R6,国史跡、邑南町「久喜銀山遺跡」について(月イチガク講演)

15日「さんべ縄文の森ミュージアム」で表題の学習会がありました。今回は邑南町の「久喜・大林・岩屋銀山遺跡」発掘調査を基に、邑南町教育委員会の大野芳典さんが講演されました。コンパクトにまとめた写真入りの資料集も配布されましたので、とても便利でありがたい。國指定の鉱山遺跡は全国で9箇所しかなく、国指定になっている石見銀山を構成する遺跡として、この鉱山は歴史的に重要な遺跡だと強調さてました。資料から引用してみます。
1190年代・・・久喜銀山が発見される(伝承)
1500年代頃・・毛利氏による開発、支配
1600年代初め・江戸幕府の直轄地お大森代官所による支配
18~19世紀・・衰退~再開発(床屋吹所跡)
1900年代前後・津和野の堀家による操業(久喜精錬所跡)田所小学校にいたころ、遠足で「志都岩屋」(しずがいわや)へ行った記憶があります。小高い岩の多い山ですが当時はちょっとした名所でした。ここも鉱山があった所です。この一体は「久喜、大林、岩屋」銀鉱山だったのです。広島側から見た写真があります。こういう方角から見たこともないので目からウロコでした。写真の上部が出羽の町です。更に左側に行くと田所です。この角度から見ると毛利氏にとっては目の前の宝です。更に調査が進み、記録や資料が発見されることを期待したいものです。砂鉄についても石見にはまだ未発掘なものがあるのではないかと思います。子供の頃、父と山へ薪取りにいくと、ここは砂鉄を取るために水を流したところだ、などと説明してくれたことがあります。大陸に近い石見には、当時の先進的な遺跡が眠っている気がします。新しく発見された川合の遺跡も、仁万の遺跡も貴重です。新発見がありそうで楽しみです。講演、勉強になりました。ありがとうございました。
(ブログ:地域情報 久喜銀鉱山遺跡  20240616洲浜昌三)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です