吉川経家と石見福光不言城の音楽劇のこと

 福波小学校が平成22年秋の発表会で創作音楽劇「経家 最後の手紙ー不言城の子供たちへ-」を発表し地域の人達に感動を与えたことは紹介しましたが、その後のことを紹介します。

 2月13日には温泉津公民館祭りで上演し、3月6日には鳥取の中ノ郷小学校、3月20日には福波小学校の閉校記念行事で上演する予定です。関心がある人はどうぞお越し下さい。

 次の小新聞は福波小学校が発表した後である保護者が作成されたものです。簡潔によくまとめられていますので紹介します。

 こういう小新聞を作ってくださる保護者がおられるとは最高です。普通はやりっ放しで終わるものです。このような新聞があれば記録として残り、それを見た人がまた刺激を受けて何かやろうとするでしょう。

 次の文章は「石見詩人」126号へ書いた随筆です。多少手を加えていますが、掲載してみます。石見詩人を読む人は残念ながら県内で40人くらいしかいませんが、全国の詩誌や詩の雑誌、詩人、県内の図書館、主要新聞社などに送っています。(同人になりませんか)少し長くなりますが、適当に適当な写真を入れたりして掲載します。

 「吉川広家の手紙、福光不言城の子供たちへの手紙は大田市の宝です」という鳥取の詩人の言葉が最後に出てきますが、それはぜひ記憶しておいてほしいものです。見える目を持っている人には見えないものが見えるのです。下の写真は経家と福光小次郎の墓がある墓地。大木はタブの木とか。地元の人たちが大切に守っておられます。この日は経家の430回忌記念法要の日でしたので、地元の人たちがテントを張り飲み物や食事などの接待をしておられました。左側の山は鳥取城がある山の裏側です。

            吉川経家と石見福光不言城の音楽劇   (「石見詩人」への随筆より)

 物不言城(ものいわずじよう)(今は不言城(ふげんじよう)という奇妙な言葉に本で出会ったのはずいぶん前のことだが、いつも気になっていた。何か面白い歴史があるにちがいないと思った。あるとき、古事記の神話に由来がある と石村勝郎さんが書いているのを読んで、ますます興味をそそられた。
                                                                  信長の命を受けて、秀吉が西日本へ攻めて来たとき、鳥取城を「喝え殺し作戦」で落としたことは知っていた。そのときの城主(城番)が吉川経家だと知ったのは後のことだった。経家が福光不言城の城主だったことも、その後になって知った。
                                                               7年前のある日、鳥取市歴史博物館が「天正九年鳥取城をめぐる戦い」という本を発行した記事を新聞で目にした。何かの役に立つだろうと考えて、その資料集を注文した。経家の手紙や遺書なども載っている貴重な本だった。

 昨年の五月、福波小学校のある保護者がぼくに会いたいというので、劇研「空」の会合へきてもらった。山本さんという若い夫妻が部屋に入ってこられた。「さとみさんじゃない!」奥さんは高校の時の演劇部員。昭和61年に書いた脚本「母のおくりもの」を倉敷市民会館で上演した時の主役である。
 「福波小学校が来春閉校になり、その記念に不言城の劇を全校で上演したいので、脚本を書いてほしい。」という依頼だった。地元に吉川経家の城跡があるのにほとんどの人が知らない。郷土のことを少しでも知ってもらいたい。教育的な効果も考え劇にして発表したいという。
 ぼくは不思議な感覚に襲われた。この日のために資料を集めさせられていたのではないか、という気がしたからだ。

(経家の墓地にある案内版です。このあたりは以前は田んぼでしたが、いまは住宅が建っています)
 

更に資料を集め、実地見学もして、「経家最後の手紙ー不言城の子どもたちへー」という三十ページ近い脚本を書いた。1年生を含め全校25人が楽しく参加できるように劇と群読と合唱から成る創作音楽朗読劇である。歌詞は二つ作り、作曲は仁摩の菅森容子さんと大田の長坂行博さんに頼んだ。

 経家は切腹の前日に七通の遺書を書いている。切腹直前には福光不言城にいる4人の子供たちへ書いている。子供が読めるようにひらがな書きである。鳥取城内には逃げ込んだ農民を含め四千人がいた。城山の周囲は三万の兵で取り囲まれ、城内ではあらゆる物を食べ尽くし、人肉も食べたと「信長公記」にある。経家は自分に責任があると切腹を秀吉に申し出て開城を求めた。

 9月23日に中四国詩人会大会が鳥取市で開かれ、いい機会だったので資料に出てくる地名や地理を確認した。風景が浮かばないとセリフも深まらない。井上嘉明さん、手皮小四郎さんなど現地の詩人にも詳しい話を聞くことができてうれしかった。9月23日に鳥取から不言城見学へ30人の人が来られた。24日の夜には温泉津で懇親会がありぼくも出席した。10月4日には大田からも30人近くの人が経家の430回忌記念法要が鳥取市の真教寺で行われ、参加した。

 大人が演じてもいいほどかなり高度な脚本だったが子供たちは先生や保護者の支援や指導を受け、セリフを短期間で覚え、立派に演じ、二百人の地域の人や保護者に大きな感動を与えた。小学生だから、という既成概念を持たなければ、子供たちは無限の力を発揮する。2月13日には温泉津公民館祭りで上演し、3月6日には鳥取の中ノ郷小学校で上演、3月20日には福波小学校の閉校記念行事でも上演するという。

 鳥取や岩国では吉川経家を知らない者はほとんどいない。経家は鳥取の恩人だと鳥取の人は言う。しかし大田では知る者はわずかである。脚本をお送りした鳥取の詩人、手皮小四郎さんは手紙の中で次のようなことを書いておられた。
 「脚本はすはまさんの誠実さが溢れたお仕事と拝察いました。(略)いつの間にか吉川経家は岩国中心になっているように映り、妙な感じでいました。その意味でもこのシナリオは意義深いものがあります。(略)学生時代経家の墓は田んぼの中にぽつんとありました。樹と墓は昔のままです。二基あり、一つは福光のものと記憶しています。(略)今後とも御地で経家を発信され広めてください。吉川広家の手紙、とりわけ子供たちへの手紙は御地の宝だと思います。」
 

不言城は家康が関ヶ原で勝ち天下を取ると廃城にした。人の手が加わっていないので発掘すれば貴重な山城として保存価値があるにちがいない。吉川関係の一族は全国に住んでいるので不言城へ来てみたいという人も多いにちがいない。今回は小学生用の脚本として書いたが、大人用に書いて上演したらさらに迫力がある。何よりも経家の心情は現代にも十分通じる普遍性を持っていることが強い。

 経家や不言城のことは思わぬ形で発展して行きそうな予感がする。  (以上です)

 温泉津公民館では昨年5月から今年の1月まで、温泉津いろは楽校公開講座「不言城と吉川氏に関わる歴史浪漫」を月1回の割合で開催してこられました。講師は石見銀山世界遺産センターの目次健一先生で、実地見学なども数回ありました。館長の今田善行先生をはじめ元大田高校教師の明楽文教先生など錚錚たる歴史の研究者がおられ、質問でも相当深いものが飛び出してきました。ぼくは3回しか参加できませんでしたが、それでも貴重な話を聞き資料をいただきました。

     (鳥取城址から鳥取市内を眺める。画面の右側を遠望すれば日本海が見える)

 この経家の講座と福波小学校の劇は元々関係ありませんが、まるで関係しているような結果になったのも不思議なことです。2月13日(日)の公民館祭りでは、9時30分から鳥取や岩国の専門家の話があり、10時30分から福波小学校の劇が上演されます。10日の14時から準備やリハがありますので手伝いに行こうと思いますが、このような形で公民館で一般の人たちを対象にして発表することになったのも不思議な気がします。

 この脚本が欲しい人があればお送りします。 自家印刷自家製本ですが読んでいただけるとうれしくおもいます。経家のPRになりますので。キボウサットウ!ということになれば製本だけでもたのまねばなりませんがありえないもうそうをいだくとしではありません。ちいさないんさつかいしゃをおこしたいのがむかしからのゆめですがもうあきらめています。

「琴の鳴る浜」練習報告です1/24,1/25

 寒さは依然として続いています。大田市内では雪はすぐ溶けますし連続して降らないので路上に積もることはありませんが、2度前後の寒い日が続いています。山間部では積もっているでしょう。

(写真は馬路の琴が浜です。曇っていたので関係のない近景の植物ばかり目立って街や浜辺は煙がかかったような写真になりました。電柱は引き抜きたいけどそんな力も罰金を払う金もありません)

 25日(木)は2場の立ち稽古を第一会議室でやりました。インフエンザ罹患中のハナさんや雪に閉じ込められている豊さんやカジで手が抜けないお種さんの役はオコトサンが代役で務めました。地頭と家来と村人の場面を2,3回やりました。ヤッサンは衣装を着けてきました。さーすが。台本も持たずに気合いをいれてやりました。ヤマネさんが元気のいいお茶目な百姓女を面白く表現して演じてくれました。面白くなりそうです。

 台本を手放さないと身体の表現はでてきませんし目線による表現ができませんので、劇として一番大切な練習ができないということになりますが、もう少し台本を持って立ち稽古をつづけましょう。

 1/24(月)はスタッフとの会議がありました。修平さんも出席してくれて助かりました。キンチャンはじめ二人の女性スタッフ、ハヤシタムラサンです。やっさんが作成してくれた舞台の模型図を見ながら台本を確認し検討していきました。

 昨年の12月の空の会議では上手に小屋の一部をつくり、下手に船をつくろうと話し合いました。吊り物の飾りではなく実際の立体的な船と小屋です。それを受けてやっさんが考えて、模型をつくってきてくれたのです。しかしSSが使えない。上手の袖から出入りができない。上手の観客には小屋が見えない。と反対が出て、賛成する声もなく、最後には引っ込めました。しかし舞台の道具は飾りではなく使うものだという基本的な考えは劇を演じ創り演出する者には譲れないところがあります。難しいところですね。空だけでやっている訳じゃないので。

 ステージを使って練習する日にちも話し合いました。次を予定しています。

2/12(土)19時~、                              2/16(水)19時~、                              2/19(土)13時~17時、                              2/20(日)9時30分~16時(これは渡した予定表に記入済みです)

 

山城さん、寒さの中どこを歩いていますか

 昨年の12月から寒い日がつづいています。今夜は零度以下です。この寒さの中で山城賢治さんはどこを歩いておられるのでしょう。寒々とした外の景色を見ながら、いつも山城さんのことを思います。

上の写真は平成22年11月17日に五十猛で修平さんが写したものです。山城さんはこんなスタイルで大田を出発されました。山口、九州と歩いて行かれたのでしょうけど、今どこでしょうか。九州でしょうか。もう沖縄のどこかを歩いておられるのでしょうか。

山城さんはインドへ三年半おられました。ヨガを習得されたそうです。7月に日本へ帰り、茨城からリヤカーを曳いて歩いて大田へ帰って来られました。11月の始めに電話があり、久しぶりにお会いしました。お世話になった山本くんや修平さんにも連絡して、ナゴヤで楽しく語り酒を酌み交わしました。その数日後に大田を出発されたのです。

数年前、劇研空で演劇の基礎訓練をしていただいたこともありますし、石見銀山の民話を音楽劇にした「鶴」では、演出もしていただきました大田高校の演劇部員だったそうですし、東京では演劇で役者や演出家として活躍しておられました。独特の感性や深い思考力を持っておられたので、インドへ行かれたということを聞いた時には、やっぱり、という気がしたのを覚えています。

リヤカーを曳いて野宿をしながら歩いておられるのですが、いろいろな出会いがあり楽しいことがたくさんあると言っておられました。上の写真は了解を得てここへ載せています。

次の記事は同じ日に「しまにちタイムス」の記者がインタビューして掲載したものです。うまくまとめてありますのでここで紹介させていただきます。この新聞は月刊ですが大田市の公共施設に置いてあります。とてもいい情報を載せていますのでぜひ手にとって読んでみてください。

やましろさーん!毎日毎日寒いけど大丈夫ですか?気をつけて旅をつづけてくださいね。体調に気をつけるのはもちろんのこと、交通事故などにも気をつけてくださいよ。また話を聞かせてください。

https://stagebox.sakura.ne.jp/wp/?p=1979 「おつかれさまでした、山城賢治さん」

第48回高校演劇中国大会上演日程

 今年の中国高等学校演劇協議会の事務局は広島市立沼田高校で事務局長は黒瀬貴之先生です。発表会事務局は安来高校で事務局長は細田欣一先生。上演校と演目や時間などの日程を送っていただきましたので紹介します。開場は前回書きましたが島根県民会館中ホールです。

 講師は俳優の二口大学さんと千葉県立柏の葉高校の阿部順先生。

 島根は開催県なので3校上演しますが見応えのある劇を見せてくれるでしょう。1校が代表校として来年8月の全国大会へ出場しますが、どこに決まるか楽しみですね。

高校演劇中国地区大会松江で開催12/18,19

 平成22年度の中国地区大会は松江で開かれます。今日神奈川に住む人から大会の期日問い合わせの手紙がきました。日にちしか分かりませんのでチラシかパンフを持っている人は教えてください。

 島根は三刀屋、出雲、松江商業が出ます。広島は鈴が峰女子、沼田高校です。この二つは行きましたのでわかります。山口、鳥取、岡山はわかりません。

さて、上の舞台風景写真は、平成21年度の島根県大会で最優秀になって中国大気へ出場した松江商業と下は三刀屋高校です。三刀屋はこの時点ではまだ欠点も見えましたがその後相当手を入れたのでしょう。中国地区で最優秀となり今年の夏に宮崎の全国大会へ出場しました。残念ながら全国大会を観劇に行けなかったのですが三刀屋は優秀賞を受賞し東京の国立劇場でも発表しました。全国のトップレベルを走り続けています。

 今日青年劇場の「青少年劇場通信85号」が届きました。大田高校へ赴任したときの演劇部員、福原美佳さんがここで活躍し、劇研空を応援してくれています。その福原さんのことが出ていました。「9月8日、9日’立高祭’演劇コンクール講師」を務めたそうです。以前会った時には朗読や語りなどでも頑張っているとのことでした。

 その青少年劇場通信に三刀屋高校などのことが書いてありましたので紹介します。演劇の大先輩、全国高校演劇協議会名誉会長の内木文英先生の56回高校演劇全国大会を観て講評されたものです。先生は第1回から一度も欠かさずに全国大会を観て来られました。松江で全国大会を開催したときには一緒に飲み歓談しました。高齢ながら青年のような情熱と気力があふれている人です。一部を引用させていただきます。

「ほとんどすべての作品が、レベルを超えているところがあって楽しかった。中でも目立って良かったところをあげると、島根県立三刀屋高校の「オニんぎょ」(亀尾佳宏作)、山梨県立甲府昭和高校「放課後の旅その他の旅」(中村勉作」、愛媛県立川之江高校「さようなら小宮君」(越智優・作)、青森県立弘前中央高校「あゆみ」(柴幸男作、畑澤聖悟潤色)、宮崎県立佐土原高校「銀の雨」(段正一郎作、長尾直紀潤色)群馬県立前橋南高校(黒塚SEPT、演劇部、原澤毅一作)などだ。                                                     どれを優秀賞にしてもいい舞台だったが、能の「黒塚」をもとにして、若者の飾らぬ姿をリアルに描いた前橋南が、最優秀だった。」以下略

 三刀屋、川之江、弘前中央は最優秀。三刀屋の亀尾先生に創作脚本賞が贈られた。すごい書き手がたくさんいる中での全国の創作脚本賞ですからね。たいしたものです。みんな大ベテランです。

 最後に内木先生は次のように講評を結ばれています。「すぐれたたくさんの指導者が高校演劇にあらわれてきた。これからの高校演劇に期待したい。」

 確かに以前より実力のある顧問の層が厚くなり表現手段も高校演劇の中に閉じこもらない普遍的なものが多くなった気がします。三刀屋高校の場合全国大会の写真を見ると県大会とは違います。発表する度にレベルアップしていったのでしょう。

 今年の中国地区大会がどうなるか。楽しみですね。無料です。松江へ行かれたらブラリと県民会館へ寄ってみてください。はい。

 劇研空は発足当時から高校演劇も応援してきました。ということで島根で開催される中国大会と昨年の三刀屋の劇を紹介しました。

 

千葉高演劇部「また夏がきて」を県大会で上演11/26~28

 平成22年10月31日に地区大会が千葉市の南部青少年センターで行われ「また夏がきて」を上演した千葉高校は代表に選ばれ県大会に出場することになりました。県大会は千葉県教育会館センターホールで開催されます。手紙によると26日(金)~28日(日)のどこかで上演されるそうです。

 台本を同封して丁寧な上演許可願いの手紙が届きました。最近は脚本をそのままコピーする学校が多いのですが、千葉高校演劇部はきちんとパソコンで打ち込んでプリントアウトし製本した台本を送ってこられました。劇に対する真摯な姿勢がうかがえます。この台本は「高校演劇」(高校演劇劇作研究会発行)と「高校演劇Selection 2001下」(晩成書房発行)に載っています。写真で紹介しましょう。

 どんな舞台になるかわくわくします。千葉まで飛んで行って観たい気は満々ですが、ちょっと千葉は遠い。近くにいる人!代わりに観に行ってくだされ。許可を得てビデオでも撮って見せてくだされ。in vain と木霊が返る。

 千葉高校演劇部のみなさん!感動のある舞台を創ってください。ご健闘をお祈りします。

 この劇は昨年10月11日春東京農業大学第一高校演劇部がアゴラ劇場で上演しました。20年8月には山口の田部高校が上演しています。中国大会へ出たら観に行こうと狸の皮算用をしていましたbut in vain。18年9月14日には秋田県立二ツ井高校演劇部が能代市民文化会館で上演。15年には岩手県の杜陵高校、16年には北海道の紋別北高校、東陵高校、栃木県の宇都宮南高校など。

 「母のおくりもの」や「星空の卒業式」(福野高校は県代表として中部地区大会へ)、「峠の食堂」、「ワラン・ヒアって何ですか」(松江農林高校が中国大会へ)、「僕たちの戦争」(新潟県の高田北城高校が関東大会へ)、「卒業写真」などが上演されています。記録としてまたいつかまとめてみましょう。これらの作品は大田高校の演劇部員たちが演じたも記念すべき作品です。

 ではここでその記念すべき写真を古い古いアルバムから取り出して一枚紹介しましょう。撮影者の影響を受けてピンボケ気味ですが出演した人たちにはよく分かるでしょう。いつか年度ごとにまとめてみようと考えてネガフイルムをデジタル化する機械を買いました。そのうち写真をいれて記念冊子を作っていきたいそのうち、そのうち、どっちがはやいかな。

みんなどうしているかな。ゆいさんは分かっているけどね。このときには中国大会へ行けなかったね。その代わり大田市民会館で行われた中国大会の事務局としてみんな汗を流して頑張った。SS高校演劇最後の年でした。                          

 

平22年度島根県高校演劇大会で県代表3校決定

 34回島根県高校演劇発表大会は10月30日31日の2日間加茂文化ホール ラメールで開催されました。7校が発表し三刀屋、松江商業、出雲の3校が最優秀に決まり12月18日19日に県民会館で行われる中国大会へ出場します。

 昨年につづき野村みさこ先生と講師として参加しました。審査員の先生は山本、織部、濱村の3先生でした。各校の劇を舞台風景として紹介しましょう。

 石見からは浜田高校が一校参加しましたが、大田、矢上、江津、浜商、今市分校、益田、翔陽、津和野、津和野など伝統のある学校では演劇部は廃部!浜田高校は木村先生が松江から帰って来られたので息を吹き返しましたが休火山寸前でした。浜田を中心に広がってくれるといいですね。

 浜田高校の創作劇「Deart…」。演出を担当し山田隼人役でも舞台に立った中山侑也くんの創作劇。生き生きと演じ楽しい舞台でした。メールですませ最近では書かなくなった手紙がテーマだったのですが、それをもっと一貫して追及すればよかった。作者の掌中で都合がいいように人物が操られる場面もありリアリティが希薄になるところもありました。天狗先生は一人大熱演でしたがあまりやり過ぎると一人浮き上がってしまいます。浜田は次の日には浜田地芝居大会へ出場。観劇した人からメールがありさわやかな舞台だったとのこと。往年の浜田劇が次第に復活することを期待しています。

 三刀屋高校は顧問の亀尾佳宏作「水底平家」。二年前は「みなそこへいけ」でしたが今回は手を加えての上演でした。平家の赤旗、源氏の白旗を使って照明、音響も効果的に生かした舞台は圧巻でした。舞台処理の力量はどこにも劣らないでしょう。女性がほとんどなので大声で朗唱したり力んで声をだすとどうしても上ずり言葉が明確でなくなるのは残念。男性が5,6人いたらすごい迫力が生まれるでしょう。

 少年のミカオは海に落ちて平安時代へタイムスリップ。平家一族からミカドと間違えられ、安徳天皇として遇されるのという面白い発想です。ミカオ自身がもっと主体的に行動すればさらに面白いドラマが起きるでしょうが、夢から覚め幻想の世界から戻るというラストです。舞台を縦横にそして立体的にも使い絵巻物を見るような場面が次ぎ次ぎと展開されてあっという間に終わる感じです。

 広島の県大会で篠本照明の杉原さんが国際演劇祭でこの三刀屋の劇を観てその照明の処理に感心したと顧問研修会で話しておられました。杉原さんは松江商業高校の卒業です。昌利先生から習ったと話しておられました。

松江農林高校「オーマイゴッド」村田ゆいか作。地神、蛇神、天神など神様がまったく普通の人間の姿で登場し高校生といろいろなからみかたをする。部分的に面白いところや場面として印象的なところがあるけどお互いの関係が分からない。思い切って自分たちの思うように脚色して高校生らしい舞台にすればよかったかも知れない。上の写真はラストの場面。シルエットはとても印象的です。

 松江商業高校「カラスが泣く」助演出で婦人警官の役でも素晴らしい存在感を示した佐藤愛子さんの創作。とても面白くみました。みんなの創意工夫があちこちで生きていて台本を超える豊かな表現があちこちでみられました。お婆さん役も実にうまくて感心しました。昨年もとても演技がうまく感心しましたがその伝統は受け継がれているようです。劇としては前半とおばあちゃんが出てくる後半でテーマが分裂している観があり、最初からどこかでおばあちゃんを出して一貫しておばあちゃんと子どもたちとの関係を追求すればとても思い白い劇になりそうです。劇のおしまいで安易に叙情で逃げて問題を解決した気になるのはまずい。解決しなくて問題提起で終わってもおかしくはありません。作者の都合のいい安易な解決で幕を下ろすのは劇がいっきに軽くなり嘘っぽくなります。頑張ってさらにいい劇にしてほしいですね。

 出雲高校「アン・ドゥ・トロワ」伊藤靖之作。とても素敵な舞台でした。発声が自然なので言葉がよく分かり動きも軽やかで劇にリズムがありました。数多くある場面が実に印象的で絵になっていました。しかし劇自体に発展性があまりないので場面場面を切り取った貼り絵の様な構成劇という印象が残りました。

 保育所でお母さんの迎えを待っている幼児たちが保育士の内面を演じてみたりするのは面白いのですが、次ぎ次ぎと保育園と関係のない人生ゲームを演じるのは何故か分かりません。脚本を貫く一本の骨が欲しい。演技や発声は昨年も素晴らしかったのが印象に残っています。

安来高校「ゆうたっちょの中学生絵日記」田中雄太作。遠藤祐滋、細田欣一潤色。何年も前に山県県で行われた全国大会で観た名作舞台。安来高校はこの名作に挑戦しました。力強い男性部員が6人、女性が3人いて伸び伸びと演じて楽しい劇に仕上がっていました。とてもうまかったので当然代表になる可能性も十分ありましたが、後半で場面がカットされたためか権田原先生は前半の強引な先生のままで後半には何も言及がなかったり、笑いと可笑しさは十分でていたけどその背後にある悲しさや切なさや何とも言えない思いの深さなどがあまり出なかったのではないかと思います。

 松江工業高校「あしたあなたあいたい」成井豊作。キャストが12人登場しました。部員がたくさん入ったのでこの台本を選んだとのこと。皆さんよく演じていましたが高校生の日常とはかけ離れた世界の出来事で、今から30数年後へ飛んでいくという未来の世界で話も分かりにくいところがあった。難しい劇だけど皆さんはかなりうまく演じていたと思いました。服装などはもっと人物に応じて工夫すれば劇がわかりやすくなり未来と現在との関係も理解しやすかったのではないかと思いました。

 以上舞台風景を紹介して簡単に感想などを書いてみました。あくまで僕が感じた感想ですから他の人が観れば違う感想が当然あるでしょう。そこが芸術のいいところであり奥深さでしょう。

 中国大会でまたいい舞台を見せてください。楽しみにしています。

waseda 優勝おめでとう!

 早慶戦で早稲田が優勝。早慶戦の決勝は50年ぶりだとのこと。そういえば50年前あの神宮球場で声を張り上げて肩を組み「紺碧の空」歌っていたのだ。不思議な感覚だね。あのとき何度やっても決着がつかずついに六連戦。安藤投手が連投した。

 今回の立役者は斉藤祐樹。甲子園でマー君と投げ合って優勝し、早稲田へ入って100代目の主将。早慶戦優勝。そして東海大に勝って初めての大学日本一。「一生懸命やれば神様はご褒美をくれるということ。」というコメントも並の人間じゃ言えないよね。実績がちゃんと付いてくるのだからこんな大それた言葉を吐いても謙虚に聞こえるからこれまたたいしたもんだね。

 インタビユーで話したことがまたすばらしい。「斉藤には何かがあるといわれてきました」と大きくぶち上げてみんなの興味を引きつけ、一呼吸置いて、「それはすばらしい仲間がいることです」と実にさわやかな学生らしい真摯な言葉で括る。野球だけじゃなくて言うことも一流だね。演劇の素質十分。

 斉藤が浜田高校出身の梨田監督の所へ、福井が広島カープへ、大石が西部ライオンズへそれぞれドラフト一位で入団が決まった。三人もすごいピッチャーが揃うことなど滅多にない。きっと活躍することだろう。しかし何故一人でも阪神へ来なかったのかなあああ。

 今日のニュースでは浜田高校→早稲田→ソフトバンクで活躍中の和田毅がMVPに輝いたと報道している。すごいね。おめでとう。ソフトバンクのファンじゃないけど王さんと和田さんは応援してますよ。

 劇研空の実験中のブログへ何で野球が飛び出してきたのか?げきだけがげきじゃないげきいじょうのどらまをかんじたからです。

劇団ギミック 高橋賢耳追悼公演11/21 手銭記念館で

 11/22(日)は2回公演があります。5時開演と20時です。場所は出雲大社の近くにある手銭記念館です。朗読芝居ですがどのように舞台空間を使い朗読されるか楽しみです。

 高橋賢耳さんは今年8月1日に他界されました。僕は直接のつきあいはありませんでしたが、出雲で2回劇を見ています。

 劇団「幻影舞台」の清原真さんが新聞へ追悼記を書かれたので切り抜いて保存しています。清原さんと山陰中央新報に感謝し謹んで紹介させていただきましょう。まだまだ大きな仕事が期待されていた貴重な才能の持ち主がこのように逝ってしまわれるのは無念なことです。

 この公演を聞きに行きたい空のメンバーは連絡してください。前売り券は1500円です。いろいろと勉強になることでしょう。

 

第50回広島県高校総合演劇大会11/13.14尾道で開催

 尾道のしまなみ交流館で開かれます。各地区の代表13校が参加して2日間行われます。

 島根は10月末に開催され県代表校に出雲高、三刀屋高、松江商業が決まりました。今年は12月中旬に松江で中国大会がひらかれます。県大会の様子は後日紹介しましょう。

 広島県大会ですが、演劇の伝統校はほとんど代表になって出場しています。面白い創作劇もあり楽しみです。

 13日は9:20~開会式、9:40~18:50まで8校が発表します。5分の休憩という強行軍です。

三原東、舟入、大門、広島、尾道北、基町、呉港、沼田の各校。

 14日は9:20~15:15まで次の高校が発表します。

清水ヶ丘、美鈴が丘、福山、鈴峯女子、尾道高校。

 終了後は講師講評、生徒講評、表彰式、閉会式です。17:30終了予定ですが、急いで旧石見銀山街道を飛ばして帰ります。次の日は准看の英語が待っています。

 平成17年にも広島県大会には講師・審査委員で参加しましたが、広島の高校演劇は多彩です。広島市内の高校は部員が多いので劇の作り方がどうしも似てくるところがありますが、尾道や福山や三次などはちょっと味が違います。地域や学校の特色や演劇部の伝統が生み出す個性なのでしょう。

 今から三瓶を通って、ダムがどうなっているか眺めながら三次へ出て尾道のグリーンホテル尾道へ黄砂を浴びながら直行です。19時から打ち合わせ会が待っています。尾道商業が事務局ですが、そこには大田高校出身のオキくんがいるとか、17年には中国新聞記者で大田高校卒業生がインタビューに来たのでビックリ!英語を教えていたのです。

 それにしても大田高校の演劇部がこの世から消えたのは残念無念の至り。このブログも大田高演劇部を応援するために修平さんが立ち上げてくれたのですが(ナミダ)行って来ます。