第50回広島県高校総合演劇大会11/13.14尾道で開催

 尾道のしまなみ交流館で開かれます。各地区の代表13校が参加して2日間行われます。

 島根は10月末に開催され県代表校に出雲高、三刀屋高、松江商業が決まりました。今年は12月中旬に松江で中国大会がひらかれます。県大会の様子は後日紹介しましょう。

 広島県大会ですが、演劇の伝統校はほとんど代表になって出場しています。面白い創作劇もあり楽しみです。

 13日は9:20~開会式、9:40~18:50まで8校が発表します。5分の休憩という強行軍です。

三原東、舟入、大門、広島、尾道北、基町、呉港、沼田の各校。

 14日は9:20~15:15まで次の高校が発表します。

清水ヶ丘、美鈴が丘、福山、鈴峯女子、尾道高校。

 終了後は講師講評、生徒講評、表彰式、閉会式です。17:30終了予定ですが、急いで旧石見銀山街道を飛ばして帰ります。次の日は准看の英語が待っています。

 平成17年にも広島県大会には講師・審査委員で参加しましたが、広島の高校演劇は多彩です。広島市内の高校は部員が多いので劇の作り方がどうしも似てくるところがありますが、尾道や福山や三次などはちょっと味が違います。地域や学校の特色や演劇部の伝統が生み出す個性なのでしょう。

 今から三瓶を通って、ダムがどうなっているか眺めながら三次へ出て尾道のグリーンホテル尾道へ黄砂を浴びながら直行です。19時から打ち合わせ会が待っています。尾道商業が事務局ですが、そこには大田高校出身のオキくんがいるとか、17年には中国新聞記者で大田高校卒業生がインタビューに来たのでビックリ!英語を教えていたのです。

 それにしても大田高校の演劇部がこの世から消えたのは残念無念の至り。このブログも大田高演劇部を応援するために修平さんが立ち上げてくれたのですが(ナミダ)行って来ます。

福波小の劇に温かく大きな拍手

 11月7日福波小学校体育館で、音楽朗読劇「経家最後の手紙ー不言城の子どもたちへ」の発表がありました。地域の人たちや保護者が200人くらい観劇。全校25人の子どもたちは練習の成果を立派に発表しました。

 大人が演じてもいいような劇ですから、難しいせりふもたくさんありますが、完全に覚えていたのは驚きといってもいいでしょう。朗読は台本を持ってもいいですよ、と言っておいたのですが完全に覚えて見事に次々と朗読しました。一年生もいますし日頃は声をあまり出さない内気の子もいるでしょうが、それを少しも感じさせませんでした。

 実質練習時間は約3週間。授業も他の行事もあるなかでの練習ですから3週間での集中力は相当なものです。同時に子どもたちが持っている能力の高さを教えられた気がしました。

 衣装や装置、練習で保護者のバックアップもあり先生方の指導力も十分で楽しい場面があちこちに生まれました。場面にぴったりと合った音楽もたくさん入り劇を引き締め高める効果が大いにありました。

 終わってから大きな長い拍手がつづきました。その拍手の中を子どもたちは学年別に登場し、自分たちが考えた楽しい振り付けでお礼の挨拶をしました。これがとても素敵でした。バックのスクリーンには山本さん作成の写真や名前がプロジェクターで写し出されて行くアイデアも抜群でした。

 これだけの劇を小学生が発表する例は全国的にも珍しいことです。小規模校で先生も保護者も一体となって協力したから出来た事です。僕たち劇研空はその皆さんの熱意に共感してちょっとお手伝いをしただけです。

 なによりも地元に吉川経家という全国版の有名な武将がいて見事な生き様を残していてくれたことを忘れる訳にはいきません。切腹の直前に子ども宛に書いた遺書は現代にも通じる普遍的な人間の愛を語りかけてきますし、人間の生と死の意義を問いかかけてきます。

 時間があればまだまだうまくなること間違いなしです。歌はもっと練習すれば感動的な歌になるはずです。せりふはずいぶん上達しましたが、「どういう気持ちで喋るか」をよく考え(時間があれば脚本分析や読み合わせのときにしなければいけないことですが、今回は時間がなかった)、その思いや気持ちをどのように表現するか(動きや表情や言葉の強弱など)を訓練すれば一段と感動的な舞台になるでしょう。

 しまにちタイムズと山陰中央新報の記者さんが取材にきておられました。地元のテレビ記者は残念ながら見えませんでした。(福波は江津市ですかと、訊いた人がありますが大田市です)地域の人たちの作品展示や子どもたちの作品発表、ブラスバンドの演奏、バザーなど賑やかな一日でした。編集して3分でも5分でも放映してもらうと地域のことが市内の皆さんによく分かっていいのにな、と思いました(勝手に思え!) 

今朝山陰中央新報をみたら大きく掲載されていました。地域の人たちにも子どもたちにも励ましになるでしょうしコピーなどして持っておけばいい記念になるでしょう。うまくまとめてありますので紹介させていただきます。

 不言城会の会長さんや市会議委員さんなどにとても喜んでいただきました。ある人は「これはスタートですからね」といわれました。確かにそうです。いろいろな方面に発展していくことでしょう。役者がそろい金があれば(ない)大人用の劇に書いてみたい気がしますし、PRのために小冊子にしてみたい。脚本がほしいという人もあるのであちこちへ送っていますが家内工業印刷では面倒です。

 東京のある人が次のように読後感をメールで送って下さったのがとても励みになりました。 「まず第一声、『素晴らしい』です。ストーリーの流れを見ると、ほとんど文句をつけようがないくらい歴史考証が正確です。~出典はほぼ把握できるところも好感が持てます。フィクションも程よく注入されており、既存の作家が書いた経家の小説よりも感情移入がしやすく、素晴らしいできだと思います」

 

  浄光寺墓地から真向かいに横たわる不言城を写した写真です。当初の福光城は山の左側の久根平に本城を構えた峰全体に及ぶ山城だったが、吉川氏入城後は規模を縮小し、右側の小田ヶ平の山頂へ本城を築いた。二の丸、三の丸、麓には御殿屋敷がある典型的な後期中世城郭です。二つの峰の中間に切り落としを設けている。久根平側は本来は城外だが上の丸といい、物見台や馬洗池があり実質的に城内扱いである。

 発表が終わって帰りに、不言城ふもとのりょう言寺に寄り、向かい側の浄光寺の墓地を訪ね経家の父・経安と奥方の墓碑に黙想を捧げました。前不言城会長の坪内さんが、ここには経安の切腹を不言城へ知らせた小姓萱野九良左エ門が書き残した記録が墓の墓碑銘に記してあると言われたからです。確かにありました。元の資料は大阪にあるそうですが、見てみたいものです。

 琴ヶ浜で車を止めて、綺麗な砂や波などパチパチ写しました。来年3月公演予定の「琴の鳴る浜」のためです。綺麗な砂を強調したポスターが出来ないものかな。歩き疲れて筋肉痛になり、まだ痛みがとれません。 

 みなさん、いろいろとありがとうございました。おつかれさまでした。

 

大田市立福波小学校 創作音楽劇「経家最後の手紙」を発表11/7

 福波小学校の児童25人が平成22年11月7日(日)10時から学校の体育館で写真の脚本を発表します。先生も保護者も一緒になって作った舞台です。大人が上演してもいいような脚本をみんな頑張って作り上げました。福波小学校は来年の3月で名前が消えます。その記念行事の一環でもあります。

 吉川経家は鳥取では英雄です。10月26日に鳥取市の真教寺で430周年大法要が行われ大田からも30数名参加しました。鳥取吉川顕彰会の会長は鳥取市長です。都合で副市長が出席されましたが、「経家は鳥取市民の恩人です」という言葉がありました。それほど鳥取市民には親しい経家ですが、大田で知っている人はほとんどいません。

 10月25日午前4時ごろ切腹しますが、前日から8通の遺書を書いています。最後は子どもたちへ平仮名で書いています。この手紙に触発されて脚本を書いたのです。400年以上前のことですがその人間性は今の人たちの心にも響きます。

 吉川経家がいた不言城は福光にあります。九号線を通って温泉津トンネルを抜け長い坂を下ると目の前にガソリンスタンドがあり、その背後にある標高約100メートルの山が城跡です。

 

 劇には一年生から6年生までみんな出演します。先日練習を見に行きましたが、難しい言葉があるのにみんなちゃんと覚えて大きな声で演じていました。大したもんですね。子どもだからこれくらいしか出来ないだろう、と既成概念で考えて限界を設けると、その範囲のことしか出来ませんが、限界を取っ払うと大人に負けないこともできます。舞台は群読と劇と歌で出来ています、作曲は仁万の菅森容子さんと大田の長坂行博先生です。

 今年鳥取には2回行きました。一回は9月25日に開催された中四国詩人会大会です。26日には鳥取から吉川経家顕彰会の人たちが30人くらい不言城見学に来られ、夜は温泉津で歓迎会があり出席しました。二度目は大法要です。修平さんも一緒にいきました。

 次に鳥取城がある久松山と真教寺の写真を紹介しましょう。真教寺は何度も移転していて今は市内の住宅街にありますが、経家がいたときには城内にあったようです。経家はそこで切腹したと言われています。(城内説もありますが)切腹した時の様子を山縣長茂は1644年に詳しく書いて岩国の吉川家へ提出しています。実に描写がリアルで衝撃的な覚え書きです。

 7日の発表は誰でも観られますので都合のつく人はお出かけください。東京からはるば来られる経家フアンもおられます。地域の人たちがバザーなども出されるそうです。

 次ぎに練習風景の一端を紹介しましょう。鳥取城の描き割りは保護者の手による傑作です。保護者の中には大田高校演劇部だった人もいます。「母のおくりもの」で県代表となり倉敷で行われた中国大会に出ました。そのときの母です。さとみさんと言えば知っている人だけ知っています。発声練習や劇の練習またパソコンを駆使してすてきな紹介を作って投影してくれます。

 この劇は2月ごろ閉校記念行事として再演される予定です。劇研空は修平さんと僕とでいろいろ協力しました。

一年生や二年生も一生懸命演じます。楽しい場面もあちこちにあります。明日が楽しみです。頑張ってください。みんなで観に行きます。(みんなとはどんなにたくさんのひとがいるのだ)

勝部義夫さんへ山陰中央新報地域開発文化賞

 現在大田市文化協会の顧問の勝部さんが第49回山陰中央新報の地域開発文化賞を受賞されました。勝部さんは現在大田市文化協会の顧問ですが、長い間会長として大田の文化活動に大きな力を発揮されました。

 勝部さんは昭和28年に大田高校を卒業され、日大芸術学部の映画科へ進学、卒業後は東宝へ入り映画俳優として活躍されました。大田高校では藤原俊彦さん(前国立病院産婦人科医師、現在広島在住)と同期で共に演劇部員として活躍されました。大田高校は島根県下でも戦後早くから演劇活動を開始した伝統と歴史があります。

 いろいろと映画に出演されましたが、家庭の事情で1976年(昭和51年)に大田へ帰られました。

 昭和62年から4年間大田市文化協会の理事、平成3年から12年間は副会長、15年から6年間は会長として文化協会をまとめて来られました。その間、大田名画シアターの発足と運営、しまね映画塾、大田市文化祭、民俗芸能の調査や舞台発表、最近では劇研空と一緒に朗読音楽劇「鶴」や創作音楽劇「琴の鳴る浜」などで実行委員長や演技指導にも当たられました。いろいろな点で大田の文化活動には欠かせない人です。

 表彰式は10月19日に松江で行われました。次の記事は山陰中央新報に出たものですが紹介させていただきます。

 勝部さんと一緒に舞台の仕事をしているといろいろと面白い話を聞くことができます。森繁久弥のセリフの覚え方とか、黒沢明監督の映画に出演したときの厳しい話や、あるときは「これは長谷川一夫が舞台ではいた草鞋だよ」と言って持って来られて、劇研空のキャストが劇で使ったこともあります。

 いろいろ聞いておかなければいけないことがまだたくさんありますのでいつかじっくり聞きたいものです。

 勝部さん、おめでとうございます。劇研空一同お喜びを申しあげます。

 (とかいてもかつべさんはこのぶろぐをみられたことはありませぬしこんごもみられないとおもいますのでとどきませぬ)

上の写真はしまね映画塾が大田市で開かれたとき大田市民会館で写したものです。

34回島根県高校演劇大会 加茂町ラメールで開催

 第34回島根県高校演劇発表大会が今年もラメールで開かれます。10月30日、31日(日)です。この日は浜田でも第3回「石央地芝居大会」が開催されます。浜田の岩町先生から観劇にきて欲しいと依頼がありましたが、ラメールの県大会へ行くことが決まっていましたので残念ながら浜田へはいけません。

 昨年も県大会では野村みさ子先生と講師として参加しました。最優秀賞だった三刀屋高校の「オニんぎょ」(顧問の亀尾佳宏先生作)は倉敷市の芸文館で行われた中国地区大会でも最優秀賞を受賞し、今年8月に宮崎市で開催された全国大会へ出場し大健闘しました。

 今回の県大会では創作は浜田高校、三刀屋高校、松江商業、出雲高校です。上演時間と演目は次の通りです。無料です。どうぞ観劇にきてください。

創作音楽劇「琴の鳴る浜」の再演 来春3月13(日)

 10月12日に市民会館で、「琴の鳴る浜」第一回実行委員会が開かれ、日程や予算関係などを審議しました。

 昨年の公演の反省を中心議題にして、4月23日に実行委員会が開かれたとき、再演希望が多いので、その方向で準備することは決定していましたが、しまね文化ファンドの助成が決定本格的に動き始めることになりました。

 初演の反省に基づき脚本にも手を加え音楽も増やすことになりました。劇研空の皆さんにはまだ正式に連絡していませんが、新聞でも発表されましたので、ここに書くことにしました。来月の初旬に初会合を開く予定です。近日中に連絡します。

 次の記事は山陰中央新報に発表されたものですが、参考までにここで掲載させていただきます。

第3回ゆめのつばさコンサートで「琴の鳴る浜」劇中歌を合唱

このコンサートでは大田市から三つのグループが出演しましたので、チラシから紹介します。

 

琴浜合唱団は、創作音楽劇「琴の鳴る浜」で歌った歌を合唱しました。

満席の聴衆に感動!17回ミルキーウエイコンサート

 7/4(日)大田市民会館で合唱と管弦楽を聴きました。大田市には11の合唱団があるようです。第1部ではそれぞれの合唱団が工夫した衣裳を着けて5,6分合唱。風花の子ども達は数年前の「学校ネズミ」から歌いました。大田市の作詞家、佐々木寿信さんの作詞、すずき しげお氏の作曲になる同様をコミセンコ-ラスが歌いました。とてもきれいな声が印象に残りました。

 佐々木さんは最近詩集と短歌集を出版され寄贈を受けましたのでそのうちブログで紹介します。伝統のある花音のコーラスも力強い響きがありました。それぞれが力量を持った合唱団ですが、どんな曲を歌うかによって胸に響くものが違ってきます。選曲は難しいですね。

それぞれのコーラスを舞台風景として紹介します。

 Ⅱ部は3月に市民会館で上演した創作音楽劇「琴の鳴る浜」から「ここは石見 琴が浜」を山陰フィル管弦楽団の演奏で感動的に歌われました。男性のコーラスが入ったのがとても力強く、管弦楽のきれいな演奏とともにとてもスケールの大きな曲になりました。指揮は作曲された長坂行博先生、尺八は森山重富さん、花音でも歌われた合原三令さんが琴を演奏されました。

指揮の今岡先生が楽しいトークの中で「琴の鳴る浜はとても曲が美しい。このような伝説に基づいた舞台が市民の手で生まれるということはこの地域の文化の力を感じます」と言われました。

Ⅱ部ではNHKの「おーい、ニッポン」の中で歌われた曲、出雲大社、螢、花火、だんだん、さだまさしの案山子、元気をだして、なども全員で歌われました。Ⅱ部は大田市や島根から生まれた歌が多く、とても心に響き胸が熱くなりました。解説もなく普通の歌をただ歌って舞台を下りる、というだけではコンサートのコンセプトが観客に伝わってきませんが、このような選曲と舞台の工夫はとてもすてきです。

第Ⅲ部は山陰フィル管弦楽団の演奏です。ハチャトリアンの「仮面舞踏会」、チャイコフスキーの序曲「1812」、ブラームスの名曲など今岡正治先生の指揮で久しぶりにクラシックの生演奏を堪能しました。アンコールが鳴り止まず4度も出てきて演奏されました。

島根の音楽のレベルは全国的にもとても高いことで有名です。今岡先生は仁多中学校の先生と上の紹介には書かれています。こういうレベルの人達が演奏者、指揮者、指導者も含めて島根にはどこにでも普通のようにいるのです。山陰インフィル管弦楽団が島根で果たしている文化的な力は音楽だけではなく大きなものがあります。

久しぶりに心と脳を洗われた思いを持ちながら市民会館を出ると、琴の鳴る浜に出演してくれた子ども達が「アア、スハマセンセイダ!」と言って寄ってきました。またやりたいです、と楽しみにしているようでした。劇研空会報13号へ感想を7人とも出してくれました。95%完成しているのですが、まだ彼女達に渡してないので、「ごめんよ、そのうち会報は写真をいっぱい入れて送るけ」とまた弁解して会館を後にしました。弁解力だけは上達していきます。

7/4 大田市民会館で第17回ミルキーウエイコンサート開催

 主催は大田市合唱連盟。毎年工夫して開催し17回の歴史を重ねました。今回の大きな特徴は山陰フィル管弦楽団の演奏があることです。ハチャトリアン、チャイコフスキー、ブラームスの曲を演奏します。

 もう一つの目玉演目は、この3月に大田市民会館で上演した創作音楽劇「琴の鳴る浜」の中から合唱曲「ここは石見、琴が浜」が歌われることです。山坂先生が山陰フィル管弦楽団用に楽譜を書かれたのだろうと思います。作詞は劇研空代表洲浜です。合唱は大田少年少女合唱団、大田高校合唱部、フレンズ彩、サウンドコラージュ、女性コーラス花音、大田マイシティコールなどです。

 2年前、石見銀山の世界遺産登録を記念したミルキーウエイコンサートでは谷口榮一先生から頼まれて石見銀山の歴史の語りや石見銀山をテーマにした自作詩を朗読しました。

 今回のコンサートぜひ大田市民会館へ足を運んで素晴らしい音楽を楽しんでください。きっと満足されることと思います。

 久しぶりに書いてみました。簡単なようで思うようにいかず時間がかかりました。曲目をスキャンナーでとったのでここへ入れようとしたのですがなんどやってもうまくいきませぬ。正に実験中です。

 

多彩な作家81人を収録 『人物しまね文学館』刊行

 平成8年10月から約1年半にわたって山陰中央新報文化欄で毎週掲載されていた人物評伝が立派な本になって刊行されました。柿本人麻呂から現在活躍中の作家や文人など81人を収録しています。

 新聞では1200字前後、人物によっては⒉週掲載、されました。

 原稿用紙約3枚で偉大な業績を残している作家をまとめるのはとても大変な仕事です。評価が偏ったり、普遍性がなく個人的過ぎたら、その作家に泥を塗ることになりますし、あまりにも表面的、一般的過ぎる評伝ではおもしろくありません。事実関係で間違わず、正当な評価をし、新しい独自の視点からも評価し、いかにして生涯像を浮かび上がらせるか。みなさん苦労されたにちがいありません。

 執筆者は島根県内で活躍中の文学関係者35人です。新聞連載中から切り抜いて保存していますが、ほとんどの評伝が素晴らしいできばえです。コンパクトにしかも的確に人物を紹介してありますので読んでもおもしろいのですが、辞典として利用しても大いに役立ちます。

 県内の書店では販売していますし、山陰中央新報関係の販売店などでも販売しています。どうしても入手できないという人はご連絡ください。10冊くらいはいつでもお送りできます。

 

 5月1日には県民会館で文学作品や雑誌などの展示会があり多くの人が来られました。貴重な初版本などもあり大いに刺激になりました。

 午後1時からは「島根の文学風土と文人たち」と題してシンポジュームが行われました。会場はほぼ満員の盛況でした。詩人の入沢康夫さんの講演が先立って行われました。先生は作品を書くときの「距離のとり方」の重要性を話されました。とても示唆に富む話でした。ここでは書く暇がありませんので、いつかどこかで紹介します。

 シンポジュウムの写真だけをここでは紹介しておきます。

 シンポジュームでは溝口島根県知事も来られて挨拶をされました。シンポジュームでは最後までおられ、忙しい中4時間以上も聞いておられました。トップのこういう姿勢はありがたいことです。

 長いを時間かけて展示を準備され、シンポジュウムを成功させられた関係者のみなさんお疲れさまでした。毎月の話し合いや準備会があり直前には毎日準備されました。

 詩の代表としてお手伝いをしなければいけなかったのですが、毎回松江へ行くのは大変で、協力できませんでした。会を引っ張っていく池野会長のような存在や、地道にこつこつと仕事を進められた小川事務局長のような人たちがおられたからこそ実現したものです。

 夕方6時からは入沢康夫先生を囲んで県内の詩人6人で懇親会を開きました。以前も少人数でこういう会を開いたのですが、入沢先生はこの会をとても楽しみにしておられるようです。

 参加者は田村のりこさん、光年の田中螢一さん、川辺真さん、渡辺兼直さん、洲浜昌三さんと入沢先生でした。先生の詩集にサインをしていただきました。兼直さんが安来節を歌い、洲浜さんが石見銀山巻き上げ節を歌いました。

 またやりましょう、といって別れました。その夜は松江に泊まり、翌日は美術館で高句麗の壁画と浮世絵を見て帰りました。(実験中ブログ、いくぞ、えい!)