H28,3/18 ビッグハート出雲で若者3人の創作劇

3月18日(金)19時からビッグハート出雲で出雲校卒業生数人で企画した劇が上演されます。題は『僕たちは、劇の中で』作者は舞台にも立つ「いとうけいすけ」さん。チラシが手に入りましたので紹介します。都合がつけば出雲までひとっ走りしませんか。(not on foot but by car)
H28 チラシ 「僕たちは劇の中で」なぜ特別にこの劇を紹介するんだ?と思うでしょう。深い訳があります。チラシの下の方をよくみると、「いとうけいすけ、会田基樹、土江真貴人、大国工」とあります。これだけで舞台風景が浮かぶ人は高校演劇のツウです。

島根の厚い壁を突破、中国の高い壁も突破して2年連続(平成25、26)長崎、茨城と全国大会へ出場した時の出雲高校演劇部のメンバーです。会田さんには昨年サンレディで上演した「石見銀山歴史ものがたり」に特別出演して神屋寿禎を好演していただきました。「役になる」ではなく「役を演じる」ことの大切さを改めて舞台で見せてくれました。

というわけで高校演劇も応援するのが目標の中にある劇研「空」としてはこの新鮮な若者達の快挙に盛大な拍手を送らねばなりません。遠くで拍手するだけでは何の役にも立ちませんので、ぜひ出雲へ車を走らせて、現場で拍手したいものです。

パルメザンチームの劇現場で拍手と握手をしてきました。上の風景写真は劇が終わって3人の役者が挨拶をして退場するところです。雰囲気だけでもと思い紹介しました。舞台には紙切れがいっぱい散らかっています。それは劇作家が原稿を書いては捨て書いては捨てた紙です。

劇作家と劇作家によって書かれた(書かれつつある)登場人物との葛藤や苦悩を描いた劇で抽象的な劇でしたが、新鮮でとても刺激的な劇でした。久しぶりに若者らしい意識の先鋭なしかも懸命に何かを求めて苦しむ前衛的な劇を観ました。それぞれの人物の変化や劇の変化や発展がもっと出ていたら更に明確な1つのメッセージが伝わってきたかも知れません。とはいえ意欲的な舞台で役者も熱演でした。おつかれさまでした。

この4人の演劇集団は「parmesan」(パルメザン)という名前です。この夏にも、いとうけいすけ作・演出で新作の公演が予定されているようです。

このブログで今回の劇の上演をを紹介しましたが、多くの人がvisit to readされびっくりしました。お役にたてれば幸せです。

H27 第14回「おおち地芝居」公演3/28 川本(観劇記)

「魅力あふれる地芝居の郷 おおちによる第14回地芝居公演」(チラシ)が3月28日、川本町の「悠邑ふるさと会館大ホール」で行われます。14回目になります。先日チラシをいただきましたので紹介します。

DSC06346今回は「南河内万歳一座」が『青木さん家の奥さん』を上演予定です。昨年、雲南市で上演したことが新聞に出ていましたが、地元の人もキャストとして登場するそうです。

今回はプロの芝居が上演されますので、地芝居は2本です。定評のある邑南町高原の「星が丘一座」による『瞼の母』、そしてこれまた毎回創作時代劇で好評の「劇団かわもと塾」の『神無月の夜に』。我が劇研空にほぼ毎回出演してもらっている堤さんの創作で、今回はわが劇研空からも3名(4名かな?)特別出演します。大いに期待して足を運んでください。

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時間が書いてありませんので、10時からはじまっていつ頃「かわもと塾」が上演するのか分かりませんが、上のチラシで上演順に書いてあるとすれば、午後になること思われます。今回は文化庁の補助となっています。文化庁にはこんな助成もあるのですね。

川本の地芝居については、今まで数回ここで取り上げていますので、興味があればご覧ください。

これは何でしょう?どこの建物でしょう?面白い建物ですね。
DSC06381舞台写真は撮影禁止というのは、どの公演でもほぼ同じです。現在はフラッシュで撮影して劇を邪魔するような非常識な人はいませんが、デジタル時代なので、悪用される可能性もあり、原則禁止は当然です。今回はプロの公演が入っていましたので、厳しく言われました。写真は一見するだけで、どんな舞台だったかすぐに分かります。文章よりもはるかに効果的です。PRや劇評には、写真は欠かせません。文章の中に写真があれば文章も引き立ちます。

過日の高校演劇大会では、受付で次のように公示されていました。「写真を撮影したい場合は届け出て許可を得てください」。いいね、感心しました。許可証をもらって、舞台風景として、決められた場所で静かにシャッターを押しました。個人がアップにならないように、遠景写真として記録用に写したのです。

閑話休題

さてさて、川本へ観劇に行きました。受付でチケットを出して、数歩歩いたとき、後から呼び止められました。「あれ?チケットを出したはずだけどな?」。なんと、なんと、20数年ぶりのなつかしい人ではありませんか。大田高校演劇部にいたクミコさんでした。今後劇研空が公演するとき教えてください、とのこと。全く予期しない出会いだったので、一瞬、川本の狐につままれたのかと思いました。

最初に「瞼の母」を観ました。星が丘一座は、観客に楽しんでもらうことを心得て演じていて、あちこちにアドリブや笑いがありました。今年の劇は、観客の涙を絞るクライマックスと笑いのメリハリがちょっとゆるんでいた気がしましたが、楽しく観劇しました。

「神無月の夜に」は、川本の岡っ引き宗治と大森の岡っ引きが登場し、一年に一回繰り返される泥棒の犯人を突きとめるという時代劇です。いつもの源蔵の居酒屋でいっぱいやりながら話しが展開していきます。源蔵も落ち着いた貫禄のある演技ですが、宗治の手下の半吉はうまく役を演じていて印象に残りました。身分に応じた身の軽さがよく出ていました。大森の岡っ引きはちょっと貫禄不足だったけど、台詞がシャープでよく通りましたね。舞台の空気が一瞬変わりました。荒巻が刀で、チャオが空手で一騎打ちをしましたが、作者お好みのお楽しみ場面でした。荒巻もチャオも切れ味のいい動きで舞台に馴染んでいる役者だとすぐに分かりました。

DSC06380川本の岡っ引きを主人公にしたシリーズとして、とても面白い舞台設定だと思いました。今後創作して行くとき、いろいろ面白いアイデアが生まれてくることでしょう。今回のストーリーも庶民の温かい連帯があって、病気の妻を抱えた犯人を救うのですが、ちょっと組み立てが甘かったかと思いました。冒頭の宗治の台詞から、犯人の様子が観客に推測できましたので、その犯人が登場したとき、結末が見えてきました。推理小説仕立てですから、観客の予想を裏切り驚かせながら、ストーリーを展開し、ラストでは、これまた予想外のサパライズが欲しい。そのためには対立をしっかり組み立てた方がいいと思います。

この劇では、綱を掛けられた犯人が刑を受ける、と観客に思わせて、隣人たちが嘆願して刑を免れる ー この場面が最後のサパライズになりますが、観客には、そうなるぞ、という結末が何となく見えています。先が見えない組み立てができれば、舞台が引き締まって来ます。観客の心ををいかに揺さぶるか、これが書く者の楽しみです。来年も楽しみにしています。

「青木さん家の奥さん」最初は5人で同じ様な会話が何度も何度も繰り返されるので、ちょっと引けましたが、観ているうちにだんだん面白くなり楽しみました。大阪特有のお喋り舞台ですが、地元のことをうまく織り込んで、最後はタイトルの「青木さん家の奥さん」をうまく浮かび上がらせ印象に残りました。同じ様な台詞を5人が何度も繰り返すということが、この劇ではだんだん効果的にテーマやこの劇の表現法と結びついていくことがわかりました。さすがプロの脚本、演出ですね。無意識で作劇していない。

この劇では地元の人も7人くらい舞台へ出たのですが、劇団の役者たちは無理がないようにうまくリードして、伸び伸びと一緒に演じ、観客も楽しませてもらいました。この一座に入っても即通用しそうな人も何人かいましたよ!いや、ほんとです。

みなさんおつかれさまでした。来年は15周年だそうです。

 

 

 

 

 

H27、2 浜田でミュージカル『島村抱月』上演

浜田の石央文化ホールと実行委員会の連名で、劇研「空」へ公演の案内がきましたので紹介します。
2015年2月1日、住民参加型創作ミュージカル『島村抱月』が昼夜2回上演されます。

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脚本は浜田市出身で演出家の木島 恭さん、作曲も浜田出身の安藤由布樹さん。原案・演出は岩町 功先生です。岩町先生は、若い演出家を育てたいと手紙に書いておられましたので、岩上弘史さんも演出として加わっておられます。

今年度は、島村抱月が芸術座を創立して100年だそうです。昨年はそれを記念して東京でも講演会があり、会長の岩町先生は何度か東京へ行き講演もされました。昨年の2月に「石見演劇フェスティバル」反省会でも一緒になりましたが、80余歳にして元気溌剌、頭脳明晰。「郷土石見」の編集長、そして執筆。簡潔で的を射た文章は昔と全く変わりがありません。そして今回の上演!情熱と実行力には脱帽です。総勢100人以上、浜田の文化の総力を挙げての企画上演です。

前回の抱月も観劇に行き、このブログでも紹介しましたが、今回はかなり書き直してあるのでしょう。前回にはなかった大田の相生座が舞台として登場します。抱月は全国や海外まで公演して回りましたが、故郷の浜田では上演していません。何故?

浜田でも上演するつもりで、松江、出雲と下り、大田の相生座で上演していたとき、妹のイチがきて、浜田へ行くことを止めたのです。「浜田へ帰ると借金取りが待ち構えている」。父の一平はたたら製鉄業に従事していましたが相場に手を出し莫大な借金を負っていたからです。しかも抱月は早稲田大学教授を捨てて、演劇に没頭、松井須磨子との関係も評判になり、故郷では「あんな人間になるんじゃない」とまでいわれた人です。

実に多くの人物が出てきます。有名人もたくさん。例えば、森鴎外、島村抱月、相馬御風、中山晋平、松井須磨子、与謝野晶子、沢田正次郎、中村吉蔵・・・・。これを演じるキャストは大変ですね。でも前回は違和感なく見ましたので、大したもんです。

今回は主人公・抱月に、なんと!河村匡敏先生!名前を見たとたん、ベストチョイス!と微笑みました。松江でも、石見演劇フェスタでも、とてもシャープな演技をみせてもらいました。ぼくも大いに買っていた人です。鹿森さんは一平、イチは服部冨士美さん・・・ベテランもたくさん出演されます。

大田ではチケットを販売している所はないようです。電話をして予約してみてください。見応えのある舞台を楽しむことができること間違いなしです。

DSC06290ミュージカル「島村抱月」を観劇しました。舞台は写してはいけないとアナウンスされましたので、これならいいだろうと、パチリ。カミサマと車を運転して浜田に着き、ホールへ入ったら1階、2階ともに満席で、3階まで上るはめになりました。3階で見るのは初めてですが、雲の上から地上を見下ろす感じで、高所恐怖症患者には足が震えました。上の写真は開幕前のホールです。この高い所からは役者の顔の表情はもちろん見えません。役者も3階席までは意識して演じていませんから、声は主に天井にあるスピーカーを通して聞こえてきます。

場所としては最悪でしたが、舞台は十分堪能しました。ストリー展開に沿ってダンスや歌、合唱、詩吟など多彩な舞台が繰り広げられました。とても楽しく見ることができました。生演奏の効果が十分発揮されていました。あちこちで感動的な場面に胸を熱くしましたが、抱月の母チセが死ぬ場面は実に感動的でした。東京から抱月が汽車やバス、徒歩や走って故郷の金城へ帰ってくるのですが、その場面も工夫されていました。プロの森田麗子さんが「いのち短し、恋いせよ乙女、熱きくちびるあせぬ間に~」と松井須磨子の「ゴンドラの歌」を透き通るような声で歌われる中での無言の演技が胸に迫ってきました。演出のすばらしさですね。当時東京から浜田の奥まで帰るということは何日もかかる大変な旅程だったのです。

この劇では故郷ということを大きなテーマに作成されていました。大田の相生座まできて、明日は故郷の浜田で公演、というとき妹のイチ(大田市温泉津町の安楽寺に嫁いでいた)がきて、故郷には借金取りが待っていること、松井須磨子と帰って公演してもお客さんは来ないこと、さらに須磨子本人も厳しく叱責しました。抱月は結局中止して東京へ帰りました。妹のイチの演技や発声も光っていましたね。抱月の演技も力みがなく自然で、ことばもよく分かり、聡明で冷静な学者風の抱月の姿がよく伝わってきました。台詞も多いし歌もたくさんあるし大変だったことでしょうが、台詞についてはさすがは浜田高校演劇部で鍛えていた発声が生かされました。早口で喋っても歯切れ良くことばが分かる。訓練がなければでないことです。

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劇が終わってカーテンコールの時に、抱月は舞台奥から出てきました。父一平や母、妹、弟も出てきて、抱き合って涙を流しました。ちょっと興ざめがしました。ここまでやると完全に感動の押しつけになります。舞台奥の高い所に表れて立っているだけで十分故郷への思いは伝わったのではないかと思いました。説明し過ぎない、感動を演出しない、空想の余地を大いに残す・・・ラストは前回の方がはるかに感動的でした。

坪内逍遙は早稲田文学の象徴的存在ですが、よくがんばって逍遙を演じておられました。ぼくは大学時代に、五十嵐新治郎先生に音声学を習いました。先生は音声学の大家で、口の構造や音素を研究してマスターしておられ、アメリカやイギリスの英語の方言も自由に喋ることができ、文化放送のラジオ講座やテレビでも当時大人気でした。先生がある日授業でいわれました。「私は坪内逍遙先生に習ったのですが、先生の講義の時には町の人たちがたくさん聞きに来るので教室はいっぱいでした。先生は教室に入って来られる時から、こうゆう風に、芝居の演技をしながら入って来られました」。逍遙先生はきっと単なる学者風の人ではなかったのですね。姿や動作まで浮かんできます。

おっとととと、横道にそれました。すばらしい舞台でした。はるばる観に行った甲斐がありました。みなさん、おつかれさまでした。ありがとうございました。

(抱月の上演があったので、ブログで抱月関係の記事を多くの人が読んでおられる様子がグラフからわかります。岩町功先生の著作「島村抱月」を以前このブログで紹介していますが、それも多くの検索で読まれています。本に書いたものは、本棚にしまったらまず出すことはほとんどありませんが、ブログはこう言うときに価値を発揮するんですね。郷土の文学、演劇、文化を紹介することも目標にしている劇研空としてはうれしいことです)

抱月について検索して読む人が多いので、改めて岩町先生の名著「島村抱月」の書評を紹介します。平成21年8月3日の山陰中央新報に載ったものです。資料も豊富な上下2巻の膨大な本を原稿用紙3枚くらいにまとめるのは大変でしたが、ポイントは押さえて書いたつもりです。本を読みたい人は県内の主な図書館にはあるはずです。

書評 岩町功著「島村抱月」上下巻 (2段縦書)

 

H26 「地歩璃」の素敵な「銀山巻き上げ節」

2014年8月24日、石見銀山世界遺産センターで「地歩璃」のコンサートがありました。作曲し、キーボードを担当される藤田勉さんと、ヴォーカルのいわきりれいこさんの二人で結成されたユニットで、今回が初公開でした。

結成の動機と夢が素敵です。「日本に生まれ育ったすべての人々の心の琴線に響くような、どこかなつかしく、やさしくたおやかな音楽作りを目指しています。オリジナル作品の制作とならんで、日本各地に眠る音楽を掘り起こし、新たなアレンジでよみがえらせていきたい」

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キーボードの藤田勉さんには、6年くらい前に、遺産センターで講演が会った時にお会いしました。センターに流れている静かなBGMを作曲され、センターへ来られたときでした。若くて誠実な人だな、と思いました。CDもいただきました。

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今回のコンサートを知らなかったのですが、藤田さんからメールがあり、急遽、ワイフさまとでかけました。久しぶりのなつかしい再会でした。

石見銀山の「サンヤ節」「巻き上げ節」「ゆく夏の風に乗って」は石見銀山の民謡やイメージに基づいて作曲(編曲)されたものです。いわきりさんの透き通ったなつかしい歌声が曲にあっていました。とても感動しました。

まだCDはできていないのですが、無理をお願いして、曲を送っていただきました。了解を得て、8月30に日に市民会館で行った「第5回朗読を楽しむ」の開演前に会場へ流しました。

曲を聞くと、だんだんファンが増えていくことでしょう。心に沁みてくる曲ですが、同時に思いや気持ちや情緒をelevateしてくれる歌です。

ご活躍を期待しています!!

H26,9/21 永井隆の劇「Takashi」益田で上演(観劇記)

雲南市演劇によるまちづくりプロジェクト実行委員会から、案内が来ました。チラシなど後日渡しますが、ひとまず簡単に紹介します。

9/14   18:00~
9/15    13:00~        17:00 ~ チェリヴァホール

9/21(日)14:00 ~  益田市グラントワ
DSC05930亀尾さんの創作、演出です。この初春には「ふることふみ」を雲南市まで観劇にいきましたが、すばらしい舞台でした。(このぶログのどこかで観劇記を書いています)

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永井博士は、飯石郡飯石村(今の雲南市)で育ち、旧制松江高校を卒業、長崎で医学に献身されていましたが、あの原子爆弾で被爆、それでも最後まで平和のために命を燃やしました。長崎へ行ったとき、最後の住居「如己堂」へ行きましたが、畳が3枚か、4枚くらいの狭い狭い部屋でした。ここで数々の有名な著作を書かれたのかと思うと身が引き締まる思いがしました。

その永井隆博士をどのように舞台で表現されるか、楽しみですね。

 

9/21,はるばる益田へカミサマと観劇に行ってきました。劇研空の山本君も来ていました。久しぶりに会う人たちがたくさんありました。劇が終わってこっそりパチリとしました。スミマセン。力作舞台でした。迫力がありました。以下、観劇記です。

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集まった70人以上の人たちをどのように舞台へ登場させるのか。難問題です。単なるコロスとして扱えば、参加した人たちには不満足感が残ります。脚本、演出の亀尾さんはこの難問題をうまく処理しています。さすがです。今までに高校演劇で積み上げてきた手法がみごとに生きていました。多くのキャストが次々と多くの場面を構成していくので、ある意味で劇は度々脇道にそれ、遊びが多くなり、同時に楽しく豊かになります。永井隆という一人の主人公を忘れてはいませんか、と思うころにストリーの軸は一気に展開、本筋に戻ってきます。この緩急の展開が美事でしたね。さすがです。

劇中劇形式になっていて、劇が終わると全員が舞台に集まり、演出役が客席から登場します。演出は、問いかけます。「この劇をやってどう思ったか」。沈黙のあと、二,三人が感想を述べます。

この場面は、劇を客観化することを狙うなら面白い設定です。しかし観客の目には半分、「やらせ」場面に写ります。演じた人間の視点でしか感想は述べられないからです。観客に問いかけるのは価値がありそうですが、これも「感動しました」などという絶賛の感想しか出てこないでしょう。

ぼくならどうするか?と帰りの車中で考えつづけました。結論は「沈黙」です。誰も何も言わない。いや、言えない。

最も感心したのは、永井博士の著述から、永井博士の言葉をそのまま何度も喋らせたことです。脚本家が自分の言葉で現在の時勢を激しく批判すると、観客のこころに反感も生まれる可能性もあります。プロパガンダ性の強い劇になる可能性もあります。しかし永井博士の警告は正に現在の社会を鋭く突き刺します。何十年前の永井博士の言葉を、そのまま舞台で喋っても全く色褪せない。それどころか実にリアルに迫ってきます。真実は時代を超えて具体を貫くのです。

劇が終わって、観客席には熱い思いが充満していました。客席にいるとはっきりわかります。迫力のある感動的な劇でした。

ホールをでるとき、亀尾さんの姿を見かけました。感動した人たちが次々と話しかけていましたので、邪魔をしないようにそのまま帰ろうかと思いましたが、挨拶だけでもと思い、しっかり握手をしてホールをでました。

グラントワの近くで写真店を開いているキタウラ君の家へ寄ってみました。そのむかし、県立益田工業高校が久城の丘に聳えていたころ、担任をした機械科の生徒でした。元気でがんばっていました。剣道を通した社会貢献で数々の表彰を受け、賞状が壁に掲げてありました。来年は卒業して50年になるので同窓会を開きたいと、出来上がった案内のハガキを見せてくれました。「日にちはいつがいいですか?」と聞かれました。なんかこのために久しぶりに益田へきたような感覚に襲われました。劇とは全く無関係ない脇道でした。

みなさん、おつかれさまでした。いい劇がまた島根に生まれましたね。

 

H26 大田市女声コーラス「花音」 45周年記念コンサート

2014年5月18日(日)13時30分から大田市民会館で、大田市女声コーラス「花音」の45周年コンサートが開かれました。大ホールはは久しぶりに満員。次々と歌われるなつかしい曲、美しいコーラスに大きな拍手が送られました。

DSC05667(大田市民会館大ホール。なんでカラッポブタイなんだい、オモシロクモナイ。でも、サツエイキンシ!ですからねえ。ザンネン。カラブタイならいいだろうと思って。)

コンサートは3部に分かれていて、第二部ではゲストの鍵盤男子(大井健さん、中村匡宏さん)の素晴らしいピアノ連弾がありました。二人の語りもざっくばらんでとても楽しく聞きました。

当初から指導してこられた酒見佐枝子先生が途中で挨拶をされました。発足は大田第一中学校の保護者3人からだったとのこと。当時の校長先生の理解があり、練習場所に学校を使わせてくれたこと、また夜の練習なので各家庭の理解がなければ続かなかったことなど、感謝の気持ちを込めて話されました。そうですよね、みなさん家庭の主婦ですから、家族の理解がないとやっていけません。舞台は華やかですが、その過程には大変なことばかり。それを乗り越えての45年です。重みがあります。

DSC05663「大田市女声コーラス花音の歴史」をチラシから紹介させていただきましょう。過去10回、全国大会へ出場という実績も光っています。

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「石見銀山巻き上げ節」を鍵盤男子の中村さんが合唱用に編曲され、混声4部合唱として披露されました。大田の男性コーラスグループから10数人が賛助出演されました。男性の深味のある声が加わると一段と歌に魅力がまします。
https://stagebox.sakura.ne.jp/wp/apoetinohda/2014/05/26/詩-娘たちの「銀山巻き上げ節」/

巻き上げ節の前奏時に、わが劇研空も一役買ったのでーす。松本、山本くんが銀堀姿で、岩に鏨を当て金槌で打つ演技をしました。キーン、キーンという澄んだ音がとても効果的でした。超短時間舞台でしたが、おつかれさまでした!!

DSC05674(今までに指揮者として貢献された人達に花束を贈呈。こういう指導者がたくさんおられてうらやましいですね。島根の音楽文化はレベルが高いですね。Who took above?)

実はスハマクンも超チョビット今回の記念コンサートに貢献しているのです。昨年のある日、花音のある人からある人を通して「石見銀山巻き上げ節」のCDを持っていないかと聞かれたのです。手元にありましたので、お貸ししたら、プロに編曲してもらうのだといわれました。それが今回実現したのです。

このCDの歌は大森の河村さんが歌っておられます。民謡は歌い手によって微妙な違いがあります。それが魅力でもあります。河村さんの歌はどちらかと言えば細かい変化はきれいな流れに統合され舞台発表用の魅力と気持ちのいい味があります。(例えば調子を整えるために「あら」という元にない語が入ったりします)

邇摩高校120周年記念で劇研空が上演した創作劇「石見銀山旅日記」の中で歌っていただいた高野さんの歌はどちらかといえば現場の労働から生まれたリズム感などがあり、流暢なのはおなじですが、少し素朴な味があります。

DSC05172(邇摩高校で上演した時、劇中歌として「巻き上げ節」を歌っていただいた高野さん)

このコンサートで高野さんがそばの席におられたので、感想なども聞きました。「いろいろな歌い方があるから、こういう合唱曲になるのもいいですね」ということでした。

たしかにそうですね。民謡で歌え、といっても現代の若者には無理ですから、徐々に消滅していく可能性があります。合唱曲になれば、今後いろいろな場で歌われるでしょうから、現代に生きてきます。新しい命を吹き込まないと何でも衰退していきます。そういう意味でもいい仕事をされましたね。同時に、民謡自体の魅力も広く知ってもらう努力をしなければいけませんね。いつか、たくましい労働の歌として、力強いリズムの歌にして、男性コーラスで聞いてみたい気がします。

「石見銀山巻き上げ節」は、いつ頃歌われはじめたのか。ぼくが調べた限りでは明治時代に入ってから、と書いてあるのがほとんどです。それは歌の歌詞から推定したものです。「35番の立て坑」「ポンプ」などの言葉から、明治20年代だというのです。歌詞はあとから次々と付け加えられることが多いので、曲は江戸時代にさかのぼる可能性もあります。だれか研究している人はいませんか。教えてください。

45周年、おめでとうございます。これからもがんばって素敵なハーモニーを聞かせてください。

【準備段階PR。8月末に市民会館中ホールで『朗読を楽しむ』を予定しています。どのような内容にするか思案中です。一つの案は朗読者も視聴者も一律平等に場所代資料代500円を負担。朗読したい人、グループは誰でも大大歓迎。自分が聞いて欲しい物(短編、随筆、詩、童話、創作は大歓迎)を5分前後で舞台で朗読したり語る。その際音楽や効果音なども使用してもいい。大田に関係ある創作童話や詩などは大歓迎。出演は一人ではなくグループでもいい】ご意見をどうぞ。そのうち参加者募集のチラシをつくります。参加希望があればいつでもどうぞ。(劇研空)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

H26 石見演劇フェスタで 『海を越えサヒメの山へ』上演(2)

第2回(通算6回)石見演劇フェスティバル観劇記の続き、( 2)です。上演側ですので観劇記というより、上演記です。「空」のみなさん、そのつもりで読んでください。

1508450_253664074805140_1884179390_n(プレリュードは幼稚園の先生と子供たちの会話です。三瓶山について先生とおもしろいやりとりをしながら、三瓶の歴史などを紹介していきます。)

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大田市演劇サークル 劇研「空」 創作朗読民話劇『海を越えサヒメの山へ」(石見の伝承より)脚本、演出・洲浜昌三

パンフレットからの文章を中心に紹介しましょう。写真はショウシンさんです。ありがとうございました。(ショウシンさんはショウコさんのハズバンドです)

  島根県の石見地方に伝わる伝承を朗読劇用に創作したものです。映像をホリゾント幕へ投影しながら朗読します。大人も、子どもたちでも楽しめるように、分かりやすく、テンポよく、スリリングで面白く感動もあるリーデイングになれば、と思っています。単なる朗読ではなく、劇形式の朗読用として創作した点がチャレンジングだと考えています。
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[あらすじ]   「むかし、ソシモリという国にオオゲツというヒメがいた。ある日、北方から騎馬軍団が襲ってきて、国は壊滅する。ヒメは大切な穀物の種を末娘のサヒメに託し、『海を渡って平和な国へ行き、美しい山のふもとの人たちと一緒に育てなさい』と言い残して息絶える。

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サヒメは赤雁に乗って旅立つ。途中、様々な苦難に遭いながら、美しい山を目指すが、上空に近づいてみると山は火山で荒れ、村人はやせこけ、村を捨てて逃げるところだった。サヒメは村人と一緒に種を播く」(絵は20枚投影しました)

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益田の比礼振山(権現山)には佐比売山神社があり、乙子、種、赤雁という地名があります。大田の大森や三瓶、鳥井にも同名の神社があり、三瓶には多根、小豆原、赤雁山があります。江戸末期から明治の初期に国学が盛んだったころ、古事記などに精通していた人が地名や山の姿から着想し創作したのではないかと思います。あくまで勝手な推測です。

     キャスト
語り                      … 田中和子
サヒメ          …  吉川礼子
アカガリ      …  山本和之
オオゲツのヒメ …  渡利章子
騎馬軍団大将  …  山本和之
ワシ      …  松本領太
カミナガのオサ …  堤 浩隆
ヒゲナガのオサ …  松本領太
モグラのオキナ …  堤 浩隆
ヒメ村のオサ  …  松本領太
村の子どもたち  …     全 員 

     スタッフ
脚  本 …   洲浜昌三
演  出     …  洲浜昌三
原画作成 … 勝部和子
原画撮影 … 松本領太
音  響  …   洲浜昌三
PC操作  …      堤 奈穂子

この試みがどのようにお客さんへ受け止められたか。最も知りたいところですが、アンケートの結果を見ていませんので分かりません。

すべて終了してロビーにいたとき、会長さんと出会い次のように言われました。「とても面白い試みでした。今後高齢者講座などで発表するときの参考になった」。

県立大学総合政策学部教授に瓜生忠久先生は山陰中央新報文化欄の劇評で次のように書いておられます。「大田市演劇サークル 劇研「空」 創作朗読民話劇『海を越えサヒメの山へ」(石見の伝承より)も、実験的でおもしろかった。作者の洲浜昌三氏は、大田市で長年演劇活動を続ける熱血老人だが、6人の朗読者とスライドだけで構成された今回の舞台は、日ごろなかなか練習時間を持てないアマチュア演劇集団の活動に一つの可能性を示した。地域に残る民話の世界に題材を採った点も、そこで生き続ける人々のアイデンティティと重なって共感をもてた」

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とても嬉しい指摘でした。芸術文学では「表現形式」(スタイル、文体)がとても重要です。新しいアイデアは新しい容器に盛らないと表現できません。形式と内実は一体のものです。今回の舞台は、「紙芝居と劇と朗読の特徴」を抽出したような表現形式です。吉川礼子さんが幕間の感想で、「劇と違ってとても安心して楽な気持ちで取り組めました」と述べたとき、今回の表現形式のメリットを思いました。しかし内容がつまらなかったら、単なる手抜きになってしまいます。瓜生先生は「そこで生き続ける人々のアイデンティティと重なって共感をもてた」と評価されました。とても嬉しい言葉です。

 終わってから、詩人仲間のヤマシロさんにばったり出会いました。「いつもいろんな歴史や資料を堀り出して、新しいことをやりんさるね。この話しは随分前に石村勝郎さんの本で読んだことがあるでな」。  ヤマシロさんは昨年も来られました。

そうなんです。この話しは一般的には、益田の伝承だと思われています。そのように書かれたものがほとんどだからです。しかし石村さんはサヒメ山の伝承として書いておられます。亡くなられた民俗学者の白石昭臣先生もサヒメ山の語源を、「サヒメという姫が雁に乗って飛んできた」伝説に求めておられます。

1300年も前の「出雲国風土記」に出てくる「サヒメ山」です。 その頃に、サヒメが雁に乗ってきたという伝説があったかどうか。(「石見国風土記」には書かれていた。ええ?ウッソ!ホント?石見国風土記がどこかから出て来ないかなぁ)

DSC03611(雁が羽を広げて休んでいるように見えませんか?見えない?そのつもりで見てよ。中央が赤雁山です。雁の頭です。長久の勝部さんは、この物語りを読んでから、毎朝見る三瓶山が雁のように見えると言っておられました。)

三瓶山は女性的でやさしい姿をしています。「サ」には「小さい」とか「可愛い」とか「さわやか」「鉄のサビのように小さい」とかいう意味や語感があるそうです。そうすると「かわいくてやさしい姫のような山」という意味から「サヒメ山」と呼ばれるようになった可能性があります。大国主命の正妻はスセリ姫ですが、サヒメ山も大国主命の妻だという伝承もあるそうです。

観劇記が横っちょにそれました。2月に大田市民会館で上演した時とは今回はキャストも変わっています。久しぶりに章子さんと一緒にやりました。堤さんには急遽お願いして快諾していただきました。ありがとうございました。(ネッケツセイネン?)

石見演劇フェスティバル観劇記の続きは、そのうち(3)で紹介します。

H26 「第2回石見演劇フェスタ」観劇記(1)

2014年3月9日、浜田市の石央文化ホールで「石見演劇フェスティバル」が開催され8団体が地芝居、現代劇、朗読劇、舞踊など多彩な舞台を披露しました。「石央地芝居大会」の名前で4回開催、現在の名前に変わって2回目になります。 「第6回」とするか「第2回」とするか難しいところですね。(通算第6回、っていうのはどうかな。どうでもいい?回数がないと見出しや区別に困ることがあるんです)

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  主催は「石見演劇フェスティバル実行委員会」ですが、石央文化ホールの熱意のある企画と運営によって継続されています。昨年の反省から、各団体の上演時間は40分~50分に短縮されました。見る側にとっては少し余裕が生まれました。また上演後の幕間での杓子定規な質問が、堅苦しく研究会的な空気を醸し出していましたが、各団体に任せるという方法に変わりました。

これらのこともあって、今までより余裕のある楽しい雰囲気が生まれた気がしました。「さまざまな人々が数多く参加した楽しい1日だった」と島根県立大学の瓜生忠久先生が山陰中央新報へ書いておられます。

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パンフレットも実に立派です。冒頭に久保田章一浜田市長の言葉、実行委員長・岩町功先生の挨拶があります。情熱のある核心を衝いた文章です。各団体に一ページを割き、写真も入れて紹介しています。記録としても保存する価値があります。こうゆうところにも事務局の経験豊かなセンスと熱意が感じられます。

さて、各団体の舞台を風景写真で紹介してみましょう。

IMG_8361「NPO法人創作てんからっと」(浜田)は今年も美崎理恵さんの創作で『大根畑に陽は昇る』。みなさんベテランで自然な演技に好感が持てました。岩町功先生は、大根を育てる宗方利夫の役で登場、年齢をあまり感じさせないセリフや演技はさすがでした。農村と都会、親と子、過疎などに焦点を当て、ストーリーはうまくできていましたが、それをうまくなぞったという印象が残りました。農村を舞台にしたリアリズム劇ですが、装置との関係は難しいですね。「黒い中割幕の前に平台」だけで、農村という劇の世界へ観客を誘い込むのは難しい。かといって大がかりな装置を作れば時間と経費、設置、撤去の問題が出てくる。1日に8団体も上演する場合、装置をどう工夫するかが、勝負のような気がします。

DSC05498明誠高校演劇同好会(益田)『じゅ☆げむ~明誠ver.~』脚本・明誠高校演劇同好会  多い時には10校以上にあった石見の高校演劇部ですが、浜高だけになり淋しい状態が続いていました。平成25年に明誠高校で同好会ができ喜んでいます。ハナモト先生あればこそです。現在1年3人、2年2人とか。今回は1年の男子、二人だけの舞台です。立ったままで朗読するのかな、と思っていましたが、劇形式になっていて感心しました。小道具もうまく使って楽しい舞台でした。堂々と演じていたので安心して見られました登場人物は二人だけですが、工夫して脚本を劇形式にしたのが成功しました。20分くらいでしたが、とてもさわやかでスカッとした舞台でした。
(センセイは数年前、津和野高校演劇部員で活躍、県大会、中国大会にもでました。大学を卒業して帰ってきて、意欲的に活動してくれるとはウレシイ!!)

DSC05503石見国くにびき18座(浜田・江津・益田)群読劇『クスの葉風』脚本、演出・金田サダ子
昨年の劇は、山梨県で開催された全国シニア-演劇大会に参加しました。今年も素敵な舞台でした。平均年齢は72歳ですから、動きやセリフなどは最小限になるように作られていますが、舞台全体の使い方、装置の工夫、全員の動き、劇と歌の切り替え、メリハリ、流れ等々、上手に演出され、個々の弱点が拡大しないように、うまくカバーされています。 そしてバックボーンになるテーマがしっかりしています。

山陰中央新報に寄稿された瓜生先生の劇評から一部を引用させていただきます。「~中でも、高齢者大学校くにびき学園の卒業者たちが演じた群読劇は、あの忌まわしい戦争の時代を生き抜いてきた世代が演ずるという点で秀逸であった。戦争を知る世代だからこそ表現できる創作劇は、これからの若い世代にもぜひ認識してもらいたい貴重さを内包する」
(そうですね。それだけに若い人たちが観劇にきてくれたら、ウレシイ!のですが…)

DSC05507劇団「ドリームカンパニー」(益田)『花森商店 おしまいの日』脚本、演出・大畑喜彦
「2014年結成、現在団員26名」とパンフレットにあります。石見地方の現代劇分野では、最も人数が多くキャストやスタッフも充実しているのではないかと思います。

昨年初めて、この劇団の創作劇・『生前葬リハーサル』を観たのですが、ユーモアもあり面白いだけではなく問題に突っ込んでいく鋭さもあって、見応えがありました。

今年の劇も楽しく観ました。商店街からまた1軒店舗が消えていくという町中の過疎を取り上げた身近なテーマの劇です。万引きの女子高校生が登場したり、予想外の展開があったり、どんでん返しもあり脚本もよく工夫して創られています。楽しく観たのは確かですが、今ひとつ迫力がなかったのは何故でしょう。

一つは、店舗が消える深刻な問題は単なる背景として扱われ、「明るく閉店を」に重点がありすぎたこと、細工が多く作為が見えたこと、堀り下げが浅くストーリーの枠縁を絵取った印象が残ったこと、ハッピエンドが予定調和的だったこと等々です。しかし劇創りのうまさは今年も感じました。

ー以上、前半の4劇団の観劇記です。後半はそのうちNO2として書きます

https://stagebox.sakura.ne.jp/wp/?p=2050

(これはあくまでスハマクンが感じた舞台評です。十人十色ですから、そのつもりで読んでください。地方で劇など公演しても滅多に批評にお目にかかりません。批評のないところに進歩はありません。お互いを知っているので、馴れ合いになります。その意味で、あえて書いています。「いいとこ8割建設的批評2割」精神で書いています。島根県立大学の瓜生忠久先生が山陰中央新報へ書かれた劇評はとても勉強になります。会長の岩町先生が批評の大切さを心得ておられて、毎回劇評を依頼されています。さすがですね。)

H26 3/16 川本で「地芝居」観劇

2014年3月16日、邑智郡川本町の「悠邑ふるさと会館大ホールで、今年も地芝居公演があり観劇しました。13回目になるそうです。この川本の地芝居は、演じる者と観客との間に交流があり、共に楽しむという雰囲気があるのが大きな特徴です。鶴岡さんのざっくばらんで親しみやすい司会も大きく貢献しています。

DSC05551トップは実力のある吾郷青吾会の「へちまの花」。平成24年にも見てこのブログで紹介していますので参考にしてください。観客の涙を絞る人情劇です。演技もセリフもピシッと決まっています。

DSC05557ボランティアグループ「山ゆりの会」の舞踊と歌があり、そのあと上演されたのが、邑南町の「はすみおとめ座」の「はだかの王さま」(上の写真)です。衣装やセットがうまくできているので、写真を見るとプロの舞台!?かと思わせます。演技のあちこちに隙間があるのですが、それがアマチャらしくてまた楽しい。役を形で演じているのもまたほほえましい。劇としてはうまくまとめられていました。

DSC05559 DSC05560DSC05566  邑南町の「星が丘一座」も定評のある劇団で、例年の楽しい地芝居を上演されました。
「水戸の黄門さん」です。昨年も黄門シリーズでしたが、同じ内容ではなく、誰かが脚本を書かれるのでしょう。水戸の黄門が川本村へやってきて不正をあばき、とっちめるという話しです。アドリブもあり観客とのやり取りもあり、おひねりがたくさん舞台へ飛んできて、とてもたのしい時間でした。まさに地芝居の楽しさですね。

DSC05568ラストは「劇団かわもと塾」の「天領かわもと~父娘慕情~」。劇研空の舞台にも立ってもらっている堤さんの創作、演出です。地元の歴史を背景にした時代劇です。劇研空の吉川さんも和服姿で登場!前田さんは中国人リーチャオで新体操の如く舞台へ跳ねて登場!びっくり!やるね!ハチャメチャですが大いに楽しませました。

劇としてうまく形が整っていて、ラストの嫁入り場面では、セリフは少なく、ゆっくり歩くだけですが、しんみりとさせました。前半の組み立てがうまくできているからです。動と静の組み立てがしっかりしていて人情の機微、親子の情愛をうまく仕組んでいるからでしょう。

DSC05570お客さんがほとんど最後までおられるのも川本地芝居の特徴です。義理で前売り券を買い義理で見にいく人が多いときには、関係のある芝居だけを見て帰る、という現象が起こり、最後の劇では各席でガラガラ閑古鳥が鳴いている、ということになりがちです。朝10時から午後4時という長丁場ですが、最後まで観劇する人が多いのは地域としての素朴な人のつながりがあるからでしょう。「一生懸命やっとりんさるんだけぇ最後まで見てあげにゃなぁ」という気持ち。ワカル?同じ邑智郡育ちですからよく分かります。

みなさん、おつかれさまでした。山本くん松本くん観劇おつかれさまでした。

古事記を歌劇で熱演「ふることぶみ」

2014年3月16日、雲南市のチェリヴァホールで「ふることぶみ~古事記~」が上演されました。連続2時間半の長丁場でしたが、次々と展開される古事記の世界に引き込まれ、飽きることなく観劇しました。
DSC05547上の舞台風景は劇が終わった後のフィナーレです。約100人の出演者が歌いながら乱舞する様子も圧巻でした。(キョカナクサツエイキンシ デモコレナラ イイカト カッテニ パチリ スミマセン)

2012年から始まった奈良県大和郡山市と雲南市との演劇交流事業で郡山市から20人、雲南、松江、出雲から約80人が参加して創りあげた舞台です。大田からはるばる雲南まで修平さんの車に乗って6人で出かけました。行った甲斐がありました。

次々と神々が登場し、いろいろな出来事や事件がたくさん出てくる古事記を、どのように整理し解釈し脚本にし演出されるか、興味津々で観劇しました。大和編を見ながら、かなり忠実に舞台化されていたのが印象に残りました。忠実に舞台化すると脈略がなくなりエピソードの陳列になって平板になる可能性がありますが、そうならなかったのは装置が立体的に工夫されていて、それをとてもうまく使っておられたことです。また稗田阿礼を舞台に登場させ、軽妙な進行役・解説者・証言者として、楽しく軽快に役者が演じたことです。音楽も最高でしたね。

大和編はややエピソードの陳列の印象もありましたが(古事記の内容のためでもあります)、出雲編はとても物語性が豊かなこともあり、楽しく観ることが出来ました。ここでも西藤さんが演じた稗田阿礼がとてもいい役目を果たしていました。軽妙な動きと明快な言葉で舞台を引き締め、劇が地に埋没しそうになるのを高みに引き上げ次のエピソードへ軽快に繋いでいました。何カ所か説明調のセリフになっているところがあり、その時は場面や演技の説明になってちょっと泥くさくなりましたが・・・)稗田阿礼を登場させたのは大成功でした。
DSC05544舞台のみなさんは右上を見ています。何故でしょう。音楽を担当されたサキタハジメさんが二階のギャラリーでお礼のあいさつをしておられるからです。今回の大成功の大きな要因の一つは生演奏の音楽です。池田安友子さんの太鼓やパーカッションも劇を深め、引き締めリードしました。音楽では何度も魂が救われるような安らぎを感じました。音楽は自然に劇の流れに溶け込み、ふと気がつくとその音楽に心が乗せられているのに気がつくのです。

ぼくが事前に関心をもっていた一つは劇のテーマです。場面の並列だけでは劇として物足りないし迫力がありません。数々のエピソードを貫く一本のテーマがどのように表現されるか。簡単ではありませんが注目していました。

大国主命は攻められ出雲の国を譲ります。しかし「大国主命は一度も武力で戦わなかった」と稗田阿礼が語ります。なーるほど、と納得しました。さすがです。

場面がいくつあったのでしょうか。30以上はあったかも知れません。各地に離れて住み仕事を持ち、集まって練習する100人のキャストも大変です。しかも2時間半の劇です。何度も練習し、音楽と合わせ、統一した舞台に創りあげる。気が遠くなりそうです。実行委員の人たちの陰の力も大したものです。おつかれさまでした。