H24 2/19 「川本の地芝居大会」観劇記

2012年2月19日、邑智郡川本町の悠邑ふるさと会館で「復活地芝居大会」が開催されました。邑南町高原の「星が丘一座」、美郷町の「吾郷青吾会」地元川本の「劇団かわもと孰」が3本の時代劇を熱演しました。劇の間には舞踊が華を添えました。一昨年(だったかな?)も終日観劇してブログで紹介しましたが、今回は写真を中心に紹介します。


前日から珍しく大田でも大雪。30㌢くらい積もりました。家の前の雪景色です。大田ではちょっと降ってもすぐに溶けますので30㌢も積もることは滅多にありません。

 中止にはなりませんでしたが、マイ ネイティヴ  ヴィレッジの「星が丘一座 」は残念ながら観劇できませんでした。雪の中をナカムラさんと昼頃川本へ行きました。

 吾郷青吾会の『へちまの花』は初演舞台だったそうです。劇団の名前は以前から聞いていましたが観るのは初めてです。ベテランが多く役者の呼吸もあっていて笑わせる場面は観客を笑わせ パシッと決める場面では熱演して大きな拍手を浴びました。涙を流した人もいたことでしょう。

 金持ちの大黒屋の女将がある村へ来た時、小屋で機を織っていた娘の後ろ姿を見て嫁にもらいたいと娘の兄に頼み婚礼の日にちまで決めてしまう。ところが娘は超ブス。婚礼の日が来たのに、あの手この手を使ってみんなで破談にしようとする。最後は、「人は顔じゃない心だ」というテーマへ落ち着くのだが、どんでん返しなどもうまく考えて作ってあり十分楽しめました。地芝居は義理人情話が中心ですが、現代では忘れられようとしている人間の絆や思いやりを描いています。ややもすると「古い」と片付けられてしまいがちですが日本人の原型があると言っても過言ではないでしょう。そういう伝統文化を継承している芝居だということを大切にしたいものです。

(終わってから一人ずつ挨拶される吾郷青吾会の演出と役者のみなさん。たのしくて感動のあるいい舞台でしたよ。おつかれさまでした)

終わった後で劇団の人と立ち話をしました。地芝居には活字にした台本はない場合が多いそうです。ストリーだけあって練習しながら座長とともにセリフを作っていくのだそうです。だからせっかく覚えても度々変更になるので大変だと言っておられました。観客を大切にし楽しんでもらうためにその土地その土地でセリフを変えたり、アドリブを入れたり工夫するそうです。 現代劇でもそういう作り方をする劇作家もいます。面白い作り方ですね。

たくさん踊りの舞台もありましたが、ひとつだけ紹介します。タビラくんは4歳だったかな。おひねりが舞台へ飛んできました。子どもは何をしてもかわいい!!決まっていましたよタビラくん!!

最後は劇団川本塾の『夏の別れ~川本の奇譚~』。川本の盆踊りの場面から劇は始まりました。それを見ながら川本の温湯城にいた小笠原氏と尼子氏が戦いをした時に起源がある踊りだということが語られます。

小笠原氏の若武者が、好きだった娘と料亭で酒を酌み交わし料理を食べて別れ、そのまま武者は帰って来なかった、という伝説が徐々に浮かび上がってきます。娘は姿を変えて今も待っています。

この創作劇の作・演出は堤 浩隆さんです。劇研空の「琴の鳴る浜」にも出ていただきました。劇研空の吉川さんと前田さんも出演して劇をリードしました。声もよく通りいい演技でした。

 地元の歴史を取り上げたて舞台化したのはとてもすばらしいことだったと思います。構成もよくできていたと思いますが、3つの恋いが絡んでいて焦点が拡大してわかりにくくなった気がします。「川本の盆踊り、娘と若武者の恋、幽霊になって今も待つ娘」。この太い線をしっかり押さえて創るともっと印象の強い佳品になったのではないかという気がしました。そうすれば最後の若武者の凛々しい姿がさらに際だったかも。

これは初演です。短期間でよくここまで完成されました。暗転が多すぎたので今後上演するときは音楽を使ったり明転にしたり工夫すると劇が引き締まるでしょう。みなさん、おつかれさまでした。

カツラは購入したそうです。財産が増えましたね。いつか時代劇をやるときには貸してくださーい。井戸平左衛門殿!

夕食のときニサイのアカリチャンが、ハッピバースデエィツーユーを歌ってくれましたがそれはこの川本の地芝居とはマッタクカンケイアリマセン。

 

 

 

 

 

 

H24 浜田「我が夢は波濤の彼方に」観劇記

2012年2月12日、浜田の石央文化ホールで第8回住民参加創作ミュージカル「我が夢は波濤の彼方に~八右衛門と三兵衛~」が上演されました。参加者120人以上、2時間30分、劇の中に合唱、ソロ、ダンス、朝鮮舞踊、吟詠、民謡など実に多彩な演出。迫力のある大がかりな舞台でした。昼の部は満員、夜の部も8割以上の入りで大成功でした。山陰中央新報石見版には「会場を埋めた来場者1500人が感動の舞台に酔いしれた」とあります。


原案・演出は岩町功先生、脚本は浜田出身のプロ、木島 恭氏、作曲は安藤由布樹氏、舞台デザインは広島出身のプロ、内山 勉氏(八戸市の全国大会で審査講師として一緒でした)音楽監督指揮はベテラン山崎 勝先生、振り付けもプロの矢上久留美さん、ダンサーもプロ、エレクトーンやパーカッションは瑞穂楽器の専門講師、照明は出雲文化企画・・・・プロや実力ではプロに匹敵する先生方(それで食べていないからアマチュア-扱いされるけど実力はプロ)がしっかり固めておられるので、舞台が安定し展開もスムーズでメリハリが利いた舞台でした。

曲と演奏がとても素晴らしく、緞帳が開く直前の演奏から一気にお客さんを劇の世界へ運んで行きました。エレクトーン2台とパーカッションだけですが山崎先生の素晴らしい指揮とともにとても素敵でした。


同じ題名で前回は平成11年に上演されましたがこの時の脚本とは構成がかなり違っていました。前回は出だしから八右衛門と三兵衛の処刑をシンボリックに演出して意表を衝きました。全体もシャープで歯切れがよく、彫りが深い芸術的にもレベルが高い作品でした。

今回は八右衛門の誕生から時代を追って描かれ、ラストの八右衛門と三兵衛の江戸小塚原での処刑へ進みました。時間も前回より長く、朝鮮の人たちが流れ着いてきた場面や交流場面、朝鮮舞踊、結婚式での長持唄、モダーンバレーなどお客さんを楽しませる色々な場面をたくさん取り入れてありました。そのために特に第一部では劇が平面的でもたもたした感じがしました。老人と現代の娘が最初から登場してストーリーを説明したり、舞台の下手で劇を見守っていたり、時には草履を履く手伝いをしたり、場面転換毎に2人が会話してストーリーや人物を説明しました。観客の理解を深めるためのサービスとして設定されたのでしょうが、時代劇の中に何度も現代の娘が出てくるとその度に劇の流れが切れ現実に引き戻されてしまいました。これはぼくの場合です。あの2人がいて劇が深まり分かりやすくてよかったという人ももちろんあるでしょう。

休憩を挟んで第二部では劇の流れに緊迫感があり役者の台詞にも迫力があって観客を引きつけました。解説の老人と娘が登場する余地はないほど最後まですき間のない引き締まった舞台で、あっという間にラストの処刑の場へ運ばれた感じです。いい劇というのはいつも「あっという間に終わった」感じがするものです。いい講演もそうです。それだけ集中しているということでしょう。
ぼくが知っている人も数名舞台へ立たれました。みなさん役をしっかり演じておられました。素人では「自分を演じる」のが精一杯ですが、余裕があり訓練された人は美事に「役を演じ」ます。「役になりきる」のは最低限必要なことですが、「役を演じる」には演じている自分を客観的に見ている自分の目が必要です。

三兵衛のウエダさんは昨年の地芝居も見ましたが今回は台詞も動きも甘さがなくなりとてもシャープでした。長台詞が何度もあったのですが、しっかり観客を引きつけていました。吟詠が素敵でした。林蔵のカワムラさんもきびきびした動きと歯切れのいいよく通る台詞が素敵でした。若々しい印象が今でも残っています。崋山のブンメイさんは初めて見ました。どんな台詞と演技か最初から、いつかいつか、と待っていたのですが第一声を聞いた時、やっぱり!と感銘を受けました。力を抜いた響きと明るさのある声!自然な抑揚とよくコントロールされたピッチ。場面から抜け出た感じでした。シカモリさんも久しぶりに演技を見ました。余裕のある自然さがいいですね。その他はぼくが直接には知らない人たちですが、みんな歌がうまくて役者揃いです。よくもこんなに揃ったもんですね。今まで築いて来られた浜田の歴史と伝統があるからでしょう。

(せめてカーテンコールだけでもと思い記念にパチリとしました。すみません。みなさんおつかれさまでした。素晴らしい舞台をありがとうございました)

一つ表現や演技で感じたことは、歌がうまく台詞の声が十分でも、演劇の表現(台詞、動作、表情など)を訓練して身につけていないと観客にその役の気持ちや考えが伝わりにくい、ということです。ある人物を演じても、最初から最後まで同じ内面しか伝わって来ない場合があるということです。このことは劇研「空」で上演した「琴の鳴る浜」でも痛切に味わいました。どんなにうまく演じても内面が伝わらなかったら人の心を打ちません。心をどうして伝えるか。日常生活でも子どもの教育でも接客でも大切です。そういう意味でも演劇や芸術は大切にしたいものです。(ナニガイイタイノダモウオワレハイ)

(この劇が始まる前からこのブログで「我が夢は~」のPR版のvisitors が増え、終わってから「浜田の地芝居大会」などの項目も一気にグラフを伸ばしました。いままで浜田の劇や本などを何回か過去に紹介しましたがほとんどグラフに頭を出したことがありませんでした。見る人はいなかったようです。今回はめずらしいことです)

H11 舞台評『我が夢は波濤の彼方に』

平成11年10月2日、浜田の石央文化ホールで『我が夢は波濤の彼方に』が上演されました。市民参加によるミュージカルでした。原案は浜田の岩町 功先生、脚本は浜田出身の木島 恭氏、とてもしっかりした舞台でした。平成24年2月12日に再演されます。初演の舞台評を頼まれて書きましたので、参考までに紹介します。

「風花」公演「学校ネズミのコンサート」

2011年12月4日、大田市民会館中ホールで大田市のジュニアミュージカル「風花」の「学校ネズミのコンサート」が上演され、成功裏に終わりました。原作は岡田淳・作「放課後の時間割」脚本・作詞は佐藤万里、作曲は川崎絵都夫、演出振付、三浦克也。15年前に第6回島根音楽祭大田公演として、キャスト、スタッフを公募して大々的に上演され好評を博しました。それをきっかけに風花は誕生しましたが、今回はその短縮版です。12名の子供たちと10人の大人が出演しましたが、伸び伸びと演じ楽しい公演となりました。

市民会館の大ホールは耐震工事で使用できないため中ホールで2回公演されました。ここには舞台も照明設備もありませんので、スタッフが総て準備しました。上と下にタワーが持ち込まれて照明器具が釣り込まれました。大変だったことでしょう。舞台は狭くなりましたが仕方がありません。120席くらいが精一杯ですが、2回公演で240人と新聞にはでていました。

 12人の風花の子供たちは舞台になれていて怖じけることなく楽しそうに歌い踊っていました。10人の大人もほとんどが舞台経験のある人たちばかりで堂々と演じていました。楽しそうに伸び伸びと演じている姿がとてもさわやかでした。舞台は狭いのですが演出はプロの三浦さん。さすがにうまく出入りや立ち位置や動きを処理しておられました。風花の保護者や15年前に出演した人も出ておられました。劇研空の田中さん、石橋君も楽しそうに歌い踊っていました。

帰りに出口で見送りをしていたイシバシネズミをパチリ!と写しました。風花の会長、神田真弓さんは、「風花15周年を記念し、お世話になった大田市への恩返しとして、’大田文化への更なる夢’を追い求め、この公演を企画しました」とパンフレットに書いておられました。芸術文化歴史が豊かな街では人も豊かに育ちます。風花が14年も続いているのは子供たちを豊かに育てたいという保護者の皆さんの熱意があったからです。

市民会館の耐震工事に当たっては数回の説明会があり、たくさん要望もだしました。その一つが「中ホールの充実」です。中ホールに移動式舞台を設置し、天井を高くしてシーリングバーやホリゾントを設置したら、色々な団体が気軽に使用できます。発表活動も活発になることでしょう。来年3月で中ホールも使用できなくなります。2年後には蘇った使い勝手のいい中ホールと体面したいものです。

12月7日の山陰中央新報に公演の様子が出ていましたので紹介させていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

三刀屋高演劇部最優秀全国大会へ!

速報!平成23年度の高校演劇中国大会は11月26,27日に尾道で開催されました。残念ながら用事があって観にいけませんでしたが、さきほどブンメイ先生から電話があり、三刀屋高校の『ヤマタノオロチ外伝』(亀尾佳宏作)が最優秀賞になったそうです。

みなさん、おつかれさまでした。おめでとうございます!!

 (写真は島根県大会で上演された時の三刀屋高校の舞台です。抽象舞台ですがそれぞれの装置が照明や音響効果により劇の場面場面で象徴的に鋭く生きてきました。観客の想像力をうまく搔き立て単調になりかねない劇に深みや広がりをつくりだしていました。)

もう一つ速報!

審査の結果第2位に相当する賞は安来高校の『修学旅行』(畑澤聖悟作)に決定したそうです。来春に仙台で行われる春の全国大会に出場するそうです。おめでとうございます。キンチャン先生、おつかれさまでした。ヒロミセンセイ、仙台行きをよろしく!

三刀屋高校の劇は県大会の講評でもいいましたが舞台作りのうまさは圧倒的でした。また安来高校も役者がとてもうまく演じていて楽しく観ました。島根が1,2とはすごいですね。

部員のみなさん、カメオさん、イシズさん、イトウさん、おつかれさまでした。そのうち詳しい様子を紹介します。

 

 

舟入 沼田 誠之館中国大会へ(1)

2011年11月13、14日、51回広島県高校演劇大会が東区民センターで開かれました。2日間で13校が多彩な劇を上演しました。審査の結果、金賞は広島市立舟入高校(県知事賞)、広島市立沼田高校(県教委賞)、県立福山誠之館高校(中国放送賞)が選ばれました。今年は尾道市で11月26、27日に中国大会が開催されます。

 (閉会式で広島県高校演劇協議会会長、塚本修一舟入高等学校長から賞状授与)

3校の劇を舞台風景写真で紹介し簡単に感想を記してみます。残りの10校はそのうちゆっくりしてから紹介します。

市立舟入高校『麦っ子ゲン』中沢啓治作 須崎幸彦脚色

 装置がとても良く工夫されていていろいろな場面に使われました。ゲンが原爆ドームのてっぺんへ登って、「おーい、スズメの卵をとったぞ!」という場面では装置が原爆ドームの頂上にもなり劇を拡げ豊かにしました。その場面になると装置が劇の中で生きてきました。

中沢啓治が漫画を書く場所もよく考えられていて、平台で少し高くして劇全体を見通せる位置に設定し、複雑で濃密なこの劇を貫く視点の役割も果たしていたと思います。劇作りのセンスを感じました。

登場人物は30人、2役3役もありましたがうまくこなしていました。場面もたくさんありますが、それがバラバラにならずしっかりとまとまり統一感があったのは美事でした。(昨年の劇も大変迫力がありましたが統一感に欠けたうらみがありました)

濃密な長いセリフもたくさんあり言葉だけが先行する劇になりがちですが、劇中の動きと言葉が分離せず同時に進行するように創られていました。ややもすると言葉だけの説明が多くなり観客は疲れてくるものですが、そういうことがなく最後まで舞台に観客を引きつける力を持っていました。啓治役、父役など男性がとてもいい味を出していました。今までの舟入とはちょっとカラーが異なる地についた迫力のある劇でした。

市立沼田高校『青い月』黒瀬貴之作

 歌ではじまる楽しいオープニング。軽い身のこなしや自然な笑顔で観客をいっきに舞台へ引きつけました。今までにないメルヘン調の劇でクロセ先生の新しい挑戦を感じました。戦争で広島から疎開してきた2人の少女の話ですが、1人は病気がちで広島へ帰ったために原爆に遭います。悲惨な現実です。それをメルヘンとして受け継いでいくというテーマが最後のシーンで浮かび上がってきました。装置は大小様々な箱だけの抽象舞台でしたが、メルヘン調の劇の時には抵抗はありませんでしたが、原爆など戦争の悲惨な現実を演じる場面ではちょっと違和感がありました。疎開した田舎の装置を作るのは大変でしょうが、一工夫ほしいところでした。舞台が抽象装置で小道具など具体物がないので、ことばが先行してしまう印象が残りました。難しいところです。

福山誠之館高校『昭和みつぱん伝~浅草・橋場二丁目物語~』タカハシ ナオコ作

 登場人物は女性2人だけ。2人だけで観客を最後まで引きつけるのはとても難しいけど脚本が良くできています。前半では途中ではちょっと退屈しましたが、後半になってテーマが立ち上がってきて2人の女性の考えが衝突するあたりから引き締まってきました。

場面は戦前の東京の上流家庭。巴さんはこの家のお嬢さん。勝子さんは使用人。2人は仲がいいのですが、考えは真反対。巴は兄が歌舞伎役者になろうとしているのが許せない。軍人の家だから軍人らしく生きてほしい。戦争に招集されたことを誇りに思っている。勝子はその巴の兄に歌舞伎や落語へ連れていってもらう。戦争が激しくなり、巴の兄は戦死。見合いの相手も学徒動員で戦地へ。東京大空襲。一家は広島へ疎開。原爆投下。歴史に翻弄される人たちの悲劇がつづく。

巴と勝子は友達だけど身分は天と地。そういう関係がもっと出ていたら前半の様々な遊びの場面にも奥行きがでたでしょう。現代の女性の友達という感じでは浅い劇になるし、この劇の面白さがでてこない。装置は大きな部屋を丁寧に作っていました。大変だったろうと思います。

以上3校だけを紹介しましたが、代表にはなれなかったけど素晴らしい劇がありました。福山市立福山中・高等学校の『Piggys Bank』(新宮正一作)や美鈴が丘高校の『青空』(片山稔彦作)尾道学園の『スイッチ』など見応えがありました。そのうち紹介します。

帰りに高速道路を間違えて入り仕方がないので尾道まで行って三次から帰ってきました。4時間以上かかりました。たまには違った風景を見ながら運転しようと考えて、三次から作木を通って江川沿いに狭い道を通りました。いろいろな橋があってすてきでした。何枚か写した橋の一つをどうぞ。紅葉が進むとさらに美事な風景が見られることでしょう。

三刀屋、安来高校に最優秀賞

2011年10月29,30日の2日間、島根県民会館中ホールで第35回島根県高等学校演劇発表大会が開かれました。島根県代表校は三刀屋高校、安来高校に決まり、11月25~27日に尾道市のしまなみ交流館で開かれる49回中国地区高校演劇大会に出場します。舞台風景と7校の劇を簡単に紹介します。

 松江工業高校『正義の味方の作り方』                    八城 悠・作 舞台装置のバランスもよくできていて、男子中心の元気のある劇でした。シャワーのように言葉をしゃべるのですが、発声もよくて言葉もよく分かりました。藤原ケンヤ君は4役以上の大活躍で動作の切れも良く大奮闘でした。映像を使って舞台での表現を拡げる工夫などもよかった。問題は前半でストリーの展開が平板で発展して行かないことや、おもしろいけど底が浅くて物足りないということです。ネット脚本特有の長所と端所とでもいうのでしょうか。10人の部員が精一杯演じていたのは好感が持てました。

 三刀屋高校『ヤマタノオロチ外伝』亀尾佳宏・作               幕開きから観客を引きつけて離さない舞台作りのうまさには感心しました。じつに美事でした。照明、音響、装置、暗転処理、群衆の扱いなど感心しました。そういう点では群を抜いているといえるでしょう。神話に独特の解釈を加えて創作したものですが、オト、オロ、ヤマタをどういう人物として描くか。神話というよく知られた話しだけに、物語りとしての説得力とともに、如何に生きた人物を舞台で創造するか。注文したいところもありますが、作者はいろいろ考えってさらに深みのあるストリーや人物を創り出してくれることでしょう。高校演劇でありながら狭い世界にとどまるのではなく、地域の人達も興味を持ち、普遍的な広がりを持っている劇に仕上がっていることはすばらしいことだと思いました。

 松江商業高校『アネモネ』小笠原 梢                   女性だけの劇ですが皆さん達者な演技で楽しませてくれました。この劇も前半30分近く元気のいい女子三人組のドタバタがつづき、テーマが立ち上がってきません。主題が見えて来ない状態が長く続くと、疲れてきて意識が舞台から離れていきます。佐藤ほのかという女性をもっと早く出して、劇のバックボーン少しでも見せてほしかった。後半は松商の得意な心理劇がよく演じられていました。にぎやかな三人組の女性の扱いはもっと考える必要がありそうです。お客さんにおもしろく見せるのはいいとしても場面は病室です。それなりの配慮がみえないとリアリティが失われます。

松江農林高校『見栄っ張り家族』高場光春・作                写真がないのでパンフレットから紹介します。とても楽しく見ることができました。皆さん良く役を演じていたと思います。最後の最後まで笑わせるとてもおもしろい劇でした。舞台装置もとても良くできていて、色調も申し分なく、また部屋の出入り口を3カ所つくっていましたので、劇が自然に進みました。審査会では全員一致して舞台美術賞をおくることに決まりました。2校しか代表になれないので残念ながら最優秀にはなれませんでしたが、なってもおかしくないい舞台でした。ラストをもう少し工夫したら味が深まったでしょう。

大社高校『生徒総会』畑澤聖悟・作                     一年生が6人、2年生が3人で演じました。初めての人も多かったのですが、無理のない自然な演技で発声もよかった。この劇はやりやすようで、いざやってみると難しい劇ではないかと思います。会話だけで進み、生徒総会前日のリハーサルというあまりおもしろくない(そんなことをする学校があるのかな)場面が劇の場です。制服廃止を提案する潤一郎が劇を引っ張っていくのですが、現在、制服廃止という問題にどれだけ緊迫感があるか、という問題もあります。舞台を左右だけの動きで使うというのも劇を単調にしました。でも一年生中心によくがんばっていました。

 出雲高校『セ・ラ・ヴィ~C’est la vie~』伊藤靖之・作            「難解な現代詩を舞台化したようだ」と幕間や講評でもいいましたが、高度な抽象劇です。美術部員がたくさんの箱を使って何かを表現して行くのですが、積み上げると魔法使いに壊されてしまします。「セラヴィ セラヴィ」です。パンドラの箱も出てきます。開けていくと最後の箱から「希望」がでてきます。箱の崩壊あたりから、東北大震災を意識した劇ではないかと思い始めます。作者は非常に抽象的な舞台で東北震災へのエールを送ったのです。大震災の衝撃を受け、表現者は苦悩しています。劇で何ができるか。詩で何ができるか。出雲高校はこの舞台でしれに応えたのです。とても貴重なことだとおもいます。ヤヨイさんの言葉は歯切れがよくて印象にのこりました。

 安来高校『修学旅行』畑澤聖悟・作                    青森県八戸市の全国大会でトップに選ばれた名作です。ぼくもその席にいたのですが、見終わって控え室へ帰ると、鴻上さんはじめどの審査委員も、これが最優秀だな、という雰囲気でした。名作に取り組むと、いい劇ができる保証はありません。逆にボロが目立つものです。今回の安来の劇は、それぞれの生徒の個性をうまく出して演じていました。それぞれ達者な生徒さんたちで伸び伸びと演じていました。生徒会長のノミヤさんが劇を引っ張っていった感があります。優等生で意志が強い見栄っ張りな生徒を美事に演じて印象に残りました。班長のヒカルさんもがんばっていましたが、対立の中で調整しようとする班長の悩みをもっと出せたら、切れて枕投げが始まる場面がもっと生きてきたでしょう。

ラストで国の名前を挙げるゲームをしますが、今、「カンボジア」や「アフガニスタン」といっても、深い意味を持たないでしょう。時が過ぎればイラクもパキスタンも紛争の国というイメージは無くなります。この劇では大切なキーワードです。どうするか。工夫してほしいところです。

以上走り書き感想でした。劇研空は高校演劇を応援するという目標をもっています。今回石見地区代表がゼロだったのは残念無念ですが、どうしようもありませぬ。大田高校演劇部が無いのも残念です。このブログは大田高校演劇部を応援するために修平さんが立ち上げたものです。フレーフレーおおだ!

明日は大田高校90周年記念行事があります。案内が来ましたので出席します。体育館がどうなっているか楽しみです。

今回の劇、7校ともに一定レベル以上のいい劇でした。皆さん、おつかれさまでした。三刀屋、安来のみなさんさらに工夫して尾道ではいい舞台を見せてください。

 

『その後の耳なし芳一』を楽しむ

2011年10月23日、松江の宍道湖しじみ館で劇団幻影舞台の『その後の耳なし芳一』が上演されました。結成30周年記念公演で、劇団を主宰する清原眞さんの作、演出です。観客を楽しませながらクライマックスでは圧倒的な迫力で迫ってくる力感あふれる舞台でした。

 緞帳が上がる前から張り出し舞台に琵琶が置かれ照明が当たっていました。劇を象徴していて効果的でした。

小泉八雲の『耳なし芳一』では芳一は耳を亡霊の武者にもぎ取られるのですが、有名になって高貴な人たちが琵琶の吟弾を聞きにきて、金品が贈られ裕福になります。そのあとどうなったのか、というのがこの創作劇です。

劇がはじまると杖の音と不規則な足音がつづき、芳市が琵琶を抱えて放浪しています。今は落ちぶれて物乞いをしています。そこへ旅の僧が来て話しかけます。回想場面になり、芳市は遊郭で酒を飲み芸をさせて派手に金をばらまいて得意絶頂です。男の裸踊りなどが次々披露されて、ここまでやるんかい、という感じです。美女の花魁が男だったという落ちまでついていました。楽しませようという場面なのでしょうが、この後の場面がぴしっと引き締まって迫力がありましたので、この場面が突出して記憶に残るということはありませんでしたが、やや違和感がありました。時代は平安末期に設定されていたとおもいますが、この場面は江戸仕立て。それも演出の計算の内だったのでしょうが。

 (暗転時に一枚写させていただきました。もちろんフラッシュなしで密かに)平家の武者が出てきて芳一に琵琶を弾かせようとする場面から舞台は引き締まってきてこの劇の世界を創っていきました。芳市は琵琶を弾かなかったので亡霊の武士から足を切り取られます。冒頭の杖と足音が結びついてきます。

ラストの場面では一場の旅の僧と芳一の場面にもどります。落ちぶれて琵琶も弾かず乞食となりはてた芳一へ、旅の僧が話しかけます。「お前には琵琶しかない。琵琶を弾け」といって励まし多額のお金を与えて立ち去ります。芳一は琵琶を弾き、緞帳が下ります。芳一は若い木村光佑さんが演じていました。しっかり語る時には発声や表現に力感がありました。実際に琵琶を弾いたらもっと迫力があったでしょう。(無茶をいうな。はい。)録音された琵琶の曲は難しい曲が多かったけどもっと間単な曲にして吟詠を入れてもよかったかも。(かってなことをいうな)

舞台装置もよく考えて作られ、雰囲気が十分出ていました。音響は場面によってちょっとちぐはぐな感じを受ける時がありました。和楽と洋楽を使う場合統一感を保のは難しい。僧や武士や寺男などベテランが舞台を引き締めていました。見応えのある劇でした。思うままに感想を書いてみました。

みなさん、おつかれさまでした。創立30周年、おめでとうございます。劇研空

 

H23 浜田の地芝居大会観劇記

2011年8月7日、浜田市の石央文化ホールで第4回「石央地芝居大会」が開かれました。6団体が劇を上演、約600人の観客が楽しみました。観劇記を依頼されていたので朝から5時頃まで椅子に座りづめでしたが、楽しく観劇しました。

次の観劇記は8月25日山陰中央新報の文化欄に掲載されたものに加筆したものですが新聞など読まない人がほとんどですから、大会の応援を込めてここで紹介します。写真は自分で撮ったものですが、舞台風景として紹介します。

第4回石央地芝居大会

豊穣な時間が流れる/多様な現代劇と地芝居                            <洲浜 昌三>

新生浜田市を記念してはじまった「地芝居大会」が4回を迎え8月7日、石央文化ホールで6団体が参加して開かれた。現代を反映した創作劇、自分探しの若者の劇、舞踊、日本人の心を揺さぶる地芝居が上演された。舞台が終わる毎に浜田高校放送部員の司会で劇作りの苦労が披露され、バラエティーに富んだ舞台だった。

地芝居という言葉は現在あまり使われない。地元の人たちが演じる芝居が地芝居だと誤解している人もいるかもしれないので、簡単に説明しておきたい。

江戸から明治にかけて、芝居といえば都会の歌舞伎を指した。農村の有志が江戸や上方から招く芝居は「旅芝居」とか「買芝居」といわれ、その影響を受けて地元の人たちが真似て演じたものは「地芝居」とか「村芝居」「農村歌舞伎」などと呼ばれた。昭和10年前後に黄金期があり、敗戦後に第2次黄金期、昭和50年代からマスコミも取り上げ梅沢富美男に代表される「大衆演劇」の名前でブームになった。地芝居は農村歌舞伎を指したが、明治、大正、昭和の時代を経て新派劇や剣劇の影響を受け、戦後は青年団が各地で上演した新劇の影響も受けて現在に至っている。「地芝居」という名前は現在では使用頻度も低いが、単なる地元の芝居という意味ではなく歴史のあるジャンル名でもある。今回の大会では『絆』だけが地芝居であり、あとは現代劇である。

創作劇『どろぼう日記』(酔族漢、田中栄二作)。認知症で寝たきりの老人宅へ3人の泥棒が侵入して展開されるハプニングで笑いを誘う。認知症も接し方次第で心がつながる-というテーマが埋没したのは、主題より周辺が目立ち過ぎたからだろう。三人の泥棒が認知症の老人と世話をする娘の家へ忍び込むことでまったく異質の人間の出会いからはじまる面白さを狙っているのだが、前半のこの泥棒と娘との奇妙なやりとりで遊び過ぎてこれが観客の印象に残ってしまい、認知症老人は単なる付け足し的な扱いになった。存在感があった老人を周辺は支え、核心を浮かび上がらせたかった。短い劇では遊び過ぎるとテーマがぼける。10分以内にテーマを暗示してテーマの主流に巻き込んでいかなければ観客の緊張感を持続できない。

群読劇『花子がやってきた』(金田サダ子作)。平均年齢が70歳を超える「くにびき学園社会文化18会」の16人が出演。朗読と歌、映像、劇で構成した舞台で、戦争中に上野動物園の象などが飼育員の手によって銃殺されたり毒殺された。そういうことがあった数年後、タイから象の花子が神戸へ送られてきた。一連の実話をもとに作られた。群読劇となっていたが、構成劇に近いと思った。個人の朗読や群読もあるが、飼育員が出てきたりプラカードに絵を描いた像やキリンや蛇などたくさん動物も出てきて舞台を広くつかって劇に近い場面も多い。それらの場面がうまく構成されていた。観客には高齢者が多く、舞台で歌われた数々の戦中戦後の歌は胸に迫るものがあっただろう。観客あって成り立つのが演劇であることを考えれば、作者の金田さんのセンスに軍配をあげたい。力まず自然体からうまれた素朴な演技(というより動き)から自由な風が舞台に流れていてさわやかだった。戦争中に動物園の像などを殺した悲劇はいろいろ脚本もある。『像の死』などは今でもよく上演されて迫力がある。今回の台本では冒頭でパンダの話が出てきたが、観客はパンダが主題かと思って見始める。また上野動物園の像の飢え殺しと神戸へ花子がやってくる場面が同じ比重で扱われているので焦点が散漫になった。焦点を絞って整理すると、さらに印象の強い舞台になるだろう。焦点を絞るということはそれぞれの場面を均等に扱うのではなく、時間や強弱の比重を考えて台本を整理し演出するということだと思う。しかし高齢者でもこれだけの舞台ができると言うことは台本を書かれた金田さんや指導をされた人たちの絶大な力の賜である。

創作劇『られた族の人々』(「創作てんからっと」美崎理恵作)。ドラマツルギーを心得た座付き作家(作者は現在東京在住)と達者な役者が創り上げた舞台で、テンポのいい進行と意外な展開が観客を引きつけて離さない。ホテルの前に捨てられた赤ん坊を育てる支配人夫妻と宿泊客たちの過去が暴かれていく。「息子に裏切られた支配人」「出版社に干された作家」「男に見捨てられた女」「母親に捨てられた赤ん坊」。「られた族」の間に奇妙な連帯が芽生えていく。装置もバランスがよくて安定していたし、奥行きを出し効果的で、何よりも役者が演じる空間がよく計算されていた。プログラムによると舞台デザインは岩町功先生、演出は岩上弘史さん、怪しげな作家は岩町大先生。劇の冒頭は赤ん坊を乳母車のまま捨てていく母親。まずここから引きつける。次々とお客さんが来るが、みな個性があり、その過去や人物が徐々に暴かれていく。引っ張っていけるように観客の心理をよく計算して脚本が作られている。発声や演技もしっかりしていて最後まで安心して楽しく見ることができた。

 現代的なテーマや人物設定もあり、最後には希望もある残る終わり方だったが、あえて難を捜せばそれぞれの人物がみな重いものを抱えていることが分かるのだが、その中でも比重の軽重はもっとあった方が劇としての印象は強くなる。誰が主人公になってもおかしくないほど一人一人に重さがある。それは同時に劇を作るためにうまく設定して書いたという印象をかすかに僕の心にす。欲張り男の注文。

創作劇『二人三脚』(浜高演劇部、肥後万結子とDCF作)。同じ学校に通う教師である母の言動に娘が悩み、不登校になる話。さすがに伝統のある浜田高校演劇部。発声も一つ一つの言葉もきれいで気持ちがいい。劇作りとしては暗転の多用で劇が細切れになってしまった。紙の上で脚本を書く立場でいえば、場面を何度も展開して書いてた方が楽である。しかし舞台は紙の上とはまったく違う。学校、家、受業、学校、家、教室、職員室、購買、運動会、それを暗転で処理したら劇は細切れになり暗転毎にお客さんは現実に返る。暗転を最少にして劇をつくるためにはどのように構成すればいいかを考えたら絶対に解決法は見つかる。この劇では学校でも家と同じに振る舞う母という設定だった。これには違和感があった。同じ学校で我が子を教えなければ行けない状態になった先生はたくさんいる。多分100%の先生が、学校では他の生徒と平等に扱うか、又は冷たく扱うだろう。学校でも家と同じように私的感情で対する先生はいないと思う。先生の体面から我が子に過大な期待をかけ過ぎ、その重圧で反発し不登校になるのなら十分わかる。この点は大いに議論してほしい。石見部でただ一つの演劇部として遺跡のような宝になった浜田高校演劇部のみなさん、おつかれさまでした。秋にはまた松江の県大会でがんばってください。今年も行きます。

今福の地芝居がはじまる前に、前座として多邨一雄さんと梶原光朝さん(上の写真)の舞踊『長良川艶歌』があり会場を沸かせました。いやぁ、見事でした!宮本美保子さんと岡千鶴さんお舞踊『佐渡の舞姫』もみごとな舞でした。

『絆』(今福「盛り上げ隊」、元「いまふく劇団」)。伝統の厚みがある地芝居を熱演した。アドリブで客席を沸かせながら自然に芝居へ引き入れていく術も掌中のものである。幼時に父と離別、母も他界、罪を犯しお尋ね者となった和太郎が、そば屋を営む父と出会い、恨み憎しみを超え親子の絆を取り戻す。時にじっくり語り、熱く演じた。何度も客席から拍手が湧き、声が飛んだ。現代演劇の冷めた自我や理知が生み出す世界と対極ともいえる役者と観客が創り出す陶酔の世界があった。地芝居は義理人情をじっくり演じるのが特徴ですが、そんなのは古い!という人もいるかもしれません。しかし戦後のアメリカナイズされた合理化、効率化、個人主義、功利主義のが空気を支配している時代には「古くさい!」と排除すべきものとして嫌われました。しかし時代が変化していくと日本人心の核として評価されるでしょう。日本の芝居はもともと役者と観客が一緒に楽しみ一緒に創っていく芸能です。石見神楽のようなもんです。そういう意味で石見の浜田や邑智郡や益田、隠岐などにまだ残っている地芝居を大切に育てて行きたいものです。「いまふく劇団」は20周年を期に解散し、今は有志だけで上演しているそうです。しかし伝統の厚みをあちこちで感じました。観光客に石見神楽を見せることは力をいれて盛んに行われていますが、何かの催しにこのような伝統のある地芝居を呼んで上演してもらうというのもいいですね。

一つ気になったのは芝居のクライマックスで西洋音楽がずーっとBGとして流れていました。不必要だと思いました。BGなんかない方がはるかにセリフが引き立ち言葉が素朴に観客の心に入ってきます。少なくとも和楽器でないとお互いにバッティングを起こします。

『夢の中のユメ』(島根県立大演劇サークル、神崎逢風作)。1人の死者と死の淵を歩いている2人の若者の間で交わされる会話劇。死の世界から生を見るという面白い着想だが、抽象的で会話の堂々巡りが多い。抽象劇は視覚化し具体化していかないと観客は疲れる。

上の写真は浜田高校放送部員の司会で上演後に劇について語っている演出の新宮さんです。新宮さんは香川県、キャストの千葉さんは佐渡の出身だそうです。こういう人たち参加してくれるとは素敵ですね。

各地で行われる余芸大会はいざ知らず、6本もの劇を上演できる地域はまずないだろう。高校生、大学生にも場を与え育てようとする主催者の姿勢を思いながら、豊饒(ほうじょう)な時間が流れた「演劇祭」会場をあとにした。

(劇研「空」代表、日本劇作家協会会員)

新聞を紹介します。読みたい人は買って読むか図書館でどうぞ。

福波小「経家最後の手紙」鳥取公演に大きな拍手

平成23年3月6日、大田市立福波小学校の全児童が出演した創作劇「経家最後の手紙」が鳥取市円護寺の中ノ郷小学校で上演されました。約400人の市民が観劇し大きな拍手を受けました。その舞台を夫婦で観に行かれた鳥取の詩人、手皮小四郎さんが当日のチラシと撮影された写真、日本海新聞を送って来られましたので紹介します。引率で参加された保護者からも、「大成功でした」というメールと写真が届きました。

これは鳥取公演用に作られ、当日入場者に渡されたチラシです。保護者の協力による手作りですが、とても良くできていて感心しました。

これはチラシの裏です。大切なポイントを押さえて簡潔に紹介してあります。吉川経家が切腹する直前に福光の不言城にいる子どもたちに宛てて書いた遺言状の原文と現代語訳を載せてあるのもいいですね。原文には誤字があります。「ひやう二つきはて候まゝ」は「ひやうろう二つきはて」だとおもわれます。「兵糧」です。心の動揺の精でしょうか。子どもにも読めるようにひらがなで書いているところに経家の深い心情を読み取ることができます。

これは鳥取を中心に発行されている日本海新聞に掲載されたものです。新聞のPRも兼ねて紹介させていただきます。                      中ノ郷小学校の講堂はとても大きいようです。書き割りのお城が小さく見えます。福波小学校の講堂の倍くらいある感じです。

子どもたちの後ろに建っているのは吉川経家の銅像です。小学校に経家の銅像があるのですから、いかに経家が敬愛され親しまれているかがわかります。上の2枚は保護者から送られてきたものです。

上の写真は鳥取の手皮さんの奥様が写された写真の一枚です。舞台の天井がとても高いのがわかります。ホリゾント幕やバック幕ではなく、とても派手な茶色の幕がつり下がっています。おめでたい式にはいいでしょうが、劇には邪魔ですね。島根ではこんな吊り幕がある学校はないでしょう。舞台の後ろは白いホリゾント幕、その前に黒いバック幕というのが普通です。白はいろいろな映像を写しいろいろな色を染めることができます。黒は無感情、無、なし、の象徴ですから前に立つ人物を邪魔しません。第一講演や式典の時でも目が疲れません。(何を言いたいのだ!)

鳥取の詩人、手皮小四郎さんからは手紙も届きました。個人的な箇所は省略して、この劇に関する主なところだけを紹介させていただきます。さすがは教育者で詩人。深い洞察と的確で示唆に富んだ言葉がたくさんありました。

「~ きょう6日、家内と市内の中ノ郷小学校へ「経家最後の手紙」を観に行きました。感銘深い観劇となりました。                  福波小全校児童生徒は、生涯にわたる宝物を共有したと思いました。  ~ 子供たちとその地の未来にかけがえのないものを残されたと思います。これは成そうとして成せるものではなく、時と場と人との、見事な交差が造ったものでした。とにかく児童全員参加が尊いことと思います。 ~ 終わって帰るとき、新聞記者から感想を聞かれて、家内が、歌「お元気ですか、お父さん」の時涙が流れたと言っておりました。      ~  野田、山縣なども登場して史実に忠実であったこともよかったと思います。ぼくは「山縣長茂覚書」を読んだときのあの臨場感を忘れることができません。以来四百数十年昔の単なる歴史物語ではなくなりました。~ 。」

中四国詩人大会が鳥取で開かれたとき、手皮さんには翌日の市内観光で素晴らしい案内をしていただきました。文学だけではなく歴史にもとても造詣が深い人だと感銘を受けました。いろいろ経家のことや鳥取城のことなどを質問しましたが深く多角的な視点で参考になる話を聞くことができました。

手紙を読んで、ぼくの思いとまったく同じであることがうれしいと同時に、尊敬する人からこのようなありがたい手紙をいただいたことに感謝する次第です。

福光小学校の児童生徒の皆さん、そして引率指導された先生方、保護者のみなさん、おつかれさまでした。

「子供たちとその地の未来にかけがえのないものを残された」貴重な公演でした。