H24 石見銀山を「舞奏歌」舞台発表成功裏に終わる

2012年6月24日、サンレディ大田で、石見銀山世界遺産登録5周年を記念して「石見銀山を舞い奏で歌う」発表会がありました。石見銀山に関係する合唱や歌、舞踊、民謡など多彩な舞台で楽しい時間を過ごしました。舞台の風景写真を中心に紹介しましょう。
 チラシとプログラムの表紙です。銅鐸を思わせる黒をバックにしてちょっと印象に残るデザインですね。ぼくはプログラムなどは保存していますが、「いいね」というものはたまにしかありません。簡単なようで難しい。記録性や芸術性、創造性、独自性なども覗われるものは貴重で時代がたっても役にたちます。(ナニヲイイタイノダ!ホンダイニモドレ!)

トップは「サウンドコラージュ」です。劇研空は今までに何度も共演しています。今回の合唱組曲「石見銀山」は6曲から構成されていますが、大田市文化協会結成30周年で当時の会長・勝部義夫に依頼されて「鶴」という脚本を書きその中で歌われた曲です。作曲は大畑世利子さん、作詞は洲浜さんです。「仙の山に立つ」などはいろいろな機会にサウンドコラージュによって歌われています。さわやかないい曲です。詞も!

写真は大田市少年少女合唱団とコラージュのみなさんです。「三瓶小唄」と「温泉津小唄」を伊藤裕子さんの指揮で歌いました。和服がきれいで素敵でした。もちろん歌も!

この「温泉津小唄」はかの有名な野口雨情の作詞です。昭和18年4月29日、温泉津の俳人山口打聴さんたちの招きで奥様と一緒に温泉津へこられ作詞されたのです。昭和32年に内藤淳作町長の尽力により、大村能章作曲、市丸の歌でビクターからレコードになりました。8番までありますが、その一部です。雨情の作詞ですからそのうちまた復活して歌われる琴でしょう。貴重な財産です。

石見温泉津は湯のわくところ
住めば住むほどくらしよい

今宵や温泉津の温泉泊まり
旅の疲れも湯で流す

昔なつかしあの七騎坂
幾度涙で越えたやら

上の写真は「石見銀山英苑会」のみなさんによる「石見銀山馬子唄」です。これは藤村英苑さんが作曲されたものです。藤村さんとは以前「石見銀山歴史物語」の舞台でこの歌を歌っていただきました。魚売りの役でした。普段も舞台でも気っ風がよく、言葉も動作も切れがあり、声は抜群、節回しもさすが師匠さんだけありずば抜けていて感激したのを覚えています。今回も素晴らしい声でした。もったいない人です。
 今回の主催は「石見銀山を舞い奏で歌う」実行委員会、文化協会の共催です。実行委員長の石田さんから挨拶があり、石見銀山の文化的な遺産を子どもたちに伝えて行きたい、と考え今回の企画をしたと話されました。いつも忙しい石田さんがこのような役を引き受けられたことに感銘をうけました。

ご主人のケンサクさんは「詩と絵はがきによるダイレクトメール」を企画、月に1回ぼくが詩を書き、1000通くらい発送されたそうです。郵政省のナントカ賞も受賞しています。親子劇場の会長もしておられましたし、歌は抜群のケーオーボーイ。ぼくが退職したら音楽と演劇で何かやりましょうと意気高らかにノンダものです。(ミチクサヲスルナ、ゴメン)

大森で浅野温子さん「古事記読み語り」

2012年6月24日、大森の城上神社境内で浅野温子さんの「古事記 読み語り」の公演がありました。「ヤマタのおろち」「因幡の白うさぎ」「義父が与えた最後の試練」と3回に分けて行われました。最初の語りを聞きましたが、さすがはプロ!200人ばかりのお客さんは一人で演じられた1時間の読み語りに惹きつけられました。

写真は城上神社(きがみ)です。写真撮影禁止なので、始まる前に写したものです。この神社は元は仁摩町馬路の城上山にあり、1434年大内氏が大森の愛宕山に遷座、1477年には毛利輝元が現在の場所に移した、と記録にあります。王国主命を祭っています。

古事記の原文を朗読しても理解できませんが、浅野さんは分かりやすい現代語で脚色しておられました。いろいろな人物の会話、独白、地の文、説明、感想や解釈等々、それを見事に使い分けて語られました。

耳だけではなく目で見えるようにイメージ豊かな言葉に書きかえられたところに感銘を受けました。同時に「現代にとってヤマタのおろちとは」という視点が貫かれていました。単なる女優ではなくcreatorとしてもすごい人だな、と思いました。

6月25日の山陰中央新報が一面で報道していましたので、切り抜きを写真でパチリと写して紹介させていただきましょう。読みたい人はどうぞ買って読んでください。
台本は手に持っておられますが、もちろん言葉は体に染みこんでいることでしょう。自由に動き回って語られましたが、それも自然でした。はるばる石見の大森まできていただき、おつかれさまでした。

 

文化芸術の「新しい公共」フォーラム

2012年6月1,2日に「あすてらす」でフォーラムが開かれました。正式な名前は、文化芸術における「新しい公共」連携フォーラム。初日は講師の北川秀人さんが「文化芸術における『新しい公共』のこれから」と題して基調講演。実績や先見性のあるすごいひとですね。

パネルディスカッションではグラントワボランティア会長の石田彰さん、石見銀山ガイドの会の前会長和上豊子さん、東京家政大学准教授 宮詢子さんが具体例を報告。それぞれ参考になる事例がたくさんだされました。

夜は交流会。それぞれみなさん情熱のある人ばかりで大いに盛り上がり楽しい会になりました。

翌日は特別講座。「地域の魅力を活かすコーディネートとは」、学校におけるコーディネートの実際」に分かれ、修平さんは前者、ぼくは後者へ出席しました。

日本劇作家協会が杉並区立冨士見丘小学校で演劇を 取り入れた授業に取り組んだことはぼくも会員なので同協会の会報などで知っていましたが、その時の校長先生が宮先生とはびっくりしました。

プロの演劇人が8年間指導に当たったのですが、とても素晴らしい実践で、端的にいうと次のような効果的が顕著にあったそうです。

1.物事をじっくり考えるようになった。1.人の話をよく聞くことができるようになった。1.他者理解がとても進んだ。1.思いを表現できるようになった。学力テストでも成績が向上したそうです。

ここで重要なのは学校コーディネーターの存在です。教員や保護者、地域の人達、指導する演劇人の間にたってうまく進めていく存在です。英語で書くと分かりやすい。[cordinate] means to organaize the different parts of activity and the people involving in it.

「異なった活動やそれに従事している人たちをうまく機能するように組織したり編成する」ことです。

一つの組織だけでは単純なことしかできませんが、コーディネーターはその間に立ってお互いの利害を調整し、お互いのいい面を引き出して効果的に物事を進めていくのです。

文化や芸術分野でもこういう人が必要ですね。大田でもこれに近い活動をヴォランテァでやっておられる人たちもありますし、NPOでも活発な活動をしておられるところもあります。地域や人を活性化するのはこういう人や組織かもしれませんね。

主催は島根県・島根県文化振興財団。共催はふるさと島根定住財団・島根県教育委員会・大田市教育委員会でした。

このつづきが7月7日14:00~ 8日14:~から島根県民会館であります。「学校で芸術家のワークショップをするときー演劇-」。しまね地域文化コーディネーター人材育成事業です。

空のみなさんや興味があるみなさん、都合がつけば参加してくださーい。

温泉津で織音さんの講談「大久保長安」

2012年4月24日、温泉津まちづくりセンターで「温泉津と大久保石見守長安」と題して発表や講談がありました。雲龍氏の笛の演奏、東京八王子大久保長安の会の研究発表、講談師、神田織音さんの講談があり多くの人が聞きに来られました。長安は大人物です。以前から興味があり意識的に本や資料を集めていましたが、今回はとてもいい機会なので参加しました。

長安は関ヶ原の合戦で徳川方が勝利すると家康に任命されて初代の石見銀山奉行として大きな貢献をした人で、家康に信頼され江戸幕府の経済の基礎を固めた人でもあり、大きな業績を残しながら、ある本によると死後墓を暴かれて磔にされ7人の子どもは切腹、親類縁者も処罰されています。密かに莫大な蓄財をしていたというのが定説になっていますが、証拠はなく幕府側が作り上げた「勝った側の歴史」としか思えません。

神田織音さんがどのように長安の死を講談に創作されるかとても興味がありました。生きのいい楽しい語りで観客を惹きつけられました。さーすが、と感心しました。表情も良かった。

最後は長安の死です。どうなるか?

病に伏せた長安を家康が見舞いにきます。長安は、自分は死によって家康の「くにつくり」に貢献したい、といいます。

なーるほど。それで題も「くにづくりの人」だったんだ。実際にくに作りの基礎を築いた人です。題もぴたり、です。でもやっぱり講談だな、と思いました。めでたく義理人情で閉める。

長安が原野に近かった八王子に計画的に作った街はいまも残っているそうです。温泉津では宅地税を無税にして、さびれていた温泉津に人を呼び込み家を建てさせ貿易港として繁栄させました。政治、経済、社会のことがよく分かり、人心をつかむ才能があり、土木や冶金などの科学的な知識もあり、企画力や実行力にも秀でていた人に違いありません。

飛び抜けた力を持つ人物は動乱期には重宝されますが、体制が安定し確実に維持していく場合には邪魔者になるのです。いつか劇や小説にしてみたい衝動に駆られます。

八王子の「大久保長安の会」が作られた資料もいただきました。大田では手に入らない貴重な資料です。ありがとうございました。

平成25年は長安の没後400年とか。八王子では色々な企画を考えておれれるようです。成功を祈ります。

5/23 NHKFMで日和聡子・作「紫のハイヒール」

2012年5月23日、22時45分~23時の15分、NHK、FMで日和聡子さんの短編ラジオドラマが放送されます。日和さんは島根県美郷町の出身、大田高校の卒業生で東京で文筆活動をしています。小説も書いていますし、詩では「びるま」で第7回中原中也賞を受賞しています。今回は短編ラジオドラマに挑戦です。楽しみです。どうぞ聞いてみてください。

  日和さんの詩集には次のようなものがあります。「風土記」「唐子木」「虚仮野一念」、小説では「火の旅」「おのごろじま」など。
 このドラマは、青春アドベンチャー、「カラー・ライフ」~色をめぐる10の物語~、ラジオドラマ短編凶作シリーズ最新作、などキャッチフレーズが並べてあります。

このところ日和さんの詩や小説などを目にしなかったので、どうしているかなぁ、といつも気にかけていましたが、手紙と案内がきて、うれしくなりました。こつこと書いてください。独自のいいセンスを持っていますから、またいつか陽の当たる坂道(?)を歩いている自分に気がつくことがあるでしょう。へんなにほんご。こういうときえいごはべんりですねぇ。Someday again you will surely find yourself walking up a slope bathing in the sun. ひさしぶりにえいごをかいたな。ただしいかな。

 

H24 10/28 「石見演劇フェスティバル」開催予定

2012年4月21日、浜田の石央文化ホールで「石見演劇フェスティバル」(仮称)の第1回代表者会議が開かれました。今まで3回、石央地芝居大会として浜田市の劇団や高校、大学など約8団体が上演してきましたが、それを発展させて開催しようというものです。劇研「空」にも案内がきましたので参加しました。大まかなことをお知らせします。    桜もおわりましたね。これは出雲大社の桜です。はるばる神戸から詩の朗読のビデオを撮影に来られたので大社の境内で録音しました。

これは永照寺の桜です。イエイショウジ?知らないのですか。雲南市です。ウンナン?中国デスカ?違います。島根の飯南町にあるお寺です。

閑話休題:
参加予定は次の11団体です。
浜田ー山陰久佐松竹座、盛り上げ隊、深山会、劇団やうね座、浜田高校演劇部、島根県立大学演劇サークル、NPO創作てんからっと。
江津ー石見語ベ倶楽部、くにびき社文18会、
益田ー劇団ドリームカンパニー
大田ー劇研「空」

実行委員会規約や予算案、日程、チケット販売計画なども提案され審議しました。11団体がみな参加した場合に1日で消化できるのかという問題が提起されましたが、上演時間が短い団体もあり、可能だという解答でした。7月末までにチラシ用の原稿を提出、8月4日第2回実行委員会予定です。

さてさて、上の写真は我が家の「木の蓮」木蓮です。 池に咲くハスの花とそっくりですよね。これは木に咲く蓮です。春一番に清楚でありながら華麗でふくよかな姿を見せてくれる素敵な花です。

また閑話休題:
劇研空は何を上演するのか。これが問題です。大がかりな装置などできません。時間も1時間以内。やまもとくんとりょうたくんと話し会いましたが、以前、瓶陵会総会で上演した「石見銀山」の劇に手を加えて上演するのはどうか、という意見でまとまっています。石見銀山最盛期の大森の町を舞台に江戸や京都から物売りに来た男や女を中心にして銀山の様子を楽しく面白く紹介しよう、というわけです。

先日レイコさんから嬉しいメールがありました。ぜひ参加したい、ツツミさんも参加希望!とのこと。勇気りんりん鈴の音。ちょっとやる気がでてきました。そのうちあの脚本を送ります。手直しします。いいアイデアをぜひ寄せてください。石見銀山5周年だから大田のどこかでこじんまりと上演してもいいですね。

H24 創作劇『異伝 ヤマタノオロチ』木次で上演

2012/03/18(日)雲南市のチェリヴァホールで『異伝 ヤマタノオロチ』(脚本、演出は亀尾佳宏)が上演されます。亀尾先生の意欲作。必見です。紹介します。

 昨年秋の島根県高校演劇発表大会で同じ題名で三刀屋高校が上演し最優秀賞となりました。講師審査員で参加しましたが、とても迫力のあるいい舞台でした。中国地区大会でも最優秀賞を受賞、今年夏の富山の全国大会へ出場します。今回は多分その台本にかなり手を加えて上演されるのだろうと思います。どのような手が加わっているか見るのも楽しみです。空の皆さんも都合がつけばぜひ観にいってください。

 チラシの表の図案もよくできていていいですね。芸術的な意欲とセンスを感じます。しかし最近のチラシは字が小さくて読みにくい。特に裏は薄い青地に白い活字、さらに白抜きの図柄や絵もダブっていて目がぐらぐらする・・・それはあっちに置いといて、チェリヴァホールは演劇に意欲的ですね。2月にも高校演劇を他県から呼んで4校が公演したそうです。高校演劇の最高の指導者の一人、若林一男先生も呼んだとか。どうしてそんなことができるのか、ぜひ聞いてみたいものです。それもあっちへ置いといて、ぜひ観劇に出かけてください。(ジャガイモノキセツデス。キョウハ ヒルカラ ブットゥシデユウガタロクジマデ ハタケヲウッテ ジャガイモヲ ウエマシタ アチコチイタイヨウ カンケイナイ)

H24 劇「星空の卒業式」の美穂子さんだ!

2012/03/6、朝、新聞をめくっていると、こんな見出しに出会いました。「ダンサーJacky さん(大田出身)舞台やCM 幅広い活躍」。ダンサー、大田出身といえばあの美穂子さんにちがいない、でも なんで Jacky?と思いながら読んでいくと、間違いなし!大田高校演劇部出身、劇研「空」第5回公演「星空の卒業式~あの夏 校舎は原爆病院だった~」で主役を演じ観客に感動を与えた田中美穂子さん!!数年前東京からメールがきたことがありましたが、どうしているかな、といつも思っていました。強い夢とエネルギーがありましたから実力をつけて認められるようになったんですね。新聞を紹介させていただきましょう。

夜、新聞を読んでいたワイフさまが、「この写真の人は劇研空の原爆の劇へ出てくれた人じゃない?」とsaid. 「そうだよ。劇が好きだったし夢を持っていたからなぁ。夢がある人間は強いよね。いつか実現するもんね。あんた夢ある?」「・・・ない」「・・・・」「田中さんは劇が上手だったよね。弟役をやった高校生は今どうしとるん?」「福山へ行ったけど、どうしているかな」

あの公演から10年近く過ぎましたが、今でもしっかりと記憶に残っているんですね。

旧制大田中学校と大田高等女学校が広島陸軍病院の分院に指定され、600人も被災者が運ばれてきました。婦人会や女学生がお世話をしたのですが、99人が亡くなりました。パンフレットにはその時臨時看護婦になった勝部信子さんに体験記を書いていただいています。貴重な文章です。眠らせておくのはもったいない。その時の公演を報道した新聞を紹介させていただきます。

 (写真は右から美穂子さん、晋吾くん、領太くん、田中志穂さん。この時には大田高校演劇部に声をかけ希望者に参加してもらいました。こういうお互いの協力体制を演劇部と作っていきたいと退職前から考えて実行していたのですが、今はもう演劇は廃部・・・平成15年3月22日の公演でしたがニュースは連日トップでアメリカのイラク攻撃が近いことを報じていました。世界が戦争前夜のような嫌な空気でした。この劇とどこか重なるところがありました。)

この時のパンフレットに美穂子さんは「大好きなおじいちゃん おばあちゃんへ」という題で、悩みや喜びや夢を書いています。こんな文章もあります。

「私が舞台に立つときには必ずみんなに宣伝して、みんなで見に来てくれたよね。美穂子それ知っとるけん、舞台はやめられんかったよ。」(大田の子どもミュージカル風花でもずっと活動していましたよね)

「おじいちゃん、おばあちゃん、遅かったけど美穂子進学しても精一杯頑張るけんね。恥ずかしくないように自分自身に精一杯」

第5回公演の分厚ファイルを取り出して見ていたらなつかしい資料や切り抜きなどがたくさん出てきました。国立劇場舞台技術部長だった持田諒先生の寄稿文もあります。やっぱり書き残しておくことは重要ですね。

美穂子さん、体に気をつけて、さらに大きな夢へ向かって歩んでください。

 

 

H24 「ミュージカルスクール」成果発表

2012/02/12、サンレディ大田でミュージカルスクール講習会の最終日に発表会がありました。題は「ホーンテッドスクール~ようこそお化け学校へ~」(原作 森脇太一郎、脚本 佐藤万里、作曲 川崎絵都夫、演出振り付け 三浦克也)。1月の土、日に終日練習し6回目の最終日にその成果を発表しました。短期間の講習でしたが小学生など23人(だったかな?)がのびのびと舞台で演じました。舞台風景を紹介します。

(開演前のサンレディ大田のホール。普段は平面のフロアーですが移動式で約400席が可能になります。大きさとしてはちょうどいいし、音響や照明も一応の機材は揃っています。スタッフも親切丁寧にしっかりとサポートしてくれます。何故か建設当初から緞帳がないのが不思議です。)

 主催は「OHDA」no WA実行委員会、講演は大田市教育委員会。主催は初めて聞く名前ですが、大田市文化協会と大田市市民会館他で構成されているようです。文化協会の会長、白石さんが挨拶されました。

山陰中央新報大田支局の堀江さんが書かれた「記者コラム」を切り抜いていますが、それによると1997年から8年間、スクールは毎年実施していたそうです。今回の参加者に中学生がいないのはスクールの空白期間に小学校3~6年だった児童がちょうど今の中学生世代に当たるからだという関係者の声を載せ、「継続は力、民間の手で地道に続けていくことが地域文化の地力になる」と書いておられます。

短期間の講習でしたが、セリフや歌をしっかり覚えていることはもちろん、大変のびのびと演じているのが印象に残りました。初めての子どもたちを舞台でリラックスさせるなんて簡単ではありません。指導された先生方の力量のたまものでしょう。舞台装置も工夫されていて照明なども自然でした。ストリーはありふれて平凡ですが、20数名の子どもたちが発表することを考えてよく作られていました。

いい企画だなと思ったのは、5日間の講習で最終日にその成果を公演するというスタイルとです。1年間とか半年の講習なら練習は十分できますが、参加者や親も参加を躊躇する可能性があります。子どもたちは暇ではなく忙しい日常を過ごしているからです。

親としては自分の子どもに、小中高と野球漬け、サッカー漬け、片寄るというのは心配です。水泳も歌もピアノも、できれば舞台に立ってはっきりしゃべる経験もさせておきたい・・・と欲張ります。そういうとき、短期間で演劇講習を受け発表ーというのは魅力的かも知れません。

ジュニアミュージカル風花の子どもたちも数名出演していました。風花はこの3月まで青少年ホームの3階で毎週土曜日の7時20分から練習しています。3月末で青少年ホームは使用禁止。空は河合の町つくりセンターを使用するようにいわれています。風花もかな?風花も参加者を募集しています。興味のある人はどうぞ。

 

 

H24 2/19 「川本の地芝居大会」観劇記

2012年2月19日、邑智郡川本町の悠邑ふるさと会館で「復活地芝居大会」が開催されました。邑南町高原の「星が丘一座」、美郷町の「吾郷青吾会」地元川本の「劇団かわもと孰」が3本の時代劇を熱演しました。劇の間には舞踊が華を添えました。一昨年(だったかな?)も終日観劇してブログで紹介しましたが、今回は写真を中心に紹介します。


前日から珍しく大田でも大雪。30㌢くらい積もりました。家の前の雪景色です。大田ではちょっと降ってもすぐに溶けますので30㌢も積もることは滅多にありません。

 中止にはなりませんでしたが、マイ ネイティヴ  ヴィレッジの「星が丘一座 」は残念ながら観劇できませんでした。雪の中をナカムラさんと昼頃川本へ行きました。

 吾郷青吾会の『へちまの花』は初演舞台だったそうです。劇団の名前は以前から聞いていましたが観るのは初めてです。ベテランが多く役者の呼吸もあっていて笑わせる場面は観客を笑わせ パシッと決める場面では熱演して大きな拍手を浴びました。涙を流した人もいたことでしょう。

 金持ちの大黒屋の女将がある村へ来た時、小屋で機を織っていた娘の後ろ姿を見て嫁にもらいたいと娘の兄に頼み婚礼の日にちまで決めてしまう。ところが娘は超ブス。婚礼の日が来たのに、あの手この手を使ってみんなで破談にしようとする。最後は、「人は顔じゃない心だ」というテーマへ落ち着くのだが、どんでん返しなどもうまく考えて作ってあり十分楽しめました。地芝居は義理人情話が中心ですが、現代では忘れられようとしている人間の絆や思いやりを描いています。ややもすると「古い」と片付けられてしまいがちですが日本人の原型があると言っても過言ではないでしょう。そういう伝統文化を継承している芝居だということを大切にしたいものです。

(終わってから一人ずつ挨拶される吾郷青吾会の演出と役者のみなさん。たのしくて感動のあるいい舞台でしたよ。おつかれさまでした)

終わった後で劇団の人と立ち話をしました。地芝居には活字にした台本はない場合が多いそうです。ストリーだけあって練習しながら座長とともにセリフを作っていくのだそうです。だからせっかく覚えても度々変更になるので大変だと言っておられました。観客を大切にし楽しんでもらうためにその土地その土地でセリフを変えたり、アドリブを入れたり工夫するそうです。 現代劇でもそういう作り方をする劇作家もいます。面白い作り方ですね。

たくさん踊りの舞台もありましたが、ひとつだけ紹介します。タビラくんは4歳だったかな。おひねりが舞台へ飛んできました。子どもは何をしてもかわいい!!決まっていましたよタビラくん!!

最後は劇団川本塾の『夏の別れ~川本の奇譚~』。川本の盆踊りの場面から劇は始まりました。それを見ながら川本の温湯城にいた小笠原氏と尼子氏が戦いをした時に起源がある踊りだということが語られます。

小笠原氏の若武者が、好きだった娘と料亭で酒を酌み交わし料理を食べて別れ、そのまま武者は帰って来なかった、という伝説が徐々に浮かび上がってきます。娘は姿を変えて今も待っています。

この創作劇の作・演出は堤 浩隆さんです。劇研空の「琴の鳴る浜」にも出ていただきました。劇研空の吉川さんと前田さんも出演して劇をリードしました。声もよく通りいい演技でした。

 地元の歴史を取り上げたて舞台化したのはとてもすばらしいことだったと思います。構成もよくできていたと思いますが、3つの恋いが絡んでいて焦点が拡大してわかりにくくなった気がします。「川本の盆踊り、娘と若武者の恋、幽霊になって今も待つ娘」。この太い線をしっかり押さえて創るともっと印象の強い佳品になったのではないかという気がしました。そうすれば最後の若武者の凛々しい姿がさらに際だったかも。

これは初演です。短期間でよくここまで完成されました。暗転が多すぎたので今後上演するときは音楽を使ったり明転にしたり工夫すると劇が引き締まるでしょう。みなさん、おつかれさまでした。

カツラは購入したそうです。財産が増えましたね。いつか時代劇をやるときには貸してくださーい。井戸平左衛門殿!

夕食のときニサイのアカリチャンが、ハッピバースデエィツーユーを歌ってくれましたがそれはこの川本の地芝居とはマッタクカンケイアリマセン。