山城さん、寒さの中どこを歩いていますか

 昨年の12月から寒い日がつづいています。今夜は零度以下です。この寒さの中で山城賢治さんはどこを歩いておられるのでしょう。寒々とした外の景色を見ながら、いつも山城さんのことを思います。

上の写真は平成22年11月17日に五十猛で修平さんが写したものです。山城さんはこんなスタイルで大田を出発されました。山口、九州と歩いて行かれたのでしょうけど、今どこでしょうか。九州でしょうか。もう沖縄のどこかを歩いておられるのでしょうか。

山城さんはインドへ三年半おられました。ヨガを習得されたそうです。7月に日本へ帰り、茨城からリヤカーを曳いて歩いて大田へ帰って来られました。11月の始めに電話があり、久しぶりにお会いしました。お世話になった山本くんや修平さんにも連絡して、ナゴヤで楽しく語り酒を酌み交わしました。その数日後に大田を出発されたのです。

数年前、劇研空で演劇の基礎訓練をしていただいたこともありますし、石見銀山の民話を音楽劇にした「鶴」では、演出もしていただきました大田高校の演劇部員だったそうですし、東京では演劇で役者や演出家として活躍しておられました。独特の感性や深い思考力を持っておられたので、インドへ行かれたということを聞いた時には、やっぱり、という気がしたのを覚えています。

リヤカーを曳いて野宿をしながら歩いておられるのですが、いろいろな出会いがあり楽しいことがたくさんあると言っておられました。上の写真は了解を得てここへ載せています。

次の記事は同じ日に「しまにちタイムス」の記者がインタビューして掲載したものです。うまくまとめてありますのでここで紹介させていただきます。この新聞は月刊ですが大田市の公共施設に置いてあります。とてもいい情報を載せていますのでぜひ手にとって読んでみてください。

やましろさーん!毎日毎日寒いけど大丈夫ですか?気をつけて旅をつづけてくださいね。体調に気をつけるのはもちろんのこと、交通事故などにも気をつけてくださいよ。また話を聞かせてください。

https://stagebox.sakura.ne.jp/wp/?p=1979 「おつかれさまでした、山城賢治さん」

投稿者:

suhama

1940年、島根県邑智郡邑南町下亀谷生まれ・現在、大田市久利町行恒397在住・早稲田大学教育学部英語英文科卒・邇摩高校、川本高校、大田高校で演劇部を担当、ほぼ毎年創作脚本を執筆。県大会20回、中国大会10回出場(創作脚本賞3度受賞)主な作品「廃校式まで」「それぞれの夏」「母のおくりもの」「星空の卒業式」「僕たちの戦争」「峠の食堂」「また夏がきて」「琴の鳴る浜」「石見銀山旅日記」「吉川経家最後の手紙」「父の宝もの」など。 著作:「洲浜昌三脚本集」(門土社)、「劇作百花」(2,3巻門土社) 詩集「キャンパスの木陰へ」「ひばりよ大地で休め」など。 「邇摩高校60年誌」「川本高校70年誌」「人物しまね文学館」など共著 所属・役職など: 「石見詩人」同人、「島根文藝」会員、大田市演劇サークル劇研「空」代表、島根県文芸協会理事、大田市体育・公園・文化事業団理事、 全国高校演劇協議会顧問、日本劇作家協会会員、季刊「高校演劇」同人、日本詩人クラブ会員、中四国詩人会理事、島根県詩人連合理事長、大田市文化協会理事

「山城さん、寒さの中どこを歩いていますか」への2件のフィードバック

  1. 昨日の時点で長崎の千々石町手前におられます。
    mixiでほぼ毎日日記を更新しておられるので、近況は即わかりますよ~。
    23日には口之津に着く予定のようです。
    何日かこちらの家でお世話になられるとのことで、お布施の送り先が書いてありました(笑)。
    只今禁煙中につきタバコ以外でとのことです(笑)。

    1. 早速お知らせいただき、ありがとうございました。
      アメニモマケズ ユキニモマケズ リヤカーを曳いて歩いておられるのですね。
      mixiとやらをみていませんが、お元気でなによりです。
      大田から長崎まで車なら6時間くらいですが、テクテク歩くと約2か月。
      250倍近い差。見て聞いて感じて考える質や量も、それくらいの差があるんでしょうね。
      豊かさとは何かを考えさせられます。

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