大田市民会館耐震補強計画説明会2/2(水)19時~

 「第2回大田市民会館耐震補強計画説明会」への参加案内が新聞のチラシに入っていました。2月2日19時から市民会館2階の第一会議室です。誰でも参加できます。教育委員会生涯学習課ではこの機会に市民会館のあり方や大田の文化活動について大いに意見を聞きたいという姿勢です。出席できない場合は、事前にFAXなどで意見を寄せてほしいとチラシに書いてあります。どうぞ送ってください。

 このチラシを見る限り、立て替え案については触れられていません。最新情報がないので、すでに内部ではほぼ決定しているのかも知れませんし、「市民会館の中長期的なあり方」のなかに含まれているのかもしれません。

 1月21日付けの山陰中央新報では具体的な数字をあげて報道しています。従来おおざっぱに立て替えなら40億円と説明され、もっと数字の内容を具体的にだしてほしいと説明会でも要望していましたが、この数字は市議会全員協議会で説明されたときのものです。これによると新築建て替えの場合、市の実質負担額は17億4千万円だそうです。

 建て替えか補強か。財政問題がからむので単純ではありません。しかしお金の問題だけで決定するのは愚の骨頂です。お金なら安いほうがいいに決まっています。何もせず解体すれば解体費だけですみます。その後の経費も不要です。しかしそのうち出雲へ家を建て出雲の学校へ子供を通わせる住民が増えるでしょう。医者や教育者や文化人は逃げて行くでしょうし大田へ来ないでしょう(現に兆候進行中)

 教育や歴史、文化、芸術が充実していないところに人は集まりません。子供や人を育てるためには教育や歴史、文化、芸術の豊かな土壌が必要なのです。

 音楽や演劇や各種団体の責任者として大田市民会館を使用し全国大会や中国大会、県大会など大きな催し物を開いた人はよく分かっています。「広い駐車場があり充実した施設設備を備えていれば大きな大会が開催でき大きな効果が派生する」と。長期ヴィジョンを建て、うまく利用すれば今の大田市民会館は最も有利な条件を備えています。耐震にしろ建て替えにしろこの長期ヴィジョンがないとやることなすこと中途半端に終わります。

 市議会議員でこの問題を文化の問題としてとらえている人は数人です。ほとんどの人は財政上の問題としてとらえています。ほとんどの市民もほぼ同様でしょう。

 写真の右端の茶色い3階建ての建物は勤労青少年ホームで、市内の多くの文化団体が利用していますが平成24年4月以降は使用禁止になり解体されます。さて文化団体はどこで活動するのやら。左の建物は消防署です。報道によるとそのうち9号線近くへ移るそうです。跡はどうなるのやら。

 さて、さて、さて、そうすると、市内のど真ん中に広い空地が生まれます。約9000平方メートルあるそうです。さて、どうするのか。文化ゾーンとして長期計画を立てて欲しいと質問した議員もいました。こういう人が増えると大田の未来には夢が生まれます。子供が利用する教育施設や市民会館などを含む文化施設のゾーンができないものか。福祉や健康のために邑智にあるようなプールや健康施設が一緒になってもいいんじゃない。と金も責任も先もない者は好き勝手なことを書いていますがなんとなくむなしくなってきたのでここらへんでやめます。

 

「琴の鳴る浜」練習報告です1/24,1/25

 寒さは依然として続いています。大田市内では雪はすぐ溶けますし連続して降らないので路上に積もることはありませんが、2度前後の寒い日が続いています。山間部では積もっているでしょう。

(写真は馬路の琴が浜です。曇っていたので関係のない近景の植物ばかり目立って街や浜辺は煙がかかったような写真になりました。電柱は引き抜きたいけどそんな力も罰金を払う金もありません)

 25日(木)は2場の立ち稽古を第一会議室でやりました。インフエンザ罹患中のハナさんや雪に閉じ込められている豊さんやカジで手が抜けないお種さんの役はオコトサンが代役で務めました。地頭と家来と村人の場面を2,3回やりました。ヤッサンは衣装を着けてきました。さーすが。台本も持たずに気合いをいれてやりました。ヤマネさんが元気のいいお茶目な百姓女を面白く表現して演じてくれました。面白くなりそうです。

 台本を手放さないと身体の表現はでてきませんし目線による表現ができませんので、劇として一番大切な練習ができないということになりますが、もう少し台本を持って立ち稽古をつづけましょう。

 1/24(月)はスタッフとの会議がありました。修平さんも出席してくれて助かりました。キンチャンはじめ二人の女性スタッフ、ハヤシタムラサンです。やっさんが作成してくれた舞台の模型図を見ながら台本を確認し検討していきました。

 昨年の12月の空の会議では上手に小屋の一部をつくり、下手に船をつくろうと話し合いました。吊り物の飾りではなく実際の立体的な船と小屋です。それを受けてやっさんが考えて、模型をつくってきてくれたのです。しかしSSが使えない。上手の袖から出入りができない。上手の観客には小屋が見えない。と反対が出て、賛成する声もなく、最後には引っ込めました。しかし舞台の道具は飾りではなく使うものだという基本的な考えは劇を演じ創り演出する者には譲れないところがあります。難しいところですね。空だけでやっている訳じゃないので。

 ステージを使って練習する日にちも話し合いました。次を予定しています。

2/12(土)19時~、                              2/16(水)19時~、                              2/19(土)13時~17時、                              2/20(日)9時30分~16時(これは渡した予定表に記入済みです)

 

画期的な前進ー第32回島根県文学館推進協議会の報告

 平成23年1月21日、松江の旧県立博物館にある県文化国際課分室で標題の会議が開かれました。島根県に文学館をつくろうという運動は12年前からはじまり今日に至っています。この日の会議では大きな前進が報告されました。それは3月までに、文学資料の収集と保存を検討する検討委員会を立ち上げることが決定したことです。

 平成22年10月19日に文学館推進協議会の役員7名が溝口島根県知事に面会し要望書を提出しました。その主な内容は次の通りです。①審議委員会の設置 ②専任職員の配置 ③開設場所の確保

 これらの要望に対して溝口知事は①の審議委員会の設置に対して、「検討協議会」の設置を約束されました。その後県の生活環境部長から池野誠代表に「検討協議会」の立ち上げについて相談したいと連絡があり、役員4名が生活環境部長や担当職員と協議しました。

 その席で環境部長から平成23年3月までに検討協議会の構成を決定して、来年度から具体的に「収集、保存、展示」の活動について協議を開始したいという見解が示されました。

 12月2日の島根県議会本会議で松江市選出の福田正明県議会議員がこの件で質問しておられます。それに対して溝口知事は次のように答弁されました。「島根の歴史・美術・芸能の分野と同様に、島根の文学文芸は大きな地域の財産であり、官民一体となった文学文芸の振興に取り組んでいきたいと考えている。年度内には、検討内容や構成メンバーを決定した上で、官民一体となった検討組織を立ち上げるよう準備を進めていく。」(山陰中央新報12月26日 しまね県議会だより)

 (何で急に松江の風景が飛び込んでくるんだ!気分転換?ノーノー。松江大橋の向こうに島根県文学推進協議会が行われた旧県立博物館があるのです。しかしそれは見えません。見えないのに何故だすのだ )

 トップが決意を言葉にすると決定的ですね。すぐ具体的に動きはじめます。しかしここに至るまでに12年かかっています。その間、実績を積み上げてPRし県民の理解をえるためにいろいろな活動をしてきました。山陰中央新報の理解と協力で「人物しまね文学館」を長期に連載してもらい本にして出版。現在は「続・人物しまね文学館」を週1回連載中です。今年の11月中旬までに50数名の文学者や文人を取り上げます。資料や作品の展示、入沢康夫氏を招いての講演やシンポジュームも大好評でした。溝口知事も展示を見て回られ講演会にも出席されました。

 平成21年2月2日には溝口知事を囲む会が開かれました。「溝口善兵衛島根県知事を囲む島根県文学館構想を考える会拡大例会」(ながーい) 島根の俳句、短歌、川柳、詩、散文、それに学識経験者も参加して知事に県内の文学の様子や要望を話しました。知事はいつものように穏やかな笑顔で聞いておられました。(推進協議会側の出席者は池野、芦田、寺本、石原、高橋、加藤、富田、洲浜、松本、長谷川、高田、小川、寺井、竹谷のみなさんでした)溝口知事は挨拶のなかで要約すれば次のように話されました。「文学館構想は就任早々から聞いている。財政上難しいが支援はしたい。文学館構想は粘り強く進め、県民に関心をもってもらうことが大事である。県立の他の施設のように関心が強くなっていくとうまくいくだろう。」

 この運動のスタートは12年前でした。故澄田知事に陳情した時の様子が新聞にでましたので紹介しておきます。

 これからどのように発展していくか楽しみです。県内の同人誌や古い文献、貴重な本などをこつこつと収集していけば貴重な文化資源になります。文学全集や専門書たくさんそろえていて家では迷惑がられている人も多いはずです。どのように収集していくかはこれからの問題ですが年月をかけてこつこつと積み上げていくことが大切だと思います。池野さんは、民間の協力が重要になるので文芸協会としても話し合っていきたいといっておられました。

 今までほとんどの人がこの財政難の中で実現は不可能だと思っていたはずです。そういうなかで池野会長は夢を実現するために粘り強く先頭に立って引っ張って来られました。また役員の皆さんも何度も会議を開き議論しながら進めてこられました。改めて敬意を表したいと思います。

 島根文学館のことがどうなっているのか気にかけている人はたくさんいます。そういう人たちのために近況をまとめてみました。12年で一歩前進しました。その一歩は画期的な一歩です。 

山城さん、寒さの中どこを歩いていますか

 昨年の12月から寒い日がつづいています。今夜は零度以下です。この寒さの中で山城賢治さんはどこを歩いておられるのでしょう。寒々とした外の景色を見ながら、いつも山城さんのことを思います。

上の写真は平成22年11月17日に五十猛で修平さんが写したものです。山城さんはこんなスタイルで大田を出発されました。山口、九州と歩いて行かれたのでしょうけど、今どこでしょうか。九州でしょうか。もう沖縄のどこかを歩いておられるのでしょうか。

山城さんはインドへ三年半おられました。ヨガを習得されたそうです。7月に日本へ帰り、茨城からリヤカーを曳いて歩いて大田へ帰って来られました。11月の始めに電話があり、久しぶりにお会いしました。お世話になった山本くんや修平さんにも連絡して、ナゴヤで楽しく語り酒を酌み交わしました。その数日後に大田を出発されたのです。

数年前、劇研空で演劇の基礎訓練をしていただいたこともありますし、石見銀山の民話を音楽劇にした「鶴」では、演出もしていただきました大田高校の演劇部員だったそうですし、東京では演劇で役者や演出家として活躍しておられました。独特の感性や深い思考力を持っておられたので、インドへ行かれたということを聞いた時には、やっぱり、という気がしたのを覚えています。

リヤカーを曳いて野宿をしながら歩いておられるのですが、いろいろな出会いがあり楽しいことがたくさんあると言っておられました。上の写真は了解を得てここへ載せています。

次の記事は同じ日に「しまにちタイムス」の記者がインタビューして掲載したものです。うまくまとめてありますのでここで紹介させていただきます。この新聞は月刊ですが大田市の公共施設に置いてあります。とてもいい情報を載せていますのでぜひ手にとって読んでみてください。

やましろさーん!毎日毎日寒いけど大丈夫ですか?気をつけて旅をつづけてくださいね。体調に気をつけるのはもちろんのこと、交通事故などにも気をつけてくださいよ。また話を聞かせてください。

https://stagebox.sakura.ne.jp/wp/?p=1979 「おつかれさまでした、山城賢治さん」

1/18(火)「琴の鳴る浜」練習報告です

 上の写真は平成22年3月14日13時50分、大田市民会館の前庭で、「琴の鳴る浜」の開場を待つ人達の列です。この列を見たとき、体が震るえました。キャストはみな楽屋で準備中ですから、この行列を見た人はいませんが、琴を演奏された合原さんはたまたま2階の会議室から見て感動されたそうです。開演前からこんなに来て下さったのだ!ベストを尽くして皆さんの期待に応えないと天罰が下るぞ!という声も聞こえてきました。大田市民会館の催しでこんなに長い行列が開場前にできたのは近年では初めてかもしれません。

 今日の目的は過去を振り返ることではありませぬ。1月18日の稽古の様子を欠席したメンバーに報告することです。(そうだ!)

 この日も寒い一日でした。日中は少しし寒さも弛みましたが、夜には零度近く、路上はカチカチに凍っていました。この寒さの中、年末からの雪で来られなかったミカさんがはるばるミサト町から邑智の山を越えて来てくれました。

 お種さんが住んでいる飯南町は大雪ですから車で来るのは危険です。あせらなくてもいいのでレイコさんはじっくり読み込んでおいてください。代役でしっかりとやっています。

 この夜は、お豊、清野、正吉っあんは代役で、11人が集まり読み合わせをしました。特にラストの場面は茅乃さんが初めてですから2回じっくりと読み合わせたあと、みんなで意見を出し合い議論しました。さすがミカさんは十分脚本を読み込み動きやセリフや感情の動きを自分のものにしていましたね。間の取り方も、相手の心理や自分の心情を十分理解していましたので、とても初めての読み合わせとは思えませんでした。

 劇は相手との関係を表すものですし、相手の反応によって自分の反応も決まります。相手と関係なしに自分の気持ちだけで反応していたら劇になりません。そういう点でミカさんと村人とのやりとりが今までになく新鮮で感動的な場面になるだろうという期待が大いに持てました。ミカさんはかなり出来上がっていましたので村人の方がかえって遅れて色褪せて見えたほどです。それは、ラストの場面は、さらっと演じようという初回の台本の意図がセリフに残っているせいもありますが、同じ役でも役者が違えば、まったくといっていいほど表現も変わりイメージも別のものになるという結果でもあります。それに対する新たな対応が台本のセリフでも役者の表現でも必要になってきたということです。

 みんなで議論しながら納得して劇を創っていくというのがぼくの演出方針です。ラストシーンについても大いに議論しました。修正したり追加したりする箇所もでましたので、次回までには手をいれます。

 3場のあと、2場の村人と地頭の場面も読み合わせをしました。ここは次回からは立ち稽古です。

 次回は20日(木)です。善作、オコト、子供たちの場面です。8人になりましたので舞台処理がちょっと難しくなりますが、ユイさん、踊りの振り付けをお願いします。

 1/24(月)には市民会館でスタッフとの打合会があります。夜7時半からですが、都合がつく人は来てください。修平さん山ちゃんは都合がつけばきてくれるとうれしいね。

小説仕立ての鳴り砂研究記録ー松井整司著「鳴り砂放浪記」を読むー

 大田市在住の松井誠司先生が「鳴り砂放浪記ー鳴り砂に魅せられた男ー」を平成23年1月1日付けで刊行されました。小説ではありませんが小説風な仕立てになっていて、筋を追いながら楽しく読んでいけるように書かれています。

 「何故琴が浜の砂は鳴るのか」を追求して実験をつづけ、「摩擦説」ではなく「衝突説」を実証していく何十年もの過程が書かれています。その追求の過程には主人公「悠」(はるか)の結婚や転勤など私的なエピソードが豊富に描かれていますので、まるで小説を読んでいる様な気がしてきます。

 所々に挿入される箇条書きの研究成果や課題などはとてもうまくまとめられていて、全くの素人が読んでも、解明されていく段階が手に取るようにわかります。構成や書き方がとてもうまく工夫されていて感心しました。中学生や高校生が読んでも面白いだけではなく、鳴り砂の科学的な解明の過程を自然に理解していくことができるように書かれています。

 主人公は松井先生ではなく「悠」で、松井先生の後輩です。専門は物理。ぼくには誰かほぼ見当がつきます。川本高校で一緒に勤務していたこともありますし、悠先生の長男は大田高校の理数科で教えていました。名門の難関大学、東北大学へ合格し大学院を出ました。この本によると博士号を取得したとあります。

 悠は昭和44年に江津工業から大田高校へ転勤になり、ここで素晴らしい先生との出会いが生まれます。松岡先生と高原先生です。松岡先生は松井先生だと見当がつきます。地理の専門だからです。高原先生はぼくにはわかりません。

 この三人はとても素晴らしい結びつきです。二人の先生のお陰で悠は何十年も研究を続けることができたのです。この本では三人の会話がたくさん出てきますが、まるで当時の会話を記録していたかのように著者の松井先生はリアルに書いておられます。しかも会話は石見弁ですから実在感があります。回想のはずなのに回想ではなく、現在進行形で目に見えるように描写しておられるのも松先生の文学的センスの反映でしょう。地理の研究者という固い顔は文章から覗いてきません。小説かエッセイ風です。

 琴が浜の海へ船を出してもらって湾低調査をしたり、飛行機をチャーターして島根半島や石東海岸を撮影したり、全国の鳴り砂を調べに行ったり、とても貴重な記録もあります。

 研究成果をまとめた論文は平成22年11月に完成し、すぐに学会へ提出されたそうです。この本によれば「悠は採択の通知を首を長くして待っているっところである、と書かれています。結果が楽しみですね。

 本の最後に次のように書かれています。(152ページ)                                      「《衝突説》の立証はこの研究領域で初めてのことと思われ、悠の業績中、もっとも偉大な発見と言えよう。今後《衝突説》をめぐって、真摯な議論が交わされ、この学問分野が、また馬路琴が浜の名声が、さらに高まることを期待するものである。」

 目下劇研空では創作音楽劇「琴の鳴る浜」の再演のために奮闘中です。それは舞台芸術上のアプローチですが、この本は学問的な面からの「琴が浜」へのアプローチです。同時に立ち上がり進行中いうのは実に不思議な縁ですね。仁摩や馬路や大田市の関係者はいい機会を生かしてほしいですね。こんなことは滅多にあるものじゃありません。

 (琴姫さんの陰の力です。劇の中でお琴さんはこう言っています。「たとえこの身は海に果てても、必ずみなさまのご恩に報います」)

 松井先生には「島根・三瓶火山」という労作もあります。表紙を写真で紹介しましょう。

 この本は平成20年8月に発行されました。とても読みやすく、しかも三瓶山の歴史的な成り立ちが学問的にわかりやすく書かれています。定価は2625円。昭和堂書店の若大将によると最近になっても時々遠い県外の人から問い合わせや注文があるそうです。研究者にとってはとても参考になる著書です。

 「鳴り砂放浪記」は今なら大田市大田町の昭和堂書店に置いてあります。2000円です。          次のように取り扱所が書いてあります。                                       (有)松井薬品 松井純子 694-0064 島根県大田市大田町大田ロ932-1  Tell 0854-82-4313

 自費出版ですから発行部数は多くないでしょうし、関係者への寄贈が多いのではないかと思いますが、いい本ですし役に立つ本ですから少しでも多くの人が読んでくださるとうれしいですね。

 (この劇研空のブログは地域の文化的な素晴らしいものを紹介することも一つの役目にしていますので紹介しました)

 

 

1/11(火)二場立ち稽古中心に練習

 この写真は平成22年3月、開幕直前の舞台風景。実行委員長、勝部義夫さんの挨拶です。

 平成23年1月11日の報告です。                                            重房、繁さん、琴さん、元五郎、熊八、善作、種さん、サトさん、秋さん、正吉、浜さん。11人で二場の地頭と家来、村人の場面を中心に立ち稽古の練習を3回、琴さんと繁さんの二場の最後の場面を2回立ち稽古で練習しました。    

 「自分を演じる」のではなく「役を演じる」のが劇ですが、そのためにはどんな役なのかをしっかり理解する必要があります。役を演じるためにはそれを表現する力が必要になってきます。

 隣の一号室では大田市民会館の耐震について会議がありました。両方にでることは不可能なので劇の練習へでましたが、どういう議論が行われたのでしょう。気になります。劇の練習は火曜日と木曜日ですが、耐震の会議は火曜日だとか。これじゃ全部がっちんこです。

 次は13日(木)一場と二場の子供中心の場面です。大人は善作さんとお琴さんは必需人です。それ以外の人がこられたらもちろん練習をやります。

1/6,1/7劇の練習報告です

 1/6(木)は寒い日でした。市民会館の会議室で子供中心の練習を予定していましたが、昨年の12月末に郵送した予定表などが7人の子供たちにまだ届いていなかったので、二場を中心の読み合わせを3回、三場や二場の冒頭の会話を読み合わせてチェックしました。参加者はツツミさん、ミツイさん、ヤマさん、リョウタくん、ユカリさん、とスさんでした。

 台詞は基本的に、色をつけたり抑揚をつけてり言葉をのばしたりあちこちで切らないというのは基本です。色や強弱をつけずに太い棒のように一本調子で喋るという基本(発声の力)が根底にあって、その上に感情をこめたり強弱をつけたりしないと台詞がふらふらして安定しません。呼吸法や肺活量や横隔膜の使い方などが大きく左右しますから一朝一夕にはいきませんが、日頃の練習で訓練していく必要があります。

 事務局長さんが来られてチラシやチケットを劇研空割り当て分をドサッと手に渡されました。全部で250以上ありますので頑張って買っていただかなければいけません。とりあえず平等に10枚ずつ渡しました。繁さん30枚。今回も頑張ってくれます。ありがたいことです。数枚しか売れないひともありますので頑張ってくれるメンバーがいないと穴埋めができません。たいへんですが皆さんよろしくお願いします。

 チラシ、ポスター、チケットはまだありますのでいつでも申し出てください。

 1/7(金)雪が降る寒い夜でしたが予定通りに練習しました.劇の冒頭場面や二場の地頭の場面、二場の終わりの場面などの読み合わせです。マサコさんの代わりにヤマネさんにお願いしましたが初めての読み合わせです。慣れない石見方言を心配しておられましたが、読んでもらった中のセリフでは1,2ヵ所やり直しただけで合格でした。気持ちが籠もると声が上ずる傾向があるので気をつけましょう。                     

 善作、ハナさん、ヤッサン、元五郎、熊八、種さん、繁さん、お琴さん、サトさん、スーさん。三郷町や飯南町は雪で出席は不可能でした。5人にチケット50枚とチラシを渡しました。一場の子供が一人増えましたので、9~13ページ5枚を15人分印刷して渡しました。子供たちには青少年ホームへ8人分預けておきました。「風花」は8日に練習するそうです。事務局長と、三場で風花の高校生が二人でも出てくれないかなと話しました。どうなるか未定。

次の練習日は11日(火)です。大人中心場面です。

上の写真は結団式のときに自己紹介された山野熊八の山尾さんです。前回の「琴の鳴る浜」では無かった役をつくり演じていただきます。声量十分ですし力強い熊八が舞台を引き締めてくれるでしょう。

この記事は参加できなかった人が進捗状況を確かめるために書いています。

1月の劇の練習予定です

 

 1月から3月の練習予定は印刷して郵送したり手渡したりしましたが確認の意味で当面の予定を書いておきます。子供たちは木曜日が都合がいいそうですのでそれを最優先しました。大人場面は火曜日を中心に設定しています。

1/6(木)子供場面中心と大人(お琴さん、善作)市民会館二階。19時開場、19:30~             1/7(金)大人場面中心(一場、二場、三場) 市民会館二階 上に同じ                     1/11(火)大人場面中心                                     1/13(木)子供場面中心と一部大人                                1/18(火)大人場面中心                                    1/20(木)子供場面中心と一部大人                              1/25(火)大人場面二場中心                                   1/27(木)子供場面と一部大人

 予定ですから変更もあります。追加もあります。場所の変更もありえます。不明なときには連絡をとってください。市民会館では玄関に入ったところにある掲示板で場所を確認してください。

 寒い日がつづきます。あしたは雪だとか。当分つづきそうですね。ちょっと風邪をひきました。

 上の写真はどこの写真かわかりますか。… はい。そうです。ナイアガラの滝です。実に壮大ですね。昨年の6月に大学時代の友人がいるモントリオールへワイフとドーターとで行ってきました。マイチルドレンがルビーコン記念だといって企画してくれたのです。

 「なんで関係もないシャシンを出すのだ。」「すみません。」たまたまデスクトップへ出ていたのでここへ案内したのです。字ばっかりじゃ味気ないので。今後も関係のない写真を大いに使います。

新年おめでとうございます

 

 平成23年1月1日です。新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。こんなに雪が降り寒い正月は大田では何十年ぶりでしょうか。

 今年は3月13日の創作音楽劇「琴の鳴る浜」の再演が大きな課題です。ハナさんが急遽出演が不可能になりましたのでその後役をいろいろ考えていました。過去の演劇経験者や高校演劇で一緒にやっていた人達を思い浮かべたのですが、最終的にはミエコさんに決死の覚悟でお願いしたところ、OKをしていただきすぐに台本や練習計画、会報13,14号を自宅へ持っていきお願いしました。女神様に見えました。

 年末に思いもかけないことがありそのことに関わっていましたので、他のことがほとんどできませんでした。シンガポールから娘と長男が帰り、岡山から娘夫婦と子供、広島から次男夫婦と子供たち、我が家の長男夫婦とこども。我が家は14人にふくれ上がりはち切れそう。まるで保育園です。食事つくりもたいへんですがワイフ様は頑張っています。「新年」はおめでたいのですが、「おめでとう」はタブー状態です。

 「  海のように」

ひとつひとつ そのまま
受け入れて行くんですね
海のように

かなしいことも
つらいことも

ひとつひとつ すなおに

おかあさん
あなたがそうしたように

 2011の心境です。年賀状をいただき先ほど読んだばかりです。遠くにいる人達や思いがけない卒業生や大学時代の友人のなかに「ブログをみていますよ」という添え書きもいくつかありましたので、新年のあいさつくらいはしないといけないと思い、書いているところです。一週間も一ヶ月も同じことしか書いてないブログを開くときほど虚しいものはありませんからね。

 賀状の中には「夢をつくるんだからすごいですね」という言葉もあり、劇研空の役目を再認識させられた気がしました。中途半端な気持ちではできませんね。

 ことしも頑張って夢を追いかけていきましょう。マイナスはプラスに変換する心の装置を活性化し、変換するエネルギーを蓄えていきましょう。今年もよろしくお願いいたします。