰色が明るく古い石垣ではなく比較的新しく作られた感じがしたがもう少し古い感じがよかったかもしれない。
・人物が作者の掌中で操られていないか:
登場人物はその人物独自の心情や論理で行動する。そこからドラマが生まれる。作者が都合よく動かしては存在感は薄くなりリアリティはなくなる。
そういう点で若干作者の都合で動かされたり設定された場を次の箇所で感じた。
・何故高校生たちは夜の河原で撮影するのか。夜の河原でなければいけない必然性はあるのか。
・撮影に欠かせない民子役を決めずに何故撮影にきたのか。修学旅行生を使うためか。
・撮影に参加するまではいい加減な生き方をしていたというが、ちょっと調子がよすぎないか。
・典子が明子をいじめる場面で、固唾をのんで何を言うのかと待っていると、急に雷で聞こえなくなる。手法とは言え都合がよすぎないか。
・マツケン先生は面白い先生の型を演じすぎていないか。人間の心理より型を演じたら一人浮き上がってしまう。無理に観客を喜ばそうとする必要はない。
NO.9
清水ヶ丘 高等学校 上演作品 「さらば、伊藤家」 (岡田隆一 作)
総 評:最初に台本をよんだとき、とても筋運びがシンプルで人物もわかりやすく明確、またドラマの対立もはっきりしていて骨格が単純すぎるのではないかと思ったが、舞台で劇を観たときには単純だとは思わなかった。逆にテーマが早く立ち上がり、それに従ってどんどん展開して行くので力強さを感じた。
一時間の劇の台本で言えるテーマは一つだ、と言われるけどその見本を見たような気がした。セリフはシンプルでも役者がそれを表現で豊かにして行けばいいのだ。いや、シンプルなほど役者が埋めなければいけない空白がたくさんあり、役者の力量が発揮される余地が多いということでもある。
劇として仕掛けやどんでん返しもあり面白く最後まで観た。しかし伊藤家の家訓を当たり前のように守ろうとする母親の存在はワンターンで平板な人間に見えて劇を浅くしたのではないかと思う。大正や昭和初期なら存在感が十分だろうが、家族意識が崩壊した現代ではもっと違う角度から母親を設定しないと古めかしくなる。
この劇では3人がほぼ同じ視点で平等に扱われ、ある意味で客観的に扱われている。それもいいかもしれないが、母を通して描くか、娘を通して描くかした方が観客としては感情移入がし易い。誰を通して感情移入するかということも重要である。
・装 置:部屋を斜めに切って見せているのが新鮮に写った。カウンターやテーブルや壁などもきちんと作られていて部員の劇作りの熱意や創意工夫を感じた。
・発 声:力抜いて自然に喋るときには言葉もよく分かり安心して聞いておられるが、力が入ってうわずってくると言葉が分かりにくくなる。
NO.10
美鈴が丘高等学校 上演作品 「野球小僧を知ってるかい」(片山稔彦 作)
メモよりー
総 評:昭和30年ごろの広島の小さな広場が劇の舞台。少年野球とその監督を中心に物語りが繰り広げられる。みんな手袋のグローヴ。皮のグローヴが欲しくて母を責め、母は父がタンスに入れていたと言って当時の千円を渡してくれる。まこと少年はそれを大人になるまで使わずに母の記念に持っている。母が内職でためた大金であることを知っていたのだ。当時の少年や地域との深い結びつきを懐かしい流行歌をバックに蘇らす。ラストの場面で母親をまこと、妻、娘の三人で訪ねる。そこへ昔の少年野球の仲間が現れて、一緒に飲みに行こうと誘う。忙しくて子どもとの接触がなかった父親へ不信感を抱いていた娘も父親の世界に理解を示そうとする。
劇を楽しく観たが、今の高校生が観たときに同じような懐かしさを抱くかどうか。流行歌からどんな風景が蘇ってくるか。昭和30年ごろ少年少女だった者とは多分違うだろう。人間が孤立してしまった現代への批判もあるが何となく付け足しの観がぬぐえない。衣装は中途半端で現代に近い。昭和30年代を衣装でも再現した方がいい。高校生の女子が少年野球の男の子になるには無理が目立つ。コンクール形式の大会でなく大人を含め地域の人たちに観てもらったら大変喜ばれるいい劇だと思う。
・衣装:少年の衣装はシャツやズボンも現代のもので大人っぽく見える。昭和30年代のシャツやズボンを再現したい。
その他ー
・流行歌をBGMで流すだけではなく舞台で演奏したりコーラスで歌ったりしたのはよかった。
・監督の人物像がわかりにくい。話し方がワンパターンで癖が見える子どもたちへの反応が何となく型にはまっている無理をして人工的に作ろうとしているのが見える。
・力を抜いて自然に喋る時はいいが、早口で力一杯しゃべると言葉が上ずりわかりにくくなる。大人になってからのまことはやや朗読調が見えるところもありやや一本調子なところもある。
NO.11
福山中高等学校 上演作品 「夏芙蓉」 (越智 優 作)
総 評:後半は劇のどんでん返しもあり緊迫感もあって観客をひっぱていけるが、前半の長くて淡々とした会話でもっと工夫をしたりしゃべり方や動きなど表現を微細で豊かにしないとお客さんは舞台から離れる。そこがこの劇の難しさ。キャストによっては高い声でキーキー喋るので言葉がわからず聞いていて疲れた。終わりの方になるとしんみりとした空気や悲しさがよく現れていてよかった。
装 置:とても丁寧に作っていてよかった。また机やイスの並べ方に工夫があり舞台がとても落ち着いて見えた。
・深夜の校舎内へ入り込んだという設定なのだから初めから大声で喋るのは不自然ではないだろうか。周囲への配慮は必要。それがこの劇の雰囲気の基調をつくる。
・同じ高校生なのだがもっと個性を出してお互いの関係がわかりやすい様に演出し演技したい。
・総 評:それぞれのキャストが役の個性をしっかりと押さえて役作りをしていて劇で人物がしっかりと自立していた。発声もよく言葉がとてもよくわかり安心して劇に身を任せておられた。原爆で死んだ律子の扱いについては違和感が残った。亡霊(幽霊、幻想)を登場させるとき一定の約束は必要ではないだろうか。死者を現存者とまったく同等に扱うというのは無神経な気がする。
演技や発声がしっかりしているので高校生を超えた舞台という印象も持った。どっしりとした重量感が心に残る舞台だった。
・装置、衣装:装置は上手に部屋、下手が庭というよくある典型的な作りだった。大きな問題はないが少し工夫がほしい。庭は部屋に比べてあまりにも殺風景だった。
衣装はそれぞれの年代を表し個性がありよかった。
・劇の冒頭から高校生のあやは大声でしかもオーバーな動きや表現で喋っていたがまだ観客は理由が分からないので付いていけない気がした。観客の心理状態も考えて喋り演じて欲しい。さらに自分の家の老人問題なので大げさに大声で声を張り上げると何となく違和感が生まれる。老人問題は大変なだけに地に付いたもので、無言で耐えて世話をするという苦しみが前提にある。ましてや身内の問題になるといつも派手に言い合いなどしてはおれない。要するに演じすぎない方がこういう劇にはリアリティがある。
・死者の律子が押し入れから出て来るとあやにも清子にも見えて話しかける。あやに見えて大騒ぎをするのだがこの劇作りとしては筋違いではないかと違和感を持った。
NO.13
尾道高等学校 上演作品 「Smoking Boogie] (永畑聡之助 作)(松岡興平潤色)
・総 評: キャストがみんな役の個性を生かして思い切って動き堂々と演じたので安心して最後まで観ることが出来た。ストーリーも次ぎ次ぎと予期しない仕掛けや展開があり観客を引きつけて最後まで引っ張っていった。あちこちで何度も笑いがありラストでは感動もあって最後まで観客を巻き込んだのは素晴らしかった。キャストも9人ともよく訓練されていて演技が安定していた。
・装 置:喫煙室の背後を大きな窓にしてその向こうの廊下を歩く人が見えるようにしたのは素晴らしかった。それによって劇の奥行きや広がりが生まれ外部の風が吹いて劇の風通しがとてもよくなった。喫煙室も舞台前面にとったのも広く使えてよかった。廊下や喫煙室の壁のポスターや掲示物も適切でよかった。
このような大がかりな装置を作り運ぶのは大変だったと思うが、それだけの苦労や努力の報いは十分あった。
・遺書を泣きながら読むとき言葉が聞き取りにくいところがあった。
・2時間ものの脚本をⅠ時間に潤色したといが、とてもうまくカットし潤色していたと思う。ラストに近い場面では少し「お涙ちょうだい」式のくどさが少し感じられた。もう少しサラッとした方がこの劇にはふさわしい気がする。観客には十分伝わっているからである。
・脚本はよくできているがネット台本特有の劇作りの特徴がある。それは単純に言えば観客を笑わせ感動させ演劇特有の一体感を劇場に生み出すために意表を突く仕掛けやどんでん返しなどを次ぎ次ぎと仕組むことを最優先して台本が書かれていることである。そのために深く堀下げるのではなく問題を単なる素材として扱う軽さが全体にあるということである。人によってはこういう傾向を好まない人もいるのは事実である。高校演劇とは何か、という問題に立ち返ることになる。一朝一夕で答えはでない大きな問題が横たわっている。審査会でもこの点が議論になった。ぼくとしては、若干プロの真似、亜流、という印象はのこるけど、高校生がこれだけの舞台を創ったという点では高く評価した。
審査会では5人の審査員の話し合い、投票の結果(二重丸2点、丸1点の合計)最終的に沼田高校、鈴峰女子高校、尾道高校が同じ7点になり、2校に絞るために議論した。それぞれの学校の問題点が出された。鈴峰は同じ7点でも全員が選んでいたので最初に決定した。沼田は問題点はあるが修正は可能であり中国大会に出ても広島の代表として戦えるという意見がでた。尾道は会場との一体感では素晴らしい劇だったが人間の描き方の浅さを指摘する意見もあり、議論がつづいた。最終的には沼田が選ばれたが、審査というのはいつも紙一重の差である。
中国地区大会では、十数年前から、審査員がどの劇を推したかわかるように公開することに決まった。全国大会が以前からそうしていたし、ブラスバンドの大会なども公開していたので、ぼくも審査の公開には強く賛成した覚がある。広島県大会の審査の結果もきっと会報で公表されているはずなので、ここに書いたことは別に秘密の漏洩ではない。講師は工藤千夏さん(青年団演出部所属・演出家)、すはま、久保先生、掛谷先生、矢野先生でした。
(沼田におられた須藤先生が舟入へ、舟入の黒瀬先生が沼田へ転任しておられたのでびっくりした。岡田先生の舞台も久しぶりに観て感心するとことが多々あった。方山先生が創作された劇は初めて観た。イメージが豊かに広がってとても楽しい劇だった。松本先生の創作にも彫りの深い斬新なものを感じた。尾道は脚本さえいいものに巡り会えばすごい舞台が生まれそう。こういう中で2校しか出られないのは大変だなと思う。観音高校におられていい劇を書き創っておられた藤田卓先生が研修会に出られてとてもなつかしかった。声を聞かなかったのでどうされたのかなと思っていたけどもう退職されていたんだ。
尾道の山の頂上に城が見えた。尾道を治めていた武将は誰だったかなと思いながら、「誰が作った城?」と聞いたら、「あんなの商売人が宣伝に作ったんだわね」とのこと。なんとなんと!ことばがでてこないすてきなおのみちでした。)