作陽、三刀屋高校 19年全国大会へ

中国大会閉会式
 18年度中国地区大会は11月25日に終了。来年夏松江で開催される全国大会へ岡山県の作陽高校と島根県の三刀屋高校が出場します。


 最優秀賞は作陽高校。優秀賞は三刀屋高校、米子高校、舟入高校。創作脚本賞は三刀屋の亀尾先生に贈られました。

 島根や広島の大会のことは紹介していますので、ここでは講師の篠原久美子先生(劇作家)、山本恵三先生(現在香川県立志度高校)の講評のポイント中のポイントを紹介してみます。劇作りの参考になれば劇研空としても幸いです。
 写真は装置や雰囲気を紹介するために遠景舞台写真を使いましたが、どれもややピンボケです。拡大したらボケも拡大されますので、They are of no use.です。意図があってのことです。I did on purpose. です。
中国大会津和野
津和野高校 花本彩音 作 「UPSTAIRS」

・高校生だから書けるイージーな言葉がたくさんある。ストーリーの流れと感情の流れが一致して観客の心に入ってこないところがある。ダンスのシルエットなどおもしろいが、感情の流れが一致しない。(S)

・リアリティが大切。部屋の造りがはっきりしない。場所、季節、時刻などしっかり押さえて場面をつくること。劇は生き生きとしてよかった。(Y)

 津和野は平成11年~16年は部員がいなくて地区大会へ出ていません。昨年久しぶりに出場。脚本は今回と同じで部員の花本さん。昨年の大田の地区大会で、劇のことは全然分かりません、と言っていましたが、みんなのびのびと演じていてこの生徒さんたちは本当に劇が好きなんだな、と思ったことが印象に残っています。
 今年は石見地区大会が劇としては津和野と矢上だけの出場でした。(中国大会常連校だった浜田は朗読で参加、同じく伝統校大田は休部状態で不参加)そういう中で津和野は県大会へ出場。中国大会へは初出場となりました。演劇が好きな6人の3年生が大健闘したからです。
 今回の劇も不思議な魅力がありました。それは演劇の約束事に縛られない自由さから生まれる面白さとも言えます。そのことは裏を返せば、同時に未熟さが目につくということでもあります。プロと違い、アマチュアーの魅力はそこにもあります。未熟故に生の心や気持ちや考えがあちこちに出てくる。それは新鮮で人間味にあふれています。

 昨日届いた「演劇創造」108号は今年の京都全国大会の特集になっていて、講師の一人だった高泉淳子さん(劇作家、役者)がとても示唆的で厳しいことを書いておられます。前半は省略して後半の主なところを書いてみます。

 「今回の作品を見て残念に思ったことは、新しさを感じなかったということ。作品も、テーマも、構成も、役者体も、意外とみんなオーソドックスなのに驚きました。(略)今の新しい時代を生きている高校生は。どんなドキッとするような、スリリングな作品を見せてくれるのか期待していたのですが…。
 それにはいろいろな要因があると思います。作業の現場を見ていないからわからないのですが、ひとつには顧問の先生と部員の関係にあるのでは…。どうしても作品が古く感じてしまうのは、演劇概念が私が20代の頃に感じていたものに何故か近いとするならば、それは私と同じ年に近い先生の概念ではないでしょうか(憶測ですが…)。
 (略)音響が多少変でも構わない。ライティングが未熟でも構わない。それが彼らのやりたいことの一環であれば、新しいオリジナルな作品の第一歩になるかもしれないのです。
 音の使い方も、ライティングもどこかで見たことのあるような、なんか無難なおさまり方で、ちょっとがっかりでした。それがもし顧問のせいでそうなってしまったのであれば改めなければならない。生徒たちのせいであれば、顧問はもっとかき乱さなければならない、と思うのです。」

 内部の人間には書けない鋭い視点です。同時にコンクール形式が生み出した弊害への指摘でもあります。
 しかし、高校では生徒たちは2年間しか演劇ができず、部員が多い伝統校以外の少人数の部では、演劇のノウハウを伝えるのが困難で、ノウハウの貯金は顧問が引き受けざるをえない、という現実もあります。広くて奥が深い演劇は短時間ではわからないことも生徒任せにしにくいところです。しかし
旧概念で固まった顧問が生徒たちの自由な創造の芽を摘んでいるとしたら問題です。

 津和野の劇の魅力は部員たちを中心につくっていったところにあることはまちがいありません。同時に二人の講師が指摘したような未熟さも、そこに顔を出したということでしょう。大会を勝ち進むためには完成度が高い方がいい。審査会で数人の審査委員が比較するとき、接戦の場合はどうしても欠陥は指摘されマイナスに働きます。しかし欠陥はあってもすばらしい劇はあります。高校演劇ではそれを忘れてはいけないといつも思います。

 5人の進路が決定し5人と握手。作者の花本さんは2日後に大学入試。合格を祈っています。6人の部員が石見地区代表として健闘してくれたことに感謝しています。謝謝。
作陽
写真の文字は作陽高校のミスです。岡山県作陽高校 石原哲也 作 二司元能 潤色「シャドー・ボクシング」

・構成舞台がしっかり作ってある。役者が個性的で達者。おばあちゃんもおばあちゃんらしくてとてもうまい。(Y)
・3年間観ているがすばらしい劇だった。細かいところを生かしている。つなぎの演出がうまい。いじめられて殴られる場面のシルエットの中でも人間の関係性が見える。レベルの高いすばらしい劇だった。(S)
作陽 部屋
 数人の男に殴られる場面は舞台中央奥の台で演じられすべてシルエット。母やおばあちゃんや妹や不登校気味の高校生が出てくる場面は下手の高校生の部屋。学校で先生と話す場面は上手に教室。この3つの場面がとてもうまく構成されていて劇の流れが自然になりました。部屋や教室もしっかり作られていて、しかも移動式。作成や運搬や異動は大変だったにちがいありませんが、それだけの苦労は舞台で報われました。
 友達にいつも殴られ不登校になり死まで考えている高校生が、外泊で病院から帰ってきたおばあちゃんとのやり取りの課程で自然に生きることの大切さを知り、自分の力を取り戻していくというストリー。ユーモアと温かさにあふれた石原哲也さんの世界を嫌みなく出せた。
 講評ではいい面だけが言及されましたが、場面の多さ、役を演じようとする演技、子供のキンキン声、人物を作者の概念と枠内で作りだした人物の甘さ、突っ込みがあるように見えながら表面的な調和に終わってしまう世界(それがすばらしい空気と味を舞台でつくり出すのでもありますが)など今ひとつ迫力に欠ける気がしましたが、いい舞台だったことを認めた上でのぼくの感想です。来年の夏には、松江の県民会館で観られる。楽しみです。
中国大会美鈴が丘
広島市立美鈴が丘高校 清水達也 作「火くいばあ」より山内弘行・美鈴が丘演劇部 構成・脚色

・群像劇。人物が一人一人描かれていてよかった。台詞では意味より前に気持ちを込めるので言葉についていけないところがある。ラストに原爆が出た。急に出てきた印象が強い。原爆につなぐにはもっと下地がほしい。そのために整理されていない。ステキな発想がたくさんある。やろうとしたレベルが高い劇だった(S)・ラストの原爆へつないでいくストーリーになればいい。(Y)
原爆場面
 上の舞台は最後の場面です。surprising end です。ラスト5分前に原爆炸裂の火の海を予期した人は誰もいないでしょう。それまでが童話風の作りで原爆とは無関係だったからです。確かに唐突でした。唐突だっただけに衝撃的でした。原爆の火を「火喰いばあ」が懸命に食べるのです。原爆という現実を突きつけられ、様々な思いが稲妻のように頭の中で炸裂し突き抜けます。そして一瞬のうちに劇は終わり、衝撃の中で’今のは何だったのだろう’と考えるのです。
 二人の講師が指摘されたように脚本上は問題があるでしょう。原爆を最初から意図して脚色しておられたらもっと味が違う脚本になっていたことでしょう。ラストについては脚色された山内先生も「批判はとうぜんある」ことを覚悟しておられました。火喰いばあ、という存在がとても創造を刺激する存在なので、原爆を意識して書き直されたら、すごい作品が生まれる予感がします。

 弱点を抱えているにしても、この劇はラストの原爆があったから劇が生きて立ち上がったと思います。ぼく自身は、あのラストの唐突さを原爆投下の唐突さと重ねて衝撃を受けました。
 いつもの快晴の朝8時15分。市民がいつもの日常生活をはじめている。そこへ強烈な光と爆風!誰一人予期しなかった突然の破壊。不条理。……それを舞台で表現するとき、あのような不条理で唐突なラストも、舞台芸術で再現できる真実の表現法の一つかもしれません。
 観客がどう受け止めようと自分たちが考える表現を真摯に発表することはとてもいいことだと思います。コンクール形式でなければ、そういう意表を突く表現がもっともっと舞台に出てくるでしょう。
 それが演劇を活性化していく一つの道でもあります。
 防府商業
山口県立防府商業高校 木川田敏晴 作「LETTERS」
・楽しく観させてもらった。登場する3人に合わせて作られたかと思うほど役がはまっていた。暗転の時、机の上にいつもスポットが当たっていたが意味があっただろうか。(Y)
・いい作品だった。人が人を思う気持ちの大切さがよく伝わってきた。(S)

 部員が少なく登場人物も女生徒3人でしたが、3人が役にはまっていて過不足のない堅実な舞台でした。小林を演じた堀田さんが豊かな表現で劇をふくらませ楽しく見せてくれました。
米子高校
鳥取県立米子高校ドストエフスキー「罪と罰」より 米橋モトコ 構成 大和屋かほる 台本「もうひとつの《罪と罰》

・台本がすごくよくできている。原作の捨て方がとてもいいのでいい台本になった。演出も役者もいい。役者は演技がシャープ。役者が情緒に頼らずに論理性を尊重して演じたのがいい。理知的ないい舞台だった。(Y)
・抽象的な空間だがリアリティが感じられた。情ではなく知的に引っ張っていくのがいい。演技に無駄がなく、レベルが高い。台本がすばらしい。(Y)

 大変好評でした。最後まで惹き付けられて観ました。舞台装置は単純だったがそれをうまく使い感心しました。プロの劇をみているようでした。
 ドストエフスキーの大作、罪と罰は寝食を忘れて一気によんだことがあります。あの大作を60分の劇にして高校生が演じるなど思いもしませんでした。大和屋さんの力量に脱帽です。
 ロビーで大和屋さんこと森川さんに「よかったね。感心したよ」と話しました。「あんな大作を今回のようにうまく60分に潤色できるのなら、他にもたくさんの傑作を60分の劇にできるじゃない。」といったら、「ドラマがないので名作からいろいろとっているんです」とのこと。
 確かにそうです。脚本を書くとき、ドラマがないのです。不登校や引きこもりや自殺やいじめや・・・高校演劇の題材は今それらが主流です。同じ様なテーマの劇ばかりといってもいいくらいです。知的でダイナミックで骨太でストリー性や文学性豊かなドラマ・・・それがほしいけどない。だけど過去の文学の傑作のなかにはそれが豊かにある。
 大和屋さんはとてもいいところに着目したと思いました。しかもそれを60分の劇に凝縮する力量があるのです。米子の朝日座公演で台本を書き演出されたことが大きな力になっているのでしょう。日本劇作家協会会員として脚本の講座にも出席して厳しい指導を受けたとか。同じ会員でもぼくとは天と海底です。
中国大会情報科学
情報科学高校 山内貴子 作 岩谷正枝 潤色「河の向こうへ Row & Row」写真はラストの場面。

・イラク問題などと高校生の内面がダブっていておもしろいと思った。2人の葛藤がよく出ていて伝わってきた。1年生もよくやっていた。舞台自体は荒っぽい。壁の隙間が見えたり、日が過ぎても時計の時間が同じだったり、モノローグの時はサスを使うというワンパターンなど。役者の演技はすばらしかった。(Y)
・本もよくできていて役者もよくやっている。みどりは下手
あきらは上手と最後まで位置がかわらなかったが、入れ替わることによって、河を渡るイメージを出したい。モノローグは感情過多にならない方がいい。たくさん芝居をみたらもっともっと成長する。(S)

 情報科学の皆さんは発表毎にうまくなっていったのがよくわかります。地区大会では演技の癖が目につきました。特に一年生は「いい加減な新入部員」を「演じよう」として演技をしていましたので、クサイ演技でした。それが洗練されていき、この大会では講師の先生からも褒められました。
 たくさんのことが盛り込まれているので、ある程度整理したり、すっきりした演出にしたら完成度が高くなったかもしれません。
 大会毎に台本の台詞が少し変わりましたが、変わってよかったところと、カットしない方がよかったと思うところがありました。しかしそれは最後までいい台本、いい劇を創りたいという顧問の岩谷先生の情熱とそれに答えた部員の皆さんの熱意や努力があったからこそ生まれた変化です。
 装置で気になってしょうがなかったのは、壁や戸口に隙間があり、部屋が暗くなる度に隙間から光が見えることです。県大会ではしっかりした壁だったのにどうしたのだろう、隙間に貼っていた黒いテープが外れたのか、装置が不完全なまま緞帳が上がったのか、などと心配しました。
 このようなミスが2,3目につくと、どうしても無神経で荒っぽい印象をうけます。舞台では細部のリアリティを大切にしないと、虚構が崩れてしまいます。
 大健闘でした。部員の皆さんも満足されたことでしょう。3度も大きな舞台に立てたのですからね。お疲れさまでした。初出場でしたがインパクトのある印象的な舞台でした。
倉吉東高
鳥取県立倉吉東高 阿部雅弘作 演劇部潤色「アスタリス」

・すばらしいところがたくさんあった。「12人の怒れる男たち」のように考えさせる劇で脚本がよかった。場の設定ががよかった。伏線のはり方がよくできている。センスのいい会話が多かった。自然で人と人との関係性がよく見える演技をしていてレベルの高い劇だった。気の弱い女生徒がトイレにいくと言えず椅子に漏らし男子生徒がバケツの水をぶっかけ定額になるという有名な話しで、テレビでも劇でも上演されたので知っている人には最初から結末がわかるという弱点がある。(S)

 2日目の最初に上演されたが、残念ながら後半の途中からしか観られなかった。倉吉東高校は中国大会初出場です。

長府高校
山口県立長府高校 オオウチミツホ 作 演劇部 潤色 「summer ~ 夏の扉 ~」
・好感が持てる気持ちのいい舞台だった。装置はきれいすぎるが、それが劇の性質を決めている。不登校になった渚を訪ねてきたリョウとドア越しに交わすやり取りは見事だった。
友達の南が来たとき外に出て楽しく話しているのは不自然。男の学生服を着て渚を訪ねていたリョウが、ラストで女学生の服装で迎えにきたが、初めて顔を見て会ったのだからそれだけの表現が必要。(Y)
・大好きな作品。優しい気持になる。さわやかで好感が持てる。細かい矛盾はたくさんある。

 玄関と三和土と廊下や階段などがきちんと作られ、庭には赤い花の鉢などが置いてあり、とてもきれいな舞台でした。
こじんまりとした新築住宅という感じで、講師の指摘にもあるようにこの暖色系のしっかりした装置が劇のカラーを決めたといえます。さわやかな短編を読んだ印象が残りました。
 玄関まで下りて外へは出られない不登校の渚が、毎日訪ねてくるリョウと扉越しに会話を交わす。リョウは女性が演じているのに男の学生服をいつも着てくる。男子部員がいないので女性が男性役を演じているのか、女性なのに趣味で男子学生服を着て来るのか・・・よく分からず悩んだ。最後には
女学生の服で迎えに来たので、男子役を演じていたのではないらしいことがわかりましたが、理解が遅かったのはぼくの鑑賞能力のためかもしれません。しかし演技で最初から明確にしておいた方がいい。きれいにまとまった小さな世界が舞台に生まれましたが、人物設定や演技、人間関係など細かいところで不自然な箇所があちこちにありました。でもそれを致命的な欠陥と感じさせないほどさわやかな舞台に仕上がっていました。

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href=”http://stagebox.sakura.ne.jp/wp-content/inportimg/img189_file.jpg”>中国大会舟入
広島市立舟入高校 黒瀬貴之 作 「CRANES」
・すばらしい舞台だった。原爆の劇を今後もつづいてやってほしい。6人の演技がうまい。40分くらいたってから事件が出てくる。もっと早いほうがいい。原爆の問題が小さなエピソードになってしまってはまずいのではないか。(Y)
・全国大会へ出て欲しい学校。誠実に原爆の問題を扱っている学校は他にない。やっていてきつかったのではないだろうか。前半に事件が起こらない。鶴を折るのが目的で集まったのだから、どんな会話をしていても鶴を折っていないといけない。一人の女生徒が、おばあちゃんが毎年鶴を折っていたことを話したとき、もっと反応する人物がいてもいい。情緒ではなくもっと突っ込んで論理的に深めること。大いに期待しているのでがんばってほしい。(S)

 装置、小道具、照明、音響、発声、演技・・・色々な面で完成度が高い舞台でした。それは誰も認めるに違いありません。
 ここを演劇として一歩突き抜けるためには思い切って対立や葛藤を中心に据えることではないかと思います。篠原さんが指摘されたように情緒ではなく論理です。
 今回の劇は「広島の高校生でも原爆に対する関心がほとんどなくなっている」ということが主題でした。作者の胸の中をそのことが大きく占めていたと思います。そこからすべてが始まって、台本の中の各種のエピソードもその方向と色で処理されました。一人の生徒がおばあちゃんの原爆体験を語っても(語るのも、よく知らないのだけど、と遠慮した話し方になっている)他の生徒たちがほとんど反応しません。それは「原爆に関心がないこと」がテーマになっているから当然です。初めから鶴を折って平和への姿勢を示そう!という積極的な生徒はいません。全校生へ折り鶴を提案した主人公さえ何となく積極的ではありません。それ以前に生徒会執行部で折り鶴が提案されたときに無関心で反対しているという複雑な心理状態を抱えているからです。執行部の部屋へ入ってくる陸上部員たちも無関心です。一人の生徒は鶴を折ることよりは、その部屋が安心できる居場所としていつもそこへ来ています。
 平和への願いだけではなく、様々な思いや行動や事件が、鶴を折ること自体に複雑に内蔵されている・・・劇を観終わってみると、結果的にそれがテーマのようになりました。

 結局、「なぜ広島の生徒でも原爆に無関心なのか?」という発想で生まれた台本ではないのです。それが悪いといわけでは決してありませんが、劇として現実を突き破るためには
そういう発想で対立を明確にして骨格を構築したほうが効果的であるとは言えるでしょう。

 演劇部の顧問になった時から数えれば40年間以上、舟入の劇を観てきました。観られなかった年もあります。ある年には舟入の劇が観たく中村隆実先生とボロ車を運転してはるばる三次市まで行ったのですが、前日に大会は終了していました。(なんじゃこれ、マヌケの照明、チガウ、証明、以外の何者でもないジャン)
 いつも完成が高い全国レベルの劇でした。しかし、「ふつうの時」が時々ありました。それは篠原さんが指摘されたように情緒が先行して完成度が高い時です。
 と同時に、ぼくには広島という土地がもっている独特な風土を思わずにはいられません。広島で劇を書き演出し上演すれば、どうしても「鎮魂」という思いが、どこかに滲み出てくるのではないかということです。鎮魂は情緒です。元顧問の伊藤隆弘の創作劇を30年近く観てきて思ったのはそのことです。告発ではなく死者への鎮魂になってしまうのです。

 それは個性的な特長で長所です。しかしコンクール形式の大会となるとその弱点が指摘されることになります。
 講師の篠原久美子さんが力を込めて言われました。「ぜひ全国大会へ出て全国の人に舟入の劇を見せてほしい。」

 玉野高校
岡山県立玉野高校 演劇部 作 「おばあちゃんが来た」
・お母さんがすばらしかった。立ち居振る舞いがよかった。お父さんもまあまあ、おばあさんは体が若すぎてリアリティを欠いた。一番のドラマがシルエットで処理されている。娘と親との関係がよくなっていくのだが、台詞でそうなっていって弱い。(Y)
・事件らしい事件が起きて来ないのが残念。(S)

 親と子の関係はダイレクトで遊びや余裕がなくいつもギシギシこすれ合いぶつかり合う。そこへおばあちゃんという存在が入ることによって娘と両親の関係に余裕と変化が生まれる。それをテーマにした創作劇でおもしろく観ました。お母さんが存在感があり光っていました。劇全体としては何となくありふれた感じがしました。もっと新鮮な切り口があればよかったと思います。
 上の写真はホリゾントの空が大きく部屋の上にあり、何だろうと一瞬目を疑います。難しいところです。
 舞台が小さければ問題ないのですが、広い舞台に小さい部屋をつくる場合、ホリゾントを使うか、バック幕を使うか悩みます。バック幕を使えば空間に広がりがなくなり閉塞感が出てきます。ホリを使えば奥行きや広がりが生まれ、照明で時間の変化なども表わせます。ホリを全面使う締まりのない広すぎる空間になるので、玉野の場合はバック幕で上と下を狭めています。それがよかったのかどうか。劇を観ながらずっと気になっていました。
玉野高校 部屋
 劇場が小さかったら上の写真のようになり、問題はありません。しかし広い舞台に部屋を作るときいつも悩みます。部屋を全面にすると広すぎて不自然になり、小さくすると部屋以外の空間が広すぎて密度がなくなり空気が抜けて締まりがなくなります。結局上手に部屋下手に庭といういつものパターンに落ち着いてしまい、劇もいつものパターンになってしまいます。ぼくもそういう舞台を作って講師の持田先生から
「昔からのパターンをそのまま踏襲してつまらない。何故崩さないのか。部屋を切る角度を考えよ」と厳しく指摘されたことがあります。だだっ広い舞台に6畳の部屋。難しい。

 中国大会三刀屋
 島根県立三刀屋高校 亀尾佳宏 作 「笑い女」
・台本のセンスの良さに助けられている。役者もよく動いていてレベルが高い。センスよくうまく仕上がっている。エミは可愛らしい。女の子残酷さがよく出ていた。現在との関係がわかりにくいという意見もあったが、上手で大きくなった現在の明夫が話しているのは新しいお母さんだとも考えられる。笑い女は記憶の母だろう。ラストの2匹の犬の影絵のシルエットは蛇足。(S)
・初めて観たがおもしろかった。子供の持つ残酷さ、性への興味、恐れなどがよく出ていた。子供たちの関係が生き生きしていてすばらしい作品だった。(Y)
三刀屋ラスト           各県から選ばれた13名の生徒講評委員が閉会式の前に劇の感想を舞台で述べましたが、この劇について次のような言葉がありました。
 ・懐かしい風景でいっきに引き込まれた。子供らしくて自然に笑えた。エミの人形劇がよかった。印象的でおもしろい劇だった。(生徒講評委員)

中国大会新聞報道
 老人が観ても高校生が観ても子供が観ても楽しんで観るでしょう。そして、劇って楽しくておもしろいんだ、と思うことでしょう。そういう劇は高校演劇では滅多にお目にかかれません。貴重です。
 ある大会に老人を招待したことがありますが、そのうち安らかな睡眠の時間になり、劇がちっともわからんだった、と言われたものです。一般の人には高校演劇は難しくておもしろくないもの、と思われています。この壁を打ち破らないと
会場ではいつも座席の上に空気が座っている状態がつづきます。

 犬の影絵のシルエットは、情感をもって劇の世界へ浸ってラストを迎えていた観客には邪魔でしたね。うまい切り抜きの影絵ではなかったし、上手からと下手から真横に2匹の犬大きな影が窓に映ったとき、なんだ、なんだ、あの影は、えっ、犬?なんで真横に向かい合ってるん、なんか下手な犬の影絵、なんで犬を最後に印象つけたいん、犬が中心の劇だったん?・・・つまらぬ雑念が稲妻の如く横切りました。いい気持ちで最後を迎えようとしていたのに邪魔が入った感じです。子供のようにイタズラ心で、きれいなキャンパスに落書きをしたくなった子持ちはヨークワカリます・・・
 何度も開けたり閉めたする窓がその度にフラフラするのは気になりましたね。おいおい、今度は気をつけて動かんように開けてくれよ、あああ、また揺れて、光が漏れた、とぼくの心を掻き乱しました。
 大きくなった明夫がエロ本を額の後ろへ隠します(現在です)。子供たちがそのエロ本を見つけます(過去のことです)。気にしない人もいるでしょうが、気になります。
 初めから額の後ろにエロ本が隠してあってはいけないのでしょうか。無理に大きくなった明夫が隠す必要はないように思うのですが。誰が隠したかが重要なのではなく、誰かが隠したエロ本が出てきて子供たちが目を皿にして読んでいるとエミちゃんが来て・・・そのやり取りと反応に面白味と意味があるのだと思うのですが。
 いずれにしてもいい劇でした。エミ役の木村さんはかわいくて憎らしいぐらい最高でした。他の人たちもよく動いていました。あと一年あります。もっともっと「軽く動ける」ようになるとさらに子供らしさがでてきます。亀尾さんが松江工業にいたときの子供たちは最高でしたが、来年夏にはそれに近づいてさらにいい舞台になることでしょう。

 この脚本は来年の夏には高校演劇劇作研究会が「高校演劇」特集号に掲載します。ぜひ活字としても読んでみてください。

 ああ、くたびれました。乗りかけた船。下りられなくてここまで流されてきました。異論、反論、オブジェクションや
何かおもしろいことなどがありましたら、コメント蘭に書いてください。ま、ここまでたどり着く人は rare でしょうから、書く意味も rare でしょうけど・・・オーツカレサン
蟻蛾10。

投稿者:

suhama

1940年、島根県邑智郡邑南町下亀谷生まれ・現在、大田市久利町行恒397在住・早稲田大学教育学部英語英文科卒・邇摩高校、川本高校、大田高校で演劇部を担当、ほぼ毎年創作脚本を執筆。県大会20回、中国大会10回出場(創作脚本賞3度受賞)主な作品「廃校式まで」「それぞれの夏」「母のおくりもの」「星空の卒業式」「僕たちの戦争」「峠の食堂」「また夏がきて」「琴の鳴る浜」「石見銀山旅日記」「吉川経家最後の手紙」「父の宝もの」など。 著作:「洲浜昌三脚本集」(門土社)、「劇作百花」(2,3巻門土社) 詩集「キャンパスの木陰へ」「ひばりよ大地で休め」など。 「邇摩高校60年誌」「川本高校70年誌」「人物しまね文学館」など共著 所属・役職など: 「石見詩人」同人、「島根文藝」会員、大田市演劇サークル劇研「空」代表、島根県文芸協会理事、大田市体育・公園・文化事業団理事、 全国高校演劇協議会顧問、日本劇作家協会会員、季刊「高校演劇」同人、日本詩人クラブ会員、中四国詩人会理事、島根県詩人連合理事長、大田市文化協会理事

「作陽、三刀屋高校 19年全国大会へ」への2件のフィードバック

  1. たくさんのコメントありがとうございます。お疲れ様でした。
    細部にまでわたる好評に、大会を思いだし心が熱くなりました。私の高校の好評もあり、来年も頑張ろうと思えました。
    本当にありがとうございました。

  2. Those who visit here are rare。と自信をもって長々と書いたのですが、読んでくださったのですね。ありがとうございました。「心が熱くなりました。来年もがんばろうと思えました」その言葉に出会えただけでも書いた意味がありました。

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