「石見銀山旅日記」 稽古予定です(9/9~30)

2012,09,11。やっと秋の門口に立っている気がします。昨日から涼しくなりました。雨も降り、畑の作物は大喜びしています。毎日茄子などに水をやってきましたが、やっぱり天然の雨の威力にはかないませぬ。

さてさて、9月9日は日曜日でしたが、都合がつく人だけで2時間ばかり立ち稽古をしました。寿禎、地下の女、九郎兵衞、船子を中心に代役で何度もやりました。つぎに申し込んでいる予定日は水と金です。センターの都合によっては中止になることもあります。7時からです。

9月12,15,19,26,28 です。
9月23日(日)には浜田の石央文化ホールで初めての打ち合わせや仕込み、舞台見学、点検、確認、後半は立ち稽古など予定通り行います。15日までに事務局へ台本、劇研空の紹介、全員の集合写真を送ってくれと、本日電話がありました。

以前から問い合わせているのですが、もう一度つじのことをお願いしました。
1.送った舞台装置は浜田のホールの材料で組み立てられるか。(材料がなければ作って運ばねばなりませぬ)
2.照明について質問していること:エフェクトマシーンはあるか。波や雲はだせるか。ソースホーはあるか。などです。さらに、照明プラン、音響プランを提出すれば、ホールの担当者で操作してもらうことが可能かどうか。(人不足で音響と照明が目下不在。wanted!    darekaimasenuka)

22日夜は益田で文芸フェスタの講師歓迎会があります。途中で浜田に寄りホールへ行き、担当者と打ち合わせをして益田へ行く予定です。23日はフェスタで、午後は分科会があります。理事長という立場なので、いないと無責任!同時に劇研空のメンバーが浜田で集まり、リハをするのに演出係が不在!これまた無責任!どっちの無責任を取るべきや。

さてさてさて、文字ばっかりでは退屈なので貴重な写真をお見せしましょう。1か月前に温泉津から漁船に乗り、日本海から石見の山並みを眺めました。写真をパチパチ撮りましたが、晴れていても湿度が高かったのでしょう。霞がかかったような山並みでした。それでも、こんなにきれいに山が見える日は滅多にないんですよ、と船子さんがいわれました。

ご存知のお方はご存知の通り、右手の高い山は高山。左手の低い山は漢島(かな?)。浜に並ぶ家並みは仁万の町。南方の彼方に見えるのが銀峯山、またの名を仙の山。

神屋寿禎は486年のむかし、1526年、大永6年、博多から出雲大社の鷺浦銅山へ行く途中、仁万の沖から、この仙の山が不思議な光を発しているのを見たのです。(と「銀山旧記」には書いてあります)

H24 9/5,7,9の稽古予定について

全員にハガキで連絡しましたが、今週の劇の稽古予定は5(水)、7(金)19時から21時、9(日)2時から5時、川合町つくりセンターを予定しています。日曜日については5日の稽古の時にみなさんの都合を聞いて決定します。もし土曜日がいいということになれば変更しますし、都合がつかなければ中止します。今後は毎週水曜日に行います。追加する場合は金曜日か土か日曜日です。

夜使用する場合には、午前中に町つくりセンターへ行って使用届けを出し、冷房を使えばお金を支払わなければいけません。これは思ったより面倒ですが、仕方がありません。

文字だけでは寂しいので、ついでに写真を紹介します。平成20年8月14日に大田高校の卒業生会・瓶陵会総会に依頼されてサンレディホールで上演したものです。これは天領太鼓や詩の朗読、ギター演奏、劇で構成した舞台でした。衣装照明など参考にしてください。

 この時には瓶陵会の総会担当者の人たちにも出演、大活躍していただきました。楽しい舞台でした。

浜田の石央ホールにはヤッサン作成の舞台図を送り、ホールにその材料や装置があるかどうか問い合わせています。またエフェクトマシーン、やソースホーがないときには出雲文化企画から借用してもらえるかどうかも問い合わせています。

日曜日にキンチャンは浜田へ行き舞台を調べ担当者と話しをして帰りました。thank youです。あと2,3名裏方がほしいのですが、だれかいませぬかね。船子事変は修平さんが二役やることで解決することにしました。5日からは立ち稽古です。(ぼくは午前中鍵を借り、19時にセンターの鍵を開けますが、19時30分から体育公園文化事業団の評議員会があり、それが終わってセンターへいきます。よろしく)

 

 

石見演劇フェスタ チラシが来ました

2012年10月28日公演の石見演劇フェスタのチラシとポスターが浜田の事務局から届きました。包みを開いて「エッ!」。ホヤホヤを紹介します。人目を引くことは確かです。
森鴎外と島村抱月の見慣れた顔がじっとこちらを見つめています。確かに二人は石見の出身で近代演劇の基礎を築いた人です。そのふるさとで初めて「石見演劇フェスタをやりますよ!」という意気込みや使命感のようなものが伝わって来ます。演劇の偉大な人物が二人並んでいるので文学座や芸術座でもくるのか、と瞬間思う人もあるでしょう。そこも意表を衝く制作者のねらいかもしれません。押しつぶされそうですが充実した舞台で応えるしかありません。ポスターもおなじですが、人目を引き話題になることでしょう。(一昨年の「島根文芸」44号の表紙は全面鴎外の顔写真でしたが売れ行きが違ったそうです)

字は読みつらいでしょうが、チラシの中身も紹介します。次のような団体が上演します。

 

ポスターやチラシがたくさんあります。ポスターを貼れる場所が近くにある人はお願いします。チラシも十分ありますので置かしてもらえるところがあれば10枚くらいお願いして置かせてもらってください。

チケットもたくさん届きました。大田からは松江へ行くのと同じくらいなので行く人はそんなにいないかも知れませんが、浜田や江津などで親戚や知人などがいる人はすすめてみてください。(キテモラウンダカラゾウテイシタクナリマスヨネ。ソレモアリデス)

 当日渡されるパンフレットも作成される予定ですが、そのときには役者やスタッフの変更したものを載せます。

前回の練習日にヤッサンが舞台図を描いてきてくれました。プロにも通用するきちんとした図面です。音響と照明はwanted ! 状態です。ショウゴクンはやってくれないかな。船子は大森座一座の者でやればと思っています。修平さんおねがい!

8/28(火)の練習場所変更します

劇研空の28日の練習場所は川合町つくりセンターでしたが、問い合わせたところその夜は使えないとのこと。あちこちへ問い合わせた結果、社会福祉協議会の一階和室が空いていましたので予約しました。19:00~21:00です。冷房を使えば30分500円。弱小貧困団体には応えますが効率的にやりましょう。(大田市民会館と同一建物の中にあります)

(鶴降山から見た三瓶山。鶴降山は物部神社と関係が深い山です。)

船子さんから辞退の申し出がありました。次の夜、やりたいとの電話がありましたが、振り回される予感があり、「また次の機会があればおねがいします」と返事をしました。この場面をカットするか、残った役者で演じるか、思案中です。

練習場所変更を読んだメンバーは連絡してください。読んでいない人には連絡します。

H24 10/28 劇研空 浜田で『石見銀山旅日記』を上演

2012年10月28日に浜田市で開催される石見演劇フェスティバルで、劇研空は創作劇『石見銀山旅日記』を上演します。10団体が上演するというハードスケジュールです。上演時間は1時間以内。劇研空は石見銀山の歴史を素材にして楽しい劇を上演します。どんな劇になるのか。会報12号の表紙の写真が参考になりますので紹介します。

 衣装はこの写真にあるようなものでやればと考えています。時代劇だからカツラ、という発想はしません。役や場を考えて抵抗なく受け入れられるものをさがしたいと思います。

劇の内容についてはそのうち紹介しますが、パンフレットに書いた一部を引用してみます。

⑤あらすじ:  笑って楽しみながら石見銀山の歴史を知って欲しいと思い創った劇です。歴史的な事実や記録は重視しています。しかし歴史は時がたつと「実」と「虚」の境界が霞んできます。そこに批判やユーモアや遊びや想像の余地が生まれ、この劇が生まれました。

江戸から来た二人の大道商人(大道芸人でもある)はひともうけしようと石見銀山へ来ます。石見銀山を見て旅日記にして江戸で発売する計画です。山奥の田舎だと馬鹿にして来た大森で二人は想像外のことばかりに出会います。

関ヶ原で徳川方が勝つと、家康はすぐ石見銀山を直轄地にし、大久保長安を奉行に抜擢します。長安が治めた慶長年間、石見銀山は最盛期でした。

「士稼(武士や労働者)の人数20万、一日米穀を費やすこと1500石余、車馬の往来昼夜を分たず、家は家の上に建て、軒は軒の下に連なり」と『銀山旧記』は書き残しています。

しかし慶長18年、長安が死ぬと墓は暴かれさらし首。極悪人とされます。江戸からやって来た二人の物売り大道芸人は得意になって長安の最後を語ります。さてどうなるか。

予定していた照明の大ベテランナカムラさんがその日は都合がつかなくなりました。プランの原案は作成してもらいますが、リハや当日、北海道から操作するのは無理です。誰か捜さないといけませぬ。音響が空白です。衣装は、まあみんなでやるとして、舞台係もほしいな。誰かいましたら声をかけてみてください。

昨日、ヤッサンがトラックで我が家の玄関へ。何ごとかと思いきや、石央文化ホールの舞台図がほしい、とのこと。やる気です。うれしいね。ヤッサンは舞台の元プロです。今までもいい舞台装置を考案し実際に作ってくれました。どんなものになるか楽しみです。

8月の練習日は20日と27日、月曜日19時30分から川合町つくりセンターです。 レイコさんも来るとメールがありました。掛け合いをしっかりやりましょう。

H24 石見演劇フェスタ 本番・ゲネ時間表

2012年10月28日に浜田市で開催される「石見演劇フェスティバル」の上演団体、上演時間、上演順が8月4日に開かれた第2回実行委員会で決定しました。1日で10団体上演というハードスケジュールです。前日のゲネプロの時間割も決まりましたので、この2日は最優先して予定を立ててください。

劇研「空」は「石見銀山旅日記」(洲浜昌三 作)を上演します。江戸から二人の大道商人(大道芸人でもある)が、石見銀山の旅日記を江戸で出版する目的でやってきます。大森へきて、地元の銀堀などから石見銀山のことを初めて聞き、びっくりしたり、言い争いになったりします。地元の銀堀に対抗して、大久保長安の最後を語りますが、とんでもないことに・・・。おもしろく楽しい劇になるはずです。

ゲネプロの時間表は次の通りです。
各団体の上演内容は、チラシが完成次第紹介します。

劇研空は他に2日練習日を指定されています。9月23日(土)13時~17時、10月15日(月)18時~20時。

2日ともできるかどうか。みなさんの仕事の都合など考えて決めたいと思います。
浜田まで車で1時間30分。勤務が終わって行けば19時過ぎ。近いようで遠い。

これはどこの写真でしょう?そうです。石央文化ホールの裏、大道具搬入口です。車の駐車場がほとんどないのが問題です。隣の立体駐車場へ入れ、ホールの駐車証明カードをもらえば無料になるそうです。

劇研空の練習は「川合町つくりセンター」で月曜日の19時30分からです。盆は閉館です。8月は20,27日です。

 

劇研空会報15号を送りました

久しぶりに劇研「空」だより、と活動報告のカテゴリーに書いています。

昨年末に会報14号を印刷して空のメンバーには渡しましたが、先日15号を作ってメンバーに郵送しました。9ページありますが、島根演劇ネット総会の様子や、10月28日に浜田で計画されている「石見演劇フェステバル」について書いています。

また7月23日(月)には19:30から、川合の町つくりセンターで定例の練習と話し会いを行うーことについても書いています。都合が悪い人は連絡してください。15号の表紙だけでもどうぞ。
 14号は馬路の旧馬路小学校体育館で昨年10月に上演した 朗読と音楽による「琴の鳴る浜」の感想文(アンケート)特集です。いただいたアンケートを総て掲載しています。

14,15号まだ受け取っていない人があれば送ります。空のメンバーでなくても読んでみたいという人があれば大歓迎、いつでもお送りします。1号の大昔からあります。

石見ケーブルTVで『琴の鳴る浜』放映

2011年3月13日に大田市民会館で再演した創作音楽劇『琴の鳴る浜』(実行委員会主催、 作、演出 洲浜昌三 作曲 長坂行博)が浜田、江津エリアの石見ケーブルヴィジョンで5月初旬に4回放映されます。2012年5月4日は10時から、18時からの2回。5月8日、10日はリクエスト放送として10時から。それぞれ約1時間30分です。

 (写真は大田市の馬路にある琴が浜です。平家の姫が琴を抱いて流れ着いたという伝説が今も語り継がれています。壇ノ浦で平家が滅びたのは約800年前です。)

今までに何度かこのブログへ書きましたが、ついでにまた再演の舞台写真を紹介しておきます。劇は劇研「空」のメンバーと風花の子どもたちが演じました。演奏は長坂先生御夫妻と玲子さん、ヴァイオリンの長坂拓己さん、琴は合原三令さん、尺八は森山重富さん。

合唱は大田少年少女合唱団、大田高校合唱部、フレンズ彩、サウンドコラージュ。盆踊りの場面では馬路地区の小学生のみなさんや琴が浜盆踊り保存会のみなさんにも出演していただきました。

アンケートの感想文などもこのブログのどこかに載せていますので興味があれば読んでみてください。石見ケーブルヴィジョンで放映される『琴の鳴る浜』は大田の銀山テレビが撮影したものです。元劇研空の人も浜田にはいますし、知人もたくさんいます。連絡できる人は携帯などで知らせてあげてください。ぜひ見ていただきたいものです。感想が聞けるといいですね。

劇研「空」でもこの劇のDVDを作っています。ぼくは昨年の12月に東京で大学時代の同窓会があり、このDVDと、修平さんが撮影してくれた構成劇『石見銀山歴史物語』(石見銀山天領太鼓の演奏と劇研空などの石見銀山の劇や詩の朗読)のDVDをおみやげに持って行きました。見てくれた友人からは感動したという長い手紙がきました。

劇研空のメンバーや出演した人たちには貴重なDVDです。友達やお世話になった人たちや親戚の人に記念にあげたりするととても喜ばれます。劇研空のメンバーや風花の子どもたちには記念にお礼としてあげましたが、まだ欲しい人があればいつでも連絡してください。一応の決まりとして送料も含め一枚500円にしていますが、枚数が多ければ大いにデスカウントします。どなたでもどうぞ。

 

H24 劇「星空の卒業式」の美穂子さんだ!

2012/03/6、朝、新聞をめくっていると、こんな見出しに出会いました。「ダンサーJacky さん(大田出身)舞台やCM 幅広い活躍」。ダンサー、大田出身といえばあの美穂子さんにちがいない、でも なんで Jacky?と思いながら読んでいくと、間違いなし!大田高校演劇部出身、劇研「空」第5回公演「星空の卒業式~あの夏 校舎は原爆病院だった~」で主役を演じ観客に感動を与えた田中美穂子さん!!数年前東京からメールがきたことがありましたが、どうしているかな、といつも思っていました。強い夢とエネルギーがありましたから実力をつけて認められるようになったんですね。新聞を紹介させていただきましょう。

夜、新聞を読んでいたワイフさまが、「この写真の人は劇研空の原爆の劇へ出てくれた人じゃない?」とsaid. 「そうだよ。劇が好きだったし夢を持っていたからなぁ。夢がある人間は強いよね。いつか実現するもんね。あんた夢ある?」「・・・ない」「・・・・」「田中さんは劇が上手だったよね。弟役をやった高校生は今どうしとるん?」「福山へ行ったけど、どうしているかな」

あの公演から10年近く過ぎましたが、今でもしっかりと記憶に残っているんですね。

旧制大田中学校と大田高等女学校が広島陸軍病院の分院に指定され、600人も被災者が運ばれてきました。婦人会や女学生がお世話をしたのですが、99人が亡くなりました。パンフレットにはその時臨時看護婦になった勝部信子さんに体験記を書いていただいています。貴重な文章です。眠らせておくのはもったいない。その時の公演を報道した新聞を紹介させていただきます。

 (写真は右から美穂子さん、晋吾くん、領太くん、田中志穂さん。この時には大田高校演劇部に声をかけ希望者に参加してもらいました。こういうお互いの協力体制を演劇部と作っていきたいと退職前から考えて実行していたのですが、今はもう演劇は廃部・・・平成15年3月22日の公演でしたがニュースは連日トップでアメリカのイラク攻撃が近いことを報じていました。世界が戦争前夜のような嫌な空気でした。この劇とどこか重なるところがありました。)

この時のパンフレットに美穂子さんは「大好きなおじいちゃん おばあちゃんへ」という題で、悩みや喜びや夢を書いています。こんな文章もあります。

「私が舞台に立つときには必ずみんなに宣伝して、みんなで見に来てくれたよね。美穂子それ知っとるけん、舞台はやめられんかったよ。」(大田の子どもミュージカル風花でもずっと活動していましたよね)

「おじいちゃん、おばあちゃん、遅かったけど美穂子進学しても精一杯頑張るけんね。恥ずかしくないように自分自身に精一杯」

第5回公演の分厚ファイルを取り出して見ていたらなつかしい資料や切り抜きなどがたくさん出てきました。国立劇場舞台技術部長だった持田諒先生の寄稿文もあります。やっぱり書き残しておくことは重要ですね。

美穂子さん、体に気をつけて、さらに大きな夢へ向かって歩んでください。

 

 

H24 新年おめでとうございます

新たな年が扉を開きました。平成24年です。今年もよろしくお願いいたします。

(おだやかな正月です。大田のシンボル三瓶山です。シンガポールから大田へ来た少年が三瓶山を眺めています。初めて雪を見た時には大喜びしました。シンガポールでは雪とはどんなものか想像もできません。おとぎ話の世界です。みやげに友達へ持って帰りたいといっていました。三瓶山には今はもう少し積もっています)

昨年は3月13日の創作音楽劇『琴の鳴る浜』の再演(大田市民会館)と朗読用に手直しした音楽と朗読による『琴の鳴る浜』(旧馬路小学校体育館)が大きな公演でした。福波小学校全児童による『経家最後の手紙~石見福光不言城の子供たちへ~』の脚本書きと子供たちの4回の公演も貴重な取り組みでした。その様子は会報14号に掲載しています。希望者には送りますが、まだ送るべき人に数人送っていません。そのうち送ります。まず表紙だけでもどうぞ。

今年度の活動ですが、年末に浜田の石央ホールから10月に演劇フェスティヴァルをやりたいので出演して欲しいという依頼がきました。3月中に報告しなければいけません。昨年当初から定例会合で(中止もありますが修平さんと開いています)「経家最後の手紙」の「空ヴァージョン」をつくりたいという話しはでています。いいアイデアがあれば教えてください。

では今年もよろしくお願いします。