田村のり子さんの第8詩集、『ヘルンさんがやってきた』が平成27年11月に出版されました。今年1月15日には入沢康夫さんが山陰中央新報に書評を書かれました。島根県詩人連合会報80号に読後感を書きましたので紹介します。
田村さんには次のような詩集があります。『崖のある風景』『不等号』『もりのえほん』『ヘルンさん』『連作詩ー竹島』『幼年譜』『時間の矢ー夢百八夜』。評論にも優れた労作があります。『出雲石見地方詩史50年』『島根の詩人たち』『入沢康夫を松江で読む』
詩集『ヘルンさんがやってきた』 実績と信頼から生まれた詩集
洲 浜 昌 三
この詩集は「へるんさんの旅文庫」第二集として八雲会から出版された。
このような形で世に出る詩集が現在の日本にどれだけあるだろうか。ほとんどの詩集は自費出版である。求められて誕生することは滅多にない。
八雲会は1914年に創立された。1965年に第二次八雲会が発足し、約300人の会員を擁する歴史と実績のある団体で、有名な大学教授(入沢康夫氏、平川祐弘氏なども)や研究家も会員として講演したり、会誌『ヘルン』へ度々寄稿する実績のある学術団体でもある。また松江で小泉八雲が果たす意義は絶大で、八雲会は観光面でも教育の分野でも、行政とタイアップして活動していて、八雲作品の英語スピーチコンテストもある。
このような伝統のある会がその価値を認め出版したことで、この詩集は一過性に終わらないだけでなく、一般の人にも広く長く読まれる可能性を秘めている。著者は、動かなくても、詩集は動くのである。
「いい詩は詩集の中で永眠させてはいけない」といつも思っているぼくは、この詩集を手にしたとき、このことが何よりも嬉しかった。
編集者の村松真吾さんは詩人ではなく、八雲会の常任理事である。当初は「写真を添えた旅ガイド」として考えていたが、作品を読み編集していくなかで、「こうした安易なアイデアは通用しないのではないか」と考え、「詩によるヘルン論として読むには道しるべが欠かせないと考えた」と「編集小記」に記しておられる。
松村さんは、詩の中で引用された文や語句の原典を調べて、28ページにも渡る簡潔な注を詩集の最後に添える労を執られた。
46編の詩の中には、ハーンの作品からの引用が多数あり、読んでいると、どの作品の引用か、と考えることが度々あった。そういう時、ハーンの原石に触れることができるので、原石と作者との距離や角度、見方、解釈などが浮かび上がり、読む楽しさと味わいが深まる。ハーンの理解がある良き編集者にも恵まれた詩集である。
詩集『ヘルンさん』が出たのは1990年。25年前だが、今も記念すべき名著だと思っている。原典を多用し豊かな解釈で感性豊に伸び伸びと書かれていて8ページに渡る長い詩も多い。
今回の詩集では「1編2ページ厳守」。箱寿司のような枠が設定されている。以前の田村さんなら「詩をバカにしなで!」と相手に鋭いキックを浴びせ撃退したことだろう。
キック力が衰えた訳ではない。しっかりした本店はあるので、支店を作って多くのお客さんに楽しんでもらうのもいいだろう、と思われたにちがいない。(スミマセン勝手な憶測で)詩は短いほどポエジーが豊になり、人も近よりやすくなるのも真実だ。
土地や人物に素材が固定されて詩を書くとき、「何が詩になるか」は難しい問題である。下手をすると土地案内や人物、記録紹介になりかねない。この詩集ではその点に関して劣ることはない。長年の本格的な研究や資料調査を生かして、十分ハーンと松江を紹介されている。では、どこに詩があるか。一つ挙げてみる。
田村さんの詩の特徴は「知」や「批評性」にある。この詩集でもそれは随所に生き、光っている。ハーンの著作や交流、生活などを通した東西の文明批評である。詩が単調さや情緒に流れることを嫌い、( )を使って別の視点を持ち込んで流れを変え、読者の目を醒ます。そこにはユーモアや風刺や独自の視点もあり、面白く楽しい。素材が持つ風景の上に、作者が眺める距離、角度の違いから生まれる風景から詩が立ちあがる。
コンパクトな箱詰めになったために、すっきりした詩が多くなった。逆に、場所など名詞が次々出てくる詩になると窮屈でイメージがついて行かない場合も数編あった。
恵まれて生まれた詩集である。それは長い間、ハーンと取り組んで来られた田村さんの実績と、それに対する信頼という確かな母体があったからである。
発行所は八雲会ー松江市西津田6-5-44 松江総合文化センター内 ホームページもあります。定価は1500円。