勝部義夫さんへ山陰中央新報地域開発文化賞

 現在大田市文化協会の顧問の勝部さんが第49回山陰中央新報の地域開発文化賞を受賞されました。勝部さんは現在大田市文化協会の顧問ですが、長い間会長として大田の文化活動に大きな力を発揮されました。

 勝部さんは昭和28年に大田高校を卒業され、日大芸術学部の映画科へ進学、卒業後は東宝へ入り映画俳優として活躍されました。大田高校では藤原俊彦さん(前国立病院産婦人科医師、現在広島在住)と同期で共に演劇部員として活躍されました。大田高校は島根県下でも戦後早くから演劇活動を開始した伝統と歴史があります。

 いろいろと映画に出演されましたが、家庭の事情で1976年(昭和51年)に大田へ帰られました。

 昭和62年から4年間大田市文化協会の理事、平成3年から12年間は副会長、15年から6年間は会長として文化協会をまとめて来られました。その間、大田名画シアターの発足と運営、しまね映画塾、大田市文化祭、民俗芸能の調査や舞台発表、最近では劇研空と一緒に朗読音楽劇「鶴」や創作音楽劇「琴の鳴る浜」などで実行委員長や演技指導にも当たられました。いろいろな点で大田の文化活動には欠かせない人です。

 表彰式は10月19日に松江で行われました。次の記事は山陰中央新報に出たものですが紹介させていただきます。

 勝部さんと一緒に舞台の仕事をしているといろいろと面白い話を聞くことができます。森繁久弥のセリフの覚え方とか、黒沢明監督の映画に出演したときの厳しい話や、あるときは「これは長谷川一夫が舞台ではいた草鞋だよ」と言って持って来られて、劇研空のキャストが劇で使ったこともあります。

 いろいろ聞いておかなければいけないことがまだたくさんありますのでいつかじっくり聞きたいものです。

 勝部さん、おめでとうございます。劇研空一同お喜びを申しあげます。

 (とかいてもかつべさんはこのぶろぐをみられたことはありませぬしこんごもみられないとおもいますのでとどきませぬ)

上の写真はしまね映画塾が大田市で開かれたとき大田市民会館で写したものです。

投稿者:

suhama

1940年、島根県邑智郡邑南町下亀谷生まれ・現在、大田市久利町行恒397在住・早稲田大学教育学部英語英文科卒・邇摩高校、川本高校、大田高校で演劇部を担当、ほぼ毎年創作脚本を執筆。県大会20回、中国大会10回出場(創作脚本賞3度受賞)主な作品「廃校式まで」「それぞれの夏」「母のおくりもの」「星空の卒業式」「僕たちの戦争」「峠の食堂」「また夏がきて」「琴の鳴る浜」「石見銀山旅日記」「吉川経家最後の手紙」「父の宝もの」など。 著作:「洲浜昌三脚本集」(門土社)、「劇作百花」(2,3巻門土社) 詩集「キャンパスの木陰へ」「ひばりよ大地で休め」など。 「邇摩高校60年誌」「川本高校70年誌」「人物しまね文学館」など共著 所属・役職など: 「石見詩人」同人、「島根文藝」会員、大田市演劇サークル劇研「空」代表、島根県文芸協会理事、大田市体育・公園・文化事業団理事、 全国高校演劇協議会顧問、日本劇作家協会会員、季刊「高校演劇」同人、日本詩人クラブ会員、中四国詩人会理事、島根県詩人連合理事長、大田市文化協会理事

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