次の練習日は10/11(金)です

7日(月)は19時~21:40まで川合町作つくりセンターで予定通り行いました。当初、火曜日と金曜日とプリントに書き、その後、金曜日と火曜日、と変更しましたので、それが十分徹底していなかったようです。そのため集まったのはヤマモト銀八、マツモト清兵衛、タナカキクさん、ショウチャンだけでした。ヤッサンからは火曜日に、「今日は都合で行けません」と電話がありました。

前半では文化プロデュースステップアップ講座のイベントなどについて話し会いました。現在、2月2日に三瓶山をテーマにした舞台発表と付随したイベントが検討課題として決まり、ぼくやヤマモトくん、マツモトくんがチーフ、サブチーフに決まって進めることになっています。

当初から何度も言い、最後の講座でも確認の意味であえてくどいほど言いましたが、提案した舞台発表は劇研空で以前から考えていた企画です。(何回も会合を重ねても案がでないので、あえて劇研空の企画を参考までに出したのです)そして劇研空は脚本を創作し練習し発表する立場、つまり実演者です。プロデューサーではないのです。今回の講座はプロデューサー養成講座です。劇研空がプロデユーサーになり実演者になるのなら、劇研空主催と同じことです。そこをどうするのか、など具体的に話し会いました。

そのあとで今回の脚本を議論しました。現在の脚本は、いろいろな発表のために作った脚本を合成していますので、その弱点や矛盾があります。それをどうするかという問題です。具体的には寿禎の場面を後半の劇の中に入れることはできないか、ということです。入れたらどのように整合性をつけるか、という問題も出てきます。結局そのままで行こう、ということにしましたが、ぼくとしては、その後もずっと考え続けています。

今日、「旅日記」の中に、新たな観点から寿禎の場面を入れて整合性をつけるアイデアを考えつき、また脚本に手を入れています。台詞はほとんど変えません。地元大森のカブキ者が、石見銀山の歴史を分かりやすく演じたり語ったりして江戸から来た親分たちに見せる、というアイデアです。

さて、次回の練習日は10月11日(金)19時からです。タナカキクさん、京女レイコさん、ヤッサン、ミツイ源六、ヤマモト銀八、イナダ親分、マツモト清兵衛さんも出席予定ですので、後半の劇の部分を中心に練習します。

よろしくおねがいします。木曜日スハマ君は松江で「島根の文学あり方を考える会」があり出席します。金の7時までには台本を打ち込み、コピーして持参するつもりです。

10/4 の劇の練習報告です

午前中に、はるばる会場の鍵を借りに出かけ、予定通り19時過ぎから劇の練習をしました。初めは代役で読み合わせをしましたが、40分過ぎに銀八さんも勤めから帰ってきて後半の劇の部分の読み合わせをしました。

イナダ親分は初めての読み合わせでした。正式な劇は初めてで、まだ不十分な所は多々ありますが、いろいろアドヴァイスもして読み合わせをくり返しました。キンチャンも来てくれました。ヤッサンは張り出し舞台の正式な図面を描いてきてくれました。さすが元プロです。
ミツイさんが月曜日は仕事で劇の練習に出られないそうで、どうするか話し合いましたが、次回は代読でやることになりましたが、場所を代えてでも親方と子分の練習はしなければいけないということでは一致しました。親分が初めてだからです。

参加者はヤッサン、銀八ヤマちゃん、ミツイ源六さん、イナダ親分、キンチャン、しょうちゃんでした。

次回は来週の月曜日ですが、つづいて後半の親分子分を中心にやります。ぼくは明日の朝早くから中四国詩人会大会で徳山へ行き、日曜日の夜遅く返ってきます。

10/1 劇の練習日程について(劇研「空」)

11月15日に邇摩高校創立110周年記念で上演することになっている「石見銀山旅日記」の修正台本は9/24に郵送しました。そして9/29(日)の4時半から集まって顔合わせと台本を説明し検討しました。その後、若干変更がありましたのでお知らせします。

練習日程について毎週火曜日と金曜日に川合まちつくりセンターで午後7時からと書きましたが、センターに連絡したら、火曜日は別のグループが定例で使用しているそうです。そこで次のように変更します。

1.練習日は基本的に、月曜日と金曜日19時から21時。

10/18(金)と11/8(金)は川合まちつくりセンターは使用できない。

2.当日欠席されたシブタニさんとその後打合せをしました。その結果、吟詠による武士の剣舞と後半の吟詠はできないということになり、台本を書き直します。シブタニさんから演劇経験者が温泉津に帰っておられると言われ、早速連絡をとってもらいましたが、乗り気のようです。(但し夜の練習は難しいとのこと)今度お会いしてみます。朗読や武士などの語りが可能かもしれません。

3.邇摩高校体育館の舞台や照明についてはまだ見に行っていません。ナカムラさんと近日中に行くつもりです。平台があるか、照明器具(フォロースポットは2台ギャラリーから使用しているそうですが)がどれだけ使えるか、バーはあるか、コードは?などなど、不明です。あるところから古い平台や照明器具など借用できるかどうか聞いてみましたが、予想どおりだめでした。
いい知恵があれば出してください。

4.練習はできるだけパート毎にやりたいと思います。10/4は後半の劇の部分で親分、子分二人、清兵衛の部分をやりたいと思います。イナダさんもOKで来られます。(ヤマモト、ミツイ、イナダ、マツモト清兵衛はぜひ参加してください)

5.大勢の人に連絡をするのはなかなか面倒です。主にパソコンのメールで送り、数名の人には携帯、ヤッサンには電話で連絡します。よろしくおねがいします。

会津藩40万石から大田吉永藩一万石へ

平成25年の一月から始まったNHKの「八重の桜」は絶好調です。会津藩のことをこれだけじっくり描いたものを見たことがなかったので、新たな発見や感動にいつも出会います。

9月時点では八重は新島襄と結婚しました。西洋の文化をしっかり身につけた新島襄と会津の武士道の精神を受け継いだ八重との出会いも実に新鮮で面白い。信義を守って徳川の最後のたてとなり、朝敵という汚名を着せられ、明治、大正、昭和になっても「会津者」といわれたという無念な思いが伝わってきます。よく作られていて役者もみなそれぞれの役を立派に演じていて、いつも次が待ち遠しい。

さて、島根の大田と会津は遠く離れていて、何の関係もないように思えますが、それが大ありなのです。最近でこそ松本一直さんの研究が、松本さんの講演などで少しは知られるようになりましたが、知らない人のほうがはるかに多い。

この度大田市中央公民館が企画して「吉永藩」(41ページ、編集委員長 山内俊雄)が発行され、3回に分けて講演会が開かれました。ぼくは2回だけ参加しましたが、何かの参考になればと思い、紹介します。表紙の風景は大田市川合町で、その山裾に吉永藩がありました。

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会津藩は蘆名氏、上杉氏、加藤氏、保科氏(保科正之は家光の異母弟、後に松平)と支配者は替わっていますが、加藤氏の時代にお家騒動が起こり、加藤明成は40万石を返上、長男・明友が一万石で石見大田の吉永へ来たのです。

会津から日本海を経て大田の大浦の港へ上陸しています。徳川の直轄地、石見銀山領のうち20ヶ村を加藤氏に与えていいます。吉永記には一緒に来た150人以上の武士の名前が記されています。物部神社にも残っています。

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明成は大田で他界していますが、会津から農業、畜産、医学、土木などの専門家を連れてきましたので、大田の農業土木などに与えた影響は大きく、三瓶山の放牧は加藤氏の時代にはじまったといわれています。

加藤氏の治世は嘉永2年(1643)から天和2(1682)までの40年間でした。その年の6月19日、藩主・明友は五代将軍綱吉から滋賀県の水口藩2万石へ移封を命じられています。

加藤明成の父は加藤嘉明で秀吉の家来として活躍、四国の名城・松山城を作った武将で、築城の名士としてよく知られています。

「吉永藩」の本には大田での実績や記録がよく記されています。このような資料が発行されると、それを読んで更に調べたいという人が出てくるでしょう。また会津藩や水口藩のことを調べていて、加藤氏の時代を知りたい人には大いに参考になることでしょう。先人の研究はありがたいものです。小説や脚本を書く場合にも大いに役立ちます。

編集委員は次の方々です。岩根了達、山内俊雄、和田秀夫、伊藤静稔、田平隆司。発行所は大田市立中央公民館。神々の国しまね実行委員会の助成を受けた事業です。

H25 石見銀山大盛行列おつかれさま!

2013年9月1日、大森で天領さん祭りが行われました。前の晩から雨が降り、大盛行列のために自治会館で衣装の着替えをしている時も雨が降っていました。町並交流センターで実施する、という知らせが来ていましたので、室内ではどのように行進するか説明しました。

ところが、どっこい、出発直前に、雨天決行!という知らせ!。笠をさして行進!です。
DSC04909  出発前に、わが劇研空の瓦版売り二人、ヤマチャン、マッチャンが江戸から来た源六、源八になって、お客さんへ口上を述べました。その一部を聞きながら行進していきましょう。さあ出発!

オー!「片寄れ!片寄れ!」

「サァーサァ、お立ち会い、御用とお急ぎでないお方はゆっくりと聞いておいで、見ておいで、遠目山越 し笠のうち、聞かざる時は物の出方善悪黒白がとんと判らない。

サーテ、お立ち会い、お立ち会い。ここにはせ参じたる我ら二人、江戸よりはるばる三百里、東海道、山陽道、尾道より石州銀山道を越えて石見銀山へまかり越したる瓦版売りなり。

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 さてさて、ここにお揃いなされしは、天下に聞こえし石見銀山の繁栄発展にご尽力遊ばす代官様を始め、地役人、組頭、そして著しき功績のあった山師のみなさんにて候。
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 先刻は佐毘売山神社、おっとどっこい、この地の人には「山神さん」と呼んだが分かりが速い、その山神さんにおいて、「山入式際」がおごそかに行われ申した。どんな式かって?知らねえのか。知らねえのか。
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 知らざぁ言って聞かせやしょう。「山入式際」とは石見銀山の永遠なる繁栄を祈願して行われる「盛山祈願祭」のことよ。朝、暗いうちに神主さんは大森を発ち、山を越え谷を越えて馬路の鞆ヶ浦へ行き、清らかな海水と海藻と塩鯖を持ち帰って山神さんへお供えして祈願祭。それを終わって代官所までお帰りになるのが、この「大盛行列」、すなわち「石見銀山盛山祈願行列」っていうわけだ。くわしいことはこの瓦版に書いてあるよ。如何かな。山神さんのことが何でもわかる瓦版だよ。
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 さあさあ、瓦版はいかがかな。江戸のことも分かるし、大森の歴史がわかる瓦版だよ。さあさあ、いかがかな」

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いつの間にか雨は止みました。実行委員のみなさんの決断大成功。山神さんの金山彦、金山姫に願いが通じたのでしょうね。

列の先頭を二人の瓦版売りが大声で行列のことや瓦版の内容を説明しながら歩きましたので、お客さんには何の行列かよく分かってグッジョ!でしたね。テープでサンヤ節をながして歩いたのも賑わいが出て、good job でした。
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代官所跡の庭でも瓦版売りは最後の口上を述べました。手前の長屋門側にはお客さんたちが最後の口上を聞いておられます。

では源六の最後の口上をどうぞ聞いてくなんしょ。

「ありがとうござんした。江戸へ持って帰るええ土産ができました。代官様はじめ、みなみなさま、大盛行列、おつかれさんでござんした。わっしらも石見銀山の繁栄を末永く祈っておりやす。ではさらば」

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最後に大森町自治会協議会の会長、山下幸弘さんがお礼の挨拶を述べられました。

みなさんとても喜んでおられました。実行委員の人たちからもお礼の言葉をかけていただきました。いえいえ、「お役に立てて幸せ」です。

大成功でしたね。山本クン、松本クン、おつかれさまでした。参加された関係者のみなさん、おつかれさまでした。

9/8 大田市民会館で「源氏物語」の一人語り

2013年9月8日(日)13時30分から大田市民会館中ホールで六嶋由美子さんの「源氏物語」の「一人語り」の公演があります。
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昨年9月には「平家物語」の語りがあり好評でした。このブログで紹介しています。六嶋さんは大田市久手町の出身、大田高校卒業、現在は京都の宇治市のお住まいです。

今年も野中久美子さんが笛などの演奏をされます。昨年は越前琵琶の演奏をされとても素敵でした。今年も楽しみです。

劇研空のみなさん、都合がつけばぜひ来てください。大いに勉強になりますよ。すはまくんは文化協会の係りとしてモギリです。昨年同様後のイロウ会にも参加します。

9/1 石見銀山 大森で「天領さん祭り」

2013年の大田の祭り、「天領さん」は3会場で行われ、大田、久手会場ではすでに8月に行われました。最後の大森会場の天領さんが9月1日に開催されます。今日の新聞にチラシが入っていましたのでPRも兼ねて紹介します。

江戸時代の面影を残す町並で多彩な催しがおこなわれます。無料バスもでます。どうぞ9月1日は世界遺産の町、大森へ!!
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さてさて、催し物最後の「石見銀山大盛行列」から紹介しましたが、なぜかお分かりかな。分からねえ?それじゃ言って聞かせやしょう。上のチラシの右下隅をとくとご覧あれ。なんと書いてあるかな?そうそう、協力:劇研「空」。そうなんです。今回声がかかって準備段階から協力したのです。行列の仕方、歌、瓦版作り、シナリオ作成、そして瓦版売りとしてヤマモトクンとリョウタクンが出演し口上を述べるのです。特に出発地点、途中の町並交流センター、最後の代官所では二人で生きのいい石見銀山に関する口上を述べて楽しませてくれます。
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作成途中の未完成瓦版3号です。なに?読めない?じゃ、9月1日に大森へ行って、3文で買ってくなんしょ。(会津弁じゃ)。この空白には行列や佐毘売山神社の絵が入ります。ウチダさんの絵が入ると一段と引き立ちます。6文以上の価値があります。

その他の催し物をチラシから紹介します。
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勝手に紹介させていただきました。新聞の写真はPR用の映像を撮るために集まった時のものです。山陰中央新報です。読みたい人は買って読みましょう。

この大森会場の「天領さん祭り」に各地からいろいろな出し物が集まるようになれば面白いですね。路上でのいろいろなパフォーマンス、例えば、寸劇、漫才、語り、村芝居、民謡大会、踊り、などなどなどなど。

劇研空も数年前に一度、大森の町並交流センターで上演しました。その時は「朗読を楽しむ」というタイトルで、井戸平左衛門の詩の群読、広島や県内詩人の詩の朗読、語り、そして銀山に題材をとった創作民話劇「出口がない」などを上演しました。

また町並交流センターで、石見銀山の劇や語りや朗読をやりますか。狭いけど移動舞台はあるし、照明器具も基本的なものは設置してありますし、使用料も廉価ですし、気軽にできそうです。

9月1日、雨が降らなければいいですね。台風よ、あっちへいきなんしょ!ヤマちゃん、マッちゃん、がんばりましょう。

江戸の風情が残る大森ならではの楽しい祭りになればいいですね。

青年劇場「田畑家の行方」に美佳さん出演

青年劇場は今年創立50周年を迎えました。その記念公演の一弾として平成25年4月25日から5月3日まで紀伊国屋サザンシアターで「田畑家の行方」(高橋正圀作、福山啓子演出)が上演され、福原美佳さんも出演しました。(なぜか以前から衣偏のフクが示編になってしまう。なんでだろう)美佳さんは県立大田高校の卒業生で演劇部員でした。
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(写真は青年劇場の会報2013年7月1号より)

ぼくが大田高校へ赴任したのが1984年(昭和59年)。その時演劇部には3年生が3人いて、その一人が美佳さんで、ぼくが創作した「エメラルドグリーン、おれたちのふるさと」で主人公の魚のタイちゃんを演じてくれました。卒業後は青年劇場へ入って活躍しています。島根県の高文連演劇部門の夏期ワークショップの講師として、サンレディで2日間指導をしてもらったこともあります。

2,3年前に大田へ帰ってきたときⅠ時間くらい話しました。当時美佳さんは、「朗読や語り」でも活躍していましたので、劇研空と一緒になにかやりましょう、と話した覚えがあります。美佳さんは「隠れ劇研空のメンバーです」と言っていました。身体に気をつけてますますがんばってください。いつか夢を実現しましょうね。ご○人によろしく。

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青年劇場のPRも兼ねて会報を紹介します。
9月6日から15日まで創立50周年記念の第2弾として森本薫作「怒濤」を紀伊国屋サザンシアターで上演します。目下チケット発売中です。

 

8/3.4 大方斐紗子 演技ワークショップ開催

島根演劇ネット事務局の小岩崎さんから、ワークショップの案内が劇研「空」へ来ました。5月の総会で提案されていたものですが、女優の大方斐紗子さんの演技のワークショップです。参加を希望されるメンバーはご連絡ください。直接申し込まれてもOKです。

H25 ワークショップ 大方斐紗子

今回のワークショップは今までの基本的な表現活動のワークショップとは違い、演技を中心にした表現のワークショップです。チラシの内容を見ると、とても面白そうです。こういう講習は滅多に地方では受けることはできません。大方さんは舞台、テレビ、映画、ラジオなどで実績のある大ベテラン女優さんです。

島根演劇ネット加入団体でなくても参加できます。場所は松江の「しいの実シアタ-」です。チラシが欲しい人には送ります。連絡してください。(劇研「空」洲浜)

琴が浜の鳴り砂へ案内

先日、山陰を訪ねたいと二人の女性が来られました。一人はシンガポールの大学で教えておられる女性、そしてその友人。出雲大社や須佐神社などをみて石見銀山へ案内。温泉津へ行く途中琴が浜へ寄ると、砂の上を歩いてとても喜んでおられました。

7月1日、海へ行きたいという声が上がり、子供,孫その親連中を引き連れて(ノーノー、連中に引き連れられて)琴が浜へ。いつ来ても晴れ晴れとする風景です。

一人の男性が、人が来る度に近寄って案内しておられました。あれが松浦さんかな、と何となく思っていました。帰り際に話していると、やっぱりカズトシさん!お互いにびっくりしたり感心したり。
H25 琴が浜

創作劇「琴の鳴る浜」を上演したとき、二度松江から見に来られて、ていねいな感想文をいただきました。馬路体育館で公演したときの感想文は会報に載せています。松浦さんには「馬路方言」の著書もあり、脚本を書く時にも参考にさせていただきました。

2,3年前、土、日には松江から帰り、ボランティアで案内している、と手紙に書いてありました。現在は馬路に移って案内し。手作りの冊子を渡しておられるのだそうです。

琴が浜に来られたお客さんの多くが、「いくら砂を蹴っても鳴らない」と言って不満そうに帰っていくのが残念で,悔しくて、案内を始めたのだそうです。陽が照りつける砂浜で長時間の案内は大変です。でも、こんな人がおられるんですね。有り難いことです。来られた人たちは熱心に説明を聞いておられました。

だんだん砂の汚染が進んで、陸に近い浜の砂は鳴らないそうです。来た人はそこの砂を蹴って、鳴らない!と不満を言い、失望するようです。
DSC_0398琴が浜の西端の鞆が浦の近くにある「鞆の銀蔵」で食事をしました。お客さんも9人ばかりあり、その上に一度に10人も入ったので、食事の準備が間に合わないとのこと。念願のボベ飯と味噌汁だけにしました。とてもとても美味しかった!大好評でした。

帰り際に「とても美味しかったです」とお礼を言いに行くと、台所から、「久しぶりです、あの時はお世話になりました」との言葉!

なんとなんと「琴の鳴る浜」の舞台へ出て、盆踊りを踊っていただいた方でした。今度行くときには予約していきます。大海原を眺めながら、コーヒーもいいですね。