H26,7/9,12 大阪教育大ホールで『また夏がきて』上演

大阪教育大学公認の「演劇集団F,I」が7月9日(水)12日(土)の2回、大阪教育大学大ホールで『また夏がきて』(洲浜昌三作)を上演します。代表の小田美佳さんから連絡がありました。

DSC05713

近くなら観劇にいきたいところですが、なにしろ遠いので、はるか山陰石見から成功をお祈りすることにします。大田高校や邇摩高校の出身で、大阪に友人や興味がある人がいれば、紹介してください。大学の演劇部でこの作品が上演されるのは初めてです。高校生用の脚本というよりは、高校を卒業した若い人達の青春群像を描いた劇ですから、大学生や社会人が演じても十分通用するつもりで書きましたので、今回の上演がとても楽しみです。
ついでに冒頭2ページを紹介しましょう。テンポよく楽しく会話は進みますが、それぞれの卒業生が深刻な問題を抱えて生きていることがわかります。演劇部の部長で中学校の先生になった紀子は明るく振るまいますが、自分自身が不登校状態になっていることがわかってきます。元演劇部顧問が卒業生たちへ送る温かいメッセージがラストで心を打つはず(?)です。

DSC05714 DSC05715

この脚本集は晩成書房から出ています。5人の脚本が載っていて定価2千円です。欲しい人があれば送料含め半額でお送りします。

H26,7/21 米子市で永井ますみさん 詩の朗読

神戸在住で米子出身の永井ますみさんの「詩の朗読とギターのコラボレーション」が7月20日(日)米子エムスリーカルチャースクエアーで、21日は鳥取五臓圓ビルで開催されます。どちらも15時~と19時からの2回です。

DSC05716

永井さんには『弥生の昔の物語』という詩集や『弥生ノート』というエッセイ集があり、ふるさとの米子の弥生時代をテーマにした作品があります。毎月神戸から研究会に通ったそうです。今回の朗読は『妻木晩田物語』というタイトルの弥生の壮大な叙事詩です。

次のチラシは5月に行われた「詩とギターの夕べ」です。とても好評だったそうです。

DSC05644

永井さんの詩の朗読には定評があります。昨年、しまね文芸フェスタで詩の分科会に京都の有馬さんと一緒に来られて朗読されました。発音が明瞭、微妙な表現もできる技術を見につけておられます。ギターはスペインへ留学しヨーロッパで数多くのリサイタルを開いて来られた門脇康一さん。

希望される方には永井さんへ連絡をとります。若干割り引きがあります。興味のある人はどうぞ。

 

9月15日に妻木晩田遺跡公園にある弥生会館で、永井さんの詩の朗読があり、はるばる大田からでかけました。淀江町を車で走り、妻木晩田遺跡の高台に上がって眺めると、日本海が見えます。4世紀ころは多分今の平野は日本海の湾だったことでしょう。大陸の文化が直に入ってくる点では、出雲と同様です。当時は日本の文化の最前線だったのではないでしょうか。

永井さんの詩の朗読を風景写真で紹介しましょう。場所としてはとても風情のある場所です。

DSC05971

永井さんの朗読は発音がとてもきれいで、可愛いらしい声が魅力的です。かなり朗読の修練をしておられますので、表現力もあります。ぼくらも劇研空で詩の朗読を今までに何度もやりましたが、詩だけの朗読で一般の人を引き付けるのには無理があります。音楽や朗読劇などとうまくコラボレーションしないと単調な時間になってしまいます。今回はギターと解説のコラボでした。直前にぼくらも大田市民会館で「朗読を楽しむ」を開催したばかりでしたので、詩の朗読について、朗読のプロデユースの仕方などについて、いろいろ考えました。

DSC05969

 

永井さんには10冊以上の詩集があります、「愛のかたち」では富田歳砕花賞を受賞しておられます。全国の詩人や詩の朗読会をたずねて、詩人の詩の朗読を記録してDVDに編集しておられます。いままで2度島根に来られたとき、洲濱君の詩の朗読も撮影されました。次の詩集やエッセイはここ数年に寄贈を受けたものです。

DSC06068

H26 島根県民文化祭、文芸作品募集

平成26年度の県民文化祭の文芸部門の運営委員会が開かれ、今年度の予定などが決定しました。文芸作品(短歌、俳句、川柳、詩、散文)の募集要項ができあがりました。各市町村の文化施設や学校などには届いているはずです。手にとって見てください。

作品募集は7月1日~9月5日です。ぜひ多数のみなさんに応募していただきたいものです。ぼくは詩の部門ですが、ここ数年30編前後で停滞気味です。小中学生が参加できるジュニア-部門は年々応募者が増えています。

DSC05684

表彰は12月14日、松江の島根県職員会館で行われます。入賞作品は「島根文芸」に掲載されます。

DSC05685
DSC05686

電子メールでの応募もOKです。bunkashinko@pref.shimane.lg.jp
「島根県民文化祭」とういうホームページもありますので、どうぞ。

DSC05687

小中学生は自分から応募する者は少なくて、学校の先生の指導によって作品を書き、それをまとめて送ってこられる場合がほとんどです。ぜひ参加してください。

H26 「蛮族」37号で 作家・石田 登氏追悼

孤高の作家・石田 登さんが他界されたのは平成25年7月28日、88歳だった。石田さんは島根県雲南市吉田村川手に生まれ、農業をしながら小説を書いてこられた。「蛮族」が1976年7月に創刊された時からの有力な同人だった。その「蛮族」が平成26年4月に37号を発行し、石田さんを追悼している。

H26 「蛮族」37号

石田さんからは毎号「蛮族」を贈ってもらっていたので、必ず読んで、感想を書いて送っていた。年賀状もやりとりしていた。山陰中央新報に何度もエッセイを書かれたので、切り取って保存している。実際に会ったのは2,3回だけで、いつも文学の会合だったために、じっくり話したことはなかったが、小説を読んでいたし、その小説は一貫して私小説だったので、なんとなくよく知っているような気がしていた。寡黙で誠実な人だったが、小説に対しては厳しい人だった。50歳過ぎごろから、吉田村で陶芸もやっておられ、作品はプロ級だったそうで愛好者もあったという。一度訪問してみたいと思っていたが、とうとう実現しなかった。

「蛮族」37号目次

同人や関係者の追悼文は石田さんの小説を理解するのに大変参考になる。内藤美智子さんと野津泱さんの小説も載っている。大変おもしろく読んだ。

「蛮族」の編集・発行は松江市下東川津町266-7 野津 泱。定価500円。購入希望者はどうぞ。

詩 娘たちの「銀山巻き上げ節」

娘たちの「銀山巻き上げ節」
              ー石見銀山考ー                   洲 浜 昌 三

石見銀山で働いていた女性に会いに行こう  と誘われ
老女を訪ねたのは四十年前
娘のころ柑子谷の永久鉱山で働いていたという

地下三百メートルの立坑の座元から
鉱石が入った重いバケットをロープで引き上げる
若い娘が四人で 歌を歌いながら巻き上げたという

「歌ってくれませんか」というと
小柄な老女はニッコリ笑って歌いはじめた

仙の山からよー 谷底みればよー
捲いた まーたぁ 捲いたの アーヨイショ
アー声がするよ アーシッチョイ シッチョイ

娘のような声に乗り
歌は伸びやかに流れた
全身を使う厳しい労働なのに
どこか華のあるゆったりとした労働歌

三十五番のよー 座元の水はよー
大岡 まーたぁ 様でも アーヨイショ
アー裁きゃせぬよ アーシッチョイ シッチョイ

首に豆絞りの白い手ぬぐい
絣筒袖の着物に 赤い腰巻き
足には脚絆と藁の足半
巻き上げは若い娘の仕事だった

元の歌にはこんな歌詞もあったという

三十五は番よー この世の地獄よー
行かす まーたぁ 父さんは アーヨイショ
アー鬼か蛇かよー アーシッチョイ シッチョイ

過酷な労働だったのに
伸びやかで美しいメロディ

昭和18年の大洪水で再開発中の夢も砕かれ
六百年つづいた石見銀山の歴史が終わり
労働者で賑わった仁摩の街も寂れていったという

石見銀山を素材にして書いている「石見銀山考」の一篇です。「花音」の40周年記念コンサートのために鍵盤男子の中村匡宏さんが合唱用に曲を作らましたので、参考になるかもしれないと思い、載せてみました。この詩は大田市文化協会会報誌「きれんげ」と『中四国詩人集』にも載っています。

昭和48年頃、石見銀山の永久鉱山(仁摩側)で働いておられた人に話をうかがいに行きました。ぼくはテープに録音しました。しかしそのテープを捜してもまだ見つかりません。ぼくも若くて、価値をあまり意識しませんでしたが、時とともに価値が増して行きます。必ず捜します。

どのような動作で仕事をしたのか。想像はできますが、具体的に知りたいものです。労働歌ですから、それによって元の歌のリズムもわかってきます。ぼくの想像では、現在の歌い方より、もっと力強くて素朴な歌い方ではなかったのかという気がします。)

 

H26 熊井三郎詩集『誰か いますか』

島根県詩人連合は会報を発行しています。5月に76号がでました。今号では、閤田真太郎さん有原一三五さん、有川照子さん、井上祐介さんたちの詩と、群上健さん、栗田好子さん、槇原茂さんの随筆があります。

会員の詩集紹介として、渡部兼直さんの『渡部兼直全詩集』と有原一三五さんの詩集『酊念祈念Ⅱ』、成田公一さんの詩集『女たちへ』を紹介して、詩集の中から一篇を載せています。【最近読んだ詩集から】という連載コラムがあり、スハマクンが熊井三郎さんの詩集の感想を書いていますので紹介します。この会報は希望があればお送りします。

【最近読んだ詩集から】

DSC05652

   独立した詩精神のさわやかさ       ー  熊井三郎詩集『誰かいますか』ー     洲 浜 昌 三

多くの詩が時代の状況に埋没している感がある中で、この詩集の言葉は状況や素材から起立している。この「自由な闊歩」が痛快でとてもさわやかだ。

熊井さんとは一、二度会ったことがあるが、もう四〇年くらい前のことだ。松江へ赴任してきて、文学の会合で一緒になった。弁も立ち、論旨明快、発声明瞭、言行一致、実行力もあり頼もしかった。同年生まれで、時代感覚が合う面もあり、時間を忘れて話した記憶がある。

いつの間にか松江から消え、「山陰詩人」で時々詩を読むだけになった。骨組みが覗き肉が薄い風刺詩も多かったが、タンカを切ったような潔よい詩を楽しみにしていた。  その後、奈良に居を構えた熊井さんとは年賀状のやりとりだけで、会ったことはない。

今回の詩集は処女詩集だという。熊井さんらしい。それが壺井繁治賞を受賞し、小熊秀雄賞候補にもなった。  三六編の詩は三つのパートに分けてある。最初は、身辺を素材にした温かく人間味にあふれた詩で、「父の贈り物」「約束の春」など不意に胸に迫ってくる感動がある。

しかし、一般的な意味の感動を期待して書いた作品はほとんどない。客観的な事実を並べ、積み上げてストリーを展開し、その中で、風刺や言葉遊び、比喩、意表を衝く逆転、告発、戯画化などで読者を引き付け、楽しませ、怒りや共感を呼び起こし、ふとした隙間から温かく感動的な風景が見えてくるという仕掛けです。

第二のパートでは、大阪弁を生かした言葉遊び軽口、毒舌、風刺を駆使した詩が楽しい。夜間識字学級の先生に三行以内の詩を頼まれて書いたという詩の一部を紹介しょう。
「馬くいかへんのよ/牛ろむきになるなよ/熊ったら言って来いよ」
「いつまで猫ろんでるの/ぼちょぼち犬わよ/蛙んやったら亀へんよ」

ばかばかしい駄洒落と思いながら、感心し、一本取られ、楽しんでいる自分がいる。

最後のパートは時代的、社会的、思想的に厚みと重さのある作品が中心になっている。「七十年目の証言」では中国大陸へ従軍した元兵士の残酷な事実が語られる。
「男がおったらすぐボンとやるわね/男はみな敵やからね」(略)「ひとりの兵隊が籠の前に立って/なにするか思たらションベン始めよった/泣いてる赤ちゃんの口めがけて/じゃあじゃあとね/やめたらんかいとわし言いたかったけど/みんな見て笑(わろ)とる」。強烈です。

最後の詩・「誰か いますか」は詩集のタイトルになった詩で、夢と希望の光が射してきます。  「俺たち隊員は 外国語が必修だ/韓国語 中国語 タガログ語」。国際災害救助隊員になって困った人たちを助けに行き、災害で閉じ込められている人へ言うのだ。
「誰か いますか/返事をしてください」

フィクションですが、現在進行中の海外で戦争ができる自衛隊へのアンチテーゼであり、同時に人間性豊かなアウフヘーベンでもある。

ーこの詩集をわが詩業のこよなき理解者にして協力者たる妻に捧げるーと冒頭にある。

ボクへノフウシ?
ノーノー。これは詩に非ず。献詞なり。論旨明快、発声明瞭。ここにも感動しました。
(詩人会議発行)

(紹介したい詩集はたくさんありますが、暇がありません。島根県詩人連合会員の詩集は優先的に、と思っていますが、まだの詩集が数冊あります)

 

H26,5/25 詩人連合総会、『島根年刊詩集42集』合評も

平成26年度の島根県詩人連合総会を5月25日(日)13時から大田市のパストラルで開催します。それに先だって、10時30分からは理事会を開きます。協議事項は、役員選出、事業報告、決算予算、しまね文芸フェスタ2014(大田市「あすてらす」で開催)、『しまねの風物詩Ⅱ』の刊行について。

終わってから、年刊詩集の合評会を開きます。『島根年刊詩集』は42集となりました。残念ながら高齢者が増え、年ごとに参加者が減少していきます。若い人に参加してほしい!

DSC05661

目次を紹介します。島根県高等学校文化連盟文学コンクール「詩の部」で入選した優秀作品も掲載しています。松江農林の船木さん、松江東の鈴木さん、吉賀高校の藤永さん、松江東の谷本さん、益田高校の森本さん、平田高校の伊藤さんの作品です。若い感性がさわやかに光っています。

DSC05662

事務局は安来市飯島町1842  島根県詩人連合事務局長 川辺真です。

希望があればお送りします。メールでもいいですし、電話(82-3040)でもかまいません。大いにベンキョウします。詩など読む人がいない時代に、読んでいただけるだけで最高です。

来年のしまね文芸フェスタは、詩部門が担当になります。講師を誰にするか、今から検討しておかなければなりません。

H25 中四国詩人賞、壷坂さん 木村さんへ(香川大会)

第13回中四国詩人会香川大会が10月5日、髙松市のリーガホテルゼストで開催されました。香川県は会員が少ないのでいろいろな面で大変だったとおもいますが、宮本光さんのご尽力により実現し成功裏におわりました。決算、予算、行事計画を了承し、中四国詩人賞の受賞式がありました。

DSC05002(山本会長から賞状を授与される壷坂さんと木村さん)

第13回中四国詩人賞は壷坂輝代さんの『三日箸』と木村太刀子さんの『ゆでたまごの木』でした。どちらの詩集も素晴らしく差をつけることができなかったようです。山本衛会長から賞状と副賞が授与されました。

選考委員長・岡隆夫さんの選評をニューズレター34号から引用します。

壷坂輝代詩集『三日箸』:
「つい見逃しがちな「箸」という日常茶飯の小さな素材をわれわれ日本人にとっては重要な生き様の基本として取りあげ、その様々な局面を風俗の面から、あるいは歴史的局面から掘り下げ、ひとつの特色ある文化の体系としてまとめている。その無駄のない凛とした詩行も多とすることができる」

壷坂さんの詩集は書棚にありますので紹介します。理知と感性のバランスがとれた完成度が高い詩です。詩人だけではなく一般の人が読んでも多いに感じるものがある詩集です。

DSC05654 DSC05653

木村太刀子詩集『ゆでたまごの木』:
「一見奇異な発想に思われるが、戦後の貧しい体験に基づくものであり、そのなかにありながらも将来の夢につながるヴィジョンとして描かれていることがうかがえる。エッセイ誌の編集発行者でもある木村氏の詩行には、如何にすればより優れた詩行になりうるかという芸術的な意識が感じられる」

詩集は読んでいませんが、一篇だけ詩を読みました。散文詩でしたが遠くまで神経と感性が行き渡っていて読者を遠くまで連れていってくれます。フィクションもありますが、そのフィクションを埋める言葉の豊かさ感性の高さはには大いに感じ入りました。

「不運にも次点となった、くにさだきみ詩集『死の雲、水の国籍』は戦争の惨劇を大胆な比喩によって深く堀下げており、他に類を見ない。選考委員は今回も辛い選択を強いられたことを付言したい」

( 選考委員:小松弘愛、咲まりあ、蒼わたる、宮本光、岡隆夫。陪審として山本衛会長、萱野笛子事務局長、長谷川和美書記が参加)

三詩集共に個性と独自性があり、しかもレベルも高い詩集です。差をつけるのは難行だったことがよくわかります。

朗読は中川さん、牧野さん、渡辺さん、川辺さん、川野さん、秋吉さん、大森さん、鷲谷さん、吉川さんでした。山口の秋吉康さんは2012年12月に出版された『隣にいた人』から朗読されました。味わいのあるいい詩集です。

DSC05009

講演の講師は宮崎市在住の南邦和さんで、「韓国の歴史風土と文学事情」。講演を聞いてとても勉強になりました。日本が支配し日本語を強制した暗黒時代の空白は今も根強く残っているという指摘には胸が痛んだ。韓国の事情にとても詳しく貴重な時間を過ごすことができました。声量があり、発声がとてもいいので、親睦会のとき、そのことをいうと、演劇などにも深く関わっておられるそうで、なーるほど、そうだったのか、と納得しました。

南邦和さん
翌日の文学ツアーは平賀源内の記念館、古代の山城などを訪ねました。源内のことは少しは知っていましたが、凄い人ですね。源平合戦で屋島の戦いが行われた場所を眺めましたが、当時の湾はかなり埋め立てられて住居地になっていました。空想だけだった屋島が具体的な風景として頭に残り、今後は大いに源平合戦の舞台背景として役にたつことでしょう。

DSC05014
DSC05024 (屋島です。熊谷直実が若い平家の武者・敦盛の首を取った場所でもあります)

26年度の大会は広島県尾道市で、9月27日(土)に開催されます。会長は四万十の山本さんから、尾道の高垣憲正さんです。山本衛さん、おつかれさまでした。

DSC05017(この写真は平賀源内記念館の近くです。あまりにも海の色がきれいなのでパチリ!名所ではありませぬ)

9月28日には大田市で「しまね文芸フェスタ」が開催されます。ぼくが欠席して尾道へ行ったら顰蹙をかうことでしょう。アーサー ビナードさんの講演も聞きたいけど、残念でーす。

 

H26 「しまね文芸フェスタ」は大田市で

2014年3月27日、松江で平成26年度島根県民文化祭文芸部門第2回運営委員会が開かれました。俳句、短歌、川柳、詩、散文部門から代表者が出席して、25年度の反省、決算、26年度の予算、事業計画を話し会いました。

「しまね文芸フェスタ2014」は9月28日(日)大田市の「あすてらす」で開催することが決まりました。担当部門は川柳で、会長は竹治ちかしさん、副会長は長谷川博子さんです。

講師は矢崎節夫先生。児童文学作家、童謡誌人、金子みすゞの研究家として有名な先生です。以前大田のサンレディで講演され、聞きに行ったことがあります。

劇研「空」も以前、「朗読を楽しむ」で金子みすゞの詩の朗読、歌を取り上げ、市民会館中ホールで披露したことがあります。大田で開かれますので、現地の実行委員会も作られます。また講師歓迎の前夜祭もある予定です。竹治さんは大田の出身ですから、いろいろ好都合です。関係者のみなさん、そのつもりで予定に組んでおいてください。

 

 

出雲高校演劇「ガッコの階段」舞台評です

平成25年度の高校演劇全国大会(長崎)についてはこのブログでも紹介しましたが、10月に行われた島根県大会で「見上げてごらん夜の☆を」が最優秀賞、中国地区大会でも最優秀を受賞して連続して全国大会へ出場することになりました。

2013年の島根の高校演劇関係のことは、このブログでも何度も紹介しています。検索して読む人が多く5つの記事とも閲覧のベスト10の上位を独占しています。そこで高校演劇を応援することを目標の一つにしている劇研「空」ですから、ここでもう一本硬派の劇評を紹介させていただきます。

全国高校演劇協議会が発行している「演劇創造」から7人の講師の舞台評です。「ガッコの階段」がどのように観られたか、とても参考になります。「演劇創造」は各学校の演劇部には届いていると思いますが、読んでいなかったり、顧問の手元で保存されていたりすることも多いかと思います。劇作りの参考になれば幸せです。

まず「演劇創造」のPRを兼ねて一面、二面を写真でご案内します。全部で8面あります。以前は冊子でしたからファイルに保存に便利でしたが、新聞になってからは保存が難しいので困っています。(カッテニコマレ。ベンリガイイカラシンブンニシタノダ)すみません。

DSC05318

出雲高校『ガッコの階段』審査委員講評 演劇創造129号より

平田オリザ(劇作家)
島根県立出雲高校『ガッコの階段物語』も、震災をテーマとした作品です。いくつもの言葉遊びが仕組まれていて、巧みな構成になっています。残念なのは、前半をコメディタッチで後半は一転してシリアスにというのは、高校演劇では多くありますが、どうもその転換が唐突すぎる舞台が多く見られ、この戯曲もその感が否めませんでした。後半の展開を予感させる部分を、もう少し前半から折り込んでいくと、より重層性のある作品になったかと思います。

高校演劇の魅力は、皆さんが、不安定な「生」に立ち向かうところにあると私は感じています。その点ては、今年の全国大会は、まさに高校演劇の魅力満載の大会になったのではないかと思います。

乳井有史(北海道苫小牧南高等学校演劇部顧問)
これも大震災を経て作られた芝居である。学校の階段の持つ意味が、一歩踏み出すための勇気の階段であったり、人生を終える天国の階段であったり、津波から生き延びるための命の階段であったり、その意味がテンポ良く替わっていく。その展開は独創的である。部内で智恵を絞り、ワイワイと作り上げたと想像される奇抜さに満ちている。被災地ではない場所から被災を描くためには徹底した誠実さ、リアルさが求められる。津波と幽霊という題材に違和感を持つとの指摘がいくつか聞かれたが、創造力のある部である、この姿勢を深化させていって欲しい。

篠崎光政(日本演出家協会理事)
椅子の転換や場面転換の演出のスピード感は心地よい演出であった。階段をモチーフに演出の工夫が随所に生きていた。問題はそのアイデアにこだわりすぎ、作品の本質を深く大きく描くことが出来なかった点にある。生きる場所、生き抜く場所、惜しいアイデアだったが、説得力に欠けた。
DSC05320

今井 修(演劇評論家)
生者が死者を悼み、死者が生者を励ます。東日本大震災の被災者への思いが強くにじんだ舞台。当事者でない生徒たちが、この題材を扱うには、様々な迷いやためらいがあっただろう。扱い方にもうひと悩みあっても、という思いも残ったが、敢えて挑んだ勇気をたたえたい。学校の階段の怪談話から津波の記憶へとつなげていく。様々な工夫の光る舞台だった。平面の動きが主体の上演作品の中で、高さへの着眼が新鮮。「階段・怪談・会談」といった言葉遊びに、牛ヤスター付き椅子での瞬間移動、訓練の行き届いた合唱……。中でも、ブルーシートを使った津波のシーンは圧巻。終わらない日常のメターファーとしての階段から、生きるための階段への転換を鮮烈に視覚化した。

松井るみ(舞台美術家)
階段は舞台美術装置の中でも最も使われる頻度が高く、俳優の立つ位置の「高さ」の違いで俳優の人間関係をビジュアル化できる。階段の意味が改めて問われており、興味深いと感じた。引用されていたエッシャーの階段は、騙し絵の階段であり、実存できないものを引用していた点は、もう少し考えても良かったかもしれない。キャスター付きの椅子を使って展開するのもスピード感があって面白かった。

清野和男(全国高校演劇協議会顧問)
設定は面白いと思いました。一つ一つのエピソードが、「人生を生きるということは一歩一歩を歩み続けている」ということの象徴であると感じました。しかし収束が少し安易になっていることが、面白さを無くしてしまったと思えました。しかし、演技者はテンポも良く、非常に緊張感を持って演じていたと思います。

高森 章(全国高校演劇協議会顧問)
「私たちの目の前にある階段は何のために上がるのか」という自問自答を、いろいろな見せ場を盛り込みながら描いてくれました。「生きるため」「生き延びるため」ということでしょうか。高くそびえる階段は、「たちはだかる」という存在感のあるセットでした。また、キャスター付きの椅子の利用は、スピーディな舞台展開に効果的でした。

それぞれプロの演劇人、演出家、舞台美術家です。清野先生は東北地区の代表、高森先生は中国地区の代表で、みな高校演劇の大ベテランです。篠崎先生には大田市民会館で中国大会を開いたとき講師で来ていただきました。

どの舞台評にも同感する言葉がたくさんありますが、ぼくが出雲高校演劇部の劇を見て一番感じていたことは平田オリザさんの次の言葉です。「後半の展開を予感させる部分を、もう少し前半から折り込んでいくと、より重層性のある作品になったかと思います」

このことは脚本を書く伊藤先生にも、またみんなで議論しながら劇を創っていった部員のみなさんにも参考になるのではないかと思います。今年の県大会の「見上げてごらん夜の☆を」ではぼくは「背後にある一本の棒」という言葉で講評しましたが、「アイデアの細切れ構成劇」にならないようにするためには必要なことだと思います。