R6,「永井隆物語」雲南市で公演、濃縮された感動の舞台(4/27,28)

永井隆博士の出生地・雲南市チェリヴァホールで創作劇劇が2日間上演され、満員の観客に大きな感動を与えました。長崎に投下された原爆で妻を失い、自らも被爆しながら被爆者の看護に献身した永井隆博士の出生から最後までを、家族を中心に焦点を絞って創作演出(亀尾佳宏先生)された舞台は、一本の線が通り息が抜けないような濃縮された舞台になりました。それは舞台装置から生まれた成果でもあります。舞台の上手と下手に4段の階段を組み24人ばかりのキャストは、その階段へ座っています。演技はその谷間(舞台の中央)で行われますが、座っているキャストは場面に応じて歌い、一人や数人でセリフを言い、群読し、一斉に声をあげ、更に階段から下りてきて劇を演じるのです。

(写真撮影は厳禁なので、終わって舞台をパチリとしました)
舞台装置が生きていました。鉄骨の骨組みは原爆が投下された後の場面で実に効果的でした。照明も生きていました。
初日と二日目ではキャストを総入れ替えで上演するというとても面白い試みが行われました。どうしても2日間観たくなりますが、大田は遠いし仕事もあるので、2日目を劇研「空」の松本夫妻と観劇に行きました。主役の永井隆を演じたのは劇研「空」の山本和之君。大田から大勢行きました。感心したのは超短期間の練習で長いセリフを完璧に消化して、堂々と演じたことです。誠実で生一本な永井博士の姿が浮かび上がりました。(さーすが、大田高校演劇部出身、という声がどこからか聞こえてきました。今は演劇部はありません)
見送りをする主役の山本君と左に亀尾先生の半身(?)正に。
久しぶりに亀尾先生と会話しました。「この道はいつか来た道・・・」の歌が生きていましたね。というと、ありがとうございます、という笑顔。そうです。単なる過去の物語ではないのです。ついでに、新聞を紹介します。隙間のない濃縮舞台でしたから(冒頭を除いて)、息を詰めて見つめました。それだけに、長い沈黙が生きていました。この劇はいろいろバージョンを変えて、三刀屋高校が何度も上演したり、朗読劇で発表されたりしています。とてもいいことですね。最後のパンフレットから借用してパチリ!いい表情ですね。みなさんおつかれさまでした。島根の演劇にまた一つ財産が積み重なりました。
(ブログ:観劇 昇ちゃんの演劇だより 20240509洲浜昌三)

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